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2005/03/03

桃の節句

 今日3日は、表題にあるように、「桃の節句」である。3月の季語。この言葉については、「杏林の気まぐれスクエアー」の中の、「季節の言葉 3月」にある説明が懇切丁寧で助かる。
「3月3日は『桃の節句』と言われますが、これは江戸幕府が定めた五節供のひとつ」であり、「五節供」とは、「正月の7日に食べる七種粥の『人日(じんじつ)』(1月7日の七種の節供)に続くのが『上巳(じょうみ)』(3月3日の桃の節供)で、さらに『端午(たんご)』(5月5日の菖蒲の節供)、『七夕』(7月7日の七夕祭)、『重陽(ちょうよう)』(9月9日の菊の節供)で季節の変わり目を節日(せつにち)と呼んで大事にしてきました」という。
 また、「現在では節句と書きますが、もとは節供と書き、「供」はおそなえする意味です。神と供に食べ、わざわいを祓う儀式でもありました」という。
 大事にしてきたという、その主体は、幕府なのか誰なのか、これだけでは分からない。また、そもそも、何ゆえ、「五節供」を決めたのかも分からない。
 いずれにしても、「桃の節供は庶民に伝わり、中国から伝わったひなまつりとも一緒になり、女の子のまつりとして幸福と成長を願って賑やかな宴とな」ったのは、事実なのだろう。
 念のために断っておくと、「閑話抄」の中の、「<桃の花>」の頁などにあるように、「「桃の花」と表すと季語は春ですが、単に「桃」とある場合は 果実の方をさします。「桃の実」の季語は夏(古くは秋)」である。
 が、込み入ったことに、「更に、「白桃」という言葉もあります。これは「白い桃の花」をさしますので、もちろん季語は春」だというから、頭が混乱しそう。まあ、桃の花なら、春で、白桃も花なのだから春なのだと理解しておくしかない。 桃の実(果実)は夏だという。だからといって、桃の缶詰は、決して夏の季語じゃない(!)と思われる。

 せっかくなので、実物はすぐには無理だが、せめてネットの上だけでも、桃の花を観賞してみよう。その名も和歌山県は桃山町の桃の花である。
 実に羨ましい町名だ。こんな町に住んだら、気分もさぞ、うきうきすることだろう。
 桃の花が特産だという、川崎・馬絹の頁を開いたら、「馬絹地区の紹介」と共に、「伐採から出荷までの行程」を見ることができる。親切にも、雛祭りのメロディまでが流れてくる。こんなメロディを聴くと、なんとなく、甘酒など飲んでみたくなる。
 ん? 雛祭りと甘酒は関係ないか。

浮世占い」の中の、「花の短歌集  桃の花」という頁を開いてみる。
「万葉集」からとして、「春の苑 くれなゐにほふ 桃の花 した照る道に 出で立つおとめ  大伴家持(万葉集巻29)」や、「春の苑(その)、紅にほふ桃の花下照る道に、出でたつ少女(おとめ)   作者: 不明(万葉集巻19)」など、桃の花を織り込んだだけに、どこか華やかで、浮き立つような歌の数々が紹介されている。
 桃の実がなるとは、恋が実るという意味だという。風雅である。頭の中が桃色だ。これが夏になると、薔薇色になるのだろうか。
 嬉しいことに、このサイトには、 (平凡社百科辞典より)として、桃の発見から、日本で初めて「桃」という字が≪古事記≫において登場したこと、中国伝来なのだが、「中国の桃の栽培は歴史が古く,食味のうえでも珍重されてきたが,古い中国では桃の実を仙(せん)果とし,古来めでたい果実の一つに数えている」こと、中国には、「桃には邪気を払う力があるとする民族思想がある」ことなどが書かれている。
 さらに、「五節供は宇多天皇の寛平年間(889~898)に起り,江戸時代にいたって重要な式日になったものであるが,桃の節供に桃を飾るのもそのもとは前述の桃に邪気を払う力があるとする思想に起っている」とも。
 何ゆえ、「江戸幕府が定めた五節供」なのかは、まだ、分からないが、淵源は、宇多天皇の寛平年間にあることまでは分かった。
 この頁には、「三千年に なるてふ桃の 今年より 花さく春に あひにけるかな   凡河内窮恒」を始め、大江匡房、紀 貫之、上田秋成、木下利玄、若山牧水、前田夕暮、窪田空穂、宮 柊二らの桃をめぐる歌の数々が紹介されている。この頁を見つけただけで、本日の季語随筆は成果があったような気分になる。
 けれど、何か忘れてやしませんか、という声が聞こえる。季語随筆なのだから、俳句が出てこないと、と思ったら、頁を繰っていくと、桃の俳句も紹介されている。
「老が世に桃太郎も出よ桃の花   一茶」や、「桃の木のその葉散らすな秋の風   芭蕉」、「白桃や莟(つぼみ)うるめる枝の反り   芥川龍之介」などである。
 さらに親切なことに、「一茶の桃の花の句集のページ」があるではないか。その下の、桃源郷も気になるが、とりあえずは、一茶の句集のページに飛ぶ。
「不相応の娘もちけり桃の花」なんていう句が目に付くが、どういう意味で不相応なのだろう。自分にしてはいい娘ってこと? 気になる。

 気になるというと、そもそも、五節供は宇多天皇の御世に始まるというが、どのような経緯(いきさつ)があってのことだろうか。
 ネット検索してみると、「豆撒き   由来‥‥宇多天皇の時代(887→897)都を徘徊する鞍馬山の鬼を毘沙門様のお告げで、穴に閉じ込め三石三斗の豆を投げて追い払った―と言う伝説がある。また、まめつぶが磨滅(まめつ)に通じるからとも言う」という一文が見つかった。
「豆撒き」は、節分〈立春〉のこととしても、 五節供も併せ宇多天皇の時代に始まったということは、その時代に何かあったのか(疫病の蔓延、飢饉、戦乱)、それとも、宇多天皇の独自の思想があったのだろうか。
 余談だが、「1873年(明治6年)の新暦導入と五節供の廃止令は、いともたやすくこの行事を民間習俗の中から追放してしまう結果をもたらした」(「江戸東京歳時記をあるく  第12回 菊の被綿・後の雛」より)などという一文も見出されて、五節供に焦点を合わせるだけでも、調べるべきことが如何に多いかが窺い知れる。

 宇多天皇期には、若菜進上も「宮中儀礼として採り入れられたが、それは、古代以来の民俗慣行を摂取したもの」(「モノを介する吉書  遠藤基郎」より)だという。時代背景は分からないが、そうした民俗慣行や風習を取り込むことで宮中の文化が豊かになっていったことは否めないような気がする。

 豆撒きの項で、「都を徘徊する鞍馬山の鬼を毘沙門様のお告げ」というくだりがあったが、その鞍馬山に後年、牛若つまり義経が入り、「義朝の祈祷の師であった鞍馬の別当、東光坊の阿闍梨蓮忍(れんにん)の許(もと)に預けられ」、牛若丸伝説、鞍馬天狗伝説などへと脚色されていくわけである(「京都の義経伝説」より)。

 この辺り、興味津々だ。「毘沙門天」共々、後日また、別の角度から触れることもありそう。

 話を「桃」まで戻す。
「モモ - Wikipedia」によると、「原産地は中国西北部の黄河上流地帯。欧州へは1世紀頃にペルシア経由で伝わった。英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語の persicum malum(ペルシアの林檎)から来ている。種小名 persica(ペルシアの)も同様の理由による」という。
 ピーチとペルシアの奇縁!
「Wikipedia」には、「もも」の語源にも触れられている。
「“もも”の語源には諸説あり、「真実(まみ)」より転じたとする説、実の色から「燃実(もえみ)」より転じたとする説、多くの実をつけることから「百(もも)」とする説などがある」というのである。さすがだ。小生の好奇心を先回りしている。
「桃」については、まだまだ触れるべきことが多い。「桃」と中国の神仙思想、桃饅頭(ももまんじゅう)、桃源郷のこと、「桃」から生れた『桃太郎』のこと、あるいは、桃の「果実は形状と色彩が女性の臀部に類似してることから、性と豊饒のシンボルでもある」だなんて、言われると(言われなくても!)、この一点に絞って、縷縷語り触れてみたいものである。
 まして、「花あるいは果実の色である桃色(ピンク)も、性的な意味に用いられる」だなんて、「桃」は、恋は神代の昔からの象徴にさえ見えてくる。
 小生など、太股(ふともも)という時、ふと、桃などを語感的に連想してしまう。ある意味、小生の想像力の素直さを示しているのだとも言えそうな感性の作用だ。

「桃の節句」は、桃の徳なのだろうか、さわりを辿っていくだけでも、豊穣な世界を予感させる。今夜はせめて、桃の缶詰か、もしあれば桃饅頭など食べて、小生なりにささやかな「桃の節句」としよう。
 もう、桃だけで腹一杯、妄想もはちきれんばかりなので、駄句は一つだけに留めておく:


 桃の果や禁断の実はお前かも

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コメント

QEDシリーズを読み進めると、
日本の風習は悉く裏に狡さを秘めていたりして。
鵜呑みにはしないけれども、
一理あるかもと思ってしまいます。
このお雛様のもとは・・・なんて、結構忌まわしかったりして。
(ちなみに門松もびっくりできる!)

桃は、酸味もなくて、甘みが強く、
甘味料が乏しい時代では、おっそろしく貴重だったのでしょう。
なんか、分かる気がします。

投稿: Amice | 2005/03/05 22:25

Amiceさん、ひさしぶり。いろいろあったようですね。でも、春はそこまで来てます。少なくとも小生の頭の中は春が一杯で、ポカポカです。
行儀や風習の敬意を辿ると、実にいろんなことが見えてきます。当然、歴史の中に消えていった事情や背景もあったのだろうと、頭の中では空想・妄想が一杯になっています。そんな妄念は季語随筆には書けないけど。
桃の発見は凄かったろうな。栄養は度外視しても、味だけでも贅沢の極みだっただろうし。句に書いたように、こちらのほうがリンゴより禁断の味(果実)に相応しいような気がします。


投稿: 弥一 | 2005/03/06 11:44

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