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2004/11/20

牛蒡掘る

 11月も中旬が間近。なのに東京都心では紅葉を実感する光景に恵まれない。この数日の(平年並みの)寒さで紅葉前線が東京都内にもやってくるだろうか。
 さて、表題を何にするかで迷い、あるサイト(「季題【季語】紹介 【11月の季題(季語)一例】)を眺めていた。そこには数々の11月の季題(季語)が並んでいる。
 尤も、「11月は、季題が一年の中でも、少ないようです。」と、下に注記してあるのだが。
「沢庵漬く、茎漬、酢茎、蒟蒻掘る、蓮根掘る、泥鰌掘る…」という下りを眺めていて、ふと、そういえば、画像掲示板に写真を寄せてくれた方の日記を読んだら、「ゴボウを掘ってきた」という話題が載っていたなと思い出した。掘った牛蒡は庭の土の中に埋めておくと、長持ちするのだとか。
 で、「牛蒡 季語」をキーワードにネット検索。すると、「牛蒡引く、牛蒡掘る」が秋の季語だと分かった。ただ、11月の季語としては相応しくない。既に季語上は冬に入っているのだ。
 が、ここは小生のサイトである。「牛蒡掘る」を表題にさせてもらう。
 ついでながら、「牛蒡蒔く」が春の季語(3月)だという知識もネット検索している過程で知ることが出来た。また、「古く中国から渡来したが、現在、野菜として栽培利用するのは日本だけ」と記述してあるサイトも見つかったのだが、牛蒡、栄養面でも注目されていて、なかなか興味深い野菜である。虚子の「牛蒡掘る黒土鍬にへばりつく」なんて味わい深い句も見つかった。

 牛蒡というと、きんぴらごぼう。
 ところで、牛蒡と「きんぴらごぼう」とは、どういう関係なのだろう。牛蒡の料理の一種の名前なのか。そもそも、仮に牛蒡の料理なのだとして、そこにどうして「きんぴら」などという冠が被さるのか。
 ネット検索してみると、「名誉院長の季節の小咄」というサイトが見つかった。その中に、「因みに「きんぴらごぼう」は、源頼光の四天王の一人、坂田金時(幼名:金太郎、つまり、坂田金時とは、あの足柄山の金太郎!)の子、金平の強さになぞらえたもの。」と書いてある。
「江戸時代:浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵の創造の世界」の「江戸時代:金平浄瑠璃で主人公に」という頁を覗くと、坂田金時(幼名:金太郎)や金平について、知ることが出来た。この頁では、「金太郎悪く育つと鬼になり」という『柳多留(やなぎだる)』の発表された句も紹介してある。
 が、さて、「きんぴら」が「ごぼう」に冠せられた訳とは。
「和風きんぴら包み焼き」という頁を開くと、坂田金時の子、金平(きんぴら)が親譲りで豪勇無双の者ということになっていて、それにちなんで、「金平牛旁の金平は、精がつく、力がつくという意味をもってい」るのだと説明してある。
 でも、丈夫な奴、強い奴なら昔から少なからず居ただろうに、何ゆえ、金平なのだろうか。
 ところで、小生ならずとも、気になっているだろうが、坂田金時の金時って、もしや、金時豆の金時なのか…?!
 例えば、「食品料理研究室」を覗くと、「金時豆はインゲン豆の1品種。皮の赤色が、怪力伝説の坂田金時の幼名、金太郎の赤い腹掛けのようだとか、怒ったときの真っ赤な顔の色などに例えられ、この名がついたといわれている」などと書いてある。
 別についで、というわけではないが、久しぶりに、季節外れではあるが、「金太郎(きんたろう)  作詞者:石原和三郎  作曲者:田村虎蔵」を歌って元気を出すのもいいかも。
 ところで、最近、知り合った方のサイト(「NRK-LALA」)に、「童謡 わらべ歌 唱歌 世界の民謡  日本と世界の愛唱歌をMIDIにまとめた音楽サイトです」ということで、「童謡・唱歌の世界」へのリンクが為されてあった。
 小生にはありがたいことだった。

 話が段々、ずれてきた。牛蒡を掘る。小生の田舎でも、たまの帰省で季節がその頃であったりすると、お袋か父が庭から牛蒡を掘り出してきて、それを調理する光景を目にしたことがあったことを思い出す。大根、人参、茄子、ジャガイモ、タマネギ…、そうしたものの一つに牛蒡があったのだ。
 が、小生、今は食べられるが、昔は野菜嫌いだった。野菜の類いで食べられるものというと、せいぜいキャベツや白菜くらいだったろうか。ほうれん草も出されたら、仕方なく食べられた。が、人参も牛蒡も茄子もダメ。大根も、沢庵などの漬物になったら辛うじて食べられたが、大根の煮付けなどはダメ。
 小学校に上がる前後の頃は、偏食が極端なまでに症状が重くなり、ついにはご飯にマヨネーズ、ご飯にアジ塩、くらいしか食べるものがなくなってしまった時期さえあった。拒食症ではないが、過度の偏食家だったのは確か。よくぞ生き延びたものである。なんとかご飯だけは食べられたから生き延びられたのだろう。
 その代わり、かなりの偏屈なる人間性が形成されたのは残念なる事実なのかもしれない。

 土の香を毛嫌いせしは我が事か
 
 土の香を愛しく思う齢かな
 
 土の香を愛でてみたくも庭はなし
 
 牛蒡掘るお袋の姿の遠きこと
 
 庭の土生い茂る草に埋もれけり
 
 牛蒡引くお袋の姿目に痛し

 さて、日記らしいことを少々。この無精庵徒然草の別館である創作作品の館「無精庵方丈記に、今日も一つ作品を新規にアップしておいた。タイトルは、「恋は秋の暮れに」である。やや苦い、失恋モノ。まだ、過去の未アップ作品のアップの段階になっているが、徐々に新規に書き下ろした作品を即座にアップするという体制に持っていきたい。今月末か来月始めには、そういう体制になればいいなと思っている。
 その新規の作品だが、今月の第五作目の作品を夜半に書き下ろした。「ディープスペース」シリーズの第六作品にあたり、タイトルは、「 ディープスペース(6):ベルメール!」である。
 ベルメールとは、ハンス・ベルメールのこと。小生が、18歳の頃にレオノール・フィニと共に夢中になった異才。せっかくなので、ベルメールを紹介しているサイトを(今日、掌編を書く際に発見した!)示しておきたい。
ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響 - 球体関節人形を中心に -

 これで、今年の通算が89作品。年間掌編百篇に向け、年内のノルマは後、11個。目標達成が見えてきたというべきなのか、頭が空っぽで、この先が思いやられるというか、ま、とにかく頑張るしかない。このノルマがある限り、小生の執筆上の緊張の糸が切れることはないだろう。

 最後に、我がサイトの掲示板が過日、1万を記録したが、画像掲示板も昨日、500を記録。どうぞ、画像掲示板も覗いて見て下さい。

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2004/11/19

タクシーと忘れ物(お彼岸篇)

 木曜日は雨の営業となった。雨の日は、不況の今にあっても、少なくとも日中はお客さんが乗ってくれる回数が増える。結構、忙しくなる。
 が、景気の思わしくない今は、ただでさえ少ない夜中のお客さんが、冷たい雨に祟られて、一層、減ってしまう。
 そんな愚痴はともかく、雨の日のタクシーの営業というと、付き物なのが、傘の忘れ物である。それは、小生も新人ではないし、心得ているので、支払いを済ませ降りていかれるお客さんに、「忘れ物、ございませんか」などと、必ず声をかける。
 それも、一度ならず二度は掛ける。ただ、雨の日でも、雨が降り続いているなら、さすがに傘を忘れる人は少ない。外の雨、傘、この両者は直結している。雨が降り続いている中でも忘れることがあるとしたら、車を自宅の玄関先に止めた場合だろう。
 タクシーのドアを開けると、それ、急げ、とばかりに玄関の方へ駆け込んでいく、だから、鞄(バッグ)の類いは忘れないものの、傘は置き去りにされることがありえるわけである。
 勿論、小生はそんなことがあっては、お客さんも困るだろうが、こちらも、後の処理が面倒なので、降りられるお客さんの背中に「忘れ物は…」と声を掛けると同時に、後部座席を見る。
 後部座席を見、お客さんに忘れ物のないように声を掛けるのは、雨の日に限らない。天気が良かろうが、お客さんが降りられる時には、毎回、必ず、励行する。
 困るのは、この数年、携行が当たり前になりつつある(なってしまった?)携帯電話である。こればっかりは、お客さんにとっても、大切なものであり、大切さの度合いということになると、傘の比ではないから忘れることなどないだろう、と大方の方は思われるだろうし、小生も、そう思いたいのだが、しかし、年に何回かは忘れ去られることがある。
 小生も後部座席を見ているのだが、時に何故か携帯電話が足元に落ちていたりして、振り返ってみても、シートの上には何もない。ちょっと見ただけでは、お客さんの足元、つまりは、運転手の座席の後部直下辺りは、どうにも分からないのである。
 だからこそ、一度ならず二度、時に三度と声を掛けて、忘れ物のないように願うのである。
 携帯電話などを忘れられると、お客さんを下した後、しばらくして、プルルル、などと呼び出し音が聞えてくる。ああ、やったなー、と、ガックリする瞬間である。小生も携帯電話は携行しているが、走行中はマナーモードなので、震えることはあっても、音は一切しない。だから、音がしたら、人様の携帯電話に決まっているのである。 
 電話に出る(これも、最近のことだ。小生が携帯電話を持つようになったのは、昨年の暮れからで、それまでは、電話が掛かってきても、どうやって出ればいいか分からなかったものだ。それと、着信音も今は、ほとんどの人が自分好みの音楽に設定しているので、プルルルは、古いかもしれない)、で、お客さんの居場所、小生の居場所を勘案し、大概は、小生が携帯電話(他の忘れ物の場合は、お客さんが営業所に電話し、無線などで小生が呼び出しを喰らう)を積んだタクシーを回送の表示にして、お客さんの下へ駆けつける、ということに相成る訳である。
 その間の時間は、営業的に無為のときになる。が、仕方がない。忘れ物をさせたこちらが悪いと受け止める弛緩あいのだから、自分への罰なのだと諦めるしかないのだ。
 それより、お客さんに忘れ物をきちんと届けられたということを安堵するべきなのである。そして、二度と、そんな失敗をしないこと、させないことを肝に銘じる。

 さすがに、忘れ物は、傘を含め、めったになくなった。
 が、今年のお彼岸の日に、とんでもない忘れ物があった。その日は、祭日で、営業的には暇なはずだが、お彼岸は、お墓参りの方が多く、日中に限っては忙しい。
 昼過ぎだったか、とある駅でお乗せした年輩の方と若い方との二人連れのお婦人方を、基本料金で行ける場所にあるお寺へ(基本料金というのがミソなので、敢えて書く)。
 二人をそのお寺で下す。無論、忘れ物はございませんか、と声を掛けた。
 で、小生は車を走らせた。すぐに別のお客さんが乗ってくれた。嬉しい。お客さんが連続するなど、近頃ないことなので、嬉しい。どうやら、そのお客さんもお墓参りの方のようだ。
 が、その喜びは束の間のものだった。お客さんの一言で、一気に暗転したのである。
「あの、忘れ物、ありますよ」だって。
 お客さんがその品物を料金を乗せるトレーに載せた。
 ちらっと見ると、それは、仏事用包装された箱と、その表の包み紙の合わせ目に御供物料でも入っているのだろうか、熨斗袋が挟まっている。
 なんてこった! よりによって、こんなものを忘れるなんて、でも、オレは、お客さんが降りた時に声を掛けなかったっけ? 降りた際に後部座席は見たよな?! ああ、でも、忘れ物があるのは厳然たる事実。小生の頭の中は、真っ白。
 とにかく、今、お乗せしているお客さんを目的地までお届けすることに、頭の中を集中させる。余計なことを考えると事故の元だ。
 目的地で無事、降りていただくと、車を回送にする。で、大急ぎで、先ほどのお寺に戻る。きっと、今すぐだったら、まだお寺に二人はいるはずだろうから。幸い、お寺に戻るまでに十数分だったろうし。
 非常灯を点滅させて車を路肩に止め、お寺の境内へ。墓地には墓石をきれいに洗っていたり、周りも掃除したりしている方が、ポツポツと散見される。花や線香をお供えしている方もいる。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝するわけである。
 中には、水ではなく、お酒を墓石の上から掛ける人もいるというが、その日は、お酒の匂いはしなかったような。
 さて、小生、お寺の本堂というか、受付に足を向ける。先ほどの二人がいないかと探しながら。受付の女性に、二人連れの御婦人の方、見受けませんでしたかと訊く。墓地の方へいらっしゃいましたよ、と返事する。
 小生、仏事用包装された箱(熨斗袋付き)を小脇に抱え、墓地の方へ。受け付けに行く前に眺め渡した限りは、二人の姿を見受けなかったのだが、もう一度、墓地の中を歩き回って探すことに。
 が、二人の姿は見えない。尤も、数人の墓参の方々の中に二人が紛れ込んでしまった可能性もある。さっきの二人連れの姿格好は、どうだったっけ。
 小生、お客さんのプライバシーということで、原則、運転中もそうだが、降りる際にも、あまりジロジロ、お客さんを見たりはしない。鞄など持物には注意するが。
 なので、二人の顔や、まして服装など、はっきりしない。そもそも、無骨な小生のこと、女性のファッションなど眼中にない。一日、一緒にいても、さて、その日の相手の服装の色は、スーツだったかラフな格好だったか、イヤリングは、髪型は、顔は、靴は、そのどれにも自信を持っては即答できない。これは、自信を持って断言できる。
 小生、段々、不安になってきた。目当ての二人は、あの集団の中の婦人達ではないのか…。そういう目で見ると、そのようにも思えてくる。声を掛けて、訊いてみようか。でも、なんとなく違う気がするし。先方も、冴えない中年男に関心など持っていないようだ。忘れ物のことには、さすがにもう気付いているはずだから、小生が小脇に抱えている箱を見れば、ああ、あれ! という表情に変わるはずだし。
 墓地では、それらしい二人連れが見当たらないので、もう一度、受け付けに戻って、中を覗いて回ったり、それでもダメなので、仕方なくタクシーの方へ戻ろうとした。車の中で待っていたら、そのうち、寺の門から二人が出てくるはずだ、それを待っていよう、と思ったわけである。
 で、受付から門へ向かって歩いていったら、ちょうど、門から入って来る御婦人の二人連れに遭遇。どうやら、二人は、タクシーの方からお寺に戻ってきたようなのである。
 二人は、あ! という表情をした。パッと明るくなった。
 小生、あの、先ほどのお客さんですよね、と声を掛ける。二人も、頷いて、そうですと答え、忘れ物しちゃって…。
 で、小生、念のためもあり、箱の上の熨斗袋に記入してある名前を御婦人に尋ねた。帰って来た名前は、ちゃんと合っている。当然だが。
 万が一にも、別の人に忘れ物を渡しては、恥の上塗り以上の失態である。携帯電話も、渡す際には、電話の色を訊いたり、電話にもう一度、架けてもらったりして、相手の確認をする。当然のプロセスだろう。
 箱を渡すと、年輩の方のご婦人は、そこは年の功というのだろうか、熨斗袋の中身をさりげなく確認している。こちらとしては幾分、不愉快だが、それも、当然のプロセスだから、理解できる。中身は、推して知るベシだろう。箱の中身は、軽かったので、煎餅か海苔か、なんて、余計な詮索はしなくてもいいだろう。
 小生が仕事もあるし、急ごうとしたら、ご婦人は「待っていただけますか」と訊く。「ええ、いいですけど」と答えると、「用事はすぐに済みますので、そしたら駅まで戻りますので、また、乗せてってください」と言う。
 こちらは、何も異存があるはずもない。タクシーを回送から空車にして待機。待つこと数分だったろうか、戻ってこられた。で、また、駅へ。駅までは基本料金で済む距離である。降車の際の支払いの時、お釣りを渡そうとすると、「お釣りは、取っておいてください」という。
 小生は、忘れ物を届けた際、一切、<謝礼>は貰わないことにしている。何故なら、プロのドライバーとして、忘れ物をさせたこちらに不手際があったわけだから、相手が感謝しているのだとしても、貰うのは筋ではないと思うからである。
 でも、お寺から駅までの短い走行の際、「今日は、忘れ物、しちゃって、運が悪い、今日は日が悪い、とんだお彼岸になっちゃったと思ってたけど、届けてもらって、よかった。いい日になりました」などと御婦人は語っていた。その気持ちの現れなのだろうと、その時は受け取ることにした。額が大きいと、躊躇うが、あくまで気持ちの範囲に収まるのだし。
 さて、小生、二人が降車される際に、「お忘れ物、ございませんか」と声を掛けたのは、言うまでもない。別に皮肉で言ったわけじゃなく、習慣として言ったに過ぎないのだが、先方様は、どう思われたろうか。
 顔が笑っていたから、そう、きっと結果として微笑ましいエピソードになりました、という気持ちだったに違いないと思うのだけど。

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2004/11/18

山茶花の頃

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 火曜日だったか、車中でラジオを聞いていたら、山茶花のことが話題になっていた。が、すぐにお客さんをお乗せしたので、ボリュームを下げ、運転に集中したこともあり、どんな話だったのか、分からない。
 ただ、頭の中に、山茶花という言葉だけが響く。花の名前というのは、どれもこれも、イメージを掻き立ててくれる。同時に、その名前の付け方に、感嘆するばかりである。前にも書いたが、小生など、歌や句を作られた方より、花など植物の名称を決められた方たちこそ、天才なのだと思う。
 道端で咲く草花を見て、それぞれにこれはこういう名前にしよう、ということで決まっていったのだろうか。それとも、それぞれの草花にちなむ何かの逸話などがあったのだろうか。
 この山茶花という植物の名前も、サザンカという必ずしも流麗・華麗という音の響きではないのに、耳に心地良く感じられるというのは、何故なのだろう。
 そのうち、ふと、遠い昔に歌った、童謡の一節が脳裏に浮かんできた。「さざんか さざんか 咲いた道♪」であり、さらに「たきびだ たきびだ おちばたき♪」と続く。そう、「たきび」である。
 今は、都会ならずとも、焚火など、許されない地域が多いのではなかろうか。山や海のキャンプ地などでは、水をバケツに用意して、みんなで燃え盛る火を囲んで焚火を楽しむ、なんてことが行われているのだろう。小生も、小学生だったかの林間学校で、そんな楽しみを持ったことを微かに思い出す。
 あるいは、大学生だった頃、どういう経緯があってのことか、俄かには思い出せないが、多くは新入生が集まって、キャンプの真似事をし、焚火を囲んだことがあったと、今、思い出したりする。
 この山茶花という植物の名称については、日本において定着するまでには、やはりいろいろな混乱もあったらしい。「椿(つばき)の漢名(中国名)「山茶花」が、 いつの頃からかこのサザンカの名前として間違って定着した。」などというエピソードは、面白い。
 山茶花と椿は、花の感じなど、外見はよく似ているようである。「春に椿、夏に榎、秋に萩、冬に柊と言われるほど、春の季語として有名なツバキ。一方サザンカは冬の季語。ですから秋の終わりからツバキが咲いてると思ったら、まずサザンカかな?と疑ってよく花をみてください。他の花と同じように花びらが散っていたらサザンカですから。」というのは、参考になる話だ。
「さざんかは日本特産種で九州や四国に自生する。」という。そして、「江戸時代に長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクさんがヨーロッパに持ち帰り、西欧で広まった。」だから、「学名も英名もサザンカ(Sasanqua)」なのだとか。
 
 さて、童謡「たきび」を思い出したので、少しだけ、この童謡の事に触れておきたい。
 まず、「童謡「たきび」のうた発祥の地」は、現在の東京は中野区の上高田である。岩手生れの「童謡の作詞者・巽聖歌(本名 野村七蔵 1905~1973年)」が、この童謡を作ったのは、「昭和5、6年頃から約13年の間、功運寺のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでい」たのである。
(ちなみに、小生も、上京した折には、新宿区の西落合のアパートに住み、ついで中野区上高田に移り住んだ。西落合は新宿区だが、実際には上高田へは徒歩で数分だったはずである。上高田のアパートが風呂付きなのが魅力で転居したのだった。界隈には、哲学堂公園や新井薬師寺などがあることなどは知っていたが、「たきび」の作詞者・巽聖歌が居住していたことがあったとは、当時、まるで知らなかった。)
 この「たきび」という童謡には、作られたのが戦中ということに関わる、有名な逸話が残っている。
 「童謡についての一考察 志村和美」というサイトを覗くと、「この童謡は戦時中に「たきびも敵機の目標になる」などという理由で軍部などからNHKの幼児の歌のおけいこ番組などの放送をさしとめされた。」というのである。
 さらに、「戦後の音楽教科書がこの童謡をとりあげたとき、各社版とともに水の入ったバケツと大人の姿が挿絵の中に描かれていたものである。」などと書いてある。

 現代においては、余程、人里離れた場所でないと、焚火をするのは、難しい。が、小生のガキの頃は、町になっていたとはいえ、農村の名残の濃かったこともあり、庭先でゴミを燃やすのは当たり前だったし、ドラム缶か何かの風呂に入った記憶もある。当然、木屑などを燃やす。煙も立ち昇る。が、近隣の誰彼から苦情が来るなどということは、なかった。
 何処の家でもやっていたことで、何も焚火という意識はなく、必要があれば、木切れなどを燃やして、紙屑を燃やしたり、季節によっては、サツマイモを焼いたりする。丁度いい火加減だったのか、ホクホクになった、ちょっと焦げた部分もあったりする焼き芋を頬張るのは、無類の楽しみだった。
 そんな時、みんなして、童謡など、歌ったものだったろうか。

 さすがに、今の住宅事情では、焚火どころか、紙切れ一枚だって燃やすのは、憚られる。焼き芋など、庭先で焼くなど、ちょっと考えられない。
 ホクホクに焼きあがったサツマイモは、現状では夢の夢として、部屋の中では、読書などして、夢想の世界を旅して回る。遥か数千年の昔から、遠い未来へ、東京の都心に繰り広げられるドラマから、世界の出来事まで、極微の世界から銀河の彼方にまで、想像の輪は、何の制約もなく広がっていく。時に、危ない、禁忌の世界へも、本能と欲望の導くがままに踏み迷っていく。
 というわけで、月曜日には、ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』(望月哲男・鈴木淳一訳、ちくま学芸文庫)を読了した。「ポリフォニー小説」という性格と、「カーニバル性」という観点は、今となっては、現代小説論の古典なのだろうし、小生には目新しさは感じなかったのだが、それは、ある意味、常識になっているからなのだろう。
 だからだろうか、時折、引用されているドストエフスキーの小説の断片を楽しみに読んで行ったりして。
 自宅では、週初めから、カフカの『アメリカ』(中井正文訳、角川文庫)を読み始めている。小生などにカフカ論を期待しないだろうが、彼の『変身』は原書で(翻訳では7回か8回。ドストエフスキーの『白夜』と並ぶ愛読書だ)、『城』は、翻訳書だが、繰り返し読んだものとして、改めてカフカの世界の摩訶不思議さを感じている。
 あくまで虚構の作品、想像力の産物なのだが、個々の場面はリアルに描かれているのだが、しかし、どの場面も夢の中に自分がいるような気がする。夢の中での出来事の渦中に自分があって、その掴み所のない分析不能のカフカ独特の浮遊感は、他のどんな作家も真似などできない。
 車中では、『カザノヴァ回想録』(窪田般彌訳、河出文庫)を読み始めている。古沢岩美の挿絵もあって、懐かしい。学生時代、アパートで息を潜めるようにして読んだものだった。サドの一連の本、作者不明の『我が秘密の生涯』、バタイユの一連の本、などと併せ、文学的な優劣など度外視して、貪るように読んだ、そんな本の一冊。昔の自分に再会するようで、なんだか息苦しくなるが、さて、四半世紀ぶり以上の時を隔てて読むと、どんな感想を持つものか、それもまた興味津々だったりるす。

 掲げた写真は、昨日の「冬 曙 (ふゆあけぼの)」と題した日記に掲げた写真の数分後に撮ったもの。場所は、小生がよく朝焼けの写真を撮るのと同じ場所である。どことなく不穏な空。
 

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2004/11/17

冬 曙 (ふゆあけぼの)

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 冬曙 (ふゆあけぼの)が、冬の季語なのかどうか、その前に季語なのかどうかも、分からない。「夜明け 季語 冬」でネット検索してみたら、その筆頭に、もう、例によってというべきなのか、山崎しげ子(随筆家)氏の手になる(「季語の風景」 )一文「冬 曙  ふゆあけぼの」をヒットしたのである。
 写真(写真部・河村道浩)もいいし、文章も簡潔で読みやすく味わいがあるということで、人気があるのだろうか。そこには、句が載っている:

 山の肌冬曙の中に現(あ)れ

 写真と同氏の文章と共に、この句を味わうと、知らぬ間の冬の訪れを風景の中に感じつつも、同時に何か切ないような艶かしさも覚えたりする。
 ところで「夜明け」をネット検索のキーワードにしたのは、今日、掲げる写真が、小生のこのサイトでは恒例になりつつある、夜明けの写真だからである。夜明けといっても、未明から午前に懸けての表現(名称)は、未明・夜明け・早暁・暁・払暁・明け・明け方・曙・朝方・早朝などと数々ある。
 ここに有明などを同列の中の一つとして加えていいのかどうか、躊躇うが、朝方を示す表現も、恐らくは、まだまだあるのかもしれない。
 掲げた写真は、朝の6時1分頃、場所は東京のやや郊外にある住宅街。
 小生が朝の写真を撮るのは、別に、恒例にしようという目算があってのことではなく、仕事がほぼ終わりに近付き、疲れ具合など、場合によっては車を回送の状態にしてあるので、写真を撮る余裕も出てくるからである。
 朝の写真を撮るのなら、バランスを取る(?)意味でも、夕焼けなどの空も撮ってみたい。仕事柄、ずっと外を(東京の都心を)車で走り回っている。日中は渋滞もあり、安全を図る意味でも、カメラはトランクに仕舞ったままにしてある。間違ってもカメラを取り出して、撮っちゃおうという気を起こさないためにも、カメラは手の届かないところに置いてあるのだ。
 が、撮りたいと感じる瞬間は、日中や早暁、夕方に限らず、しばしばある。昨日にしても、夕五時半過ぎ、国会議事堂方向へ向かうため、九段坂上で左折し、皇居周辺の内堀通りに入ってしばらくしたら、右斜め上の空に思いがけず三日月が目に飛び込んできた。
 幸いにして、信号に引っ掛かり、しばしの月見。
 思いがけず、というのは、12日が新月ということもあり、また、週末から週始め、雨がちだったりして、お月さんとも縁が薄かったから、まして、夕方の五時台ということもあり、月影に恵まれるなど、全く、予想していなかったから、そんな、不意に、という感じを抱いたのだろう。
 雲も消え去っていて、完全には暮れきっていない空に、三日月が冴え冴えと輝いている。
 江戸など、昔の人は、月の満ち欠けをどのように感じていたのだろうか。確かに、日々、少しずつ変化していく。変わりようは規則ただしい。月食、日食などのように、思いも寄らない時に(昔の人には)不意打ちのように生じる満ち欠けではない。
 だから、月の姿が日々変化すること自体には、何の違和感も抱かなかったろう。でも、しかし、何故に満ち欠けするのか、という点には疑問を抱いたこともあったに違いない。太陽と月と(地球と)の位置関係に思いが至ったのだろうか。
 それとも、あくまで月単独の<現象>であり、とにかく月はあのようなものなのである、人は、その現実を受け入れ、その人なりに思い入れをするのみだったのだろうか。
 
 ちなみに、「月」は秋の季語である。「名月」も、勿論(理由はともかく)秋の季語。では、三日月は? 
 尤も、月が秋の季語だといいつつ、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」なんて名句があるじゃないか、これは春霞の月を描いて秀逸じゃないか、ということになるのだが、それでも、俳句の世界では月とだけ出てくると、秋の季語と決まっているようである。
 そうそう、三日月があるくらいなので、二日月もある。二日酔いがあるくらいだから、三日酔いがあるようなものか、って、これは言葉遊びでした。
 三日月には、また、別称が多数ある。若月・眉月・始生魄・哉生明・朏魄・麿鑛・彎月・繊月・初月・虚月・蛾眉・(夕月)…。それぞれの名称を時間があれば、調べてみたくなる。きっと、名称の使われる経緯、作られるに際しても謂れがあったに違いないと思うのだが。

 それにしても、何故、「月」というと秋とされてきたのか。恐らくは(以下は、小生の単純な憶測に過ぎないが)、まず、夏とは違う日の短さ、つまりは夜の長さが挙げられるだろう。
 秋であっても、日中は明るい。が、釣瓶落としではないが、秋の日は一気に暮れていく。すると、雲の少ない空だと、暮れなずむ空に星影や月影が冴え渡ってくる。丁度、昨日の小生の感じた、不意打ちの感を覚えたりするわけである。
 この月影の冴え、というのには、更に他の条件も背景にある。そう、なんと言っても、空気の違いである。夏場は、暑苦しいし、蒸し暑い。それは、湿気のせいが大きい。この湿気が、空を幾分か以上に曖昧なものにしてしまう。それは、湿気で視界が若干だろうが、遮られるということと、下界の生命界、植物や昆虫などの動物の蠢きが身近にある。鳥の囀りなど、生き物の生命力を愛でる機会が多いということ以上に、蚊や虫などにうんざりさせられたりする。
 空の若干の不透明さと下界の賑やかさなどが相俟って、空を眺める気分を鬱陶しいものにさせているのかもしれない。
 それが、秋となり、その秋も深まっていくと、虫の鳴き声も聞かれなくなり、かのクマ騒動も新聞紙を賑わすこともなくなって(つまり、動物たちの活動や植物達のムンムンする草の匂いも和らぎ)、夜などは、今とは比較にならない暗さに町中でも恵まれていた(畏怖の念を抱かされていた)だろうし、空に明るい月や星は、時に凄みを持って天において地にある我々を睥睨しているように感じられたりしたのだろう。
 星月夜にあって、人は、天界と対峙するというより、月の船に乗り、星の煌く海、雲の峰々を漕ぎ渡っていったりしたのではなかろうか。そう、背中を吹き抜ける風は、とっくのうちに爽やかさではなく、寒気を覚えさせるものになっている。人肌も恋しくなる。
 それにしても、掲げた写真は、朝、六時である。ちょっと暗すぎるような。写真のほぼ中央に写る丸く淡い光は、勿論、太陽ではない。といって、月影でもない。有明の月だったりしたら、嬉しかったが、住宅街に、それとも、吹き払われることのなかった雲に遮られて、月の姿を見出すことができなかった。
 そう、電信柱にぶら下がる街灯である。その街灯が、やたらと眩しく光っている。空は雲も切れていて、もう少し晴れ渡った感じを写真に撮れるかと期待していただけに、ちょっと意外なほどの暗さが際立つ。
 時代の雰囲気なのだろうか。夜明けという言葉でネット検索したのだけど、本当の夜明けには、まだ相当に時間が掛かるという暗示なのか。
 それでも、夜は明ける。人は動き出す。とにかく、今日の一日を生きるのである。

 夜明け前月の影追う未練かな

 雲の峰月影覆って遠い朝

 三日月に不意を喰らって惑う我

 月影を面影と読む秋の夜

 
(「冬 曙 (ふゆあけぼの)」のことに触れることができなかった。調べられなかったのです。誰か、この言葉について知っている人、何でもいいので、教えて下さい)

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2004/11/16

冬に入る

tanu-7171.jpg

「冬に入(い)る」というのは、冬の季語のようである。「11月 季語 句」をキーワードにネット検索してみて1万を越える検索結果の14番目に見出したもの。
 それは、「黛まどか「17文字の詩」99年11月の句」と表題にあり、当該頁を覗いてみると、次の句が載っていたのである(その解題は、案内のサイトを覗いてみてほしい)。
 但し、「「冬に入る」とは、陽暦で11月7~8日に当たる「立冬」のこと。俳句ではこの日から季節は冬に入るとされています。」という点だけは、小生自身のメモとして転記しておこう。ま、俳句の世界では、先週から冬に入っているわけである:

 大切なもの皆抱へ冬に入る

 尤も、その前の、「団栗の拾はれたくて転がれり」も、なかなか暖かみがあって、いい。団栗(ドングリ)が秋の季語として出ていて、秋の季語として、今日、採り上げるにも相応しい。
 が、今夜は昨日の雨のせいもあり、寒気が入り込んでいるようだし、いよいよ晩秋の趣が濃くなっている。まだ、冬には幾分の間があるのだが、これまでの中途半端な温みに馴れた体には、冬の到来を予感させて、つい、「冬に入る」を選んでしまった。

 今度は、「冬に入る」をキーワードにネット検索してみる。四千余りの検索結果の筆頭には、なかなか好ましいサイトが浮かび上がってくれた。「季語の風景|冬に入る」である。
 写真(写真部・河村道浩)も素晴らしい。「文・山崎しげ子(随筆家)」となっている。小生の日記を読まれてきた方なら、ああ、前にもこのサイト(書き手)が出たな、と感づいたことだろう。
 文章もいいが、彼女の句も素敵だ:

 蔦の葉の紅を深めて冬に入る

 そうそう、この一文を読んでいて、菱田春草が「落葉(らくよう)」と題された屏風絵を制作して二年程で失明し、「三十八歳の若さで他界した」ことを知った。
 せっかくなので、その絵を「国民絵画の創出―菱田春草『落葉』」というサイトにて、鑑賞してみる。岡崎乾二郎氏の興味深い解説があり、小生としては、このサイトの発見だけでも、日記を書いた甲斐があったというものである。

 この他、ネット上で、「冬に入る」を織り込んだ句が幾つも見つかった(ちなみに、このキーワードだと、上掲の黛まどか氏の句は9番目に登場した。人気を実感する)。ここでは一つだけ:

 凪わたる地はうす眼して冬に入る    飯田 蛇笏

 何故、一つしか挙げないか。実は、「冬に入る」と題された小説があるらしいと分かったからである。それは、「 「冬に入る」を検証する。 ……… 上野友紀子 」をヒットしていたことで分かった。
 このサイトによると、「「冬に入る」は、昭和二一年(一九四六)一月に筑摩書房より発行された雑誌『展望』
の創刊号に掲載されている。 」という。
 どうやら、終戦直後の日本の食糧事情、衛生状態の劣悪さが齎した数千を越えるという餓死者という現実を背景にした小説のようである。
 だが、書き手は誰なのか…。読み進めていくと、中野という名前が出てくる。ということは!
 よって、「冬に入る  中野重治」をキーワードにネット検索する(ヒット件数34!)。すると、やはり案の定で、中野重治の小説なのだった。
 言うまでもなく、中野重治の「冬に入る」という題名は、(恐らく)俳句の季語とはまるで関係ない。検索の網に掛かった「中野重治研究【1】 中野重治と「戦後最初の五年間」  草間健介」を覗いてみる。草間健介氏は、「中野は、単純に季節の「冬」に入ることをさして題名としたのではないと私は考えている」と書いている。
 ついでながら、上掲の一文に引用されている、イェーリング『権利のための闘争』の言葉は、峻烈で、小生には眩しい。念のため、転記しておくと、「あらゆる権利の心埋的源泉、を法感情という。法感情が被った侵害に対して反応する力は、法感情の健康さを試す試金石である。感受性すなわち権利侵害の苦痛を感ずる能力と、実行力すなわち攻撃を撃退する勇気と決断は、健全な法感情の二つの規準だ。」
 たまには、こういう文章も読んで、気合を入れておかないと。

 さて、日記らしいことを少々。この久しぶりの連休は、メルマガも出したし、掌編も一つ書いたし、日記は欠かさず書いたし、この「無精庵徒然草」の別室として、掌編など創作系を載せるための「無精庵方丈記」を設け、三つだけだが、未アップだった掌編などをとりあえず載せたし、まあ、やるだけのことはやったと思う(思いたい)。
 ところで、メルマガなどで示してあるように、この「無精庵徒然草」は、ニフティと同時に、melmaでも出している(「melma!blog」後者には、カウンターが初めから備わっていて、ただ今の数字は、7066である。一日に150回以上、数字が増えている。
 ちなみに、ニフティの「無精庵徒然草」には、土曜日の深夜に設置。今のところ、累計アクセス数が65 となっている。両方を合わせると、日に200回以上の来訪がある、ということなのか。他にホームページへの来訪もあるし、覗かれる回数だけは、なかなかのものだ。
 なんだか、ちょっとプレッシャー?!
 そのプレッシャーを跳ね除けるには、駄句作りというプレジャーが一番:
 
 冬に入る心構えもそこそこに
 秋の香を愛でる間もなく冬に入る
 紅葉を待ち焦がれる間に冬に入る
 ひとり寝の憂きに疼いて冬に入る
 味噌汁を啜る音聞き冬に入る
 冬に入る落ち葉の蒲団被りつつ
 降る雨がいつしか雪に冬に入る
 静かさを持て余しつつ冬に入る

 掲げた絵は、小生がtanuさんサイトで7171というきり番をヒットしたと告げたら、プレゼントとして作ってくれたもの。忙しいのに、ありがとう! 嬉しい! 

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2004/11/15

荒む心

 荒(すさ)む心などと、穏やかでない表題を選んでしまった。
 別に、仰々しく現代社会を切ってみせよう、などというのではない。
 先月、小生は、「適正診断」を受診してきたのである。これは、独立行政法人の自動車事故対策機構が主宰しているもので、タクシーやトラック、バスなどのドライバーや、その管理業務に携わる者など、自動車運送事業者に義務付けられている、文字通り、車の運転の適正を診断しようというもの。
 小生は、タクシードライバーになって九年を越えた。二種免許を取得したのが、95年の8月、正式に運転手として働き始めたのが翌9月の下旬なのである。
 当初は、自分に運転もそうだが、接客業であるタクシー稼業が務まるか、心配だったが、とにかく、無事これ名馬じゃないが、今日まで大過なく勤めてくることができた。自分なりの努力もないわけではないが、やはり、東京という交通事情の厳しい、地理も複雑を極める場所で、なんとかやってこれたのには、運もあったのではないかと思う。
 ドライバー…、日本語では、運転手。まさに、「運」に弄ばれ天に転がされる面も多々、あるのだ、だからこその運転手なのだと、つくづく思う。
 昨年の10月に、酔払い運転の車が信号を無視して(気がつくのが遅れて)交差点に突っ込んできて、あわや大惨事になりかねない状況に見舞われたこと、小生、肝に銘じているところである(この詳細は、「小生、事故の当事者となるの巻」を参照のこと)。
 自分が気をつけても、どうにもならない…、生きている道路をつくづくと実感したし、運転する状況は一瞬ごとに変化する、決して同じ状況など(似た状況はあっても)ないのだということを、仕事をするたび、日々、痛感している。

 さて、本題に戻ろう。適正診断の結果票を過日、貰った。その内容に、実は感じるところがあったのである。
 9年に渡るタクシードライバー歴で、この診断を多分、4回受けている。
 一番最初の時は、結果が良かった。診断は、主に二つに分けてされる。心理適正診断と視覚機能診断である。
 最初の時、良かったと言うのは、その両者が、適正だったということである。
 それが、視覚機能診断は、多少の波はあっても、ほぼ適正に終始し、今回も、概ね良かった(5段階評価の5がほとんど)。
 が、心理適正診断のほうは、診断結果が低下の一途を辿っているようなのである。ほとんどが、5段階評価の3で、中には2もあった。小学生の頃の通知表より、若干、マシな程度の結果である。
 ちょっとショックだった。この心理適正診断は、「感情の安定性」「協調性」「気持ちのおおらかさ」「他人に対する好意」「安全態度」の5項目ある。それらの診断結果が芳しくなかったということなのだ。
 しかも、診断ごとに劣化しているようでもある。むしろ、この低下傾向に感じるものがあったのだ。
 上記したように95年の9月にタクシー業務に携わった。最初の1、2年は、地理不案内もあり、接客業の難しさを痛感したり、とにかく無我夢中の日々を過ごした。
 が、景気もバブルが弾けた後遺症も癒え始め、経済成長率も3から4%になってきたりして、とにかく、忙しかったのである。休憩も、回送にして路上の人影を避けるようにして、取るしかないという状況だった。
 それが、一変したのは、97年の8月だった。橋本龍太郎氏が総理大臣の頃で、旧大蔵省のいいなりになったのかどうか分からないが、その4月に消費税が3%から5%になり、特別減税を廃止するなどし、消費税アップの駆け込み需要が一巡した8月に、一気に経済が奈落の底に突き落とされてしまった。
 加えて、タクシーへの規制が緩和されて、タクシー業界への参入が容易になった。結果、タクシーの台数が一気に増えた。これらのことが負の相乗効果となって、日本経済のみならずタクシー業界も直撃してしまったのである。
 小生(に限らないが)の売り上げは、前年比8割、7割と落ちていって、98年の1月には5割を切るまでに落ち込んでしまった。
 その後、特別減税の実施などがあり、多少は持ち直したものの、消費税アップ前に比べて7割のレベルを超えることは、結局、今日に至るまで、なかったのである。
 このことは、小生のみの売り上げがダメなのではなく(それだったら、小生の怠慢に尽きる!)、大方のドライバーの数値を見ても、同じ傾向を示す。特に小生のように、流しでの営業を好む者の打撃が大きい。
 この3割以上の売り上げの低下、つまりは収入の低下は大きい。しかも、消費税アップ前は、月に一度は休んでいたりする。今は、お盆と正月以外は、休まない(休めない)のに、3割の低下なのである。
 生活は、完全に一変してしまった。好きな美術館通いも止め、たまに誘われていく温泉も借金の上積みを覚悟となり、昨年は多少の無理をしてライブに行って楽しんだりしたが、それは論外となり、今年に入っては、文庫本も含め、本を買うのを止めてしまった。口に入るもの以外は、電気・ガス・水道・電話を除けば、払う項目で大きいのは、税金という始末である。
 つい最近、食べ物以外で買い物をして嬉しかった。それは傘。それも、ビニール傘で、なんと、スーパーで105円で売っていたので、つい、衝動買いをしたのである。傘を買ったのは(数年前に福袋の中に入っていたのを除くと)、十数年ぶりだと思う。
 生活が最低限の水準でやっと保たれている…。テレビも数年前に壊れたのを機に、やめた(NHKの受信料も、昨年から支払いを止めてもらった)。
 別にカネが全てだと思わないが、外出の一切ができない(動けばカネがなくなるようで)というのは、やはり異常だと思う。走っても走っても、お客さんが見つからず、仕方なく、適当なところに車を付けて、お客さんをずっと待つ。そんな日々が数年続いている。空車で走り回るだけの日々というのは、繁忙で体が疲れる以上に、遥かに神経が磨り減るものである。
 一体、オレは何をやっているんだ、という日々の7年が続いているのだ。不況なのにタクシーの台数を増やして、利用者には便利なのだろうけど、運転手は苦しいだけ。まさに、文字通りの身を切るだけのサービス業になってしまっている。
 そんな中、工夫の余地は、いろいろあるのだろう。でも、業界全体の地盤沈下という現実は微動だにしない。
 タクシーをやっていて楽しいことはいろいろある。その数々を書いてみたいが、そんな元気など、出ない。自分なりに走るルートを探し、お客さんの多そうな場所を見出し、売り上げを伸ばしていく…、そんな日々が儚い夢だとあっては、元気も出ようがないのである。
 やってもやっても、成果が出ない、その不毛の日々が自分の心を荒れさせているような気がする。荒(すさ)む心。余裕のない心。思いやりに欠ける心。情緒不安定な精神状態。その全てがやがて安全態度の劣化に繋がっている…。
 というわけで、今回の日記は、愚痴に終始しました。

 話は飛ぶけど、「無精庵方丈記」も、宜しくね。
 

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秋湿り

 今日のタイトルを、最初は「雨冷え」にしようかと思っていた。シトシト降りつづける底冷えしそうな冷たい雨を思えば、何気なく付しても、違和感のない、そんな気がしたのである。
 実際、「雨が降り寒さを感じる事。 秋の季語」と説明しているサイトもある。
 が、例えば、別のサイト「季語の四季」だと、「雨冷え」は、冷やか・秋冷・朝冷え・夕冷えなどと同列にされており、「秋も深くなって、冷え冷えとしてくる感じ」なのだが、「冬の冷気とはちがい、快い冷気」となっている。困ってしまう。
「秋湿り(あきじめり)」は、これも別のサイトによると、「秋の頃、長く降り続いて湿りがちな事。また、その雨。」とあり、昨夜来のじっとりした長雨に相応しい表現であるような気がする。
 しかし、歳時記も手元にないし、秋の季語にはそれぞれに微妙な使い分けなり、言葉の使われてきた伝統もあって、使い方を間違っているのかもしれない。
 他にも、前にも紹介した、秋霖(しゅうりん)など、秋微雨(あきこさめ)、秋さづい(あきさづい)、秋時雨(あきしぐれ)、秋驟雨(あきしゅうう)…と、数々の秋の雨を表現する言葉があることを思うと、たださえ季節の移り変わりにも、豊穣なる言葉の世界にも鈍感で疎い小生、気が遠くなるようだ。

 夏の暑さの名残の残る頃だと、雨が降ると、近くの雑草の原から湧き上がる咽るような草の香に鬱陶しくなったりしたものだが、さすがに今ごろともなると、匂いも篭ったりしない。虫の音も、とっくに聞かれなくなっている(尤も、未明に季節外れの蚊に悩まされ、仕舞うのを躊躇っていた蚊取り線香を慌てて使う羽目になった)。
 生命のざわめきが、雨に祟られ、一層、深い静寂の海に沈んでいってしまうようである。今も緑を保つ木の葉の多い、東京の場末の街路樹の葉っぱたちも、雨に息を吹き返す、というより、身を縮こまらせているようだ。
 本を読んでいても、ふとした折に雨の音が耳に障る。部屋の中が、冷え切っているから、好きな雨降りなのに、寒々として感じられてしまう。

 そんな背中がゾクゾクするような昨夜半過ぎ、小生は読んでいた本を置き、スタンドの明かりを消し、やおら、パソコンに向かった。
 そう、創作に専心するためである。例によって、何を書く当てもない。なのに空白の頁を画面上に用意する。まっさらな画面。一体、何を書いたらいいだろう。
 こんな時、弱気になると、つい、過去の作品を覗いて見たくなる。が、これだけは、我慢する。無論、人様の作品も尚更、目の毒になるし、どうしても引き摺られてしまうので、閲覧するなど論外である。
 が、どうにも弱きの虫が疼く。そんな時は、連作に限る。先月末より、「ディープスペース」シリーズを書いていて、第二作は「バスキア!」、第三作は「ポロック!」、第四作は「フォートリエ!」と書いてきたので、第五作目を書くのが無難だろうと思う。
 では、一体、次に、どの画家をイメージするか。クレー? ムンク? デュヴュッフェ? ミロ? ヴォルス? あれこれ思い浮かべた挙句、過日、展覧会があったデルヴォーだ! と思い至った。
 その前に、「バスキア!」、「ポロック!」、「フォートリエ!」というタイトルだが、これらの作品は、別に画家を採り上げたわけではない。また、画家の特定の作品をイメージしたわけでもなく、もっと懸け離れた位相に立って書いている。諸作品を見て、様々な印象を受けるが、その個々の印象などは忘れ去って、あくまで小生の脳裏に残滓としてこびり付いている何かを、掻き削るようにして書いてみたのである。
「デルヴォー!」も、同様である。
 というより、デルヴォーというと思い浮かぶ、「機関車 ガス灯、ギリシャ彫刻、母」などの紋切型のキーワードを作品の中に鏤めるようにして書いた、といったほうが近いかもしれない。
 他にも、ハンス・ベルメールや、エゴン・シーレ、清宮質文、長谷川潔…と、数知れない作家の作品が小生を刺激してくれる。
 それにしても、絵画の世界というのは、現実の世界なのだろうか、虚構の世界なのだろうか。風景画を見て感じ入ったりするというのは、傍から見ていて滑稽とまでは言わないまでも、どこか奇妙だったりする。
 写真作品についても、時に同じ感懐を持ったりすることがある。画廊などで写真の数々が展示してある。人々が見て回る。なるほど、小生にも感じるものがある。秘境や酷寒の地、あるいは日常では見逃しがちな人の表情、路傍の花々。
 でも、それだったら、確かに簡単には見れない場所の絵柄なら、それは専門家の手になる写真を見るに敵うはずもないが、道端の草花や木々、路傍や家の片隅の小動物なら、自分の目で見れるし、一滴の水滴の与える完璧感・宇宙漂流感などは、写真や絵や音楽より、我が肉眼で感じるもののほうが遥かに豊かじゃないか、と思ったりする。
 何を好き好んで人様の作品を介して自然や風景を眺める必要がある。
 勿論、芸術家の目の先に垣間見られる世界は、ボンクラな小生とは隔絶した世界があるのだろうとは思う。
 けれど、それでも、小生は、真っ白な画面に向かい、目は画面を見ているはずなのに、脳裏の奥では、なんだかまるで異質な世界、虚構の世界という安易な言葉でしか、取りあえずは指し示すことの出来ない、とてつもなくはるばるとした夢幻なる世界が広がり始めている。
 自分にできることは、その世界の断片を下手な腕でもぎ取るようにこの世に持ち来たらすだけのことなのである。もがないで、もっと優しく繊細に、その形そのままに、とは思うけれど、これは技術と修練と丹精篭めた思いが必要で、なかなかに叶わぬ心の塩梅の問題があって、尽きせぬ夢、見果てぬ夢の世界のことのようだ。

[閑話休題じゃなく、編集後記でもなく、お知らせ]:
 おっと、肝腎なことを書き忘れるところだった。当面、メルマガの配信は続けるものの、従来、虚構作品の類いは、メルマガでの公表を介さず、時間の空いた時に随時、直接、ホームページに掲載していたが、これでは、いつまでたっても、書き下ろしの虚構作品の、書いてすぐのアップという理想の状態が実現しそうにない。
 そこで、このブロッグの別窓を作り、そのサイトに随時、アップしていくことにした。そのあとで、暇な折にホームページに安置する、という段取りなのである。
 但し、ここしばらくは、今までホームページに掲載しきれていない諸作品を随時、掲載していくことになる。溜まっている作品を収納し終わった段階で、我が理想であり、ネットの強みである、書いた虚構作品を、ホットなうちに、もしかしたら御こげのある状態で公表するという状態が叶うものと思う。
 その別窓とは、「無精庵方丈記」である。この日記風、エッセイ風の「無精庵徒然草」共々、宜しくお願い致します。

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2004/11/14

むかごの秋

s-DSC01091.jpg

 タイトルをどうしようかとネットを巡っていたら、「むかご」に出会った。
 尤も、その前に、薺粥(なずながゆ)という言葉が気になっていて、この言葉にしようと思っていたのである。できれば画像などを閲覧できるサイトはないかと探しているうちに、この「むかご」に行き当たったのだった。
 それに、「広辞苑」によると、薺粥(なずながゆ)は、「正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥」ということで、やや季節外れでもある。
 そうはいっても、何故に「むかご」が引っ掛かったのか、分からない。何か、遠い遠い記憶、思い出というには朧すぎる記憶の欠片が、脳裏の片隅でモヤモヤしている。
 先に進む前に、むかご(零余子) の画像を見ておきたい。「食材事典   美味探求」を参照する。
 示したサイトの説明によると、「山芋の葉の付け根にできる小指の頭ほどの球芽です。小さな粒の一つ一つに山芋の香りとコクが凝縮されています。 噛んで外側の皮をプスッと破ると中のトロッとして、かつ上品な中身が出てきます。くどくはないがコクはあるのです」とある。
 さらに、「ムカゴご飯は秋の味覚」とも。
 出来上がった、「むかごの炊き込みご飯」を別のサイト「花山村の自然薯で見てみる。
 ここでは、むかごの炊き込みご飯(零餘子飯)の画像と共に、むかごの自然薯や山芋からの出来方などが説明してある。
「「むかご」とは自然薯や山芋が子孫を効率的に増やし残す目的で、つるの途中(葉の付け根)にたくさんつくる5mm~10mm程度の小さなイモのことです。葉の1つ1つにできるので、1つのつる全体では、大小合わせて100個以上できます。」という。
 小生は、幼い頃にでも、むかごご飯などを食べたことがあるのだろうか。栗御飯や赤飯、たけのこ御飯、松茸ご飯などは、目にしたことはあるが(というのも、松茸ご飯は、松茸・椎茸が嫌いなので、目にしても口にしなかった。松茸を除けながら、ご飯だけ食べていた記憶がある)、むかごご飯となると、どうったろう。
 ただ、朧な記憶の隅を掻き削るようにして思い出してみると、むかごを何処かの林か森で拾って遊んだ微かな場面が浮かんでくる…ような気がする。
 何処かの森か林…。実に、情ない話である。お袋に、里か、それともお袋の姉妹の嫁いだ山間(やまあい)の家に遊びに行った時の体験があるのかもしれない。
 拾い集めて、一体、どうしたものだったか。
 ただ、「いちぢくにんじん さんしょでしいたけ ごぼうでむかごで ななくさやえちゃん ここのでとう」だったか、童歌(わらべうた)というには、流行った歌ではないのだが、何かの遊びの折に、この歌を聞かされたような、歌ったような曖昧な感じがある。
 それともラジオで聞いたのだったか、あるいは近所の誰かに聞いたのか。
 もどかしい。スッキリしない。でも、むかごの感触、手の平に一杯載っけたり、投げて遊んだような…、そうだ、投げた記憶はある!
 まさか、この歌で、一から十までの数え方を学んだわけでもなかったし。
 そういえば、銀杏(ぎんなん)ではないが、むかごを焼いている場面、それとも臭いを覚えているような。これも、曖昧すぎて、もしかしたら、むかごを焼く場面をテレビで見て、それで子供の頃の記憶がフラッシュバックされたことが、それこそ、ずっと以前にあっただけかもしれない。

 むかごは、秋の季語である。ネットで「むかご」という言葉を織り込んだ句を探してみた:

  二つづつふぐり下がりのむかごかな     宮部寸七翁
 
 これは、「日刊:この一句」で発見。坪内稔典氏の説明も読める。

  むかご飯むかご少なく炊くがこつ

 この句は、「ふらんす堂 おすすめ新刊紹介」で発見。遺句集の『恒子の玉手箱  後藤恒子句集』の中にあるようだ。

  落ちてもう土の顔する零余子かな

 この句は、「島春句自解」の中で見出されたもの。

  繚乱の木の香草の香むかごめし

 これは、「2002年12月 藍生 主宰句 崩れ簗 黒田杏子」で発見。
 最後の二句以外は、俳味より川柳の味がするような。手触り感や外見などといったむかご特有の持ち味なのだろうか。それとも、俳句の守備範囲の広さなのだろうか。
 小生の好みは、「二つづつふぐり下がりのむかごかな」も捨てがたいが、「落ちてもう土の顔する零余子かな」が印象的。ドングリじゃないけど、地面に落ちちゃうと、もう、前から落ちていたような溶け込み方。そして、本当に土に還っていく。

 さて、例によって、小生の駄句を示しておかないと、示しが付かない?!

  むかご生(な)る梢の先の秋の空

  むかご投げ木の幹に鳴る音を聞く

  むかご採り夢中で拾って投げ遊ぶ

  むかごの実踏み躙っても癒えぬ傷

 以下の一連の句は、それぞれある人の句(川柳)に寄せて、あるいは連想する形でひねったもの。ある方の句は、「旧無精庵徒然草」で読める。

          恋に暮れ理性の柱根腐れし

          古い夢熾き火のごとく燻って

          マイウエイ歌ってる傍からリストラに

          ときめきをひといろに染め明けの月

          鬱にても風邪を引いたらクシャミする

          税金を督促されて早五年

          何か言う白々しさも思いやり

          しがらみを背負いつづけて生き甲斐に

          遠ざかる面影追って眠られず

          生きていく年輪の数癖を持つ

 忘れていた。今日、二週間ぶりにメルマガを配信した。目次だけ、示しておく:

   目次:●1.閑古鳥が鳴く!
      ◎ 勝手にサイト紹介:田川未明さんサイト
      ●2.前田普羅のこと
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか

 冒頭に掲げた写真は、金曜日の営業も、ようやく終わりに近付いた土曜日の朝焼けを撮ったもの。徹夜仕事の後の陽光は、やたらと眩しい。何もわるいことをしたわけでもないのに、責められているような。夜通し働くんじゃないよ、とでも、伝えたいのだろうか。

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