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2005/02/28

比良八講(ひらはっこう)

 今日の表題に選んだ「比良八講(ひらはっこう)」(「ひらのはっこう」、あるいは、「ひらのはつかう」とも)とは、「比良大明神で叡山の衆徒が修した法華八講」のことで、「湖国に春の訪れを告げる恒例の法要「比良八講(ひらはっこう)」は、例年3月26日に大津市と周辺の琵琶湖で営まれ、僧りょや修験者らが、比良山系から取水した“法水”を湖面に注ぎ、物故者の供養や湖上安全を祈願する」ものだという(「歴史散歩・比良八講荒れじまい」より)。
 同サイトによると、「この法要は、比叡山僧が比良山中で行っていた修法。法華八講(ほっけはっこう)という天台宗の試験を兼ねた大切な法要で、戦後に復活された」とのことで、「この法要のころに寒気がぶり返し、突風が吹いて琵琶湖が大荒れになる。これは琵琶湖と比良山の温度差で突風が起こるものであるが、これを人々は「比良八講(ひらはっこう)」と呼び、この日を「比良の八荒、荒れじまい」の日として、この法要が終わると湖国にも本格的な春が訪れる、とされる」という。
 3月26日の行事のはずなのに、なぜか2月の季語扱いとなっている。
 文中にある「法華八講とは、8人の僧侶が法華経全8巻をそれぞれ朝・夕一巻ずつ4日間で読経する法会」だとのこと。
『源氏物語』に親しまれている方なら、法華八講などの法会の場面が出てくることは御存知なのかもしれない。

 法華経徒でもない小生がこの季語を2月の末になって採り上げるのは、実は過日、ラジオを聴くともなしに聴いていたら、浪曲は読経に淵源するという話を聞きかじったからである。
 但し、仕事中でもあり、聴き入ることもできなかったので、正確な文言は記憶に定かではない。
「浪曲 読経」をキーワードにネット検索すると、例えば、二番目に「次回の知ってるつもり?!」ということで、「お客様は神様です」というキャッチフレーズで一世風靡した三波春夫さん(以下、敬称略)を紹介するサイトが登場した。
 小生などは、まだ若々しくて、張りのある声で紅白歌合戦などで歌っていた三波春夫の姿がはっきりと浮かぶ。昨年の紅白では、新潟出身ということで小林幸子さんがトリを務めたが、三波春生が生きていれば、新潟県越路町生れの彼のこと、文句なしにトリだったに違いない。
 彼は、「16歳にして浪曲師としてデビュー」し、「チャンチキおけさ」で、さらには、「古賀政男作曲の「東京五輪音頭」」でブレークした。いずれも歌謡曲である。けれど、彼自身は子供の頃から父親に、また、年上の奥さんだった方にも浪曲を叩き込まれている。が、売れるのは、大衆性のある歌謡曲だったのである。
 小生は、彼の歌に迫力を感じながらも、彼の現役当時は、あまり好きではなかった。あまりに完成された芸を感じ取り、生活感が感じられないというか、歌謡曲とはいいながら、小生には時代遅れのような印象を受けていたのだと思う。
 それが、とんでもない勘違いであり、彼が芸においては勿論だが、シベリア抑留など、辛酸を舐めてきたことを、彼が現役を退いたか、それとも、亡くなられて特集番組を組まれた中での紹介で知ったのだった。遅きに失したのである。
 偉さを亡くなられ、生で(勿論、テレビだが)聴くことが出来なくなってから感じ取る我輩の愚かさ(美空ひばりについても、そうだったのだ!)。
 もう、二昔も前、「ひばりの佐渡情話」という映画をテレビで見たことがあるような。
 この「佐渡情話」というのも、かなりポピュラーな浪曲だったのだ。
 記憶をもっと辿ると、かの浪曲師・廣澤虎造の浪曲もテレビで見たことがあったような。自分で好きで見たわけではなく、父が見ていたので、仕方なくだったが、今から思えば貴重な体験だったのだ。

 さて、その小生には復古的で古臭いとしか感じ取れなかった浪曲も、時代を遡れば大衆芸能だったのであり、もとを辿ると、読経に至るというのだから、驚きである。驚く小生が無知なだけなのだろうが。
 小生がラジオで話を聞いたのは、恐らくは、玉川福太郎の話だったように思われる。多分、「ラジオ深夜便」の「浪曲に風が吹く」という番組で、「浪曲師 二代目 玉川福太郎」の話だったのだろう。
 残念ながら、ネットで検索しても、読経と浪曲の関係についての玉川福太郎の説明は見つけられなかった。
 その代わり、玉川福太郎に入門している玉川美穂子のブログサイト「たまみほ日記」が見つかった。
 職業は浪曲師・曲師(浪曲三味線弾きのこと)だとのことだが、奇しくも、誕生日が「三波春夫先生と同じ7月19日」なのだとか。緊張と挑戦の日々が綴られていて、読んでみて刺激的だった。

 また、「ようこそ はと の 里へ」というサイトにて、下記の一文を見つけた:

「阿呆陀羅経 
 明治以降,浪花節として大成する以前,その先行芸能として江戸時代末期から行われていた語りの一種。近世に入り山伏を中心に〈祭文 〉が芸能化し,法螺 貝や錫杖を伴奏に面白おかしく聞かせるようになり,次いで三味線を用いての〈歌祭文〉を生む。
 幕末近くに〈デロレン祭文〉とか〈ちょぼくれ〉〈ちょんがれ〉と呼ばれる祭文語りが輩出するが,阿弥陀経をもじった読経まがいの文句や節で忌談・ニュースまがいの文句を聞かせた〈阿呆陀羅経〉も同種のもので,次代に〈浮連節 (うかれぶし)〉を生み浪花節(浪曲)へと移っていくがこの芸のなかに”おろかで”・”こっけい”な事柄が随所に語られそれが、阿呆言葉を増殖していった。」
(転記終わり)

 ここに出てくる様々なキーワードを探れば、幕末から明治にかけての音楽文化の一端が垣間見られそうである。いつか機会を設けて、改めて探ってみたい。
 ところで、仏教の宗派によっては、演歌か浪曲かと思われるような節回しの読経を法事の際などに聞かせてくれると、仄聞したことがあるが、詳しくは分からない。誰か、知っていたら教えて欲しい。
 ネット検索だと、「京都宇治の黄檗山萬福寺の経文に節をつけて唱える梵唄を収録。朝課と晩課は大太鼓、大鐘、雲版、木魚など多数の鳴り物を打ち鳴らしながらの読経で、中国南部の発音とともに中国仏教の性格を色濃く残した黄檗宗の賑やかさとおおらかさが伝わってくる」ということで、「萬福寺の梵唄~黄檗宗声明の世界~ 黄檗宗満福寺」と題されたCDが見つかったが、さて、どんなものなのだろう。興味津々である。

 さてさて、浪曲も奥が深いし、まして読経などの歴史を辿ると、徹夜しても時間が足りるはずがない。
 さりながら、折々、何らかの形で触れてみたいものである。
 
「比良八講(ひらはっこう)」では、ちょっと句を捻ることは難しい。
 浪曲ばりに、うんうん唸っても、何も出て来そうにない。
「読経を聞き終わる頃足立たず」や「浪曲に読経を読み取る知恵もなし」では、情なさすぎるし、まして「黄檗の鳴り物入りは如何かな」や「読経を子守歌かと眠り込む」では不謹慎の極みだろうし、今日は駄句を吟じるのはやめておくか。ま、小生など、「比良八講ただただ畏敬の念と首を垂れ」なのである。

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