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2005/01/17

雪女郎

「雪女郎」は、1月の季語だという。雪に関連する言葉(女性? 存在? 噂? 伝説? 昔話?)なのだから、冬の季語であってもおかしくはないけれど、どうして、季語として使われるのだろう。
 試しに手元の事典(NIPPONICA 2001)で「雪女郎」を引いても出てこない。が、「雪女」だと登場し、「雪の夜に現れるという女性姿の妖怪。雪女郎、雪おんば、雪降り婆(ばば)などともいう」と、ある。以下、縷縷、説明されているが、事典では季語としての説明は全くされていない。
 別のサイトを覗くと、雪女郎(ゆきじょろう)の別名として「雪女 雪鬼 雪坊主」などとある。例句に、「雪女郎消えて畦木のあるばかり」(窪田竹舟)、「雪女入ってゆきし雪の堂」(前山久子)などが挙げられている。
 どうやら扱いは、雪女郎は雪女を含め、背景に伝説や謂れがいろいろあり、それらが一括して雪女郎の項に収められているらしい。
 雪女郎というのは、少なくとも男には床しいというか、怖いもの見たさというのか、気になる存在(?)であるようで、ネットでも句は少なからず見つかる。「みちのくの雪深ければ雪女郎」(山口青邨)など、この句の深い味わいは小生には分からず、浅薄な理解に止まっているのかもしれないが、とにかく、男の場合は雪女郎とか雪女というと、日も暮れ落ちてしまった山間(やまあい)の雪深い道なき道を降り頻る雪の中、歩くときなど、ふと、雪女が、なだらかというか、女の背中から腰にかけてのラインのように緩やかな曲線を描く降り積もった斜面の向こう側に、ふっと現れるのではという、妙な幻想を抱く。

 幻想というより、下手すると欲求、願望だったりする。それも背筋がゾクゾクするような恐怖の念に満ちた、けれど、それほどに男の琴線に触れ接し食い込んでいる、その実、普段は思い出したくない、忘れ去っている、捨て去った女が、己の下に現れ出でる。
 願望に近い恐怖の念。それは、現実の自分というのは、みすぼらしかったり、貧相だったり、いずれにしても平凡でうらぶれていて、とてもじゃないけれど、女性に執着されるような男ではないことを長年のうちに(あるいは、若いうちに早々と)思い知っているからこその、切なる願いの象徴だったりするのである。
 逆恨みにしろ、女に愛憎の面からは相手にされる男というのは、男から見ても嫉妬の対象となりかねない羨ましい存在だったりする。女性を、あるいは人を踏みつけにするようなことは、冷たい、すげない後ろ姿を見せつけるようなことは、大概の男性は(人間は)できっこないのである。
 年を取り、仕事の絡み、近所付きあい、縁戚関係、その他で仕方のないものは別として、真に人間として、あるいは男と女としてどろどろの愛憎の巷(ちまた)を這いつくばることはなく、どちらかというと当り障りのない人生を生きてきてしまったことを寂しく自覚し、だから、当然ながら、どこかで誰か女性が己のことを愛しいと思いながら、それとも恨みを呑みながら末期を遂げてしまうようなことはありえないことをも、情なく思い知っている。
 年を取るほどに、けれど、魂を接しきれずに誰とも付き合えなかったことが寂しくなる。寂しさの念が募る。空白の心を誰にも決して見られることのないような形で、闇の中、寝入るほんの瞬間、そっと、オレを心底思う人が居たならば、否、現に居るのであり、今、たった今、恨みに魂を焦がしながら末期の時を迎えている! そう、ふと、想う。想ってみたくなる。
 自分にはどうみても、あるいは誰が見ても、うらぶれていて、激しい恋など、まして女や愛欲の海など、まるで縁がなさそうな人、そんな人が、ふと、目をぎらつかせる瞬間。「雪女郎おそろし父の恋恐ろし」(中村草田男)というのは、まさに、そんな瞬間を垣間見た驚きを表す句なのではなかろうか(「日刊:この一句 バックナンバー 2003年1月31日」より)。
 ネットでは、「一線を越える越えない雪女郎」(あや)という句が見つかった(「第12巻埋字しりとり3句 2003.12.22」より)。人生には、一線を越えるべきか越えざるべきかの決断を迫られる時が、一度はある。恋ならば、その時の踏ん切りができるかどうか、悪事ならば、踏ん張りを利かせることができるかどうか、そこが人生の岐路の行方を決めてしまう。
 
 さて、「雪女」というと、小泉八雲である。小生も、特に大学生の頃に八雲に凝り、八雲関連の本を買い漁り読み漁ったものだ。中でも、まずは、怪談モノであり、筆頭の一つが「雪女」であることに異論はなかろうと思う。
 雪女の話は、「明治時代に日本へきて帰化した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、これに似た話を東京の農夫から聞いたとして『怪談』の中に書いている」というが、元はというと、「長野あたりから伝わったものに違いない」と、考える人も居る。
 雪女の話の「原型は、中世に創作された謡曲『雪鬼』」なのであり、「しんしんと降り積もる大雪の中で、おぼろ気に見えるものの影を人の姿と想像した雪国の人々は、やがて、人間を吹雪の中に閉じ込めて生命を奪い、子供をさらう妖怪「雪女郎」に発展させた。そして、それがさらに母性愛に満ちた『雪女』に変化したのである。」
 そこには、「ヒロインの雪の精に、自分自身の「女の性のはかなさ」を重ね合わせて語っていたからである」という側面があると言う。
 が、話の本筋はここからである。それは、まあ、このサイトを覗いて、読んでみてほしい。

 小生は、八雲の「雪女」を読んで、一番、怖かったのは、雪女の登場するシーンではなく、雪女と会ったことを、見たことを誰にも決して喋ってはならないと、きつく口止めされていたのに、巳之吉がつい気を許して、喋ってしまうシーンである。
「おまえは、しゃべったね」
 だけど、人は一生、抱えた秘密を黙り通せるものなのか。いつかどこかで誰かに漏らしてしまうものなのではないか。少なくとも自分には守り通す自信がないと感じた瞬間、ああ、自分には恋はできないな、本当の意味では女に惚れることはできないなと、中学生だったか高校生になりたての頃だったか、初めて「雪女」の物語に接した時に感じたのだった。
 似たような恐怖や、やはり八雲の 『耳なし芳一の話』を読んだか、テレビでドラマ化されたものや映画化されたものを見たときに感じた(藤村志保主演だった!)。
 この話というのは、「『平家物語』を語る琵琶法師芳一が壇の浦に没した平家の怨霊にさそわれて、赤間が関の墓所で、毎夜壇の浦合戦の悲劇を物語る。そのことを知った和尚が体中に般若心経を書きつけ、怨霊から護るが、耳にだけ経文を書くことを忘れ、その耳を怨霊が引きちぎって立ち去ったという物語である。 」
 怖いのは、和尚が体中に経文を書き付けたつもりだったが、どこか一箇所、書き漏らしてしまうという、その一点だった。
 つまりは、語ることを禁じられても、つい、漏らしてしまうのが人間なのだということ、完璧を期したつもりが、それでも、何処かしら蟻の一穴となる、盲点となる穴が空いていて、そこから外界からの、魔界からの手が忍び込んでくるわけである。
 ここには、ガキの頃の小生の深層心理とも関連するようで、別の角度からの分析が要るのかもしれない。稿を改めて、いつか、書いてみたい。

 それにしても、不思議なのは、どうして「雪女」なのかということ。「雪男」となると、ヒマラヤの奥地の毛むくじゃらの大男ということになってしまう。それなりにロマンはあるが、哀切感は漂ってこない。
 雪女というイメージに投影しやすい情念が、男性にとっての女性にはある、ということなのか。物語が男性の手によって作られたからなのか。それとも、江戸のような大都会、女性の数が男性に比して圧倒的に少なく、女性の希少価値が高い反面、一歩、田舎に入ると、女性は、カネを使わせ食べさせるだけの余計な存在に見なされ、人生が我が侭勝手な男性次第になりがちで、それだけ女性の怨念や情念・執念が募りやすかった、情念が恨みに集約されてしまうことが多かったということなのか。
 雪女を巡る考察は、歴史にはなりえなかった負の現実の深層を抉ることにもなるのだろうと推察される。
 ネットを検索していたら、雪の精というのもある。これも女性に仮託されている。雪入道も見つけたが、これは、やはり、むくつけき男だろう。
 検索していたら、「屠られ行く馬の威凛と雪女郎」(斎田 茂)といった句を見つけた(「俳句スクエア集 2003年 3月号」にて)。深深(しんしん)と雪の降る道を今から老いてしまったのか、病気に罹ったためなのか、屠殺されに行く馬の凛とした姿。その末期を見守り看取るのは雪女郎のみなのが悲しい、という風景なのだろうか。

 ここまで書いてきて、肝心なことを書いていないことに気付いている方もいるのだろう。そう、雪女はともかく、雪女郎という以上は、「女郎」について語らないと、雪女郎の<実像>に迫ったことにならないだろうからである。
 これは、課題ということにさせてもらう。
 あるいは、語るべき何かを持つ人がコメントしてくれると嬉しいのだが。

 雪の道足跡だけが付いてくる
 見返れば来た道さえもはかなかり
 雪女郎怖くて怖くて会いたくて
 一人行くこの道の先雪の中
 深深と降り積もる雪誰も見ず
 雪道に消え行く影を追う我か
 消えた影夢見に出ては朝悲し
 雪女末期の枕濡らすのか
 いつの日か現れ出でて消える人
 雪に臥す恋しい人に添うごとく
 みちのくの雪の音にも騒ぐ胸

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コメント

ながーーーい髪に、透き通るような白い肌。
それも病的に白いとなれば、
肥えてる女(え、私?)は、想像しにくいですね。
雪には、溶けてしまう儚さがあって、
そのイメージもあわせると、
哀切漂う雪女のイメージになるのではないかと思います。
女三界に家なしと言われるくらい、
存在していていい場所が見つからない女。
恨みも積もろうってものです。

冷たい雪の妖怪ではありますが、
儚げ~で、頼りなげ~で、
守ってあげたい男にとっては、たまらなく惹かれる存在でしょう。

でも、そのイメージは何も男性に限ったことでなく、
まっすぐな想いが仇となる哀しさを雪女の中に見て、
女も哀れと思うのです…。

投稿: Amice | 2005/01/17 23:01

Amiceさん、コメント、ありがとう。
今日、三度ばかり、書き込みをトライしたけど、毎回、何故かフリーズして失敗しました。混んでいたからなのかな。

 物語に描かれるのは、書き手や更には時代の思いや常識が投影される。女は女郎を典型とする悲しい存在、男はヤクザを典型の流れ者。それぞれに男があるいは女が思いを寄せる、あるいは情念を引き摺られてしまう。
 雪女をテーマとした小説をいつかは書きたいと思うけれど、力が足りないことを痛感する。泥まみれになって愛欲に溺れないと、書けない…のだろうか。


投稿: やいっち | 2005/01/18 01:46

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