10円カレー
まるで脈絡もなく、今日の表題は「10円カレー」と決めた。
というのも、季語のことをあれこれ調べていて感じるのは、いかに多くの小生には想像も付かない背景や歴史を担った言葉があるかということ。俳句(俳諧)というのは、芭蕉から始まるとか、つまりは芭蕉の世界の注釈だとか、いずれにしても、芭蕉の切り拓いた句境を出ていないとは、小生如きが生意気とは思うけれど、断言していいような気がする。
けれど、そうはいっても、季語(季題)一つとっても、到底、渉猟し尽くせない、とんでもなく広い世界が伸び広がっていることも事実。今は廃れた風習・風俗、消え去った風景、名残はあるのだけど、その持っていた本来の意味が関係者でさえも分からない伝統的行事の数々。
ただ、幸いにも季語になった事情が知れている季語もある。
といっても、小生が気付いたのは、そんなに古いわけじゃない。しかも、一見すると、どう見ても、季語とは思えない、俳句とは縁がありそうには見えない季語。その典型が「10円カレー」ではなかろうか。
但し、秋の季語なのだが。
知る人は知るだろうが、テレビや雑誌などでその時期になると話題というか風物詩の一つとして採り上げられることも多い、「10円カレー」については、「10円カレーチャリティーセールのはじまり」を見てもらうのがいいだろう:
昭和46年秋、沖縄返還協定反対の過激派学生グループにより、火炎瓶を投げられ松本楼は炎上、全焼いたしました。 関東大震災以来、2度目の悲しい炎上事件でした。炎上から2年、全国から温かい励ましに支えられ、昭和48年9月25日に再オープンすることが出来ました。 そのときの感謝の心をこめた記念行事として始まったのが10円カレーチャリティーセールです。
(転記終わり)
「日比谷の秋の風物詩、毎年恒例の10円カレーも平成16年で32回目を迎えることになりました。」とのことで、「10円カレーは現代俳句の秋の季語として、また、読売新聞社編”あの言葉 戦後50年”の中でも
世相を映すキーワードとして選ばれています。」というのである。
そこで今日は、カレーの歴史など雑学的知識を探訪しようと思う。日本人は、カレー大好きなのだ。小生も好きだ。最近は、レトルトカレーしか食べていない、町の食堂でカレーを食べたい、美味しいカレーを求めて食べ歩きなんていいな、などと思いつつ、とりあえずは、ネットでグルメ旅だ。
ここまで書いてきて、気付く人は気付いているだろう。小生、「カレー」としか書いていない。カレーライスではないのか、あるいはライスカレーは、どうしたんだ?!
そもそも、カレーライスとライスカレーは何処が違う、それとも同じことで、たまたま名称が混乱しているだけなのか…。この点は、また、あとで余裕があったら触れたい。ちなみに、「カレーライス」を英訳すると、「Curry and rice」であり、「ライスカレー」を英訳しても、同じだった。
小生は、「カレーライス」は、「Curried rice」、つまり、ルーであるカレーのかかったライスであり、「ライスカレー」とは、「Rice with curry」、つまり、ライス(ご飯)とカレー(ルー)とが別の器に盛られたものだとばかり思っていたのだが。
でも、この稿においては、どっちでもいいので、以下、名称については特に拘らず、「カレー」だけを問題にする。
カレーのルーツは、インドだと言われる。少なくとも、「昭和39年から放映された「インド人もビックリ!」というCM」を知っている小生ほどの年代の人なら、これは常識として脳裏に刻み込まれているが、今の人たちはどうなのだろう。
さて、「カレーのルーツはもちろんインド、インドネシアなどアジア各地で食されているカレー。でも本場インドのカレーと、現在私たちが家庭で作っているカレーはかなり違った印象を受けます。」というのは、誰しもの実感ではなかろうか(「カレーライスの歴史」より引用)。
実は、「その昔、インドはイギリスの植民地でした。このときインドの食文化であるカレーをイギリスに持ち帰り、欧風シチューのようにアレンジしてしまった訳です。文明開化とともに日本に入ってきたカレーは、そのヨーロッパ風にアレンジされたカレーだったということ」だという。
日本人が初めてカレーに出会った時の様子は、「文久3年(1860)幕府の遣欧使節一行が船内でカレーを食べるインド人に遭遇。芋のようにどろどろの物をご飯の上にかけ、手で掻き回して手づかみで食べた、と記されており汚いものという印象だったようです。 」だとか(引用は同上)。
その他、「カレーの歴史」が、年表になっているので、見渡しやすい(但し、日本カレー史と歴史的背景とが相関されている)。
インドのカレーについて、ちょっと覗いてみる。
あるサイト(「世界の料理/グルメマンボ君の世界一周おいしいものめぐりの旅」の「インド」の頁)を覗いてみると、「カレーはインドのおみそ汁?!」の項に「インドの人たちが毎日のように食べているカレーは、日本のカレーライスとはまったくちがうもの。インドでは、数十種類のスパイスをミックスさせた混合調味料「マサーラー」を使って作る汁もののおかずのことをカレーとよぶ」のであり、「このインドのカレーは、おうちや地域によって使うスパイスの種類や量がちがうし、味も材料もさまざま。ゲキカラのもの、あまいもの、コッテリしたもの、スープのようにサラッとしたうす味のものなど、いろんな種類があるんだよ。だから、日本のおみそ汁みたいに毎日食べてもあきないんだね。」とある。
さらに、「インドは日本の約9倍も大きな国。地域によってとれる農作物もちがうから、インドの北部と南部では、主食もかわるんだ。北部の主食は、小麦(こむぎ)から作ったパン(ナン)」であり「南部の主食は、お米だよ。こちらのお米は、日本のお米より、細長くパサパサしているものが多いけど、カレーとの相性はバツグンなんだ!」という。
また、「インドにはいろんな宗教があって、みんな自分の信じる宗教の教えをたいせつにしているんだよ。
たとえば、ヒンドゥー教の人は牛を、イスラム教の人はブタを食べてはならないきまりがある」し、「インドの人の約60%はベジタリアン(肉や魚を食べない人)だから、体に必要なタンパク質は、豆や牛乳からとることが多い」とも。
この頁にもあるように、「インドの人は、スプーンやフォークを使わず、右手の指をじょうずに使って食事をする」のだ。が一方、先にも紹介したように、「日本人が初めてカレーに出会った時の様子は、(中略)芋のようにどろどろの物をご飯の上にかけ、手で掻き回して手づかみで食べた、と記されており汚いものという印象」なのだった。
手づかみの文化と箸(イギリスはナイフとフォークなのだろうが)との違いなのだろうが、カルチャーショックは大きかったのかもしれない。
小生は、インドの実情を知らないが、テレビなどで窺う限りは、インドの大方の人は手づかみの文化に生きているのだろうか。
しかし、そもそも、インドではどうして、(本来の形での)カレーが生まれたのだろうか。また、いつ頃、生まれたのか。庶民の食べ物なのか、あるいは高級な食事なのか。地域的に限定されるのか。あれこれ、疑問は尽きない。
ただ、いずれにしても、ビーフカレーとかポークカレーなどは、地域的にはありえないメニューなのだということは分かる。だからといって、チキンカレーはインド全土でOKなのかどうかは、分からないのだが。ベジタリアンなのだとしたら、カレーの中には、魚肉も含め、入れられないのだろう。だとしたら、せいぜい日本的な呼び名では野菜カレーということになるのか。
「インドでは、数十種類のスパイスをミックスさせた混合調味料「マサーラー」を使って作る汁もののおかずのことをカレーとよぶ」という。インドではカレーとは、中国で言う、薬膳に近いおかずということなのだろうか。
ネットで見つけたのだが、「アジアの菜食紀行」(森枝卓士著、講談社現代新書)が、「インド・カレーの種類、日本でのカレーライスの起源、あるいは日本にカレーを紹介したイギリスで今カレーはどのようになっているのか、他のアジアのカレーとどう違うのか等々について」書いてあるようで、一読してみたい。
カレー料理を世界に広めるに当たっては、イギリスの存在や役割が大きい。「1600年インドに東インド会社をおき、本格的な植民地経営に着手したイギリスが、そもそもはカレー料理を世界中に広めた。」のであり、「インド人が百人いれば、百通りのカレーができるといわれるほど、スパイスの調合が難しいとされるカレー料理を一般的にするため、イギリスのC&B社(Cross&Blackwell)は、あらかじめ調合した「カレー粉」を販売し、ヨーロッパに広めていった。」という(「大阪食の道を究める」より引用)。
インドのカレー事情については、「横濱カレーミュージアムなるサイトが参考になる。
たとえば、「日本国内に存在するいわゆる『インド料理店』のほとんどは北インドの宮廷料理の流れを汲むものと認識して間違いないだろう。タンドリーチキンやナンなどは、タンドールという高価な料理釜を所有できる一部の裕福な階層だけが楽しめる料理なのである。」だという。やはり、我々が知るインド料理は宮廷料理的な裕福な階層の楽しめる料理だと思ったほうがいいわけかもしれない。
同上のサイトの、「インド北部のパキスタンでは汁気が多く喉を通りやすいカレーが常食。気候的にも腐敗が早いため、作りおきはせず手早く作ってすぐ食べる形が主流だ。」という点は注目に値するのかも。インドのカレーは汁物なのは、気候風土の事情がそうさせているということなのかもと想像させるのだ。
そもそも、「スパイスを多用した料理」であるカレーが生まれ育ったのも、厳しい風土と深く相関しているのだろう。その土地で採れる野菜などを使った、その土地ならではの風土料理、郷土料理の面を持っているのだろう。
それが、イギリスの手を介して、素材がなくても、いつでも食べられる、誰もが親しめる、もっと普遍的な料理に変貌を遂げたというわけだ(御蔭で数十種類のスパイスを家庭で常備し調合する手間が省けた…というわけなのだが)。
ところで、カレーという名称の語源はどうなのか。「奇跡のカレーライス」というサイトの中の、「奇跡のカレーライス・コラムVol.3■■■カレーの語源■■■」によると、「結論から先に言ってしまうと、実はインドには料理を示す“curry”という言葉はない」という。
そんな中、「タミール語説が1番有力な説と言われてい」て、「タミール語の中に、ご飯にかけるソース状のものを示す単語にカリ(kari)があり、それがポルトガル経由でヨーロッパ各国に広がり、なまってカレー(curry)という名前が定着した、という説」があり、有力となっているのだとか。
尤も、「イギリスの役人が、インド人が食べている料理の味を聞いたところ、おいしいという意味の「クーリー」と答えたのを、料理の名前と間違えて英語になった、という説」があるくらいだから、定説があると理解しないほうがいいのだろう。
いずれにしても、「インド人は自分たちの料理を決してカレー(curry)とは言いません。“カレー”は、あくまでも外国からインド料理をさす言葉なのです。」というのは、注目しておいていいかもしれない。
小生には調べきれなかったのだが、インドにおけるカレーの歴史は、相当に古いようだ。というより、文献になかったりすると、有史以前より伝わる料理とさえ、言えるかもしれない。また、見られたように、カレーとスパイスは切っても切れない関係にある。カレーをスパイスの側面から捉え直すと、まるで違う面が見えてくる(可能性が多大にある)かもしれない。
また、カレーとスパイスという観点からカレーの歴史を見ると、「マルコポーロがシルクロードを東方に向かったのも、スペインやポルトガルが新航路発見に力を注いだのも、全てスパイスを手にしたいがため」(「スパイス物語―大航海からカレーまで」(井上宏生著、集英社文庫)だったこともあり、少なくとも大航海時代以降の世界史が書ける可能性も十分にある。
この観点から物語風な世界史を描ける見込みも立とうというものである。
ちなみに、紹介した本の謳い文句は、以下のようである:
古代エジプトにおいてシナモンやガーリックなどのスパイスは、儀式と化粧に利用された。また大航海時代が始まるとヨーロッパ列強は、インドや東南アジアに殺到し、食卓を彩る食材としてだけでなく、黄金にも匹敵する財産として手にいれようとしたのである。馴染み深いカレーに必要不可欠のスパイスがたどった時空の旅は―。
(転記終わり)
カレーの歴史は、有史以前のインドからイギリスなどの手を介して世界へと、古く且つ新しい。その意味で華麗なる歴史をカレーは担っているのである。
さて、「10円カレー」が秋の季語ということで、書き綴ってきたのだが、生憎、ネットではこの言葉が織り込まれた句を見出すことができなかった。
こうなったら、小生が意地でも吟じてみたい。
10円カレー一度は食べたい松本楼で
松本楼その日でないと入れない(小生には敷居が高い)
10円カレーチャリティの味噛みしめる
ライスカレースパイス効いてインドカレー
スパイスとベジタブルこそのカレー味
昨日も今日もカレーのカレンダー
カレーとは土の生気の結晶だ
(食品業界で云う「レトルト」とは日本語で言うと、高温高圧殺菌釜だという)
レトルトのカレーを食べてレトルトだ
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