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2005/02/14

バレンタインの日

 今日の表題は、「バレンタイン」である。2月の季語だとか。確かに日付的には納得できるが、季語のうちに取り込まれるようになったのは、きっと新しいのだろうと推測される。
 小生には無縁の日だが、触れずに済ましたりすると忸怩たる思いに駆られそうな気もするし、持てないからこの季語を避けてとおるのだろうなどと痛くもない(こともない)腹を探られるのも癪なので、採り上げる。
 そう、「かにかくにバレンタインといふ日かな」(黛まどか)なのである(「黛まどか「17文字の詩」2002年2月の句」より)。但し、「そんな騒ぎには少し食傷ぎみであっても、まったく無視するのも寂しいもの。バレンタインデーというお祭りを、せっかくならば楽しんでしまわなければソン! とやかく言っても、やっぱり華やかなバレンタインデーなのですから」とは思うものの、我が生涯において親から貰ったチョコ以外には、義理チョコも大義理チョコ(一袋百円のパックの中の一粒の類い)しか貰ったことのない小生には、季語随筆で多少、羽目を外した随筆振りを楽しむしか能がない。
 さすがに「バレンタイン 季語」でネット検索すると、約 3,530 件をもヒットする。他の季語だと数百件がやっとという中にあっては例外といえる殷賑(いんしん)ぶりである。
 バレンタインデーの由来などについては、雑誌などでも語り尽くされているし、ネットでもすぐに情報は入手できるので、改めてここに採り上げること必要もないだろう。本来は宗教的に意義ある内容をもつものなのに、愛の交歓の契機にされるというのは、日本だけの現象なのだろうか。

 日本においてバレンタインデーにチョコを贈るという習慣も、特に女性などは事情に詳しいのではないか。
 それでもネット検索するのも面倒だという危篤な方も…じゃない、奇特な方もいらっしゃるだろうから、小生が成り代わって危篤に…じゃなくって、関連する頁をリンクさせておく→「チョコレートにまつわるトリビア 「バレンタインチョコは・・・?(2154)」
 要はある有名デパートの、商戦上、閑散期である今頃の時期にいいアイデアはないかと考え出した苦肉の策がズバリ当たったというわけだ。その有名デパートの関連会社でバレンタインデーとは無縁な小生がアルバイトしたり、ついには社員になったりしていたのだから、世の中は皮肉である。

 小生は、今日も一人、部屋で悶々としているのだが、昨日は、久しく音信普通だった方が来訪してくれたりして(といっても、ネット上でのことで、本人さんが我が居宅を訪れたというわけではない)、あるいは、サイトを閉じていた方が、こっそりと秘密サイトのアドレスを教えてくれて、夜中にこっそり忍び込んでみたりして(でも、小生のこと、つい、よせばいいのに書き込みなどして、侵入が露見してしまったのだけれど)、まあ、いろいろあって、チョコよりはちょこっと嬉しいバレンタインプレゼントになったのだった。
 つくづくと思うけれど、小生などが中学生や高校生の頃は、バレンタインデーに女性が男性にチョコを贈るという風習(?)は、あまり盛んではなかった…、けれど、あることはあった…、たった今、苦い思い出が蘇ってしまった。
 書くべきか書かざるべきか…それが問題の時は、書いてから考えるのが小生の習慣である。都合が悪かったら消せばいいのだし、その前に誰も読まないと思ったほうが実情に近いという寂しい現実もなくはない(ある!)。
 そのバレンタインデーにちなむ悲しい思い出というのは、中学校の卒業間際の頃の話。学校は三学期も終わりに近付いている。特に三年生は高校受験の結果も出ていて、ほぼ全ての奴等は高校進学や逸早く社会人になることが決まっていたりと、それぞれに進路が定まっている。特にすることとて、ない。
(尤も、小生は、なんとか高校に進学が決まったけれど、小生にはレベルが高い学校で、入学してもみんなに付いていけるか心配で、高校の教科書を買い求め、高校の入学までの春休み期間に懸命に勉強したものだった。小生が勉強に腋毛も剃らず…じゃない、わき目もふらず一心不乱に勉強したのは、高校入学前の春休みから入学した当初の中間試験までの三ヶ月ほどだけだったと思う。)
 春休みが間近…、高校など進路も決まっている…、授業もない、放課後という概念からもしばらくは無罪放免…、そんな中、そわそわむずむずしているのが周囲の誰からも明らかなやつ等がいる。
 そう、告白タイムが迫っているのだ。クラスの女性陣が、それぞれに自分の好きな男の子にリボンなどを可愛く巻いたピンクの箱を手にチャンスを伺っている。あ、あのA子が誰かに贈った! へえ、あの子、あいつが好きだったのか、さっぱり気がつかんかった。お、今度は、B子が誰それに恥ずかしげに、でも、みんなの視線も憚らず堂々と贈った。 
 そうだ、もう卒業なんだから、今更、誰彼に気付かれたって噂が立つはずもない。立ちようもない。
 と、その華々しさに圧倒されながらも、ボケーと見ているのは、我輩である。
 その壁の花どころか壁の穴している我輩の脇を、小生が好きな女の子がスーと通り過ぎていく。過ぎ去りゆく瞬間の、風の感触が今も残っている。そのC子は、何処へ行く…。と、胸の高鳴りは、当の女の子より高鳴っている我輩の目の前で我が憧れのC子は、クラスで一番を争う恰好いい男の子にピンクの包み紙の小箱を手渡ししているじゃないか。
 百年の恋という言葉があるが、小生がその女の子に好きという感情を抱いたのは保育所の時代からだった。小生の家から歩いて数分のところにその子の家がある。さらに一分ほど歩くと、小生が通っていた(それとも親に連れ込まれていた)保育所があったのだった。
(ちなみに、保育所の近くには我が家の飛び地となっている田圃があったが、数年後、その田圃跡に保育所が移転したのだった。どうでもいい、これこそ本物のトリヴィアなる歴史知識でした。ついでに言うと、保育所ではよく鼻血を出したものだった。)
 小生には清楚そのものに思えたC子の大胆な行動に呆気を取られたが、つまりは保育所以来の我が切ない初恋はその日その時、儚く潰え去ったのである。約10年ほどの淡い恋心の終焉だった。
 その間、小生が他の子に心を奪われなかったかというと、そんなこともなく、小生がその子に意地悪などしなかったかというと、それもさにあらずで、スカート捲りをする勇気というか無謀さはなくて、通りすがりにお尻を平手で<叩く>と<撫でる>の中間の曖昧なワンタッチをした程度の悪さをしたようで(いや、しました!)、まあ、嫌われて当然、相手にされなくて、しっかたないかなーではあるが、ショックであり落胆そのものだったのも事実なのであった。
 もしかしたら高校入学までの春休みの期間中、必死に勉強したのもその鬱憤を晴らす意味もあったのか…。うーん、小生にそんなガッツがあるわけないか。
 貰った男の子は、その小箱を恥ずかしげに、でも誇らしさをぐっと押し殺しながら、包み紙を開けていたっけ。
 その日がバレンタインデーだったかどうかは覚えていないが、小生の記憶の中では涙のバレンタインデー事件として刻印されているのである。

 バレンタインデーオレの心もバレンタインデー

 と、ここまで書いてきて、ふと、あれ、何を書くつもりだったっけと振り返ってみる。「つくづくと思うけれど、小生などが中学生や高校生の頃は、バレンタインデーに女性が男性にチョコを贈るという風習(?)は、あまり盛んではなかった…」が、ネックになったのだ。
 そう、小生は、小生の中学や高校の頃に、今ほどにバレンタインデーに女の子の誰彼もが騒ぐようであったら、もらえない小生は、打ちのめされ、人生に失望し、今でも相当なものなのに、それが今よりもっといじけた人間になっていていたに違いにない、ああ、あの頃は、今ほどバレンタインデーが騒がれなくてよかった、云々と書くつもりだったのが、つい、余計な思い出が蘇ってきてしまったのだ。
 ああ、今も小さな胸が大きなお腹の上で傷んでいる…。

 余計ついでに注記しておく。
 つまり、我輩の切なる拙句「バレンタインデーオレの心もバレンタインデー」の意味合いについてである。
 自作を自分で説明するのは、自作の駄洒落を自分で説明するにも似た自虐的な快感があったりするが、その気持ちを抑えて、敢えて説明しておく。野暮な我輩だからこそできる所業、大サービスである。
 冒頭のバレンタインデーは、そのままであると思っていい。オレの心は、オレの心で、誰にも分からないといえば分かる値打ちもないものだが、まあ、字義通りであるよりない。
 問題は、最後の「バレンタインデー」なのだが、言うまでもなく、心がバレル(露見する)と、心が失恋で割れる(ブレイクハートって英語で言うらしいが、そのワレル)とを引っ掛けている、心がばれてしまって、失恋して心が裂けて割れたでー、という意味なのである。
 高尚過ぎただろうか、技術的に高度過ぎただろうか。たまには、ハイレベルな句も織り交ぜないと、世間に舐められかねないので、つい、衣の下の鎧を見せてしまった。実力という奴だね。能ある鷹は爪を隠す。能のない鷹は隠しようがないという俚諺を地で示して見せたのだと思ってもいいだろう。

 どうも、このまま行くと、季語随筆の次元を超えてしまいそう。ここから先は、「無精庵方丈記」に任せることにして、本日の随筆はここにて擱筆(かくひつ)させていただく。
 ホントは、横井也有のことにまで話を及ぼすつもりだったけれど、話が飛び散りすぎた。またの機会を待とう。

 バレンタインデー雲隠れしたくなる日でありぬ
 バレンタインデー聖なる日と思う野暮

(追記:以下は、あるブログサイトの句に寄せた句の数々。さて、どんな句に寄せたものか。しかも、さらに返しの句を戴いたりして)

 高空や祈る心も届かざる
 忘れ鳥勿忘草に会いにくる
 日溜りに飼い猫探す春近し

 寒空にめげることなき梅の笑み
 侘び寂びをわさびと詠める弥一かな
 

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コメント

トラックバックってなんぞや?と今ひとつ理解不能なままここにたどり着きました。
弥一さんじゃん。ご無沙汰してます。
わたしの記事からもトラックバックしたら、デッドロック状態になるのかしら?
ちょっとやってみるのでおかしくなったら教えてください。

ここから本題です。
小学生の頃、友達(女の子)にチョコレートをもらいました。それがはじめてのバレンタインデーです。そうです。あげるより早くもらってしまったのです。
不二家のハートのピーナッツチョコでした。推定価格50円。バレンタインだかなんだか知らないけど、人にものを頂くというのは誠に結構なことでした。特に、チョコレートなんてそう滅多に食べられるものではなく、とてもありがたくもらった覚えがあります。

わたしの周りでは全くチョコが飛び交っていませんでしたよ。つまり義理チョコもなしです。クールです。

投稿: ぷうくま | 2005/02/14 23:06

はいはい。


 γ⌒γ⌒ヽ
≫==LOVE ノ⇒
 \  /
  \/

弥一さんとぷうくまさんに(笑)

あっ!12時過ぎてしまった・・・

投稿: hironon | 2005/02/15 00:13

しかもずれた・・・
これからもドジなhirononをよろしくネ♪

投稿: hironon | 2005/02/15 00:17

ぷうくまさん、ここでははじめまして、ですね。
小生もトラックバックって、未だにシステムが分かってない。トラックがバックしたら、どうなるってのか。愛の絆が深まるというわけでもないし。
で、ぷうくまさんにとって、初めてのトラックバック体験なのですね。なんだか、光栄です。
おお、ぷうくまさんは、早くも小学校時代にそんな経験があるんですね。小生には夢のような方だ。
そう、小生のガキの頃も、チョコなんて贅沢で、遠足の時にやっと買ってもらえただけ。バナナと一緒だ。
ところで、初めてチョコをあげたのはいつ、なんて野暮な質問でしょうね。


投稿: 弥一 | 2005/02/15 01:48

hirononさん、ありがとう。小生の本日、唯一の愛のキューピッドです。少々、狙いが外れても、時間外であっても、小生、矢というか鏃というか、拾いに行きますから、これからも、ドンドン、矢を放ってください。
それにしても、 hirononさんの句、上手い!

投稿: 弥一 | 2005/02/15 01:50

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明日はバレンタインデーなんですね。 この時期って、チョコレート屋さんが限定品ばっかり売ってて、ばら売りしてくれないのがいやだったな。ゴディバとかもうセットになっ... [続きを読む]

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