« 氷柱 | トップページ | 雪女郎 »

2005/01/16

薮入り

 今日は「薮入り」、今朝、車中でラジオを聞いていたら、そんな話題に接した。
「薮入り」と言う言葉は、知らないわけじゃない。が、その言葉の意味、風習にそんなに馴染みがあるわけではない。むしろ、ほとんど知らないと言ったほうがいい。
 せっかくなので、「薮入り」だけをキーワードにネット検索してみた。僅か、909件をヒット。
 とりあえず、言葉の意味を説明しているサイトを物色する。筆頭に現れたサイトには、「お正月とお盆の16日前後に奉公人が主家から休暇をもらい、実家に帰り、休息する日。 本来は、嫁や婿が実家に帰る日を言った。」とある(「
伝次郎のカレンダー」より)。
 上位には、「薮入り」という落語を紹介するサイトが居並ぶ。そういえば、中学か高校生の頃、テレビでこの落語を聞いた(見た)記憶が微かにある。
 先代三遊亭金馬の得意ネタだというが、誰の高座だったのか、定かではない。
 小生、少なくともそんな若い頃、落語を好んでテレビで視聴したわけではない。確か、父の好みだったと思う。教育テレビだったかで、下手すると未だ白黒の頃だったはずだが、漫画や歌番組に切り替えたい小生の募る欲求不満を他所に、NHKの「新日本紀行」や落語などを父は見る。
 小生は大人しいので、父に文句も言えず、不承不承ながらも、見る。とにかく、まだ、テレビが珍しいし、視聴できるのが嬉しい時代でもあった。漫画の本くらいはすぐ傍にあったはずだが、いつしか見入って(聴き入って)しまっている自分がいたものだ。

 落語「薮入り」は、「昔の丁稚奉公では年に2度、盆と正月の16日に薮入りと言って、実家に帰ることを唯一の楽しみにしていた頃のお噺。」
 このことを逆に言うと、「両親は、子供以上に息子が薮入りで帰って来るのを幾日も前から楽しみにしている。」ということでもある。落語は、そんな親の思いを語ってくれる。
 ところで、さて、なぜ、そうした風習(習慣?)を薮入りと表現するのか。例えば、「落語で読む法律社会学」の「第十一回 なんにもいわず、泣き笑い  弁護士 菅原貴与志」を覗くと、「薮入りとは、住込みの奉公人が、1月と7月の16日前後に休暇をもらって実家に帰ることをいう。この2日間は、地獄の閻魔大王さえ休業するということから、元禄のころより習慣となったらしい」などと書いてある。
 さらに、「当時は、現代の小学生くらいから丁稚奉公に出ていた。都市部より草深い田舎に帰るため、「薮入(やぶい)り」と呼ぶようになったともいわれるが、定かではない」だという。
「里心がつくという理由から、奉公に出されると、はじめの数年間は薮入りも認められないのが一般的だった」というから、苛酷な時代だったのだ。伝統を大事に、などと喧伝されても、まさか、こんな風習(習慣、仕来り?)を今に甦らそうとは誰も思うまい。
 小生には、幸いにしてというべきか、そもそも、そんな年代ではない。
オレあたりが、「丁稚」と「薮入り」の最後の世代か。」と題された頁に、「くそ暑い中、出かける前にマウンテンバイクが余り汚く汚れているので、自分で言うのなんだが珍しく家の前で雑巾で拭いていると、近所のお年寄りが、「もう、薮入りか?」、と声を掛けられ、「薮入りはもう少し先ですわ!」、と返事、この「薮入り」という言葉も、オレの世代以降の人にはダンダン通じない言葉になりかけている。」という一文が見つかる。
 今時、「薮入り」なんて言葉を掛けるほうも掛ける方だが、聞いて分かるというのも、それなりの年代でないと、まず期待できない。
 小生より若干、上の世代だと、集団就職などで田舎を出て都会へ向かうのが当たり前の光景だったりする。「上野は おいらの 心の駅だー♪」という歌詞が印象的な、井沢八郎の「あゝ上野駅」は、ナツメロではなく、今、ヒット中ということでテレビで聞いて(見て)いた。
 上野駅というと、ある年代以上の方には、格別な感懐を以って思い浮かべるかもしれない。特に東北や北陸などからの集団就職者は、東京へ出てくると、まず、上野駅で都会の洗礼を受ける。
 小生の場合は、学生時代、郷里の富山と学生時代を過ごした杜の都・仙台との往復に際しては、オートバイを使わない時は、列車(汽車)で、必ず上野駅を経由する。初めて、パチンコをしたのも、上野駅での待ち合わせ時間を潰すために一人、何処かのパチンコ屋に入ったのだった。記憶では、五百円程度、勝った。
 で、以来、パチンコはしていないので、勝ち抜けしていることになる…はずだが、これも、記憶が曖昧である。
 どうも、話が薮蛇めいてきた。
 さて、「薮入り」は、1月の季語なのは、いいとして、やはり、薮入りの語源を確かめたい。「都市部より草深い田舎に帰るため、「薮入(やぶい)り」と呼ぶようになった」という説は、本当なのだろうか。
 あるサイト(「語源の部屋 日本語の探求のページ 博苦」)を覗くと、次のような説明を得ることが出来た。つまり、「「薮入り」七月十六日の行事。もともと、嫁が実家に戻る事を「藪入り」といっていたが、江戸・元禄の頃から奉公人が主人から暇を貰って故郷に帰る事をいうようになった。商家の奉公人は、盆と正月以外、休み無し。「薮入り」の語源は、藪の深い故郷に帰るからという説が一般的。」というのだが、ここまでは、多くのサイトで同様の説が援用されている。同一の典拠に基づくものなのか。
 但し、このサイトでは、さらに、「父を養う為に生家に戻るから「養父(やぶ)入り」という説もある。」とも説明されている。やはり、典拠は分からないが、あるいはこちらのほうが正解に近いのかもしれない。
 ついでながら、「養父(やぶ)」ではなく、「家父」と表記してあるサイトもあったことを書き添えておく。
 事典(NIPPONICA 2001)によると、「藪深い故郷に帰る」という説と、藪林(そうりん)という寺だという説などが示されているが、「いまだ明確ではない」という。
 薮入りは、「お正月とお盆の16日前後」なのは、「もとは先祖を祭り物忌をする日でもあったのが、奉公人の休日と結び付いたのであろう」という。
 さらに、「1月のこの日を仏の口明け、仏の年越し、仏の日、後生(ごしょう)始め、真言(しんごん)始めなどとよぶことが全国的にもあって、正月に仏事を忌んでいたのが解除される」とも、同上の事典には書いてある。
「1月と7月の16日前後」の「この2日間は、地獄の閻魔大王さえ休業するということから」と先に引用したが、この日は、閻魔様の縁日なのだとか。「地獄の釜の蓋もあくというので結び付いたらしい」とも事典にはある。
(ちょっと不思議なのは、屁理屈かもしれないが、地獄の釜の蓋が開いたら、それこそ釜の煮え滾る状態が露わになるわけで、それは反って困る状況なのではないかと懸念されるのだが…。)
 ネットでは、「母と寝て母を夢むる薮入かな」(松瀬青々)や「やぶ入の寝るやひとりの親の側」(炭太祗)がネット検索の上位に現れてくれた(「よもやま句歌栞草」「日国フォーラム」より)。
 ついでながら、蕪村らと交遊のあった炭 太祇(たん・たいぎ)(1738-1791)のことを、改めて思い出してみたりする(「俳句の森」より)。
 余談ついでに、「薮入り 季語」でネット検索していたら、蕪村の「狐火や髑髏に雨のたまる夜に」という句に久しぶりに行き逢った。どういう情景が詠われているのかは別にして一度、詠んだら忘れられなくなる句である。
 で、この句の「狐火」が冬の季語だとは、小生、今、初めて知った。迂闊である。
 この「狐火」、実際に見たことがあるかどうかは別にして、人里離れた地で夜などに正体不明の灯りなどを見たりしたら恐怖である。
 小生には、「狐の嫁入り」という掌編がある。いつだったか、印象的な絵を見たので、どうしても小説に仕立てたくなったので一気に書き上げたのだった。
 それにしても、「薮入り」は、もう疾うに死語乃至は廃れた風習になっているようで、あまり、この言葉が織り込まれた句を見つけられない。そんな中、「薮入りは死語となりしか主をらず」(船津昭夫氏の作か)を見つけた。現今の状況などを表現していて、共感・同感である。
 それにしても、「薮入り」を今日の表題に選んだ時、悪い予感があった…、そう、きっと語源も含め探究しきれず、薮蛇な稿に終わるのではないか…と。案の定だった。けれど、思えば、正月やお盆、さらには五月の連休毎に、列車・電車・汽車、それともオートバイで東京と富山を往復する小生には、あるいは、帰郷は変則的な薮入りとなっているのかもしれない、とは思うのだけれど。
 人付き合いが苦手で、多くの友とも音信普通になっていく…自業自得…そして孤立していく一方の生活。別に東京で丁稚奉公しているわけではないが、音沙汰のない生活、一人暮らし、東京という幻想と可能性と(可能性というニンジン)思惑の錯綜する大都会で、空中から掠め取るようにして、虚構の真実を抉り出そうとしている。
 ま、そんな感懐など、この際、いいか。

 薮入りを求めた果ての藪の中
 帰るたび深くなる藪踏み分けて
 薮入りを求めた果ての薮蛇か
 擦れ違う心を繋ぐ糸の細さ
 狐火に誘われるまま幽冥境
 闇夜にて狐火追うて帰れない
 町の灯を狐火と見る汽車の窓
 薮入りの一つもなしに恋の道
 夢の中薮入りしての目覚めかな
 薮入りをシャブ入りと読むそこの人
 

|

« 氷柱 | トップページ | 雪女郎 »

季語随筆」カテゴリの記事

コメント

藪と言う言葉には、何か得体の知れないものが
隠れているイメージがあります。
藪の中で、よく遊んだんですが、
私も得体の知れない「もの」だったのかも!?

『藪の中』という小説、印象的です。
そういう、得体の知れない「魔」の雰囲気を
上手く利用しているのでしょうか?
映画化されて、『羅生門』。
ぞぞぞぞぞ~~~Σ(|||▽||| )

投稿: Amice | 2005/01/16 21:43

 我が家の傍にも藪がありました。そこに一本、一際背の高い木があって、数メートルの高さの幹に近所の誰かが小屋を建て掛けていた。
 ボクも登りたいなーと眺めていたのを覚えている。
 その藪は、さすがに今じゃ、綺麗に刈り込まれて砂利の原になっているけど、今も空き地(更地)のまま。何処かの会社の所有地らしいけど、飛び地で使い道が見つからないみたい。時々、勝手に駐車場として使ったりして。
『藪の中』…。藪というわけじゃないけど、泉鏡花の『高野聖』は、森の不気味さを描いていて秀逸。森や林を大切になんて、今の我々は言うけれど、一昔前の森は、そこにどんな魔物が棲むか知れない闇の世界だったんだね。
『羅生門』関連だと、小生が仕事で時折通る場所に、その物語と関係の深い渡辺綱の名前が冠せられた坂がある。
 それにしても、森や藪より人の心の藪のほうが今は遥に怖いんだね。


投稿: やいっち | 2005/01/16 23:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/2591665

この記事へのトラックバック一覧です: 薮入り:

« 氷柱 | トップページ | 雪女郎 »