« 蓮華草・紫雲英 | トップページ | 春の月・春の星 »

2005/03/18

鳥帰る・竹島のこと…

 いつもながら、季語随筆と銘打っているが、選んだ季語の周辺を巡るだけで、一向に随筆の想の膨らまないことに忸怩たる思いがする。
 というのも、たとえば三月の季語例にも相当数の季語が並んでいるのだけど、自分の生活に身近な言葉、ということになると、相応しいような、ピント来るような言葉などはなかなか見つからないのである。
 悲しいかな、そもそも自分が生活感のない、茫洋とした日々を漫然と過ごしているからなのだろうし、一人暮らしなので、自分が怠惰を決め込んだら、誰も異を唱える者がいるはずもなく、二十四節気など我関せずの生活に成るしかないのだ。
 などと言い訳しつつ、今日の表題は、では何故に「鳥帰る」を選んだかというと、小生はタクシードライバーとして都内を走り回っているのだが、日中、わりと海辺を走ることが多い。埋め立て地で、運河があり、橋も日に数回どころか数十回は渡っている。
 すると、自然、橋の上で信号待ちと相成ることが多いのである。そんな時、ふと脇に目をやると、運河の水がゆったりと流れている。水は春の日差しを千々に乱している。その上をユリカモメなのかどうか分からないが、鳥達がスイスイ泳いでいる。
 それとも、ただ浮かんでいるだけなのか。
 いや、きっと、彼らだって忙しいはずだ、小生と同様、お飯(まんま)を獲ようと結構、真剣なはず、鵜の目鷹の目で水中か水面の餌を漁っているはずなのだ、決して、のんびりなどしていない、だから、彼らが呑気そうでいいなーなんて、羨むことなど無用のことなのだ、などと取り留めのない想いに浸ってしまう。
 神経を摩り減らして町中を走る小生にとっての、束の間の和みの時。
「鳥帰る」は、「渡り鳥が、春、北方へ帰ること」であり、関連する語に「帰る鳥 鳥引く 引鳥 白鳥帰る」があるとか。
 ユリカモメやウミドリなどの生態は知らないが(そのうち、ゆっくり調べてみよう)、渡り鳥など、季節が来たら日本のどこかに飛来し、時期が来たら去っていく。行く先は、必ずしも日本列島の外とは限らず、列島の各地を点々としている鳥もいるのだろう…。

 正直に言うと(ちょっと恥ずかしいが)「鳥帰る」という季語を季語例の表を見て発見した瞬間、小生、「島帰る」と誤読しそうになった。
 というより、実際に(ほんの一瞬だけ)「島帰る」と読んだのだった(これでは意味を取り替える、だ!)。

 なぜ、そんなふうに読み違えたかというと、今、島根県で「竹島の日」が制定されて世情を騒がせ、日韓の政治問題にも発展している、それでは、多少なりともこの問題に触れよう、じゃ、相応しい季語はないものかと物色していて「鳥帰る」という語に目が向いた…、という次第なのである。
 小生は、恥ずかしながら「竹島」の問題についても、詳しくはない。竹島の気候や風土を知ろうと、「竹島 気候」をキーワードにネット検索してみたら、「なぜなに竹島~のんびり竹島生活~」がトップに出てくる。なんだか、話題が喧しい割りには、のんびりしている。
 と思ったら、「「竹島」は,鹿児島県で一番小さな村「三島村」にあります。わたしたちが住む,いやしアイランド「竹島」をのぞいてみませんか」ということで、今、問題になっている「竹島」とは違うのだった。
 話題の焦点の「竹島」の歴史などはというと、「~竹島は日本の領土です~」を見るのがいいようだ。
 竹島の位置を大まかに知るには、たとえば、「竹島の位置・面積」や、「国土地理院の地図閲覧サービス」を覗くのがいいのか、と思ったが、例えば、後者の地図は、あまりに杜撰というか、大雑把過ぎる。
 これが日本が把握している竹島ということなのか。
 島の形を詳しく見たいと思っても、日本には細かな地図が(少なくともネットには)ないようだ。誰か、知っていたら、教えて欲しい。悲しいかな、
 竹島については、韓国が作成した地図「独島の地理的位置」
が詳細を知るに適しているようだ。少なくとも、日本の作成した地図よりはまともだ。これが竹島を実効支配の齎す結果なのだろうか。
 それにしても、高空から地上の世界を眺める鳥達は、領土問題に汲々とする我々をどう眺めているのだろうか。

 さて、歴史問題にも疎い小生は、サイトを幾つか紹介しただけで、話題を切り替える。人によっては、こんなときに、碌でもないことを、不謹慎な! ということになるのだろうが、小生など、根性が天邪鬼なのだ…、所詮はこんなものなのである。
 ということで、以前、書いた雑文を転記しておく。
 タイトルは、「離れ小島に持っていくものは…」である:

「離れ小島に持っていくものは…」( 01/11/03)

 話が尽きた時とか、未だ親しくない相手との話の接ぎ穂というか糸口として、よく使われる話題の一つがこれ。そう、離れ小島に一人で行かなければならなっくなったとしたら、あなたは何を持っていきますか。
 大概の人は一度はこの話題で盛り上がったことがあるんじゃなかろうか。
 それは本だったり、何かの愛玩する道具だったり、ペットだったり、愛人だったり(これは一人でという制約に反するからルール違反だけれど、でも、つい思い浮かぶもの?)、思い出の詰まった記念の品だったり、それこそ、人それぞれだろう。
 これを更に絞って、唯一持参することが許されるのが一冊の本だったとして、あなたはどんな本を持っていきますか、というテーマだったりする。若干の応用篇めいた問い掛けになるわけだ。
 聖書としおらしく言う人が必ずいる一方で、片方では誰もが知っているような世界の名作文学作品だったりする。あるいは、密かに愛玩するH系の小説だったりもするかもしれない。
 それとも、気取って白紙の本、なんて小生は答えようかな、なんて思ったりする。
 その空白を我輩の日々の瞑想で埋めていくんだ、なんて、答えたら女の子は痺れるかも、なんて期待する…。
 ま、それは淡い夢の話として、H系の本というのは、小生の乏しい読書経験からすると、一冊に絞るのは極めて難しい。ほとんどが一回読めば、もう、二度と読みたいとは思わない。とにかく次、次と、エスカレートした、過激な、手の込んだ作品を渉猟したくなるからだ(Hビデオもそうなんだな、乏しい?経験からすると)。
 つまり、繰り返し読むほどの作品なら、それは、もう、H系とは呼ばれず、一個の文学作品になるからだ。
 そういえば、昔、『チャタレイ夫人の恋人』が、裁判沙汰になった余韻も残っていた頃、小生は書店の人の目を避けるようにして、こそこそとその本を買ったものだった。この禁欲と愛欲とが、人工と自然とが、ある種の緊張の中で背中合わせになっている世界は、禁断の文学かどうかは別にして、確かに小生を興奮させてくれた。
 最近、『チャタレイ夫人の恋人』の完訳本が出たというので(あまり話題にはならなかったな、今更、性愛の作品としては過激度も少ないし…、ということか)、小生も早速、買って読んでみたものだ。
 改めてD・H・ロレンスの文学世界の素晴らしさを満喫させてくれた。これが卑猥な作品ということで裁判沙汰にまでなったとは、隔世の感というしかない。
 これは、全くの余談だが、昔、『アンネの日記』の簡略本を入手した時、何か邪な期待を抱いて読んだような微かな記憶がある。読んでみて、少女の真面目な日記の記述に終始していてガッカリしたものだった(あくまで小生がガキだった当時のことだぞ)。
 この作品についても、近年、完訳本が出たので、早速、読んでおいた。年の功なのか、アンネ・フランクのやや奇矯だが、しかし、多感な少女特有の容赦のない、大人にはきつすぎる観察眼が終始、生きていて、素晴らしい本なのだと、初めて悟った次第であった。気付くには遅すぎて恥ずかしいのだが、事実なので、仕方がない。
 どうも、話がすぐ横道にそれてしまう。別にテーマがあって書き始めたわけではないから、構わないようなものだが…。

 ああ、そう、思い出した。小生が書きたかったのは、離れ小島に持っていく唯一の品物とされるとき、上記したようにあれこれ、人それぞれに思い浮かぶ物品は違うだろうが、大概、スッポリ、抜け落ちているものがある、それは衣服である、と言いたかったのだった(御免ね、言いたいことがつまらなくて。いつものこととはいえ…)。
 つまり、離れ小島と言う時、もう既に、そこは何処か南洋の小島を思い浮かべているということなのである。時には雨くらいは降るだろうが、普段は暖かくて、着るものも一着、着たきりスズメの衣服を持参できれば、それでいい…、という風である。
 そもそも、問題を提示した人は、離れ小島とは言ったが、別にそこが温暖な気候に恵まれているとは言っていないはずなのだ(あるいは、提示者自身、そんな事柄や懸念は、そもそも全く念頭になかったのだろうが)。
 だから、もしかしたら厳しい寒さに年中、悩まされることになるかもしれないのだ。
 あるいは、衣服も問題だが、食べるものだって、もっと問題なはずだ。
 が、全く、持参していくものとしては特に言及されることはない。
 これも、日本人の大概の人が、離れ小島というと、先ほど述べたように南の海に浮かぶ、何処か楽園風な島を勝手に都合よく、思い浮かべがちだからこそである。
 もう、食べるものの心配など、端からないわけだ。これは、日本という風土を無言の前提として置いているからなのだろう。人里離れた場所を歩けば、何処を歩いても木々は鬱蒼と繁るし、雑草も生い茂っている。湿気がムンムンとしていて、苔や茸の類いなら、毒性を気にしなければ、至る所に蔓延っている。
 川には魚がいるし、海辺にはやはり魚や貝や若布が採れるに違いない…。
 万事、楽観的というのか、御気楽でいられる習性が、骨の髄まで染み込んでいる、それが日本人というわけだ。地震と洪水(昔は、頻繁にあったのだろう)と火山などを少々、我慢すれば、なんとかやってこれる、生きていける。
 そうした縮図として離れ小島があるわけだ。その、ほとんど楽園に近い島だが、人工的な物品はないから、さて、唯一、持っていくとしたら何を、ということで、本だ、記念の品だ、テレビだ、なんて、侃侃諤諤、議論が沸騰するわけである。
 砂漠の人や緑には縁のない山岳地帯の人にこんな問い掛けをしたら、どんな答えが帰ってくるだろう。もう、土台からして相手にされないかもしれない。
 せいぜい、蜃気楼、と答えて、話をそらすのだろうか。
 そうそう、最後に我輩なりの答えを言っておかないと、礼儀に反するかもしれないので、小生の答えを言っておこう。
 小生が離れ小島に持っていくもの、それは、夢。
                                  (転記終わり)

 夢を喰う幻の瑞獣・貘(ばく)のような小生の性分ばかりが出ているような小稿で申し訳ない。
 
 さて、争いの焦点になっている「竹島」に懸ける両国の人々の夢は、一体、何だろう。国家の面子なのか。領土欲か。漁業(水産)資源か。内政の行き詰まりの矛先を変えることなのか。争うことで漁夫の利を得るのは誰(どの国家)なのかを冷静に考えるべきではないのか。

|

« 蓮華草・紫雲英 | トップページ | 春の月・春の星 »

季語随筆」カテゴリの記事

コメント

離れ小島に唯一持って行けるとしたら、
刃物。かなぁ。
ひ弱な性質のもんで、
一人行き抜く根性がない。
いつでも、命を絶てるように
だから、刃物。
人に囲まれてても、
ふと、何もかも全て(自分自身も含めて)捨てたくなる時が
あるんですよね~。
軟弱ものです。

投稿: Amice | 2005/03/18 18:16

「離れ小島に唯一持って行けるとしたら、刃物」と読んで、そっか、島で植物を切ったり、動物を倒したりするためには、刃物が要るなとAmice さんの知恵に感心しかけたら、なんと、「いつでも、命を絶てるように」だって。
ダメですよ。母親さんなのですから、死に物狂いで生き延びなくっちゃ。
えっ、普段はそうだって? 失礼しました。

投稿: 弥一 | 2005/03/18 19:54

「夢喰いの獏」に惹かれてクリックしたら、なんと刺青のサイトでしたね。
伝統的な図柄っていうのは面白いです。
猫の妖怪は残念ながら愛すべき妖怪ではなかったけど。(^_^.)

投稿: nazuna | 2005/03/19 00:42

「刺青のサイト」…不快だったかな。
 でも、気迫が篭っている分、美しいですね。自分じゃ、彫ってみる覚悟は全くないけど。
 猫の妖怪。小生の名前をクリックすると、いろんな(名前の)猫の妖怪を知ることができます。

投稿: 弥一 | 2005/03/19 04:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/3345131

この記事へのトラックバック一覧です: 鳥帰る・竹島のこと…:

« 蓮華草・紫雲英 | トップページ | 春の月・春の星 »