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2004/12/25

水銀体温計

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 今時の体温計はどうなのか分からないが、昔の体温計は、細いガラスの管の中に水銀が注入されていて、温度(体温)により水銀が膨張(収縮)することで、体温が測られる仕組みだった。
 ちょっとネットで調べてみると、「「「水銀式」と「電子式」の体温計」というサイトに、気になる記述が。つまり、「最近、よく使われている電子体温計ですが「どうも水銀体温計よりも正確でないような気がする」といわれます。」というのである。
 小生のように科学技術に疎く、まして最新の技術情報に触れようもないものには、あれ? という記述。昔ながらの水銀体温計より電子体温計のほうが正確なんじゃないの? である。
 すると、続く記述に、「JIS規格では、水銀体温計は0.2度、電子体温計では0.4度の誤差までは認められています。」とある。

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2004/12/24

影絵の世界

「影絵の世界」というと、人は何を思い浮かべるだろうか。埴谷雄高の著作に親しんだ人ならば、副題が「ロシア文学と私」と付されている、昭和初期から敗戦の頃までを回顧する『影絵の世界』(平凡社)だろうか。本書には、戦後の文学・政治・思想を扱う姉妹篇として、『影絵の時代』(河出書房新社)がある。
 小生は、埴谷雄高の著作は一通りは単行本などで既に読んでいるのだが、全集も揃えてしまった。無論、「影絵の世界」も「時代」の文章も全て収められている。机上には、彼の全集がデンと置かれている。なかなか壮観である。
また、「影絵の世界」というと、藤城清治に尽きると思われる方もいるかもしれない。切り絵と言えば滝平二郎をつい思い浮かべる小生、影絵というと、藤城清治なのである。
 ここでは、かの宮澤賢治の名作『銀河鉄道の夜』を描く藤城清治の世界を覗いてみてもいい。
 ああ、その前に、「影絵」のことを説明しておくべきか。

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2004/12/23

冬木立

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 今回の表題を選ぶに際しては、あまり迷わなかった。小生が、在宅の日は必ず覗く「優嵐歳時記」では、今日の題が「冬木立」になっていたのである。たまたま、火曜日のタクシーの仕事の際、青山近辺の公園で小憩したのだが、カエデの紅葉の写真も撮ったが、イチョウの落葉ぶりも見事で、落ち葉の絨毯に見惚れてしまって、枝に残る葉っぱより、地に散り敷く一面の黄色世界も写真に収めた。
 写真の焦点は落ち葉だが、ほとんど裸同然になったイチョウの木の寂しげな、しかし、何処かスッキリしているという安堵感の漂うような様子にも、知らず焦点が合わさっているとも思える。
 なので、表題は「冬木立」。12月の季語である。
 写真に載せた句は、「落ち葉敷き地を温めて春を待つ」である。なんとなくコピー風で句にはなっていないような感もあるが、気にしないことにする。

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2004/12/22

毛糸編む

 12月の季語をつらつら眺めていて、今日の表題を最初は「近松忌」にしようかと思った。つい、そこに目が行ったのだし。
 何故、何十個も季語の例のある中で、「近松忌」に目が止まったのか。どうやら、一昨日、読了した円地文子著の『朱を奪うもの』の印象が残っているかららしい。
 この小説、冒頭がとにかく鮮烈。何がどうなのか、詳細は書かないが、老いた女性ならではの記述なのかなと、一気に彼女の作品世界に引き込まれていった(歯を全部、抜き、片方の乳房を失い、子宮をも無くし…。驚いたのは、女の性質の欠如を自覚した際に、主人公の滋子を力づけたのは、司馬遷の「史記」であり、宮刑を受けた過酷な運命、その上での酷薄なまでの非常な人間の歴史の叙述だった、というくだり)。
[宮刑や宦官などについては、ネットでも情報を豊富に入手できる。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しに始まる、武田泰淳の『司馬遷―史記の世界』を読んでもらうのがいいのだけど、「第30回 新から後漢」などを参照。]
 小説の主人公は(この作品、作者である円地文子は自伝ではないと断っているが、自伝風な連作の一つのように感じつつ読んでしまう)、育てた方(祖母たね)の影響もあって、子どもの頃から、随分と異様な文学世界に浸ってしまう。サラリーマンになっても漫画の本の手放せなかった、漫画から活字の多い本へ移行する、乃至読書範囲を広げるのにかなり難儀した小生などと引き比べるのは、いかがなものか、だろうけれど、それにしても、祖母に話を聞かされたとはいえ、馬琴の「八犬伝」や「弓張月」の世界に親しんで育つとは、異様に過ぎる。

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2004/12/21

日記買ふ

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「日記買う」は、何気ない言葉のようだが、立派な12月の季語である。
 できれば、この日曜日にも来年の日記帳や手帳を買いたかったのだが、生来の怠惰が邪魔して、バスで行けば十分ほどの駅までさえ、面倒になって出かけなかった。
 昨年までは歩いて数分のところに何処にでもあるような小さな書店があり、小生の散歩コースでもあったのだけど、閉店し、今ではテナントにコンビニが入っている。コンビニがあれば便利なようだが、既に何店舗も近所にあるから、利用者からしたら屋上屋を重ねるような光景に映る。競争があって大変だろうなと思うけれど、そんなことより、立ち寄る書店がなくなったことが困るし、寂しい。
 巨大な書店が都心部などにドンドン出来ているらしいが、近所に古書店や何の変哲もないのだとしても小さな書店があったほうが日常的には助かる。なのに、消えていくばかり。本に資本の論理、一極集中化の都合など通用しないと思うのだけど。
 書店のない町が増える一方。たまに見かけても、本を安く売ります・高く買いますといった類いのコンビニ風な<書店>で、しかも、小生の町にあるそれは、本といっても、文庫本しか買わないし(思いっきり値切られる)、売っていない。店内にあるのは、ビデオにCD・DVDなどばかり。
 日記帳や手帳などは、選んで買いたい。

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2004/12/20

青みどろ

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 最初に断っておくが、表題の「青みどろ」は、夏の季語である。決して、冬の季語ではない。「青みどろ」というのは、「水田、池、沼などに繁茂する緑色で糸状の藻」のことである。「ほとんど流れの止まった淵などに発生する細毛状のみどり草」と説明しているサイトもある。
 では何故、季節外れもいいところの「青みどろ」という言葉を表題に選んだかというと、今、読んでいる円地文子著の『朱を奪うもの』(新潮文庫)の中に、青いみどろという言葉が出てきたから、その言葉を目にしたのが久しぶりで、新鮮だし、まあ、一言で言ったら、気になったから、に過ぎない。
 来年の夏になったらまた、思い出して採り上げられる自信もない。
 ちなみに、円地文子の本は、女流作家を読み漁った頃に読んだ『女坂』以来、二十年ぶりで、本書で二冊目である。最近の作家の本を読むと、表現方法に(よく言えば)優れて方法的であり自覚的で、それはそれでいいが、何か高くにピンと張られたロープの上を歩かされているようで、読了して疲れてしまったりする。

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2004/12/19

月に雁(かり)

s-DSC01184s-DSC01183 土曜日の営業は、これまた悲惨なもので、ただただ駅などでお客さんを待ったり、やたらと街を流して回ったり。挙げ句、疲れ果てて場末の公園などに車を止め、夜空などを眺め、風流を気取ってみたり。
 そう、営業がはかばかしくないと、何をしても、ただの気取りにしかならないのである。
 こんな時こそ、チャンスだとばかりに、都内の方々で写真を撮りまくったりもしてみた。車を走らせている最中に、暇の徒然というのか、いつも以上に変てこな句が浮かんでしまって、だったら、その句に合うような風景を撮ろうなんて思いついたりしたからである。
 前から撮りたいと思っている画像に、夜空を背景に走るモノレールかゆりかもめという乗り物の光景。が、目にはしても、シャッターチャンスというと、なかなか恵まれない。夜中になって、ふとそのアイデアを思い出し、試みようとしたが、時、既に遅く、モノレールは終電のあと。
 この画像を撮りたいのは、恐らくは、夜空に窓明かりばかりが目立つであろう写真を、宮沢賢治の銀河鉄道をイメージさせてこの日記(季語随筆)に載せたいと思っているからである。その写真には、何か句を載せたいが、ま、そこそこの写真が撮れたら、自分なりにイメージを膨らませて句をひねりたい。その日の来るのが楽しみである。

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