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2005/01/29

雑炊と粥とカレーと

雑炊」は冬の季語だが、12月の頃合いに使われるようだ。その12月には、「風呂吹、雑炊、葱、根深汁、 冬菜、白菜、干菜、干菜汁、干菜湯、胡蘿蔔、蕪、蕪汁、納豆汁、粕汁、闇汁、のっぺい汁、寄鍋、鍋焼、 おでん、焼藷、湯豆腐、夜鷹蕎麦、蕎麦掻、蕎麦湯、葛湯、熱燗、玉子酒、生姜酒」と、なぜか食べ物や飲み物に関係する季語が多い。
 その理由については、今は探究しないが、調べ甲斐がありそうだ。
 さて、今日の表題に「雑炊」を選んだのは、昨日の表題に「10円カレー」を選んだので、その連想のようなものである。特にインドがカレー発祥の地とされているが、「インドでは、数十種類のスパイスをミックスさせた混合調味料「マサーラー」を使って作る汁もののおかずのことをカレーとよぶ」などと、昨日の日記でも転記させてもらった。
 インドのカレーは汁物のおかずということから、雑炊や粥を連想したというわけである。
 さて、雑炊と粥とはどう違うのか。ここでは料理方法を探究するつもりはないので、「ごはんに汁気(水分)を加えて煮たものが雑炊で、米から炊くのが粥です。」や、「お粥と雑炊は、似ているようですが、お粥は米から炊いて何も具の入っていないもの。雑炊は、二種類以上のかやくが入り、鍋物の後などはご飯を用います。」という説明でとりあえず満足しておこう。

 日本においては縄文時代にもお米が作られていたとも言われるが、陸稲(おかぼ)だったりして、一般的なものとは到底、言えなかったようだ。弥生時代に幾分かは米食が広まりつつあったが、それでも野菜などがメインだったのだろう。
 さて、「日本で粥が食べられだしたのは、稲作文化の始め、弥生時代に玄米を粥にしたのが始まりのようで」、「正月の七草粥もこうした神への感謝と、新年を無事に迎えられたことへの慶びを込めた行事」だったようである(「ウオクニ株式会社」より)。
 ご飯など主食とオカズが別の形で食卓に並ぶというのは、高貴な方々は別として、かなり後世になってのことで、庶民はこうした雑炊やお粥こそを家族などで輪になって食べる、啜る、というのがメインの食事風景だったのだろう。
 やがては、日本は食事に箸を使うようになったけれど、食事の原点は雑炊やお粥にあり、もしかて手づかみで、あるいは啜るような形で、それとも、何かスプーンの原型のようなものを使って食べていたのだろうか。
 食事して食べきれなかった御飯に味噌汁などをぶっ掛けて、それとも、お茶漬けにして、一気に掻き込む食べ方。ともすると行儀が悪いとも見られがちだが、平素は乙に澄ました食べ方を気取る方も、案外と雑炊などが好物だったりして、わざと少々御飯や汁を残しておいて、もう一度温め直したりなどして、ズルズルとお腹に流し込む、その快感を密かに満喫していたりするかもしれない。
 何か、こうした敢えてお汁(つゆ)などが飛び散ってしまいそうな食べ方をするというのは、食べることの原点や現風景に叶っているからなのではないか、などと思ったりする。

 さて、インドのカレーの話に若干、付け足しておきたい。「インドでは、数十種類のスパイスをミックスさせた混合調味料「マサーラー」を使って作る汁もののおかずのことをカレーとよぶ」というが、そのスパイスのことで備忘録的に書き足しておきたいのである。
 つまりは香辛料のことである。
 恐らくは古来より汁物風のオカズはインドにあったのだろうが、その味付けについては、カレーに限らず、辛いというイメージがある。茹るような暑さに負けないためには滋養に飛んだ素材だけではなく、ピリッとした辛さが不可欠のものなのだろう。
 その辛さを演出する大きな要素に唐辛子がある:

現在世界に広まった唐辛子はメキシコ原産のものといわれています。アンデスでは、4千年ほど前にメキシコから伝わった唐辛子が栽培され、今では数十種類の唐辛子が作られ、アンデス料理を豊かなものにしています。
(「自然食の宿、タンボロッジ」の中の、「アンデスの食文化」より転記)

 ところで、「南米、特にアンデス原産のもので、今私たちがごく普通に食べているものはどういうものがあるでしょうか。以下に書いて見ます」として、以下、「 *ジャガイモ  *サツマイモ  *かぼちゃ  *とうもろこし  *インゲン豆 *トマト *唐辛子 *ピーマン  *ピーナッツ  *パイナップル  *パパイヤ」と列挙されている(同上サイトより)。

 そして「アンデスの大地に生まれ育ったさまざまな食物は、世界の食卓を大きく変えることにな」ったのであり、「征服したスペイン人たちにより、まず香辛料の唐辛子や穀類のとうもろこしが海を渡」ったのだという。
 トマトも渡ったのだし、「唐辛子はインドに渡り、からいカレーが作られました。一方、日本を経由して朝鮮半島に渡った唐辛子は、真っ赤なおいしいキムチを作り出し」たというのである。
(尤も、唐辛子は朝鮮から日本に渡ったという説もあるようだ。キムチとの関連で興味深い考察ができるだろう。)
 また、「インカ帝国を征服したスペイン人たちは、ジャガイモはインディオの貧しい食べ物だと馬鹿にしていたようです。しかしジャガイモはその後の世界の飢饉を救い、ヨーロッパに発展をもたらすことになる」ことも銘記しておきたい。
 なぜなら、「16世紀ごろヨーロッパに渡ったジャガイモは、珍しい植物で、花を楽しむ観賞用だったそうです。そしてそれから約100年、17世紀末に食用として作られるようになると、ヨーロッパの人口が一気に増えることになりました。つまり、今まで寒冷で荒れた何もできない土地に作ることができたからなの」だから。
 アンデスの産物がヨーロッパをインドをアジアの食事風景を変えたが、同時に、「本国(スペイン)から味付けのベースになる玉葱や胡椒、人参、その他のものを導入し、現在のアンデス料理を作っていったのです。そしてそれがインディオと呼ばれる先住民にも次第に広がって」ったのである。

 ところで、香辛料というと、唐辛子もそうだが、なんといっても胡椒のことに触れないわけにはいかない。
 唐辛子と胡椒とは、共に香辛料だとはいえ、実は、かなり皮肉な関係がある。
 そもそも、ヨーロッパの人々が大航海時代に海外に勇躍するためには、船や武器、海図(羅針盤)は勿論だが、食糧がなければ、どうにも身動きできない。その食糧だが現地調達など、容易にはいかない。持参する、その食糧が腐敗しないようにするには、香辛料の胡椒が不可欠だったわけである。
 そう、「ヨーロッパは肉食の文化であり、まだ冷蔵庫のない時代、それひとつで防腐、消臭、調味の役を果す胡椒は、まさに魔法の香辛料であったのである。
 そして、「その胡椒は熱帯地方のみで栽培される香辛料であり、温帯、亜寒帯に属するヨーロッパでは栽培が不可能。非常に高価だったのもこのためで、胡椒の入手はヨーロッパとインドを行き来するジェノバ商人たちによる東方貿易によってまかなわれてい」たのだが、「15世紀中葉。この東方貿易が致命的な打撃を負」ってしまった。
 オスマントルコ帝国の勃興により、「ヨーロッパとインドの間に広大な領土を築いたのである。このため、東方貿易は通行の手段を失い事実上不可能となり、同時に胡椒の道も閉ざされしまったのである。」
「道を失われたジェノバ商人達は他のルートに目を向けざるを得なかった。」が、彼らは、胡椒を求めて、別ルートでインドを目指すしたわけである。
 詳しくは書かないが、知られるように、コロンブスは新大陸を発見したのだが、彼はそこをインドだと思っていたというのは(正しいのかどうか分からないが)有名な話である:

インドに到着したと確信したコロンブスは後に「ガンジスの香りがした」と語ったそうだが、残念ながらここはわれわれがよく知るように、中米カリブ海に浮かぶ島のひとつでしかない。コロンブスは生涯4度の航海でこの地を訪れたが、最後までこの地をインドと信じて疑わなかった。現在に至るまで、この地の原住民をインディアン、この地を西インド諸島と呼ぶ所以はここにある。」

 当然、本当はインドではなく、胡椒など発見されるはずがない。が、トウモロコシなどと共に、唐辛子という貴重な香辛料を発見したのだった。「1493年。唐辛子がついに世界史に登場した瞬間である。」
「唐辛子は大航海時代の波に乗ってアフリカまわりでインドに到達し、また一方で1526年、モハーチの戦いにより、オスマントルコ軍の手でハンガリーに持ち込まれた。インドでは胡椒に変わる新種のスパイスとしてカレーの中に投入され、ハンガリーでは現在世界的に有名な、辛味のない唐辛子パプリカとなった。」のだった。
 そのインドで新たな味と同時に世界を経巡った普遍性を獲得したカレーが、今度は、徐々に姿を変え加味される素材も変化を獲得しつつ、世界を席捲するに至るわけである。

 そのインドで生まれたカレー。カレーとインドとは、どう理解したらいいのだろうか。無論、風土も歴史的な背景もある。宗教も絡んでいるだろう。宗教によって牛を、あるいは豚を、それどころか鶏肉も含めた肉類一切を入れないインドのカレーがある。肉類が酷暑の地にあっては不可欠だが、しかし、同等の淡白や滋養が、食べ物の暑さによる急激な腐敗を防ぐ香辛料も含め、インドの地にあって独自に考案されていったのだろう。
 弥生時代の我が国の雑炊や粥、あるいは縄文時代の汁物は、一体、どんなものだったのか。穀類も入っていたのだろうが、主に野菜(野草)などがメインだったのではないか。取れたら動物の肉、魚肉も加わったのだろうが。
 当時の調理の実態は、小生には分からない(そのうちに調べてみたい)。ただ、いずれにしても、香辛料がたっぷりというイメージだけは、ないと言っていいのではないか。住み暮らし料理する人々と、風土が調理に関しても絡むのは当然なのだろうし。
 日本については仏教で肉食が禁じられたこともあり、唐辛子が後世、伝わった際も、広がるはずもなかったし、大航海という長期の旅行で食物が腐敗しないようにするという必要もなかったとも考えられる。

 日本は一神教的は風土性は薄くかなり多神教的な気味が強いが、インドも、かなり日本とは違った意味合いや土壌の上だろうが、多神教的な色彩が見られるという(一概に言えるわけでないことは言うまでもないが)。
 インドの宗教というと、なんといっても、ヒンドゥー教であろう。「インドの国教ともいうべきヒンドゥー教は仏教やキリスト教のように開祖がない自然発生的な土着の宗教だけに、 インド人の体に染み込んでいる。 多神教ではあるが、 中でも宇宙創造の神ブラフマン、 破壊と再生の神シバ神と、 創造された宇宙を維持する役目を担うヴィシヌ神が有名である。 」(「巻頭言(4月)  インド仏跡参拝  織田隆深」より)。
 たとえば、「シバ神」を見てみると、「インドの神話。ブラフマー、ヴィシュヌとトリムールティを形成するヒンドゥー教三大神の一人。」であり、破壊神「シヴァとは「吉祥な」という意味で、『リグ・ヴェーダ』では、暴風神ルドラの別称であった。強力な破壊神であるルドラは、豪雨、雷などによって人間を殺す恐ろしい神であったが、反面病を癒やす治癒神でもあった。ルドラは、モンスーンの神格化であり、破壊をもたらすと共に、雨によって植物を育てるという二面性を持ち合わせていたのだ」という。
凶暴で危険、そこが魅力の破壊神 シヴァ」は、「コブラを首に巻き、虎の毛皮に座って瞑想する苦行者の姿をとる」という。
 ヴィシュヌ神は、「この神の最大の特徴は、変身して世界を救済しに来ることである。その姿として、10化身が考えられている。すなわち、そのときどきの状況に応じて、魚・亀・野猪・人獅子・小人・パラシュラーマ・ラーマ・クリシュナ・ブッダ(なんと仏教の開祖のあのブッダ)、カルキンの姿となってこの世に現れると考えられているのであ」り、「原初の海で大蛇の上に眠る姿、また4本の手にシンボルの武具を持つ姿で表される」という。
 また、「ブラフマーは、ヴィシュヌやシヴァと比べると非常に抽象的な神である。古くは宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)という観念であって、ヴェーダにおいては神々を称える言葉(マントラ)や、そこに秘められた神秘的な力を表す「語」として用いれられていた。それがウパニシャッドの時代になると、それらが擬人化され神格化した結果、男性神としてのブラフマーが誕生したのである」という。
 インドの神話では、ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神は一体のものとも考えられ、「宇宙原理の中で、ブラフマーが創造(スリスティ)、ヴィシュヌがその維持と繁栄(スティティ)、シヴァが破壊(プララヤ)が担当しているという考え方」(トリムールティと呼ばれる説)がある。

 シヴァ神は、破壊の神でありつつ病を癒やす治癒神であり、雨によって植物を育てるという面を持つ。維持と繁栄の神・ヴィシュヌ神は、変身して世界を救済しに来るのであり、魚・亀・野猪・人獅子・小人、果ては仏陀(!)などに変身してこの世に現れるのだという。
 その大本(おおもと)をブラフマー神が創造したというわけである。
 大地の実りである、雑穀類を鍋か何かにあれこれと入れ、唐辛子などの香辛料を効かせて、貴賎を問わず食べるカレーも、大地の根源と今昔を問わず結びついているインドならではの食べ物(汁物)なのだと言えるだろうか。
 しかも、手づかみで食べるという点に、何か食べるということの原点を見る思いがする…。
 日本では、数年前からキムチブームが始まった。日本と韓国との交流の成果なのだろうが、同時に、小生の勝手な憶測ながら、地球温暖化、特に都市部での亜熱帯化と無縁ではないように思われる。胡椒どころか唐辛子がないと暑さも寒さもしのげなくなっているという現実が背景にあるような気がしてならないのである。
 唐辛子がなくては住めない暮らせない、暑さ寒さを遣り過せない気候風土に変わりつつあるというのは、悲しい現実かもしれないが、巡り巡って、ヨーロッパやインドを始めとしたアジアや中南米などと、唐辛子を絆として今や日本も結び付きあったとも考えられないだろうか。

 雑炊(カレー)に世界を巡るロマン見る
 闇鍋に沈むは愛か憎しみか
 雑炊と粥とを食べて日本人
 ライスカレー現代の雑炊と味わって
 カレーには世界今昔の味の染み込める
 

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