明珍火箸
予め断っておくが、(明珍)火箸は1月の季語ではないようである。
それでは、12月の季語なのか。
残念ながら、そこにも「炭、消炭、炭団、 炭火、埋火、 炭斗、炭竈、炭焼、炭俵、炭売、焚火、榾、炉、囲炉裏、暖房、温突、ストーヴ、スチーム、炬燵、置炬燵、助炭、火鉢、火桶、手焙、行火、懐炉、温石、温婆」と、それらしき風物はあるのだが、火箸は見つからない。
まあ、火鉢や火桶などに関連するか、一体のものとして思い浮かべてもいいのかもしれない(断言はできない。それにしても「温婆」って何だろう)。
もしかしたら冬の季語でもないのに、何故、季語随筆日記の表題として掲げたかというと、昨夜、車中でラジオ放送を漫然と聴いていたら、「明珍火箸」のことが、「音の風景」という番組(NHK)で採り上げられていて、その火箸の音が涼やかで透明感があって、素晴らしかったからである。
小生の勘違いでなければ再放送だったと思うのだが。比較的最近、聴いたことがあったような気がする。でも、あ、また、あの音が聴ける! という期待で、チャンネルを変えるようなことはしなかった。
その音は、例えば、「冨田勲 : 『明珍火箸』の澄んだ音色録音」と題された頁を開くと、音が聴けるよう、リンクが貼ってある。但し、小生が昨夜ラジオで聴いた音とは大分、違っている。まあ、小生のパソコンがCDの再生は可能だが、一度、聴いて懲り懲りした経験があるので、明珍火箸特有の余韻漂う透明感を楽しめなかったのかもしれない。
明珍火箸の伝統を受け継ぐ今の当主は、「第52代 明珍宗理氏」なのだろうか。「明珍家は48代目までは甲冑師として姫路藩主・酒井家などにつかえ数々の甲冑を作ってきたが明治維新で武士の時代が終わると、その昔、千利休から注文を受けて茶室用火箸を作ったという故事にならって、それまで余技だった火箸づくりに転じ、多くの茶人をはじめ、家庭用としても愛用され明珍火箸の名声は全国に鳴り響きました。」という。
さらに、「昭和30年代に入り火箸の需要が落ち込むと51代の宗之氏が火箸を組み合わせて作った風鈴とドアチャイムを考案。その澄んだ音色で全国にファンを獲得。そして、近年では52代・宗理氏の創作により古鉄を使った古代花器セットや火縄銃の銃身でつくった自在カギ、そして1992年には創作楽器・明潤琴(みょうじゅんきん)などを生み出しています。」とも。
大学生になる前だったか、なってしばらくしてだったか、やはりNHKの教育放送か何かのテレビ番組で、明珍火箸か、それとも風鈴の制作、そして音を響かせている様子などを見た記憶が微かにある。
でも、明珍火箸の実物を見たことはない。風鈴もドアチャイムも。
明珍火箸、小生も知っているほどだから、全国的に有名なのだろう。当然ながら、正月四日に行われたという「明珍火箸・初打ち」となると、地元の姫路ではニュースになる。今では、「近年、チタンなどの新素材を使い、仏具や花器などにレパートリーを広げてきた。 」という。
伝統工芸の世界でも、チタン! そうか、考えてみたら、伝統工芸と呼び慣らしているけれど、本来は、戦(いくさ)などに関わっていたのだから、技術の最先端が試され最新の技能の粋が花開いてきたし、開いている世界なのだった。
田舎の我が家でも、昭和の四十年代の終わり頃までは座敷に火鉢があり、火箸も灰に突き立てられていた。父母が使うのを見たのは勿論、自分でも炭を起こしたり、あるいは暇の徒然に灰に火箸で、のの字などを書いたことがあったような気がする。
火鉢そのものは、今でも、もう誰も居座って煙草を燻らしたり、お餅を焼いたりすることのない、明かりさえ灯ることのない奥座敷に静かに置かれたままである。
火箸と一口に言うけれど、火箸にも色々な種類があるようだ。「火鉢/囲炉裏で使う、「火箸」のページ」なる頁を覗くと、小生には初見の火箸を見ることができる。
上掲のサイトによると、「火箸(ひばし)は火筋(ひすじ、あるいは ひじとも)とも言」うのだとか。
ちょっと驚いたのは、火箸は、「火鉢から囲炉裏まで、炭や香をもつのに使います。」というくだり。さすがに我が家で「香」を持つ光景は目にしたことがなかったような。何かの拍子に「お新香」くらいは挟んだかもしれないが。なるほど、火箸にも使いようは様々にあるというわけだ。
火鉢にも丸い形から角火鉢と、形は様々だが、特に角火鉢となると、火箸、煙管、五徳、灰箱、時には徳利とお猪口などもあったりする。無論、(頑固)親父か隠居爺さんも鎮座しているだろうし。
つまりは、火鉢や囲炉裏は一家の中心(の一つ)だったわけである(もう一つの中心は、あるいは本当の中心は、御台所だったかもしれないが)。
一昔前の我々の生活に密着していた火鉢であり火箸なので、それらの言葉が織り込まれた句は多いと予想される。だから、ここでは火箸だけに焦点を合わせる。ネット検索のキーワードは、「火箸 季語」である。
すると、冒頭に浮かび上がったサイトに、「女将とは火箸使ひのさまよかり」(松村武雄/『雪間』)が載っていた。この女将(おかみ)とは、温泉や割烹の女将なのだろうか。
場所は何処だろうと、箸使いの綺麗な女性は、手先だけではなく、女性が眩しく見えてくる。筆使いについても、流麗だったり雄勁だったりすると、もう、それだけで尊敬の眼の対象となる。
特に、女性が和服だったりすると、箸で火鉢の上の鍋の具などを弄る時、左手で右手の袂をちょいと抑え、右手の菜箸を使う…、すると、抑えられた袂から白く細い腕などが目の前に伸びたりすると、もう、料理は何処へやら、目はそっちに向いて、白い腕のほうこそが生唾モノだったりするわけである。
二番目に登場したサイト(「気ままにエッセイ/グラスアートエス・ニシダ」)を覗くと、「12月の季語から 「炭」」の項に「炭」絡みの句が幾つか集められていた。
が、さすがに、「火箸」を織り込んだ句は一つだけ。「『消し炭の軽さをはさむ火箸かな』(吉田三角)」である。
ただ、「『更ける夜や炭もて炭をくだく音』(蓼太)」も「『朝晴にぱちぱち炭の機嫌かな』(一茶)」、「『炭つがせ夫が話のあるらしく』(大橋こと枝)」や「『育てつつ炭火に心遊ばせて』(元重廉直)も、それぞれに味わい深い。やはり、炭の持つ徳というものだろうか。
今日の日記では、やはり昨夜ラジオで聞き知った、川柳作家の岸本水府(きしもとすいふ 明治25年生 昭和40年没 享年73歳)のことを若干でも採り上げたかったのだが、紙面が尽きた。後日を期したい。
せめて彼の作品だけでも目を通しておきたい。上掲サイトによると、「電柱は都につづくなつかしさ」「ぬぎすててあちが一番よいといふ」「友達はよいものと知る戎橋」「人間の眞中邊に帯を締め」「ことさらに雪は女の髪へ来る」などが挙げられている。
さて、最後である。お待ちかねの駄句タイム。だが、その前に、小生の季語随筆で、既に「火鉢」を採り上げたことがあることだけは念を押しておきたい。火鉢絡みの風景や句も改めて見直しておきたいと思うし。
できることなら、火箸に関連して、「箸」のことについても薀蓄を傾けたかったが、これも後日の楽しみとして取っておこう。なんといっても、日本(中国なども?)は(少なくとも弥生時代以降は? 縄文時代はどうだったっけ)箸の文化であり、欧米のナイフやフォークの文化・伝統とは基本から発想法が違う。家の中での過ごし方で、靴の文化とスリッパ(裸足)との違いと同様、もっと関心を払われていいような気がするのである。
参考に、小生のエッセイ「御飯茶碗と箸と日本」を覗かれるあなたは、優しい人であり、好奇心旺盛な方とお見受けする。
時間があれば、箸にほんの端っこだけ関連する、書評エッセイ「ロラン・バルト著『表徴の帝国』夢の帝国?」を無精庵万葉記に載せたいとも考えている。
冒頭に掲げた写真は、富山(の岩瀬浜)で撮った写真シリーズの一枚。荒い波…のように見えるかもしれないが、冬の北の海としては穏やかなほうなのである。松尾芭蕉が出雲崎で詠んだとされる、 「荒海や佐渡に横たふ天河」だが、同行している曾良の日記によると、夜中には雨がザンザン降っていたとか。だから、句を詠んだその日の夜には夜空の天の川など見ていないことになる…のか。
ただ、佐渡と出雲崎の間の海の荒れる波を天の川に見立てたのかもしれない。が、季節は夏。
まして、冬だと荒れているのが当たり前の北の海なのだ。
で、やはり、駄句タイムだ。やめておけばという声があちこちから聞こえる…、が、書くとは恥を掻くと心得る小生、恥を忍んでトライする(結構、快感だったりするんだね):
焼け火箸ベルトの穴を増やしてる
焼け火箸お前の中を掻き回す
火箸はねお豆を抓むにゃ長すぎる
ダメなのよ火箸で豆を抓んじゃね
炭の底掻き回しての恋探り
忘られぬ遠い花火の熾き火かな
風鈴や明珍火箸と洒落るかな
火鉢には隠居爺(じじい)の夢眠る
灰の中隠したはずの宝消え
奥座敷火鉢も永く眠りこけ
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コメント
聞いて見たいね・・その涼しげな音
どんな風に鍛えるとそんな音が出るようになるんでしょう・・
火箸と言えば私のイメージ的には・・
刻印をつけるとか 殴るとか突付くとか・・
ちょっと不穏な感じが多いですねぇ・・
映画のみすぎです・・(^。^;)
投稿: rudo | 2005/01/09 14:04
rudoさん、風鈴として聞く明珍火箸の音色、実に素敵なものです。聞き惚れますよ。
火箸…火遊びに繋がるのでしょうか。ちょっと危ない連想ですね。
小生は、駄句にも綴ったように、ベルトの穴を増やす際に火箸を焼いて…というのが、せいぜい。実に平凡ですね。
ところで、映画の見過ぎって、どんな映画なんだろう。
投稿: 弥一=無精 | 2005/01/10 01:17