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2005/01/21

寒月

 東京(都心)はこの数日、晴れている。北海道や東北、北陸、関東でも山間の地は大雪の予報も出ている中、なんだか申し訳ないほど、穏やかな陽気だったりする。
 が、それも、夜ともなると、寒い! 夕方、用事があってちょっと外出してきたが、ジャケットは羽織っていったものの、ジッパーを締めないでいたので、セーターのお腹が一気に冷えてしまう。でも、面倒臭がりなので締めずに用事は済ませて帰る。部屋に入ったら慌てて電気ストーブのスイッチを捻った。
 晴れている夜、外に出ると、空に探すのは月。が、今日も仕事だった昨日も探す必要など、まるでなかった。ほぼ天頂近くに煌々と照っている。月齢からして満月にはあと数日といったところだが、明るさは満月に負けないほど。
[奇しくも小生には、ほぼ一年前のエッセイに「真冬の満月と霄壤の差と」がある。真冬の月は一入(ひとしお)の感興を呼び起こすのだね。(05/01/22 追記)]
 その月、あまりに位置が高いので、小生のようにバカみたいに空を見上げながら歩いたりせず、普通の視線だったら、逆に気付かないほどだったりする。
寒月」は一月の季語。一月の季語かどうかは分からないが、類語に「月氷る(つきこおる)」、「月冴ゆる(つきさゆる)」、「月凍つ(つきいつ)」や「冬の月」などがある。冬の季語だと思うが、1月の季語かどうかは分からない。
 今日の表題を選ぶに際し、はじめは、お医者さんとか医学とか、治療に関連する言葉を物色していた。

 というのも、昨日は営業の日だったのだが、朝、会社で過日行われた健康診断の結果通知票を貰ったこと、夜中に飲み会帰りのお医者さん(助手?)仲間を乗せたことなどがあったので、そうした分野に関わる季語・季題は何かないものかと探したが、見つからなかった。
 病が癒えて「笑初」とか、不幸にしてダメで「泣初」、病の回復を祈願して「寒詣、寒垢離(水を浴びて祈願する事)、 寒念仏、寒施行」などを小生らしく、強引にこじつけようかと思った。更には、「寒灸」は、どうか、とさえも思ったが、思わしくない。
 さすがに、「初治療」とか、「初診断」「初受診」「通院始め」なんてのも、ありそうでない(いや、なさそうで、ホントにないと言うべきか)。
 それでは、何故、「寒月」なのか。あるいは「冬の月」などを候補に考えたのか。昨夜や夕べの月が見事だったからに過ぎないか。それとも、恰好のタイトルが見つからず、思わず天を仰いでしまったというのか。
 ところで、治療に関連する言葉を物色したのには、昨夜半に聞きかじった浪曲のテーマに影響されてのことである。NHKラジオ(第2 浪曲十八番だったか)で、富士琴路という方の「みみず医者」を断片的にだが、聴けたのである。
 浪曲は伴奏に三味線が入る。三味線というと、今朝は国本武春の「アパラチア三味線」なる曲をラジオで聴いた。なので、三味線に絡む季語もチラッとは探したが、これは早々と断念。
 国本武春の三味線は初めて聴いた。シンガーソングライターで浪曲師と自称しておられる。ロック調というのか、とにかく無類のエンターテイナーぶ りをラジオでも感じた。きっと生演奏だと、さぞかしと思う。
 この頃、。吉田兄弟の津軽三味線など、三味線の復権が成っているように感じる。
 話は浪曲「みみず医者」に戻る。残念ながら、ネットで「みみず医者」の話を紹介したサイトが見つからなかった。
 それほど頻繁に聴く浪曲ではないが、小生、遠い昔、多分、中学か高校生の頃に一度、テレビで見た(聴いた)ことがあったような気がする。
 以下、かなり無精庵流に脚色された「みみず医者」であることを最初に断っておく。それでも、読まれるのならば、読む方の責任で、どうぞ。

 ある藪医者(あるいは偽医者だったか)は、すっかり酒に溺れて、当然ながら医道のことなどすっかり御無沙汰。患者も来ないし、女房には来ても治療などできないから、みんな断れと言い渡している始末。
 その医者のもとに或る日、老婆が治療の依頼にやってくる。女房は、亭主に取り次ぐ。
 なんだ、オレがいると言ってしまったのか、仕方ない奴だな、と、老婆の前に立つ。
 見て欲しいというのは、お前か。オレは、もう治療などできない。見ての通り、薬もない。帰れ。
 けれど、老婆は必死に食い下がる。見て欲しいのは、ワシじゃねえ、ワシの亭主だ。熱が出て、どうにも直らない。なんとしても、見て欲しい。薬が欲しい。
 医者は断るが、とうとう、老婆の懇願に根負けする。
 分かった、薬をやろう、だが、高いぞ。
 高いとは、いかほどで。
 一両じゃ。
 一両!!!
 それでもよかったら、作って進ぜる。
 老婆は、分かりました。それで結構です。お願いしますと言う。けど、今は持ち合わせがないので、用意して、また来ますと言って、去っていく。
 請け負って…。薬の宛ては充(あ)てはあるんですか、と女房。
 一両を吹っかければ、あの老婆は来るはずがない、と医師。
 が、一時ほどして、老婆がやってきた。
 やっとのことで集めたので、細かいカネですが、あると思います。どうぞ、あとで数えてみてください。
 困ったのは、医師のほうだった。来るはずがない、そう、医師は高を括っていたのに来てしまったのだ。
 医師は悩む。そもそも、まともな治療法も分からない。薬の調合など、皆目見当も付かない。
 ふと、遠い昔、医師の先生だったか誰かに熱さましには、ミミズが効くと聴いたことを思い出した。
 が、さて、ミミズをどう処方したらいいものか、分からない。塗るのか貼るのか煎じるのか。
(要所、要所に三味線が入るし、浪曲師の富士琴路の独特の節回しと唸りが入って、話はいよいよ佳境に入っていく。「塗るのか貼るのか煎じるのか」は、まるで聴衆である自分に直接、問い掛けられているような錯覚にさえ陥ってしまう)
 医師は、腹を括る。もう、どうにでもなれ、という心境である。ミミズを擂り潰し、辛うじて残っていた何かの薬剤と混ぜ合わせて、即席の薬の調合と相成る。
 そうやって、ようやく出来上がった薬を老婆に渡す。老婆は、くどいほどに礼をして薬を抱え、去っていく。
 行ってしまった。明日には結果が分かる。その結果次第では、オレはもうお終いだ。女房にも、覚悟をしておけと言う。
 覚悟とは?
 あの薬は似非(えせ)だ。多分、呑めば、結果は最悪のことも考えられる。その時は、オレも覚悟を決める。出るところへ出て罪を告白するつもりだ…。
 祈るような、長い長い一夜を医師(と女房)は過ごす。老婆の亭主は死ぬかもしれない。そうなったとしても、これまでの博打に現を抜かしたオレが悪いのだ。
 翌日(翌朝)、老婆がやってきた。医師が出迎える。
 結果はどうだった。
 冷えました。
 えっ、冷えたか。そうか、やっぱりダメだったか。
 やっぱりダメだったと申しますと…。
 だから、冷えたってことは、体が冷えた…、死んだってことだろう。
 いーえー、何をおっしゃいます。冷えたってのは、熱が冷めたってことでごぜえますよ。
 何?! つまり、熱が下がったってことか。
 そうでごぜえますだ。だから、今日はお礼に参ったというわけでごぜえますだ。
 助かった! 医師は、心底から安堵する。

 以上、うろ覚えなので、会話も話の流れもいい加減である。話の概容は間違っていないと思うのだが。特に結末のつけ方などは、話の上で重要なのだが、はっきり覚えていない。是非、本物の講釈を窺ってもらいたいものである。

 ところで、さて、この「みみず医者」という話。勝手な裏読みもできる。あるいは話を女房の秘話という形で作り替えるのである。
 例えば、女房と老婆が結託していたら、どうだろう。つまり、医師である亭主の博打熱に困り果てた女房が一策を案じたとしてみるのだ。そもそも、医師が患者など受け付けないと言っているのに、女房が勝手に患者を、つまり老婆を取り次いでしまうのがおかしい。
 女房は医師である亭主に困る老婆を会わせる。眼目は、患者は老婆ではなく、老婆の亭主なのだという点にある。医師は、体もよれよれで亭主を看に行くことなど、しない。あくまで老婆の話で患者の容態を窺うだけである。このことも、医師の女房は熟知している。
 だから、誰か知り合いの、但し、亭主の医師にはまるで顔見知りではない老婆に、言い含めるわけである。老婆が一時(いっとき)の間に用意した、方々から掻き集めてきた一両のカネというのも、医師の女房が遣り繰り算段して用意したものだろうとは、容易に推測できる。
 老婆が亭主の熱が下がりました、と、翌日(翌朝)報告するのも、当然である。最初から患者などいなかったし、熱に魘されてもいなかったのだから。
 この、まさに死ぬか生きるか(患者が、ではなく、医師を、である)の瀬戸際に立たせることで、女房は医師を立ち直らせようと計った、という話を作り上げることもできそうな気がする。別に医師が医療の道に携わらなくてもいい、博打や酒に溺れる毎日から足を洗ってもらえれば、それでいいのだし。
 但し、そのためには、亭主が酒に溺れる日々に実は自分でもうんざりしていることを女房が嗅ぎ取ること、老婆と、話をしっかり示し合わせておくこと、それに仕掛けるタイミング、さらには、前提として女房の亭主への愛情が何よりも不可欠なのだが。

 そんな苦労をする奥方というのは、きっと多いのだろう。内助の功。小生は独身なので、そんな内助は、ないじょー、の不幸である。悲しい!
 話が長くなりすぎた。肝心の季語「寒月」に絡む話題には入れなかった。ま、お月様も御照覧、御笑覧である。また、機会を設けて、ということで、おあとが宜しいようで。てけてんてん。

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コメント

冴月の君…。その昔、あまりの切なさに
涙に暮れた思い出が…。
ま、それはおいといて。

私もよく空を見上げます。
月もよく見ます。でも、女性は、月を見たらいけないとか何とか
「はっきり言うわよっ!」の占い師さんが。
でも、いいじゃんか、好きなんだもん。と、
私などは思っております。

みみず医者、面白いですね。
落語らしい、温かさにあふれています。
裏読みバージョンも、至極納得いきます。
今時、そんな賢い奥さん、どのくらいいるでしょうね?
私? 私は100年の不作のほうです。(爆死)

投稿: Amice | 2005/01/21 22:25

「ミミズ」で検索したら、エコロジー関係と釣り関係、そして漢方薬で出てきました。
乾燥ミミズは昔からあって、民間でも、熱さましにミミズ、はよく聞いたようですね。
裏読みも面白い。しっかりものの奥さんっていうのは、あの手この手考えるものね。ほほえましい。

ミミズの愛好家もいるみたいですね。クラゲだけじゃなく・・。(^_^.)

投稿: なずな | 2005/01/22 01:44

 Amiceさん、嬉しいな。よく、空を見上げますか。同志ですね。同好の士です。女性は月を見てはいけない…。そんなことを言う人がいるのですね。
 でも、それじゃ、女性でいてはいけないってことになるのじゃ。世界を広く、大きく、大らかに見たい人は空を見上げるのです。
 時に現実逃避になってもいいし、ただ、ポカンと見上げて歩くのも楽しい。
 ギリシャの哲人(哲学の祖)にタレスという人がいて、彼には有名な逸話があります。有名なのは、プラトンが広めたからでしょうが:

あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。

 タレスは天体観測のため空を見つめて歩いたと(プラトンは)言いますが、ホントはもしかしてただの阿呆で、それをプラトンは天体観測だと言い繕っているだけかもしれない。でも、楽しいんだから、いいじゃん、です。
 ちなみに、タレスは万物の根源は水だ!と喝破しました。小生の憶測では、井戸に落ちた際、水の冷たさ清々しさに感動して、根源は水だ!と叫んだのではなかったかと…。
 Amiceさん、主婦稼業も大変でしょうね。お付き合いもあるだろうし。やっぱり、たまにボーとするのはいいですよね。

 

投稿: やいっち | 2005/01/22 12:07

 なずなさん、コメント、ありがとう。
 わざわざ「ミミズ」で検索されたんですね。小生もミミズの薬効を知りたくて調べようと思ったけど、面倒になってやめました。
 本当に効果があったのでしょうか。今でも試されているのでしょうか。ま、土壌の栄養分を吸収しているからミミズは蛋白源として栄養になったのは、間違いない、とは思うけれど。栄養不足の方には勧めてもいいかもしれない。 
 クラゲ好き。ああん、覚えていたんですね。あの絵、好きですよ。
 ミミズ好きは、あまり表立っては言えない。今以上に変人と思われては困るし。
 落語や浪曲(に限らないけど)の裏読みは楽しいですね。語られる話には、裏舞台や背景がきっとあるはずだし。その類いの試みでも結構、楽しめそう。
 それにしても、「みみず医者」のちゃんとした話(正確な内容)を知って紹介したい。


 
 

投稿: やいっち | 2005/01/22 12:13

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