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2005/02/18

海苔

 今日は宇宙の話をちょっと。新聞などのマスコミでも話題になっていたお「最も遠い銀河団見えた」という話題に触れたいのだ。
 ただ、困ったことに2月の季語を眺めても、空、それも宇宙となると、なかなかそれらしい季語が見当たらない。
 仕方ないので、いじけた小生は海のほうに目を転じて、「海苔」を今日の表題に選んだ。「海苔」が2月の季語なのは、今頃が新海苔の収穫期ゆえのようである。この「清水哲男『増殖する俳句歳時記』」には「海苔あぶる手もとも袖も美しき」などという、かの『無限抱擁』の作家・滝井孝作の句が紹介されている。海苔は言うまでもなく、食用の海藻であり、類義語に「岩海苔 海苔舟 海苔掻く 海苔干」があるようだ。
 それにしても、いくらなんでも、宇宙の話題を出すのに、海苔ではあまりに懸け離れすぎているのではという声も聞こえそうである。小生の胸中からもブツブツと不満の呟きが煩かったりする。
 まあ、海苔は、「海」で、小生の好きな言葉が含まれていることもあるが、その際、小生は「海」という言葉に多くは宇宙を含意させていることが、かなり強引かもしれないが、理由の一つである。我々人類にとっては、海は地にあっての、もう一つの宇宙なのである。特に、日本に住む人にとっては。
 この、最後の、日本に住む人にとっては、という一言には、それなりの意味はある。
(最後尾に、関連する、但し、きちんとしたサイトを紹介する)

 そもそも、古来より日本に住む人は宇宙への関心が薄かったと言われる。日中はともかく、夜空を眺めて星々を、月を、天の川などを眺めたりする。松尾芭蕉に「荒海や佐渡によこたふ天河」という有名な句があるが、彼は本当に天海を肉眼で眺めたのだろうか。それとも、古来よりの伝統的な宇宙観に棹差していただけなのだろうか。
 まあ、芭蕉の句の場合、象徴性が窮めて高いので、理屈っぽい解釈にはそぐわないのだろうが。
(「佐渡に「横たわらぬ」天の川  -奥の細道300年-斎藤文一(新潟大学)」などを参照のこと。)
 それにしても、何ゆえ、日本に住む人は、星月夜を情緒的に眺めるに止まり、かぐや姫伝説にしても、中国渡来の話であって、宇宙の星座に独自に物語などを読み取り、あるいは思い入れていく稀有壮大な想像力を逞しくすることがなかった(少なかった、と言いたいが)のだろうか。
 この点については、既にどこかで書いたので、ここでは省略する。

 思いっきり簡略化して話すと、日本において天皇という称号(呼称)が導入されたのは、七世紀であろうと言われている。それは、当時、唐と呼ばれていた中国の思想に影響されてのもの(ここでは断言調で書くが略するため)。つまり、「中国唐代では、(支配者と同じ李姓である)「老子」の道教を国教としていたため皇帝のことを天皇と呼んでいた」ので、日本でも天皇という呼称が使われたのだろうが、本来は、皇帝という呼称を導入したかった。が、中国(唐)の手前、そうもいかず、当時、中国に盛んだった道教に因み、天皇という呼称に落ち着いた。
 ここに夜空を眺めるたびに中国の下に立つという何か精神的なコンプレックスが生じて、天界を素直には眺められなくなった、という俗説である。
 まあ、そんなことより、星、月、夜を情緒的にしか眺められないには、日本の風土性をこそ、まず第一に挙げないといけないのだろう。
 なんといっても、日本は湿度が高い。この湿度の高さというのは、天界を眺めるのに重大な支障となる。何処か高山の上にでもいけば、それなりに湿度も下がり、それこそ降るような星々に、無数の流れ星に、月光の凄まじいほどの輝きに、また、逆に星などを透かして見る天の窮め尽くし難い深さに驚倒してしまう。
 それでも、日本の文化や伝統、歴史を作り上げ、編み上げてきたのは、基本的に宮廷を始めとした都の人なので、時に数百メートルほどの山に登ることはあったにしても、数千メートルの山の頂に立つことは稀だったのだろう。
 歴史(言葉で書かれている)は都で、平地で、それも盆地で書かれたので、湿気の多い、地平線など思いも寄らない。ある意味、極端な言い方をすると井戸の底(湿度が高いとは、水の中にいるようなもの)で歴史を綴り、天を窺うように眺めているしかなく、結果として天を、やがては万物をさえも情緒的に眺めていくしかなかったという面があるのかもしれない。
 もっと付け加えると、歴史といっても正史は、勝者が書くが、伝統、特に文芸を中心とする文化は敗者が作るという見方もある。『万葉集』は、大伴家持が編纂したとされるが、彼は、既に宮中において複数いる豪族の一つになってしまい、最早、嘗ての天皇家を左右するほどの権力は全く失ってしまってからの仕事である。
 『古今集』は紀貫之の手になるが、「紀」氏一族も凋落の一途を辿る、そんな一族の最後の輝きのようなものだ。『新古今集』の撰者は、藤原定家で、天下を握った藤原一族の中でも出世競争から脱落(離脱)した方であることは周知のことだろう。
 勢い、情緒的、回顧的、叙情的、絵画的、音楽的などとなっていくしかない、そんな穿った見方も成り立ちえる。

 そもそも、日本の地に渡来した人々も、もとは、多くは海の民か陸の民だった。海の民には天界へのこだわりが強い、時に死活の事柄であることは容易に想像がつくだろうし、陸の民の場合も、日本列島の浜辺の、すぐ後ろに山が迫っている、地平線を見渡す経験などありえない、そんな狭っ苦しいものではなく、中国の平原、蒙古、さらには西南アジアの、砂や砂漠という陸の海なのであって、そんな大平原にあって旅するには、遠くの峠や、まして峠の茶屋など論外で、天界の星の位置関係が、航海の進路を決め、命運を決める死活の事柄だったわけである。
 夜空を情緒的に眺めることだってないことはなかったろうが、まずは、天にあっての、あるいは地にあっての自分(たち)の居場所を確認することが先決問題だったわけであろう。
 つまり、天界の動きや位置関係を知ることは、農耕にしても砂漠での移動にしても死活問題、現実の事柄だったわけだ。
 星座という物語も、そうした現実を背景にしての何千年、あるいはそれ以上の時の積み重ね、その時々に生きた人々の思い入れが土台としてあったればこそ、生れたと考えた方がいいのだろう。
 海図というと海を航海するのに必要だとは分かるだろうが、大陸にあっても、星などに頼る陸の航海がなされていたというわけである。
 そして、天文学も。
 けれど、日本列島に居住するうちに、本来の稀有壮大な感覚が日本の風土性に馴染むように<彫琢>されていったのだろう。花鳥風月、侘びと寂び、無常観、星月夜より雪月花への傾斜……。
(風土性を、ここでは、天文に絡めたので湿度などに焦点を合わせたが、以前、別の稿(地震・津波・俳句・川柳)で書いたように、列島の宿命というべきか、地震の頻発、火山、台風の襲来、などなどをも併せ考える必要があることは言うまでもない。)

 ここでやっと本題(?)に入る。実は、先週末、「宇宙の年齢問題に取り組んできた著者が語る、「時の誕生」を追い求める人類の物語」である、ジョン・グリビン著の『時の誕生 宇宙の誕生』(田島俊之訳、翔泳社刊)を読了したばかりだった。
 上掲のサイトには、「宇宙の年齢はどのように測定されたのか? ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから5年、「宇宙論最大の問題」であった宇宙とと星の矛盾は解消し、長い論争に終止符が打たれた」とあるが、それはちょっと言いすぎだろうが、とにかく、単なる宇宙の観測の歴史に止まらず、研究者として宇宙の年齢問題に携わった当人のドキュメントの部分が特に面白かった。
 が、宇宙論にも造詣の薄い小生が論評する余地もないと、感想文も書くのを躊躇っていたら、本書の読了を待っていたかのようなニュースが飛び込んできたというわけである(せっかくなので、松井孝典さんの書評を紹介しておく)。
 今年から新聞講読をやめている小生だが、今朝、仕事で朝帰りの際に、コンビニで食パンなどと共に朝日新聞の朝刊を、この記事を読みたいがために買ったのである。テレビでは今朝になってからは、あまり話題にならないだろうし。
 転記すると問題があるのかなと思いつつ、関連する部分を転記しようと思ったら、ネットでほぼ同じ情報が入手できるじゃん! 読むと、なんと、全く同じ記事だった。ただ、タイトルが違うけど。ネットでは時間を置かずに消滅してしまう(記事自体が削除されてしまう)ことが多いので転記しておく:

127億光年かなた、最古の銀河団発見 すばる望遠鏡

地球から光の速さで約127億年かかる距離の宇宙で、生まれて間もない銀河団を発見したと、国立天文台や東京大などのチームが17日発表した。ハワイのすばる望遠鏡で観測した。銀河の集団としてはこれまで知られている中で最も遠くにあり、従って最も古いという。宇宙の年齢は137億歳とするのが有力で、宇宙誕生から約10億年後の姿をとらえていることになる。

 チームは02年から03年にかけて、高性能のすばる望遠鏡でくじら座の方角を調べた。500個を超す銀河が見つかり、一部の密集している領域を再び観測。それぞれの銀河の位置や距離を正確に測定したところ、うち6個は地球から約127億光年離れ、直径300万光年の狭い範囲に集まることが分かった。

 数十個以上の銀河が集まる通常の銀河団に比べて数が少なく、質量も100分の1であることなどから、誕生直後の姿とみられる。米宇宙望遠鏡科学研究所の大内正己・研究員は「巨大な銀河団に成長する過程の最初の姿と考えられる。まだ分かっていない銀河団の起源を解明する手がかりになる」と話している。 (02/18 16:30)
(転記終わり)

 さすがに、朝日新聞朝刊の「最も遠い銀河団見えた 127億光年かなた すばる望遠鏡」という表題とは微妙にタイトルが違う。記事が全く同じなのに表題を変えるとは、なぜなのだろう。
 ネット(asahi.com)でも「地球から約127億光年離れた六つの銀河の集団。四角で囲まれた所に赤く光る銀河がある=国立天文台提供」という画像が今のうちなら見える。

 さて、宇宙や天界や古代の宇宙観あるいは宇宙観の変遷などに興味をもたれたなら、まずはネットで、たとえば、「天文民俗学への招待」などを覗いてみるのもいいかも。
 小生の古代日本における宇宙観についての話などあやういと思われる方は、「世界最大の迷宮へようこそ・日本」を入り口に、あれこれ調べてみるのも楽しいかも。うん、ホント、楽しい。
 表題の季語「海苔」については、語源が、「ヌルヌルするという意味の「ヌラ」がなまったものが「ノリ」になったといわれてい」ることなど、もっと書きたいことがあったが、既に長すぎる。我が句で締めることにする。


 岩海苔を宇宙の賜物と味わえる
 食む海苔の潮の香りのはるけくて
 炙る手の熱さもこらえ海苔を焼く
 炙る海苔深緑に変わるみゆ
 海苔はね二枚重ねて炙れと言う
 刻み海苔買って来いとや言われしか
 海苔嫌いでも炙る手の先見つめてる
 海苔炙る炭火の赤の懐かしき
 

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コメント

え?海苔から宇宙ですか!?
スゴイですね~(@_@)

先日はトラックバックありがとうございます。
記事にも載せて頂いて、穴があったら入りたい。。笑

投稿: ちゃり | 2005/02/18 23:31

あは、強引でしょ。強引弥一の如し、という諺が出来そうなほど。
トラックバック、まずかった? 迷惑だった?
でも、ちゃりさんの句の味わい、好きなのです。

投稿: 弥一 | 2005/02/19 04:02

夜空を見つめるのは好きです。
騒がしい昼間より、静かな夜のほうが、
身に合ってる気がします。
喜怒哀楽は激しいほうですけどね。
(雑記で、バレバレですか?)

農耕民族の日本人は、
夜陰に乗じて狩りをすることもなかったでしょうし、
見渡す限り、木の一本もなくて、
星だけを頼りに旅をするようなこともなかったのでしょう。
夜は、明日の畑仕事をするために英気を養うためのもの。
もしくは、愛しい人と睦み合うものであったとすれば、
夜空を見上げることがなかったのも道理ではないかと。

夜更かし不良主婦は、夜空を見上げますけどね♪
お月さん、お月さん、おぉ~~~~ん♪

投稿: Amice | 2005/02/19 18:07

Amiceさん、コメント、ありがとう。でも、「お月さん、お月さん、おぉ~~~~ん♪」なんて、女性版のオオカミになっちゃいそう。夜更かしは肌荒れの原因になるとか。気をつけてね。
夜空。東京は昨日から曇天や雨天で、拝めない。飛行機などに乗って雲海の上に舞い上がれば、きっと凄い星体験ができるのでしょうね。
でも、カントじゃないけれど、あまりの星々の眩さと数の多さに圧倒されるかも。
農耕民族の日本だけど、中国でも南部などはそう。ただ、大地が違う。それ以上に、農作業のスケジュールには星観察のデータが必要だけど、牧畜民、特にモンゴルの人々のように移動する必要がないから、それだけ宇宙観察の必要上の切迫感が薄いのでしょうね。
本文にも書いたけど、日本の文化や伝統(の表現)は、奈良や京都などの盆地でその大半が作られた。つまり、盆地の文化を引き摺っている。今も、是非は別にして、その桎梏からは逃れられない。
新しい文学表現や感性を作るのは、至難の業なのでしょうね。

投稿: 弥一 | 2005/02/19 20:53

日本人が星に関心がなかったなんてこと、ないですよ。

漁師さんなんかはそれこそ星を頼りに漁をしてたりしましたし、

たとえばカシォペアと北極星を結んで、イカリ星と呼んでいたり、

今出ている乙女座のスピカも真珠星なんていうすてきな名前があったりします。ちなみに、鰯星ともいって、漁の目安にしてたとか。

ミカン星というのもあって、愛媛などでは、ミカン農家が目安にしていたそうですから、
農業とも深い関わりがあるみたいですよv

また、オリオンの三つ星は親子星といって、両脇の親星が真ん中の子星を暖めているというエピソードもあります。

あと、蠍座はその形から、魚釣り星とか・・・

日本の星―星の方言集 (野尻 抱影)という本があるので、
見てみるとおもしろいですよ。


また、日本の昔話の浦島太郎の亀は元々オリオン座の
星からきているそうです。
スバルは竜宮城の子どもなんだとか。


ぜひ調べてみてください。
すっごいおも白いんで!!

投稿: たろう | 2006/04/20 01:14

たろうさん、コメント、ありがとう。
 一年以上も前の記事にコメントを貰って、嬉しいです。
 いろいろ興味深い話、小生にも面白いです。
 野尻 抱影は、星の民俗学、天文学を語るには逸することの出来ない人物ですね。冥王星の命名者だとか。彼は南アルプスの山などに登って星への関心を深めたとか。
 野尻 抱影については、是非、焦点を合わせて扱ってみたいと思います。
 改めて野尻 抱影や星を巡る市井の人々の関心に目を開かせていただき、ありがとうございます。
 また、いろいろ教えてください。

>日本人が星に関心がなかったなんてこと、ないですよ。

 勿論です。本文でも薄いと書いているだけです。中国やモンゴルなどの大陸、そして海洋で生活する民族との相対比較の話です。
 日本も古来より米作などよりも、林業などの山の営み(山の幸)と並んで漁業がメインの海洋国家だし、先祖の多くは海を伝って渡来したわけです。その辺りは本文に多少は触れてあるし、折々書いてきたことだけど。
 小生が薄いと書いているのは、主に日本の歴史(正史)を綴ってきた中央の文化人(貴族)を念頭に置いてのことです。
 その原因を推測するに、日本の湿度の高い地理的なものが関係するのだろうということです。
 それに対し、漁民や山の民など、表の歴史関係の文献には小さく扱われる人々には星の位置関係の知識は、時に死活問題だったわけだし、そうでなくても、夜空の星の数は想像を絶するものがあるとか。山に登ると少しだけ実感することができるけど。

投稿: やいっち | 2006/04/20 12:23

そうですか(^0^)
なんか差し出がましいまねをしちゃって申し訳ありません;
じつは、日本の星で、流れ星の唱え言葉について検索していて、ここのたどり着いたので、他の記事は見ていないんです(@_@;)
山登りいいですね。実は私はまだ高校生なので、
夜に山とかあんまりなくて;;
できたら今度いってみたいです!!

投稿: たろう | 2006/04/21 21:34

気が向いたら、また来て下さい。
山。登山という大袈裟なものでなく、ちょっとした高原でも随分、違う。星の数が凄いし流れ星も。

投稿: やいっち | 2006/04/22 07:12

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