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2005/03/20

チューリップ・原色…

 今日は何の日か。「今日は何の日~毎日が記念日~」によると(「3月20日」参照)、「上野動物園開園記念日」で、「1882(明治15)年、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した」とか、「東京国立博物館開館記念日」で、「1882(明治15)年、上野動物園と同時に、上野公園内の上野寛永寺跡に東京国立博物館(東博)が開館した」とか、「LPレコードの日」で、「1951(昭和26)年、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売された」、「電卓の日」で「日本事務機械工業会が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定」(今は特にイベントは行われていないらしい)とか、他にもいろいろあるようだ。
 彼岸の頃(3月17日~3月23日)であり、春分の日であったりする。

 先に進む前に、大急ぎで断っておかないといけない。表題に掲げた「チューリップ」は春の季語だが、春四月の時期の季語例だということ。さすがにまだ、ちょっと早すぎる。気の早い小生も、それくらいは分かる。
 今日、3月20日の誕生花が、チューリップだという理由だけで表題に選んだのである。
 尤も、「意外な思い、豊かな力」といった花言葉を持つ「みつまた」だとするサイトもある。
 更に急いで断っておくが、今日の誕生花を紹介したからといって、小生の誕生日が今日だというわけでもない。勘違いして誕生日のプレゼントを大童になって贈って来ないように(届いたら、失礼に当たらないよう、受け取ることは受け取るけれど)。
 チューリップのことは、あとでまた採り上げるはずである。

 さて、今日は何の日か。冒頭に示したサイトを再度、参照させてもらうと、「1815年 流刑先のエルバ島を脱出したナポレオンがパリに帰着」とか、「1852年 ストー夫人の『アンクル・トムの小屋』出版」、「1858年 老中堀田正睦による日米条約勅許の要求が却下」などと小生の関心を引く歴史があったりする。
「1873年 明治天皇がまげを断髪」ということで、若く凛々しい明治天皇の有名な写真は、断髪の直後に撮影されたものなのか。
 余談だが(小生の話は引用文以外はほぼ全て余談なのだが)、「ちょんまげ(丁髷)」や「月代(さかやき)(つきしろ)」の由来はご存知だろうか。たとえば、「月代」は、「応仁の乱以後、武士が冑(かぶと)を付けたとき、頭ののぼせを防ぐために髪をそったことから逆気(さかいき)の転じたものという説が一般的」という。

 その他、今日の歴史というと、「1877年 西南戦争の最大の激戦・田原坂の戦いで、17日間の戦いの末政府軍が田原坂を占領。西郷軍が総退却」などという大きな事件もある。日本最後の内戦と言われる西南の役の最大の激戦の舞台が田原坂で、この地で約6,000人が犠牲となったとか。
「1899年 官設鉄道北陸線・高岡~富山が延伸開業」なんて項は、小生が富山生まれ故、注目するのかもしれない。
「1906年 上野に帝国図書館が開館」という項を見ると、先述したように上野動物園や東京国立博物館も同じ日なので、官の方は、3月20日に執心されるのだろうか、なんて、変に勘ぐってみたくなる。
「1973年 水俣病裁判で熊本地裁がチッソの過失責任を認定し原告全面勝訴の判決」という項もある。水俣というと、小生は、つい、あの事件を連想するが、それはまた後で。
「1973年 イランのパーレビ国王が、国内の石油産業の国有化を発表」なる項もある。世界に、特にアメリカに激震が走ったのだった。
 そして、いよいよ、「1995年 地下鉄サリン事件。通勤ラッシュ帯の午前8時頃、営団地下鉄の5本の電車内で猛毒のサリンが撒かれる。死者12人、重軽傷者5500人以上」と相成るわけである。
 翻ってみると、「1971年 帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)千代田線・大手町~霞ヶ関が延伸開業」という項もある。オウムがこの記念すべき日を知っていて犯行に及んだとは思えないが、皮肉だという印象は否めない。
 尚、オウムの現状などについては、「新興宗教を考察する」の中の、「オウム真理教」の頁などを参照されたい。ちなみに、正式団体名は、「アーレフ(旧称:オウム真理教) 」である。
「アーレフ(旧称:オウム真理教) 」のサイトを示さないと片手落ちだろうか。

 そう、今日という日は、関係者に限らず、永く銘記すべき日なのである。
 小生は、地下鉄サリン事件の発生した今日を念頭に、3月10日の季語随筆「春の川」では、東京大空襲や永井荷風の偏奇館も炎上という記事と共に、常石敬一著の『七三一部隊―生物兵器犯罪の真実』(講談社現代新書)を題材に日本(軍)の恥ずべき歴史に言及しておいた。
 この記事は、さらに独立させ、加筆の上、書評エッセイのブログに載せておいた。
 恥ずべき歴史と記したが、地下鉄サリン事件も松本サリン事件と併せ、忌まわしい事件である。この事件については、村上春樹の著作「アンダーグラウンド」を含め、多くのことが語られている(「東京サリンガス事件- なぜ?」を覗くと、日本語原著に含まれていない、「英語版「Underground: The Tokyo Gas Attack and the Japanese Psyche」からの抜粋」を読める)。
 何が忌むべきかというと、「テロリスト集団が不特定多数を狙って化学兵器を大量に使った初めてのケース」なのであり、それが、よりによって日本のど真ん中・東京で発生したということ。逆に言うと、国家による化学兵器の使用は、既にあったわけだ。
 生物(細菌)兵器にしろ、化学兵器にしろ、国家によるものにしろ、民間(テロリスト)によるものにしろ、日本のこういったアンモラルな犯行の敷居というのは、他国の人々に比べて低いということなのだろうか。
 一神教の国の道徳のように、神の前に一人立ち、他人がどうこうということは関係なく善悪を考えるのではなく、仲間内の雰囲気や勢い、世間体、つまりは極めて視野の狭い「和」のほうが、砂漠の論理である是非や善悪より優先されるということなのか。
 宗教集団の雰囲気、教祖の命令があっても、人を殺めるという命令には断固、拒否するという姿勢が保ち得ないのだろうか。
 では、さて、自分がそうした立場だったら、一体、どうなのだろう。回りのみんなが、仲間のみんなが起立し挙手して賛同している中、オレは断りますと言い切る自信があるだろうか。内心は反対だけど、「和」やその場の雰囲気を壊したくないという、優柔不断な姿勢・態度に終始するのではなかろうか。
 逆に、教祖の「オレの意見に反対の奴は立ってみろ」という言に、多くの人がダンマリを決め込み、坐ったままの中で、敢えて立って、自分の反対を、自分の意思を示すことができるだろうか。
 世間体、和、雰囲気、常識、そういったものが、宗教的善悪や道徳よりも優先する社会。飲み会、仲間付きあい、近所付きあい、そういった多くの常識は大切なものであることは間違いない。が、常識が常に正しいわけではない。情熱や執念が常に真率なものであり、真実に適うという保証もない。執念が正しいというのなら、あいつは憎いから殴ってやる、殺してやるという情念や行動だって正当化されてしまう。あの女が欲しいから、奪ってやるという情欲も蛮行も何が悪いんだという開き直りに遭ってしまう。
 一神教ではない国、多神教の国、汎神論に近い宗教観に浸っている国、私は無宗教ですなどと平気で口走ることが恥ずかしくない国。無宗教とは、一体、どういうことか。
 宗教に関心を持つとは、何も特定の宗派・宗教団体・教条・教祖を無条件に信奉するというものではないだろう。そうではなく、徹底して生きていることの不可思議さとのひたすらな対話なのであり、どれこれの具体的な何かではなく、そもそも在るということの不可思議さに驚異の念を抱くということなのではないか。人間に止まらず、植物や動物にとどまらず、自然万物への畏敬の念、生きていることの懐かしさ、水のただの一滴の中に宇宙を感じるような、目を見張るような感覚。
 在るということへの尊厳の念。センス・オブ・ワンダー(驚異の念)。宗教心とは、小生にとっては、この感覚の有無を意味する。この念があるかぎりは、品行方正だろうが挙動不審だろうが、一切、度外視する。
 このことは、つまりは、本当の意味での宗教心というものは、他人の目からは全く窺い知れないということをも意味する。一言で言うと、勇気の有無でもある。誰もが反対する中で、あるいは誰もが賛成する中で、自らが自らの胸中に問い掛けて、その孤独な省察の中から得た結論だけに従う勇気の有無。
 小生が一番、苦手とし、欠如に悩むものが勇気であったりする。驚異の念を感じるまではできる。が、一歩、踏み出して、他人の目を気にせず、世間の道徳や常識に反することがあっても曲げないで行動し、生きる勇気に欠けると感じているのだ。
 たとえば、日本がかの忌まわしい宗教集団に乗っ取られたとしよう。政権もマスコミも巨大なパワーを持つ思想集団・宗教団体・狭隘な軍国主義に占有されてしまった世の中。そんな中で、お前達はおかしい! などと言えるだろうか。自らの信念に基づいて行動できるだろうか。
 悲しいかな、自信は全くない。時勢に流されそうだ。目を閉じ、心を閉じ、時の経つのを待つしか能がないような気がする。
 けれど、かの15年戦争当時の日本は、まさにそうだったのである。しかも、多くの国民が戦意高揚していたことは、多くの証言などで明らかなのだ。
 世間の場に立ち、たまたま日本の中ではそれでも小さな宗教団体だったから、平気で論難したり、眉を顰めたりはできたけれど、それが何かの間違えで巨大化して日本を支配していたら、小生のこと、真っ先に平伏しそうである。
 情ないけれど、それが正直のところだったりする。
(途中、「「1973年 水俣病裁判で熊本地裁がチッソの過失責任を認定し原告全面勝訴の判決」という項もある。水俣というと、小生は、つい、あの事件を連想するが、それはまた後で」と書いている。小生、地下鉄サリン事件の犯行がかの宗教集団の犯行であり、その集団の教祖の生れが熊本は八代市生れだと知って、即座に水俣病のことを連想したのだった。
 水俣の怨念が奴に乗り移ったのだと。極めて不謹慎な発想だった。けれど、小生が国や県や企業や地元の人々の横暴と被害を訴える声を押し潰す動きに、ただでさえ公害病に苦しむ我が子や両親や兄弟(姉妹)や恋人や友達が一層、苦しめられたとしたら、怨念の塊になってしまいそうだ。どんな妄念に駆られるか、知れたものではない、そんな感懐を持ったのは事実なのである。
 当の水俣病に苦しむ人たちには軽薄且つ浅薄な感懐だと非難されるのは必定なのだろう。
 
 ちょっと厄介な、重苦しい話になってしまった。季語随筆の扱う範囲を遥かに超えている。
 ここで、表題の「チューリップ」に戻ろう。
フラワーショップ花友」の、「チューリップ」の頁を覗かせてもらう。
 チューリップの花言葉は、「所縁の日」により、いろいろあるようである。たとえば、「4/10 4/16」だと、「永遠の愛情・愛の告白・思いやり・正直・恋の告白・真面目な愛・誘惑・博愛・美しい瞳・名声・名誉」など。
 それが、「3/20 3/22」だと、紫色のチューリップということになるらしいが、「永遠の愛情・不滅の愛」だとか。今日の日に好きな人に紫色のチューリップなどを贈られたら、嬉しいかもしれない。
 これが、所縁の日は違うが、「3/8」だと、白色のチューリップは「思い出の恋・思いやり・失恋・新しい恋」となり、やや寂しい。さらに、「3/13など」だと、黄色のチューリップは、「愛の表示・望みなき愛・名声・希望のない恋・正直・実らぬ恋・母の日」となり、特に、「望みなき愛・希望のない恋」があって、悩ましい。
 今日という日に起きた事件をどう受け止めるかで、この日の色合いも変わってくるのかもしれない。

 さて、小生がチューリップにやや拘るのは、我が郷里・富山の県花がチューリップだからでもある(実は話をここに持ってきたかったのだ。えへへ)。お隣りの新潟県の花でもある。
「世界で唯一、生のチューリップが一年中ご覧になれ」るという「チューリップ四季彩館」を覗くと、「2005となみチューリップフェア」は、「花・水・風・新市となみ」をテーマに、「本イベント   平成17年4月22日(金)~5月5日(木)」「セカンドイベント  平成17年5月6日(金)~5月8日(日)」が開催されるが、「プレイベント」が「4月15日(金)~4月21日(木)」に開催されるとか。

 チューリップという言葉(季語)の織り込まれた句はネットでいろいろ見つかる。気に入ったのは、「赤黄白まつすぐだからチューリップ」(川崎展宏)である。単純で素直でいかにも茎も伸びやかなチューリップの光景を生き生きと表現されていて、好きになった。
 この句の評釈には、「チューリップと言えば「咲いた咲いたチューリップの花が 並んだ並んだ 赤白黄色」という歌詞が浮かぶ。単純な言葉の組み合わせで大人が子供に言葉を教えるような趣がある。もしも花を描けと言われたら、多くが咄嗟にはチューリップを描いてしまうだろう。名を持つ花となるとチューリップを選んでしまいそうだ」とある。
 ああ、そうだった。絵を描くのも下手くそな小生、ガキの頃、ホント、咄嗟にチューリップの絵を描いた記憶がある。勿論、茎を長く伸ばし、赤白黄色とクレヨンを塗った。空は青で、雲は白くぽっかり、屋根は黒で、土は茶色。葉っぱは緑で、そこに人物が描かれているなら、髪の毛は黒で、顔は橙色で、服は何故か白のTシャツと赤色のスカート、スカートの裾からは細いアンヨが伸びている。
 実に紋切り型の絵を描いていた記憶がある。このパターン、固定観念から抜け出せないと感じて、漫画家になることも諦めたのだった。悲しい、苦い思い出である。
 先の評釈は、「このようにこの花には固定したイメージが強く、表現するということにおいては既にこれ以上は不可能なほど単純化されてしまった存在である。だから句にするのは案外難しいだろう。その固定観念から一歩も出ずに複雑化せずに見事に俳諧味豊かな一句になっている」と続く。
 全く、同感である。
 チューリップにも赤白黄色といった原色以外の色もある。淡い色彩のチューリップは結構、あるのだ。
 が、イメージは原色である。
 原色を眺めると人間は、胸のうちに秘していた欲望や願望、情熱、情念、執念、時には狂気の念が呼び覚まされるような気がする。剥き出しの情念は苦手である。だから、つい、中間色に救いを求めたりする。繊細且つ多彩な世界への傾き。
 でも、時には正面から胸のうちに向き合ってみることも必要なのだろう。その時、胸の中からどんな思いが噴出してくるか、それは定かではないけれど。

 
 チューリップ伸び行く先の青い空
 チューリップ赤白黄色青い空
 
 ああ、句までが紋切り型だー!

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コメント

面白いです(笑)素直に。

蜂のいろ黄チューリップの蜜飲んだ

ごめんなさい。ついつい・・・
ほんとに、どれも良く書かれてますね~

投稿: hironon | 2005/03/21 14:25

hirononさん、コメント、ありがとうございます。
少しでも喜んで(楽しんで)いただければ幸いです。もう、笑われたっていいんです。本人が楽しんでいますから。

>蜂のいろ黄チューリップの蜜飲んだ

 呑んでみて目を白黒の蜂たちか

 チューリップ信号機かと思われる

 チューリップ伸び行く子らと競うごと

投稿: 弥一 | 2005/03/23 01:38

私、女なんですが、誕生花とか、花言葉とか
苦手ですね~。
面倒です。(おいっ!)

でも、調べてみました。
私の誕生花は「ガクアジサイ」でした。
花言葉は「謙虚」。

あは、あははは~。
謙虚に生きていこう! えっと、明日から。

投稿: Amice | 2005/03/24 11:55

Amiceさん、コメント、ありがとう。
誕生花は顎紫陽花。花言葉は謙虚。よかったですね。これが紫陽花だと、花言葉は"移り気" "心変わり"なのだとか。一方、紫陽花には、辛抱強い愛情という花言葉もあるとか。
ということは、もうすぐ顎紫陽花の咲く、Amiceさんのための季節がやってくるということ。
いずれにしても、小生、紫陽花、好きです。雨に降られている中でこそ可憐さが募る花って、健気ですからね。


投稿: 弥一 | 2005/03/24 22:22

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