木の実植う
今日の表題に選んだ「木の実植う」も、何処か苦肉の策めいている。とりあえず、2月の季語である、「木の実植う(このみうう)」について説明しておくと、春先にさまざまな木の実を山などに植えることが背景にあるようである。
ネット上で見る限りは人気がない、それとも句に読み込みには馴染みがない、それとも、難しいのか、「木の実植う 季語」をキーワードにネット検索しても、ヒットする件数が今までで最低の10件だった。そこで、「木の実植う」だけで検索するも、27件なのである。
木の実を植える…。これが庭先の何処かに球根の類いを植えるというのなら、風景的によく見かけることだし、無粋な小生でさえ、そんな真似事をやったことがあるような気がする。
実際、「球根 植える」をキーワードにネット検索すると、2万件以上をヒットした。そのトップだけ、サイトを示すと、「球根を植える季節 - 大手小町 - YOMIURI ON-LINE」で、案の定、「計画的なガーデニングを目指すなら秋植え春咲き球根のことを考えなくてはなりません」などと縷縷、書いてあって、ポイントとして、「球根の植え付けは10月から11月に。チューリップ、クロッカス、ヒアシンスなど翌春花を楽しむ球根を植え付けます。日当たりの良い場所を選び、植え付け間隔は球根の直径の約2倍、植え付ける深さは球根の厚みの2倍程度を目安としますが、コンテにの場合は隣とくっつかない程度に密に、更に浅く植えるのがポイント。一般に種子から育てる草花より初心者にも育てやすく、花つきが豪華なものが多いため、楽しみが大きいものです」とも注されている。
「木の実植う」の場合、季語上は、あくまで山で木の実を植えるという制約(?)があるので、馴染みの風景というわけにはなかなかいかないのだろう…か。
上にてリンクした先の説明を転記すると、「春さき二・三月の候、さまざまの木の実を山に植ゑるのである。山に直植をする外に床蒔をすることもある。種は初冬拾つて置く」とある。
その上で、「我山に我れ木の実植う他を知らず」(泊雲)「櫟植う我に十年の壽あるべし」(奇北)「植うるもの葉広柏の木の実かな」(虚子)などの句が紹介されている。
別のサイトでは、「省みる植うる木の実と我が命」(山口笙堂)と並んで、「苗木植う(なえぎうう)」を季語とした、「それよりの國を興さむ植樹祭」(山本忠壯)「沙羅植ゑてわれ仰ぐ日のありやなし」(松下芳子)が紹介されている。類義語でないとしたら関連する季語ということなのか。
木の実にしても苗木にしても、まだ、寒気の抜けるには間のありそうな山にて植えるには、裏山が近いか場合によっては山自体を所有している必要があるのかもしれない。
けれど、誰かしらがそのような山の世話などをされているということなのだろう。現代では、多くは高齢の方によってということも考えないといけない…、転記した句を鑑賞すると、そんな事情などが読み取れるような気がする。
ところで、今日は、「2月の季題(季語)一例」によると、「鳴雪忌(2月20日、内藤鳴雪翁の忌日)」のようである。3年前、書店での衝動買いで『鳴雪自叙伝』(岩波文庫刊)を入手し読んだことがあって、ユーモアのある文章に好感を抱き、鳴雪には親近感を抱いている。それだけに彼を今日の表題に選ぶことも考えたほどである。
せっかくなので、本書の出版社側の謳い文句などを転記しておく:
幕末から明治維新,その後の社会変動を身をもって体験した内藤鳴雪(1847-1926)が,伊予松山藩の藩士として,教育行政官として,子規派俳句の重鎮として歩んだ生涯を詳らかに語る.おおらかで直截な語り口には独特のユーモアが漂い,幕末明治の士族の生活の様子など,著者ならではの貴重な見聞も多い.(解説=宗像和重)
(転記終わり)
「東雲のほがらほがらと初桜」や「元日や一系の天子不二の山」などの内藤鳴雪の句がネット(「俳句の里巡り」より)では見つかった。
さて、苦し紛れで「木の実植う」を選んだのは、土に関する季語を選びあぐねた結果なのである。昨日、読了した松井 章著『環境考古学への招待 ― 発掘からわかる食・トイレ・戦争 ―』(岩波新書刊)が面白く、紹介しておきたかったのだ(以下、松井章氏については敬称を略させていただく。尊敬のしるしとして)。
小生の偏った紹介で印象がよじれては困るので、例によって本書のカバー裏の謳い文句を示しておくと、「貝塚で見つかる骨のかけらから縄文人の食生活を推理し,遺跡の土の分析から古代のトイレをつきとめる――文献史学,動物学,植物学,生化学,寄生虫学などの研究成果を生かして,埋もれた過去の暮らしを明らかにする環境考古学の豊富な成果を紹介.日本各地と欧米のフィールドで知的なスリルに満ちた探索が繰り広げられる.」とある。
出版元の岩波書店では本書について、更に丁寧な情報をネットで提供している。
転記していいのかどうか分からないが、「(新書編集部 早坂ノゾミ)」手ずからの紹介なので、一部だけでも転記しておきたい:
古代の人々は、どんな生活をし、何を食べ、どこで暮らしていたのか。そんな疑問に答えるのに、従来の考古学者だけでなく、動物学、植物学、文献史学、生化学、昆虫学、寄生虫学などの研究者たちが共同して遺跡や遺物に取り組む。それが環境考古学です。本書はその環境考古学の最前線に立って、日本全国どころか韓国、アメリカ、ヨーロッパまでも駆け巡っている松井章さんによる、元気のよい入門書です。
「元気のよい」というのは、どこまでも前向きに新しい研究分野に立ち向かっていく著者の個性が、本書のすみずみにまで反映されているから、といえます。発掘された小さな骨のかけらや寄生虫卵・花粉の殻などを精緻に分類・分析していくと、縄文人の食卓メニューが推測できたり、トイレの歴史があきらかになったり、さらには戦争、殺人、差別、環境汚染などの深刻な問題があらわになってきたりと、大変人間くさい成果に結びついていきます。その過程は、まさに推理小説よりスリリングといってよいでしょう。
(転記終わり)
ショックというか、小生には耳が痛い(目が痛い?)のは、著者である松井 章氏の略歴を見てのこと。本書の中でも、大学時代のことなども書いてあるのだが、同じ大学の同じ学部であり、しかも、計算上は三年間は(あるいはそれ以上かも?!)同じキャンパスを歩いていた可能性があるということ。
方や懸命に考古学の基本をかの芹沢長介のもとで学んでいたというのに、小生はというと、その頃は(も)友人宅に週に二度か三度は泊まり歩いて哲学や文学・音楽談義、昼間はキャンパスでお茶をし、午後、気が向いたら講義に出席。合間にアルバイトなどをしつつ、友人宅に泊まらない時は読書三昧で夜を明かす、という生活だった。
彼我の差に愕然とする。
しかも、彼は先生に紹介してもらって渡米し、夜毎、百頁もの英文の論文を読んだりして一層、学問の基礎修得に励んでいる。彼は、行く先々の研究所などで勉強振りが認められて、他の研究所や学者らの下へと学びに行く。上の紹介にあるように、常に前向きであり、彼自身の言葉を使えば、少々「自信過剰気味」なほど楽天的なのである。
そうした人間味が本書の随所に現れている。というより、彼の研究生活全般がそうなのかもしれない。いろんな研究者と意気投合して語り明かし、議論沸騰し(喧嘩紛い? 相手はたとえば、当時奈良文研所長だった故・佐原真氏など)、その挙げ句、議論の相手に気に入られて、さらに研究者仲間の輪を広げていくという風なのである。
環境考古学というのは、小生には聞き慣れない、見慣れない言葉だった。図書館の新刊本のコーナーで本書を見たとき、即座に手にした。考古学の本というと、飛びつく小生だが、興味津々で、自宅では他の本を読んでいたので、タクシーの中に持ち込んで、待機中などに、時には休憩時間だからと自分に言い訳して、読み耽ってしまった。
さて、先に転記した紹介の中にもあるが、「環境考古学とはどのような学問か?」
即ち、「貝塚を掘ると貝層の中から貝殻はもちろんのこと、土器や石器、獣骨、鳥骨、魚骨などが数多く出土する。
戦前の考古学者は土器や石器を人工遺物とよび、貝殻、獣骨、鳥骨、種子、木材片、岩石などを自然遺物として分類し、前者は考古学者が、後者は自然科学者が研究するものと定義した。その結果、長い間、自然遺物は考古学の対象とは考えられずに軽視され続けてきた。敗戦後、その範囲は、さらに肉眼では見えない花粉、胞子、ケイ藻などに広げらるにいたった。」のだという。
さらに、「人間は環境に依存し、その一部を自分たちの都合の良いように改変しながら歴史を刻んできた。
環境考古学は、それぞれの遺跡を中心とした環境の復元を行い、その変遷をおうと 同時に、人々が自然環境をどのように利用して現在に至ったのかを明らかにする学問である。
したがって、人類史上、最大の農耕牧畜の起源の問題も環境考古学の最大のテーマとして挙げられるだろう。農耕牧畜経済以前の狩猟採集漁労活動の復元や、農耕牧畜の開始に伴って生じる遺跡内でのさまざまな遺物遺構の変化やそれによって引き起こされる社会変化に注目し、考古学的にどのようなアプローチが可能なのかを、私自身の生涯のテーマとして追求している」と、松井 章本人が説明されている。
引用などはしないが、「「環境考古学マニュアル」松井章 奈良文化財研究所」というサイトでも、松井 章本人がこの学問の基本的発想を説明してくれている。
本書の目次は、下記のようである:
第一章 食卓の考古学
第二章 土と水から見える古代
第三章 人、豚と犬に出会う
第四章 牛馬の骨から何がわかるか
第五章 人間の骨から何がわかるか
第六章 遺跡保存と環境
どの章も面白いのだが、たとえば第二章の「土と水から見える古代」は、さらに二つの項に分けられていて、「1.トイレの考古学」「2.農耕の起源を求めて」となっている。
小生ならずとも、トイレとか身の下の話は、誰しも興味の湧くところだと思う。スカトロジー(糞尿譚あるいは糞便学とも)というのは、身近なというか、間近というか、内輪というのか、ど真ん中の事柄なので、興味・関心がないというのは表向きはともかく本音では、ありえないのではないか。学生時代から、その手の本に親しんできた小生だが、その小生も表立っては話題にはしない。
いつかは『スカトロジー大全』をじっくり味読したいと思いつつも叶わないでいるが、とりあえずは、手元に、まるで座右の書であるかのように、大田区立郷土博物館編『トイレの考古学』(東京美術刊)があるので、せめてもの慰めである。
小生には、「ドキュメント 脱 糞 だ! 」という、小生が書いた文章で一番、反響があった文章などもあるので、好奇心でいいから覗いてみるのもいいだろう。
思いっきりの余談だが、我が敬愛する島崎藤村の世界的名作『夜明け前』の結末部分などは、人間の末路の悲しいさまを描いて、鬼気迫るものがあった。小生には、「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(1-17)」があるが、それより『夜明け前』に是非、挑戦してほしい。
そうはいいながら、小生、日本のスカトロジー文学の嚆矢とも言える(?)肝心の『落窪物語』を読んでいないのだから、お恥ずかしい限りである。
「糞」全般については、ネットでは、「ヒンズー教(古代インドで使われていたサンスクリット語)には陽の声「A」、陰の声「UN」が存在する。この考えは仏教にも取り入れられ、「A-UN」 という陰陽を表す言葉もある。これが漢訳され、金剛力士像で有名な「阿吽(あうん)」となった。その中国仏教では、大小便そのものを「吽(うん)」と呼び、肥溜めのことを「吽置(うんち)」と呼んでいた。これらの文言が、時の奈良時代に大陸より伝播し、日本の上流階級が使う言葉として定着したのが語源とされる」という記述なども読める、「糞 - Wikipedia」が勉強になる(アドレスはネット検索してください)。
映画では、AV事情などは不勉強で分からないが、学生時代だったかに観たパゾリーニ監督の『ソドムの市』が何故か今も鮮烈だったりする。
山田稔『スカトロジア 糞尿譚』(福武文庫、1991年5月)や安岡章太郎編『滑稽糞尿譚 ウィタ・フンニョアリス』(文春文庫、1995年2月)、林望『古今黄金譚 古典の中の糞尿物語』なども面白そうである。
この手の文献も興味も際限がなさそうだ。
さて、『環境考古学への招待 ― 発掘からわかる食・トイレ・戦争 ―』(岩波新書刊)は、トイレに限らず、土壌に埋もれ消えていくかに見える過去の遺物が最新の科学技術で掬われ拾い上げられる成果が示され、興味が尽きないのである。
戦争についていえば、戦跡考古学という学問領域もあると、本書を読んで初めて知った。カスター将軍の第7騎兵隊がインディアン(スー族)に殲滅された古戦場が発掘され、その戦いの経過などが次第に明らかにされる記述などを読むと、考古学の威力を実感する。
松井章は、「日本政府が声高に唱道する国際貢献といえば、他国に軍隊を派遣することか、資金を提供するだけだが、国家レベルでの考古学による国際貢献もあってよいと思う。第二次世界大戦で日本軍が隣国で行った戦争を、戦跡考古学の方法で解明することも、立派な国際貢献につながると思うのだが、皆さんはどのようにお感じになるだろうか」と、戦跡考古学の項の末尾で書いておられる。
小生は、大賛成だ。南京大虐殺はでっち上げだと、写真も捏造されたものだと一部で盛んに史実を糊塗しようという動きがあるが、こうした学問的な解明で実態が歴然たるものになるかもしれない。
ネットで調べて知ったのだが、現在では戦跡考古学が広く盛んになっているようだ。
また、一昔前だと縄文時代は争いごとの少ない時代と見なしがちだったが、こうした考古学の結果、それを戦争と呼ぶかどうかは別として、結構、闘いの跡も見つかっているとか。
さて、表題の「木の実植う」から、環境考古学に結び付けるのは、無理は承知の沙汰なのだが、それでも、大地への人の関わり・営みの一環なのだと思う。
江戸の世には人糞も売買の対象だったという。無論、畑などの肥やしにするためだ。小生の子供の頃も、家のトイレはポットン式で、家の庭には肥溜めがあった。人が田畑の実りを食べたものを排泄し、畑に撒き、土壌が肥え、野菜が実り、その実りを収穫し口にしていた…。そんなリサイクルがされていたが、この数十年、ひたすら<浄化>される対象となるのみだった。一つは衛生面での理由もあったのだが(この点も、本書に詳しい)。が、今、技術が進展を見せ、排泄物も改めてリサイクルの一環に組み込まれようとしている。
人が大地に関わることで、土壌さえも、その性格を、在り様を変貌させる。
環境考古学とは、土に考古学の鍬(くわ)を入れることで、埋もれていた果実を結実させる学問なのではなかろうか。
木の実植う大地の恵み実れとぞ
木の実植う果実拾うは誰あらん
木の実植う果実もぐは誰であれ
木の実植う時の流れの彼方見て
木の実植う我が身さえもが大地なれ
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コメント
なんだか いつも読んでいて私には 絶妙なコメントが浮かばないんだぁ・・学がない・・と言えばそのままですが・・(^。^;)
木の実を植える・・で反応したわけですが・・
実は今飼っているハムスターに「おいし草」という芝生のようなものを栽培している。
ちいさな 納豆のカップのようなものに脱脂綿をひいて種をのせて水を含ませて置くと・・芽が出る。というものです。
写真のようにわさわさ生えてこなくて・・かれこれ3週間ほどになるけど まだ与えていない・・
だってね・・そんなに時間をかけて作ったのに
10分も持たずに 全部食べられちゃいそうないきおいなんだもの・・~(-゛-;)~
球根と言えば・・小学生のころにヒヤシンスの水栽培とか・・植木鉢にチューリップの球根を植えた・・とかの記憶がありますが・・植えるにも時期とかお約束がいっぱいありなんですね・
今になって知りました。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
まったくここにふさわしくないコメントばかりですいません。
でもさ・・木の実を植えるはなしがトイレの考古学になっちゃうんですね・・と妙な感心をしながら・・
投稿: rudo | 2005/02/20 14:55
rudo さん、コメントする内容など気にしないでね。小生にしても、知っていることを書いているのではなく、書きながら調べ、調べながら書いているのです。書くのに一時間も要しないけど、数十から百以上のサイトを覗いて的確な参照サイトを見つけ出すのに二時間かかる。分からないことばっかりです。
小生の生活には実質がないみたいに、ふわふわ。
なので文章も、ふわふわと何処へ飛んでいくか分からない。屋上屋を重ね、駄弁を弄し、季語とテーマを無理を承知で繋げているのです。誰かのレスにも書いたけど、強引弥一の如し、なのですってば。
投稿: 弥一 | 2005/02/20 19:43