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2005/02/09

下萌(したもえ)

 表題の「下萌(したもえ)」は2月の季語であり、「早春の頃、枯れ草や残雪の中から草がわずかに顔を出し始めることを」言うとか。
Sizuku ONLINE」の「絵手紙」という頁では、似たような言葉に、「草青む(くさあおむ) 畦青む(あぜあおむ) 草萌(くさもえ)」などがあるとした上で、「草萌という言葉は草の方に重点があり、下萌は下、つまり地に重きをおいた言葉であるといえる。早春、まだ冬枯れの大地から、草の若芽が萌えだすと路傍も庭も野原も春の訪れを示しているかのようだ。下萌はそのような季節の感覚を明瞭に表現する言葉である」などと丁寧に教えてくれた。

 ホームページの掲示板にある方が、武道館の前を通ったら、ジャイアント馬場の七回忌記念試合が行われていたなどという書き込みをしてくれた。
 調べてみると、ジャイアント馬場が亡くなったのは、平成11年の1月31日だった。
 その前後には、米ソルトレイクシティー冬季五輪誘致買収疑惑で6委員追放処分を決定とか、厚生省が性的不能治療薬バイアグラを承認、佐渡トキ保護センターでトキのひなが誕生、男性向け発毛剤「RiUP」発売、山陽新幹線でトンネル壁落下などといったニュースが並ぶ。前年度の自殺者が32,863人で、統計開始以来最悪という情報も話題になった。以来、(昨年は分からないが)自殺者の数はずっと3万人台だとか。 
 またこの年には、ブルースの女王、淡谷のり子さんやソニーの名誉会長だった森田昭夫氏も亡くなられている。

 ジャイアント馬場に関心を持たれる方が居られるのだろう、掲示板では彼に纏わる書き込みが続いた。
 ある人が、「僕はジャイアント馬場という人に興味を持って全日本プロレスは以前見てました。電車の中で「中央公論」を読む馬場という人に興味持ったのです。しかし相次ぐ大量離脱などで全日本はガタガタになりました。晩年の馬場さんは水彩画など描いていたようですが、どんな心境だったのでしょう」と書いておられた。
 対して小生は、「晩年の馬場さんは、キャラクター扱いで、関根勤にモノ真似されたりギャグの対象でした(本人公認だと関根勤は言っていたっけ)。でも、笑って済ましていた。でも、亡くなる前の年の暮れにもリングで対戦したっけ(翌年の一月に肝臓ガンで亡くなったのだから、既に死を自覚した上での対戦だったのだろうか)。そもそも外国人レスラーを呼ぶのに熱心だったのは馬場さん。それがある意味、プロレスやK-1の隆盛を齎したとも言えるのでは。
 そんな尊敬すべき馬場さんを見かけたというのは、実に羨ましい。東京在住ならではの僥倖です。 水彩画を描いていたというのは、初耳ですが、キャラクター扱いされることを我慢しつつも決してプロレスに対する情熱を失っていなかったことは、上記のエピソードでも分かるはずです。 改めて、合掌!」と返事。
 別の人が、「日曜日(土曜日の深夜)にやっておりますね。馬場氏は外人レスラーからも尊敬されていたそうです」と書き込みしてくれた。
 対して小生は、「そうした話は小生も聞いていました。小生も尊敬していた。バラエティでコントの対象にされても、悲しげな笑みを浮かべていた。達観していたんだろうな」とか、さらに、以下のようなレスをした:

 ある本に載っていたのですが、
 ジャイアント馬場は、嫌なことがあると、ワシ(馬場さん)は唄を歌うんだよ
 何の唄?
「砂山ですよ」と馬場は言って、唄ってみせた…

 海は荒海
 向こうは佐渡よ
 雀啼け啼け もう日が暮れた


 新潟は馬場の故郷。望郷の念があったのだろうか。
「砂山」作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰
(転記終わり)

 小生は掲示板では「新潟は馬場の故郷。望郷の念があったのだろうか」と曖昧な表現をしている。調べてみると、彼は、新潟県立三条実業高校(現・三条商業高校)を高校2年で巨人に誘われ中退しているが、生れは、三条市らしい。
 だから、必ずしも佐渡生まれではないようだ(1938年1月23日生まれ)。けれど、新潟の地にあれば、山を背にしていると同時に日本海の海は折に触れ眺めたことだろうし、すると、天候に恵まれれば佐渡が横たわっているのが見える。
 さて、ジャイアント馬場の「砂山」についての逸話は、小生が昨日から読み始めた天沢退二郎他著『名詩渉猟 わが名詩選』(詩の森文庫、思潮社)の中に見つけたもの。このアンソロジーは、天沢のほか、池内紀、岡井隆、塚本邦雄、立松和平、坪内稔典、四方田犬彦らがそれぞれにアンソロジーを編んだり、好みの詩人について語っている。
 その池内紀が冒頭でこの逸話を紹介しているが、北原白秋の詩の一部を示したあと、池内紀は次のように書いている:

新潟県出身の馬場にとって、それは望郷の唄でもあったのだろうと、寺山修司は自分が編んだ『日本童謡集』のはしがきに述べている。平均的なものを優先する社会が、彼のような規格外の大男を、どのような目で見てきたか。今日のヘラクレスは、もはや見世物にしかなれないのだ。
(転記終わり)

 生まれながらの規格外の人間。馬場にとっての晩年、小生も書いているように、人柄が慕われて人の輪が広まりCMなどにも起用された馬場だが、同時にギャグの対象にもされていた。
 ただの憶測にしか過ぎないが、子供の頃の馬場は、さんざん、虐めの対象になったりしてきたのではなかろうか。大男だから、暴力での虐めの対象にはならないとしても。
 晩年の馬場の優しげな瞳を見ると、何処か悲しげでもあった。レスでも書いたように、達観しているとしか思えない表情だったのだ。

 せっかくなので、北原白秋作詞の「砂山」の全詩を示しておきたい(著作権も切れているし):

1 海(うみ)は荒海(あらうみ) 向(むこ)うは佐渡(さど)よ
  すずめ啼(な)け啼け もう日(ひ)はくれた
  みんな呼(よ)べ呼べ お星(ほし)さま出(で)たぞ

2 暮(く)れりゃ 砂山 汐鳴(しおな)りばかり
  すずめちりぢり また風(かぜ)荒(あ)れる
  みんなちりぢり もう誰(だれ)も見(み)えぬ

3 かえろ かえろよ ぐみ原(はら)わけて
  すずめさよなら さよならあした
  海よさよなら さよならあした 

 尚、作曲は、上では山田耕筰とあるが、他に、中山晋平作曲のものもあり、現在、『中学音楽1』(教育出版)には中山晋平のほうが採用されているようである(「北原白秋 『砂山』――新潟市寄居浜」より。このサイトには北原白秋が「砂山」を作詞するに至る経緯などが書いてある)。
まぼろしチャンネル - 昭和の思い出ネットワーク」の「[ああ我が心の童謡~ぶらり歌碑巡り]第18回 『砂山』」には、「大正11年の6月半ば、白秋は新潟市の師範学校で行われた童謡音楽会に出席しました。その席上、「新潟の童謡を作って欲しい」と依頼された白秋は、会が終わった夕刻に、学校の近所にある寄居浜を散策しました。その時の光景を、後に白秋はこう語っています」とした上で、白秋自身による作詞の際の寄居浜などの情景を書いた文章(『お話・日本の童謡』アルス社 大正13年 より[『白秋全集16』に収録]のもの)が載っている。
 全文、再転記したいが、そうもいかないのだろうか。
「驚いたのは砂山の茱萸藪で、見渡す限り茱萸の原つぱでした。そこに雀が沢山啼いたり飛んだりしてゐました。その砂山の下は砂浜で、その砂浜には、藁屋根で壁も蓆(むしろ)張りの、ちやうど私の木菟の家のやうなお茶屋が四つ五つ、ぽつんぽつんと竝(なら)んで、風に吹きさらしになつてゐました。その前は荒海で、向うに佐渡が島が見え、灰色の雲が低く垂れて、今にも雨が降り出しさうになつて、さうして日が暮れかけてゐました。砂浜には子供たちが砂を掘つたり、鬼ごつこをしたりして遊んでゐました。日がとつぷりと暮れてから、私たちは帰りかけましたが、暗い砂山の窪みにはまだ、二三人の子供たちが残つて、赤い火を焚いてゐました。それは淋しいものでした」
 もう、こういう文章を読んでいるだけで、無粋な小生までが詩人になったような気になる。
 詩の中にも文中にも出てくる茱萸(グミ)が気になる。どうやら、茱萸(グミ)の原というのは、砂防林として植えられていたらしい。
 参考に夏茱萸 (なつぐみ)の画像を見ておこう。
「「茱萸」の名前は、「含む実(くくむみ)」 (実を口に含み皮を出す意味)が変化して「ぐみ」になった。また、渋みがあるため 「えぐみ」から「ぐみ」になったという説もある」とか。また、「「茱萸」を「ぐみ」と読まず「しゅゆ」と読むこともあ」るとか。
 茱萸(しゅゆ)という意味でなら、小生は創作作品に幾度となく用いたことがある。使いたくなるというのは、なぜか好きな言葉だからだろう。けれど、茱萸(ぐみ)とも読めるとは知らないで使っていた。汗顔の至りである。
 夏茱萸 (なつぐみ)があるというが、秋茱萸も霜茱萸という季語もあるらしい。茱萸(ぐみ)だけだと、夏の季語ということになるのか(夏に実が成るから)と思ったら、秋の季語になるらしい(この点、まだ、確信が持てない)。
 このサイトを覗くと、秋茱萸は「果実が秋に熟するからである」として、「季語:秋茱萸、霜茱萸、茱萸酒、茱萸=晩秋」とある。ますます分からなくなった。

 表題は、「下萌(したもえ)」としている。「早春の頃、枯れ草や残雪の中から草がわずかに顔を出し始めることを」言うのだとか。
 立春を過ぎて、「さっぽろ雪祭り」が行われたり、サッカーのシーズンが近付いたり、さまざまなイベントが行われ始める。冬篭りしていた人々の活動も、いよいよ動き始める、さすがに啓蟄には気が早いとしても、何かもぞもぞする季節でもある、そこから話題を展開するつもりだったが、ちょっと脇道に逸れ過ぎた。
 茱萸と早春とをなんとか結び付けたいという野心も密かにあった。が、繋げられなかった。今頃、茱萸(ぐみ)はどういう状態にあるのだろうか。やはり、下萌と呼べる状態なのか、どうか。ああ、やはり実際に見ないと何とも言えない。
 涙さしぐみ(涙目)つつ、今日の季語随筆はいつも以上の半端さで終えることにする。
 まあ、今回は、読書家で絵画も好きだったというジャイアント馬場のことに触れられただけで良しとしておこう。
 

 
 下萌の胸の想いに氷雨降る
 公園や夜の帳に下萌る
 雨上がり濡れたブランコ下萌る
 下萌の疼く想いに重石載せ
 下萌の茱萸の芽求め足止める
 下萌で愚にも付かない句を作る
 下萌の季節に消えて何想う
 下萌の茱萸の原にて佐渡見しか
 胸焦がす思いも笑みと萌えるのみ
 
 汗駄句ばかりで申し訳ないので、子規の句を一つ:

 苦しさや戀の下萌ほの緑
 

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