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2005/01/04

蓬莱(ほうらい)と徐福

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 年初の季語随筆(日記)の表題を何にするか。
「あけましておめでとう…云々」にちなむような言葉がいいような気がするけれど、格別、おめでたいわけでもないし、かといって極端に不幸というわけでもない…などと迷いながら、例によって、「一月の季語」をつらつら眺めてみた。
 十二月も季語(季題)となる言葉は多かったが、一月は更に多いような気がする。小生は帰省していたので、田舎で食べてきた「沢庵」などにも触れてみたい。めったに見ることのない「海老」もいい。「雪合戦」や「竹馬」も懐かしくて採り上げたい(でも、これらは掌編で触れるか)。
 眺めていくと、「雪女郎」なんて言葉が見つかった。どうしてこんな言葉が一月の季語なのか、興味津々。この言葉には今月中に必ず触れるはずである(主に好奇心から)。
 そんな中、何故か「蓬莱(ほうらい)」という言葉が目に飛び込んできた。先方から合図してきたとあっては、断るわけにもいかず、今日の表題は「蓬莱」に決定。
[冒頭の写真は、そろそろ太陽の沈みかけた富山の空。もう少しで小生、初めての夕焼けの画像が撮れるはずだったが、生憎、この直後、小生、車の中で居眠りしてしまい、未遂に終わった。悔しい!情ない!]

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「蓬莱 季語」でネット検索すると、「句集「蓬莱」平成12年」という頁の冒頭に、「蓬莱に梅の花咲く谷間あり    長谷川櫂」という句の鑑賞(小山孝治氏による)が浮かんできた。
 その鑑賞文に「蓬莱とは正月の床飾りのことであり、三方に米を盛りねその上に橙、熨斗鮑、勝栗、伊勢海老、松竹梅などを並べたりする。古代中国では東海の沖の遙か彼方に仙人が住むと信じられた蓬莱島があったといわれている。正月飾りの蓬莱はこの蓬莱島を模したものである。」という簡潔にして要を得た説明がある。
「蓬莱」という言葉については、もう、これで終わったようなものである。
 でも、せっかくなのでもう少しだけ敷衍しておく。「蓬莱」は、現代では「おせち料理」に関係して使われること言葉でもあり、一月の季語の中では、「食積(くいつみ)」が関連するようである。
 この「食積」は、お正月だからと、お餅等のおせち料理を食べられるだけ食べてお腹に詰める、という意味ではないようで、「年賀の客をもてなすための料理を箱詰めにしたものを言いますが、「蓬莢」(ほうらい)飾りの江戸での呼び方なのだそう」な(「おせち料理」より)。
 何気なく使っている「御節」についても、調べると、あれこれ興味深いことが見つかるのだが、今日は略させてもらう。
 同じく「蓬莱 季語」でネット検索すると、「奥の細道  ─道祖神の旅─  ゆきゆき亭 こやん」というサイトが上位に現れた。
「蓬莱(ほうらい)に聞かばや伊勢の初だより」という芭蕉の句を紹介し、芭蕉が道祖神という言葉が口癖だったようだとしつつ、「蓬莱」の説明が見られた。
「蓬莢といえば中国の伝説で東の海の向こうにあるとされる蓬莱・瀛州(えいしゅう)・方丈(ほうじょう)の三神山のひとつで、仙人の住む黄金の街があり、宝石の実る木(玉の枝)があり、そこに棲む動物はみんな真っ白だという。」
 この蓬莱伝説は、日本でも古くからあり、例えば、「熱田『蓬莱伝説』 <熱田は蓬莱の仙境であり、巨大な亀の甲羅の上にある。>」などは知る人ぞ知るだろう。
 それにしても、「この熱田に楊貴妃のお墓(五輪塔)が存在したと言われています。 熱田神宮内の清水社のあたりに、明治の初めごろまで残されていたそうです。」というのは、あまりに不思議な話である。
 この「蓬莱」伝説乃至は思想は、中国では古来よりあった。
 そう、歴史、特に日本と中国とに絡んだ古代史や伝説に興味のある人なら、「蓬莱」という言葉を目にしただけで、あ、あの伝説を持ち出すなと思っていたはずである。期待に応えて出しておく。言うまでもなく、「徐福伝説」のことだ。なんといっても、司馬遷の『史記』がネタ元になっているのだから、必ずしも際物的な伝説と一蹴するわけにはいかないのである。
 今から2200年前(秦の時代の中国)、徐福は、「始皇帝に,はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出」たが、成功しなかった。
 なので、今度は、失敗は許されないと、「若い男女ら3000人を伴って大船団で再び旅立つことになった。そして,何日もの航海の末にどこかに到達した」のである。「実際,徐福がどこにたどり着いたかは不明だが,「平原広沢」の王となって中国には戻らなかったと中国の歴史書に書かれている。この「平原広沢」は日本であるともいわれている。実は中国を船で出た徐福が日本にたどり着いて永住し,その子孫は「秦」(はた)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在するからである。」
 この徐福伝説(思想)は、日本にとってもあるいは弥生時代の幕開けとの関連でなかなかに興味深い。「中国には,徐福=神武天皇とする説もあって興味深い。徐福は中国を出るとき,稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術(五穀百工)も持って出た。一般的に稲作は弥生時代初期に大陸や朝鮮半島から日本に伝わったとされるが,実は徐福が伝えたのではないかとも思え,徐福が日本の国つくりに深く関わる人物にも見えてくるの」だ。
 秦の始皇帝が中国の統一を成し遂げたが、その過程で戦乱が巻き起こり、始皇帝の治世が気に入らないもの、あるい統一下に加わらないものの一部は、相当程度の規模を以って日本に渡った可能性もあるわけである。

 尚、テレビなどで徐福伝説の余聞ということで特集番組を組まれたこともあり、徐福についての現況など、近年、研究が進んできたことも興味深い。「連(れん)」というサイトの、「ワンダーゾーン和歌山 大陸から遥か遠き蓬莱の地へ   ―徐福渡来伝説― 」の頁には、徐福渡来伝説と共に、「徐福は本当にいたのか」について言及されている。
 引用すると、「史記には徐福に関する記述があるものの、この人物が実在した証拠は、どこにもない。その答えが出たのは、今から24年前。中国のある研究者が、史記に書かれた徐福の出身地「斉の国ロウヤ」(現在の江蘇省連雲港市ガンユ県金山郷)を発見した。さらに徐福一族の家系図が見つかり、徐一族が中国古代伝説で崇拝される三皇五帝のひとり、センギョクからはじまった王族の家系で、徐福から数えて70~73代目にあたる末裔たちが、今も中国全土に散らばって暮らしていることも判明した。」というのである。


 日本における秦(はた)氏や秦という地名については、例えば、「第一回・古代豪族秦氏を訪ねて  平安京以前、古代の京都を開拓した秦氏とは」など、ネットでも多くのサイトが見つかる。秦(はた)とは、秦の始皇帝(の時代)と結び付けたい気もするが、「はた」という言葉は、朝鮮(新羅)の言葉で「海」を意味することも、知っておいていいだろう。
 柿本人麻呂の歌、「ささなみの志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」に出てくる「わだ」は海(といっても、いろんな海がありえるが)を指している(詳しくは、「巻1-31   雑歌  作者: 柿本人麻呂」などを参照のこと)。
 さらに、「はた」は、「わだ」ということで、『きけ、わだつみの声』という映画(織田裕二,風間トオル,緒形直人,仲村トオル,的場浩司,鶴田真由らの初々しい姿!)を思い出される方もいるかもしれない。

 中国からすると、蓬莱というのは、だから海の彼方なのであり、蜃気楼めいた仙人の住む卿ということになるが、「江戸の庶民の感覚では、むしろ正月に七福神の乗った宝船が蓬莢山からやってくるというイメージのほうがしっくりくるだろう
 いずれにしても、「蓬莱」という言葉は、結構、日本においては馴染み深い言葉であり、伝説であり、ロマンだったりする。この言葉の付せられた地名や坂も少なからずある。ラーメン屋さんなどで「宝来」とあるのは、「蓬莱」では難しいし、「宝が来る」のほうが縁起がいいからで、もともとのイメージとしては、「蓬莱」なのだろうか。

 さて、しかし、ここまで書いてきて、「蓬莱」が何ゆえ、正月の季語なのかという疑問を抱かれる向きもあるかもしれない。最初の方で、「蓬莱とは正月の床飾りのことであり…云々」という説明を示しておいたが、しかし、これは「蓬莱」が「正月の床飾りのこと」を意味するとしているだけであって、何ゆえ正月の床飾りが蓬莱と呼び習わされてきたのか、言葉の使用の依って来る所以が分からない。
 思いっきり単純に理屈付けをすると、「蓬莱」と言う言葉(伝説)が庶民の間に根付いていて、正月の目出度い時、新たな年(時代)の始まりを冠する言葉として使われてきた、ということなのだろうか。
 いずれにしても、徐福一派が日本に到来したかどうかは別として、縄文時代が、中国大陸や朝鮮半島などの動乱の余波で長いまどろみ(?)の時から目覚めさせられたのは、事実なのかもしれない。
 無論、縄文時代にしても、中国大陸や北方のロシア、あるいは東南アジアなどとの交流(さらに広い交流も?)もあったようだけれど、それが単なる交流・交易ではなく、人材と文化・技術の一挙の流入で牧歌的な時代に一気に幕引きされたということなのだろう。
 現代も、アメリカの不穏な潮流(中東の民主化!)や中国やインド、ブラジル、拡大するEU、さらに急成長する東南アジアと、明治維新をはるかに越える大変貌の時を迎えている。だからだろうか、極端な保守化の波に乗って依怙地になろうという傾向も垣間見える。不安心理の為せるナショナリズムの趨勢がアメリカでも日本でも中国でも見られる。
 けれど、勇気を持って門戸を開いた国が一層の繁栄を見ているのも事実。単純素朴には、御屠蘇気分で「あけましておめでとう」とは、言っていられないのかもしれない。
 でも、まずは一献である(小生は、酒はダメなので、ココアだけど)。

 二枚目の写真は、富山の海辺から立山連峰近辺を眺め撮ったもの。角度的に立山は写っていないかもしれない。天気に恵まれれば、町中からも海辺からも、北アルプスの絶景を愛でることができる。
 最後に、年頭に当たって、めでたくも、みなさんに駄句の洗礼を!

 時を経て蓬莱の波寄せ返す
 寄せ返す時の潮流怯え見る
 蓬莱を出前で揃える我が家かな
 岩瀬浜人影もなく波立つか
 夕焼けを居眠りの中見遣るかな
 岩瀬浜蜃気楼の人夢見てる
 遠い日の足跡探すバカなオレ
 蒼穹の雲間隠れの眩しさよ
 冬の日の束の間の青焦がれ見る
 沖合いの揺れやまぬ船肩寄せて

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コメント

明けましておめでとうございます。
魏の曹操は、老人は、徳があるから時を重ねられるのだ。と言ったとか。
だとしたら、一つ歳を重ねるごとにそれは、徳深いと言う証明になって、
やっぱりおめでたいですよ。ね?

蓬莱という言葉だけで、心ウキウキ惹かれてしまいます。
崑崙も。
その二つの名詞を出したら、きっとyokomokoさんも
ニンマリなさいますよ。
名前を変えても、楽園の伝説はあちこちにありますね。
永遠の人間の憧れなんでしょう。
煩悩にまみれているので、そういうことと無縁の場所があると信じてみたいのでしょうね。
ユートピア、エルドラド、桃源郷、ニライカナイ、シャングリラ… エトセトラ、エトセトラ♪

投稿: Amice | 2005/01/07 22:20

Amiceさん、謹賀新年、です。
「魏の曹操は、老人は、徳があるから時を重ねられるのだ。と言ったとか。」小生、初耳。ただ、思うのは、生きているのは、ただそれだけでも大変だということ。年毎に痛感します。これから先は、もっと大変なのだろうな。馬齢を重ねるという言葉がありますが、馬齢なんてありないと思う。

 崑崙と蓬莱、yokomokoさんは、どんな思い入れをされているのでしょう。
「仙界一覧①」というサイトが興味深かった(HTMLは表記できないので、ネット検索でさがしてね)。

 憧れの地は遥か遠くにある…。誰もそう思うものなのですね。足元や肩先にある青い鳥は見えない…。

投稿: 弥一=無精 | 2005/01/08 18:09

あ、曹操の言葉は、小説の中から。
だから、史実じゃないでしょうね、たぶん。
『三国志』の中では、曹操は敵役を振られていますが、
曹操と言う人物、魅力的で、好きです。

今ある幸せは、失って初めて分かるんじゃないと思います。
でも、そういう幸せに気付いていたいものです。

投稿: Amice | 2005/01/08 20:39

Amiceさん
「曹操の言葉は、小説の中から。だから、史実じゃないでしょうね、たぶん。」
 そう、そうでしょうね。「三国志」いつかは、全篇通して読んでみたいけど。敵味方問わず魅力的な人物群。個性と主張が明確だからかな。

「今ある幸せは、失って初めて分かるんじゃないと思います。」
 あーあ、あの時、通り過ぎてしまったあの人が青い鳥だったんだなー。気付かなかったバカなオレ。

 くっくっくっく私の青い鳥くくくくー!

投稿: 弥一=無精 | 2005/01/08 20:59

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