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2005/03/23

目貼剥ぐ(めばりはぐ)

 ついこの間、三月になったと思っていたら、もう、残すところ九日。なのに、きの季語随筆で扱っている季語例の少なさ。
 もともと一日に一つだとしても網羅するのは無理だとは初めから分かってはいるのだけど、でも、多少なりとも触れておきたい、あるいは、その意味合いを知っておきたい季語がまだまだ沢山残っていることに焦ったりする。
 今日の表題に「目貼剥ぐ」を選んだのは、三月の季語例を眺めていて、ふと、そこに目が向いたからというに過ぎない。この季語だけは、読んで字の如くであり、意味合いの見当を付けるのは、それほど難しいことではない。
 実際、調べてみたところ、予想通りだった。[ 花鳥風月 ]によると、「冬に寒いすきま風が入らないように貼ってあった目貼りを、春になって剥がすこと」だという。
 このサイトには、「ここ八王子の冬の寒さと言ったら、朝起きたときに部屋の中のコップの水が凍っていたりもします。部屋を暖かくしていた時は窓が朝に凍り付きますね。夕方には道路が凍って光ってます(^^;)」などとコメントが続く。

 小生など、まずは、学生時代を過ごした仙台のことを思い出す。
 最初の二年は下宿生活で、下宿先というのは、わりと平野部にあったのだが、残りの四年間は、アパート暮らしであり、そのアパートというのは、山間の地にあった。
 仙台は、雪の量は郷里の富山ほどではないが、寒さが厳しい。山手のほうなので、尚更だったのだろう。朝、起きた時にコップの水が凍るのは当たり前で、風呂場の湯も、誰かが夜中などに入ったりしていたりするのに、朝には表面が凍っている。水道管が破裂することも、しばしばのことだった。
 それでも、そのアパートは新築だったので、隙間風は吹き込んできたりはしない。
 小生がアパート暮らしをして、目貼をよくやったのは、上京してからのことだった。窓を開けるにも窓枠がずれていたりして、難儀を覚えたりする。ドアも、気のせいか、傾いているような気がする。隣りの部屋と、薄い板一枚や土壁で仕切られているだけなのは、仕方ないとしても、我が部屋と隣りの部屋とは、我が部屋が台所(流し台)で隣りの部屋はトイレと浴室で、お隣りさんがトイレで大きい方の用を済ませたりすると、土壁と板の桟との隙間から高貴な香りが漂ってくるのだった。
 また、隣りで風呂場のお湯を満たしたりすると、湯気がそこはかとなく漏れてきたりする。特に、浴室に出入りする際、ドアを開け閉めするが、その瞬間、空気が急激に圧縮(弛緩)などして、壁の隙間を空気(湯気)が押し出され、我が部屋に忍び込んでくると思われるのだった。
 湯気はともかく、かの香ばしい臭いには参った。当然のこと、壁の幅にすると数ミリの隙間に目張りをする。ウレタンテープを買ってきて、目一杯に張り巡らす。
 匂いというと、隣りが警察犬の訓練所で、清掃は怠りなく施されているようだったが、土壌に染み込んだお犬様の長年の汗と尿の結晶は、どうにもならないようで、風向きが悪いと、訓練所に面する我が部屋の浴室の窓から侵入してくるのだった。
 この浴室からの犬の匂いのことについては、あやうく死に損なったというガス中毒死未遂事件があった。その詳細は、「ガス中毒事故余聞」に書いてある。

 この時のアパートは、とにかく匂いに悩まされること、隙間風がひどかったことが今も記憶に鮮明である。だからこそ、浴室付きでも安かったのだろうし、小生も悩まされつつも離れがたかったののだった。
 隙間風というと、ウレタンテープでの目張りは勿論だが、電気ストーブでは暖が十分に取れないし(灯油ストーブは事情があって、小生は怖くて使えない)、隙間からドンドン温まった空気が逃げていく。その逃げていくのが目に見えるようでもあった。
 窓やドア、壁などの目張りは散々、試みた。
 が、或る日、布団を敷いて眠りに就こうとして、ふと、天井に目が行った。ベニヤ板だけの、形ばかりの天井。
 そうだ、あそこだ! あそこを塞がないと、窓や壁をどんなに透き間を塞いでも甲斐がないのだ!
 で、急遽、起き出して、押入れから使っていない布地を取り出した。以前(学生時代のものだったかもしれない。勿体無くて捨てきれず、東京まで持ってきてしまったのだ!)、カーテンに使っていたが古びていて、使う気になれないでいた布地、古い衣料品、アルバイト先で貰った、小生には手に余る豪華なかなり大き目の生地、そういった類いを使って防寒対策を取ろうと思ったのである。
 どうやったかというと、押し入れの天板が押したら動いたので、そこから天井に首を出し、布地の類いを我が部屋の天井裏、まさに予想通り、ベニヤ板に過ぎない天井の裏に敷き詰めたのである。
 その甲斐があったかどうか、定かではない。自分としては、やるだけのことはやったというしかない。
 今から思えば、部屋の中でもっと厚着すればよかったのではないかと思うのだが、若いので、恰好だけは痩せ我慢したくなる。また、そこまで知恵が回らなかった。
 そんな苦労を重ねたのは、正確には昭和何年のことかは覚えていないが、昭和五十年代のある年、大雪になった年だったろうから、調べれば年代が分かるかもしれない。
 とにもかくにも、悪足掻きというのか、ジタバタと寒さ対策をして、時に風邪を拗らせたりしつつも、気がついたら、朝、起きても、ストーブが眼中に入らなくなっていたりする。布団をあげ、外出の準備などをしているうちに、ふと、足元にストーブがあることに気付いたりする。
 壁や窓の透き間に張り巡らした目張りも、古びて剥がれていたりする。そんな寒さ対策のための目貼などを休みの日などに剥がす。窓の外は緑が濃くなっている。窓の透き間が僅かながら開いている。そう、それは目張りすべき透き間ではなく、外気を取り込むために意図的に開けた透き間なのである。
 カーテンが風に戦(そよ)いでいる。春の風が埃と共に忍び込んでくる。あるいは、部屋の中の埃が舞って、外に溢れ出ていく…。

 さて、「目貼剥ぐ」の類義語に、「北窓開く」がある。「暖かくなり、山野の家などで冬の間閉じていた北側の窓をひらくこと」だという。あるいは、「垣繕う」という季語があって、「冬を越して荒れた垣を修繕すること」だとか。また、「池普請(いけぶしん)」は、「池をなおすこと」だが、冬の間は手の施しようがなかったということなのだろう。「炬燵塞ぐ」などという季語もある(いずれも、「言葉の仮やど」より)。
 他にも、「雪囲とる(ゆきがこひとる)」や「雪垣解く、雪除とる、冬構解く、雪吊解く、雪割り」などがあるようだ(「俳句季語辞典」より)。
YS2001のホームページ」の「季語(め)」を覗くと、「目貼剥ぐ」の説明として、「隙間風や吹雪などを防ぐために貼っておいた目張りを剥ぐこと」とある。
 そうなのだ! 隙間風だけじゃなく、窓と窓枠や桟との透き間からは、雪も吹き込んでくることがあったのだった。
 それも、当然ながら牡丹雪などではない。説明にあるように吹雪などの時の粉雪が風に乗り、吹き込み堆積してくるのである。
 そんな光景は、我が部屋だけではなく、ガキの頃、小学校か中学校の教室でも、吹雪く日には目にしたものだった。雪は子供の頃は嫌いではなかったはずだが、さすがにどんなにしっかり閉め切ったはずでも、何故か忍び込んでくる雪が窓枠だけではなく、教室の床や廊下にも、うっすらとではあっても積もったりすると、故知らぬ脅威の念を覚えていたような気がする。
 
 火曜日だったか、歯医者さんに行った道すがら、木蓮の白い花が咲いているのを見かけたのを、今になって思い出した。けれど、歯医者さんで麻酔を掛けて抜歯したりして、口にスースーする感じがある。
 そうか、「目貼剥ぐ」に、目が勝手に向いたのは、体の感覚が小生をしてその季語を選ばせたのだと、今にして気が付いたりした。
 本能とか直感、感覚の正直さというか、ストレートな選択眼には敵わない、ということか。

 それにしても、「目貼剥ぐ」で見つかる句の事例の少ないこと。もっとあってよさそうなものだが、今の時代、隙間風に悩まされる人は少ないということなのだろうか。結構、味わい深い言葉のように思えるのだが。
 せっかくなので、ネット検索で見つかった例を掲げておく。
「秘仏てふ薬師の御堂目貼剥ぐ」は「句集「風定」」より、「目貼剥ぐ動きも鈍し母の手に」は「連句と連歌しませんか 掲示板」より、「農を継ぐ心定まり目貼剥ぐ  (竹田はるを)」は「ようこそ秋桜歳時記へ 季語・春」より、「沖の雲動いてゐたり目貼剥ぐ  (かおる)」は「東京句会のご案内」より、それぞれ見つけたものである。

 目貼剥ぐ心に風を通すごと
 目貼剥ぐ鬱なる思い晴れよとて
 目貼剥ぐホッと息する心地にて
 目貼剥ぐと思えど花粉も怖いかな
 目貼剥ぎ代わりにカーテン挟んでみる

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季語随筆」カテゴリの記事

コメント

なんと!目貼剥ぐって季語なんですか・・・
とにかく懐かしい言葉です。
今の時代に『目貼り』を知っている方はどのくらいいらっしゃるんでしょう?
日本の家屋は木と紙でできていると言われた昔。
目貼りはどこの家でも見られた光景でした。
鉄筋になって気密性が高くなった現代では失われつつある季語なんでしょうね。

目貼り剥ぐ 歴史も共に 色褪せて
(上手い言葉が見つからなかった・・・)

投稿: マコロン | 2005/03/24 03:32

物心付いた時には、自宅はサッシだったかなぁ。
だから、隙間風ぴ~ぷ~ってのは、分かりません。
いや、サッシになったら、全然風が入らないんで
感動した記憶もあるような…。
昔と今では、「家」の捕らえ方が違うのでしょうね。
だから、窓も風の入らないサッシが普通になりました。(少なくとも新しいうちは)

あ、そうそう。
里のほうで、Aさんの「うち、隙間風が入って寒いんだぁ~。」
の発言を受けて、気のいい(日曜?)大工のBさんが
ちょいちょいって、窓をサッシに変えてあげました。
ところが、それが仇となったのか、
Aさん、一酸化炭素中毒かなんか起こしちゃったんですよ。
それも、亡くなっちゃった。
Bさんは、悪くない! 悪くないけど、相当落ち込んでらっしゃいました。
気の毒なお話…。

投稿: Amice | 2005/03/24 11:47

かなり以前に住んでいた我が家は築40年という古さで
これで、ガス中毒で死ぬことはないね~
なんて言ってたことがありますが、それほど古い家だったんです。

亡くなった方も親切で直してあげた方もお気の毒でした・・・

投稿: マコロン | 2005/03/24 15:28

Amiceさん、コメント、ありがとうございます。
サッシの入っているような新しい家だと、居住する空間について、これまた感覚が違うのでしょうね。
郷里の家は、築五十年。両親の日頃暮らしている部屋などは別にして、他の部屋は、小生が帰省する際に寝泊りする部屋も含め、昔のまま。
隙間風が入る。昔は耐えられた冬の寒さも、段々きつくなってしまって冬は寒さを怯え、逆に夏は風が入るからいいかというと、直射日光や外の熱風が容赦なく入り込み、夏は夏で耐え難い。埃も入り放題。
その代わり、冬は灯油のストーブを使いっぱなしにしても、ガス中毒や酸欠になる心配はない。
サッシなど、隙のない家というのは、逆に室内のアレルギー源の逃げ場所もない。清浄機がないとやってられない。換気が必要。一長一短ですね。
新しい家がいいに決まっているけれど、新しい家に何を求めるかをじっくり考える必要もあるのでしょう。
田舎の我が家、文句はいろいろあるけど、愛着はある。建て替えなどされたら寂しいかも。

投稿: 弥一 | 2005/03/24 22:04

マコロンさん、コメント、ありがとう。
「目貼剥ぐ」が季語! 小生も、季語随筆を書き綴っていて知った次第です。
家の事もあれこれ思うけど、たとえば、学校の建物についてもいろいろ思うことがあります。新しい校舎は、大概が鉄筋コンクリートの三階建てだったりする。校庭は土じゃなく(風で埃が舞うなどの理由で土が嫌われている?)、コンクリート。学校の周囲は、これまたコンクリートや鉄柵で囲まれている。
窓はサッシが入っているのが当たりませ。冷暖房完備。ほんの一週間とか一ヶ月なら羨ましいと思うけれど、長期となると、まして何年もとなると、可哀想な気がする。木造の校舎の味わいは、古い世代の懐旧の念からではなく、木造ならではの良さがタップリある。特に日本人は数千年来、木造の家に住んできた。また、木造が日本の風土に合っていた。その意味合いをもっとじっくり関係者(学校関係だけじゃなく、保護者の方々も)は考えるべきだと思います。
「目貼剥ぐ」という季語はともかく、木造の家や校舎の在り方を再評価していいのではと思っているのです。

>目貼り剥ぐ 歴史も共に 色褪せて (マ)

   目貼り剥ぐだけど風の通しは忘れずに (や)

投稿: 弥一 | 2005/03/24 22:13

なんか。。すごい体験なさってたんですね。
我が家は目貼が意味を成さないほどのボロ家です。
床下から風が上がってくるわ、屋根裏からも入ってくる。
「中毒」とは無縁。と思いつつ「ガス中毒事故余聞」を
拝見してて(注意せねば)と思った次第。

投稿: ちゃり | 2005/03/24 22:59

ちゃりさん、こんにちは!
小生が死に損なった体験をしたのは、オートバイの事故で二三度、ガス中毒未遂、黄疸で瀕死になったことが主なものです(蒲団の中で猛烈な屁をして、悶死寸前になったこともあるけど、これは内緒)。
ちゃりさんのところは、夏は暑く、冬は寒い地域ですよね。そこに暮らしているというだけで、尊敬します。でも、旅人には行ってみたい場所でもある。

投稿: 弥一 | 2005/03/25 02:45

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