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2005/03/24

青き踏む(踏青)

 三月の季語例の数々を眺めていたら、「踏青」という言葉で目が止まった。何、これ、である。
「踏青 季語」でネット検索してみると、「たふせい」と読み、「青き踏む」という表現もあるとか(「俳句季語辞典 季語」より)。
 どうやら、「春の野遊び、そぞろ歩きの意」らしい。
 類似すると思しき季語に、「野遊び」(山遊 野がけ)があり、これらも、「春の野原で遊び、飲食などする風習」といった意があるようだ。違うのは、飲食の有無と後者は風習らしいということ。
「遠足」(遠足子)も関連する季語だろう。「主に学校で、野山や海へ一日の行楽をすること」だって。そういえば、小生も小学校の時、遠足に行ったはずだ。大嫌いな行楽だったけれど(その理由は、どこかで書いたことがあったはずだ)。
 他に、「花見」も遠からぬ意味合いの季語だと思っていいのだろう(か)。
 これが、「春の航」(春航)となると、「春の海を船でゆくこと」で、優雅過ぎ、小生には縁遠い。でも、春の海を水面に浮かぶ水鳥のように、ひねもすのたりのたりと漂ってみたいものである。
 春には、陽気に誘われての花狩りなどを名目の行楽に関連する季語が実に多いと改めて感じる。

 小生は花粉症の症状には見舞われていないが、苦しむ人の多いことを思うと、花粉症が世を騒がす前のようには、無邪気に春の恵みを戴く喜び、などと言ってはいられなくなってしまっている。
 この花粉症、昔からあったものなのだろうか。あったのだが、騒がれだしたのは近年だということなのか。昔だと、鼻炎という病名(?)で片付けられていたものであり、鼻炎症患者は、少数派(本当に少数派だったのかどうか)だったこともあり、なんとなく症状も水鼻が垂れ、クシャミが出る、目が痒くなったり赤っぽくなったりと、なんとなく病気というには今一つ、同情を買うにはしみったれていて、肩身が狭かったような気がする。
 でも、今は、決して多数派にまでは至っていないものの、多勢になってきて、顔に大仰なマスクをして闊歩して歩いているようにさえ、見えたりする。
 花粉症のことは、既に春の季語として採り上げている。個々人の治療では追い着かない現状を見ると、政府あげての対応が求められる。大規模な疫学的調査をしてみたらどうだろう。特に生活環境、それも小さい頃からの食生活や住環境、道路や近縁の自然環境などの調査を徹底して行い、統計的手法を駆使して、花粉症の主犯を突き止めてもらいたい。
 俗に、子供の頃から過度に清潔な生活環境に育つと、本来は多少の不衛生な環境の中で徐々に培われる免疫が、その機会を逸してしまい、そのままに大人になってしまった、などと言われたりする。その点では、小生など泥んこ遊びが好きだったし、家で漫画の本を読むのも好きだったが、外でもたっぷり遊んだことが幸いした、のかもしれない。
 あるいは、今は電子レンジのお世話になっているが、子供の頃は、お袋の作る料理を好き嫌いなどの我が儘を言いながらも食べていた。例えば、味噌汁は欠かさなかった。お新香も好き。白米も好きだが、混ぜ御飯も好き。野菜も、嫌いなので敬遠していたが、それでも、食卓には家の畑で朝、必要に応じて採って来た野菜などが並んでいた。 とにかく食品添加物の少ない食事だったことは間違いない。
 清潔ということであれば、今の人は、洗顔も入浴も、とにかく清潔には拘る。そのことを咎める必要などないのだが、過度の清潔嗜好、不潔嫌いは、我が身を痛めつける結果になっているのではと心配になってくる。体を守るはずの皮脂を、皮脂の中の汚れを落とすとか、古い皮脂を落とすとか、余分な角質を殺ぐとか、洗髪もお湯(シャワー)のみで十分なのに、シャンプーを使う、おまけにリンスも使い、さらには朝シャンなどと洒落てみたりする。入浴も時間を掛けて、たっぷりゆったり、である。入浴剤も不可欠。
 これでは、体が、特に皮脂が参ってしまうのも無理はない。小生は、昔は風呂に入ったら、垢すりは欠かさなかった。というより、湯船に浸かるのも好きだが、垢すりしたあとのさっぱり感、肌が生き返るかのような、皮脂の中の余計な脂分のために皮膚が呼吸困難だったのが、目詰まりを取っ払ったお蔭で一気に皮膚が、体が蘇ったような感覚は格別なものがあった。
 が、これは勘違いだったということに、十年程前にようやく気が付いた。垢すりしたあと、皮膚が滑らかになったような気がするのは、皮膚の下から、思いっきり傷付けられた皮脂を癒そうと大急ぎで新しい脂分が湧出し、そのため、肌の表面がツルツルになったような錯覚に陥っていたのである。
 実は、表面のツルツル感、皮膚の蘇り感というのは、肌の悲鳴だったというわけである。
 洗濯にしても、洗剤を使って洗うのは仕方ないとしても、今は濯(すす)ぎを洗濯機に設定されている時間(回数)ではなく、自動で洗い終わってからも、濯ぎだけを再度繰り返している。
 つまり、洗剤を徹底して洗い落とすようにしているのである。
 洗剤の中の界面活性剤が肌に悪さすると言われている(「アトピーと洗濯」などを参照)。
 シャンプーやリンス、洗剤について、より詳しくは、たとえば、「図解で知ろう!合成洗剤編」などを参照。
 垢すりをやめ、洗濯の濯ぎを徹底させることで、肌のパサツキや、白く粉をふいてしまったり、かゆみを覚えたり、時に出るひび割れのような症状がなくなった。
 更に今は、入浴も止めた。シャワーだけにしている。
 尚、小生は入浴しないが、世にはお風呂が楽しみな方も多いだろう。参考に、「ピックアップ 入浴効果の決め手は「湯温」と「入浴時間」 - nikkeibp.jp - 健康」を覗かれるといいかも。敢えて入浴するなら、時間や温度、浴室の環境設定、リラックスできるための準備などが大切のようである。
皮脂欠乏性皮膚炎」についても、ある程度の知識があったほうがいいだろう。
 男性向きと銘打っているが、「サラリーマンスタイル・ドットコム」の中の、「温泉とお風呂の効用」も参考になる。

 そもそも、人類は入浴という習慣に未だ慣れていない。
 体毛が少なくなってからも、皮膚には産毛のような毛が残っていて体を守っていた。僅かに残っていた体毛さえ、脱毛などといって邪魔者扱いしている。
 皮膚や角質層には余分な脂分も含めて体を守っていたという側面があったのではないかと思われる(本来、必要な皮脂と余分な皮脂や角質との区別は截然と付けられるとは限らない)。
 入浴という習慣も、一部の金持ちや温泉地のお猿さんたちは別として、大勢の人がこの入浴という至福の習慣を堪能できるようになったのは、江戸の世からか、明治から? 大正? 恐らくは昭和になってからではないか。
 体が入浴による皮脂の痛みという困難には未だなれていない。入浴に耐える体になる(これを進化というのかな)には、何百世代もの世代の果てに皮膚の質が変わることを待つしかないのだと思う。それまでは、入浴後にオイルやクリームを塗って、その場を糊塗するしかないわけである。
 それくらいだったら、入浴など止めればいいのだが、そうもいかない。一旦、体で覚えた至楽の時をあっさりやめられるわけもない(小生も、一昨年の大病がなかったら、入浴の習慣は止めていなかったはずだ。入浴しながらテレビを見る…、そんな愉悦の時空をいつか楽しめるだろうか)。

 あれ、話が飛んでしまった。これも花粉症の悲惨と飛散のせいだ?!
 余談ついでに、内緒の話を書いておくと、「踏青」という言葉に目が釘付けになったのは、小生、一瞬だが、かの江青氏を思ってしまったのである。あの、文化大革命当時、<活躍>した江青氏が、春の季語となって登場している!
 それもこれも、小生が文化大革命についての記憶(知識)が曖昧になっていて、名前も覚束なくなっていたからである。恥ずかしい限りだ。
 これがあと十年したら、「踏青」を江青氏を踏む、などと覚えてしまいそうで、ちょっと怖い。

 表題に戻る。「青き踏む」はいい言葉(季語)だ。季語にはないらしいが、ピクニック気分になれる。何も青々とした草を踏まなくたって、大地を踏み締めて野山を闊歩するだけでいい。
 それにしても、小生、運動も、そもそも歩くことさえ少なくなった。散歩どころか、三歩でお終いなのである。

 ネットでは結構、「踏青」を織り込んだ句が見つかるので、アトランダムに幾つか掲げておく。
「青き踏む怒りは踵より抜けて」(鷹羽狩行)は「ikkubak」より、「尖る靴丸い靴など踏青す」は「雀の生活  出典/『富安風生 阿波野青畝集』」より、「踏青やキリストはいつでも素足」(長田等)は「余白の風93号:井上神父のアッバミサ風景」より、「青き踏む生まなくなつた女たち」(早乙女わらび)は、 『増殖する俳句歳時記』検索 20050316」より。
 最語に掲げた「青き踏む生まなくなつた女たち」という句だが、評者の清水哲男氏によると、「ここからは私のヤマカンでしかないが」として、「ひょっとすると句の「青き踏む」は、平塚らいてうの興した「青踏社」に掛けてあるのかもしれないと思った」とある。
 おお、平塚らいてう! ナツカシや。学生時代、大学の図書館で同氏の本を読みかけたことがある。冒頭の「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取り戻さねばならぬ。」といったくだりは、有名なので、見聞きしたことのある人もいるのでは。
 但し、清水哲男氏も書いているように、平塚らいてうが発起し「明治44年に創刊された日本初の女性雑誌「青鞜(せいとう)」の「鞜」は、「踏青」の「踏」とは、字が違う。けれど、意味合いは同じのようだ。
 この句を吟じた早乙女わらびとは、「伊藤園:お~いお茶新俳句大賞」の中に見られる「恋敵葱を送ってきたるなり」の句の作者でもあるのだろうか。
 いずれにしても、「青き踏む生まなくなつた女たち」という句が平塚らいてうの興した「青踏社」に掛けてあるのかどうかは分からないが、平塚らいてう(本名は平塚明(はる))の「青踏社」(青鞜社)は、そもそもは、季語である「青き踏む(踏青)」に懸けたものと考えていいのだろうか。
 この場合、この季語が「青踏社」(青鞜社)の誕生より古くから存在し使われてきたという事実がないと、前提が崩れてしまうのだが。
 平塚らいてうが、青鞜の名を選んだ理由は、(元祖、女性は太陽であった--『青踏』発刊に際して--)を読んでも、判然としない。
 そこで、さらにネット検索を繰り返して、小生、ようやく思い出した。
 そう、上述した、「「青鞜(せいとう)」の「鞜」は、「踏青」の「踏」とは、字が違う。けれど、意味合いは同じのようだ」というのは、間違いなのである。学生時代に本を読んで、そのことは知ったはずなのだ…が。

 平塚らいてうの発起したのは、あくまで青鞜(社)なのである。青き踏むとはまるで意味が違う。
 実際、辞書を引いてみると、「青鞜」とは「〔一八世紀の半ばごろ、ロンドンの社交界でモンタギュー夫人らが催した文学的サロン blue stocking の訳。グループの一員が青い毛糸の靴下をはいていたことからの命名〕大正時代の女性団体青鞜社の機関雑誌。1911年(明治44)から16年(大正5)まで刊行された。初め平塚らいてう、のち伊藤野枝が編集の中心」とある。
「愛媛県文化振興財団 - 「文化愛媛」特集より」の中の、「ブルーストッキング・レディ  ■保持 研(やすもち よし)・「青鞜」を支えた人  高市俊次」という頁を覗いてみよう。
 ここには、「『青鞜』は、18世紀ロンドンの社交婦人界の中心的存在であったモンターギュ婦人たちが作った「文芸談話会」の中で、とりわけ弁舌が巧みであったスティリング・フリート婦人が好んでブルーの毛糸で編んだ靴下をはいており、いつしか「ブルーストッキング・ソサイアティ」と呼ばれたが、その訳語である。命名は、当時新進評論家であり「閨秀文学会」を結成して文学思想を講じていた、生田長江である。」といった記述を始め、『青鞜』に纏わる歴史が、平塚らいてうの家に寄寓した保持 研に焦点を合わせつつ、書かれてある。

 なんだか、めぐりめぐって最初の地点に戻ったような、こんなことなら、何も調べなければよかったような変な気分である。
 少なくとも、表題の「青き踏む(踏青)」に絡むことは、まるで書くことができなかった。いつの日かの捲土重来を期そう。

 青き踏む歩かない我資格なし?
 青き踏む雲の絨毯乗るように
 青き踏む大地の恵み噛み締めて
 青き踏む幼き日へと還るごと
 青き踏む跳ね返すよな草いきれ

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コメント

 はじめまして、私もらいてう先生に賛同するひとりです。 こちらの記事、とても詳しくて興味深く拝見しました。 
 いまだに女性の権利や自立など、日々の生活の中ではまだまだだと感じざるをえません。
 また、人類を破滅させる危険のある核兵器の全廃は、これからの我々の課題であり、使命だと思います。 生命の重さは地球よりも重い~という認識を絶えず発信していくことが大切ですね。

 私もブログでらいてう先生について記事にしました、よかったら遊びにいらして下さいね~、ではまた!

投稿: ルーシー | 2006/06/18 14:08

ルーシーさん、コメント、ありがとう。やや古くなった記事に注目してくれて、嬉しく思っています。
徐々に上がってきたとはいえ、女性の立場は依然として厳しいものがあるようです。
過去の人たちが頑張ってきたように、これからも、それぞれが精進し、主張していくしかないのでしょう。

命、それは一滴の雫の中にも数え切れないほどに含まれている。自然は命の宇宙ですね。

投稿: やいっち | 2006/06/19 01:51

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