« 青木の実 | トップページ | 初金毘羅(続) »

2005/01/19

初金毘羅

 表題の「初金比羅」というのは、1月の季語である。今日、これを選んだのは、ラジオで聞いた話が多少、耳に残っているからである。
 ラジオで伺うことが出来た話とは、対馬のこと、大きくは日本文化の源流に関わる話だった。

 昨夜というか、今日の未明というか、営業時間も残すところ二時間余りとなっていた。お客さんにもめぐり合えず、ぼんやりラジオを聞いてたら、対馬を巡る話(インタビュー形式)をしている。例によって聞きかじりだが、時間帯からして、どうやらNHKラジオ深夜便の「こころの時代」という番組らしい。
 試みにネットで番組の案内を見ると、テーマ(題名)は、「「くにざかいの島 対馬に生きて」出演:永留久恵(前対馬歴史民俗史料館研究員)」であり、内容は、「朝鮮半島との交流の要地である対馬に生まれ、その歴史風土を研究してきた永留さん。「対馬のことは永留さんに聞け」と、司馬遼太郎さん、上田正昭さん、金達寿さんらにも高く評価されてきた優れた郷土史家である。小中学校の教員、校長を歴任しながら研究を深めてきた永留さんが、これまでの歩みと成果、"ふるさと対馬"への思いを語る。」とのこと。
 小生は、ラジオではニュースと音楽番組しか基本的には聞かない。インタビューを含め、長めの話は聞かないことにしている。どうせ、お客さんが乗ってこられたらスイッチをオフにするか、ボリュームを下げるわけで、大概、話を中途半端にしか聞けない…、だったら、最初から聞かないほうがマシだ、というわけである。
 が、対馬のことは興味がある。歴史や考古学を巡る話のようでもある、上田正昭氏や司馬遼太郎氏らの名前が出てくる…となると、聞かないわけにはいかない。案内の中にある司馬遼太郎さん、上田正昭さん、金達寿さんらの諸著は、全てとはいかないが、それぞれに読み親しんできた。
 ただ、インタビューされている永留久恵氏のことは、全く初耳である。

 上でも紹介したが、「海童と天童 対馬からみた日本の神々」(大和書房) 「海人たちの足跡 環対馬海峡の基層文化」(白水社) 「古代史の鍵・対馬」(大和書房) 「海童と天童 対馬の風土と神々」(白水社) 「古代日本と対馬」(大和書房) 「古代史の鍵・対馬 日本と朝鮮を結ぶ島」(大和書房)と、一貫して対馬の歴史や風土を大陸との関わりも含め研究されてきた方のようである。
 かなりのご高齢のようだが、今は、これまでの研究の集大成というべき「対馬国史」(このように聞いたが、聞き間違いの可能性がある。また、正しいとしても、仮称かもしれない)を今年中に書き終えようと頑張っておられると、番組の最後に語られていた。
 昨日の話にはなかったと思うが、対馬には、「対馬21代藩主宗義真が寛文12年(1672)に開かせた大船越瀬戸(美津島町)」という、日本で二番目に古く築造されたと思われる運河がある。さらに明治になって、「海軍は明治33年(1900)、大船越の北約2キロに、浅海湾の万関浦と対馬海峡側の久須保浦との間の地峡を掘り割って大きな運河を開いた。」
 万関は、対馬海峡と朝鮮海峡を結ぶ要衝で、幾度となく橋が架けられた。いずれも対馬(の港)が大陸や朝鮮半島と日本列島とにとっても要衝の地だったことの証左なのだろう。
 日本列島には、縄文時代は別として、弥生時代の頃から、大陸などより多様な民族や文化背景をもつ人々が渡ってきた。天神系というまさに大陸系の人々もいれば(死ねば天に帰ると発想する)、海神系の人々もいる。
 海神系でも、宗像系、住吉系、ワタツミ(海神?)系という三つの系統があり、宗像系は福岡県の宗像神社や広島厳島神社など、住吉系(安曇族の祭神)は摂津の住吉神社と山口県長門の住吉神社、福岡県博多の住吉神社が有名だが、もともと福岡の住吉を本拠としていたのだということ、ワタツミ系(安曇族系の祭神)は福岡県志賀島の志賀海神社などが、それぞれ知られている。
 みられるように、阿曇氏と(越智氏・久米氏・)宗像氏はほとんど同族と見なす説もある。
 大陸から一つの民族や集団が海を渡るには、いくら距離的に近いといっても、海を越える必要がある。が、海には海を根城にする集団(越など)がいる。地図を見れば分かるように、朝鮮半島と日本列島、特に九州とは島々があり、特に対馬が要衝の島だったわけである。大陸文化や集団などが海を渡るとき、まずは対馬に上陸する。対馬は列島にとって大陸文化の玄関口、あるいはそれ以上の土地だったわけだ。
 昨日の話では、朝鮮通信使の話が面白かった。日本側は、日本書紀の記述を鵜呑みにしているから、朝鮮通信使を朝鮮からの朝貢と見なしている。一方、朝鮮の側にすると、自分たちは中国が朝鮮にとって天子であるように、朝鮮通信使たることは日本にとっての天子だと思い、誇りを持っている。
 長く、朝鮮は、日本にとって大陸文化の経由地だった(と書くと、自前の文化・伝統を持たないようで朝鮮の方たちに失礼か。日本の人々は、中国の文化はともかく、朝鮮に対しては優越的な立場にあると思いたかったのだろう。後発国の複雑な、でも、分かりやすい心理なのか)。
 朝鮮にしたら高度な文化を日本に伝授してきたという自負がある一方、日本はあくまで眼目は中国にある、朝鮮は伝授する先生で、文化や技術を生んだのは中国なのだ…と思いたい…。そういう齟齬が江戸時代にもあった。
 まあ、もともとが豊臣秀吉の朝鮮出兵で、非道なことをしてしまったため、朝鮮側の対日感情はひどいものだった。そんな中、徳川家康と朝鮮との長い交渉の末、両国の利害などもあり、「交渉をはじめて4年後の慶長12年(1607年)にようやく和平が成立し、その第1回の通信使を日本へ派遣することとなった
 が、両国の思惑などが交錯する中、間を取り持ったのが雨森芳洲なのだった。昨夜は久しぶりに雨森芳洲の名をラジオで伺うことができた。ま、対馬といえば雨森芳洲なのだから、当然の話だが。
「雨森芳洲(1668~1755)(「雨 森 芳 洲 と 朝 鮮 通 信 使」参照)は、「雨森村(現・滋賀県伊香郡高月町雨森)に生れたと伝える江戸時代中期の儒学者です。木下順庵のもとで学び、22歳の時、対朝鮮外交の窓口である対馬藩に仕えました。」という。
 木下順庵のもとで学んだ人には、室鳩巣(1658~1734)、さらには新井白石がいる。白石は、幕府に登用され、雨森芳洲は請われて対馬藩に仕えたわけである。
 どうやら、少なくとも雨森芳洲は、新井白石の思想に反目があったようだと、昨夜の話で聞いたのだが、詳しくは聞き取れなかった。
「朝鮮通信使という異国の文化を迎え、それを見物し、交流することは、わが国にとって江戸時代きっての国際的イベントで、一行は武士階級のみならず、文人や一般民衆からも大歓迎されました。彼らがもたらしたものは、現在、各地に残っていて、私たちも目にすることができます。」というが、我が英一蝶筆の「馬上揮毫図」(大阪歴史博物館所蔵)をここで拝めるとは僥倖だった。
 雨森芳洲が、対馬藩に仕官した経緯とは、以下のようである(「雨森芳洲について」参照):
「元禄元年(1688)同門の対馬藩儒西山順泰(1660~) が没し、翌年藩は順庵に後任の儒者を求めた。対馬はその地理から古来より日朝交流の窓口で、徳川幕府は朝鮮外交の実務を対馬藩に命じていた。よって藩では進講のほかに外交文書の解読・起草、中国等の漂着船の筆談役などをも務めうる学識豊かな儒者を必要としていた。」
 驚いたのは(驚く方がどうかしているのかもしれないが)、芳洲は先代藩主の引退報告の使者として自ら朝鮮へ行ったことである。その地で、それまで修得した中国などだけではダメで、朝鮮語をも学び、「朝鮮語入門書をも作成した」のだった。
 昨夜の永留久恵氏の話でも強調されていたが、芳洲は、「国際関係においては平等互恵を宗とし、外交の基本は誠信にあると説いた」のであり、「様々な交渉にあたるなど、みずからも善隣外交の実践に努めた。」芳洲は誠信を以って旨とするが、時の幕府の知恵袋である白石とは考えを異にしていた。「正徳時幕府の中心にいた白石との、日本国王号改変・通信使の待遇変更・銀の輸出等をめぐる論争は有名。」というが、穏健派で慎重派の芳洲と武断的な白石が齟齬するのも無理はないのかもしれない。
 昨夜は竜神(龍神)の話も聞いたのだが、話が長くなりすぎた。肝心の「初金毘羅」のことは、稿を改めて触れることにしたい。


 

 

|

« 青木の実 | トップページ | 初金毘羅(続) »

季語随筆」カテゴリの記事

コメント

弥一さんこんにちは。
ラジオ深夜便いいですよ。僕はお風呂に入りながら緩やかに聴いています。
東京新聞には「ラジオ深夜便ガイド」なるコーナーまでありますが、以前雑誌で読んだところ、この番組は中高年に一種のブームだそうです。
朝鮮というと今韓国でも北朝鮮に拉致された人のことが問題になってるんですよね。

投稿: oki | 2005/01/19 15:55

oki さん、コメント、ありがとう。お風呂で深夜便、羨ましい。小生は仕事柄、タクシーの中です。それでも、楽しみ。この番組は長寿番組。息の長い静かなブームとなりそうです。
 それにしても、「初金毘羅」、本題に入れないまま、脱稿してしまった。続き、書かなくっちゃ。

投稿: 無精こと弥一  | 2005/01/19 16:38

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/2628111

この記事へのトラックバック一覧です: 初金毘羅:

« 青木の実 | トップページ | 初金毘羅(続) »