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2004/11/27

ドアを開く

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 ドアを開く…。この言葉だけで、人は何を思い浮かべるだろう。誰か慕わしい人の家を訪ね、ドアの開く瞬間を待つ。それとも、事件になり、一時期、話題になった超高層ビルの回転ドア、スーパーなどの自動ドア…。「左右どちらからも扉を開閉できる冷蔵庫「どっちもドア」」なんてのもある。それとも、「風に吹かれて」で有名なボブ・ディランの「天国への扉」という曲が脳裏に浮かび、メロディなど口ずさむ人もいるかもしれない。
 ドアから扉、そして「天国への扉」を連想した小生、学生時代など、ビートルズと共にボブ・ディランに聞き浸っていたものだった、その名残がこんなところにも出てくる。
 あるいは、ドラえもんの「何処でもドア!」を忘れてはいませんか、と、口を尖らせている人もいるかもしれない。

 が、ここでは、ちょっと野暮かもしれないが、タクシーのドアのことである。小生は、タクシードライバーをしている。だから、ドアというと、真っ先に思い浮かぶのは、タクシーのドアということになってしまっているのだ。
 タクシーのドアは自動ドアである。タクシー(会社)によっては、ドアに「自動ドア」と表記してある場合もある。
 小生、タクシードライバーの仕事に携わるまでは、本当に自動ドアだと思っていた。何かスイッチかボタンがあって、お客さんがドアの傍に立ち、乗る意志を示すと、運転手がボタンをオンにする。すると、ドアが自動的に開く…。そんなシステムをボンヤリ、思い描いていた。
 というより、そんなことなど、あまり考えもしなかった、と言ったほうが無知な自分に近かったか。
 が、現実には、タクシーのドアは、自動とは言え、それは、お客さんから見たら、自動的に開くのであり、実際には、お客さんがドアの傍に立つのを確認して、また、立ち位置を十分に確認した上で、運転手の右下手元付近にあるレバーを引く。そのレバーに加えられた操作は、コードを通じて後部左側(つまり、歩道側)のドアに直結しており、ドアが開くというわけである。
 まさに、運転手にとっては、手動ドアなのだ。手で操作している。ただ、途中にコードがあって、見かけ上は距離が開いているように見えるだけである。
 自動ドア、つまりは手動ドアは後部左側だけに機能する。助手席側は、お客さんが自ら開けるようになっている。後部右側は、通常、開かないよう、ドアにロックがされている。これは、歩道側ではなく車道側で、お客さんが勝手に開けると危険だからということ、また、めったに後部右側から乗る機会がないこと、などがあって、自動ドア(運転手には手動ドア)は後部右側だけになっているのだ。

 ところで、唐突に、「ドアを開く」という表題で、今日の日記を書いているのは、たまたま今さっき見たドラマの影響である。小生、二週間ぶりの連休ということで、読書と執筆と、それにテレビ視聴三昧なのだ。特にテレビでサスペンスもののドラマを見るのが好き。
 しかも、これは変わっているかもしれないが、再放送ものが好きだ。夜に新しいサスペンスをやっているのに、何故、ということになるが、タクシーの徹夜仕事から朝、帰宅し、多少グズグズしてから9時前後に寝入るのだが、日中ということもあり、グッスリは眠られず、大概は昼過ぎに目覚める。
 当然、寝不足なので、昼下がり、あるいは夕方近くに二度目の睡眠を取るのだが、その間にボンヤリした頭のままに、読書したり(これはトライすると、大抵、居眠りに自然に移行してしまう)、洗濯したり、借金の支払いに出向いたり、食事したりする。
 食事の際には、テレビを見る。見るなら、サスペンスもの、しかも、小生、睡眠障害的な傾向があるので、テレビを見ている最中に、ロッキングチェアーで転寝(うたたね)を楽しんでしまう。
 すると、番組を中途半端にしか見られない。ガッカリである。が、再放送ものなら、ちゃんと見なかったという落胆の度合いも低い。夜の新規の番組の途中に、さあ、見るぞと思ってみたのに、見逃したりしたら、ガッカリの度合いもひどいのである。
 
 さて、今しがた見た、「牟田刑事官(中略)刑事の妹も奪われた!」も、再放送。が、恐らく、小生が見るのは初めて。なので、新鮮な気分で見られた。
 このドラマの鍵というか、発端になっていたのは、まさに、車のドアを不用意に開けた事なのである。つい油断してドアを開けたため、そのドアに自転車の若い女性が突っ込んで転倒した、しかも、運悪く、そこにスピードを出しすぎの車が通りかかり、その倒れている女性を轢いてしまった。
 女性は死にはしなかったが、車椅子の生活を余儀なくされる。
 事件を複雑にしたのは、ドアをつい開けてしまったのは、これまた若い女性なのだが、そこに居合わせた男性がカメラマニアで、弾かれた女性の様をパシパシッと写真に収めてしまったのだ。
 事件は、轢かれ車椅子の身となった女性の兄が犯行を、つまり復讐を決意するところから始まる。この牟田刑事官モノは、主演が小林桂樹、準主演に片岡鶴太郎で、いつも事件は輻湊している。なかなか一筋縄では解決に至らない。

 ま、それは別の話として、このドラマ、最後に車椅子の女性が自首する場面で終わる。その女性、車で警察に赴くのだが、その際、カメラは車のドアが開き、車椅子だが、杖を使えば、なんとか歩ける女性が車から出てくる場面を、ドアに焦点を合わせるようにして見せる。
 事件の発端も、結末も車のドアの開く様子に絡むということで、タクシードライバーたる小生、ドアにちなみあれこれを書くしかない気分にされてしまったのも、無理からぬことであろう。

 小生、タクシードライバーになって九年以上になる。その間、なんとか、大きな事故にも遭遇せず、まずまず大過なく、こんにちまでやってくることができた。
 これは、偏(ひとえ)に、日頃の注意の怠りない所以である、と、書きたいところだが、そうは問屋が卸さない。
 やはり、何といっても、運が良かったと思うしかない。事故になってもおかしくないという状況に幾度となく遭遇している。死亡事故現場にも立ち会ったことがある。それも、事故直後だった。路上に宅配バイクが横倒しになっている。ライダーは、路上に転がって、ピクともしない。
 路上の若い男性は即死状態だった。タクシーの運転手も、顔が真っ青で、男の傍で呆然と立ち尽くしている。若い男性の人生もその日で終わったが、運転手の人生も、奈落の底に突き落とされたのは、言うまでもない。
 バイクと衝突したのは、タクシー。どちらが悪いのかは分からないが、タクシー(車)とバイクだと、まず、タクシーに責任が問われる。
 小生、この事故が一際(ひときわ)印象深いのは、衝突そのものは目撃していないのだが、衝突した際のガシャッというのか、グシャッと表現すべきか、その鈍い音をタクシーの中にいて聞いたからだ。今も、その音が耳に残っている。
 この事故の場合、ドアが絡んでいるわけではないが、事故、死亡した若い男、立ち尽くす運転手、快晴の空、それでいて、周囲は事故直後でもあるからか、そんな状況に無縁に、何事もないかのように通常の走行が続いている。そうした一切が、妙に印象的なので、忘れられないのだ。

 話を元に戻すが、タクシードライバーになって九年以上。タクシーという仕事の性質上、注意すべきことは、たくさんある。あまりに多いので列挙するのも、躊躇われる。項目を並べるだけで、長い長いリストになるだろう。事故を避けるノウハウも多いが、お客さんとの トラブルも、場合によっては事故以上に怖かったりする。
 そんな中、未だに慣れないのが、後部左側のドアの開閉である。
 冒頭付近で書いたように、自動ドアといいつつ、運転手側にしてみれば、手動ドアである。当然、交通状況を十分に確認して開閉する(新人の頃、ドアを閉め忘れて走り出し、郵便ポストに擦らせたことがあった。恥ずかしい!!!でも、これ、内緒の話)。
 である以上は、危ないはずはないのだが、実際にはお客さんが複数居る場合もある。となると、お客さんのうちの一人は車内に残って支払いしている。その間に、他のお客さん達が、さっさと降りていく。当然だ。
 が、この勝手に降りられるのが、実に怖いのである。ドアを開く際には、通常の走行以上に神経を払うといっても過言ではない。何故なら、歩道側の何処から自転車(中にはバイク)がやってくるか、分からないからだ。
 だから、慎重の上にも慎重を期して開くが、複数だったりすると、そうもいかない。支払い事務を遂行しつつも、気が気でない。大きく開いたドアに自転車が突っ込んでこないか、開いた瞬間、ドアが歩行者にぶつからないか、とにかく神経が休まらない。

 お客さんが複数ではない場合でも、お客さんがドアを早く開けろと催促する場合がある。
 支払いをし、釣銭を準備する間も惜しくて、さっさと車を降りたいのである。気の弱い小生のこと、つい、仕方なく、開けてしまう。お客さんは降りて、車の傍で中腰になって釣銭や領収書を待つ。で、釣銭を手をグッと延ばして渡すのだが、先を急ぐお客さんが勢い良くドアを開けたりすると(ロックだってお客さんが勝手に解除する場合がある)、周囲の安全確保は大丈夫かと、心臓が縮むような思いがする。
 どんな場合でも、お客さんが勝手にドアを開けた場合でさえも、完全に降りてしまうまでは、タクシードライバー(会社)側の責任となるのだ。
 アメリカのタクシーだと、ドアの開閉はお客さんが行う。当然、ドアの開閉時の責任もお客さん側ということになるのだろう。日本とは国民性や国情に違いがあるとはいえ、ドアの開閉のシステムを再考する余地もあるのではなかろうか。

 なんだか、重っ苦しい話になってしまった。
 ネットで「ドア」という言葉が織り込まれている句を探してみた。例えば、「インターネット俳句大賞」というサイト(八木健予選 2月の結果)を覗いてみたら、次の句が見つかった(ユニークでユーモラスなハイクアートがそれぞれの句に付してあるのだが、誰の作品なのか分からない):

 のったりとドアすり抜けし春の猫  遠藤京子

 さらに、「2004 「海程」全国大会In 芦原・三国」に以下の句が(この句には、「金子先生評(戦艦大和から内面性を語っている)」と評が付してある。金子先生とは、金子兜太氏である):

 ドアロックしても洪水わが大和       大高宏充

 小生がよく転記する「日刊:この一句 最近のバックナンバー 」でも、次のような句を見出した(この句については、当該頁の評を読んでもらいたい):

 開けても開けてもドアがある    高柳重信

 ドアでは、あまり多くが詠まれていないのか。「扉」で検索したら、あるいは多数をヒットするかもしれない。
 せっかくなので、駄句をひねっておこう:

 ドアを開け広い世界に飛びたたん
 ドアの陰覗いているのは家政婦か?
 すみません覗いてたのは弥一です
 覗き見を趣味にしてはいけません
 障子紙心の扉の際どさよ
 自動ドア開いてるのは運転手
 自動ドア閉め忘れはありえない
 回転ドア回りすぎて目が回り
 炬燵にて体の扉開きけり
 日溜りに冬の扉を予感する
 
 さて、日記らしいことも書いておきたい。まずは、お知らせである。我がホームページの掲示板が過日、1万をヒットした。その方のリクエストもあり、キリ番プレゼントとして掌編を昨夜、制作した。どちらかというと、小生には珍しく純愛系のような。でも、苦くもあるのだけど。
 タイトルは、「菜穂の夏」である。よろしければ、読んでみてね。
 尚、ホームページ(表紙のカウンターでも、キリ番のリクエストは受け付けている。希望者はここ久しくないのが寂しい。次のキリ番は、「55555」と設定する。小生、ボケ気味なので(認知傷害気味?)数字を忘れる可能性もあるので、近付いたら、気付かせてね。
 この掌編で、今月は6個目。今年の通算で、90個。あと、残すところ、今月は2つ、年内には10個ということになった。いよいよ、押し詰まってきたし、切羽詰ってきたぞ。

 このブログ日記に結構、エネルギーが費やされている。そのため、犠牲になっているのがメルマガとホームページの更新である。
 小生は、この日記というかエッセイ・コラム・日記の「無精庵徒然草」と、上に紹介した虚構作品のサイトの「無精庵方丈記」を作ってきたが、本日、「無精庵万葉記」というサイトも設けた。
 これは、書評風エッセイのサイトである。基本的にメルマガで公表済みのものが当面、載せられることになる。本来ならホームページに掲載したいのだが、その時間が取れない。
 よって、窮余の一策として、書評風エッセイの公表ブログサイトを設けることにしたのである。共々、お気に入りに入れてくれたら(で、感想など貰えたらもっと)嬉しい。

 さて、おめでとう。ここまでよく、我慢して読んでこられました。忍耐に感謝します。やっと、最後ですぞ。
 冒頭に掲げた写真は、我が画像掲示板に素敵な画像を提供してくれる紫苑さんの「作品」である(画像掲示板:518参照)。
 この画像は、紫苑さんによると、アルハンブラ宮殿の中の噴水だとのこと。「先日訪れたアルハンブラ宮殿の中のこの噴水がタルレガ作曲の「アルハンブラの思い出」のトレモロの動機になったとのこと」という説明がされている。
 その説明を全文、示しておく(但し、句読点や行変えは小生が行った):
「先日訪れたアルハンブラ宮殿の中のこの噴水がタルレガ作曲の「アルハンブラの思い出」のトレモロの動機になったとのことです。ほんとうに奥まった一角にあるパルタルの庭.でチロチロと流れていました。
 現在のアルハンブラは四つの部分からなっていて、一つはカルロス5世の宮殿、二つ目がアル・カサバ(城塞)、そして三つ目がアルハンブラ宮殿、最後が夏の離宮ヘネラリーフェ庭園です。
 アルハンブラというのは「赤い城」という意味でアル・カサバの外壁の表面が剥落し、中の赤褐色の煉瓦部分が露出しているのが見えています。大理石と化粧漆喰、水とタイル、それに様々な花の咲き乱れる楽園を粗野な外壁で包んでいる様子はほんとうに柘榴(グラナダ)のようでしたよ」
 尚、画像掲示板の485にも、スペインの旅の写真を寄せてもらっている。もっと、見たい方は、紫苑さんのサイトへどうぞ。
 小生のブログ日記に掲載してもいいよ、という奇特な方、投稿を待ってますよ。

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2004/11/26

時雨ていく

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 日中は今にも泣き出しそうな空だった。今は既に暗くなっていて、部屋の中からは雲行きなど伺えない。昨日までの小春日和が夢のような寒さ。
 今日の表題は「時雨(しぐれ)」を選んだ。どの言葉もそうだが、この言葉も語感が素晴らしい。
 が、言葉の意味するものに情感が篭っていて、それゆえこの言葉までが情味溢れるものに感じられるのか、それとも純粋に耳障りの良さを覚えているだけなのか、よく分からない。
 しかし、日本語の分からない人に(つまり、日本人以外だけじゃなく、古来よりの言葉を解さなくなった若い人も含めて、という意味だったりして)この時雨という言葉を呟いてみても、掠りもしないで右の耳から左の耳へと素通りしてしまうのだろうから、やはり、単に語感の問題ではなく、この言葉への思い入れなどがないと、言葉の美しさも何もあたものではないのかもしれない。
 さて、「時雨(しぐれ)」は、冬の季語であり、「しばらく降ってやむ雨」で、他に類似する言葉として、「朝時雨・夕時雨・小夜時雨」などがある。最後の小夜時雨など、ついつい使いたくなってしまうような魅力ある語感であり表記であり、意味される何か、を感じる。

 ところで、今回のこの雑文、当初は「時雨」を表題にして書くつもりではなかった。実は、「散居村 季語」をキーワードにして、散居村の情報を集めようとしていたら、検索の結果、「雑楽篇(その一)」というサイトが見つかったのである。その網に掛かった検索語を含む文は、次のとおりである:
「秋の末から冬の初め頃に降ったり止んだりする雨を「しぐれ(時雨)」と呼び、初冬の季語となっています。「しぐれ」の語源は、(1)シバシクラキ(暫暗 ...垣内とも)」と呼ぶ屋敷林で囲まれた家が散在する散居村の景観で ... 」
 散居村が季語ではないだろうことは、さすがに素養のない小生でも見当が付く。ただ、散居村について綴るための情報が欲しくて、しかもできれば俳句などに関連するような情報が欲しくて上掲の検索語で検索したら、「しぐれ」の語源は、(1)シバシクラキ(暫暗 ...」なんていう下りがある。
 もう、散居村のことは後回しである。まずは、「しぐれ」の語源の説明文を覗いてみたい!
「233むらさめ(村雨)・しぐれ(時雨)・ひさめ(氷雨) 」の項に、「一しきり強く降っては止み、止んでは降る雨を「むらさめ(村雨)」といい、「群になって降る雨」の意と解されています。 」という村雨(むらさめ)の説明があったあとに(この「むらさめ」も好奇心や美感を擽る言葉だ!)、目当ての「しぐれ」の説明がある:
「秋の末から冬の初め頃に降ったり止んだりする雨を「しぐれ(時雨)」と呼び、初冬の季語となっています。「しぐれ」の語源は、(1)シバシクラキ(暫暗)の義、(2)シクレアメ(陰雨)の略、(3)シグレ(気暗)の義、(4)シキリクレ(頻昏)の義、(5)シゲククラム(茂暗)の義、(6)紅葉を染める雨であるところからソミハフレリ(染葉降)の反シフリの転、(7)イキグレ(気濛)の義、(8)シ(助詞)クレ(暗)からなどの説があります。 」という。
 この項には更に詳しい説明や、「ひさめ」の説明もある。興味のあるからは覗いてみて欲しい。

 散居村を調べようとしていたら、時雨というのは、冬の季語、それも11月の季語なのだと、知ることが出来た。上記のサイトでは、「秋の末から冬の初め頃に降ったり止んだりする雨を「しぐれ(時雨)」と呼び、初冬の季語となっています。」とあるが、別のサイトだと、「初時雨はその年の冬、初めて降る時雨のこと。」と説明されている。
 ネットで探すと、時雨という言葉を織り込んだ句を幾つも見出すことができる。しばしば引用させてもらっている「日刊:この一句 バックナンバー 」から、幾つか:

 法然院さまに時雨の寸志ほど   石動敬子
 大原の子は遊びゐる時雨かな   高浜虚子
 山の音時雨わたると思ひをり   森澄雄
 托鉢の出会ひがしらや能登時雨   市堀玉宗

 他にもいい句はないかと物色していたら、「時雨」について、再考を迫るようなサイトを見つけた。「石垣島地方気象台」というサイトの一頁のようだが、冒頭に「沖縄でも木枯らしが吹き、時雨れるか」という句(?)が載っている。
 句に「?」を付したのは、この引用に句読点が打ってあるので、句と呼称して構わないのか、判断が付かないからである。
 しかし、興味深いのは本文だ。さすがに石垣島からの観点だからだろう、「木枯らしは時雨を伴なう。冷たい北西季節風が暖かい日本海を吹き渡るときに発生した積雲が、本土に達したときに降らせる雨を、ふつうは時雨と呼んでいる。」と、「本土」を相対化して見る視点がある。
 時雨は、にわか雨と同じものだが、「時雨は文学的な表現であって、気象学の用語ではない。」
 また、「気象観測や天気予報では、時雨はにわか雨と表され、味もそっけもない。」とも言う。この点は異論がある。少なくとも小生の感覚だと、にわか雨という表現は、味も素っ気もある。こっそりと、さりげなく地の文章の中に織り込んで、叙述の味わいを醸し出す、言ってみれば隠し味的な言葉になりえる。好きな言葉であり、表現される状況なのである。
 それはさておき、以下も興味深い。つまり、「時雨というのは季節が晩秋から初冬に限定されるため、天気予報用語では「できるだけ使用しないようにしたい」という条件がつけられている。晩秋から初冬にかけての冷たいにわか雨なら、沖縄にだって頻繁に降る。そんな雨も「時雨」と呼べるだろうか。」というのである。
 なるほど、だ。もっと、続く。「『日本大歳時記』(講談社版)によると」として、以下、同書から引用されている。ここでも再引用させてもらうと、、「時雨とは本来、急に雨がぱらぱらと少時間降ることであり、北風が強く吹き、連峰の山々に当たって降雨を起こした残りの水蒸気が山越えしてくるときに見られる現象である。だから、降る範囲も非常に狭く、また盆地に多く、京都のような地形のところに、しばしば見られる。…(中略)… そのような京都近辺で生まれ、京都人士によって磨かれた季節感情を、他のさほどでもない土地でも模倣して、民謡端唄の類に至るまで同じような発想で、時雨情趣をうたって来たのである。」
 筆者の痛烈な叱責は、時雨という言葉の安易な使い方をする小生のような人士に向けられているわけである。
 この頁の最後には、時雨の語源について、興味深い記述がある:
「沖縄の古語『おもろさうし辞典』には、「あま・くれ」という語があり、雨、夕立、一時的な降雨の意とある。「あま」と「くれ」は対語または同義語として用いられ、「くれ」は今でも「雨ぐい」、「夏ぐれ」という方言に、その面影をとどめている。  時雨の語源は「過ぐる」から出た「通り雨」(広辞苑)というが、時雨(し・ぐれ)の「くれ」は、おもろ語にそのルーツを残しているように思えてならない。」
 この「時雨」という言葉一つとっても、語源探索に限らず、調べてみる余地が相当にありそうだ。
 そして、自分が時雨に限らず、言葉の担う歴史や背景、土台、思い入れ、そのどれをも何も知らないことを痛感したのだった。気持ちが時雨れてしまいそうである(なんて、安易な使い方をしてしまう小生なのだ。これが表題を「時雨ていく」にした由縁である)。

 さて、小生、「散居村」(砺波市)のことについて書くつもりだった、そのための情報を集める過程で、脱線してしまったと冒頭で書いた。散居村について、今更、小生如きが何を書くのか。
 大体、小生、既に、散居村のことについては、若干だが書いている(「富山の部屋」の頁の中の、「砺波市の散居村(付 : 富山が南京玉すだれの発祥の地)」)。
 散居村は、「全国では出雲の斐川(ひかわ)平野、静岡県の大井川扇 状地、北海道の十勝平野など、富山県内でも黒部川や常願寺川、神通川などの 扇状地の一部に見られますが、広さにおいても散居の仕方においても砺波平野 がもっとも典型的」なのだという。
 実は、過日、朝日新聞に<砺波発>として、[「散居村」景観の危機 田んぼに住宅点在]と題された記事が載っていたのである。「台風、屋敷林2万本倒す」とも副題にあった。
 朝日新聞の記事は、ネットでは読めなかった。なので、東京新聞の当該頁「『かいにょ』に台風23号 北東風猛威 倒木相次ぐ 自然と共生 教訓残す」を参照する。
 この記事の冒頭には、以下のようにある:
「かいにょ(屋敷林)がなくなる-。十月二十日の台風23号で、砺波平野の散居村が大きな打撃を受けた。雨を伴った強風が何時間にもわたって吹き荒れ、アズマダチなど伝統的家屋の周りに植えられた樹木が次々と倒れていった。被害に遭わなかった家はないと言われるほど。「かいにょはもうあかんチャ」-この際、屋敷林をすべて切ってしまおうという声まで聞こえてくる。倒木が相次いだ理由や、世界遺産の候補にとの思いまである散居景観を守るには何が必要かなどを考えた。(砺波通信局・鷹島荘一郎)」
 ところで、恥ずかしながらなのだが、小生、屋敷林を「かいにょ」と呼ぶことをこのサイトを覗いて初めて知った。
 「かいにょ(屋敷林)」のある「散居村を残そう」という運動も行われてきた。
 その矢先の台風の襲来なのだった。
 台風23号で、「倒木が激しかった主な原因は、風の向きにあった。砺波平野の風の多くは南から吹く。「井波風」と呼ばれ、樹木もこれに耐えられるよう根や枝を張ってきた。それが、台風23号は思いがけない北東風。間断なく降った雨で地盤が緩んだところへ、二十日夜を中心に半日あまり吹き続けた強風で根が返ったり、将棋倒しになったりした。」という。
 この記事の中で、「かいにょ倶楽部の柏樹さんは「こんな災難、もうけもんやと思わなければ。今度は何の苗を植えようかと考えれば楽しくなる」と発想の転換を説く。その上で、スギ中心だった屋敷林をカシやケヤキなど各種取り交ぜて植えればいいと提案。それも並べるのではなく、間を空けて千鳥植えにと要望する。」とあるのは心強い。
 スギ花粉も戦後、木材を逸早く育てようと、古来からの樹木ではなく、育ちの早い杉を安易に植え過ぎたことも背景にあるというとが、屋敷林が、スギ中心になっいていたことも、台風での被害を大きくする一因だったわけだ。屋敷林は防風林の役目も果たしていると思っていた小生は、見る目がなかったわけである。

 話は思いっきり飛ぶ。
 小生は、仕事柄、いつも朝帰りである(たまには艶っぽい事情で朝帰りし見たいものが)。徹夜仕事なので、七時前後に帰宅する小生は、疲労と売り上げの悪さで意気消沈し、グッタリしている。
 そんな小生を慰めてくれるのは、近所の白猫さんである。オスなのかメスなのか、幾度も眺めてきたのに未だに分からないのだが、かなりの老い猫さんだ。動く姿をめったに目にしない。
 その猫さんの勇姿など撮って、人様のサイトに貼り付けたりしている。その猫さんの画像を額に入れてくれた方がいる。以下は、その作品。我が守り神であり白猫殿が一層、気品溢れる姿になっている。
 しかも、今度は、その同じ白猫殿を他の黒猫さんたち共々、素敵な居間に鎮座している。小生は、白猫殿が玄関先に坐っている姿しか見たことがないので、いつか、白猫殿のこんな光景を実見したいものと思うのである。

 最後に、冒頭に掲げた写真は、今朝、ある踏切を渡る瞬間に撮ったもの。線路は続く、何処までも。でも、何処から来て、何処へ行くのか、暗雲と薄闇に視界が阻まれて、何も見えない、分からない。我が人生のようだ、なんてのは、気取りすぎかね。
 それじゃ、気取りついでに、昨夜、公園で見かけた光景から浮かんだ句などを。公園で忘れ去られたのか、捨て去られたのか分からないけれど、玩具やら三輪車やら手まりやらシューズの片割れなどが落ちている。玩具たちが寂しそう。
 拾って持ち主に返したいものだけれど、そうもいかない。夜になり子供たちの体温もすっかり消えて、月の光をやんわりと受けていたっけ。ついでに即興の句も混ぜとこう:

 行き暮れて手まり一つの転がって
 三輪車乗る人もなしにペダル揺れ
 靴一つ足の抜け殻示すごと
 時雨ゆく人の温もり晒すごと
 笑い興じ戯れし日は夢なのか
 時雨れても遊びをせんと待ちけるか

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2004/11/25

網代

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 今回の日記・随筆の表題を「網代(あじろ)」にしたのは、11月の季語の中で水に関連するものがないかと探した挙げ句、適当な言葉・題材が見つからず、やや苦し紛れに選んだ結果である。
 掲げてある写真は、東京湾、と言いたいところだが、もう数十メートルも歩けば運河という場所から運河方向を捉えたもの。デジカメは用意してなかったので、携帯電話のカメラで急遽、撮った。
 なので、画像が不鮮明で、実際には映っている海の波の緩やかに揺れる様は、伺えないようである。時に運河や東京湾を遊覧する船も通ることがある。いつかは、そんな光景も撮ってみたい。
 で、運河の写真ということで、「水」を連想し、11月の季語で海や水を連想させるものを探して、結果、「網代」に至った。とても分かりやすい連想である。
 この「網代」という言葉について、説明しておいたほうがいいかもしれない。特に自分自身のために。
「歳時記~四季折々の言葉たち~」というメルマガの「歳時記その141~網代~」で、「網代」について特集してある。このメルマガの発行サイトは、前日の日記・随筆でも紹介した「閑話抄」である。
 あるいは、「俳句歳時記(第17号)」でも、「網代」の特集となっている。
 つまりは、「昔からある漁法のひとつで」、「細い竹や柴をを水面に刺して、そこに網を仕掛けて魚を導いて、
その終点にワナを取り付けて魚を取る。」もののようである。
「歳時記~四季折々の言葉たち~」には、その漁法がより詳しく説明されている。嬉しいのは、我が柿本人麻呂の歌が紹介されていること:

    もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
                (『万葉集』巻3-264:柿本人麻呂)

「ここに出てくる網代木というのは網代に打つ杭のことである」らしいが、「延喜式によると、この頃の網代で捕ったのは氷魚(ひお;鮎の稚魚)で」、「当時から冬の漁法として確立していたと思われ」るという。
「歳時記の網代は湖や川、波の穏やかな入海などの仕掛けを指していますが、海で網を引く場所をも網代といいますね。一般に網代というとこちら、海の方の網代の方が通用し、また広く使われているのですが、詩歌の世界ではあまり対象とは成りませんでした。この点は非常に面白いところだと思います。」この点は、小生も同感で、俳句の世界でのみ、徘味のある風物として今日まで生き延びてきたわけである。
 小生、サラリーマン時代は、運河を見下ろすことのできる倉庫で働いていた。運河に面する岸壁では、休みの日、あるいは休憩時間ともなると、魚釣りに興じる姿を散見したものだった(今も、見られるが)。運河には、古びた苔むしたコンクリートの杭などが見られたりする。
 それは別に網代というわけではないのだが、ゆったりと流れる海の水が杭に流れを妨げられ流れを乱し、一旦は二手に分けられるのだが、それも束の間のことで、やがてまた合流し、何事もなかったかのように緩やかな流れを見渡す先の先まで続けていく。そんな様を、忙しい日々、窓辺や外階段の踊り場などで手摺りに持たれてボンヤリ眺めていたりしたものだった。

 さて、小生、上に掲げた歌に限らず、柿本人麻呂の世界が大好きである。好きという表現では、まるで足りないかも知れない。西行の上を行く芭蕉、その更にずっと上を行く人麻呂の世界なのだ。
 人麻呂の歌で好きなものは数々ある。

 淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
 天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
 天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
 鴨山の岩根しまけるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
 ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

 最後の、「東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」は、不思議すぎて妙に印象に残る歌である。柿本人麻呂については、直接は言及しないで来たが、白川静氏の『初期万葉論』/『後期万葉論』に寄せる感想文の中で、若干、触れている。
 が、実は、その感想文からは洩れているが、メルマガの[後欄無駄]で、この歌を巡る話題を扱っている。その部分を転記する:

 特に最後の『初期万葉論』の中で、かの有名な柿本人麻呂の歌、

  東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ
 
について、いつのことを歌っているか、正確な年月が分かったという話には、ちょっと驚いた。
 その歌われている時間は、持統六年、西暦六九二年十二月三十一日の午前五時五十分頃だというのだ。
 東に曙光が立ち、西に月かげが傾くま冬の払暁の光景ということから、割り出された時間だという。(本書、p.119)
 ま、知っている人は知っている知見に過ぎないのかもしれないけれど、正確な時間を知った上で歌を詠むと、また格別な感懐があるような気がする。
(02/10/17記 転記終わり)

 まあ、余談の余談に過ぎない話だが、興味を惹く話題だったのだ(この話題は、「十三夜の月見」というエッセイでも触れている)。
 それにしても、人麻呂の歌は、音楽的なような気がする。「歌」なのであり、本来的に歌謡なのだから、当然なのかもしれないが。
 というより、人麻呂の歌は、誤解を恐れずに言えば、呪術的なのだと思う。言葉が、まるで巨大な岩だったり、大地だったり、逆巻く波、あるいは細波に日の光のチラチラ揺れる緩やかな海の面(おも)だったりする。
 言葉が命を持っている。物事に名前が付せられたら、その瞬間に名指されたモノたちがムックリと起き上がってきて、人間を囲繞してしまう。世界が物活的で、森羅万象が、それこそ今となっては童話の世界でしか描かれないしリアリティを持てなくなってしまった、原初の、元来の、根源の命を担っている、いや、命そのものなのだということをまざまざと感じさせてくれる。人麻呂の世界は、そうした世界に立ち会っているのだ。
 人麻呂については文献は多数ある。梅原猛氏の『水底の歌―柿本人麿論』も印象的だったが、「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも」という歌の解釈に関連して、古田武彦氏の『人麿の運命』(原書房刊)が興味深かった。
 あまり参考にはならないが、小生自身、「古田武彦著『人麿の運命』の周辺」という書評風エッセイを書いている。

 またまた余談に迷い込んでしまって、冒頭付近を書き始めた時に書こうと思っていたことがまるで書けないでここまで来てしまった。
 小生、水のことに触れたかったのだ。網代も運河も、その引出しの取っ手口に過ぎなかったのに。
 水のことについて語りだすと、切りがない。ま、稿を改めて、そのうち、触れてみたい。
 せっかくなので、取っ掛かりとして、以前、書いた文章を転記しておく:

 今、青柳いづみこ著の『水の音楽』(みすず書房刊)を読んでいるが、その内容はともかく、あのドイツ・ロマン派の代表的作家であるE・T・A・ホフマン。
 ホフマン(1776-1822)は、もとウィルヘルムという名だったが、尊敬するモーツァルトへの傾倒から、アマデウスと改名したとか、生活の実務においては法律家として過ごしたが、人生の大半を音楽家として過ごしたとか、である。
 本書は、副題が「オンディーヌとメリザンド」とある通り、水(の精)の音楽の背景を神話などからの変遷を巡りつつ探求したもので、ホフマンも、フケーの『ウンディーネ』を読んでオペラ化したということで、採り上げられているのである。
「ホフマンが書いたベートーヴェンの『交響曲第五番』についての論評は、音楽美学のひとつの源流として評価されている」とのことだ。なんとか、一読してみたいものだ。
(02/05/10記 転記終わり)

 青柳いづみこ氏については、昨年のデータになるが、「青 柳 い づ み こ ピ ア ノ ・ リ サ イ タ ル」で経歴などが分かる。
 叶うことなら、ヘンデルの「水上の音楽」、あるいはベートーベンの「月光」などを聴きながら、執筆できれば最高なのだが、そうもいかないだろう。
 ま、またの楽しみとして、水をめぐる随想を書く機会を待つことにしよう。

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2004/11/24

青写真

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 この日記を書くに際し、例によって表題を何にするかで、迷ってしまう。昨日、勤労感謝の日、小生は、不況の最中、仕事があることを感謝しつつ、今朝まで都内を空車で走らせていた。別に好んで空車で走っていたわけじゃなく、なかなかお客さんにめぐり合えず、業界用語(といっても、俗な表現で、決して正式な用語ではない)で言う<空気を運ぶ>状態がずっと続いていたのである。
 走りつかれると、駅などの長い空車の列の後尾に車を付ける。で、目を閉じたり、歩道を行く人をぼんやり眺めたり、看板の文字に見入ったり、空など眺めあげてみたり、ちらちら本など読んでみたり。
 この「勤労感謝の日」も11月の季語である。なので、この言葉を選ぶかと思ったが、あまりに暇だった昨日のことが思い出されるようで、つらくもあり早々に没。
 ついで、車中で暇の徒然にラジオを聞いていたら、「日記買ふ」が今ごろの季語だという話を漏れ聞いた。聞きかじりなので、聞き間違いかもしれないと、ついさっき、ネットで調べてみたら、確かに冬の季語には間違いない。
 つまり、年末ともなり、今年の日記の空白振りも素知らぬ振りで、今年もダメだったけど、来年こそは新規巻き直しだとばかりに、来年のための日記を買う、そんな季節になっているわけである。
 けれど、さらに調べると、「日記買う」は、どちらかというと、12月の季語として使われるようである。さすがに気が早い。それより、今年の、つまり昨年末に買った日記の空白を使わなかった罪滅ぼしとばかりに少しでも埋める方が、心掛けとして殊勝だ、ということだろうか。
 で、「日記買う」も、アイデアとしてはいいけど、やはり没。日記帳は、さすがにクリスマスのように一ヶ月も前から日記買うぞー、来年の日記記入のイブだぞー、というのには、似合わないようである。
 11月の季語として、そして今日の日記の(といっても、小生、勝手ながら、季語随筆というカテゴリーを立てている。カテゴリーの格に書いている中身が負けているが、制服だって着慣れたら、その人がそれなりに見えてくるの伝で、季語随筆という名目は降ろさない)表題として何がいいか、物色してみた。
「御取越」うーん、取り越し苦労しそうで嫌だ。「達磨忌」手も足も出ない小生を象徴しているようで、つらい。「熊手」これは、やっと山里に冬眠を控えた熊が降りてくるという騒ぎが収まったところだ。今更、寝た子を、というか寝た熊を起こしてどうすると、文句が出そうである。
「大根、大根引、大根洗ふ、大根干す、切干、 浅漬、沢庵漬く、茎漬、酢茎、蒟蒻掘る、蓮根掘る」の系列は、21日の「牛蒡掘る」で代表したことにさせてもらう。
 と、「泥鰌掘る」なんていう季語が11月の季語としてあるらしい。泥鰌を掘る?! 泥鰌って掘るものだったっけ。土壌の間違い? 何か謂れがありそうだ。そのうち調べてみたいものである。 
 実は、その先にもっと好奇心を掻き立てる季語が11月の季語集(季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】)の中に見つかったのである。
 それは、「青写真」! なんで、青写真が11月の季語なのか。他の大概の季語は、勿論、季語として定着するに至るには、それなりの経緯があるのだろうが、なんとなく言葉だけで、そうなのかなと思えなくもない。
 が、青写真となると、小生の乏しい想像力では、どうにもイメージが湧かない。
 小生、青写真が気になってしまった。そうでなかったら、「泥鰌掘る」を無理にでも表題に選んだはずなのである。
 さて、「青写真」が11月の季語だという訳は如何。
 早速、「青写真 季語」をキーワードにネット検索。悲しいかな、小生、歳時記も季語辞典も何も所有していない。川柳や俳句を勉強するといいながら、肝心の事典・辞典の類いを一切、持っていないのだ。これも、この世界に興味を持ち始めたのが今年の七月。一方、本を一冊も(雑誌も勿論)買えない貧困状態になって久しく、今年の四月からは文庫本も全く買っていない。買えないのである。口に入るもの以外は買えない。エンゲル係数がリミットの生活が続いているのだ。今時、エンゲル係数がどうした、なんて、時代錯誤かもしれないが、これが現実だ。どうしてくれる!
 気を取り直して、本題に戻る。
<青写真>というサイトが筆頭に出た。「閑話抄」という小生が使いたくなるような、
奥床しい名前のサイトの一頁のようだ。
 ここには、「青写真」が季語であることの理由を簡潔に書いてある。「一般的に青写真というと設計図面(の複製)や将来設計のことをさ」すが、「歳時記において青写真というと別のものをさ」す。
 その前に丁寧にも、所謂「青写真」のことが説明されている。つまり、「感光度の低い印画紙を用い、上に様々な模様を切り抜いた厚紙を置き、日光に曝して写 し取る、日光写真などというものです。児童雑誌などの付録などによくついておりましたから、皆さんも一度は遊んだ ことがあるのではないでしょうか。」(他のサイトでは、「白黒で風景やマンガが描かれた透過紙に印画紙を重ね、日光に当てて感光」という記述も見つかった)。
 なるほど、そういえば、小生が中学生だった頃にか、学習関係の月刊誌の付録か何かに、そういうのが付いてきたような朧な記憶がある。それとも、小学校の時に毎月買っていた漫画雑誌の付録だったろうか。
 説明は続く。「先の設計図などの青写真も同じように感光性の物質を利用して作成します。日光写真も同じような原理であることからこの名がついたと思われます。」という。
 その上で、結論として、「日向に出て自分も日に当たり体を暖めつつすることですので、冬の季語として定義されました。」とされている。なるほど。また、冬の季語であり、「【異名】日光写真」とも記されている。
 ネットで調べたら、以下のような句が出てきた:

  青写真焼けば太陽と帆かけ船    有馬朗人
  青写真少年の夢育ちをり       山田聴雨
  海を見て何時も独りの青写真     三原春風

 なるほど、小生、青写真というと、言葉の使い方として、つい、人生の青写真という表現を思い浮かべてしまうから、何故、冬の季語なのか、それも11月の、という疑問を抱いてしまった訳である。
 小生、密かに描いた構図は、以下のようなものだった。つまり、「日記買う」に、やや通じるのだけど、年末が近付いて、今年を振り返るようになり、ああ、今年も漫然と生きてきてしまった、今年も何もいいことがなかった、万馬券は当たらなかったし、健康診断で引っ掛かるし、宝くじは外れるし、給料は減ったし、ああ、でも、来年は、来年こそは今年よりいい年にする、きっといい年になる、そうだ、そのためには漠然と来年に期待するだけじゃダメだ、それじゃ他力本願の生き方だ、そうじゃなく、自分なりに人生の青写真をせめて来年に向けて描き直してみようじゃないか、新規巻き直しだ! ということで、年末の今、青写真が冬の季語になったのだろう、と。
 きっと、小生のような情ない思いを抱きつつ年末を迎えてしまった俳人がいたのだろう、と。
 小生、そんな青写真を、じゃない、思惑というか、邪推をしてしまったのである。
 が、これでは、年末の季語としての、つまり12月の季語としての理由付けにはなりえても、11月の季語に選ばれてくるには、ちと、難がある。そもそも、小生のようなしみったればかりが俳句をひねるわけもないだろうし。
 
 やはり、11月の小春(小春日和)があるように、晩秋となり、さらに冬となって寒さが身に沁みる頃となったけれど、そんな季節だからこそ、本格的な冬の到来を控えて、束の間の小春日和の暖かさ、日溜りの有り難さ、日向(ひなた)の貴重さが感じられる、そのことを青写真の上での変化に象徴させている。
 つまり、青写真の上での変化は、日の光による変化なのであり、日の光の日溜り、日向が、寄り添い集ったものなのだということ、また、そんな変化を日向ぼっこなどしながら、ゆるゆると楽しむ光景を思い浮かべさせるわけなのである。
 冬の季語としては、青写真は新しい方だろうということは察せられる。芭蕉も一茶も知るはずがない。写真という言葉は、明治になって(幕末?)の造語だろうからだ。生活の変化も、季語の中には現れているわけである。

 ところで、あるサイトに、「日光写真は、最近の歳時記の項目からは抹消されているが…」という記述を見つけた。青写真だけが季語として残り、日光写真は抹消されたということなの、それとも、青写真も最近の歳時記から消されたのか、それが分からない。誰か、教えて欲しい。

 さて、肝心のことが調べ忘れられている。そう、青写真(日光写真)の原理を説明するサイトを検索し忘れているのだ。例えば、こんなサイトが見つかった。「奈良市写真美術館」の「イベント紹介  さまざまなイベント」の頁に、「写真の日の記念イベント」として、「体感!日光写真」の様子が写真付きで紹介されている。
 そこには、「日光写真とは1842年にイギリスのハーシェルという人が、地図などを正確に写しとるために発明された「青写真」(サイアノタイプ)で、一般に日光写真と呼ばれています。線や文字で影になる部分は「白く」なり、何もない光があたる部分は「青く」なります。 日光写真の原理を体全体で体験してもらいます。 」という説明もある。
 また、「実験14-11 『日光写真』」には、原理が詳細に説明されている。興味ある方は覗いてみて欲しい。
人とカメラと写真の歴史」という頁で、日光写真を含めた歴史を辿るのも面白いかも。
 今の我々は、デジカメや携帯電話のカメラ、一眼レフなど、写真には身近というのも今更というほどに親しんでいる。が、青写真(日光写真)の実演を初めて見た頃には、その感激は如何許りのものだったろう。ある種の驚異をも覚えたのだったろうか。
 でも、逆に今だからこそ、日光写真(青写真)なるイベントをやってみるのも、面白いし楽しいような気がするのだが。

 それにしても、ネットで探したかぎりでは、青写真という季語を織り込んだ句を多くは見つけることが出来なかった。ややマニアックな季語ということになるのか。あるいは、ある年代以上の方でないと、実物に接する機会もないということか。
 また、多少は理科系的なものへの興味もないと、実物を見てさえも、何の興趣も覚えない可能性もある。その点、有馬朗人氏の句は、さすがである。科学少年として、好奇心一杯でトライした彼の子供の頃の姿が髣髴とするようである。
 
 小生、今日も性懲りもなく、駄句をひねっている。小生のは俳句ではないのはいいとして、川柳でもない。一体、何なのだろう(以下に出てくる(LA)の正体は、ホームページの掲示板をどうぞ。(LA)さん、変な返句でごめんなさい):


> 紅葉に 負けじと わが店赤字なの   (LA)
     赤字はね白黒テレビなら黒字だよ
     惚れている?違う違うよ照れてるだけさ

> 自転車の サドルにお尻が はみ出して   (LA)
     自転車に乗るつもりがパンクして(重量オーバー?)

> うひゃあ ほんまに今年も太りました(/TДT)/あうぅ  (LA)
      人がいい?人の分まで太ってる
      太ってる?違うのただねふくよかなの

 ここにこっそり、駄句を即興で:

  青写真描ききれない行末か
  青写真我が肉体より濃い影だ
  浮かぶ影我が魂の抜け殻か
  青写真抜かれた型に怯えてる
  青写真我が肉体に浮かんでる
  青写真日を浴びすぎて真っ黒け
  青写真夢の中なら海一杯
  青写真海の彼方の帆掛け舟
  青写真描いた場所は蒲団なり

 掲げた写真は、例によって仕事で朝帰りした今朝の空。場所はいつも朝の光景を撮る地点。タイミングさえよければ、朝焼けの素晴らしい写真になったろう。でも、このいかにも中途半端な朝焼けの感じが自分には妙に好ましかったりする。
 実を言うと、勤労感謝の日の夕方、というには早すぎる感のある3時45分頃、小生はある海辺の道路脇での居眠りから目覚めた。で、ふと、運河のほうの空を見ると、早くも月が。
 まだ周囲は明るかったのだが、四時前とはいえ、既に日差しが弱まっていたのだったろうか、半月よりもややふっくらしたお月さんの姿がいきなり目に飛び込んできたのである。
 だからといって、なんと言うこともないのだが、ただそれだけのことなのだが。
 

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2004/11/23

小春日和

 今度は堂々、「小春日和」である。「小春日和?」ではない。
 そう、既に日付上は昨日になるが、22日の昼下がりに書いた日記の時は、もしかして今日のような日和のことを小春日和と呼称するのではないかと思いつつも、他にあれこれ書きたいことがあって、小春日和をネット検索などでその詳細に渡って調べる暇がなかったのである。
 が、今は、この「小春日和」にターゲットを絞って日記というか随筆というか、随想というのか、単なる駄文とあからさまに認めるべきなのか、この小文を綴れる。
 例えば、「季語の四季」というサイトの「冬の季語」の頁を覗くと、「小春・小春日・小春日和」は、「冬の初めの春に似たあたたかい日和をいう」と書いてある。
 一方、紛らわしい季語に「冬晴れ」がある。これは、「冬の晴天。「小春」は初冬の晴天をいうが冬晴れは冬期中使う」とのこと。
 そもそも、「小春」とは陰暦の10月を指すようで、これは現在の11月に相当するわけである。
 東京は(東京に限らないようだが)ここ数日は安定した、まさに小春日和の晴れの日が続くようである。

 さて、この小春日和という言葉、小生はもしかしたら、「秋桜(コスモス)」(さだまさし:作詩/作曲)で知ったのじゃなかろうか、と思ったりする。
 あるいは、その前から耳にしてはいたかもしれないが、山口百恵の歌で秋桜(コスモス)という言葉と同時に記憶に鮮明に刻まれたように思う。
 この歌が流行ったのは、1977年(昭和52年)である。小生が翌年の大学卒業を控えて、一人、陸奥の仙台でアパート暮らしを送っていた頃だった。友人等は、四年で卒業乃至退学していったので、留年した小生は、親しい友もなく、また、パートナーと呼べるような女性を作る才覚もなく、いい意味でも淋しい意味でも一人を満喫(?)していたのだった。
 小春日和は、他の国ではいろいろに呼び慣らす。アメリカでは「インディアン・サマー」と言うのは有名かもしれないが、ドイツでは「老婦人の夏」、ロシアでは「女の夏」、沖縄では「小夏日和」と呼ぶことを知る人は少ないかもしれない。
 沖縄では、他に、十月夏、あるいはナツガマとも言うらしい。
 
 さて、小春については上でも説明したが、その小春から何を連想するかで、その人の素養や人となりが知れるかもしれない。小生など、村田英雄の大ファンだったので、小春というと、坂田三吉をモデルにした曲である「王将」(西條八十作詞/船村徹作曲)をどうしても連想してしまう。
 歌詞に、「愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい」なんて部分があるのだ。
 そんな小生のことはさておき、教養のある人なら、小春というと、「紙屋治兵衛と遊女小春との心中をとりあげた近松門左衛門の『心中天網島(てんのあみじま)』を思い浮かべるかもしれない。
 これは、篠田正浩監督の手により映画化されたり、「流山児★事務所創立20周年記念公演」として舞台化されたりして、ドラマとして馴染みになっているようである。原作を読んだ方は、少ないのかもしれないが。小生も、94年の失業時代にやっと原作を読んだものだった。
 あるいは、千春というと歌手の松山千春を連想するかもしれない。小生も好きな歌手である。かの鈴木宗男氏の擁護のために孤軍奮闘されている。フリーター生活にピリオドを打ち、サラリーマンになることを選び、新宿区(中野区)から港区へ引越しした81年の3月、引越し荷物を積んだトラックの中でラジオから松山千春の「恋」という曲を聴いていたことは、(それなりの理由もあり)一生、忘れないと思う。
 他にも、女優で新山千春さんとか小松千春さんを思い浮かべる人も多いだろう。

 ネット検索で小春日和という言葉を織り込んだ句を探してみたのだが、なかなか見つからない。僅かに、「バイリンガル俳句 Bilingual Haiku」というサイトで、松本たかし氏の「玉の如き小春日和を授かりし」を見つけたくらいだ。
 この松本たかし氏も才能のある作詞家(それとも詩人と言うべきか)だと思う。
 それでも、たとえば、俳号は魚眠洞だという室生犀星の句、「小春日のをんなのすはる堤かな」を見つけた。
 さらに、「初冬の小春日和か雪待月」という句を見つけたが、田中康正氏の句なのだろうか。

 と、書いてきて、とんでもない間違い、勘違いをしていたことに気付いた。
 というのは、「玉の如き小春日和を授かりし」の松本たかし氏というのは、小生が知る作詞家の松本隆氏とは違うのである。「日本ロックのエバーグリーン“はっぴいえんど”を経て、歌謡曲・J-POPの名作に多数の詞を提供している松本隆」さんではなく、故・松本たかしなのである。
 尤も、小生、作詞家であり、それ以外でも活躍されている松本隆の詩の世界が好きだが、ここでは、故・松本たかしのほうに話を向けておく。
 あるサイトから句の数々を転記させてもらう:

  枯菊と言ひ捨てんには情あり
  金魚大鱗夕焼の空の如きあり
  芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり
  玉の如き小春日和を授かりし
  チチポポと鼓打たうよ花月夜
  雪だるま星のおしゃべりぺちやくちやと
  我庭の良夜の薄湧く如し
  十棹とはあらぬ渡しや水の秋

 こういう句を詠むと、我が駄句を呈するのが恥ずかしくなる。でも、書くとは恥を掻くことと思う以上は、恥を忍んで今日の成果を示しておく。恥ずかしい思いをしないと成長しないのだね。以下は、あるサイトで水仙で有名な越前岬のことが話題になっていたので、書き込みの際に付した句:

 波頭砕けて匂う水仙か
 荒海に洗われ咲ける水仙よ
 荒海と競うがごとく咲ける花
 遠き日に眺めた波の花の果て

 さて、今日は、カフカの『アメリカ』(中井正文訳 角川文庫刊)も読了したことだし、佐々木正人氏の『知覚はおわらない』(青土社刊)などを読みながら、寝入るとするかな。
 実を言うと、今回の日記は、佐々木正人氏の本の冒頭近くに出てきたある一文をネタに何か、書くつもりだったのだが、予想以上に小春日和に手間取り、当初の思惑を果たすことができなかった。
 テーマは、「水は方円の器に従う」なのだけど、これは、いつか、思い出したら書いてみたい。

 夢にまで小春日和の心地して
 日溜りを小春日和の池と見る
 降る雪も小春日和の空で消ゆ
 池の面(おも)小春日和を映してる

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2004/11/22

横雲の空

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 21日付の日記「冬の蝶」を書いていて、気になっていることがある。それは、掲げた写真に付した説明で、「横雲」という言葉を使ったこと。頭の片隅に引っ掛かっていたのだが、つい、流してしまった。
 この横雲という言葉、誰かの和歌に出てきた言葉のはずと、ネット検索してみたら、案の定だった、藤原定家の歌だったのである:
 
 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空   定家

 他にもきっとこの横雲という言葉を使った人がいたに違いないと更に検索してみたら、やはり、見つかった。西行の歌に出てくるのだ:

 横雲の風にわかるるしののめに山とびこゆる初雁の声   (西行=新古今)

 他にも、藤原家隆(1158-1237)にも、「霞たつ末の松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空(新古37)」がある。
 と、書きながらも、まるで定家のほうが「横雲の空」という表現で家隆に先駆けているようだが、実際は違うようである。上掲のサイトには、「横雲の空 「横雲」は水平にたなびく雲。新古今時代、この句を末に置くのが流行ったが、家隆の歌は最初期の例。新古今集に並ぶ定家の「峰にわかるる横雲の空」は、家隆詠に五年遅れる。」と書いてある。
 【主な派生歌】に「ながめやる沖つ島山ほのかにて浪よりはるる横雲の空(飛鳥井雅経)」などがあるとも。さらに、家隆の歌についての【古説】(新古今増抄)も記されていて、横雲の空の理解に資する。
 ネット検索を更に続けていたら、「よこ雲」の織り込まれた、西園寺公経(1171-1244)の以下のが見つかった。「横雲」だけで検索していては、見つからない歌だったろう:

 ほのぼのと花のよこ雲あけそめて桜にしらむみよしのの山 (玉葉194)
 
 実は、上掲の西行の歌「横雲の風にわかるるしののめに山とびこゆる初雁の声」で、歌の中に「横雲」と「しののめ」の二つの雲に絡む言葉が出てくるようなので、改めて「しののめ」という言葉の語義を確かめたかったのである。その際、キーワードに「しののめ  横雲」を使ったら、検索の網に上記の歌が掛かったというわけである。
 さて、「しののめ」だが、やはり、東雲(しののめ)のようだ。同じく西園寺公経の歌「草枕かりねのいほのほのぼのと尾花が末にあくるしののめ(玉葉1159)」にも織り込まれてある。
 しかし、西行のような方が、「横雲」に重ねて「しののめ(東雲)」などと、雲の様子を示す言葉を使うとは信じられない。どうも、小生の理解が足りない。あるいは、昔、勉強したことをすっかり忘れてしまったということなのだろう。
 ネットで調べてみる。「しののめ  東雲 和歌」をキーワードにして。すると、大中臣頼基などという小生には未知の人物のサイトが登場した。「しののめにおきて見つれば桜花まだ夜をこめてちりにけるかな(続後拾遺106)」が掲げられてあって、「しののめは東雲とも書き、東の空がうっすらと白む頃」という。
 そう、つまり、「しののめ(東雲)」とは、雲の様子とか雲の出現する場所を意味する言葉ではなく、時間帯を指し示す表現なのである。教養のある方には、常識なのだろうな。ああ、恥ずかしい。
 ついでなので、「しののめ(東雲)」をもう少し、調べてみる。すると、「国際文化メールマガジン 第11号」というサイトをヒット。その頁を覗くと、「「東雲」にみる恋の昔と今(国際文化学科1年 団上由美)」なる論文が載っている。その説明を転記すると、「「東雲」という言葉の語源は、篠の目から朝の光がもれることから夜明けの意味として使われ始めたことにあるといわれている。しののめという言葉がまずあって、後に「東雲」という漢字があてがわれた、熟字訓である。夜が明けようとして、東の空がほのかに明るくなってくる頃を指している。」という。
 さらに、「この東雲という言葉は、平安や鎌倉の時代の文学や和歌によくみられる歌語である。「明く」にかかる枕詞としても使われているが、恋の歌の中に多く用いられている。」とも。そういえば、古文の時間にそんな説明が在ったような。
 小生、古文も古典も大嫌いだった。そもそも国語の授業も嫌いだった。となると、国語の先生までが嫌いに思えた。そんな懐かしい高校時代が思い出される。
 今ごろになって、勉強のし直しである。やれやれ。

 が、それでも、気になっていたのは、この横雲というのは、一体、どんな雲の状態、空の様子を指し示す言葉なのかという疑問。横雲というくらいだから、横になびく低層雲だということは分かる。しかし、それだけでは、脳裏に映像を描きづらい。
 それこそ、煙突から出る煙が、やや強めの風に吹き流され横の方向へと靡いていく、そんな雲なのか、それとも、遠い空に地平線(あるいは山並み)を覆うように雲の塊が低く水平に見えていて、その上の青い空との対比がクッキリしているように見える空なのか。
 【古説】(新古今増抄)が歌の背景の理解の点で参考になるけれども、具体的な映像はやはり描きづらいのである。
 いずれにしても、「横雲(の空)」が季語ではないことは確かなようだけど。

 ああ、できれば、「横雲(の空)」とは、こんなだ、という映像を示したかった。が、小生の能力ではネットで探せない。
 ガッカリついでに、小生の駄句を(実際には、掲示板で書き散らしたので、それなりの句作の背景や脈絡があるのだが)羅列しておく:

(あるサイトで、トイレのことが話題になっていたので)
 トイレにて売り上げ数え涙する
 公衆便所我が家のより美麗なり
 女子トイレ使われた形跡あるのかな
 金木犀トイレの傍で咲いている
 金木犀臭い消しに使われ哀れ
 冬になりトイレの近い弥一かな
 公園の脇に立っての月見かな
 公園の木立に住む日が近い(予感)
 葉桜も紅葉しきれず冬になる

(我が掲示板にバラの話題を書き込まれたので)
 とりどりのバラの園にて惑う我
 バラとハラ似ているようで似ていない
(バラ→ハラ→自分のお腹、という連想。非常に分かりやすい。「小生は、色白なので、白い腹、です」が、句の前置き)

(以下も、掲示板に書き込まれた句への返しの句の数々)
> 冬の蝶夜の蝶も胡蝶蘭    (mi)
   冬の蝶色香に迷って恋の蝶

> 白猫は小春日和に人探し    (mi)
   白猫は招き猫にと只管打坐

> やれ押すな満員の人胸で受け    (mi)
   押されつつ目当ての人の傍に行く

> 朝焼けの地平の雲を客と見る     (mi)
   朝焼けと夕焼けの空何処違う
   天海を切り裂き分ける赤き日よ

> 後ろ手に縛れる義賊の心意気     (mi)
   後ろ手のそなたを一夜虐めたい
   後ろ手でそなたに一夜責められん
   ネズミさん義賊気取って檻で泣く

 最後である。冒頭に掲げた写真は、昨日の朝、某空港からの帰り道に撮ったもの。茫漠とした空。爽やか、というより、言葉を巡る探索をしても、いつもながら半端に終わる、空漠たる気持ちを象徴しているような。
 その夕方に冷たい雨が降るなど、信じられないような晴れっぷりなのだが。

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小春日和?

 今日は久々に図書館に行ってきた。といっても、たまたま近所にあるオートバイの店に用事があったから、そのついでに寄った、というほうがいいのかもしれない。
 今、乗っているスクーター、今度で三回目のリコールの対象になり、その通知が先々週週だったかに来たのである。前のスクーターでも一度なので、通算、四回目のリコールの経験となる。
 小生は、74年冬に中型免許を取得し、即座に中古のオートバイを購入、その年の夏には勢いで大型免許を取得した。以来、3年間の中断を除いて、ずっとライダーだった。それも、スクーターは乗らず、全てオートバイ。最初の一台を除いて全て新車で購入した。
 が、一度たりともリコールの通知が来たことはない。六年前から最初の中古のスクーターに乗り始めるまでは。
 これはどういうことなのだろう。スクーターというのは、オートバイに比べ、リコールがちの難しい機械なのだということ? それとも、オートバイに乗っていた数年前までは、あまり故障の原因がメーカー側なのか、乗り手や販売店(修理店)にあるのかの追求には厳しくなく、全て乗り手の側の責任にされていた、ということなのか。
 まさか、オートバイにはリコール対象になるような不都合は一切、生じないというわけもないだろうし。
 そんな疑念はともかく、不具合があるという以上は、直さないといけない。時間的な余裕があるわけではないが、通知が来、さらに販売店に問い合わせをしてからも一週間を経過してしまった。販売店からは部品がメーカー側から入ってきたという連絡も貰っている。行くしかない。
[我がオートバイ歴については、「Hobby(趣味?)」を参照のこと]

 今日は、小春日和という言葉を使いたくなるような日和。つい先日までの寒さがウソのよう。紅葉前線も足踏みどころか、もしかしたら後退してしまって、一旦は色付いた木の葉たちも、戸惑いつつ、緑色に戻ってしまおうか、なんて迷っていたりするかもしれない。
 オートバイを届ける時間を決め、店に届け、他に点検して欲しい箇所などを告げて、近くの図書館へ。今年初めて、昨年は行ったかどうか覚えていない。その前は、幾度となく通り過ぎているのだけど。
 図書館と呼称しているが、実際には文化施設であって、ダンスや写真展、絵画展などのためにスペースが用意されている。喫茶店もある。名称も、「文化の森」とか。ちょっと敷居の高く感じられる風格あるもの。小生には、気軽には立ち寄れないような名前だ。
 二階にある開架のコーナーへ。少なくとも二年ぶりになるのに、施設が開所して通っていた当時に感じていた蔵書の貧弱さというイメージは、全く、変わらない。何処かの蔵書の場所には、きっと沢山の本で埋まっているものと期待する。
 久しぶりなので、全体をザッと見て回る。書店にさえ、この七ヶ月、立ち寄っていない小生のこと、書籍の居並ぶ様子に圧倒されたりする。目がちらちらする。何度も脚を運んでいたら、それなりに目当ての場所が出来たり、新刊はどうだろう、なんて伺ってみたりするのだが、久しぶりだと、どう回っていいか分からなくなる。
 こんな時は、写真のコーナーに寄って、ヌードの本を物色しようと思ったが、見当たらない。なんで? どうして?
 やはり、久々だとHなる心にも図書館の蔵書はツーと言えばカー、というわけにはいかないもののようだ。
 そうだ、ジョージ・エリオットの本を読みたい、あるかなと探してみたが、見つからない。『サイラス・マーナー』もいいが、『ロモラ』の感動をもう一度、の夢は儚く潰えた。では、ダフネ・デュ・モーリアの本は? 『レベッカ』の世界に浸ってみたい。でも、これもダメ。そのうちに、ジェイン・オースティンの『エマ』が目に飛び込んできた。これだ。
 が、今は、自宅でカフカの『アメリカ』を、車中では、『カサノヴァ回想録』を、つまりは古典に近い本を並行して読んでいる最中である。借りるなら軽めの本を。
 で、宇宙論、考古学、哲学、評論、歴史、数学などのコーナーを見て回った。で、「黒曜石」という言葉に惹かれ、堤隆著の『黒曜石 3万年の旅』(NHKbooks)と、佐々木正人著『知覚はおわらない』(青土社)の二冊に決めた。どちらもかかれている世界は深いし、広いが気軽に読めそう。前者は奥付けを見ると新刊本。おカネがあったら、間違いなく購入しているはずだ。
 念のため、謳い文句だけ、転記しておくと、「人類の痕跡のある始原のときから、ひとびとは黒く輝く石に魅入られた
火山が作った天然ガラスである黒曜石は、打ちかくと鋭利な剥片となり、利器となった。狩猟・採集をなりわいとする人々が、いかに黒曜石を求めてきたか。海峡を越えた黒曜石の旅を追う。」とある。

 黒曜石については、「黒曜石世界」というサイトさんにもリンクさせていただいている。一度は、その店に行って、実物を見たいと思っている。
 が、当分、叶いそうにないので、掌編「翡翠の浜、そして黒曜石の山」を書いて、逸る気持ちを抑えてみたりしたこともある。
 佐々木正人氏の本は、アフォーダンスの理論を紹介する本である。数年前、田近伸和著『未来のアトム』(アスキー刊)を読んだりした際に、少しだけ馴染んだ理論。四年前の本で、新刊ではないが、インタビュー乃至対話形式の部分も多く、哲学には馴染んでいない小生にも分かりやすいのではと期待する。図書館で齧り読みして、読めそうな気もしたし。

 オートバイ店に預けたバイクの修理(部品交換)は夕方5時頃には終わるという。なので、それまで図書館で粘ろうかと思ったが、小生の宿痾(しゅくあ)である居眠りが、机に向かって本を読み始めたりしたら発症しそうで、二冊を借り、いろんなパンフレット類を戴いて帰宅の途に。
 で、今、バイク屋さんに行くまでの待ち時間を利用して、この雑文を綴っているわけである。

 昨夜というか、今朝は、六時前に就寝した。で、十一時過ぎに起床。五時間近く、断続的にだが、寝ている。だから昼間にこれだけ、小生には珍しい量の活動が出来ているのだと思う。
 昼過ぎには、メルマガを配信した。通巻で360号となる。目次だけ、例によって掲げておく:

   目次:●1.「我が友は蜘蛛!」後日談
      ●2.「閑古鳥が鳴く!」余聞
      ●3.白川静著『中国の古代文学(一)』
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか

 昨夜(正確には未明)には、「無精庵方丈記」に新作を一挙に五編をアップさせた。今週一杯(遅くとも今月一杯)には、手持ちの掌編の在庫を一掃できるに違いないと思っている。
 そうすれば、書きたての作品の即座の公表、究極の産地直送展示が可能となるわけである。
 さすがにホームページの更新は、思うに任せないが、「無精庵方丈記」のほうの態勢が整えば、随時、行うことができるだろう。
 
 さて、表題を「小春日和?」としたが、まさに「?」を付した通りの内容となった。季語については、稿を改めて書いてみたい。

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2004/11/21

冬の蝶

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 あるサイトを覗いてみたら、「冬の蝶」という言葉の織り込まれた句を見かけた。「冬の蝶」というのは、冬の季語なのだろうか。
 早速、「冬の蝶 季語」をキーワードにネット検索する。ヒットしたのは僅かに141件(但し、「冬の蝶」だけだと、2千件以上)。「季語」をキーワードに含めると、よくヒットするサイト(「日刊:この一句」)を覗いてみると、「冬の蝶は人気の季語。だが、私はまだ冬の蝶を見たことがない。実際に見る蝶と、季語としての蝶には、本来的に関係がない。季語の世界は現実や体験とは次元の異なる文化的空間だから。」などと書いてある(坪内稔典氏)。
 小生も冬に蝶は、というより、ここ一ヶ月以上は蝶々を見ていない。
 そこで、「雑記蝶」というサイトの「里山の冬」という頁を覗いてみた。
 すると、「冬になると蝶を見かけなくなります。でも、春がくると、たくさんの蝶が見られるわけですから、全くいなくなったわけではありません。命はずっとつながっています。それでは、蝶達はどこにいるのでしょうか? 」などと、冒頭辺りに気を惹くつかみの言葉。
 今や失われつつあるという里山だが、それでも探せば見つかるのだろう(か)。その里山に分け入っていくと、冬だと蛹、あるいは卵の状態の蝶に出会えることもあるのだろう。そういえば、遠い昔、郷里の町の未だ宅地になっていなかった藪の木肌などに蛹を見つけたりしたものだった。
 興味津々というより、どちらかというと何となく不気味な感じを受けたような記憶がある。成虫になれば可憐だったりする蝶々も、幼虫とか蛹の状態だと、愛らしいというより、敬遠したくなるような雰囲気が漂っていた、少なくとも自分はそう、感じていた。
 尤も、鳥などに喰われないよう、人間のみならず他の動物にも目立たないよう、地味な、時に不恰好な、しかし、無用心な姿で冬の時を過ごしているのだろう。
 上掲のサイトによると、「このキタテハを始め、タテハチョウのいくつかは成虫で冬を越します。だから、冬でも暖かい日には飛ぶこともできるのです。」という。但し、成虫の姿だけれど、実際に飛ぶのは、暖かな日に限られるようで、「冬のほとんどの日は、茂みの中や、稀に農家の軒下などで翅をしっかり畳んで、じっとしているのです。」というのである。
 冬の蝶、何か幻想的な感がする。季語としても人気があるのは、小生なりに分かるような気がする。小説のタイトル、乃至は、テーマを象徴する言葉であり、同時にしかも決して完全に幻想なのではなく、実際に自分は見なくとも誰から見た現実である、めったに我が眼では確かめることの出来ない、その意味で歯痒い幻想的な現実。
 小説の書き手なら、何かしら掻き立てられるものを感じないとウソのような気がする。小説でなくとも、短歌や俳句などでは冬には挑戦したくなるテーマであり言葉であり、夢の中のような、しかし厳然たる現実でもあるのだ。

 そもそも、蝶々というのは、その存在自体が幻想的である。そう、めったに見られない冬の蝶に拘らなくとも、春の麗らかな陽気の中、菜の花畑の日溜りの中などを蝶々がフワフワ飛んでいる姿を見かけると、それだけで、胡蝶の夢を思わせてしまう。
 ただ、胡蝶の夢で肝心なのは、「知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。」という下りの先、「此れを之れ物化と謂ふ。」にある。ここから先は、夢見気分では追随できない思弁の世界に分け入る。ちょっとした覚悟が要りそうである。
 
 ここまで書いてきて、この小生が、「冬の蝶」という言葉、イメージに飛びつかないはずがないと、我が「掌編作品の部屋」を覗いてみたら、案の定だった、軽薄短小というか軽佻浮薄というのか、蝶のように舞い、舞い上がった挙げ句、浮き世に吹き流されるがままになるのが得意の小生、文字通り「冬の蝶」なる掌編を年初早々に書いていたのだった。
 例えば、「冬のスズメ」とか、「冬の灯火」なんていう作品も書いているが、「冬の案山子」というのは、創作意欲を掻き立てるテーマだったりする。使われるべき時期を過ぎて、置き去りにされ、忘れ去られ、見捨てられてしまったモノたち。時期外れの頃に、妙に幻想的なほどに印象鮮やかなモノたちの、自己主張の意志など超越し、世間の耳目からも逃れ去り、ただただ自らの内面に沈湎 (ちんめん)するのみであるような、痛いほどに輪郭鮮やかな姿。

 そうはいっても、いざ、自らが創作に手を染めてみると、出来上がる作品は、見るも無慙な姿となってしまう。蛹がどうだとか、なんて言っていた自分が嘲笑われてしまいそうである。
 でも、敢えて表現したいのだ。
 さて、冬の蝶の姿をこのところ、小生も見ていない。それどころか、実際に今週始めだったか、見たものというと、我が部屋でまたまた久しぶりに蜘蛛の姿を見かけた。随分と成長していた。さらに、数日前、消灯してしばらくして、懐かしい、しかし、煩い感じ。そう、蚊! である。
 冬の蚊、なんて、幻想味の欠片もない…、はずなのだが、蚊も、こんな時期外れも思いっきり、突拍子もない時期に現れ、しかも、空中を舞い飛ぶ蚊の奴を、場合によっては手の平で呆気なく掴まえてしまえそうな、動きの鈍い蚊などを見ると、哀れの念を催してきたりして、これは、きっと、俳句の世界では季語に使われているのじゃなかろうか、そんな思いに駆られ、調べてみたら、これまた案の定だったのである。
 そう、「冬の蚊」も、冬の季語だった。ネットでは、「冬の蚊を許してもぐる掛蒲団」という句を「携帯で俳句」というサイトで見つけたが、ホームページが見当たらない:
 http://www47.tok2.com/home/orangejj/haiku.html

 ちなみに、小生は、許さないで、蚊取り線香を使った。一昨年だったかに買った蚊取り線香だが、小生、ケチな性分で、蚊が出現するたびに、数センチからせいぜい十センチほどを千切りとって使う。なので、一つのロールで結構、持つのである。

 冬の蝶追い駆けみれば気だるき蚊

 さて、例によって、駄句の数々を。まず、金曜日の深夜(というか日付では土曜日になっていたが)に作った句の数々:

 秋深し欲も深くて涸れもせず
 秋深し眠りは浅く夢ばかり
 秋の暮れ黄昏時は暗いです
 秋の暮れ紅葉も見ずに冬が来る
 秋の暮れ我が猫殿は何処に行く

 今日の昼過ぎだったかに、「冬の蝶」を織り込んだ句を見つけたサイトに書き込んだ句(着膨れで、駅などで駅員さんが電車に乗るお客さんの背中などを押す姿を見て):

 尻押しの活躍時の冬となる

 せっかくなので、思いつきで、幾つか、ひねってみたい:

 秋深し浅き夢見し朝の露
 遠き空我が夢のごと蝶の舞う
 冬の蚊に風情覚える寝床かな
 哀れなる思いはすれど線香焚く

 掲げた写真は、今朝、そろそろ仕事も終わりに近付いた6時頃、いつもの場所で撮ったもの。写真には、もはや薄くしか写っていないが、屋根の高さに薄っすらと雲の峰が。写す十数分ほど前、それまで暗かった空が一気にという勢いで明るくなってきて、その空の地平線の高さに雲が横に濃く伸び広がっていて、空の透明感との対比が素晴らしかった。
 なので、タクシーを我がスポットに向けたのだったが、運悪く、じゃなく、ありがたいことに、珍しくお客さんが路上に立っておられ、目的地にお届けした。
 で、慌てて我がスポットに戻ったが、かの横雲がすっかり薄まって、狙った朝の空の、これまでとは違う光景を撮り損ねてしまったのである。
 都内では、未だに紅葉というには、中途半端な涸れようで(といって、枯れることを期待しては、葉桜さんらに申し訳ないのだが)、紅葉の写真を撮れなかっただけに、これは、という朝焼けの写真を撮りたかったのである。ちと、残念。

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