春の風邪
今、列島にはかなりの寒気団が襲っている。が、俳句の上では春がやってきたことになっている。
今日の表題を「春の風邪」にした理由は単純明快で、自身が風邪を引いてしまったこと、そして2月の季語に「春の風邪」があるのを見つけたからである。
なんだか、今の自分には誂え向きの季語である。あてつけがましいほどだ。
もう、今日はこれしかない。
実は他に試みたい課題があったのだが、体調を崩していて試みるだけの気力が湧かず、断念してしまった。
さて、「春の風邪」が2月の季題(季語)の一例にあるというのは、何故なのだろう。
「春の風邪」については、「命にかかわる風邪ではないが、何となく艶っぽい」とか、「余寒や寒気のぶり返しから、春になるとひいてしまうのが春風邪です」などと説明してある(ここには、「病にも色あらば黄や春の風邪」(高浜虚子)や「布団着て手紙書くなり春の風邪」(正岡子規)が載っている)。
「週刊:新季語拾遺 最近のバックナンバー 2002年3月31日」によると、「春先は寒さが不意にぶり返す。季語ではそれを「冴(さ)え返る」とか「寒戻る」と言う。また、立春以後の寒さを「余寒」とか「春寒(はるさむ)」と呼ぶ。寒さがぶり返しながら、季節は確実に本格的な春へ向かっている。」という。
(そのうちに、集中の「余寒」とか「春寒(はるさむ)」などは表題に採り、こうした言葉の周辺を探ってみたい。)
その上で、同上サイトでは、「気候が不安定なだけに、うっかりすると風邪を引く。「魔女といふ綽名(あだな)のひとの春の風邪」(内田美紗)。こんな句があるが、魔女と呼ばれる人でも引いてしまうのが春の風邪。しかもぐずぐずと長引く。」と続いている。
[以下、今日は、ただの日記になっています。]
魔女でも風邪を引くのだから、小生が風邪を引くのも不思議はないわけだ。むしろ、小生も普通の人間だという証しのようなものだ。
ただ、ぐずぐずと長引くというのは困る。
「日刊:この一句 バックナンバー 2003年2月20日」では、「老大事春の風邪などひくまじく」(高浜虚子)なる句が見つかった。評者(坪内稔典)によると駄句だそうだが、ただ、「老いの風邪はこわい」というのは、実感だし、同感である。
「あなどりてついに私も春の風邪なる句がネットで見つかったが、小生にしても、別に風邪などとあなどったわけでも、油断したわけでもない。
風邪の前兆らしき感じがあったのは、先週の金曜日の日中だったか。けれど、最初のうちは、喉がちょっといがらっぽいな、空気が乾燥しているからなのだろうとか、そういえば今日は煙草を吸われるお客さんが多かったなとか、まあ、気のせいにしていたのである。気のせいにしたかったというべきかもしれない。
それがどうにも、風邪であることを否定できなくなったのは、金曜日の夜中過ぎだったろうか。
いつものことだが、夜半過ぎ、何処かの公園の脇に車を止め、仮眠を取ろうとした。その際、小生はマスクを必ず着用する。これは鼻呼吸が困難で、同時に喉の弱い小生のこと、冬には怠りなく習慣付けているのである。その時の仮眠の時も、ちゃんとマスクをしていた。
が、どうやら、なぜか寝ている間にマスクが外れてしまったらしい。小一時間ほどの仮眠から目覚めてみると、喉がヒリヒリするような、痒いような、ああ、これはまさに風邪の初期症状だなという事態に見舞われてしまったのである。
それでも、仕事が終わった段階では、喉がやや痛いかなという程度で、咳が出るわけでも、鼻水が垂れるわけでも、また、熱があって苦しいというわけでもなかった。食欲もある。
一人暮らしの小生、寝込むと、あとはどうしようもなくなる。仕事に行けなくなるのがまず困る。たださえ不況で生活苦の惨状に喘いでいるのだし。けれど、その前に、寝込むと食べるものの用意もできなくなる。ひたすらベッドで安静を保つしかない。喉の痛みが癒えたり、熱があったら、平熱に戻ってくれればいいが、起き上がる気力もないままに、ずっと熱が高いままだったりすると、それこそ、起き上がることもできなくなる。
以前、あることで倒れてしまったときは、いよいよ土壇場というか瀬戸際まで来てしまったので、これは拙いと救急車を呼ぼうとしたのだが、受話器のある場所までの二メートル足らずが遥か遠くに思え、手が届かなかった。それどころか上半身を起こすこともできなかったものだ。
風邪も、軽いものなら、寝ているうちに癒えてきて、ちょっと症状が緩和というか、緩やかな時に、だましだましでも近所のスーパーくらいになら出かけることもできるのだ、が。
金曜日の仕事が終わって帰宅したのは土曜日の朝の七時過ぎだったか。熱いお茶を飲んで洗濯物を洗濯機に放り込み、とにかくロッキングチェアーに体を預ける。ベッドを用意するのも面倒だったし。それからは、時折、ネットを覗くくらいにして、日曜日の朝まで椅子でグズグズしていた。が、朝方、とうとう疲れ果てた状態になり、珍しくベッドで寝た。休日の前日(前夜)にベッドで就寝するなど、小生にはとても珍しいことだ(これはベッドが薄汚いこともある)。
寝たのは七時ごろだったろうか。目覚めたら正午過ぎ。
なんとなく元気なような感じもする。咳はない。熱も高くない。喉が痛いが、耐え切れないほどではない。風邪気味ではあるが、人様に移すほどの症状でもない。
ということで、日曜日の午後、ある会議を傍聴したくて外出。場所は王子のほうなので、元気なら寒風裂いてバイクを走らせるのだが、その日は大事を取ってバスや電車で向かった。熱気溢れる会場。この熱気を全身に浴びて風邪など、飛んでけー、という気持ちだった。
帰宅したのは七時半前だった。別に風邪を拗らせている様子もない。
ただ悲しいかな、金曜日の夜半過ぎの時に始まった風邪の前駆症状が治まったわけでもないのだった。
月曜日の朝。ベッドで起きる。仕事の前日は、必ずベッドで眠る。仕事柄、とにかく体調の維持には神経を払っている。一人暮らしだから余計である。ベッドで体の感じを窺ってみる。ダメだ。悪化はしていないが、回復というわけにもいかない。
とにかく、働けない状況ではないので、仕事へ。体をだましだまし働く。日中にも夜中にも、休憩をたっぷり取る。
それでも、朝方にはとうとう完全な風邪の症状が現れていた。咳が出る。喉が痛い。熱っぽい。体の節々が痛み始めている。
月曜日の仕事が終わった火曜日の朝、仕事の事務を済ませて、早々に帰宅し、やはり、お茶など飲んで、さっさとベッドへ。お昼頃、ベッドを離れ、火曜日は終日、ロッキングチェアーで体を休めていた。ベッドは、埃っぽくて、小生はロッキングチェアーのほうが気が休まるのである。
タクシーという仕事柄なのか、椅子席で休むという習慣が身に染み込んでしまったのだろうか。
小生、気が緩むほどに、駄洒落や駄文を綴ってみたくなる。迷惑かなと思いつつ、人様の掲示板に軽口など書き込んでみたりする。駄句など、ずらずらと並べ立ててみたりするのである。
雪見ても歯ばかり疼く如月よ
歯医者さん待合室の暖恋し
公園を借景とせし切なさよ
鼻水の人生思わすほろ苦さ
いつの日か溶けて雫の霧氷かな
冬の気の結晶ならん霧氷かな
春待てる心の切なさ味わわん
刈り込まれ風吹き抜ける冬の草
繭を脱ぎもろ肌となる春の山
湖に浮かべる夢は笹舟か
柔肌の匂えるほどの血潮かな
玉子茹でつるんとなって輝ける
湖の底に沈める月影よ
ひたすらにあくがれる空果てしなく
ネットで「引用文多き卒論春の風邪」(可東 直)という句を見つけた。「春の風邪は気のゆるみからくる。卒論に「引用文多き」とは気のゆるみそのものである」というのである(「インターネット俳句大賞」の「八木健予選 2月の結果」より)。
そうなのか! 気の緩みだったのか!
ま、それでも、たまには、ゆるやかに流すのもいいのではないか。
春の風邪心と体休めとぞ
待ちきれず気を緩めたか春の風邪
春の風邪冬の最中の峠茶屋
春の風邪待ちわびていた玉子酒
春の風邪直るも直らぬも時の運
風邪を引き人並みだよと強がって
春の風邪引いて知ったよ我が弱さ
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