薔薇の芽それとも青いバラ
表題の後半を「青いバラ」にしたけれど、別に小生が青いバラの現物を見たわけでも、まして、作ることに成功したわけでもない。
単に、最相葉月著『青いバラ』(小学館刊)を読んだので、魅惑のタイトルを使ってみたかっただけである。
「英語で「Blue rose(青いバラ)」は「ありえないもの」を意味」するとか。
不可能という花言葉を持つ幻の青いバラ、ということか。
バラは、「冬薔薇」だと、冬の季語である。「薔薇」だけだと、夏の季語。「薔薇の芽」だと春だとか。
この「薔薇の芽」という言葉については、「春の雨」の項で、「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」という正岡子規の歌を紹介した際にも登場していたことを覚えておられる方もいるだろう。
桜は、ようやく堅い芽が解きほぐされつつあるようだ。都内だと、各地にチラホラと早咲きというのか、気の早い桜が咲き始めているのを、先週の金曜日だったかに見ることができた。
薔薇の芽のほうは、小生、確かめてはいない。誰か、見かけた方がいたら、教えて欲しいものだ。
さて、明日(既に本日だ)は、全国的に雨模様のようだ。この分だと、桜の開花は、幾分、遅れそう。
月曜日の夜半になり、雨が上がった頃、開き始めた桜と月、という光景を愛でることができたらいい…。それを楽しみに、仕事に励もう!
最相葉月著『青いバラ』(小学館刊。何故か、新潮文庫版もある)を読んだ。最相葉月の本は、『絶対音感 』(小学館刊、小学館文庫版あり)に次いで二冊目となる。
『絶対音感 』の読後感は良かっただけに、今度もと期待したが、ややがっかりした。なぜだろう。
出版社サイドの謳い文句を掲げておく:
ベストセラー『絶対音感』を超える話題作
現在、最先端バイオの分野で、遺伝子組換えによる「青いバラ」の研究開発が進んでいる。青い色のバラは、ギリシア・ローマ神話の時代から「この世にないもの」とされ、多くの育種家たちがその作出を夢見ては挫折を繰り返し、辞書にまで「不可能」と定義された“幻のバラ”だった。数百年もの間、人々はこのバラにどんな想いを抱き、何を求めてきたのか? バイオ・テクノロジーによって現実のものになろうとしている青いバラは、人類の夢の実現ではなく、夢の喪失ではないのか?そもそも、それは本当に美しいのだろうか・・・・。著者は、厖大な資料分析と多数の育種家・研究者への取材を通じて、“科学と人間”の関係性に迫っていく――。小学館ノンフィクション大賞を受賞した『絶対音感』著者の、3年ぶりの新作となる書き下ろしノンフィクション。
(転記終わり)
確かに、「厖大な資料分析と多数の育種家・研究者への取材」は認められる。が、肝心の「“科学と人間”の関係性に迫っていく」については、おおきな疑問符が付いてしまった。
先に進む前に、『青いバラ』のリンク先(「Amazon.co.jp: レビュー 本 青いバラ」)には、[あらすじ]も載っているので、本書の内容の大凡を掴むことはできるかもしれない。
その上で、小生の本書の読後感の印象は、「Amazon.co.jp: 本 青いバラ」に幾つか載っているカスタマーレビューのうちの、「作家の眼が欠けている」(レビュアー: producer)と題されたレビューに近い:
この本には世界のバラ史とその立役者たちの歩みが延々と綴られている。バラの特性、育種、市場性、象徴性などについて多面的に言及されており、それを支える科学的知見も精緻に書かれている。著名なバラ育種家、科学者、企業研究員などへの取材から結実した文章量は膨大だ。序盤からバイオテクノロジーと生花ビジネス(バイオ野菜や穀物の記述も多い)の相関記述も多く見られ、期待感は募るものの、400ページ以上読み進んでいっても、肝心の「青いバラ」についての作者の視点というものがいっこうに浮かび上がらない。ノンフィクション作家に期待するものは、調査報告書や論文等に求められる中立性や客観性よりも、「それだけ膨大なリサーチをした作者のアナタは、どう思いますか?」という「作家の眼」だ。将来、もしも空よりも青いバラが実現したのなら、それは人間にとって福音なのか?その時、人間の美的感覚や倫理観はどのように変化するのか?青いバラ・ビジネスは人間にとって何を意味するのか?青いバラは、自然界のなかでどのように位置づけられるのか?・・・など「青いバラ」命題について、作者の知見と予見が一番知りたいところだ。作者なりの技量で人間ドラマを紡ごうとする努力は見られるものの、残念なことに、作者は「あなたは青いバラは美しいと思いますか?」と言い残したまま、最後まで「作者の眼」を見せて(魅せて)はくれなかった。作者を信じて何時間も読書に費やしたことが悔やまれる。やはりこの本は、バラ物語を中心に園芸・育種、そしてバイオ植物の歴史・調査報告書として読むのなら、得るところはあるかもしれない。
(転記終わり)
欠けているものが「作家の眼」なのかどうかは、小生には分からない。が、リサーチャーとして中立な立場を守るあまり、自らの価値観や視点が稀薄に感じられたことは間違いない。取材する上では価値中立を保つのは大切でも、一体、書き手の問題意識は何処にあるのかは、書く上で明確にしても構わないはずだ。
というより、明確にすべきなのだと思う。書き手のスタンスは明確に、しかし、取材は必ずしも先入見に囚われずにが理想なのだが、結局、「バラ物語を中心に園芸・育種、そしてバイオ植物の歴史・調査報告書」に終始していて、小生は、読みながら貧乏揺すりしてしまった。
で、最後どころか、半分にならないうちに読み飛ばし作戦に。小生には珍しいことだ。
題材は素晴らしいはずなのに。
残念なのは、もう一つ。本書は「青いバラ」という表題であり、しかも、このタイトルは象徴ではなく、そのものズバリでもある…はずなのに、本書の中に写真の一枚も見当たらないのだ。白黒の写真さえ、ない。
これが、卓抜な技量を持つ小説家の手になるものなら、なまじっか写真など、ないほうがいい。詠み手の想像力を書きたててくれたら、読み手は十分満足する。
が、この手の本だと、取りあえずは「青いバラ」に一番近付いた成果なるものをちょっとは見たいではないか。確かにネット時代だから、自分でネット検索したら、画像は見られるのだけど、ネットの画像よりプロの手になる、ちゃんとした写真が載っていてほしかったのだ。
あるいは、本のカバーに載っていたのだろうか。図書館の本はカバーも帯も外されているので、小生が見られなかっただけなのか…。
老婆心ながら、ネットで青いバラなる画像を探してみると、本書の中でも大きなスペースを割いて触れられているサントリーに関連し、「世界初!「青いバラ」の開発に成功! サントリー」というサイトがあった。
小生には青いバラには見えないのだが、プロの目は、違うようである。
以下、お口直しというか、お目直しに、二年前、「幻の「青いバラ」できた?」というニュースが配信された当時に小生が書いた拙稿をホームページより転載する。
その上で、付け足したいことがあったら、補足するかもしれない:
「幻の青いバラと女心」
5月9日付けの朝日新聞朝刊第一面に、「幻の「青いバラ」できた?」という囲み記事が載っていた。まさに、「?」で、表題に「実はトルコギキョウ」と付されている。記事には写真が載っているが、パッと見る分には、小生が花に疎いということもあるが、バラに見える。
敢えてクレームをつけるなら、青いバラではなく、記事にもあるように紫の色に近い点で、トルコギキョウという説明がなければ、青にしては色合いに難があるんじゃないの、でも、まあ、幻の青いバラに一歩は近づいたのかなと思えなくもない。
記事の説明によると、バラは紫や青色を生み出す色素「デルフィニジン」を持たないため、交配を繰り返してもブルー系の花づくりは不可能と言われているらしい。青いバラ作りが夢に終わっているということは小生も聞いたことがある。
そこで、紫色の花が咲く北米原産のトルコギキョウをバラに似せようと改良を重ね、花びらが外に巻いた一重咲きに、八重咲きを自然交配させてバラ咲きの花びらを作り出したのだという。
これに成功したのは、種苗メーカーの「サカタのタネ」で、開発された商品の名前は、「ロジーナブルー」で、花屋さんの店頭に並び始めているらしい。
早速、ネットで検索してみたら、「『ロジーナ』シリーズを開発」というドンピシャのサイトをヒットした。
このサイトによると、「英語で「Blue rose(青いバラ)」は「ありえないもの」を意味」するのだという。小生はそこまでは知らなかった。
日本国内でも、わりと普通に見受けられるトルコギキョウをネットで探してみた。
なるほど、その豪奢さは格段に違う。
トルコギキョウの花言葉は、優美、希望だという。ところで、バラに似せて作られた『ロジーナ』シリーズの新しいキキョウも花言葉は同じなのだろうか。人は、この青紫のバラ似のトルコギキョウを見て、どんな花言葉が似つかわしいと思うだろうか。
念のため、バラの花言葉を調べたら、これが花びらの色によって色々あるらしい。正にバラバラなのだ。
でも、青いバラはありえないのだから、当然、花言葉もないわけである。いつか、青いバラが生み出されたなら、やはりトルコギキョウの花言葉が転用されるのだろうか。
今、「幻の青いバラ」をキーワードにして検索してみたら、筆頭に、こんなサイトをヒットした。
このサイトに掲げられている写真だと、文句なしに青いバラ(そっくり)ということになる。この色の具合の違いは、写真の出来具合の問題なのだろうか。やっぱり現物を見ないと、うっかりしたことは言えないということかもしれない。
ついでに同じキーワードで検索したら、『絶対音感』の作家・最相 葉月氏著の『青いバラ』(小学館刊)をヒットした。彼女は、「著者は、サントリーとカルジーン社が遺伝子組み換え技術を用いて「不可能の象徴」である青いバラを可能にしそうだというニュースに違和感を覚え、バラ育種の歴史をひも解く取材を開始」したという。
どうやら、本書においての著者の関心は、青いバラ作りへの挑戦の歴史を端緒に、「遺伝子組み換え技術への漠然とした違和感」、つまり、クローン人間などに関して、「科学者の視点と一般的視点の相違」を明確にすることにあったようだ。
『絶対音感』(小学館刊)は面白かったけど、本書のほうがもっと期待が持てそう。彼女の着眼点は鋭いね。
それにしても、「サントリーとカルジーン社が遺伝子組み換え技術を用いて「不可能の象徴」である青いバラを可能にしそうだというニュース」は本当なのだろうか。だとしたら、「サカタのタネ」のせっかくの努力は水の泡なのだろうか。
念のため、さらに幻の青いバラを検索したら、「青バラ100本花束」というサイトをヒットした。
既に販売され、SOLD OUTまでしている!
うっかりしている間に、現実の世界では想像を絶するような研究が進んでいる。
女性が花を愛でる気持ちというのは、男性には理解の及ばないものがあるのかもしれない。花束を贈られた女性の喜びようというのは、なおさらである。男性とか食べ物とか、おカネのことしか関心のなさそうな女性でも、こと花となるとコロッと気持ちのモードが切り替わるようである。
では、さて、バイオで開発された新種のバラなどの花となると、どうなのだろう。何か全く新しい気持ちを掻き立てられるのか、それとも従前の花のほうが気持ちが落ち着いて好ましいと感じるのか。
化粧やファッションへの貪欲さから想像すると、未知の花のプレゼントのほうが喜ばれそう。ということは、新種の開発競争は、ますます激化すると思ったほうがよさそうだということなのかもしれない。
(03/05/10 記)
小生には、バラに関連して、「薔薇とバラの間に」という語源探索を名目の駄文や、「駄洒落の英語(レス) 」といった駄洒落文などがある。暇を持て余していて、さらに退屈を覚えてみたいという奇特な方は、覗いてみてもいいかも。
これでも懲りない方の為に、「薔薇の園にて」や「冬の薔薇」という掌編がある。これは覗かないほうがいいかもしれない。
以下の頁は読み応え・見応えあり!
「硯水亭歳時記 Ⅱ 青い薔薇の物語」 (08/05/23 追記)
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コメント
青い薔薇というよりは紫に近いですね。
青龍という名前の薔薇もありますがこれもやはり紫。
青い花は数ありますけれど何故薔薇にはないのでしょう?
青バラ100本花束を見ましたらまさに青ですよね?
これは着色したの?っていうくらいの青。
どんな絡繰りがあるのでしょうか(-ω-;)ウーン
昔はそれほど好きでもなかったバラなのですが
最近はとっても好き!
花束にすると豪華なバラ。でも一本でも存在感がありますね。
北海道の花に指定されているハマナスも薔薇科の花です。
北の砂浜に咲くはまなすは厳しい自然と共に生きている逞しい花です。
ちなみに我が家の近くにこんなバラ園があります。
http://www.chizaki-baraen.co.jp/
投稿: マコロン | 2005/03/29 16:04
マコロンさん、コメント、ありがとう。
素敵なバラ園ですね。早春のバラ園など、紅梅と豊後梅、五月には350本の梅の木が咲き誇る。
眺めのいいカフェでローズソフトクリームなど、食べてみたい。
バラというと、加藤登紀子さんが歌ってヒットした「百万本のバラ」を思い出す。好きだった人の思い出が重なるから。今頃、どこでどうしていることやら。
ほんに、バラのように輝いている人だった。
すみません、全然、レスになってないですね。
投稿: 弥一 | 2005/03/29 21:20