氷柱
氷柱を表題に選んだ。が、「氷柱」と書いただけでは、「ひょうちゅう」なのか「つらら」なのか、分からない。
実は、今日の表題を選ぶため、1月の季語例をぼんやり眺めていたら、「雪女郎、雪折、雪晴、 氷、氷柱、氷柱、採氷…」とあるではないか。あれ、氷柱が二つ、並んでいる。あれれ、である。
冬の季語を他のサイトで当たってみると、「花氷(はなごおり)」という季語があるので、その間違いかとも思ったが、「花氷」は、「中に花を入れて凍らせた氷や氷の彫物」であり、夏の季語なのである。類義語、関連する語ではあるが、冬の季語例には入らない。
せっかくなので、「氷彫刻の花氷を取材」という頁を覗いてみるのもいいかもしれない。
関連する…かどうかは分からないが、水中花という言葉もある。小生が思い浮かぶのは、松坂慶子の「愛の水中花」なのだが(今、知ったのだが、この方、東京は大田区生まれなのだ。ってことは、大田区在住の小生、なんとなく嬉しくなった)。
と、ここまで考えて、ようやく、氷柱には上記のように二通りの読み方があり、読み方が違うだけではなく、意味あるいは表現されるモノも違うのだと気付いた次第だった(但し、1月の季語例で示されている、「氷柱、氷柱」のそれぞ
れを「つらら」や「ひょうちゅう」と読むのかどうかは分からない。誤植などの可能性もある)。
雪国生まれならば、そうでなくとも雪の降る土地へ旅行などで行ったことがあるなら、氷柱(つらら)は見たことがあるだろう。飽きるほど、うんざりするほどに眺める羽目になったこともあるかもしれない。
今更だろうが、「つらら」の説明をしておくと、「氷点下の際、軒先などから水滴が垂れる時に凍りつき、それが長く垂れ下がったものをい」うのである。「「つらら」という言葉は「つらつら」が詰められたものという事で、古くは氷などの表面がつるつるしていて光沢のあるものを指していたそうです」とも、このサイト(「睦月の季語」)には書いてある。
そうか、「つらら」は、「つらつら」を約めたものだと分かった次第である(尤も、典拠で確認したわけではない)。
氷柱を「ひょうちゅう」と読む場合、その氷柱とは、文字通り、氷の柱で、場合によっては氷柱(つらら)をも、逞しくなったものだったら、氷の柱の如くということで、「ひょうちゅう」と表現するのかもしれないが、やはり、柱(はしら)という以上は、太さがある長さにおいて一貫してないと難を覚える。氷柱(ひょうちゅう)は、人為的なモノ、氷から削りだした造形物と思ったほうがいいのかもしれない。
この辺りは、事典などに当たる必要がありそうだ。
氷柱(ひょうちゅう)というと、小生には忘れられない思い出がある。小生が高校三年の五月の始め頃、母校が全焼したことがある。
五月の連休明けのある夜、自宅でテレビを見ながら寛いでいたら、夜の十時頃だったろうか、こんな時間に珍しく電話があった。出たお袋がボクに代われ、という。出ると、友人のKが、学校が火事で大変だぞ、などと言うではないか。小生は、自転車を飛ばして学校へ向かった。急ぐと、交通量の少ない夜でもあり、十数分で学校近辺に。
すると、校舎が住宅街で見えない辺りから、周辺は物々しい雰囲気。空が赤くなっている。自転車は何処かに乗り捨てて、緩やかに曲がる通学路を進むと、空が真っ赤に燃え上がっている。燃えているのは、校舎だ!
当時は木造で、焔は容赦なく、しかも、易々だとばかりに嘗め尽くしていく。
小生にとって、小学生の頃、三本立てを安く見せてくれるのでよく行った映画がやはり火災で全焼したのを見たのに継ぐ、大規模な火災だった(この映画館、オンボロで、そろそろ建て替えの要があった、観客も減っていたし…)。
一応は受験校だったので、火事の翌朝、燻っているような黒焦げの校舎の残骸を尻目に、学校の校庭に集まった生徒達、特に三年生(の一部)などは、内申書など、受験に必要な資料が無くなって将来に支障が出るのではないか、などと不安を語り合って居たりした。
小生自身はというと、呑気なもので、学校が休校になるかも、などと思ったりする始末。ま、そんな小生のことはさておいて、この校舎全焼が氷柱(ひょうちゅう)とどういう関係があるか、である(実は、この火事のため、生徒は教室が分散され、片想いの相手とは違う場所で勉強する羽目になったのだが)。
火事は、五月の始めだった。大急ぎでプレハブの校舎が建てられた。いよいよ暑くなる季節である。五月、六月は教室の一角に置かれた扇風機や下敷きを振って暑さを凌いでいたが、さて、七月を迎えると、もう、耐えがたい。
と、そんな猛暑の或る日、教室にある物体が持ち込まれた。
そう、それが氷柱(ひょうちゅう)だったのである。高さにして数十センチだったろうか、その氷柱が授業の間に次第に溶けていくのを、飽かず眺めていた小生がいたのは言うまでもない。
氷が溶けていくことで気化熱が奪われ、少しは涼しくなったかどうかは、分からない。が、涼しいような気がしたのは確かだった。
たまに、夏などテレビで動物園の白くま君にプレゼントだとばかりに氷柱が与えられ、白くま君が嬉しそうに戯れている映像が流されることがある。その度に、あのプレハブ校舎での我が身を懐かしく思い出したりする。
氷柱(つらら)のことは、小さな思い出を数え上げたら、切りがない。家の軒先にぶら下がる何本ものツララ。最初は小さかったものが、時間の経過と共に成長する。夜にはそんなでもなかったものが、休日の朝、遅めに玄関を出てみると、何十センチもの巨大なツララに生まれ変わっていて、あのツララの直撃を受けたら、ひとたまりもない、などと感じたものだった。
そのツララは、当然、危ないので、人の出入りする近辺のものは処理する。竹竿で叩き折ることもあるが、ガキの小生は、雪の礫(つぶて)をツララ目掛けて投げつけ、うまく当たったりすると、喜んでいたりしたものだった。
仙台でアパート暮らしをした時など、冬になると水道管が破裂するのは日常茶飯事だった。軒先にも、その水道管にも氷が張り付き、無論、路面もびっちり凍て付いている。バイクで学校に通っていた小生は、坂の上にあるアパートへ登ったり降りたりするのに、凍った路面で何度、転倒したことか。途中、曲がりくねった箇所があって、その曲がり角で転ぶと最悪で、滑り降りる最中に車に遭遇することもあり、ひやひやの通学だったりしたのだった。
さて、季語随筆らしく、氷柱が織り込まれた句を幾つか、詠んでおきたい。
「井のもとの草葉に重き氷柱哉」(鬼貫)は、上掲の「睦月の季語」で発見。「みちのくの星入り氷柱われに呉れよ」(鷹羽狩行)は、「季語コレクション」にて。
「雪女郎恋文氷柱のペンで書く」 (黒田杏子) を見つけた(季語索引)が、「雪女郎」も「氷柱」も共に1月の季語なので季重ねになっているのではと思ったりする。
「子等集ゐ花の氷柱撫でまわす」(きみこ)を「企画句会みのる選」で見つけたが、「「集ひ」は説明です」ということで、添削され「子供らは花の氷柱撫でまはし」を例示されていたのが勉強になった。
この句、なんとなくプレハブ校舎で氷柱(ひょうちゅう)に群がる高校生だった自分らの光景がダブって、好ましい。
ツララや氷柱(ひょうちゅう)は、ぶら下がるか、所定の位置にあるからいいが、路面の凍結は、困る。タクシードライバーを生業とする小生には、困る以上に恐怖である。幾度、滑って肝を冷やしたことか。
ひょうちゅうもツララも、共に(住み暮らす地域によって違うだろうが)生活の日常の中で馴染みあるものなので、結構、句に詠み込まれやすい季語・季題なのかもしれない。
尚、探究する時間がなくなったが、氷柱(つらら)の関連語で「垂氷(たるひ)」がある。これもなかなか味わいがある言葉だ。垂水峠での思い出もあるのだが、後日に回す。
掲示板へ書き込みをされた方が、物語を書かれていた。その物語からの連想と、昨日の季語随筆日記の表題(題材)である「冬薔薇(ふゆさうび)」にも絡めて、掌編「冬の薔薇」を書いた。前編を書いて放置してある掌編があるというのに。
氷柱を抱き締めても夏は夏
夏の日も冬も氷柱で暮らす我
ツララ舐め溶け流れてまた凍る
雪景色縁取るツララ額絵かな
ツララ折り背中に投げて戯れる
ツララ越し眺める空の歪みおり
ツララにも雪の被ってぬくむかな
[この稿を書き終えて、ちょっと外に出てみたら、そぼ降る雨になっていた。そろそろ東京も大晦日以来の雪になるのか…。]
[『藤沢周平句集』(文芸春秋社刊)を読んでいる。その本の中には、周平が結核療養中だった二年ほどの間、真剣に句作し、俳誌「海坂」に投句していた作品もまとめて載せられいる。藤沢周平ファンにはお馴染みの「海坂藩」の「海坂」という名は、実は俳句誌の名であったとは、小生、本書を読んで初めて知った。「氷柱」が織り込まれた句があったので、ここに紹介しておく:
大氷柱崩るる音す星明り 周平 (05/01/23 追記)]
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コメント
はぁ~、寒いです。
そんな日にまさにうってつけのタイトルです。
でも、冷たいつららを題材にとりながら、
中身はほんわり温かです。
私も、プレハブ教室を随分使った学年でした。
でも、氷柱は、持ち込まれたことがなかったですねぇ。
あったら、少しは暑さがしのげたかもしれないのになぁ。
投稿: Amice | 2005/01/15 22:42
Amiceさん、寒いですね。土曜日の営業は大変だった。車の中に居ればぬくぬくだけど、休憩は勿論だけど、トランクへの荷物の出し入れがあると、降りて作業する必要があるし。
雨…いつ雪になるかと、ひやひやだったけど、幸い、都心については(小生が向かった戸田市も)雪にならず、今日の営業は半端で終わるものと覚悟していただけに、最後まで仕事できたのは幸いだった。
今朝も冷たい雨が降っている。こんな中でも出かける人が居る。大変だね。
ところで、Amiceさん、プレハブ教室の経験がある。どうしてなの。校舎が台風で潰れたとか?
投稿: やいっち | 2005/01/16 10:29
氷雨の中出かける人、それは私です。σ(^^;)
本日、子供のカルタ取り大会で、子供会役員の私は、
荷物ガサガサお出掛けでした。
幸いにも、帰りには、雨が止んでくれたので、ちょっとは楽できましたが。
歳が、思いっきりバレますが、
私の前の歳は、丙午で人数が少なかったんですよ。
その分、翌年に多く生まれた赤ちゃんたち。
それが、私たち。(;_;)
なので、4階建ての大きな校舎にもかかわらず、
プレハブ教室が、つねにくっついてきました。
暑いし、寒いし、湿気るし、外の音丸ぎこえだし、
いやんなっちゃいますね~、プレハブ教室。
でも、唯一、「離れ」みたいだったところが、お気に入りでしたけど。
別に、台風で潰れたんじゃないですよ、だから♪
投稿: Amice | 2005/01/16 14:43
あらら、Amiceさん、お出掛け、用事、御苦労様です。小生は仕事はともかく、自宅では買い物以外は一切、用事を作らない。なので、今日のような雨の日は篭りきり。特に今朝まで雨に祟られた時は尚更。我が侭な暮らし振りは独り者の特権ですね。
小生の時も一つの学年で10クラスあった。一つの教室に50人近い生徒がいる。高校はさすがに8クラスだったけど、火事のため、分散。憧れの彼女は違う校舎に行ってしまったので姿さえ見えない、寂しい三年生の日々となった。
プレハブ校舎。環境は厳しいけど、今となっては思い出になるかも。悪ガキがいて、ベニヤ板を拳で叩いて破る奴もいたな。休憩時間、校庭で野球をやって、小生の打ったボールがプレハブ校舎の屋根を直撃したことがあった。騒ぎになったはずだけど、その時どうなったのか、まるで覚えていない。
投稿: やいっち | 2005/01/16 23:49