冬も去りゆくとなると寂しくなる
まあ、気紛れな呟きである。過日、ある本を読んでいたら、菅茶山(かんちゃざん)という名前が出てきた。久しぶりに垣間見る名前である。小生、名前であることは辛うじて分かった(文章の流れで、ではなくて!)。決して、日本地図を広げても、こういう名の山は出てこないはずである(まだ、確かめていないが)。
でも、不安になったので、例によって「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「菅茶山」の項を引くと、以下のようだった。地名が出なくて一安心。
「かんちゃざん くわん― 【菅茶山】 (1748-1827)
〔茶山は「さざん」とも〕江戸後期の漢詩人。本姓菅波。名は晋師(ときのり)。備後(びんご)の人。京都の那波魯堂に程朱学を学び、神辺(かんなべ)に帰郷して黄葉夕陽村舎(のちの廉塾)を開く。写実を旨とした清新な詩風で知られ、ことに田園詩が名高い。頼山陽の師。著「筆のすさび」「黄葉夕陽村舎詩」など。」
この説明には出てこないが、菅茶山は「近世山陽道の宿場町だった備後国安那郡神辺(現在の広島県深安郡神辺町)に生まれ」たのだとか。
小生のネット上の輪の中に、広島在住の方も何人となく居られる。広島を厳島神社や広島への原爆投下などでのみ知っているのは寂しいので、この際だから、ネットで調べられる範囲(その中の更に最小公倍数程度)を見てみようと思い立った。
上掲のサイトには、菅茶山の生れた「神辺平野は東西に開け、美しい夕日が見られます。その夕日の美しさは童謡作家 葛原しげる(1886~1961)によって作詞された「夕日」として今も唱い継がれています」とあって、その「夕日」のメロディをも流してくれている。ああ、あの唄かと、ある年代以上の方は、すぐに思い当たるだろう(見栄を張って、知らないと言い張らないように)。
せっかくなので、ここに歌詞だけ、転記させてもらう。メロディは上掲のサイトでどうぞ。ちなみに「とんび」なども作詞した葛原しげるも当然のことながら、当地の生れである:
♪ ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む
まっかっかっか 空の雲
みんなのお顔もまっかっか
ぎんぎんぎらぎら 日が沈む ♪
歴史に通暁する方なら、菅茶山を、塾頭には頼山陽や北條霞亭もなったことがある「廉塾」を開いた人としてもご存知なのかもしれない。
菅茶山の生涯や業績については、上掲のサイトにもあるが、より詳しくは、「伝えたいふるさとの100話 75 広島県(神辺町(かんなべちょう)) やさしく分かりやすい歌とともに学問を広めた朱子(しゅし)学者 菅茶山」を覗かれるのがいいだろう。
酒屋の生れで後に武士になったとか、「塾の名前はふるさとの山、黄葉山(こうようざん)と塾の裏を流れる高屋川からながめる美しい夕日から名付けたといわれてい」るなど、逸話が数々載っている。
興味を持ったのは、「この時期、漢詩の世界では見たものを自然に心のままに歌おうとする運動がありました。菅茶山はこれをやさしく、分かりやすい言葉で詠(よ)み、詩集「黄葉夕陽村舎詩(こうようせきようそんしゃし)」を刊行(かんこう)し、詩人としてもすぐれた足跡を残しました」という点。
「「冬夜読書(とうやどくしょ)」や詩吟(しぎん)でよく歌われる「宿生田(しゅくいくた)」などは有名」だというが、小生は初耳のはずである。
早速、ネットで調べてみたら、 「漢詩の世界」の中に、「冬夜読書 菅茶山」という頁があり、当該の漢詩が載っている:
雪擁山堂樹影深
檐鈴不動夜沈沈
閑収乱帙思疑疑
一穂青燈万古心
このままでは、雰囲気は感じるものの、読み下せない。「書き下し文」を示すと:
冬夜読書(とうやどくしょ) 菅茶山(かんさざん)
雪は山堂(さんどう)を擁(よう)して樹影(じゅえい)深(ふか)し
檐鈴(えんれい)動(うご)かず夜沈沈(ちんちん)
閑(しず)かに乱帙(らんちつ)を収(おさ)めて疑疑(ぎぎ)を思う
一穂(いっすい)の青燈(せいとう)万古(ばんこ)の心
小生が言うのも何だが、簡潔だし味わいも感じられるようである。紹介した頁には、「通解」や「語釈」も付せられているので、参考にされるといいだろう。こういう漢詩を書けないまでも味読できたら素晴らしいと思う。あるいは、夏ならば蛍の光、冬ならば月明かりのもと、書に親しめたら、世界そのものを深く味わえたら、味わえるような人間だったら、さぞや違った人生もありえたのだろうか。
では、「宿生田(しゅくいくた)」は如何。「無題ドキュメント:宿生田」という頁を覗くと、探していた漢詩が見つかった(ちなみに、「宿生田」は、「生田に宿す」と読み下す):
千歳恩讐兩不存
風雲長爲弔忠魂
客窗一夜聽松籟
月暗楠公墓畔村
上掲のサイトには、 菅茶山が漢詩「宿生田」を作った背景事情などの[解説]や、語釈も載っている。[通釈]や[鑑賞]も、とても参考になる。
小生同様、面倒臭がる方のため、[通釈]だけ、転記させてもらう:
長い年月を経た今日となっては、その昔、敵味方に別れて戦った南朝方も北朝方も消えてあとかたもなく、その墓所を訪ねる者とてない。ただ風が吹き、雲がただよい、自然の風物だけは、忠義のために戦死した楠公のみたまを永遠に弔っているのである。自分は旅の夜をここに過ごし、すさまじい松風の音を耳にしながら窓からかなたを見渡すと、月もどんよりと曇り、楠公の墓のほとりには、灯火ひとつ見えず、湊川一帯の村は、寂しさいわんかたないものであった。
(転記終わり)
この稿の眼目は、「冬夜読書(とうやどくしょ)」という漢詩にある。今日は寒の戻りとも表すべき寒い日だけれど、冬の終わりも間近いと、勘の鈍い小生も感じている。年を取るにつれ、寒さが身に堪えるようになってきたけれど、去り行くとなると、冬が懐かしく慕わしくさえ感じられたりする。
試験の前日になると映画が見たくなる、本を読みたくなるという心境、別れを告げてみると、顔も見たくないほどだったはずの去った相手が愛しくなる、そんな皮肉な気持ちに似ているのだろうか。
そんなこんなで、季語随筆日記からは、テーマ的に幾分離れたこの小文を番外編として綴ってみたわけである。
もし、今、感じておられる退屈の感をもっと自虐的なまでに強めたいという奇特な方が居られたら、小生の冬を巡るエッセイの数々を覗かれるのも一興かと思われる。
最後に、菅茶山を紹介・顕彰するサイトを幾つか:
「菅茶山遺芳顕彰会」
「菅茶山記念館」
「菅茶山肖像画 岡本花亭賛」
「福山誠之館・菅茶山」(ここでは、菅茶山の肖像画と共に菅(菅波)家略系図も見ることができる)
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