寒稽古
寒稽古などという凡そ小生には似つかわしくない表題を掲げた。
体育会系ではなく、その前にクラブというものに入ったことがあるのも、高校まででは、ほんの半年ほどあるばかりである。大学に入ってからは、友人の縁もあり、ひょんなことから実存主義研究会に入った。その頃はまだサルトルやカミユ、ジュネなども関心は持たれていたし、そこそこには読まれていたのである。
マルクス主義系統の研究会や、集団も活動していたし、友人にはかなり過激なセクトに加わる奴もいたけれど、小生は、マルクスは凄いと思っても、主義となると、敬遠気味になってしまう。
そこには、浅間山荘事件や総括(「あさま山荘事件(連合赤軍)」などを参照)などが影響しているのだと思う。毎日のように総括の悲惨な様がテレビなどで放映されて、マルクス主義とか学生運動に対する嫌悪感とまではいかないが、用心してしまう気味が脳裏に刷り込まれたのだと、後にして思う。
或いは、国により左翼の活動への嫌悪感を植え付けるため、マスコミを通じて学生運動の負の部分をこれでもかと世間や特に若い人たちに洗脳活動されてしまったのだろうか。内ゲバ、総括、疑心暗鬼…。
[冒頭に掲げたサムネイル画像は、小生のホームページで「55555」というキリ番をゲットされた、いくろうさんが取ったよと画像を提供してくれたもの。綺麗な番号ですね。小生が小学校か中学生の頃に、こんな5並びの通信簿を貰ったら、小躍りして喜んだでしょうが、夢のまた夢でした…。いくろうさん、申告、ありがとう! (写真、拡大して見てね)]
無論、だから実存主義研究会(略して実存研)のメンバーになったからといって、別に実存主義者になったわけではない。カフカやドストエフスキー、キルケゴール、ショーペンハウエル、デカルト、カント、ベルグソンなどを読み齧っていただけである。
それぞれの思想や、もっと直接には文章に惹かれたのだと言うべきかもしれない。
というより、主義への嫌悪感、敬遠する性向が染み付いてしまったのかもしれない。
ところで、僅かに経験した高校時代の半年のクラブ活動というのは、サッカー部だった。
メキシコオリンピックでの日本代表の活躍、とりわけ、釜本や杉山が眩しかった時代、ペレがスターだった時代で、高校に入った安心感、なんとか高校の授業に付いていけるという見込みが立って、一年の中間テストが終わって、つい、入ってしまった。
受験校ではあっても、サッカー部の練習は厳しくもあったし、小生は欠かさず練習には出た。夏休みの練習も、つらい時はあったけれど、楽しかったというほうが本音だった。
やめたのは、実に情ないことだけれど、一年の終わりにサッカー部の打ち上げがあって、どこかに集まって酒盛りなどやった。小生は酒など呑みたくはない。そもそも、サッカー部の練習は真面目にやったし、楽しんでいたけれど、練習後までの付き合いは御免だった。まして、飲み会など論外である。
サラリーマン時代も、仕事が終わったあとの飲み会の形での付き合いは大嫌いだった。休日のテニスやゴルフなどは誘われたら、即座にOKしたし、楽しめたのだが。
そのサッカー部、夏休みにも練習があったが、記憶では冬休みには練習はなかったはずである。
だからだろうか、冬休み明けの最初の練習で、みんな集まって体の動き具合をキャプテンが見る。すると、いかにも体が鈍っている。彼はカチンと来たのだろう、みんなを体育館の中をグルグル走らせたのだった。
そう、富山はその頃は、正月ともなると積雪で校庭では練習はできない。遊びでサッカーボールを蹴ってみたりはしても、まともなサッカーの練習にはならない。なので、サッカー部に限らず、体育館の中での練習がメインになるのである。
小生は、雪掻きなどをしていたせいもあって、体育館の中を走らせられても、案外と平気だった。走るのだけは好きだし得意なほうだったのである。
それより、驚いたのは、キャプテンの体だった。
体を暖めるためだったろうか、ウォーミングアップを兼ねて相撲をやった…、それとも、サッカーはぶつかり合いがあるので、押し競(おしくら)饅頭などをやった…、その時、小生はキャプテンと組み合ったのだが、小生の手がキャプテンの胸に当たった。
キャプテンの胸板の分厚さに驚いた。筋肉が盛り上がっている! わお! 鍛え方がまるで違う! 冬休み中も、キャプテンはしっかり自己鍛錬に取り組んでいたのだ…、心構えが違う…、と、つくづく感じたのだった。
というわけで、寒稽古といっても、サッカーではないわけである。
何しろ、冬休み中は練習がなかったのだから。
では、小生が経験した唯一の寒稽古とは何か。
(念のために注釈しておくが、寒稽古とは、季語(季題)上は、「芸道やスポーツで、寒中におこなう修行」を意味する。)
それは、剣道だった。
これも小生の曖昧な記憶で申し訳ないが、二週間ある冬休みの期間中、一週間、高校の体育館で、冬の朝早く、剣道の寒稽古があったのだ。小生は、体育は嫌いじゃないし、中でも剣道は好きな授業だった。なので、確か剣道と柔道(?)の寒稽古があったはずだが、ためらいなく剣道の寒稽古を志願したのだった。
一週間、休みなく、また、遅刻なく通うと、皆勤賞が貰える。小生は、二年生の時は皆勤賞を貰った。が、一年生の時は貰えなかった。確か、最初の日に寝坊して遅刻してしまったのである。
冬の朝というと、雪道を自転車で通うのだが、別に雪のせいではなく、多分、お袋に起こしてもらったはずなのだが、起きられなかったのである。
寒稽古が終わり、一時間目の授業が始まる前、教室の教壇近くにあるダルマストーブの周りに、早々と学校に来て、練習を済ませたやつらが集まっている。「○△君、今日は遅かったねー。」なんて、皮肉を言われ、悔しい思いをした。
そう、その悔しい思い、面目ないという気持ちがあるから、今も当時のことが忘れられないのだと思う。
頑張ったご褒美というのか、冬休み明けに剣道大会があり、三人抜くと賞状が貰えるのだが、一年生の時は、幸いにして賞状をもらえた。逆に皆勤賞を貰った二年生の時は、大会では三人目に強敵に遭遇し、お互いに用心して攻めに出ず、引き分けに終わり、二人抜きで終わり賞状を貰えなかった。皮肉なものである。
クラブ活動は、後にも先にも半年ほどのサッカー部だけだし、習い事は小学校の四年の時にそろばん塾に通ったが、一年もしないうちに、めげて止めてしまった。
我ながら根性がないと、つくづく思ってしまう。
最近だと、一昨年の暮れ近くにサンバチームのメンバーとなった。
タンボリンという楽器の練習を始めたのだが(将来の狙いはカバキーニョなのだが)、事情もあったが、根性もなくて、これは一ヶ月あまりで音を上げてしまった。
今もサンバチームのメンバーであり、しかも、今日、九日に我がチームの新年会があって、<見学>しに行ったが、その際、メンバー登録の更新も行ってきた。当面、幽霊会員にしかなる見込みがないのにも関わらず。
まあ、人間として惚れた人がいるので、せめて末端でもいいから関わりを持っておきたい一心で更新したのだった。自分が活動の手伝いをできるわけもないのに。
寒稽古ではないが、新年会ではメンバーに限らず、出し物があって、それぞれに練習に精を出している。小生は何もしていない。内心、忸怩たる思い。
それでも、応援だけはしたい。関わりだけは持ちたい。我が侭と言えば我が侭なのだが、そのうちに、何かの形で関わりを持たせてくれたことへの恩返しはしたいし、できるものと淡い(とは思いたくない)期待を抱いているのである。
世の人は、それぞれに何かしら、熱中できるものを持っているものと思う。上達したい、強くなりたい、楽しみたいと思っているのだろう。小生は、寒稽古もしない、そもそも練習もしない人間なのだが、それでも、思いっきり遠くから関わりを持つことで、募る思いを文章という、やや抽象的な形で表現したいと思う。
遠くから、思いっきり遠くから、闇夜に放つ鉄砲玉が空しく放たれるのだとしても、火花など散ることもないのだけれど、文章という形で、サンバとはまるで縁のない形だけれど、虚構の、ネットの、募る思いの空間で文章表現というダンスや演奏を楽しみたいのである。
寒稽古誰一人ない闇の中
冬の底転げ落ちてく一人へと
遠い空見上げる影と星一つ
[文章中に掲げてある画像は、九日に行われた我がサンバチーム・リベルダージの新年会の模様。文章の内容と直接は関係ないけど、この会で貰った熱気が覚めやらぬうちの小文なのである。新年会の様子は、若干だが、十日の「新年会」にて報告してある。それにしても、根性なしの小生は頑張る人がひたすら眩しい。]
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