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2005/01/23

悴(かじか)む

 今日の季語・季題には「かじかむ」を選んだ。表題を選ぶに当たっては、1月の季語例を眺めつつ、キルケゴールではないが、あれかこれかと迷い悩んで、日々のことを思いめぐらす中で、これにしようと決める。
 が、1月の季語の中にある「悴かむ」は、正直、読めなくて、なんとなく「ほぞをかむ」なのかなー、などと適当に読み流し、敬遠してきたのである。
 けれど、さすがに、季語に「ほぞをかむ」は変である。鈍感な小生だって諺(ことわざ)めいた言葉が季語に、それも、どう見ても冬には関係しそうにない…、ありえなーい、と思う。
 で、調べてみたら、「悴かむ」は、「悴(かじ)かむ」と読むではないか。
 逆に、「ほぞをかむ」を漢字表記すると、「臍をかむ」であり、意味合いは、「及ばないことを悔いる。後悔する。」(「日本のことわざ」より)なのである。「臍(ほぞ)」とは、臍(ヘソ)のことで、臍が使われた諺には、「臍(ほぞ)を固める」がある。意味合いは、「心を決める。決心する。覚悟を決める。」(同上など参照)で、腹を固めるにニュアンスが近いようだ。

 確かに臍(ヘソ)は噛めない。及ばない試みである。
 それが、だからといって、何故、及ばないことを悔いるとなるのか、後悔するという意味を担うようになるのかは、定かではない。昔、誰か臍(へそ)を噛もうと試みた人が居るのだろうか。もしかしたら、その人は、所謂、「でべそ」だったのか。或る日、そんな自分の出っ張っているヘソが憎たらしくなり、それとも恥ずかしい思いをさせられることがあり、噛み切って普通の人のヘソのようになろうと試みた…、けれど、噛み切れなかった、失敗してしまった、それどころか、ついにはお腹が痛くなって一晩中、熱に魘されたりして、後悔したというのだろうか。
 いや、それとも、悲しい現実を仄めかしているのかもしれない。密かに身篭ってしまった…。誰の子か分からない、あるいは人様には公に言えない人の(まさか、タヌキの子ではないだろうが)子供で、堂々と生むわけにもいかない。
 で、或る日或る時、人目のつかない場所で自分一人で産み落として(それとも、考えたくはないが、水子にし)へその緒も自分の歯で、あるいは持参したハサミか小刀で断ち切った…。
 その後、産み落とした人は生き延びたのだろう。だからこそ、あとで悔いる羽目になったのだろうし。「臍(ほぞ)を噛む」が「後悔する」の意を帯びたのには、そんな悲しい経緯(いきさつ)やエピソードがあったのだろうか、なんて、考えるのは、小生だけだろう、ね。
 むしろ、今ごろになって、「悴かむ」が「悴(かじ)かむ」と読み下すのだと知る自分の愚かさに忸怩たる思いがし、同時に、綺語随筆日記などという高尚めいた、己には負荷の大きすぎる課題を担って、今ごろになって、しかも、まだ一月も下旬に入ったばかりなのだというのに、ああ、こんなこと始めちゃって、などと「臍を噛む」思いをしている、だから、「悴かむ」が「ほぞをかむ」と読めたりしたのかもしれない、なんて、密かに思ってしまう。
 やっぱり、臍の穴を弄っちゃ、いけないんだ。

 ネットにて、「悴かむ 季語」をキーワードにネット検索したら、ヒットしたのは、4件だった。ついで、「悴かむ」で試みたら、それでも、ヒット件数は12! なんだこりゃ! である。見つかった句も、「悴める手上げて人を打たんとす」「悴める手上げて見て垂らしけり」「悴める手は憎しみに震へをり」など、虚子の作品だけ(中には、「石女の妻悴みて役立たず」があったが、誰の作か分からない)。
 さすが虚子!
 これでは拙いと、「かじかむ」で検索すると1万件以上。圧倒されて、「かじかむ 季語」で検索。すると、211件。これなら、全部を眺め渡すことができる。「自販機でホット押す指かじかんで」や「拒まれて深きところの悴めり」などがすぐに見つかったが、ここで気になることが。
 これまで「悴(かじ)かむ」と読むのだとしてきたが、ネットでは、「悴(かじか)む」と読む事例も結構、見受けられる。手元の電子辞書の「広辞苑」は故障したままで、頼りにならない。
 ネットで、「大辞林(国語辞典)」を使って調べると、「かじかむ 【悴む】」となっているではないか! またまた恥の上塗りだ。あるいは、辞書ごとに読み方が違う、とか?!
 けれど、同上の辞典には、以下、懇切丁寧な説明が載っている:

かじか・む 0 【▼悴む】
(動マ五[四])
〔古くは「かしかむ」。「悴(かし)く」と同源〕
(1)手足が凍えて思うように動かなくなる。[季]冬。
「手が―・んで字が書けない」
(2)生気がなくなってやせおとろえる。[新撰字鏡]

 ここまで説明されて、まだ、「悴(かじ)かむ」に固執するわけにはいかないだろう。誰か異説を唱える人はいるだろうか。
 まあ、これで、「悴かむ」では、ネット検索の網に懸かる事例が少ないのも無理はないわけだ。「悴む」だと、約 4,950 件!をヒット。だよね。
 ちなみに、あるサイト(「近代季語についての報告(一)冬季編    橋本 直」)を覗いたら、「悴(かじか)む」には、(類題・傍題 こごゆ 手足凍ゆる かぢける)があるとされていた。
 このサイトには、「悴む(かじかむ)」の初出や、その以前は、「大正末期までは近世以来の「悴(かじ)ける」」だとも記されていた。

 さて、気を取り直して、「悴(かじか)む」という言葉の織り込まれた句を探そう。
 が、その前に、先に示した「拒まれて深きところの悴めり」が気になる(「★俳句レロレロ★ AAKO 's lasy days」より)。当該の頁には、恐らくはご自身による評釈も施されている。当然、それを尊重すべきなのだろうが、小生が読むと、何か艶っぽいような、何処か男女の機微の深いところを表現しているような句に思えてならなくなる。ここでは敢えて解釈はしないでおくけれど。
 句ではないが、あるサイト(週刊:新季語拾遺バックナンバー 2001年1~3月)で「ふと万葉集の東歌(東国の民謡)を思い出した。」として、「稲つけばかかる吾(あ)が手を今夜(こよい)もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ」という歌が紹介されていた。ちょっとしたことから、こんな歌を思い浮かべるなんて、実に、なんとも、さすがである。
 ちなみに、「「かかる」はあかぎれが出来ること。稲つきの仕事をする娘たちは、主家の若様のやさしさを想像して、かじかむ夜の寒さに耐えたのだろう。いじらしい。」と、歌について小生にも分かる解説を付してくれている。
 さ、ネット散策だ。「かじかむ手赤き血の色彼岸花」()が見つかった…、ここまで来て、そういえば、「かじかむ」などといった人間の動作が季語になる事例は、少ないのではないかと思われてきた。
 人間のちょっとした挙措動作というのは、季節が違うからといって、変わるわけじゃない。が、この「かじかむ」や上出の「凍える」といった動作は、まさに冬に関わる。「凍える」は、それでも、別れを告げられて心が凍える、などといった広い意味を担わせた使い方が考えられるが、「かじかむ」は、援用や敷衍した使用法は難しい。
 調べると、「人間の動作自体は季節とは無関係なので、当然のことながら季語になることはなかった。例外は「汗かく」「かじかむ」「凍える」といった寒暖に関係する行為だが、それも厳密には動作とは言いにくい。」という一文を見出した(「日国フォーラム」)。
 さらに、「しかしなにかの動作が詩的発想の契機となることは、充分にあり得ることで、ある動作をきっかけに発想されたと思われる俳句作品が、思い起こしてみればかなりあることに気づく。そんな作品を紹介してみる。」として、尾崎放哉の「足のうら洗へば白くなる」など、以下、関連する句が紹介されている。
 なかなかの秀句が揃っているので、覗いて味わってみて欲しい。
 句探しを続ける。「赤い頬包むあなたのかじかむ手」(小谷真美子)、「北風に! 足よおまえも、 かじかむかッ!」(「俳句入門」より)、「あれ嬉しかじかむ指に伊勢うどん」(月庵)、「みのらぬ恋に手足かじかむ」(美代子)、さらに「悴みて佛づとめの燭ともす」(吉田長良子)「悴みて綯ひたる縄のやはらかし」(河崎初夫)などが見つかった(最後の二句は、「秋桜歳時記」にて)。
 
「かじかむ」という言葉のなせる業(わざ)なのだろうか、味わいのある句が多かったように思える。まだまだネットにても見つかりそうなのだ。

 子供の頃、なぜか、霜焼けとか皸(あかぎれ)することが多かった。遊びに夢中になって、つい無茶をするからなのか、それとも、体質や身体の出来具合が未熟だからなのか。
 小生も雪国生まれだし、子供の頃は、雪がたっぷりというか、時にうんざりするほどに降った。それでも、雪降りが嬉しいというのが本音で、雪掻きも家の手伝いではなく、楽しかったから、意地と遊びの入り交じった不思議な感覚でせっせとやっていた。で、霜焼けや皸(あかぎれ)である。どうやって、直したものか。お袋に直してもらった…のかもしれないが、気が小さいというか、気恥ずかしかったのか、そんな手足を見せないで、炬燵に手先などを突っ込んで感覚が戻るのをじっと待つ、といった光景のほうが多かったような気がする。
 雪国の子供というと、頬っぺが真っ赤だったりする。冷えた体の表面を暖めようと、血液が循環して必要な部分に集まる…、だから紅くなったりするのだろうけれど、それがまた愛らしかったりする。けど、下手すると凍傷の一歩手前だったり。

 悴む手温めあって夜が更けて
 悴む手見つめるその目悲しげに
 悴んで震える胸を雪に埋め
 悴んで震える素手を胸に埋め
 寒いのと悴む手を取りポケットに
 悴む手暖められし遠い日よ
 公園の片隅に居る悴む手
 しずしずと夜の床に入る悴む手
 悴む手擦りあっての夜の底
 悴む手誰の手やらと見入るかな
 手袋を取るももどかし暖炉恋う
 凍えてるそんなあなたが愛しくて
 悴む手温められず臍を噛む

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コメント

冬にかじかむ手。
はぁっと息をかけて、温めるしぐさ。
本当は、とても大事なことなのかも。
冬は寒くて、凍えて震えるものだって、
ちゃんと知っておかなくちゃいけない気がします。

私、ずれているかしら…

投稿: Amice | 2005/01/23 21:59

 かじかむ手、それを暖める手。かじかむという言葉や、その言葉の使われる風景。そこには小さなドラマがあるような気がする。

 かじかむ手暖める手の懐かしき
 かじかむ手吐く息の白さに微笑んで

投稿: 弥一 | 2005/01/23 23:46

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