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2005/03/11

春の雨

 今日の東京は朝から雨が降っている。それも冷たい雨。もう少し気温が低ければ、氷雨、あるいは霙、さらには雪になっていたかもしれない。
 暦の上ではとっくに春なので、春の雨と呼ぶしかない。あの、「月さま雨が…」「春雨じゃ、濡れて参ろう」という時のどこか粋というか風流な雨ではないのだけど、とにかく本日の表題は「春の雨」にする。
「春の雨」は「春雨(はるさめ)」と表記されたりし、「春霖(しゅんりん)」という類義語があるようだ。「しとしとと降るのが春雨。長く降るのはしゅんりん」などと説明してあるが、今一つ、違いなどがよく分からない。
 語感からの印象に過ぎないが、小生の場合、「春の雨」というと、「水に輪をかく波なくば、けぶるとばかり思わせて降るとも見えじ春の雨」という情景を思い浮かべることになる。
 これは、文部省唱歌の「四季の雨」のうちの一番の歌詞である。ネット散策していて、「Humannet for elder」の中の「雨の季節との付き合い方」という頁で教えられたもの。

 そういえば、小生、既に、関連する季語で、「春時雨」を扱っている。このときは、焦点が「時雨(しぐれ)」に合わせてあるが、せっかくなので参考にしてみると面白いかも。
 ついでに言うと、「時雨ていく」と題した日記もある。

 と、行き過ぎようとして、やはり、どうしてもこの科白のことが気にかかる。小生、前にも引用しているが、その際、ああ、この科白のこと、いつか、多少は調べておかないとなと、思っていたのだった。
 ネットで、「春雨じゃ」のみをキーワードに検索してみると、金田一春彦さんの「ことばの歳時記」からとして、以下の一文が見つかる:

新国劇の芝居で見ると,月形半平太が,三条の宿を出るとき,「春雨じゃ,濡れて参ろう」と言うが,今思うと,彼は春雨が風流だからぬれて行こうと言ったのではなく,横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから,傘なしで行こうと言ったものらしい
(再引用終わり)

 この引用文、小生の推測では使いまわしされているようで(多分、誰かが最初、金田一春彦さんの「ことばの歳時記」からとして本当に引用したのだろうが…希望的観測)、複数のサイトで同じ文章が載っている。
 ここで小生も使うと、この一文、一人歩きしそうである。もし、万が一、最初に引用した(かのような)人がでっち上げていて、さも、本当らしく薀蓄など傾けていたとしたら、彼(彼女)に引き続く人は、ひたすら馬鹿を見るし、読まれる方も、とんでもない勘違い・間違いとその理解を脳裏にインプットされてしまうわけである。
 ここがネット検索のネックとなっているところだ。時間があれば、図書館などへ行き、文献に当たるべきなのだろう。
 たとえば、「ゆうあい工房ミーヤの日記 2004年04月13日」を覗かせてもらう。
 ここに「京都の春は霧雨が良く降るようですね」とあるが、金田一春彦さんの「ことばの歳時記」でも、月形半平太の科白の「春雨じゃ,濡れて参ろう」は、「彼は春雨が風流だからぬれて行こうと言ったのではなく,横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダ」なのだということで、春雨は霧雨なのだとされている。
 ここは、新国劇の芝居の設定がどうなっているのかを調べるしかないのだろうか。それとも、京都で春雨という表現を採れば、それはもう、霧雨のような雨を含意するのは常識だということなのだろうか。
 分からないことばかりだ。
 まあ、「横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから,傘なしで行こう」とは、科白を吐く月形半平太の厳しい運命を甘受し覚悟する芝居がかった表現なのだろうとは思われる。
 そう、春雨が霧雨だろうとなんだろうと、いずれにしても、風情を味わおうというのではなく、戦いに、それとも、敵対する勢力の暗殺(付け狙う新撰組その他)など、覚悟の上だということで、小生のような春雨に勝手に読み取る、のほほんとした雰囲気とはまるで縁遠い世界が示されていること、それだけは間違いないのだろう。
 上掲のサイトには、月形半平太のモデルは誰か、桂小五郎かそれとも土佐藩士武市半平太かなどと忖度されている。芝居に詳しい人なら誰がモデルかは、常識の範囲のことなのだろうか。小生は、頭から武市半平太と思い込んでいたのだけど。
 
「月形半平太」の原作は、行友李風( ゆきとも りふう )氏で、他に「国定忠治」などがあるとか。
 映画化も何度も試みられている。

 春雨というと、有名な歌を思い出す。

 くれないの二尺のびたるばらの芽の針やわらかに春雨の降る   正岡子規

 別に疑うということではなく、小生にはこの歌が正岡子規とは到底、感覚的に合わないような気がしてならない。だからといって、作者が他の誰ならイメージ的に合うという人が思い浮かぶ訳でもないが(「くれないの…」は、「くれなゐの…」と表記されることのほうが多いようだ)。
 けれど、子規には、「かめにさす藤の花ぶきみじかければたたみの上にとどかざりけり」なんて歌もあるのだから、素直にただこの歌を味わっていればいいのだろう。
 だから、ばら(の芽)って季語じゃないの? だったっら、春雨と季語が重なっているんじゃないの、という疑問は放っておく。

 芭蕉には、「寂照宛真蹟書簡」からとして、以下の句がある。「行尊の「草の庵を何露けしと思ひけん洩らぬ岩屋も袖はぬれけり」をふまえる」のだという:

 笠寺や漏らぬ岩屋も春の雨   芭蕉

 行尊(ぎょうそん 天喜三~長承四(1055-1135))の歌というと、「おくのほそ道」の出羽三山の章で、芭蕉は旅の途路、岩場に腰掛けて、行尊の「もろともにあはれと思へ山ざくら花より外に知る人もなし」(「金葉和歌集」)という歌を思い出したりしている。
 芭蕉には、行尊は折に触れ思い出される歌人のようだ。
 実際、改めて「行尊 千人万首」を覗くと、いい歌が並んでいる。
 以下、春の歌を幾つか、転記させてもらう。是非、サイトへ飛んで、行尊の歌を評釈と共に玩味してもらいたい:

 春くれば袖の氷もとけにけりもりくる月のやどるばかりに(新古1440)
 まとゐしてもの思はざりしいにしへも静かなりしか夜半の春雨(大僧正集)
 木の間もるかたわれ月のほのかにも誰(たれ)か我が身をおもひいづべき(金葉536)
 木(こ)のもとのすみかも今はあれぬべし春しくれなば誰かとひこむ(新古168)
 この世には又もあふまじ梅の花ちりぢりならんことぞかなしき(詞花363)
 
「春の雨」のみをキーワードにネット検索すると、その冒頭に「春の雨」と題され、「昔、男がいた。奈良の都は離れて、この都(平安京)はまだ一般の人の家が決まっていないときに西の京に女がいた。その女は、世間の人よりは優れていた」云々と文章が続いている。創作なのだろうか。
 検索結果 約 18,800件のうちの11番目に登場するくらいだから、かなり人気があるのだろうと、覗いてみると、どうやら、「伊勢物語の紹介と研究のページです。美しい伊勢物語の世界へようこそ」というサイトの一頁のようだった。
 文中、「おきもせず寝もせで夜を明かしては 春のものとてながめくらしつ」(起きもしないで寝もしないで夜を明かして、それで今日は春の景物として長雨をぼんやり眺めながら暮らしました)という歌が詠まれている。
 この「「おきもせず」の歌は古今集恋歌三の冒頭にある業平の歌」なのだとか。

 冬のほうが夜長なのだろう。次第に朝の空けるのが早くなってきている。仕事柄、徹夜仕事となるのだが、朝の5時半前後となると、まだ暗い空なのだけれど、どことなく透明感が萌してくる。今朝にしても、6時過ぎには仕事を切り上げ会社へ帰ろうとしたのだが、車のフロントガラスに細かな粒が。雨滴? いや、雨の雫というのも大袈裟に思える細かな粒で、それこそ霧雨の先駆けのような雨の微粒子が来るまで走っているからこそガラスにぶつかって、気付かれてしまったというもの。
 それから十数分もしないうちに路面はすっかり濡れてしまった。未明から曇天のはずだったのである。なのに、5時半頃には夜の底を見透かせるかのような感じが漂い始めていた。
 ただ、未明から夜明けにかけての空は見慣れているはずなのに、何か色合いが気のせいか、僅かにベージュがかっているような不思議な彩りなのだった。曇天のせい? 空気が濁っているから? まさか花粉のせいで、ほんの微かだけれど、赤茶けて見えたのか?!

 それはともかく、夜の長さは春になり短くなってきている……はずなのだけれど、感覚的には春になりつつある今の方が長いような気がする。皮膚感覚が、春になり幾分か緩み、その分、時間をより精妙に感受するから、夜明けの時の移り変わりを長めに感じるのだろうか。
 秋の夜長。秋の長雨。秋の眺め。春も、結構、長雨のような感じがある。

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コメント

春のイメージは、「優しい」です。
だから、春雨と聞くと、
土砂降りの雨は想像しません。
ショパンの「雨だれ」なんかが浮かびます。
それと、やっぱり、霧雨かなぁ。

同じように凍りそうに冷たい雨だとしても、
春に降れば、樹木を育てる慈雨に思えます。
まったくもって、勝手な私の想像。
雨を降らせる神や精霊がいるならば、
失笑しているかもしれませんね。

投稿: Amice | 2005/03/11 23:22

夜明けの雨ですか。こちらは暖かですよ。
ホント明けるのが早くなりましたね。
遅起きの私でも、感じます(笑)

体調いかがですか?
今流行りの風邪はとにかく眠いようです。
プラス春モードで連日ふにふにと過ごしてます。

投稿: ちゃり | 2005/03/11 23:35

Amiceさん、「同じように凍りそうに冷たい雨だとしても、春に降れば、樹木を育てる慈雨に思えます。」というのは、ビンゴ!です。
「穀雨 (こくう) 」という四月の季語があって、「春の雨が穀物を潤すという意味です。昔の人は、この時期に種まきをしたんですね。植物には恵みの雨になるわけです。」というのです。

小椋佳作詞・作曲の「春の雨はやさしいはずなのに」に言及したかった。学生時代に聴いて、気に入ったのさ。

投稿: 弥一 | 2005/03/12 04:36

ちゃり さん、毎日、ユニークで暖かな句を披露してくれてますね。
そちらのほうは、暖かなのですね。
小生は、仕事柄、車中泊。夜明けの光景は、仕事のたびにじっくり付き合っている。我が仕事の特権というか僅かな余得です。
小生、疲れ気味。本日の季語随筆も、先ほど、ようやく書き終えた。書き始めるはずの時間に居眠りしてしまって。
春眠の季節ですね。日曜日は休みなので、惰眠を貪りたい、思いっきり。


投稿: 弥一 | 2005/03/12 04:41

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