春光・色の話
今日の表題の「春光」は、お馴染みの「春の季語(自然編-種類順)」によれば、「光輝く春の日光。また風向や景色」を意味し、類義語に例えば、「春の色 春色 春景 春景色」があるという。
表題を「春光」にしたのは、「色」のことを話題にしたかったからである。昨日、ラジオで色の話が出ていたが、仕事中でもあり、聞きかじりに終わった。記憶で鍵となる言葉をメモしておいたが、話の大半を忘失してしまった。
[ネットで調べたところ、小生が聴いた番組は、NHKラジオ第一の「気になることば」で、語り手は、梅津正樹(うめづまさき)さんだったようである。]
但し、色の話といっても、色事という時の「色」ではない。それだったら世の大方の人のほうが詳しいに違いない。多分、恐らく、根拠はないが。
そうではなく、信号機の信号の色、衣服の色、花の色である。
いろいろ調べるため、「春の色 季語」をキーワードにネット検索してみた。まさか、「春の色」が季語ってことはないだろうな、と思いつつ。けど、予想に反して「春の色」も立派な春の季語なのだった。もう、季語の世界は小生の想像力などまるで及ばないほどに広い。手に負えないほどだ。
「色(いろ) - 語源由来辞典」を参照させてもらう。
すると、「色とは、光による視神経の刺激が脳の視覚中枢に伝えられて生ずる感覚。色相・明度・彩度の三属性によって表される。特に白や黒を除いていう場合もある。色彩。カラー。男女の情愛に関する物事」とある。
今回は、生理学的な事柄は採り上げない。また、最後の「男女の情愛に関する物事」も、後日、機会があったらにする。
上掲の「色(いろ) - 語源由来辞典」によると、さらに「色の語源・由来」として、「色の語源は、血の繋がりがあることを表す「いろ」で、兄を意味する「いろせ」、姉を意味する「いろね」などの「いろ」である。のちに「いろ」は、男女の交遊や女性の美しさを称える言葉となった。さらに、美しいものの一般的名称となり、その美しさが色鮮やかさとなって、色彩そのものを表すようになった。」とある。
その上で、「赤(あか)」という言葉へリンクしてくれている。
夕べの話の(小生の思う)要諦は、古代には色の表現はなかった、あったのは、(色の)濃淡であり、明暗なのだ、という点だったと思う。
小生には全く意外な話である。
小生など、勝手な思い込みかもしれないが、例えば、「古代染」といったサイトにあるように、「紅花、藍、刈安、茜… 四季それぞれに移り変わる自然の美しい姿を眼に捉えて、数えられないほどの色名を造語してきた日本人。これほど、色の名前について豊かな表現ができる民族はいないのではないだろうか」という考え方・受け止め方をしてきた者の一人なのである。
これは、なんとしても、大雑把なことだけでも、色の表現について、調べておかないと気が治まらない。
話の中で、「赤(あか)」や「青(あお)」、「白(しろ)」などの語源などが採り上げられていたはずなので、「赤(あか)」へ飛ぶ。
(念のために断っておくと、「青」や」「赤」「白」などの漢字表記の由来を辿るというわけではなく、「あか」「あお」「しろ」という表現や言葉の淵源を探ってみようというに過ぎない。)
すると、「赤とは、血のような色。また、その系統の色。色の名の一。三原色の一。」とした上で、「赤は、明暗の「明か(あか)」と同一語源で、「暗(くら)」の「黒(くろ)」に対する語。そのため、赤には「明らか」などの意味があり、「全く」や「すっかり」などの意味でも使われる。赤色を表す言葉に「朱(あけ)」もあるが、この「朱」も同一語源。赤の漢字は、中国で「大」と「火」を組み合わせて作られた漢字で、「大きく燃え上がる火の色」を表す。」と説明されている。
おお、大分、昨日の話に近付いてきたような。
夕べ、聴いた話を曖昧な記憶を辿りつつメモしてみると、「明(あ)かし」→「赤」で、例えば、「赤の他人」という表現も、冒頭の「赤の」は、「明らかな」を含意し、明らかな他人、誰が見ても歴然たる他人という意味になるという。
また、逆に対語になるのか、「暗(く)らし」→「黒」なのであって、腹黒い人とは、胸のうちの思惑や考えが見えない人ということになるとか。
では、「青」は何処に淵源するかというと、夕べの話だと、「淡し」から由来するとか。未熟とは半端を含意していて、だからこそ、青二才という表現が成り立つのだとか。
ネット検索してみると、「色の万華鏡」というサイトが見つかった。
吉岡幸雄氏監修のサイトのようで、「日々、花草樹から色素を汲み出して、美しい日本の伝統色を染めたいと、工房で精を出している染屋の主人です。1年をとおして折節の細やかな移ろいを、色と文章で綴り、皆様に日本の色の万華鏡を送ります。」という性格のサイトだとか。
まさに、今の小生には、うってつけのサイトだ。
その「色の語源 色ということばのなりたち」という頁を覗かせてもらう。
「「色」をたどることは、その国の生活文化をたどることと同じだといわれます」に続き、「「色」は、色彩そのものとして現象するのではなく、かならず事物をともなって あらわれます。だから、色の名称も、風景や事物に託されることが多く、色の意味を追求すれば、それを表現する生活や風習が、そこにあらわれてきます。日本の「色」をたずねることは、日本人の生活や価値観や美意識をさぐる重要なてがかりといえるでしょう。」という。
ひたすら、拝聴するばかりである。
次に続く一文が重要で、「日本語の「色」は、もともと色彩の意味がなかったと言われています」というのだ。色に拘ってきた教養人には、日本語の「色」には、色彩の意味が日本語にはもともとなかったというのは常識なのだろうか。
つまり、「万葉集にもあるように「いろせ」とか「いろね」のように、兄や姉の敬称のように使われたり、「いろも」のように恋するものの呼び名として使われていました。だから、ひとを敬する、ひとを恋する言葉として使われてい」たのが、「それがだんだんと男女の交遊を意味したり、相手の女性の美しさをたたえる言葉となり、さらに美しいものの一般的名称として拡大され、その美しさが色鮮やかさにつながって、色彩そのものを指すようになっていったと言われています」というのである。
このサイトは発見だ。
さて、赤の語源がどのように説明されているか。「太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が「アカ」になったといわれています。日本の古代神話の中で、天照大神は天を照らす太陽神です。太陽は人に光を与え、植物を育む生命の源です。そう言う意味でいえば、「アカ」は、まさに神の色、聖なる色といえるでしょう。」という。
このサイトの中には、「赤の発見」という項があって、全文を転載したいくらいだが、自重する。
どうぞ、覗いてみて欲しい。
さらに、「青ものがたり」という頁があり、この頁も実に興味深い。ここでは、「青の語源」の一部だけ転載させてもらう。
が、「「あお」という色には、青、蒼、滄、碧などの漢字があてられます。「青」は、旧字体で書くと意味がよくわかります。中国古代(後漢時代)の字書「設文解字」(せつもんかいじ)によれば、「東方の色なり。木、火を生ず。生丹に従ふ。丹青の信、言必ず然り」とあります。旧字体の文字は、「生」と「丹」から成り立っており、「生」は、木を象形し、「丹」は朱系の色を示しています。五行説に従えば、「青」は丹つまり赤につながっていることになります。」とあるが、残念ながら、青という文字(漢字)の由来や語源ではあるが、日本語での「青」に至る経緯は書いてない。
けれど、「日本の青と藍のはじまり」という項も、全文転載したいようないい興味深い文章だ。
「色の日本史 第一回 古代人の色彩感覚」という頁があり、冒頭の【原始・古代の色ー呪術としての色】の項も面白いが、【古代人の色の感覚】の項へ飛ぶ。
「「日本書紀」や「古事記」などにでてくる 色は、あか、しろ、あお、くろの4つが主なものとされています。しかし、現代人のように色彩感覚があって色名が識別されていたのではなく、「明」「漠」「暗」の光の程度を表していたのではないかといわれています。」とした上で、「「あか」は、あざやかで明るいととらえられ、太陽に由来すると想像されています」「「くろ」は「暮れてくる」ことをさしていたと考えられています」「「あお」は、明と暗の中間の漠とした感じでとらえていたようです」「「しろ」は、夜が明けようとするときの「夜が白ける」という明るくなるときの状態をさしていたようです」と、それぞれに説明されている。
この吉岡幸雄氏監修の「色の万華鏡」は、実に内容豊富なサイトで、このサイトの頁を捲るだけで、十分以上に楽しいし、教えられるものが多い。下手に小生が抓み食い風に紹介するのも余計なお世話に感じられてきた。
このサイトの発見に導かれただけでも僥倖と思う。
色の道は楽しくも険しいようで、ほんのさわりだけのつもりだったけれど、それでも、眩暈しそうなほどの豊かさを実感させられた。ここに色事などが加わったら眩暈じゃなくて失神となるのかもしれない。
季語随筆らしいことは、今回は話を及ぼすことが出来なかった。
ま、追々ということで、今日はお終い。
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コメント
色には色彩の意味はなかった。
これは、大変興味深いですね。かなりビックリしました。
色の名前が、これ程多種多様になったのは、
一体いつ頃のことなのでしょう。
ま、それは、ちょっとおいておいて。
肌の色や目の色、髪の色などの組み合わせで、
人間の色のタイプを四季に見立てて4つに分けるのをご存知でしょうか?
それで、自分に似合う色を知ることが出来るそうです。
ちなみに私は「秋の人」。
ちょっとくすんだ色が似合うと鑑定されました。
好きな色は青なんですが、どうやら似合わない色のようです。
ちぇ。
投稿: Amice | 2005/03/11 22:37
「肌の色や目の色、髪の色などの組み合わせで、
人間の色のタイプを四季に見立てて4つに分けるのをご存知でしょうか?」
知らないです。詳しく知りたいな。
小生の好きな色は、紺色に近い青。一番、無難な色だと言われたりするけど。
Amiceさんは、「ちなみに私は「秋の人」。
ちょっとくすんだ色が似合うと鑑定されました。」、うーん、自分にないものこそが似合うのか、それとも、うちに深く秘められた世界を指摘してくれているのか。謎だ。
投稿: 弥一 | 2005/03/12 04:27