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2005/02/17

薄氷(うすらい)

 今日の表題に選んだ「薄氷(うすらい)」は、平仮名で表現するときは「うすらひ」なのだとか。2月の季語である。季語上は、決して「はくひょう」とは読まないようである。
「春先、蹲(つくばい)や池の面に薄く張る氷」を言うとか。「春になってからうっすらと張る氷」なのであり、類義語に「残る氷 春の氷」などがあるとは、昨日も紹介した通りである。
 念のために注記しておくと、「蹲(つくばい)」とは、「石造りの手水鉢」のことで、「茶客が平伏して手を洗い清めるところから「蹲」(つくばい)と呼ばれ」るのだとか。
 冒頭にリンクしたサイトには、「日の滲み水のにじめる薄氷」(鈴木石水)「薄氷を置きつくばひを封じたる」(辻本斐山)「輝いてかがやいて消え薄氷」(三村純也)などが紹介されていて、本日の季語随筆日記は、もう、これでお終いにしてもいいようなものである。
 これでダメなら「会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷」という「黛まどか「17文字の詩」98年2月の句」で見つけた句を味わうのもいい。
 この「薄氷」は、なかなか人気のある季語のようで、ネット検索にもなかなかの数の句の例が見つかる。これが「初氷」となると冬の季語だというから、季語の世界、俳句の世界というのは、実に微妙で繊細且つこれだから素人にはうっかり手が出せない世界となってしまいそうな気もする(既になっている?)。
 まして前日にも紹介したように、「春の氷・春氷・氷解(こおりどけ)・流氷」などの類義語があるのだから、日常何気なく出てくる言葉だからといって、うっかり使うことも出来ないのだ。

 さて、いよいよ本題に入るわけだが、悲しいかな、表題と本日のテーマとは、なかなかすんなりとは結び付かない。昨日以上にこじつけ気味となる。
 ただ、氷が溶けて水となって小川などに流れ、やがては海に達するとか、もっと大規模には氷河期の終わり、逆に間氷期の終わりなど、氷の溶解と海進(逆に結氷)といった地球環境の大変貌が生物の進化に直結しているのだという前振りで、採り上げたい本である、カール・ジンマー著 『水辺で起きた大進化』(渡辺政隆訳、早川書房刊)のちょっとした紹介に移りたいのである。
 といっても、まだ、読み始めたばかりで、週末に残りの大半を一気に読むつもりでいるのだが、今日、読んだところで、小生のアンテナに引っ掛かった部分があったので、メモというか、当該部分を転記しておきたいのである。
 多分、大概の書評にも本書の主題に関係ないとして言及されることはないだろうし。
 転記を読んで、本書について偏った印象を持たれては失礼に当たるので、本書の表紙裏にある謳い文句をまずは転記しておく。何しろ、「パキスタンで発掘された四つ足を持ったクジラの祖先の化石からクジラが誕生する進化の過程を想像するくだり」(「「進化」を続ける進化論   森田暁 博物館プランナー」より引用)など、本書の醍醐味の部分はこれからなのである:

 38億年前の生命の誕生以来、地球上にはじつに多種多様な生物が生れてきた。この生物進化というドラマのなかで、もっとも劇的な変化の舞台となったのが、海と陸とをへだてる"水辺"である。かつて水辺では、"魚が海から陸へあがる"という進化史上の一大事件が起き、さらに陸にあがった生物のなかから、クジラのように水中生活へと戻っていくものが出現している。この2つの"大進化"がなぜ、どのようにして起こったのかという謎が、進化生物学者たちを長年にわたって悩ませてきた。
 しかし、近年の分子生物学などにおける長足の進歩が、状況を一新した。魚のひれが指のついた手へと変わっていった経緯や、クジラが何から進化したのかという類縁関係が最先端の研究によって解明され、驚くべき真相が明かされるにいたったのだ。
 気鋭の科学ジャーナリストが、進化学草創期のエピソードから、今日の研究現場の臨場感あふれるレポートまで、興味のつきないトピックをまじえて綴る、水辺をめぐる変身物語。古生物の在りし日の姿を再現したイラストも多数収録。
                          (転記終わり)

 さて、小生がちょっと感じ入ったのは、必ずしも本書の主題に直接は関係しないのだが、論の展開の途中で紹介されていたある人物の人間ドラマだった。
 その人物とは、あのチューリングマシンチューリング・テストなどでも有名なアラン・チューリングである。コンピューターの基本概念(原理乃至は論理的モデル)を作り上げた天才としても知られる。
 但し、本書の中でも、その点について説明されているが、ここでは省略する。いずれ、本書についての書評感想文を書く機会があったら、改めて紹介するかもしれない。

  さて、肝心のアラン・チューリングの人間ドラマの部分を転記する:

(前略)チューリングは、たった四つの規則を設定するだけで、その機会には足し算ができることを示した。さらに規則を加えれば、かけ算もっできた。そして最終的にはチューリングは、十分な数の規則と紙テープを供給すれば、このチューリングマシンにはどんな計算でもこなせることを示した。この論理演習は、コンピューターが発明される土台となった。
 第二次世界大戦中、英国陸軍はチューリングの頭脳を専有した。彼は、ナチスの暗号システム解読で主導的な役割を果たしたのだ。暗号解読の鍵は、チューリングマシンが実行する処理法をまねするというものだった。戦後、彼は世界初のコンピューターを作る研究に協力した。しかし、ちょうどそんなときに、彼の人生のテープはほつれてしまった。10代の頃から、彼は自分がホモセクシャルであることをひた隠しにしていた。40歳のとき、彼は映画館の外で若い男を拾ったのだが、その数日後、自宅が荒らされ、コンパス、靴、魚用ナイフなどいくつかの品物が盗まれていた。犯人はその少年だと思い、警察に届けたのだが、それが裏目に出た。泥棒が愛人であることを知った警察は、チューリングを性犯罪の罪で逮捕したのだ。刑務所に入るかわりに実験的なホルモン治療を受ける屈辱を選んだチューリングだったが、暗号解読とコンピューターの研究からも追放されてしまった。その二年後、ベッドに横たわるチューリングの死体が発見された。シアン化物に浸したリンゴによる服毒自殺だった。
                     (転記終わり)
 
 これがもう少し時代があとなら、彼は自殺せずに済んだのだろうか。実験的なホルモン治療など受けずに済んだのだろうか。
 とにかく、屈辱に塗れるまでの「最後の数年間、チューリングは生物学の問題に長時間取り組んだ」のだった。
 それが、形態発生学への寄与に至るわけで、そこからが本書の主題に関わるわけである。その専門的な内容などは別のサイトに譲る。機会があったら、その点も転記するなりして紹介したいものである。
 当時としてはキャリアの上で致命的な汚点をひた隠しする人生は、薄氷を踏む思いの日々だったのだろうか。
 それとも、ゲーデルではないが、知的に並外れた知能を持っていること自体が、凡人には想像も付かない尋常な精神の枠を越えかねない瀬戸際に立ちつづけることだったのだろうか。
 アラン・チューリングの業績や人生についての全般的なことは、「アラン・チューリング Alan Mathison Turing チューリングマシンの考案者」なるサイトが、簡潔で素人の小生にも助かる。「2時間46分の記録を持つマラソンランナー」で、「一時は本気でオリンピック出場をめざしたこともあ」り、「マラソンは毎日15マイルを欠かさなかった」なんて逸話も教えてくれる。
 返す返すも狭隘なモラルに制約されなかったらと思うけれど、これも、たらればの話しに過ぎないのだろう(か)。道徳というのは、人間にとっては他の生物にとっての環境に相当するものなのだろうか。

 さて、季語随筆に戻る。改めて、「薄氷 季語」でネット検索したら、「薄氷は『万葉集』に出る言葉であり、古典語としては冬のもの。ところが、近代において春の季語として定着した。ウスライの語感には触れればすぐに溶けてしまいそうな繊細さがあるが、そんな繊細さが早春の気配にぴったりだとみなされたのだろう」という記述が見つかった(「週刊:新季語拾遺 最近のバックナンバー
2003年3月30日
」にて)。
 えっ? そうだったの。早く言ってよとばかりに、調べてみる。すると、「佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらび)の薄き心を我が思はなくに」という歌が見つかった。氷上大刀自の歌だとか。
 さらに、「水無瀬恋十五首歌合 ―冬の恋―」の中に、「しばしこそよそにみぎはの薄氷とけではやまじ結ぼるるとも」という歌が紹介されているが、その評釈に「薄氷―恋人との縁が薄いことや、相手の心が薄情であることなどを暗示する」などとある。
 ところで、上掲の「週刊:新季語拾」には、「ところで、冬に張った薄い氷はなんて言うのか。先日、そのことをめぐって私たちの句会はにぎやかな議論になった。「冬の薄氷」などと言うのは変だし、はて? 」と書いてあるが、我々が既に知っている「初氷」という季語とは違うのだろうか。

 パリパリと薄氷割りし帰り道
 薄氷の模様を透かす池の鯉
 薄氷を手に持ち駆けし子らの影
 薄氷と思って割ればガラス板
 薄氷を二人で溶かす熱さかな
 薄氷に薄日の届く朝の庭
 
[ 「薄氷(うすらい)」は、「うすらひ」 とも仮名表記し「薄ら氷」と表記することもあるようだ。あるいは後者が正式なのか。「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」によると、「「うすらび」とも。薄く張った氷。うすらい。うすごおり。[季]春。《薄氷の草を離るゝ汀かな/虚子》」とある。「薄ら氷」の「氷」を「ひ」と読むのは、「氷室(ひむろ)」や「氷川神社(ひかわじんじゃ)」、「氷雨(ひさめ)」などの例で想像は付くかもしれない。では、そもそも「氷」を「ひ」と読む由縁は一体、何処にあるのか…。分からなかった! 誰か教えて。 (0502/19 追記) ]

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