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2005/01/26

(雪)しまき

【1月の季題(季語)一例】の表を眺めていて、分からない、馴染みのない言葉がたくさんある中で、とりわけ分からないのが、今日の表題に選んだ「しまき」だった。
「しまき」?! なんだ、これは。
 言葉そのものが分からないというのでは、全くお粗末だし、何にも書きようがないので、事典で調べたが載っていない(事典の名誉のため、事典の名前は秘しておく)。案の定、「島木(しまき)赤彦」が、引っ掛かってくる程度である。
 ネットで「しまき」のみをキーワードに検索を掛けてみると、これまた案の定というべきか、ネット検索の能力と小生の駄洒落能力が均衡しているというべきなのか、「だしまき」やら「こしまき」が「しまき」繋がりで検索の上位に居並ぶ。誠に遺憾な事態である。
 さすがに、小生がひた隠す秘密、「しまき」は実は、「ちまき」と何か関係があるのではと憶測したような事例には遭遇しなかった。
 次に「しまき 季語」でネット検索。すると、網には68件が掛かってくるが、「しまき」の意味を説明してくれるサイトはなかなか見つからない。 
 これは、まずい。もしかしたら、世間においては「しまき」など常識中の常識で、殊更今更敢えて説明するまでもないということなのかもしれない。

 ここまできて、小生、「しまき」を表題にするのはやめようかと考えた。「しまき」を選んだことを後悔し始めていたのだ。
 誰もが知っていることを今更のように説明しても、むしろ小生の無知を世間に公表しているようなもので、そのことはみんな知っていて知らん振りなのだとしても、しかし、やはり露骨に如実に示すというのもつらいものがあると思っていた、あまりに、「しまき」というか、しまりのない話となりそうなのだし。
 と、懸念していたら、見つかった。「日刊:この一句 最近のバックナンバー 2001年12月10日」に、「凩や東京の日のありどころ」(芥川龍之介)という句が紹介されてあって、その評釈の中に「平凡社新書の1冊として『風の名前 風の四季』」が紹介されている。「では、この本が取りあげている冬の風の名前を並べておこう。」ということで、以下、「あなじ、おろし、きたふき、こがらし、しまき、せちこち、つくばおろし、にし、ねはんにし、ふぶき、ぼうふうう、もがえりぶえ。」と紹介されている。その中に、「しまき」があるわけである。
 そうか、「しまき」は冬の風の名前だったのだ!
 ところで、上に引用した一文の前に、「この本では、今日の龍之介の句を挙げて、「木枯を好みの詩情としているのは芥川龍之介」と述べている。そして、「凩や目刺しに残る海のいろ」などを引いている。この見方に賛成。」と、坪内稔典氏。
 実は、今、小生、『藤沢周平句集』(文芸春秋社刊)を読んでいる。この本の中に、「晩秋の光景」というエッセイの小品集が載っていて、さらにその中に、「夕蜘蛛」という、全文を読むのに数十秒も要しない、とても短い随筆がある。
 全文を転記してもいいのだが、問題もあろうから、前半だけ転記する:

 雨のついでに風のことを書くと、私は風が嫌いである。風が強くて外の木がざわざわ音を立てたり、雨戸が鳴ったりすると、貴が散って物が書けない。
 自分のそんな性格を、蜘蛛のせいだからなどと家の者に言ったりするが、むろん冗談で、私は蜘蛛も嫌いである。いまも、あまり確かとは言えない田舎のことわざのようなもの、朝の蜘蛛は殺すな、夜の蜘蛛は殺せにしたがって、明るいうちに見つけた蜘蛛は手間ひまをかけて外に出すけれども、夜の蜘蛛は躊躇なく殺す。
(転記終わり)

 作家により感性が違うのが当たり前だが、藤沢周平の風嫌いを、今日、この本を読んで知ったばかりなので、「木枯を好みの詩情」とするという芥川龍之介との対比が面白かったのである。
 小生について言えば、風が好き。雨も仕事でなかったら好き(晴天のほうが好きだが)。もっと言うと、天変地異が好きで雷雨など、大好きである。差し障りがあるのであまり正直には書けないが、被害さえなければ(当たり前だが)地震も嫌いではない。
 地震で人が怯えたりするかのように心の中がいつも震えているので、いざ地震が来ても、心の震えがそれでもって増幅されるようなことはないのである。
 蜘蛛だって、数年前から我が部屋にどうやら居着いている奴が約一匹いるらしい。なにしろ、「我が友は蜘蛛!」などというエッセイが小生にはあるくらいなのである。我が部屋を訪れるのは誰もおらず、小生も危害を加えるつもりもない。だから蜘蛛殿は安心して居住していることができる。名古屋のホームレスの方たちより、居心地良く暮らしているのではないか。
 昨年のいつ頃だったか、久しぶりに顔を見せてくれて(正確に言うと、小生が、つい衝動的にというか、発作的に部屋の掃除などをしたもので、蜘蛛殿がビックリ仰天されたのだと思う。蜘蛛殿にすれば、まさに驚天動地の思いだったのかもしれない)、「我が友は蜘蛛!」の続編を書いたりしたものだった。
 まあ、感性とか慣習とか、言い伝えとかは、人それぞれなのであろう。
 話がまた逸れてしまった。まあ、本筋となる話など何もないから、何が本道でどれが脇道なのか、区別が付かないのだけれど、とりあえず、今日の表題は「しまき」だということは、未だ忘れていない。
「しまき」が冬の風の名前であり、風の一種の呼び名であろうことは分かった。
 が、どんな風なのかが分からない。
「しまき 季語」でネット検索して気付いたことは、「しまき」のみで使われる句もあるが、「雪しまき」といった形で使われる句も、結構、目立つということ。なので、今度は、「雪しまき 季語」で検索。すると、ようやく「雪しまき(ゆきしまき:雪まじりの強風)」という説明を見出した(YS2001のホームページへようこそ!)。
 なるほど、「しまき」は「雪しまき」であり、「雪まじりの強風」なのだ。冬の風の一種であるのは当然だ。
 ちゃんと、「(雪)しまき」の織り込まれた句が見つかる。「雪しまきマスクの街は無表情」(ひとり静)や、「雪しまき行者の燈のゆくけもの道 」(潮音)、「雪しまき一乗谷の山隠し」(五嶋吉人)、「突如なる兄の入院しまき雲」(堀佐夜子)、「荒船の岩縁叩く雪しまき」(吉田文子)など。

 ここまで根気良くネット検索を重ねる甲斐があった。「しまき」というのは、もしかしたら方言なのか、それとも、古来より使われてきた言葉だったが、今では一部の地方で、あるいは俳句(短歌)の世界で使われるのみの、死語に近い言葉なのかという疑問に照明を投げかけてくれるサイトが見つかったのである。
 ここまで、だらだらと…、じゃない、粘り強く頑張った努力が報われたのだ。「「風巻(しまき)」とは、烈しく吹く風を示す言葉です。「し」は風の古語で、平安時代末にはすでに和歌に使われていたそうです。」という一文が見つかったではないか。
 で、急遽、「風巻(しまき)」でネット検索。すると、いきなり「”子を返せ”泣き叫ぶ母風巻(しまき)雲」(maya5807)などという句が見つかる。いろいろ見ると、「しまき」は「広辞苑」に載っているらしい。我が広辞苑は電子辞書で故障しているので、調べられず、ここまで回り道を強いられたのだった。ガッカリである。盛岡育ちの方などには、「しまき」は身に付いた、体感で使える言葉だというが。
 ネットを検索すると、「風の待ち合い室」なるサイトがあって、その「風辞典5  冬の風」という頁には、「しまき(風巻)」も含め、冬の風の呼称が整理されてある。これだけあると、感動物というか、絶句する。
 小生など、「風巻」というと、「風巻景次郎」などを思い浮かべたりするけど、日本の言葉は奥が実に深い。
 但し、例によって、「しまき」のことが大凡でも分かったというには程遠い。「雪しまき」というのは、「吹雪」と同じと思っていいのか。雪の量や質が違うのか。やはり、実は方言なのか。和歌で使われていたというけれど、例えば、何処で。
 分からないことが多すぎる。

 雪しまき息絶え絶えに背中追う(ガキの頃、雪の降り頻る中、雪に掻き消されそうになる近所の兄さんの後を懸命に追ったっけ)
 雪しまきほの暗き中父の行く(雪の降る未明、鉄道員だった父は除雪作業に駆り出されて行ったのだった)
 雪しまきほの暗き窓眠るのみ(ガキの頃、好きだった女の子の家が歩いて数分のところにあった。普段は前を通れないけど、雪の降る中、わざわざその人の家の前を足早に通り過ぎたっけ)

 さて、今日は、あるサイトで、ことば遊び的な「コトリ」の詩が載っているのを発見。その詩に呼応するような詩を書きたかったけど、小生には詩は書けない。なので、ナンセンスな掌編「鳥の餌」を書き上げてみた。
 さて、明日(すでに今日だけど)は仕事、『藤沢周平句集』を読みながら、寝入るとするかな。
 では、また、明日。


[ コメントで、「歳時記と季語辞典」によると、「しまき」を「風巻」と書いて、「風が烈しく吹きまくること、雪を伴うと『雪しまき』となる」、「「雪しまき」は「雪が烈しく降り、風がふきすさぶこと」とあり、雪しまきのため昼が暗いのを「雪暗」(ゆきぐれ)ということ」、「「しまく」という使い方もあるようで、「雪のしまくを窓から見る」とか、「~~、雪しまく」という形で作られた句例も載っていること」などを教えていただきました。
 コメントを寄せていただき、ありがとうございました。
「歳時記と季語辞典」のような基本的な文献もなしに試行錯誤している。小生が全くの手探りで書いているのだということが分かるというものです。 (05/01/27 追記) ]

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コメント

こんにちは。好くお休みになれたことでしょう。途中まで読んでいて不安になりましたがスッキリしました。風がついて解かり、雪がついて想像できました。この月曜日ですが、ここは余り雪が降らないので風花が舞っているのです。それでもふんわりでなく風が強く巻いているんですね。雪の量は少ないので積もる様子はない。冷たい風が気になる。これが「雪しまき」でしょうか?

投稿: pfaelzerwein | 2005/01/27 00:38

pfaelzerwein さん、コメント、ありがとう。
ここまで書いていて無責任なようですが、未だ、「しまき」のもう少し明確な意味合いとか光景が見えていません。方言なのか、それとも江戸時代はある程度広く使われていた言葉だけど、今はほとんど季語としてしか残っていないのか、吹雪とはどう違うのかなどなど。

投稿: 弥一 | 2005/01/27 07:48

もう、お解りになったことで、私のコメント、いらないかもしれないけど・・・。
うちの歳時記と季語辞典では「しまき」を「風巻」と書いて、「風が烈しく吹きまくること、雪を伴うと『雪しまき』となる」とありました。
「雪しまき」は「雪が烈しく降り、風がふきすさぶこと」とあり、雪しまきのため昼が暗いのを「雪暗」(ゆきぐれ)っていうそうです。
「しまく」という使い方もあるようで、「雪のしまくを窓から見る」とか、「~~、雪しまく」という形で作られた句例も載っていましたよ。

投稿: なずな | 2005/01/27 09:39

なずなさん!
待ってました!
そういう情報が欲しかったのです。
季語随筆と銘打っていても、手元に何も資料がなくてやっている。恥ずかしい限りです。まあ、日々、季語をネタに今昔の風物・習慣・風俗・時代などを手探りするドキュメントだと思って読んでもらえたらいいのだけど。

投稿: 弥一 | 2005/01/27 15:12

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