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2005/03/14

利休忌・西行忌

「利休忌」も「西行忌」も、共に春の季語である。
「西行忌」は「旧暦2月16日、西行法師のご命日」であり、「利休忌」は「旧暦2月28日茶人利休のご命日」なのだとか。
 さすがに西行の死は、「ねがわくば花の下にて春しなんその如月の望月のころ」の歌で今頃の死なのだと、野暮な小生にも強く銘記されている。
 知る人は知るだが、「西行の享年は73才であるが、この歌は60才代中ごろの作といわれているから死に臨んで詠まれたものではない。然し如月(2月)、望月(15日)と所望した通り2月16日になくなった」のであり、しかも、「2月15日は釈迦の入滅の日であり」、「平安時代から涅槃会として釈迦の遺徳を偲ぶ習慣があった。これらの関連は単なる偶然の一致とはいえないものを感じる」のは、当時の人々なら、今の我々より遥かにそうだったのかもしれない(引用は、「渡部陽のホームページ」の中の「桜と西行」より)。
 西行の歌集山家集』をはじめ、高橋英夫『西行』(岩波新書)、白洲正子著『西行』(新潮文庫刊)、吉本隆明著『西行論』(講談社文芸文庫)、辻邦生著『西行花伝』(新潮社、文庫あり)などと、僅かながらにも西行の世界に親しもうとしてきた。
 小生には、西行は、柿本人麻呂、芭蕉に次ぐ存在なのである。

 一方、千利休(1522~1591)となると、まるで知らない。映画やドラマなどでその存在と名前くらいは知っているけれど。
 彼が「わび茶」を完成させたことも、堺の豪商達の一人だったことも、豊臣秀吉との関わりも、現在の茶道千家の始祖であることも、そんな断片的な知識なら有している。
 けれど、肝心の茶の湯の世界には、まるで馴染みがない。お茶の席で抹茶を嗜んだのは、二度、あるくらいである。
 以前、北原白秋の作である「城が島の雨」という詩の中に、「利休鼠(りきゅうねずみ)」という奇妙な言葉が出てくることに好奇心を抱き、ちょっと調べてみたことがある。歌詞の中には、「利休鼠の雨が降る…」とある。だからといって、さすがに、「まさか空から雨に混ざって鼠が降ってくるとは思わな」かったが、もしかしたら、自らの無知が露見するのを恐れて疑問を口に出さなかっただけかもしれない…と思ったり。
 そう、「利休というと千利休のことで、お茶の色から緑色をさします。そして、「利休鼠」は抹茶のような緑色がかった鼠色をさしています」というのである。
 それにしても、鼠色には、「藍鼠、薄鼠、梅鼠、漆鼠、葡萄鼠、貴族鼠、銀鼠、紅梅鼠、濃鼠、桜鼠、千種鼠、どぶ鼠、二十日鼠、灰汁色、灰白色、薄墨色、生壁鼠、錆鼠、深鼠、深川鼠、紅掛鼠、紅消鼠、鳩羽鼠、藤鼠、柳鼠、利休鼠」とあるという。恐るべし、である。
 色を見分けられる、あるいは色合いの違いに敏感だということにも驚くが、こうした色の表現、命名のセンスに、小生などは感心する。生涯に一つでも何か名詞・事物の名前を生み出せたなら、もう、それだけでその人は歴史に名を残せる…はずである。
 少なくとも、残すに値する業績なのだと言っていいはずだ。

 さて、利休と言えば茶の湯、茶の湯と言えば漆器や蒔絵というのは、あまりに平凡な連想だろうが、それでも、つい、漆器や蒔絵のことに言及したくなる。
 小生には、殊更、利休に寄せてということではなく、漆器が外国語には「japan」と翻訳されることに興味を持ち、その名も「ジャパンのこと」という小文がある。
 あるいは、利休とキリスト教、それとも、利休と十字架の関係について簡単なメモを綴った「 「茶の湯とキリスト教のミサ」に寄せてもある。
 結語の部分だけを転記しておく:

「禅やキリスト教の儀式を形骸化させることによって、日常のなかに宗教的な境地を呼び入れた。茶の湯は信仰を持たぬ者にも宗教の喜びを味わわせてくれる」という指摘は、粗忽な小生も納得します。
 特に利休が大成したお茶は、キリスト教への態度が厳しくなる中、見かけの上での脱宗教(脱キリスト教)が絶対条件だった以上は、宗教臭さを極力排したものと推測されます。
                       (転記終わり)

 さて、「利休忌」は、利休の死の日を指す。小生は未読だが、そのものズバリの題名の、小松茂美著『利休の死』(中公文庫刊)という本があるようだ。本書の内容は、「実見した利休の書簡四百余通をはじめ、茶会記、新史料の覚書から伊達家文書まで、利休をめぐる膨大な原資料を渉猟精読。古筆の権威にして初めて可能な新しい角度から謎多い自刃の原因を捉える。」とのこと。
 小松茂美氏には、『利休の手紙』(小学館刊)という大部の本もあるようだ。
 利休の死を巡っては諸説紛々である。例えば、「エピソード 「利休の死」」や、「今村宗啓のお茶と茶懐石」など。
 特に、「今村宗啓のお茶と茶懐石」の「連続エッセイ お茶と私」という頁は一読の値打ちがある。
 一部だけ転記させてもらうが、是非、閲読を願いたい:

 華麗を抑制し、というより削(そ)いで削いで削いで、あとに残るものだけを利休は求めた。茶室に、道具に、振舞いに、利休が求めたそれを、後生人は「侘び」と呼びました。が、「侘び」は、普及と浸透の過程で、モノと振舞いの風情(ふぜい、らしさ)の呼称(こしょう)となりました。
 「侘び」とは、形や姿の「わびらしさ」を指すのではない。ことに臨(のぞ)んで削ぎに削ぐ精神のはたらきを指す言葉のはずです。
(転記終わり)

 秀吉に賜った切腹という死の形。それでも敢えて利休が守り通したものは何だったのだろう。
 いずれにしても、彼が切腹を泰然自若と賜ったことが後世の茶の湯の隆盛に繋がったような気がしてならない。今、茶の湯の心は何処にあるのだろうか。

 ひたすらに明け行く空にわび茶飲む
 わびとさび命燃やした輝きか
 わび茶とて精魂篭めて味わえる
 

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コメント

茶道は習っても精神まで到達できる人は多くないでしょうね。何年か習うと「師範」になれるんですから。(嗜めればそれでいい)ってのが普通かな。私も含めて(^_^;)ま~茶室という空間は良いですよ♪緊張と弛緩が同居したような。。弥一さんにもお似合いだと想像しますが(^.^)

投稿: ちゃり | 2005/03/14 23:41

ちゃりさん、こんにちは。
姉もお茶を長年習っていたけど、やはり、慣習の難しさに辟易して止めたとか。お茶室もあるのに今は使ってないとか。
正式なお茶の席は、ちょっと苦手だけど、お茶をじっくりと喫したいとは思う。
実際、自宅でも車中でも、お茶は欠かさない。茶の香りは素晴らしい。
ああ、誰か素敵な人と、飲みたいもんだ。


投稿: 弥一 | 2005/03/15 01:37

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