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2005/02/24

春一番

 昨日23日、東京(関東地方)では春一番が吹いた。「春一番」は、言うまでもなく春の季語だが、春の季語として定着したのは、比較的近年で、昭和34(1959)年刊の平凡社版『俳句歳時記』に登場して以来という。
 もともとは、「壱岐の漁師言葉を民俗学者の宮本常一が採用した」のが始まりだとか(「週刊:新季語拾遺バックナンバー 2001年1~3月」より)。
 では、春一番の由来はというと、「1859年(安政6)2月13日,五島列島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難してから,郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風を,春一または春一番と呼ぶようになったのが始まり」だという(「太陽・オゾンホール・天気・オーロラ・磁気嵐の科学」の中の「春一番」より)。
 この(長崎県)壱岐郷ノ浦町には、「春一番の碑」があるとか。遭難した53名の漁師たちの供養塔である。
 春一番の定義は如何というと、「立春から春分の間に初めて吹く暖かい南寄りの強風のこと。大まかな基準としては,東南東~南~西南西の風で,風速8m/s以上といわれている」とか(「太陽・オゾンホール・天気・オーロラ・磁気嵐の科学」より)。
 従ってというべきなのか、沖縄には春一番は吹かないという。
 春一番は太平洋上の暖かい空気なので、それまでの寒さが嘘のように或る日、不意に突風めいた風が吹きまくり、暖かくなる。

「温帯低気圧は,南方の日本海上で発生するため,西日本や東日本で観測されやすく,北日本ではあまり観測され」ないという。そういえば、小生が仙台に住んでいた頃は、春一番という言葉を聞かなかったような気がする。
 あるサイトを覗いたら、「仙台の場合は地形の影響で南寄りの強い風が吹きにくい」こともあってか、「仙台の気象台では春一番の発表はしてい」ないとか。
 小生のようなミーハーは、「春一番」というと、まず浮かぶのは、キャンディーズのヒット曲でラストソングでもある「微笑みがえし」である。「春一番が掃除したてのサッシの窓に」という歌詞がなぜか印象的なのである。ほんの数年前までは、春の陽気が感じられだすと、ラジオでリクエストが頻繁にあったようだが、最近は、めったに聴けなくなった。
 残念というと、キャンディーズが活躍していた73年から78年(ついでに言えば、解散前のピンクレディーが活躍していた76年から80(81年)も含め)の頃は、小生は下宿やアパート暮らしで、部屋には、ほんの一時期を除いてテレビがなかったこと。
 キャンディーズやピンクレディが往年のあのミニスカート姿で歌いまくり踊りまくる場面を現在進行形で見ることができなかったのは、返す返すも惜しい、痛恨の極みなのである。実に勿体無いことをした。帰省した際とか、外食の際に運良く彼女らのお姿を拝見して、いいなー、凄いなーと、溜め息というか涎(よだれ)頻りだったのものだ。
 彼女等以前にも、若い女性がミニで歌うことはあったが、男性ファンを意識している場合がほとんどで、若々しく眩しい肢体を曝け出していても女性ファンの圧倒的な支持を受けたのは、彼女等が初めてではないか。男性に媚びるのではなく、自分たちが踊り歌う主体なのだ、自分たちがエンジョイする、自分たちが自らの意志で輝きをアピールする、その突き抜けた感じが受けたのだろうか。
 ステージで派手な恰好で踊る。彼女等の活躍は、それを見て男どもがどう思おうが、そんなことなどお構いなしに、主体的に活動するそんな楽しみを与えた契機でもあったのだろうか。

「衣替え」という言葉がある。俳句の上では、「更衣(ころもがえ)」は夏の季語扱いとなっているようである。梅雨入りの頃、それまでの長袖が半袖になる、上着も羽織る機会が減っていく、衣服の変化が季節の変化と相関しているのだから、それはそれで「更衣」が夏の風景であることに理由があるのだろう。
 けれど、たとえば、昨日、春一番が吹く東京の都心をタクシーで流していて、女性達が、コートを脱ぎ捨てて(といっても、小生の目の前で脱ぎ捨てたわけではなく、恐らくは自宅を出るとき、乃至はオフィスを出るときにコートは置いてきたのだろうが)、中には上着も羽織らないで、薄手のセーター一枚で歩いていたりするのを幾度も見かけ(念のために断っておくが、セーター一枚というのは上半身の話で、下半身はスカートやパンツルックだった)、胸の形、肩のライン、背中から腰にかけてのラインなどがくっきり見えたりすると、小生は、なぜかドキドキワクワクソワソワムズムズしたりするのだった。
 まして、春の嵐に髪が乱れ、スカートの裾などが煽られたりなどしようものなら、一層、意味不明な独り言を呟いてしまいそうである。
 そんなこんなで、冬が終わって春が来るのを、女性の服装で感じ取ってしまう小生には、個人的な見解に過ぎないのだろうが、「更衣(ころもがえ)」を春一番の頃に重ねたくなるのである。
 ちょっと個人的な嗜好に走りすぎただろうか。
 ということで、一句:

 衣替え身も心もと思えども

日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET」の「季節のことば 春一番」によると、「春の強風については、地域によって、またニュアンスによってさまざまな呼び名がある。「春疾風(はるはやて)」は「春荒(はるあれ)」「春嵐」とも言って、やはり春の強風だが、その春になって最初に吹くのが春一番」なのだとか。
 また、「俳句のほうで中村草田男(「春疾風乙女の訪ふ声吹きさらはれ」)や石田波郷(「春疾風屍は敢て出でゆくも」)などが詠んでから、季語として注目され出し、普及した」という。
 他に、以下の句が紹介されている:

 春一番武蔵野の池波あげて   水原秋櫻子
 声散つて春一番の雀たち    清水基吉
 春一番山を過ぎゆく山の音   藤原滋章
 春一番二番三番四番馬鹿   三橋敏雄

 さて、春の風というと、「東風(こち)」などがあるが、これはまた、改めて採り上げる機会があるものと期待する。
 春の風を調べていたら、「風光る」あるいは「光る風」という季語もあることを初めて知った。「光る風」というと、小生などは、山上 たつひこ作の「光る風」(ちくま文庫刊)を思い出してしまう。この漫画などは、この数年、右傾化し保守化傾向を強めている今の日本にあって改めて読んでみてもいいような漫画だと思われたり。
 でも、重くて読めないか。上掲のサイトでも書いてあるけれど、ジョージ・オーウェルの「1984」も、山上 たつひこの『光る風』をも時代はとっくに置き去りにしてしまった、という感もなくはない。
 山上 たつひこ作の漫画というと、小生は、『がきデカ』を思う。「1974年に「少年チャンピオン」で連載開始されたそう」だ。
 その年の春、それまでの下宿暮らしをアパート暮らしに変え、場所も同じ郊外でも、平地ではなく当時の原付バイクでは登攀が苦しいような丘の上に引っ越したのだった。小生の隣りには半分同棲の男女がいて、時折洩れ来る音などに悩まされ、あれこれあったのだが、たまに、彼の部屋に女性がいない時には小生は彼の部屋に遊びに行くことがあった。
 その彼の部屋には「少年チャンピオン」があった。小生は、一貫して「少年マガジン」の愛読者で、35歳近くまでは、味や雰囲気も選択の際のポイントだが、最低限必要なのは少年マガジンが揃えてあるかどうかで、外食はとにかく少年マガジンのある店を選んで通ったのだった(さすがに三十過ぎてからは書店で手を出しにくくなった)。
 その彼は、『がきデカ』のファンだったらしく、よく、漫画に出てくる「死刑 !」などのギャグの真似をしてみせた。
『がきデカ』は、その後、テレビアニメ化されて、小生は、欠かさず見ていたものである。どうしてなのか、分からない。
 欠かさず見たというと、小林よしのり作の「おぼっちゃまくん」で、「ともだちんこ」など茶魔語は、バカバカしいと思いつつも、見ないではいられなかったのだった。但し、こちらは、漫画の本は一切、読まなかったし、読みたいとも思わなかった。彼は作家として、この作品がピークだったのではなかろうか。この路線を徹底させたら、さぞかしと思ったりもするが、ないものねだりなのだろう。
『がきデカ』や『おぼっちゃまくん 』辺りが好きだというところに、小生の感性や品性が現れているということなのだろうか。

 話がのた打ち回って、行方定めぬ我が人生のようになってしまった。春一番については、オートバイでのツーリングの思い出と絡めてとか、あれこれ語りたいことはあるのだけれど、また、来年、ということにしておこう。

 春の風煽られ歩く人とハト
 春の風路上のゴミの気掛かりで
 春一番猫に遅れて人も恋
 春の風生暖かさに梅も咲く
 梅の花ほころばせても春まだし
 春疾風スカート捲れ目は埃
 春一番麻布の山より吹き来るか
 春一番ビルの谷間じゃ目立たない
 
 春一番猫に煽られ人も恋

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