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2004/12/04

竈猫(かまどねこ)

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 いつもながら、表題を決めるところから、この日記は始まる。「12月 季語」というシンプルなキーワードでネット検索して、今日の天気や気分に相応しい季語を探す。
 できれば掲げた写真に相応しい季語がいい。木の葉とか梢とか木立とか。ふと、冬木立という言葉が浮かんだ。確か、こういう季語があったような。実際、12月の豊富な季語群の中に見出された。
 が、この「冬木立」は「失われた季語を求めて」というサイトによると、木の葉が落ちて寒々とした木々が立ち並んでいる様」、「道沿いに並んでいたり、一所にかたまっている木々の枝の隙間から、空が透けて見えるような木立の群れを言」うようで、ちょっと小生が昨夜撮った写真の画像には合わない。
 なので、今日の表題にすることは断念。でも、どうしても使いたい! 少々の無理を承知で、「葉裏にておおい隠すか冬木立」と詠ってみた。
 いよいよ冬の気配が濃厚になってきて、木の種類によっては、葉っぱが落ち尽くしたり、そうでなくとも、黄色や赤などに模様替えしている。
 なのに、恐らくは、常緑樹でもないのに、疎らに変色した葉っぱが散見されつつも、緑色を保っている。なんだか、この木の葉っぱたちは、懸命に冬の寒さに耐えているようである。緑色の葉っぱで木の幹や枝を覆って、冬木立の様相になるのを少しでも先延ばししているような。
 小生は、木立の下に入って、夜空を仰ぎ見るようにして写真を撮っている。葉っぱたちを透かして晴れ上がって、疎らとはいえ星の見える東京の紺碧の空が見ようとさえしている。
 それでも、写真を撮ると、カメラのフラッシュを鬱蒼と生い茂るでもない葉っぱたちが跳ね返している。冬の寒さを撥ね付ける、その健気さで。
 木の葉たちにしてみれば、冬の夜の底で憩っているはずが、まさか、あんな夜更けにフラッシュを浴びるとは思いも寄らなかったに違いない。小生、無粋な真似をしてしまったのかもしれない。
 ところで、冬木立というと、「斧入れて香におどろくや冬木立  蕪村」が、知る人にはすぐに思い浮かぶ句のようで、情景のサイトにも引かれていた。

 ちょっと驚いたのは、先に示したキーワードで検索したら、3万を越える検索結果の上位に、「今月の季語・今月の俳句/2000年12月」が登場し、その関連文に、「季節にちなんだ季語、俳句をお楽しみください。 2000年12月. 今月の季語. 【竈猫(かまどねこ)
】. 猫は冬になると縁側の日向とか、ストーブの脇とか、囲炉裏ばたとか、暖かい所を追って歩く」とあること。
 この「俳句逍遥」というサイトは、人気がある、さらに、その中でも、次の句が人気があるということなのか。そういえば、何かの折にも、このサイトを(参照はしなかったが)見つけていた。身体障害者とのことだが、デジタル俳画で、「挿し絵、表紙絵、絵はがき等の制作も請け負」っているとか:

 安やすと寝息をたてる竈猫    京愛
 
 ということで、本日の季語は、「竈猫(かまどねこ)」に決定。無論、12月の季語である。「猫は冬になると縁側の日向とか、ストーブの脇とか、囲炉裏ばたとか、暖かい所を追って歩く。厨で竈(ヘツツイ)が多用されていた時代には、まだぬくもりのある竈でよく眠っていたものである。ときには竈の中に入り込んで、灰だらけになったり、毛にところどころ焦げあとをつけたりしているのも冬らしいものであった」とは、思い当たる人も少なからずいるのではないか。
 尚、この「竈猫(かまどねこ)」という季語は、「【季節】冬(三冬) 【異名】かじけ猫・灰猫・へっつい猫・炬燵猫」のようである。
 この中の、「へっつい」とは、竈(かまど)の別称である。
 ここまで書いて、ふと、今時の若い人は、竈(かまど)を(言葉として聞いたことはあっても)見たことがないのではと心配になってきた。
 なので、竈の画像を探そうと思ってネット検索していたら、「 「竈」の筆順」なるサイトをヒットした。実際、「竈」という漢字を書くのは難しい。一度や二度くらい練習しても、すぐに忘れてしまいそうである。
 また、「「竈」が正式,「釜」は通称!」というのも、初めて知った。そうなのかなー。
 小生がサラリーマンしていた頃、関連する会社の方に、「炭竈(すみかま)」という名前の人がいて、へえー、こんな名前の方がいるんだ、びっくり、などと驚いたことがあった。まあ、驚く小生の世間が狭いというだけの話だが。
 ちなみに、この「炭竈(すみかま)」も、「炭、消炭、炭団、 炭火、埋火、 炭斗、炭焼、炭俵、炭売、焚火、榾、炉、囲炉裏、暖房、温突、ストーヴ、スチーム、炬燵、置炬燵、助炭、火鉢、火桶、手焙、行灯」などと共に、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」のようだ。
 ついでながら、「すみかま」の織り込まれた歌を掲げておく:

 すみかまのたなひくけふり一すちに心ほそきは大原のさと  寂然

 回り道ついでに、「寂然(じゃくぜん、俗名:藤原頼業)」とは、「寂超(為経)・寂念(為業)の弟で、いわゆる大原三寂(常磐三寂とも)の一人。」であるかの寂然である。「尋ねきて道わけわぶる人もあらじ幾重もつもれ庭の白雪(新古)」など。

 どうも、話が一向に前に進まない。「竈」の画像などを探していたのだが、店の名前に使われるばかりで、肝心のサイトが見つからない。とうとう、その名も「かまど」(狩野敏次著、法政大学出版局)という本に行き当たった。
 郷里の家にも、三十年以上前には、竈が土間にあったが、「日本の民家が土間と住居部分から成り立ってきたのも、古く縄文時代の竪穴式住居の名残だといわれている」というのは(上掲書)、小生には新しい知見だった。
 また、「かまどは、古代から、男性よりも女性とのつながりが深かったようで、それを民俗儀礼にうかがい知ることができる」という。そういえば、「かまど神の由来二」というサイトがあるくらいなのである。
 と、物色の末、やっと竈の画像を見つけた。「つなぎ温泉観光協会」というサイトの中である。尤も、小生がガキの頃にあった竈とは様子が違う。馬用なのか。
 余談ついでだが、竈の画像を探していて、「七輪本舗」というサイトを見つけた。近頃、不幸な形で話題になっている七輪だが、竈などと無縁ではないのだとか。
 つまり、「○「しちりん」は軽量で小さく、木炭の使用量も少なく、たぶん本体も低価格で経済的な燃焼器具だったと思われ、お屋敷の囲炉裏(いろり)や竈(かまど)に代わる簡便な道具として、主に都心部の長屋住まいの町人家庭を中心に普及したものと考えられ、また、土間の竈の補助的な燃焼器として、魚焼きなどにも使われていた」というのである。
 あちこち脱線してきたが、ようやく目当ての画像を発見。「八千代市立郷土博物館」の資料のようだが、「平成12年度第3回企画展解説書(小学生向け)  かわってきた人々のくらし~20世紀をふりかえる~」という頁に、小生にも懐かしい竈の勇姿が垣間見られる。やっとだ。嬉しい。
 ここには、「100年くらい前の台所には、「かまど」があってご飯をたいたり、湯をわかしたりしていました。」とあるが、農村や、そうでなくとも農家だったりすると、ほんの数十年の前までは普通にあったのじゃなかろうか。それとも、我が近隣だけなのか。
 ただ、我が家にしても、台所ではなく、土間にあった。特に年末も押し迫った三十日近くになると、近所の人たちが集まって、もち米を炊き、みんなでお餅をかったものである。
 このサイトには、櫓炬燵(やぐらこたつ)の画像もあって、嬉しい、懐かしい。
 せっかくなので、餅つきの風景などを眺めておこう:「餅つきのすべて
 この風景ばかりは、餅つき器では味わえない。土間での餅つきの風景も、小生には遥かに遠い。

 と、ここでようやく、本題に戻る。そう、「竈猫(かまどねこ)」である。「C'est みーぐる」というサイトの「猫をよんだ句を集めて  其の十三・山口青邨」という頁に、竈猫に関連する句が載っている。

  銀猫も竈猫となつて老ゆ
  鳴くことのありてやさしや竈猫
  竈猫けふ美しきリボン結う
  竈燃え猫がゐるなりけふの月

 と、竈猫という言葉を織り込んだ句を探そうと、ネット検索を続けていたら、俳句を嗜む方には、あるいは常識なのかもしれないが、書き漏らしたら、拙かったかもしれないというサイトを見つけた。冷や汗だ。
「ベストライフ俳句教室」の「現代俳句鑑賞  山崎ひさを」という頁だ。
 ここに、以下の句が「竃猫人の話を聞いてをる」と共に紹介されている:

 何もかも知つてをるなり竃猫     富安風生

「句集『十三夜』所収、昭和九年作。」だとか。
「自解には、こうある。」として、富安風生の言葉が載っている:
「田舎家の竃に蹲る猫、竃の灰のぬくもりにすくんでいて驚いてとび出す猫、少年の日の記憶に鮮やかだ。黙って興味をもって人の話をきいており、家庭の内緒ごとなど皆目にとめて知っていながら、知らん顔をしている猫というこの人の悪い、しかし何という可愛いヤツではあることか。」
 肝心なのは、この先で、更に、「近頃では、厨の土間も、そこに据えられたかまども、そして燃料としての薪もみな余り見かけなくなって仕舞った。」とあった上で、「生活態様の移り変わりにより、折角この作者が新しく見出したといわれる「竈猫」という季語も一般に余り用いられることがない。」とある。
 そうだったのか! である。
 恥ずかしながら、季語の誕生秘話(?)に遭遇したのは、初めてのような。

 さて、最後である。駄句できっちり締めておきたい:

(以下は、あるサイトの掲示板への書き込みに付したもの)

 鍋の底掻き削っての夕餉かな(しみじみ…)
 お隣りは今日も鍋を食うひとぞ(羨ましい! あっし、ホントに鍋、食べたりして)
 
 竈猫うずくまりしは我ならん
 竈猫せめて今宵は膝の上

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2004/12/03

冬ざれ

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 今日の表題(この季語随筆日記の場合、季語ということになるが)をどうするか、例によって迷う。というより、いつも画面に向かってから考える。12月の季題(季語)は、前にも書いたように、非常に多い。
 もう、目移りしてしまう。
 掲げる写真に合うような、当然ながら、今日のこの頃の(東京の)天気に齟齬しないような季語を探したい。
 物色しているうちに、「冬ざれ」という言葉に目が止まった。
 この言葉、歌の好きな方なら、ピンと来る物があるに違いない。そう、小生の好きな歌手(今時、使われるかどうか分からないが、シンガー・ソングライター)の一人である、五輪 真弓の歌「冬ざれた街」のことである。
「少女」で鮮烈なデビューを果たした彼女の初期の頃の歌のはずだ。調べてみると、「1973年渋谷ジャンジャン録音盤」が74年に発売されている。小生が、大学に入って間もない頃の曲だ。部屋には、テレビなどなくて、ラジカセが唯一の音源だった。もしかしたら、まだラジオだけだったか。
 小生は、彼女のこの歌で、「冬ざれ」という言葉を知った。が、侘しげないい言葉だと思いつつも、使いこなせるはずもなければ、使うような場面にも遭遇しない。
 というより、遭遇していたのだろう。あるいは、今とは比較にならないほど仙台の街を歩き回っていて、冬ざれの渦中にあったものか。
 無論、一人で。何処へということもなく、闇雲に。春、夏、秋、冬と、季節を問わず、やりきれないもやもやと茫漠たる思いに駆られながら、一時間や二時間どころではなく、数時間もほっつき歩いた。
 仙台では10月の終わり頃には、例えば夜などに外出すると、不意を打つように突然の冷たい空っ風に見舞われる。昼間は、穏やかな日和だっただけに、夜の外気の豹変振りに圧倒される。風も、息も継げないような厳しさだったりする。杜の町の表情が一変してしまう。街路樹も何もかもが、木枯らしに生気を一瞬にして奪い去られてしまったようになる。誰もが気持ちをウチに篭らせてしまうようで、若い人間には道行く人のよそよそしさが寂しく思われるものが、一層、冷たく感じられたりしたものだった。
 冬ざれ。不思議な語感を持つ言葉である。あるサイトでは、「土石や草や樹のあれさびたさま」とも説明されていた。
 この「冬ざれ」の類語には、「枯れ野」とか「冬枯れ」という季語があるようだ。東京など、この数日も、どうやら三日も日中は比較的暖かいとか。が、夜はどうなのだろう。真夜中などに、都心の何処かの公園の脇に車を止めて、休憩しつつ、冬の空など眺めたりする小生には、じっとしていると背中がゾクゾクするような悪寒さえ覚えそうである。
 公園の植木も、多くは恐らくは、桜の木なのだろうと思われるが、さすがに葉っぱが落ち尽くした木も見受けられる。掲げた写真も葉桜の末期の姿のようだ。
 一方、同じ公園で、花の名前は分からないのだが、桃色の花を今を盛りと咲き誇らせている樹木もあって、冬ざれと言いながら、光景は複雑なのである。

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「枯れ野」というと、小生など、すぐに芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」という辞世の句を思い浮かべる。
 では、「冬枯れ」というと、どんな句があるのかと脳裏を巡らせても何も出てこない。ネットで探したら、「道後公園」というサイトなどで、以下の句を見出した:

 ふゆ枯れや鏡にうつる雲の影   子規

 何故に「鏡」なのだろう。病臥していて、直接には雲など子規には見えない。けれど、病床の脇か壁にある鏡に雲の影が映っている、その影に冬枯れを感じ取っているということなのだろうか。なかなか、鑑賞するのは難しい。
 ネットでは、「冬枯れ」なる言葉を織り込んだ句は、数々見出せるが、一句だけ、「テーマ別俳句 冬 一」で見つけたものを(評釈もその頁で読める)」:

 冬枯れや平等院の庭の面       上島鬼貫

 さて、肝心の「冬ざれ」を織り込んだ句は、どうだろうか。
 例によってというべきか、「日刊:この一句 最近のバックナンバー 2001年11月1日」で見つけることが出来た。詠んだ瞬間、気に入ってしまった(評釈もその頁で読める)」:

 冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな    日野草城

 ちなみに、この句、評者の坪内稔典氏のお気に入りなのか、「2001年11月1日」のみならず、「2003年1月29日」でも選ばれている。両者で評釈(評価ではない)がまるで違うのが面白い。日野草城(のこの句)に対し、語りたいことが多いということなのだろうか。

 冬ざれや禰宜(ねぎ)のさげたる油筒    落梧

 これは、「阿羅野脚注」で見出した。なかなか見られない光景を詠っていて興味深いので挙げておいた。

 さて、最後だが、季語随筆と銘打っていても、本来は日記サイトなので、それらしいことを。
 今日も、ご飯炊きでドジ。お米をとぎ、電気釜にセット。電源をオンに。しばらくして炊き上がったのだが、今日は妙に炊き上がりが早いし、湯気も立たないな、と思っていたら、そりゃそうだ。電気釜に二合のお米をセットしたのだが、水を入れるのを忘れていたのだ!
 読書の方は、相変わらず、車中ではカサノヴァの回想録やら、坂口安吾の「ふるさとに寄する讃歌」を、自宅では、堤隆著の「黒曜石 3万年の旅」と並行して、今週から内田康夫著「透明な遺書」を読み始めている。
 前者は、もしかしたら書評エッセイを書くかもしれない。
 後者は、拾ってきた本。小生、内田康夫のファンなので、こんな本を拾えて嬉しい。早速、就寝前などに読んでいる。面白いので、寝付くが遅くなりがちになるのが困る。
 水曜だったか、営業中、ラジオ(J-WAVE NISSAN FUGA THE DAYS)を聞いていたら、ハービー・山口という方へのインタビューが聞けた。もう、詳しくは書く余裕はないが、こんな写真家がいたんだと、興味を持った。そのうち、機会があったら、再度、言及するかも。
 小生、これまで「無精庵徒然草」(この季語随筆サイト)、「無精庵方丈記」(虚構作品サイト)、「無精庵万葉記」(書評エッセイサイト)などを設けてきたが、今度、過去の駄句川柳・俳句の蔵置サイトである「無精庵投句の細道」を設ける。
 こうなったら、新規のアップは(メルマガを覗いて)全てブログにするかも。そうしないと、書き下ろしの作品が溜まって、気が付いたら執筆して一ヶ月以上も経てからやっとアップ、などという事態を回避できないのだ。
 あれ? 何か忘れてる。そうだ、「冬ざれ」を織り込んだ句を作っていない!

 冬ざれて今日も一人の夜の果て
 冬ざれて身を縮ませる木の葉かな
 冬ざれて砂場の隅のやもめかな
 冬ざれて軒端の窓の影恋し
 冬ざれて梢の先に揺れる葉よ
 冬ざれて裸木の枝間の月の影
 冬ざれを口実にする添い寝かな
 冬ざれた樹幹に憩う蛹かな
 

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2004/12/02

冬の月

s-DSC01129 昨日の仕事も、暇だったお蔭で、公園の脇に車を止め、冬の月を幾度となく眺めていた。春の月、夏の月、秋の月、それぞれに趣があるのだが、冬の月はまた格別なものがある。
 冬の月の特徴の一つには、秋の月にも通じることだが、季節柄、湿度が低く、よって空気の透明度が高く、月影が冴え冴えと見られることがある。
 満月なら真ん丸に、半月や三日月なら、それなりに、少なくとも円弧の輪郭は鮮やかである。晩秋から冬へと季節が移り変わると、空気の透明度も高まるが、寒さも一入(ひとしお)厳しくなっていく。
 東京については、日中は暖かだが、夕方になると一気に冷え込んできて、小生が月見に興じる真夜中過ぎともなると、じっと立っていると、まだ、真冬でもないのに体が芯から凍て付きそうになる。
 その寒さが、悪寒を予感させたり、何か心を緊張させて見たり、いずれにしても、特別これといって感懐など抱いて見上げていなくとも、月見をしながら、心の引き締まる思いを覚えてしまったりする。
 冬の月の特徴には、他にもいろいろあるだろうが、小生にも気づくことは、冬の月の高度が高いことである。真夜中ともなると、尚更で、真上に近くなる。これから、冬が深まっていけば、ますます天頂に近くなっていく。
 何故に、冬になると月の位置が高くなるのか、そのメカニズムは、きっちりと説明がつくが、ここでは略す。小生より、専門家の説明を求めた方がいいだろう。
 まあ、単純にいえば、冬の月は夏の太陽のような位置にあるということだろうか

続きを読む "冬の月"

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2004/12/01

短日

 暦は今日から12月である。師走。師も走る。ならば、弟子も走る。師も弟子もない小生は、さてどうするか。そんな意味のない問い掛けを自分にしてどうすると問いたくなる。
 今日の表題に選んだのは「短日(たんじつ)」である。春は日永であり、夏は短夜であり、秋は夜長、ならば、冬は短日。思えば、秋より冬のほうが夜が長いような気がするが、秋の季語に夜長であり、冬は短日。やはり夏の日の長さと夜の短さとに対比して、秋ともなると、秋の日は釣瓶落としということで、夜長が馴染まれるようになり、結果として冬は、短日となったのだろうか。
 12月は、季語も豊富である。これだけ慌しい時期なのだから、季語を忖度する暇も、まして句をひねる暇などあろうはずがないのに、何故、こんなに多くの季語があるのか、不思議になるくらいだ。
 12月は31日しかない。が、季語は、ふんだんにある。となると、この季語随筆も、日に二度どころか三度は書かないと追いつかないということになる。土台、無理な話だが。
 短日、この季語にも、ちゃんと使い方もあれば、使われてきた経緯もある。例えば、類語に日短し・日つまる・暮早しなどがある、などと。
 本当なら、そういった背景や常識を調べ上げた上で表題に選ぶべきなのだろうが、この我がサイトは、自分が分からない、何も知らないという前提から出発している。調べながら書き、書きながら調べている。いつも、ぶっつけ本番なのだ。エッセイも掌編もコラムも、いつも行き当たりバッタリの、出たとこ勝負。
 小生の思考回路やら考えのまとまりのなさ、考えがまるで深まらない情なさがモロに出ている。むしろ、中身より、その頼りなさこそが特色(売り物?)のサイトなのである。
 せっかくなので、今回は、短日を織り込んだ句をネットから探し出してみたい:

 短日の人を見遣るや眼鏡越し    柴田宵曲
 短日の昏れゆくままの脚立かな   長谷川裕

 これらは、「日刊:この一句 最近のバックナンバー」から。解説も、読める。

 短日や瓦のきざむ影ならぶ   夏井いつき

 この句は「夏井いつきの季語の旅」で見つけたもの。写真と併せて詠むと、いいのかも。

 短日の時計の午後のふり子かな    飯田蛇笏

 この句は、「日国.NET:よもやま句歌栞草」で発見。例によって、このサイトにも、「掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。」と書いてある。ネットでオープンになっていて、開けばすぐに見れるのに、せっかくの記事を紹介できない。
 そこで似た趣旨のことを書いているサイトを探す(面倒出ない方は、上をクリックしてください)。例えば、「大江戸八百八頁」というサイトの、「江戸の暦」という頁を開く。
 そこに、短日について参考になることが書いてある。つまり、まず、「まず正午と真夜中をそれぞれ九つ(午の刻、子の刻)とし、日の出直前、日没直後を明六つ、暮六つ(卯の刻、酉の刻)と定めます。そしてその間の昼夜をそれぞれ六等分して一刻とし」た。
 ここからが肝心なのだが、「日の出、日没は季節、土地により変化しますので、昼の一刻と夜の一刻は違」うのだし、当然、日中の一刻も季節によって違う訳だ。夏などに比べ、秋さらに冬は一刻の時間そのものが違うわけである。
 つまり、「短日」という時、昼間の時間が短い(ということに結局はなるのだが)かどうか以前に、時間を示す一刻という言葉が同じでも、その示す長さが違うということ、冬は短いし、冬の日中は夜より同じ一刻であっても、短いということを意味するということだ。
 なるほど、である。
 ついでながら、「明六つ、暮六つ」の「六つ」とは、その刻限に「撞かれる鐘の数からきた呼び方」なのだとか。これも、大方の人には常識なのかもしれないが、小生には、86へー、であった。
 また、江戸時代は、時間を干支風に、子丑寅と呼称していたことは知られているだろう。「例えば「正午」は午の正刻(うまのしょうこく)を略したもので、午前、午後は午の刻の前後ということ」なのである。
 干支で午年の人が午の刻に生れていたら、馬が合った、ということになるのだろうが、少なくとも小生には当て嵌まらない。そこまで考えて出産もできなかったろうし。
 ということで、今日は「短日」ということで、少しだけ、時間(の分け方や呼称)について触れてみた。
 しかし、時間の問題は奥が深い。そこには世界観の問題が横たわっていたりする。小生が、時間について道案内するのは、出すぎた真似ということだろう。

 さて、今日も駄句の列挙で、幕を下ろしておきたい。それぞれに句を捻った脈絡があるのだが、煩雑になるので句だけを示す:

 散る間際つかの間憩うモミジかな
 散るモミジベンチで拾って冬を待つ
 散るモミジ風の気紛れ楽しむか
 モミジ背に微笑んでいるベンチかな
 背のモミジ温めて憩うベンチかも
 東福寺紅葉の焔見下ろして
 赤い服?紅葉の焔燃え移る?
 人だかり紅葉の赤に染めたいね

 ヘリに乗り大地を睥睨する弥一
(これはヘリコプターに乗って遊覧してみたいという願望の句)

 尚、「無精庵万葉記」も、「無精庵方丈記」も、更新してあることはお知らせしておく。
 もち、この「無精庵徒然草」が更新してあるなんて言うのは、言うも愚かなりだね。
 最後に、せっかくなので、短日を織り込んで一句:

 短日や月影の出の早さかな
 短日や仕事もさっさと終わればね
 短日や夜の仕事は損なのか
(同じ労働時間だと、昔風だと夜は余分に働くことになるのかな。でも、江戸の世は夜、仕事するというと、泥棒さんくらいのものか)
 短日や人生に似て慌(あわただ)し
(昼間が短い、つまり青春の時は短く、夜、つまり熟年の時は長い。その長い時をいかに充実させるか、が大切なんだろうね)
 

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2004/11/30

季語徒然

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 季語の数々を眺めてみる。悲しいかな、その大半が馴染みのないものだったりする。馴染みがないだけならまだしも、その言葉が何を意味するのか、トンと分からない季語も多い。
 例えば、しばしば参考にさせていただいている、「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】」を見てみるだけでも、その感を強くする。「神無月、神の旅、神送、神渡、神の留守」や、「酉の市、熊手、箕祭」はまだしも、「炉開、口切、亥の子、御取越、達磨忌、十夜」は、何のことやらさっぱり分からない(そうはいっても、まだしもとして例示された個々の季語を説明しろと言われても困る。小生には聞かないのが大人の態度というもの)。
「新海苔、棕櫚剥ぐ、蕎麦刈、麦蒔、大根、大根引、大根洗ふ、大根干す、切干、 浅漬、沢庵漬く、茎漬、酢茎、蒟蒻掘る、蓮根掘る、泥鰌掘る」なども、小生には説明はできないものの、今ごろの季節風景を象徴する言葉だったりするのだろうとは、朧にも分かる。
 小生の家は、小生が物心付いた時には、兼業農家になっていたものの、それでも、家の目の前は勿論、歩いて数分、十数分というところに田圃が散在していて、荷車などを引いて農作業に向かった。多くは小生が大学時代までに手放され、今では田圃としては全く残っていない。僅かに庭先に畑が少々あるばかり。
 それでも、軒先に大根に関わる風景を毎年のように見てきた、干された大根が晩秋の澄み渡った空に、のーんびり揺れていたり、もがれた柿が、これまた軒先にぶら下げられ、干し柿になるのを待っていた。が、蕎麦や蒟蒻、泥鰌は食べたりは勿論するが、植えたり育てたり収穫したり、まして大根や茄子やキュウリやジャガイモなどのように、朝夕に庭先で採ってきて、ササッと洗い、俎板の上で斬った切り口も新鮮なままに食べるという僥倖には恵まれていない。
 それでも、我が家や小生の身近では馴染みではなくとも、いつの日かのどこかの誰かには当たり前のように日常的に見られた光景だったりしたのだろうし、だからこそ、句に詠いこまれてきたのだろう。
 小生が川柳や俳句が好きなのは(だからといって、短歌や詩がどうこうというわけじゃない)、身近な風景を季節感・生活感たっぷりに気軽に詠み込めるからだ。覚えておく必要がないなら、紙と鉛筆さえ要らない。車の運転をしながら、あるいは、買い物へと歩きながら、お月さんなど眺めながら、近所の塀から覗く花々を見ながら、駄句を思い浮かぶままにひねっては、記憶の海の底へ沈めていく。
 さて、11月の季題(季語)に戻ると、「凩」などが出てくる。凪は言葉としては分かるとして、何故、今ごろの季語として定着したのか、まるで分からない。きっと何がしかの経緯があったに違いない。時間があったら、じっくり昔を偲びつつ調べてみたいものである。
「帯解、袴著、 髪置」なんて、下手すると艶っぽいことを連想させる意味深な季語なのかと思ったりもするが、直前に「七五三」があるので、その関連なのかもしれない。だとしたら、小生が思い浮かべている、由無し事というか良くないことは大急ぎで拭い去って、初々しく微笑ましい光景を思い浮かべる必要がある。
 輪からないと言えば、「木の葉髪」も、そうだ。「網代」は、過日、若干、触れたからいいとして、「竹瓮」って、何だろう。「大綿」は? 蒲団綿の打ち直しに関係するのか。
 ネットで「竹瓮」をネット検索しても、例は多くない。
 何故か、「音楽史と初等数学史がメインのWebPageです。他に語学、文集などもあります」というサイトの、「落書き帖 第102号 難読漢字100
」の中に、「竹瓮」の説明として、「漁具の一つ。細い竹を筒のように編み、一端を紐で結び、他端に内側へもどりを作り、一度魚が中に入ると外に出られなくなるように仕掛けたもの。」と(「網代」を連想させる印象を受ける)あった上で、「竹瓮揚ぐ水の濁りの静まらず   高浜年尾」が例示されている。
 ついでながら、ここには、「泥鰌掘る」も説明されてあった。一粒で二度美味しいサイトだ!
 あ、不親切だった。「竹瓮」の読み方だが、「たつべ たつへ タッペ」と読むらしい。三冬の季語の一つのようだ。
 で、親切なところを見せておくと、別の「11月・季寄せ」というサイトを見ると、「竹瓮」について、「水底に沈めて魚類を捕える円い小籠。沈む時は口が開き、引き揚げる時は口が閉じるようにしたもの。」とあり、さらに「たつめ。筌。」とある。「筌」は、何ぞや。
 で、「筌」のみをキーワードにネット検索すると、日本語だけで、2万以上をヒットした中で、筆頭には、「童女筌の世界」というサイトが登場し、これは、「日本初の編物教科書「童女筌」とその時代背景」のサイトが現れたり、他に、多くは、「下筌ダム」とか、「筌の口温泉(九重町)」だったりする。
 ちなみに、この「筌の口温泉(九重町)」というのは、「鳴子川河畔にあるひなびた温泉地で川端康成が ”波千鳥”の構想を練る為に投宿した旅館小野屋があったが、2004年4月に閉館した。」という。おお、我が川端康成に縁のある温泉地だったのだ。
 が、小生の今の検索目的からは外れている。
 ようやく35番目に、「ウケ(筌)」というサイトが登場。開くと、「河川や湖沼、水田の用排水路などの水中に沈め、魚・カニ・エビ・サンショウウオなどの習性を利用して捕獲する漁の道具。 竹で円形に細長く編んだものや、ビンのような形のものまで捕る魚に合わせて作られるためさまざまな種類がある。 ウエともいう。」という説明と共に、「ウケ(筌)」の画像も載っている。ありがたい! きっと受けのいいサイトに違いない。

 掲げた写真は、今朝、帰宅の途上に撮ったもの。多分、これから例によって、となるはずだが、写真には、駄句を載せてある。読みづらいので、ここに書いておくと、「葉桜やつかの間映えて冬となる」である。
 この秋というか晩秋というか、季語上は既に冬なのだが、なかなか寒くならず、この葉桜は、ずっと緑色で、赤茶けたような葉っぱが混じり始め、そろそろ紅葉を楽しませてくれるかなと期待していた。
 が、そう、葉桜は、燃え始めると、呆気ないほど簡単に散ってしまう。桜の花も、満開になったと思った瞬間、パッと散ってしまうのだが、紅葉も愛でる間もなく散り急いでしまう。
 どうも、桜というのは、せっかちな木のようだ。まるで小生のよう?! いや、小生は、ダラダラグダグダのんべんだらりだから、性分がまるで違う。
 ところで、目聡い人、というより、物好きな人は、今、掲げた句、はて、何処かで目にしたようなと思われるだろう。
 実は、小生、葉桜について、何か情報がないかと、「葉桜 紅葉」をキーワードにネット検索した。何故、これらを検索語に選んだかというと、葉桜が紅葉して、こんなに呆気なく散る、その物足りなさ(あるいは潔さ?)を、きっと誰かが、文句というか愚痴っているに違いないと憶測を逞しくしたのだった。
 案の定だった。検索の網に、5千以上、引っ掛かったその十数番目に、なんと我がサイト(というか、このサイト)「無精庵徒然草」が、掛かって、無様な姿を晒しているではないか。その中に、拙句「葉桜も紅葉しきれず冬になる」が。
 ああ、恥ずかしい。こうして世間に恥を晒しているわけである。
 この句をひねったのは、11月22日である。一週間ちょい前。その頃は、緑色の葉が大半で、色付いた葉は少なかったし、落葉する葉も少なかった。ああ、このまま、碌に紅葉もしないうちに、見るものに昂揚した気分を恵みもせぬうちに、冬になっていくのかと、少々愚痴っぽい心境を詠い込んでいる(当人は、そのつもりでいる)。
 それが、今朝、見たら、冒頭の写真のような有り様である。仕方なく、小生、まあ、多分、小生が運悪く見ていないだけで、大方の葉っぱが紅葉した瞬間が、きっとあったのだろう、きっと、その見逃した瞬間は、美しかったのだろうと、若干の無念の気持ちも篭めて、詠ってみたのであった。
 さて、今日は11月も最後の日。掌編を今月はまだ7個しか作っていない。あと、一個、今夜中に作りたい。明日の日付の日記に、ノルマを果たしましたと、誇らしげに(作品の出来は、そっちのけで)書けるだろうか。書かなかったら、ダメだったものと、落胆しつつ泣き寝入りした小生を思って、同情などしてほしい。
 ま、来月のノルマが8個ではなく、9個になるだけのことなのだが。

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2004/11/29

一葉忌

 もう、一週間近く過ぎてしまったが、11月23日は、樋口一葉の命日だった。「樋口一葉(本名奈津)は明治5年3月25日(太陽暦5月2日)に生まれ、明治29年に肺結核のため、24年という短い生涯を終え」たのだった。「その短い生涯のうちに、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった現代の我々にも感銘を与える珠玉の作品を遺してい」ることは、知る人も多いのではなかろうか。
 まして、この11月から市中に回り始めている新五千円冊の肖像に樋口一葉が使われているだけに、頓に名前や作品名には親しむ機会が増えている。新聞でも彼女を紹介する記事が載っているし、雑誌に至っては、とにかく紹介だけはされているのではないか。
 が、実際に樋口一葉の作品を手にとって読まれた方となると、案外と(予想通りに?)少ないのかもしれない。
 小生も、名前だけ聞きなれていたが、作品に親しんだのはほんの数年前のことだった。
 まあ、作品はともかく、彼女の足跡を辿っておくのも、いいのではないか。それから追々に彼女の作品に接していくという道筋があってもいいのだし。
杉山武子の文学夢街道」というサイトを参照させていただく。
 最初に、「一葉は四歳から九歳まで、法真寺と隣り合わせの大きな家に住み、桜の木のあるこの境内で遊び、幸福な少女時代を送った。」という法真寺(浄土宗)の写真(写真は平成11年2月撮影)が載っている。
 ついで、「一葉は通算して5年半、小学高等科第4級卒業の11歳で学校をやめさせられた。女子に学問は不要との母親の強い考えと、進学させたい父親が争そったという。一葉は「死ぬばかり悲しかりしかど、学校は止めになりにけり」とのちの日記に記している。」と書いてある。
 明治だと、女性の向学心燃える情熱に水を指すのは、多くは父親だったりするのだが、一葉の場合は、母親が反対していたのだ。が、「向学心の強い一葉に和歌を学ばせようとの父親の計らいで、14歳になった一葉は小石川の中島歌子の歌塾「萩の舎」へ入門した。」という。
 彼女の場合、父親の後押しが大きく功を奏しているわけだ。
 けれど、「一葉は「萩の舎」で上流階級の女性達に混じり、持ち前の負けん気でめきめき和歌の実力をつけたが、長兄泉太郎と父則義が相次いで病没。あとに残ったのは57歳の母、15歳の妹と一葉の女ばかり三人だった。一葉は17歳で女戸主となった。」という。
 そして、「母娘三人は、明治23年9月、本郷菊坂町の借家に移り住んだ。樋口家の没落の始まりだった。一葉はここから小石川の「萩の舎」へ稽古に通った。」のだった。
 小生、この「本郷菊坂町」という地名でピンと来た。多少は文学史に詳しい人(ちょっと大袈裟か)なら、その頃、この町の近くに夏目漱石が居住していたのではなかったかと思いめぐらすに違いない。
 そこで、「本郷菊坂町 一葉 漱石」をキーワードにネット検索してみたら、ビンゴ! に割りと近かった。筆頭に「漱石と一葉夏目漱石の年譜」というサイトが登場する。
 その冒頭に、「夏目漱石の年譜(1867-1916)を見ると「二歳で浅草南部の添年寄塩原昌之助の養子となり
(二二歳で夏目家に復籍)、戸田学校(現精華小学校)に通う。成績飛び抜けて優秀。10歳の折、下谷西町十五番地に移る」とあり若き漱石は台東区で育ったことがわかる。
 この漱石が、同じ台東区に縁のある樋口一葉の見合い相手だったことは以外(意外?)と知られていない。
  台東区史跡散歩(学生社)より抜粋」
 おっと! 漱石が一葉の見合い相手だったって。小生、迂闊というのか、それとも、何処かでその情報を目にしているが、見逃していたのか。
 一葉の恋というと、彼女の師でもあった、半井桃水とのことを語らねばならない。
 が、有名だし、彼女の日記に拠るのがいいだろう。とにかく、一葉は半井桃水にひと目惚れしたようである。同時に、結果的に苦しい、悲しい恋に終わったようだ。
 先に、漱石と一葉が、一時は近くに居住していたのではと、憶測したが、上掲のサイトに拠ると、実際には、文京区西片町に半井桃水が住んだことがあり、その時かどうかはっきりしないが、その町に、漱石も住んでいたことがある。つまり、半井桃水と漱石が同じ町に住んでいた可能性がある(この点は、もっと調べる必要がある)。
 ただ、西片町の半井桃水方に本郷菊坂町の一葉が、足繁く(?)通ったことは、間違いないようだ。
 一葉は、ある人と婚約したことがあるが、同時に破棄を相手方から申し渡され、さらに、今度はその相手から復縁を求められる、という経験もある。
 その後、一葉には、瀬戸内寂聴ならでは探究し得なかった泥水の時をも過ごしていたのか。
 樋口一葉の作品は、ネットで(青空文庫で)読める。
 あるいは、松岡正剛の「千夜千冊」でも、「たけくらべ」を扱っている。
 ところで、何処かに書いてあるのかもしれないが、本名は樋口夏子(奈津、と表記したサイトも見受けられる。調べてみると、「樋口一葉の戸籍名は「樋口奈津」。しかし日記の表紙には「なつ」「夏」「夏子」とも自署し、本名の奈津より「夏子」を用いることが多かったので、樋口夏子が最も一般的な呼び方として通っています」ということのようである)である彼女が、一葉という名前を使ったのは、いつのことなのか、そして一葉という名前の生れた経緯は、どうなのだろう。
一葉の名について」というサイトを覗くと、「樋口一葉(本名夏子)の「一葉」が公的に使用されたのはこの「武蔵野」が最初である。歌塾「萩の舎」で添削を求めて提出される草稿には使われておらず、「一葉」は小説でのみ用いられた署名と考えられている。」とある。
 但し、この「武蔵野」とうのは、冊子の名前で、載った作品名は、「闇桜」。この作品掲載の時、樋口一葉という名前を使った。

 既に紹介した「杉山武子の文学夢街道」というサイトの「樋口 一葉 豆知識」という頁を覗いても、「一葉」というペンネーム誕生の経緯が書いてない。
微照庵(びしょうあん)」というサイトは、日記が多く引用されていて、とても参考になる。が、一葉という名前の誕生秘話は、小生には見つからなかった。
 誰か教えて欲しい。あるいは歌に秀でていた一葉のこと、「万葉集」を意識して、万葉に対し謙虚に一葉と決めたのだろうか。

 さて、表題に選んだ「一葉忌」は冬の季語ともなっている。以下の句を見つけた(「日刊:この一句 バックナンバー」、ほか):

 また一人草履隠され一葉忌    二村典子

 一葉忌ある年酉にあたりけり    万太郎

 一葉の世界の理解というと、上述したように、瀬戸内寂聴に当たっておかないと、話にならないのかもしれない。全てを犠牲にしても、作家として成功しようとした一葉。文豪というか、文業というのか、あれこれ調べてみて、改めて一葉の作品を読み直してみないといけないと、つくづく思ったものである。
 なのに、小生、一葉の命日の23日には、「小春日和」などを、せっせと綴っていた。これでは、一葉の足もとにも及ばないのも、無理はないのかもしれない。
 その日、小生は、水仙の花に事寄せて、「遠き日に眺めた波の花の果て」なる句をひねっている。この句がせめて、供養の一句になればと思うのだが。
 けれど、「夢にまで小春日和の心地して」などと詠っているようでは、無理か。

 一葉忌思いも寄らぬ小春かな
 一葉忌せめてもの札の慰めか
 一葉忌身を削っての言の葉か
 一葉忌身を投げ打ってのにごりえよ
 たけくらべ肩並べしは誰ならん
 十三夜満ち足りずとも月見けり

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2004/11/28

冬日和

s-DSC01108.jpg

「冬日和」は、11月も終わりの麗らかな日和を指すのだろうか。「冬麗ら」という冬の季語もある。こちらを選ぶべきかとも思った。
 が、もっと迷ったのは、体感する季節感が何とも中途半端だということだ。東京近郊については、この数日でようやく木の葉も色付きの足を速め、晩秋の気分を感じさせている。
 一方、しかし、季語上は既に冬入りしている。使うべき言葉、選ぶべき言葉は、冬の季語、一応、冬と言っても11月に伝統的に使われてきた言葉の中から、ということになる。

 ところで、過日、都心である婦人を乗せた。小生はタクシードライバーという仕事に携わっているので、別に婦人を乗せたといっても、艶っぽい話ではないので、念のため。
 その方とは、乗っている時間が三十分ほどという、日中にしては長時間だったこともあって、あれこれ話が弾んだ。聞くともなしに伺ったところ、生け花の勉強のため、お師匠さんのところに伺って、その帰りらしい。
 お年を召された方なので、ご自身が生け花の先生だと言われても、通りそうな気がする品のいい婦人だった。が、お師匠さんの生け花に心酔されているようだった。
 好奇心も旺盛で、テレビで見たクイズ番組でのクイズを小生に出したりする。で、当然ながら答えに窮する小生に、すぐに助け舟を出してくれる。
 婦人は、答えの意外性に驚いていて、小生に問題を出して悩ませるというより、むしろ、問題の答えの意想外な発想に感心している様子だった。その問題の幾つかを出してもいいのだけど、ま、それは別の機会に。
 頭の固い、昔気質の方なら、答えに怒る人も居るかもしれないが、彼女は、素直に答えの彼女の予想を遥かに越える突拍子のなさに素直に感心されているのだ。小生は、そのことに感心した。
 年齢を重ねても、いい意味で好奇心を絶やさず、何にでも関心を抱き、前向きに生きておられる証拠のように、受け取っていた。
 話は、弾んで、今、テレビ・マスコミを賑わす生け花の人気者のこととか(言うまでもないが、假屋崎省吾(かりやざき・しょうご)氏のことである。何を喋ったかは、ヒ・ミ・ツ)、これも、小生が話題に出したのだが、どういう脈絡でだったかは忘れたが(多分、生け花→掛け軸→水墨画だったと思う)、水墨画が好きだ、彼の筆の捌きは凄みがある、筆で一本の竹や草をスーと描く、ただそれだけの線一本に見惚れてしまう、云々。
 そうね、筆の濃淡だけで、霧の掛かった林とかの奥行きを表現するのよね、凄いわよねー。
 宮本武蔵の有名な画はいろいろある。「布袋見闘鶏図」とか、「茄子図」とか。
 小生がその時、脳裏に浮かべていた画は、「枯木鳴鵙図」だった(この画について、詳細や背景を知りたい方は、「美の巨人たち 宮本武蔵『枯木鳴鵙図』」を参照願いたい)。
 生け花の流派の話(御婦人の習っておられる花の流派も伺った)、生ける花が一本であっても、そこにはセンスが如実に現れる。習字でも同じように。今、思い出したが、生け花→習字→掛け軸→水墨画→宮本武蔵という話の流れだったのである。
 この、車中でのお喋りを日記に書こうかなと思いつつも、他にも書きたいことがあって、後回しになっていた。そうそう、降りる間際にご婦人は、携帯電話のことなど話題に出していた。話の脈絡に全然、関係ないな、確かに小生も携帯電話はマナーモードだが、車中に置いているが、と思ったら、どうやらご婦人は、小生の携帯電話の番号を知りたいらしかった。今度は、流しでたまたまじゃなく、長距離の乗車の機会があった時になどに、電話で呼び出して、小生を呼び出してみたい、そんな思いもあったのだろう。
 が、無線も使わない小生(無線は聞いているだけ)、携帯電話も営業では使わないので、話題を元に戻してしまった。そしてすぐに目的地に。

 さて、こんな話を持ち出したのは、昨日付けの朝日新聞夕刊に「前衛の花に人生かけて」と題して、生け花作家の中川幸夫氏への聞き書きが文化欄の「風韻」というコラムに載っていたからである。
 悲しいかな、何事においても無調法なる小生のこと、中川幸夫氏のことも何も知らない。この囲みのインタビュー記事(西田健作氏)で初めて知ったようなものである:
生け花作家・中川幸夫」など参照。
 生け花というと、茶道・華道ということで、家元制度が厳然としてある。小生には、芸術の世界に家元制度があることが不思議でならない。文学にしても詩の世界にしても、絵画や写真、音楽の世界にしても、家元制度などとは無縁である。師と弟子ならありえる。先輩から学ぶべきことは、少なからずある。
 が、結局は、流派など関係なく、その人の修練と究極においてはセンスが問われる。どんな立派な家柄の血筋を受け継いでいたって、ダメな者はダメだし、出自に関係なく素晴らしいものは素晴らしいのだ。
 が、そんな常識など通用しない世界が、日本(に限らないかもしれないが)にはあるのだ。
 別に家元制度を批判しているわけではない。小生には理解が全く、及ばないと思っているだけである。
 
 翻って、中川幸夫氏は、「型を重視する家元制度に反旗を翻し、弟子をとらず、想像を絶する貧しさの中で前衛の花を追及してきた」のだった。
 彼の出発点のエピソードが凄い。上掲のサイトでも紹介されているが、30歳の頃、彼も池坊に入っていたが、「本部のある京都・六角堂で花を生けることになった。近くのお店に、いい具合の白菜が並んでいた。」
 白菜?!
 その白菜を同氏は、丸ごと立てて生けた。すると、助手と先生が怒ってしまった。小生にも彼らが怒るのは分かるような気がする…ような。
 同氏にすると、白菜は、「持って帰って食べたくなるぐらい白くてね。」というわけである。別に挑発しようという気すらなかったのだ。
 当然のごとく、池坊と縁を切る。あとは、「弟子をとらず、想像を絶する貧しさの中で前衛の花を追及してきた」というわけである。
 
 ここらで、小生の正直な生け花への考えを言うと、そもそも生け花という発想が大嫌いである。花にしろ草にしろ、咲いていてこその植物なのだ。小生の発想では(それとも、狭苦しい了見では)、精一杯、妥協して、盆栽や庭木などであろうか。一応は、土に植わっているからである。
 それが、生け花となると、幹か枝葉の何処かでチョキンと切り取ってしまう。そうして、美麗なる花瓶に、あるいは、悲惨にも剣山(けんざん)の針地獄に突き刺す。で、何本かの切り取られた花たちを<生けて>(小生の表現を使えば、生きたままの献体というか、見世物にして)、その並び、配色、バランス、背景の壁や花瓶、剣山を受ける皿(器)などとの総合的な美を演出する。
 そんなに花が好きなら、花の美を愛でたいのなら、何も切り取らなくていいじゃないか、せめて庭に、せいぜい植木鉢に植えて鑑賞すればいいじゃないか…、小生は、そう思ってしまうのである。
 こんな発想の小生では、そもそも生け花という発想自体が、論外になってしまうのだ。
 といって、気の小さい小生のこと、瓢水を気取って、「手にとらでやはり野におけれんげそう」などと句にする技量もない。
 きっと、やはり、了見が狭いのだろう(尚、この瓢水の句については、小生も触れたことがある「蓮華草のこと」。なかなか額面通りには受け止められない厄介な句なのである)。

 蓮華草野にあってさえ摘み取られ
 花の美を床の間に見る人やらん
 冬日和床に延び行く影で知る
 冬日和長き尾引いて消ゆる人
 
 さて、最後である。この日記では、実は今、読んでいる黒曜石についての本の話題を採り上げるつもりだった。が、生け花に絡む話が長引いてしまって、後日、改めて触れる。
 昨夜というか、今日の未明、今月七個目の掌編を書いた。タイトルは、「天国への扉」。察しのいい方は、「無精庵徒然草」の昨日の日記、「ドアを開く」に登場させた「天国への扉」から発想したと思われるかもしれない。
 これは、正しくもあり、間違ってもいる。
 当初、全く別のタイトルだったのだ。もう、忘れたが、朧な記憶では、「愚鈍なる児戯」だった。その痕跡は、掌編の中に、この言葉が使われていることに残っている。
 ある意味、小生のガキの頃の思い出が、ほんの僅か篭められている。先生の質問に答えられなくて、しょっちゅう、教室の後ろに立たされた。お袋も、お宅のお子さんは、なーんにもやる気がないと幾度となく、担任の先生に言われたとか。
 書評エッセイのサイト「無精庵万葉記」にも、幾つか、過去に書いて、メルマガにて公表した書評エッセイを載せている。本来は、ホームページの読書・書評の頁に載せたいのだが、時間が取れないので、こういう形を採っている。そのうち、ホームページに収めるつもりだ。また、ここには、折々、新作の書評エッセイを載せる意向であることも、「無精庵方丈記」と同じである。

 冒頭に掲げた写真は、以前にも載せたもの。ある方から写真(画像)を加工するソフトを教えてもらった。やっと、昨夜、トライする機会を持てた。画面に載せた句は、見えづらいだろうが、「冬の朝明けていくとも暮れる胸」という即興の句である。
 ま、試みということで、掲げておく。
 

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