トンボのこと
あたら、季語随筆と銘打っているばかりに、時に窮屈になることがある。多少の飛躍には目を瞑りつつも基本的にはその都度の季節に見合った季語をキーワードに、気随気侭な小文を綴っていく。
実際、季語例は豊富なので、話のネタに困ることはない。
というより、ネタが多すぎて、どれにしようかと目移りして、結局は尻切れトンボの中途半端な話に終わってしまう。忸怩たる思いで、話を切り上げることがあまりに多いので、読まれる方には申し訳ないし、自分としても不甲斐ない。
そんな中、今の時期とは懸け離れたような話題を手がけたくなる時がある。その時期が来たら扱えばいい、その時まで、テーマを温めておけばいい…と思うのだけど、それが出来ないのが小生なのである。
さて、昨日だったか、テレビで、羽子板の話題が出てきた。正月などに羽根突きをする、今はそんな風景を見かけることも皆無に近くなった、多くは子どもの遊びである。
例によって聞きかじりするラジオと同様、テレビも食事や居眠りの傍ら、垣間見る風なので、断片的な記憶・半端な情報しか脳裏に残っていない。
ただ、羽根突きの羽根は、トンボの羽根を意味している云々という話があったようなのである。
なので、かなり時節外れなのは承知の上で、羽根突きの羽根を話の糸口に、ネットから得られる情報を手がかりにしつつ、トンボの話をあれこれ経巡ってみたい。
まずは、以前、「富山とトンボのこと」というエッセイでトンボのことを、富山と絡めつつ、多少、調べてみたことがあるので、その文章を掲げる。
その上で、足りない部分、新たに得た情報などを補足したい(断るまでもないと思うが、少なくとも「トンボ」は春の季語ではない!):
「富山とトンボのこと」
(03/02/16 作)
富山、そしてトンボというと、富山市に居住していた経験があるなら、まずは株式会社トンボ飲料を思い浮かべるかもしれない。
小生も18までは富山市に在住していた。駄菓子屋さんか銭湯で、ラムネ飲料を飲む。それがトンボ飲料のものだったのだ。あの薄緑色の透明なラムネの壜。中にガラス球が入っていて、壜の口より大きい玉が何故、中にと不思議に思っていた。
けれど、小生は気が小さくて、その訳を回りの仲間には尋ねられなかった。みんな、もう、とっくに訳など知っているように思えたのだ。呑み終えて、壜を見るとビー球が入っている。
そのまま返却するのも何か癪である。それで、誰も見ていないところで、密かに壜を逆さまにしてみたり。そう、なんとか取り出して、それでガキの頃に流行っていたビー球遊びに使えたらと思ったのだ。
無論、所詮、埒もない試みに過ぎなかった。
そのラムネが、実はレモネード(lemonade)という言葉の転訛だとは今、改めて知った(改めて、というのは、そういえば、いつだったかラムネはレモネードだと聞いたことがあることを今度のことで思い出したからである)。
上掲のサイトを見ると、ラムネの壜にも秘密や工夫が詰まっているのだと分かる。小学生の小生には、まだ喉越しがきつかったような、でも懐かしいラムネの味。栓を抜いた時のシュワーという爽快な音。
さて、でも、富山に居た頃、夏の終わりの日暮れ時になると見受けられた赤トンボの群れが今も印象的だ。無論、ギンヤンマを初めいろんなトンボが見られたのだけれど、記憶の中に鮮明なのは夕焼けと赤トンボなのである。鈴虫やらコオロギの鳴き声をBGMに赤トンボの集団が茜色の空をもっと朱に染めて群れ飛ぶ。
赤トンボと俗称されるけれど、正式にはアキアカネと呼ぶ。赤トンボは、秋の到来を実感させる。夏休みも終わって、遊び呆ける時期が終わり、ああ、また学校だと、ガッカリしたような寂しかったような。
小生の記憶は曖昧である。夏休みの終わりごろではなく、あるいは、既に9月に入っているのに、夏休み気分が抜けなくて、ずっと遊び呆けたままだったのだろうか。
やはり、ガキの頃、虹に感激してガキ仲間と一緒に虹の根元というのか袂というのか、皆で追いかけて行ったことを思い出す。ロマンチックに聞こえるかもしれないが、実は小生は、誰かが虹の根っ子には小判とかの宝物が埋まってるんだぜ、と言ったので、どうやらそれを真に受けたらしいのである。
いや、らしい、ではなく、ハッキリ脳裏に黄金に輝く宝物のことを浮かべていた。未だにその眩しい光景が鮮やかに浮かぶくらいなのだ。
でも、赤トンボの群れを遥かに広がる田圃の原に追いかけるときは、ただ、闇雲に訳の分からない感動というのか焦燥感というのでもない、不思議な衝動に駆られていただけだったように思う。
トンボは感じでは蜻蛉と書く。ところでそのトンボは、「とばう」とか「とうぼう」と言ったのが語源だと聞いたことがあるが、確かめたことはない。誰か知っているだろうか。
そういえば、「トンボ返り」という言葉がある。トンボの自在な飛び方に由来する言葉なのだろう、か。聞くところによると、銀ヤンマは昆虫の中でも最速だとか。
今、NHKでは「宮本武蔵」を放映しているらしいが、敵役の佐々木小次郎といえば、「ツバメ返し」である。もしかして「トンボ返し」の秘技を身につけていたら、武蔵に勝っていた…なんてことはないだろうね。こんな不謹慎なことを書いてると、しっぺ返しされそう。
ところで、富山がトンボ王国だとは昨日のラジオを聞くまでは知らなかった。初耳だった。例によって右の耳から左の耳へと何事も素直に通過する小生のこと、ラジオで何を語っていたのか覚えていない。
ただ、帰ったらネットで検索しようと、キーワードになりそうな言葉だけはメモしておいた。それは、「富山」「氷見市」「トンボ博士」「三位」「トンボ池」「前田セイイチ」などである。
簡単に解説すると、話題は富山のこと、だから小生のチャームポイントである耳が一瞬、ダンボの耳となったのだ。話題の地は氷見市にあり、トンボ池と呼ばれているらしい。
ラジオでアナウンサーにインタビューされていたのが「前田セイイチ」というトンボ博士であり(その筋では有名らしい)、富山で観られるトンボの種類は、全国で静岡に次いで第三位と豊富と、まあ、これだけは聞きかじることが出来た。
早速、ネット検索開始である。
すると、「富山県ホタル研究会」に続いて、「乱橋(みだれはし)池周辺の自然を考える会」というのが出てきた。「事務局長 前田政一」とある。住所もサイトには「富山県氷見市」以下、細かく書いてある。電話番号さえ。ここに転記していいのかどうか分からないので、そうした詳細は書かないけれど、どうやらトンボ保全活動に携わる会であるらしい。
さて、「乱橋池」と書いてある。早速、そのキーワードで検索開始。すると、このようなサイトをヒットした。
その中の、「なぜ、乱橋池にトンボの種類が多いのか? 」という項をクリックしてみると、このようである。
なるほど、「2001年春にあらたに1種類のトンボが追加確認され64種類となり、全国2位の静岡県磐田市にあと1種となりました。乱橋池は、トンボの宝庫として守らなければならない大切な場所です。」などと書いてある。
そうか、富山はトンボの宝庫でもあったのだ。何だか小生は嬉しくなった。絶滅が危惧される種も含めて多様多彩なトンボが生息するといことは、「農地や雑木林、ため池など水と緑に囲まれた宮田地区の乱橋池周辺は、湿地や谷あい、雑木林の適度な湿気があるため植物も豊かな環境です。そのため昆虫や鳥類の飛来も多く、池周辺の小川の地形、水温、水質などがトンボの生育に適して」いるということなのだ。
農薬を使わず、トンボの隠れ場所も多く、且つ、そうした地域を保全する人々がいる、そうした環境が有数のトンボ池を育んでいるということなのだろう。
当てもなくトンボを巡って散策してみた。道中、トンボに関する俳句(川柳)のサイトを見つけたので、せっかくなので、紹介してこの駄文を終わりたい。
皆さんは、どの俳句(川柳)がお気に入りだろうか。
日時計に影きてとまる蜻蛉かな 朽青
行く水におのが影追ふ蜻蛉かな 千代女
赤とんぼみな母探すごとくゆく 畑谷淳二
ああ、どれも懐かしい感じがあっていいね。
(転記終わり)
案の定だ。かなり中途半端、尻切れトンボな小文に終わっている。
まず、「お節句人形だより(羽子板・破魔弓・雛人形・五月人形・鯉」の「どうして、初正月には羽子板・破魔弓を飾るの?」という頁を覗く。
すると、「羽子板で突く羽根の玉、あの黒くて堅い玉は「むくろじ」という大木の種です。この「むくろじ」は、漢字で「無患子」と書きます。「子が患わ無い」という意味です。つまり羽子板は、赤ちゃんの無病息災の意味なのです。また、羽子板の羽根がトンボに似ていることから、蚊を食べるトンボ、つまり蚊は羽根を恐れるため、ひいては子が蚊に刺されないようにという、同じような無病息災の意味ももっています」とある。
なんだか、これで全てを言い表してくれているようである。
小生、トンボを古代においては、秋津と呼称していたこと、我が国のことも、秋津島と呼んでいたことを知らないわけではない。なので、「秋津島 トンボ」をキーワードにネット検索してみた。
上位の方に、「時物語 135°のマーク」があり、「明石市を通る東経135°の経度が日本標準時子午線となった訳」とか、標準時子午線標柱として、赤トンボの標識の建設がされたこと、何故に赤トンボなのかというと、「トンボをあきつと呼び、日本の古い名称である秋津島(あきつしま)を象徴しているため」だからという。
トンボは分かるとして、どうして赤トンボなのかまでは説明していない。
それはともかく、「トンボが日本を表わしているのでしょうか。大昔の人々は、トンボを稲の害虫と考えていました。そこで、稲の国・日本で「毒をもって毒を制する」という意味を含めて、トンボが日本のシンボルになったそうです。稲が実る秋の季節にトンボがよく飛ぶことから、そういう発想になったのでしょうね。」という説明が続く。
これでは、まるで話が違う。一方では、「蚊を食べるトンボ」としての益虫扱いのトンボ、他方では、稲の害虫としてのトンボ。一体、どっちが古来の認識だったのか。それとも地域によって見方が違うのか。あるいは時代によって見方が違ってきたということなのか。
疑問を探索する前に、「時物語 135°のマーク」の中のある記事に、ちょっと驚いた。
「明石市を通る東経135°の経度が日本標準時子午線となった訳は、イギリス・ロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線を基準(0°)としたためです」と冒頭にある。それはいいとして、「実は、基準となる子午線を選ぶにあたっては、イギリス(グリニッジ天文台)とフランス(パリ天文台)の間で激しい対立があ」って、「1884年の万国子午線会議で、参加した25か国が投票を行い、22対3でイギリスが勝ち」、グリニッジ天文台を通る子午線が決定された。「フランス・パリ天文台を通る子午線が、本初子午線に選ばれていたら、日本では富山県東部と豊橋市付近を結ぶ線が、日本標準時子午線になっていたことでしょう」というのである。
ことによったら、我が富山県東部に日本標準時子午線が走っていたかもしれなかったのだ。
残念ですー。
さて、気を取り直して、例によって、「Wikipedia」の「トンボ」の項を参照させてもらおう。
トンボの習性のうち、「食性は肉食性で、カ、ハエ、チョウ、ガ、あるいは他のトンボなどの飛翔昆虫を空中で捕食する」という点は、重要だろう。瑞穂の国と呼称(自称)していた中、稲穂の上を舞うトンボが農民の目には害虫に見える「カ、ハエ、チョウ、ガ」などと捕食してくれる、そんな光景を頼もしく見ていただろうことは容易に想像できる。そんな様を観察するのは、さして困難ではないのだし。
やはり、古来よりトンボは基本的に好感を持って見られていたと思っていいのだろう。但し、「カ」が疫病と関連する害虫だとまで理解していたかどうかは、小生には分からない。家畜や、当然、人間にも集(たか)り、血を吸う蚊なので、そんな蚊を毛嫌いしていたとは想像していいと思うのだけど。
江戸時代になって、人の腕や顔など所構わず刺し血を吸う蚊が疫病との関連はともかく、やはり嫌われていただろうことも、推測して構わないのではと思う。その蚊をやっつけるトンボの羽根に羽子板が関連付けられても、無理は感じない。
トンボという呼称については、同上のサイトによると、「トンボは古来、日本では秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれ、親しまれてきた。古くは日本自体を秋津島(あきつしま)とする異名もあった。これは神話において、神武天皇が国土を一望して蜻蛉のようだと言ったことから、とされる」とある。
疑問なのは、何ゆえ、「トンボは古来、日本では秋津と呼ばれ、親しまれてきた」かという点。
さらに、「なぜ「トンボ」と呼ばれているかは定かではないが、一説には「稲穂が飛んでいる様に見えたから」とも言われている。事実、古い言葉の残る地域では、名詞の場合、2文字目に「ん」がきて3文字目に濁音が来る場合、2文字目の「ん」は後から挿入されたケースが多い。この法則を当てはめると、「とぼ」となり、「と」は「飛」、「ぼ」は「穂」を当てる事が出来る。つまり「飛ぶ穂」となるわけである」という点は個人的にとても興味深い。
ネット検索してみたら、『日本人なら知っておきたい「名句・季語・歳時記」の謎』(日本雑学能力協会〔編著〕、新講社刊)という本があり、リンク先のサイトではその一部が紹介されている。
「アカトンボは初めから赤くはない」という項があって、「神話の世界では、日本は「豊秋津洲」と呼ばれます。「秋津」とはトンボのことですから、直訳すれば「トンボの多い島」となります。沖縄諸島や東北地方の一部では、いまでもトンボを「アケズ」というそうです」という。
別に疑う訳じゃないけれど、本当に今も、沖縄諸島や東北地方の一部では、トンボを「アケズ」というのだろうか。関係者の方がいたら、情報など与えてくれたらと思う。
上掲のサイトに限らず、「肩 に 来 て 人 懐 か し や 秋 蜻 蛉」(夏目漱石)の句が、トンボの句として引用されることが多いようだ。
さて、「アカトンボとひとくちにいっても、赤くなるのは成熟したオスだけです。メスや、羽化したばかりのオスは橙色の体」なのだとか。「ナツアカネは赤くなくて、アキアカネは真っ赤というのは、成熟度の違いということになります。アキアカネが町に現われて人目に触れるころは、十分に成熟したころだからなの」だという。
ふと、思ったのだが、トンボという名前について、上記したように「飛ぶ穂」説や「とばう」とか「とうぼう」説などがありえるのなら、たとえば、「秋津」にしても、古代の人が(別に古代にまで遡らないとしても)田圃に限らず昔は湿地や沼が多かったわけで、群れ飛ぶ赤トンボを目にして空が真っ赤に染まるようで印象的だったろうから、赤津穂から、秋津に転訛したという可能性も考えられるのではなかろうか…。
それにしても、小生がガキの頃など、「赤トンボが飛んでいる。それも一〇〇匹、二〇〇匹といった信じられないほどの大群となって、広い千枚田のすぐ上を、ぐるりぐるりと気ままに舞っているのだ。逆光に薄い羽がきらきらと光っている」(「季語の風景|早 稲(わせ)」より転記)。
そして、「この、たまらなく懐かしい風景を、いつかどこかで見たかなあ。遠い記憶にあるような、いや、今、はじめて見るような。トンボの細い胴のあざやかな赤。秋の光がいっそう澄んで見えた」(同上。いつもながら、写真も文も素敵だ!)なんて、光景を幾度となく目にしたこおとがあるような気がする。
トンボは秋の季語ということで、同じサイトの、「季語の風景|女郎花」を覗いてみるのもいいかも。
ところで、既に気がついている人も多いかもしれない。
そう、トンボというと、「蜻蛉」という表記があることを。この表記で、「トンボ」とも「せいれい」(トンボの別名)、「えんば」(トンボの古名)、あるいは、言うまでもなく、「かげろう」とも読めることに、ほとんど言及していない!
藤原道綱の母上が書いたという「蜻蛉日記(かげろうにっき)」を素通りするのも、あまりといえばあまりなのだろう。
「トンボ」をめぐっても、一冊の本は大袈裟でも、一章はたっぷり書かれるべきことがある。また、稿を改めて、トンボの周辺を経巡ってみたい。
小生には、既に我が家の失われ荒れ放題になっている田圃の上を舞うトンボを詠んだ、「去年(こぞ)の田は夢かとばかりに飛ぶトンボ」という句がある(「汗駄句仙柳(4)」に収めてある)。
さらに、「汗駄句仙柳(8)」や「汗駄句仙柳(9)」には、赤トンボを織り込んだ句などが幾つか収めておいた。
ちょっと覗いてみてくれると嬉しい。
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