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2005/03/16

早蕨(さわらび)

北信州の道草図鑑」の中の、「ワラビ(蕨)」の頁を覗かせてもらう。
 「2003年4月29日 野菜畑で」ということで、蕨の写真が載っている。「春の代表的な山菜です。根茎から採ったワラビ粉は、食用のほかに、雨傘や合羽を貼り付けるノリに利用されていました」という。
「「鶯を招くやうなるわらび哉」(一茶)と句も付せられている。
「わらび【蕨】:イノモトソウ科のシダ。山地の日当りのよい乾燥地に群生。早春、地中の根茎からこぶし状に巻いた新葉を出し、これを「さわらび(早蕨)」という」のである。
 無論、春の季語で、「蕨野」「初蕨(はつわらび)」、「蕨手(わらびで)」、「干蕨(ほしわらび)」「蕨狩(わらびがり)」
「蕨餅(わらびもち)という類語・関連語があるようだ。
「蕨」単独でも、春三月の季語である。

 今日の表題に「早蕨(さわらび)」を選んだのは、車中で直木 孝次郎著『万葉集と古代史』 (吉川弘文館  歴史文化ライブラリー 94)を読んでいたら、志貴皇子の有名な歌に言及されていたからである。
 小生に限らず、多くの人が好きな歌であり、春の到来を告げる万葉集の歌というと、この歌を挙げる人も少なからずいるに違いない。
 その歌とは、そう、この歌である:

 石走る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも(巻8─1422)

 季語随筆日記などを勉強のためもあり、書き綴っている小生、歌を歌として鑑賞し味わうより先に、あ、この歌の中の、「早蕨(さわらび)」って、春の季語のはず(!)と、余計なことを思ってしまった。
「まことに春を迎えた喜びがいっきにほとばしるような歌」のはずなのに、雑念が先に立つのは情ない(「奈良歴史漫歩No.023」より引用)。
 志貴皇子のことも、本書の中で説明されているが、上掲のサイトによると、「志貴皇子は天智天皇の皇子で光仁天皇の父であり、万葉の歌人としても名高い」が、例えば、「CastBack NARAMACHI-54 増尾正子」によると、「志貴皇子は天智天皇の皇子で、天武天皇の甥にあたるという貴いご身分でありながら、兄の弘文天皇(大友皇子)と叔父の大海人皇子(後の天武天皇)の間でおきた壬申の乱の後は、非常にむつかしい立場に立たれた」方なのである。
 だからこそ、以下のような歌を作られたりもする:

 むささびは木末(こぬれ)求むとあしひきの山の猟夫(さつお)にあひにけるかも(巻3-267)

 この歌は、ちょっと詠むと平凡であり、つい詠み過ごしてしまいそうでる。
 けれど、「実際に目撃した光景かもしれないが、寓意が込められたようにも読める。ましてや、志貴皇子がよんだとなると、さらにその印象が強まる。木末つまり権力をめざした末に没落する者たちを多く見てきたであろう人の述懐のようでもある」のだ。
 天皇の座を巡る血生臭い権力闘争の真っ只中を生き抜いた。「政治的な派手な動きはないが、地味ながら重要な役を着実にこなして、時の主流派に貢献するという印象がある。自分の立場をよくわきまえて、賢明に時流に処していった人であっただろうか」というが、まさにそんな方なのである。
 その方が、「早蕨(さわらび)」の歌を詠われる。幾度、味わってもいいこの歌、爽やかさと春の息吹に満ちている。が、歴史を知るものは、かの志貴皇子が、何故に透明感や生命の横溢の感たっぷりの歌を詠えたのか、不思議にさえ思えたりする。
 が、この歌は、そんな小生でさえ抱くような野暮な疑問を圧倒する眩さで煌いているのである。

 上掲の直木 孝次郎著『万葉集と古代史』に限らないが、古代史の本を読むと、ドラマと謎に満ち溢れていて、だからこそ、必ずしも豊富とは言えない資料・文献を通し、推理と人間をどう読み理解するかということで、学者や作家たちの研究と推理の舞台でもあったりする。
 読者としては、下手な推理小説を読むより楽しいのである。
 せっかくなので、本書『万葉集と古代史』の性格を出版社の宣伝を使って説明すると、「万葉集は、古代史の宝庫である。有間皇子・額田王・大伴家持など、白鳳・天平時代を代表する歌人たちの生き方や政治とのかかわりを追究。作者の心理まで立ち入り、日本書紀・続日本紀では窺えない歴史の一面を考える」となる。
 まさに、小生の車中の友となるべき本で、あっという間に読み終えてしまった。

 ところで、上掲の「奈良歴史漫歩 No.023   志貴皇子の歌と生涯」を読んでいて、へえー、志貴皇子にはこんな業績もあったのかと、小生には初耳の知識があった。
 それは、「大宝3年(703)、持統天皇の殯宮のあと、志貴皇子は造御竈長官に任命され、火葬設備の造営をつかさどった。持統は天皇としては初めて荼毘にふされ、天武が眠る明日香の大内山稜に合葬された。奈良時代の貴族の間では火葬がブームとなったが、持統の火葬はその走りである。この功績によるのか、翌年には封100戸を増益されている」という事跡である。
「持統は天皇としては初めて荼毘にふされ」ていたことは知っていた。それまでの天皇は土葬が当たり前で、また、大規模な陵(りょう)を作るのが慣わしでもあった。
 そうした長年の慣行を変えるには、並大抵の力量・識見では難しいだろうことは、容易に想像が付く。というより、想像を絶する軋轢などもあったのかもしれない。それを、持統天皇は遣り遂げたのであり、その新しい「火葬」という死の形に志貴皇子は深く関わっていた。
 常識を尊ぶ皇子。内心は、新しい死の形をどう思っていたのだろう。

薬膳の書 わらび」を覗くと、「古くから、食用とされており、「やまねぐさ」 「さわらび」と呼ばれ」などと書いてある。「やまねぐさ」という別名もあるわけだ。
 一時、「わらび」というと、発ガン性物質を含むなどと問題になったこともあるようだが、「アク抜きを充分にすることと毎日、多食をしなければ、心配はいりません。季節の風味を味わいましょう !」とのこと。
 小生は、野菜も果物も一切、食べない。
 正確に言うと、ガキの頃は嫌いで食べなかった。店に行っても眼中に入らなかったのである。まして、山菜となると、論外だった。
 が、馬齢を重ねるにつれ、ふと、目がそっちへ向いたりする。体が欲するのだろうか。

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コメント

早蕨と聞くと、無条件に
♪ 古里の野辺は早蕨の 萠え出る頃浅い春 ♪
と、口から出てきます。
毎度ですみません、さださんの「人買い」と言う曲です。

ただ今、『歴代天皇・女帝早わかり手帖』を読んでいます。
ごっちゃになりがちな歴史が、年代別にすっきり入ってくるようで、
なかなか面白い読み物です。
まだ、斉明天皇(女帝)までしか読めてません。
今日出てきた持統天皇は、4代先です。
志貴皇子も出てくるかな~、楽しみです。

投稿: Amice | 2005/03/16 22:20

おお、さださんの「人買い」と言う曲に「♪ 古里の野辺は早蕨の 萠え出る頃浅い春 ♪」がある。さすがにさださんだし、Amiceさんらしくもある。
小生は、この曲、すぐには浮かんでこない。聴いてみたいなー。
『歴代天皇・女帝早わかり手帖』を読んでおられるとか。面白そう。何か意外な知識などあったら、教えて欲しいね。江戸時代の女帝も、興味深いかも。

投稿: 弥一 | 2005/03/17 03:48

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