蜃気楼・陽炎・泡
小生が講読しているメルマガの一つに、「光と色と眼の雑学」がある。その「No.098 2005年03月04日」の回は、テーマが「蜃気楼」だった。いつも以上に関心を持って読んだ。
蜃気楼というと、富山生まれの小生、富山は魚津市を連想してしまう。既に蜃気楼を扱った雑文も書いている。
今回はそれを再掲し、「光と色と眼の雑学 No.098 2005年03月04日」から得た知識を付け加える形を取る。表題に「蜃気楼」の他に「陽炎」や「泡」があるが、あまり気になされないように。正直なところ、話がそこまで及ぶかどうか、予断を許さないのだ(自信がないのだ)。もし、「陽炎」や「泡」触れなかったら、表題こそが幻だったのだと理解されるのがいいだろう。
「蜃気楼あるいは喜見城のこと」(04/03/17 筆)
3月16日、富山で今年初めての蜃気楼が発生したというニュースをラジオで聞いた。春の蜃気楼の発生第一号というわけである。
ここに春の蜃気楼と「春の」と冠したわけは、蜃気楼には、春の蜃気楼と冬の蜃気楼があるからである。
ところで、まず、蜃気楼とはどういう現象なのか。簡単に言うと、「温度が異なる大気の境界層で光が屈折する現象」ということになる。
上掲のサイトに見られるように、春の蜃気楼は、「対岸の風景が上方に伸びたり反転して見える」という特徴があり、冬の蜃気楼は、「対岸の風景が下方に反転して見える」という特長がある。
さて、蜃気楼は、「温度が異なる大気の境界層で光が屈折する現象」なのだが、どうやら春の蜃気楼と冬の蜃気楼とでは発生のメカニズムが違っているらしいという説がこの数年、唱えられてきている。
昨日のラジオの説明は、従来通りの説明をそのまま流していたようで、気になった。
なので、ここで改めて新説を紹介すると共に(但し、未解明な部分が多い)、改めて富山の蜃気楼に注目してみたいと思ったのである。
春の蜃気楼と冬の蜃気楼とは、繰り返すが発生のメカニズムが違うらしい。まず、冬の蜃気楼は、「寒い冬場であれば、ほぼ毎日出現している →全国いたるところで出現(あまり珍しくない)」ものなのである。
つまり、冬の蜃気楼のタイプだと、何も富山にこだわる必要などない。全国で見られるもので、珍しくもないのである。
しかも、春の蜃気楼は、見られても(春に十数回発生するだけ)日中の限られた時間帯だけなのに比べ、冬に発生する蜃気楼は晴れていれば(視界がよければ)、ほぼ日中を通して見ることができるという。
さて、蜃気楼の発生のメカニズムである。冬の蜃気楼の発生のメカニズムは、「冷たい大気に比べて暖かい海水が大気を暖め、海水の表面に暖層部をつくり、大気層の境界で光が屈折するために起こる現象」であり、今のところ、この説に異論は見られていないようである。
それに対し、春の蜃気楼の発生のメカニズムは、従来、「立山連峰の冷たい雪解け水で海水の表面に冷層部ができ、大気層の境界で光が屈折するために起こる現象」とされてきた。
16日のラジオでも、こうした説明が流されるのみで、異説が唱えられていることには言及がなかった。
では、ここ数年、注目を浴びつつある説とは、いかなるものか。
それは、「海風が突き出した陸地を通るときに暖められ、再び海上に流れ込む。その結果、生地から富山にかけて上暖下冷の大気層が形成される(冷層部は陸地の高さが原因)。蜃気楼はそのとき生じる温度の境界層で光が屈折するために起こる現象。」というもの(「黒部市吉田科学館」より)。
考えてみれば、仮に春の蜃気楼の発生のメカニズムが、従前通りのものであり、「立山連峰の冷たい雪解け水で海水の表面に冷層部ができ、大気層の境界で光が屈折す」ることが原因なのだとしたら、そうした大気の条件は、わりと春先は一般的なわけで、だとしたら、春にはもっと頻繁に蜃気楼の発生が見られていいわけだ。
しかも、何も富山=魚津だけでしか見られない現象である必然性などないわけである。魚津などの日本海側に限らず、山の根雪が溶けて海に流れ込んでいる場所はいたるところにあることは言うまでもない。
では、何故、富山の魚津を中心とする地域だけに発生する現象なのか、その点こそが説明されなければならないわけだ。それが、上記の説明だというわけである。つまり、黒部市の生地地区の突き出している地理的条件こそが春の蜃気楼発生の条件だということなのだ。
これ以上の詳しい説明は、この「蜃気楼のなぞ」という頁を参照願いたい。
さて、春の蜃気楼を見てみたいと思う方も多いだろう。小生も、遠い昔、小学校の遠足で魚津に行った時、埋没林などと共に、海岸にも立ったのだけれど、折良く、眺めることができた。が、それっきりなのである。
思えば、非常に運が良かったのだと、今にして思う。
ただ、悲しいかな、その時は、蜃気楼を眺めてそれほど感動した覚えがない。 というより、岸壁だったか浜辺だったか覚えていないのだが、波打ち際に打ち寄せられる発泡スチロールの塊を見て、ああ、これってあの白い何かから千切れて流れ着いたんだなと思っていたことだけが印象に残った次第である。
我ながら、困ったお坊ちゃまだ。
で、春の蜃気楼だが、春に見られるといっても、上記したように年に十数回しか見られない。欲張って、何処か見晴らしのいいところで、なんて思っても無駄である。「蜃気楼はわりと遠方に現れ、また像の伸びは幅が小さいため、肉眼で判別するのは困難です。8~10倍程度の双眼鏡が必要にな」る。そして海岸に立つことが大切で、あとは運を天に任せるのみである。
蜃気楼の写真は、下記のサイトが豊富:
「特別天然記念物 魚津埋没林博物館」の中の「もっといろいろ蜃気楼」
下記では、魚津市役所「蜃気楼情報」を得ることができる(メールでも):
「魚津市へようこそ」
ここで初めて知ったのだが、蜃気楼のことを地元では、「喜見城」という言い方をすることもあるとか。
「富山湾の春の風物詩」によると、「蜃気楼という名前は、“蜃(しん)”と呼ばれる大ハマグリが、沖合で“気”を吐き出し、空中に“楼(高い建物)”を出現させる、と考えた中国人の想像に由来するといわれています。またそれが市場や城のようにも見えたことから、「海市(かいし)」あるいは「喜見城(きけんじょう)」とも呼ばれたようです。」とある。
また、「北陸中日新聞 こちら富山支局 とやま再発見 2004年1月8日掲載」を覗くと、「「魚津古今記」によると、第五代目加賀藩主前田綱紀が蜃気楼を見て、吉兆と喜び「喜見城(きけんじょう)」と名付けたとある」とか。また、「。「蜃気楼」の「蜃」は大蛤(おおはまぐり)や蛟(みずち)のことで、海の大蛤が吐く気が楼閣の幻を見せるという意味である。前述の「喜見城」のほかにも「蜃楼」「海市」「狐(きつね)の森」「狐の松原」など」があるとか。
尚、先述のサイトに、蜃気楼という言葉を織り込んだ句が紹介されていた。ここに再掲しておく:
蜃気楼と立山とあり魚津よし 高浜虚子
しばらくは恋めくこころ蜃気楼 岡本 眸
蜃気楼見えると心に信じよう 弥一
最後は蛇足であった。この稿こそが辛気な労作であった。
(転記終わり)
文中に「“蜃(しん)”と呼ばれる大ハマグリ」が登場する。「海の大蛤が吐く気」について、「光と色と眼の雑学」では、「蛤の気とは粘液のことで、この粘液は蛤の移動手段なのです。粘液で海流に乗るのですから、さながら海中の帆掛け舟です」と説明してくれる。
せっかくなので、ネットで蛤のことを調べてみた。本来なら、「蜃気楼あるいは喜見城のこと」を書いた時に調べておくべきだったが、そこまで手が(頭が)回らなかった。
すると、「ハマグリの蜃気楼」という恰好の頁が見つかった。
ここには、「ハマグリは、一般に「舌」と呼んでいる斧の刃のような形をした足を使って、海底の砂の中に潜ることができます。舌の足は、伸縮が自在で、砂層中に突き入れた足先に、体液を急速に送り込んで膨らませ、膨らんだ部分を錨にして、自分の体を殻ごと砂中に引き込みます」などと、蛤の生態が説明されている。
嬉しいことに、「蛤を逃がせば舌を出しにけり」(高浜虚子)まで載っているではないか。
さて、「棲んでいる場所の環境が悪化すると、長さ1~3mの「粘液の糸(ヌルと呼ぶ)」を分泌します。ヌルは、引き潮に乗って沖へと引きずられ、貝は、ヌルに引っ張られて海底を滑るように移動します」という。
なるほど、移動する際に粘液の糸を分泌するわけだ。
さらに、「ハマグリが粘液糸を出すこのような状況を、漁師は、「ハマグリの蜃気楼」と言うそうです。蜃気楼の「蜃」は、「大ハマグリ」のことで、大ハマグリが吐き出した、妖気の中に見える楼閣を「蜃気楼」と言います」という。
こうなると、大蛤の蜃気楼という名称が魚津の蜃気楼の呼称の元になったようにさえ思えてくる。小生の頭が例によって混乱してしまった。
「ハマグリ観音」というありがたい項は、小生の頭を素通りする。白隠禅師の画を見られただけで、ご利益があったものとする。
最後に、「貝合わせ」の項がある。「ハマグリの二枚の貝殻は、元々の貝以外は絶対合致しないところから、貞節の象徴とされ、一生涯連れ添う夫婦にたとえられました。結婚式などおめでたい席にはつきものです。」という。おお、急いで蛤を探さなくっちゃ。
「ハマグリの学名は、「メレトリックス・ルソリア(Meretrix lusoria)」と言」う。訳すと「学名は「遊ぶ遊女貝」」となる。それは、「貝覆いに使った物」を見ての命名だとか。とんだ誤解があったものだ。
ああ、もう、こんなに長くなった。稿を改める。
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コメント
休日の午前中ということで(?)、ふたたびコメントを。
蜃気楼に春物と冬物があるとは知りませんでした。
それに、春物を目撃するには僥倖が必要だということも。
*
「波打ち際に打ち寄せられる発泡スチロールの塊を見て、
ああ、これってあの白い何かから千切れて流れ着いたんだなと思っ」たという部分、
いいですね。
フェリーニの自伝的映画の一エピソードみたいで。
こんな宝石のような記憶には、
弥一氏のペンで新しい命を吹き込んでやってほしいものです。
*
貴兄のこの記事を読んでいて、
福永武彦の「海市」を二十数年ぶりに読み返したくなりました。。
投稿: 石清水ゲイリー | 2007/04/08 11:10
石清水ゲイリーさん、来訪、コメント、ありがとう。
>蜃気楼に春物と冬物があるとは知りませんでした。
>それに、春物を目撃するには僥倖が必要だということも。
いつか、僥倖に恵まれ、春の蜃気楼を観る機会を得られることを祈っています。小生は、ほんとにラッキーだったのです。
ただ、冬の蜃気楼は見ていません。
蜃気楼と浜辺に打ち寄せられた真っ白な発泡スチロールのこと、物語になりそうですね。実際、小生の中ではロマンでした。
福永武彦の「海市」は残念ながら、読んだことがない。彼は芸術家を扱ったエッセイが多いとか。お陰で福永武彦の作品を読み直してみたくなりました。
投稿: やいっち | 2007/04/08 20:35