余寒 (よかん)
昨日は建国記念日だったようである。昔は、紀元節と称していたとか。せっかくなので、この記念日を巡ってあれこれ書こうかと思ったが、そもそも今日が建国記念日というのは、もともとかなり無理な話だということなので、止めた。
「日本書紀には神武天皇が元旦に橿原に宮を建てたと書かれていますので、本来は建国記念日はお正月に祝うべきものです」が、その日付というのは、新暦に換算すると、「BC660年の2月11日になった」というわけである。詳しい事情などは、当該サイトなどを見てもらうほうがいいだろう。
いずれにしても、計算の根拠があやふやだし、万世一系というのも、確かめようがない(つまり、肯定も否定もできない)、つまり、そうであったらいいなという夢物語と思われ、なんだか力が抜けてしまう。
なので、2月11日の建国記念日は、一体、今の日本とは一体、いつ、建国されたのかを考える日だと、取りあえずは考えておいた方がいいのだろうと小生は思っている。
例えば、それこそ神話なのか史実なのか分からないが、神武天皇の即位の日だとか、鎌倉幕府が出来て、初めて公家・貴族から武家が政権を奪取した日だとか、15年戦争や太平洋戦争に負けた日、つまり、8月15日こそが、新たな出発の日だとか、95年だったか、当時の村山富市首相が総理大臣談話を発表し、日本の戦争責任を認め、悔悟(改悛)の気持ちを現した時をもって、やっと今の日本が過去の戦争責任などの呪縛から脱し、再出発に向けて動き出したと考えるとか、いや、そうではなく、日本にある、世界でも例を見ないような過度の米軍基地や米空軍の制空権などを奪回した日こそが、本当の意味での敗戦の呪縛からの脱却なのであり、再出発の日なのだ、つまり、まだ、日本は自立できていない、建国も成ってはいないと考えるべきなのか、とにかく、2月11日の建国記念日とは、あれこれ考える日だと思ったほうがいいような気がする。
さらに有意義なのは、将来へ向けて、日本はどのような国家を目指すべきかを考える日として、2月11日の建国記念日を捉えることかなと思ったりする。
まあ、根拠のないのに建国記念日だと断言するのも、いくら根拠がないからといって頭ごなしに反対するのも、薄ら寒いような気がするのである。
さて、今日の表題に選んだ「余寒 (よかん)」は、2月の季語である。
あるサイトを覗くと、「春の寒さ、冷たさを表す言葉ですが、「余寒」には寒さが明けたのにという、やや怨みがましい思いも込められています」などと書いてある。
「凍解(いてどけ)」という、「余寒 (よかん)」に類似する言葉がある。
「凍解」、つまり、「春の気配が感じられるころになると、それまで凍てついたものが一斉に解けはじめます。大地や川などの自然だけてなく、滝も雲も、また蝶や蜂の昆虫までもが、凍てから開放され始めます」といった意味合いを持つ言葉を使うしかないような、中途半端な時期に使うのだろうか。
どうも、「春になってから思わぬ寒さがやってくることを表している」ようで、「ひなどりの羽根ととのわぬ余寒かな」(室生犀星)という句が、その感じをよく表してくれるようである(「失われた季語を求めて」より)。
2月2日の無精庵徒然草の表題に選んだ「春の風邪」も、何処か「余寒」に重なるようなニュアンスのある季語なのかもしれない。
そうそう、「冴返る」という、語感もいい、やはり2月の季語があって、「春先に少し暖かくなってきたと思ったら、また急に寒さがぶり返すこと」を言うらしいのだが、10日(の東京)の夜は、この言葉を使いたくなるような寒さだったのである。夜半前後に東名高速を走っていたら、小雪さえちらついていた。路面が凍結するんじゃないかと、ひやひやしたり。
同じサイトに、「余寒」は、漢詩から来ている言葉で、「杜甫の詩等にも使われています」とある。
ネットで関連の漢詩を探していたら、思わぬ拾い物というのか、「Mainichi INTERACTIVE ふれあいプラザ」にて、かの伊達政宗の漢詩を見つけた:
余寒去ること無く花発すること遅し
春雪夜来積もらんと欲す時
手を信(の)べ猶(なお)斟(く)む三盞(さん)の酒
酔中独(ひと)り楽しむを誰か知る有らん
「余寒」ではなく、「春寒」とあるのだが、かの蘇軾の漢詩にも出会えた(「Welcome to Adobe GoLive 5」にて)。
「前年、「烏台詩案」事件(2001年12月参照)で、辛うじて獄死を免れた蘇軾は黄州に流罪となります。この地で自ら荒れ地を開いて少しばかりの畑を作って、極貧の生活を送ります。この詩はその一年目の正月、土地の人々との交流の様子を詠った詩です。最後の二句はちょうど都から黄州への配流の道中の情景です」と説明された上で:
十日春寒不出門 十日の春寒に 門を出でず
不知江柳已揺村 知らざりき 江柳の已に村に揺るるを
稍聞決決流冰谷 稍(や)や聞く 決決として冰谷の流るるを
盡放青青没焼痕 尽く青青たるを放(し)て 焼痕を没せしむ
数畝荒園留我住 数畝の荒園は我を留めて住せしめ
半瓶濁酒待君温 半瓶の濁酒は君を待ちて温む
去年今日關山道 去年の今日 關山道
細雨梅花正断魂 細雨 梅花 正に断魂
漢詩の意味合いなどは上掲のサイトにある。
肝心の杜甫の余寒に纏わる漢詩が見つからない。
「ムーンガーデン:SAKE BAR」に、「澗道余寒歴氷雪」という言葉が引用されており、「杜甫の気分ですね」とあるので、杜甫の漢詩からの引用らしいのだが、ネットでは確認できなかった。残念!
余寒を織り込んだ句というと、既出の室生犀星の句もいいが、「いそまきのしのびわさびの余寒かな」という久保田万太郎の句がいい(「清水哲男『増殖する俳句歳時記』」より)。評者の清水哲男氏によると、「いかにも万太郎らしい感受性の光る句柄だが、世に万太郎の嫌いな人はけっこういて、その人たちはこうしたことさらな粋好みを嫌っているようだ。かくいう私も嫌いというほどではないが、あまりこの調子でつづけられると辟易しそうではある。たまに、それこそ他の作者たちの多くの句のなかに二、三句はらりと「しのばせて」あるくらいが、ちょうど良い案配でしょうかね」ということだが、まあ、さらっと読み流せばいいのではなかろうか。
ところで、ネット検索をしていたら、「水取りや氷の僧の沓の音」という芭蕉の句をヒットした。「厳しい余寒に耐えて修二会の行を修する衆僧の、内陣を散華行道するすさまじいばかりの沓の音が、氷る夜の静寂の中にひときわ高く響きわたる」という句意らしい。
どうやら、「水取り」が春の季語らしいのだが、二月なのか三月の季語なのかが分からない。
ただ、この句について、もう少し詳しい説明が、「松尾芭蕉の旅 野ざらし紀行」の中に見つかった。
注目すべきは、「「氷の僧」については、「籠りの僧」が正しいが芭蕉がこれを聞き違えて「氷の僧」とした、とする見方があって、蝶夢編「芭蕉翁発句集」(安永三年刊)には「水とりやこもりの僧の沓の音」の句が示されている。しかし、芭蕉真蹟本に「氷の僧」とあるので、蝶夢の書き誤りということになるのだろう」という点。
誤りなのかもしれないが、「水取りや氷の僧の沓の音」を「水取りや籠りの僧の沓の音」にしてみる。小生には、「氷の僧」というのは、直接的過ぎて芭蕉らしからぬ固い表現(語法)のように感じられるのだが。
まあ、間違っても、「水鳥や子守りの僧の沓の音」にはならないだろう。
余寒なる時の気紛れ風邪で知る
余寒にて過ぎゆく時の速さ知る
膝を抱き背中眺める余寒かな
膝を抱き背中丸める余寒かな
余寒など思う間もない焦る我
小雪舞う夜空を眺む余寒かな
ウインドー流れ飛び行く余寒かな
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コメント
今晩は~弥一さん。
先ほどはおこし頂き有難うございましたm(__)m
「修二会」について書かれてましたので、つい参加(笑)
こちらでは「お水取りが終らないと春が来ない」と言いまして、
その頃の時候の挨拶(まだ寒いから気をつけようね~)という感じで
使います。修二会、今は3月に行われますが、元は旧暦の
2月1日からの行事なので、2月の季語ではないでしょうか?
(イイカゲンな話しですいません。(^^ゞ)
投稿: ちゃり | 2005/02/14 00:00
ちゃりさん、コメント、さらに修二会についての情報をありがとう。とにかく、何も知らない小生です。書きながら調べ、調べながら書き、学んでいるという状態なのです。知らないからこそ、こういう日記を書いている。調べた結果だけをもっと簡潔に書けば、読むほうは合理的なのでしょうね。
それにしても、「こちらでは」とは、どちらなのでしょうと疑問に思っていたら、なるほど、そちらだったのですね。冬は底冷えするとやら。ちゃりさん、大変なのかな。
投稿: 弥一 | 2005/02/14 05:23