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2004/11/13

木枯らし1号が吹いた

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 車中での楽しみは、時にお客さんと交わすお喋りもあるが、最近は、お客さんが一人でも、携帯電話で誰かと話をしたり、そうでなくとも、ピッピッと何かやっている。メールでも流そうとしているのか、ゲームに興じているのか、いずれにしても、数年前よりはお客さんとのお喋りという楽しみの機会も減っている。
 尤も、自分に付いては、あまりに長い不況で口を聞く元気もなくなっているような気もするのだが。
 で、お客さんが乗っていない間は、ラジオ(やCD)を聞くのが楽しみであり、また、情報源ともなっている。
 音楽のことは、前にも書いたし、今日は、ラジオから仕入れる雑然たる情報を思い出すままに書き連ねてみたい。
 ここなどにメモ書きすることで、後日、エッセイやコラムを書く時の格好のネタになる、そんなことを期待してのことだが、大半は気になりつつも、次から次へと飛び込んでくる情報の渦に押し流されていくのだけど。

 今週初めの営業の時(月曜日)、「俳句力」という言葉と話を(NHKラジオで)聞いた。小林木造という方が、まさにこのタイトルの本を出されたという。一部では話題にもなっているらしい。小生は、全くの初耳である。
 調べてみると、『俳句力―ゆっくり生きる』(日本放送出版協会)である。なんだ、NHKが自社で出した本の宣伝をラジオで行っているだけのことか…、そんな落ち(?)もあったけれど、それでも話の内容は、聞きかじりだが、なかなか面白かったという印象が残っている。
 ネットで本書の謳い文句を調べると、「東京・荻窪の古びた木造アパートに暮らす自然観察漫画家が、緻密な四コマ漫画で描く、「俳句的生き方」の世界。『NHK俳壇』テキスト掲載「俳句一年生」と、都市の小自然を描いた「東京地方区フィールドノート」を収載。」とある。
 ちなみに、著者名=俳号の「木造」は、著者が木造アパートで長年暮らしてきたことから採ったという。紹介文の中の、自然観察漫画家というのもポイントで、必ずしも売れっ子ではないらしい(?)著者が、漫画を描くに際し、自然観察を積み重ねてきた、その経験が俳句作りに生きている、そんな話も聞けた。
 ネットで探すと、「日刊ゲンダイに掲載された書評」が見つかった。「この作品は教育テレビの講座番組「NHK俳壇」のテキストに掲載されていた連載の単行本化」だとか、「著者の小林木造氏は、生活の糧として官能劇画を描くかたわら、趣味で描いた小さな動植物をテーマにした「自然観察漫画」で注目を浴びる漫画家」といったことが書いてある。
 その上で、「空き地に咲いているソバの花や、公園のケヤキの幹に産み付けられたシロホシテントウの卵など、多くの人が見過ごしてしまう身の回りの小さな「自然」を注視したその作品は、ミスマッチと思われる俳句に相性がぴったりなのだ。というよりも、小さな命をいとおしむように見つめるその作品自体がもはや俳句の域に達しているようにも思える」という紹介が関心を惹く。
「本書では、俳句に初めて挑戦することになった著者が歳時記を買いそろえるところから始まり、句会や吟行に足しげく通って俳句を作る過程をこまやかに描きながら、句会の仕組みや、句作のポイントなどを紹介する」というが、この四ヶ月あまり、駄句作りに勤しんできた(?)小生には、俳句にまともに取り組む著者の姿勢が眩しいし、参考になる。
「俳号の木造は、住まいの築38年の木造モルタルアパートにちなんで思いついたもの。著者は、この風呂もクーラーもないアパートに26年間も住み続けているという」のも、著者の売りに(出版社によって?)なっているのだとしても、それはそれで一つの姿勢なのだと感じ入る。
「自己表現は個の確立につながっていくから「俳句力とは、イコール生きる力」と」著者は主張しているらしいが、確かに小生についても、執筆という形で自己表現をすることで、ふわふわした我が人生に幾許かの芯が通っているのではと思ったりする。書く、徹底してあれこれと書いていくということに拘っていくことで、やっとバラけがちな自分が保たれているのかもしれない。
 著者がどんな漫画を描かれるのか、一つくらいは見たかったが、ネットでは見つからなかった。
 小林木造氏の情報をネットで検索していたら、『中年からの俳句人生塾』(著:金子兜太 海竜社)という本の、やはり「日刊ゲンダイに掲載された書評」が見つかった。本書については、ここでは敢えて中身について触れないが、過日の日記でも金子兜太氏の名が出てきたこともあり、近いうちに読んでみたい本としてチェックしておく。

 同じ日だったと思うが、補助犬の話を断片的にだが聞いた。
 補助犬という名称は、やや耳に馴染みが薄いかもしれない。介護犬や盲導犬、聴導犬と、人の生活などを介助する犬がいろいろあるが、その総称らしい。
日本介助犬アカデミー」という特定非営利活動法人の公式サイトがある。
 その表紙の冒頭に、ちゃんとした説明がある。
「身体障害者の自立を助ける犬-身体障害者補助犬- には、視覚障害者の誘導をする盲導犬、聴覚障害者の耳の代わりをする聴導犬、そして肢体不自由者の動作を介助する介助犬があります。」という。
 ラジオでは、介助犬の話を聞きかじったようである。介助犬の訓練内容とは、「上肢機能の代償として落としたものを拾ったり手の届かないものを取ってきて渡す他、電気等のスイッチ操作、ドアや引き出しの開閉、荷物の運搬、車椅子を引く、姿勢保持や歩行を助ける、体位・肢位移動など、障害者のニーズに合わせた作業訓練を受けます」という。
 ここには、詳しくは書かないが、犬が好きという方に限らず、詳細を上掲のサイトに当たってみて欲しい。特に、「よくわかる補助犬同伴受け入れマニュアル  ~盲導犬・聴導犬・介助犬~」は、もっと広く知られてもいいのかと思った。
 話では、話の本筋ではないのかもしれないが、アナウンサーから、補助犬(介助犬)について、最後に何か特に言っておきたい事はありますかという問いへの返事が印象的だった。
 書き漏らしているが、話をしていたのは、高柳友子氏(日本介助犬アカデミー専務理事、東京医科歯科大学大学院国際環境寄生虫病学分野講師、内科医師)だったと思う。
 さて、彼女が最後にされた話とは、介助犬(補助犬)も、基本的には犬であり、生きている動物だと言うことだ。
 つまり、こうした犬は、上述したように訓練された犬であり、やたら吼えたりはしないし、まして人にどうこうはしないが、ただ、例えば、尻尾を踏まれても「ワン!」の一声も発することがない、というわけではない、ということ。
 何をされても大人しくしていない、虐められても黙っていることを期待されるのは酷だという話。そりゃそうだよね。あくまで、人のパートナーであり、その前に生きている動物なのだということは、周りの人も理解すべきなのだろう。

 他にも、ラジオで今週聞いた話だけでも、いろいろある。羅列しておくと、「童歌(わらべうた)」の話(小生、エッセイ「童謡・唱歌の世界に遊ぶ」などで採り上げてきたが、これからも折を見て、改めて探究してみたい。童歌の世界は奥が深いのだ)、「十月桜」の話、「明珍火箸」の話(ラジオで火箸同士がぶつかって生じる音だったろうか、澄んだ妙なる響きを聴いて感動したものだった)、「ニキータ・ミハルコフ」という映画監督の話、前にも違う脈絡で触れたことがあるが、「炭の復活」の、「11月13日、ヘリコプターの初飛行成功」にちなむ話(但し、「ヘリコプターの日」は、4月15日である。

 一週間で聞いただけで、これだけなのだ(他にも聞いたが洩らしていると思う)。もう、エッセイなどのネタは、ゴロゴロしている。
 ここに小生が車中で、暇の徒然に感じたことを多少なりとも、それも箇条書きで付け加わるわけだし、他に、仕事中に見る都内の風景や奇妙な看板、広告、人物などを並べ立てると、項目だけで日記がパンクしてしまうのである。
 これなど、タクシー稼業の余禄というものだろうか。
 
 そうだ、一つだけ、金曜日に何処かで見かけた店の看板(店名だったかな?)に絡めて遊んでいたことをチラッと。
「やまとや」と書いてあったと思う。
 小生、結局は挫折に終わったのだが、この「やまとや」を使って、駄句など綴れないかと、苦心惨憺していた。
「やまとや」を三文字ずつに組み直して、「やまと」、「やとま」、「とまや」、「とやま」、「まとや」、「まやと」にする。
 例えば、「やまと」は「大和(他に、山戸や山門など)」だし、「やとま」は、「屋と魔」とか「矢と魔」などだし、「とまや」は、「苫屋」(参照:見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ)だろう。
 また、「とやま」は、言うまでもなく「富山(他に、外山や戸山など)」だし、「まとや」は、「的や(つまり、無理を承知で的屋だ?!)」だし、「まやと」は、訳が分からないのだが、無理を圧して「マヤと」とか、「麻耶(真野など)」などと当て嵌めるわけである。
 あとは、順列と組み合わせで、何か駄句がひねり出せないかと、休憩を兼ねて駅で待機しつつ考えていたら、お客さんが乗ってこられて中断、あとを続けることができなかった。
 ま、そんな遊びなどをダラダラとやっているわけである(そんなことばっかり、やっているわけではない! 念のため)。
 参考のため(何の参考なのか、小生にも、さっぱり分からないが)、帰宅して寝入ろうとしたら、ふと、そうだ!「トマト」もあるじゃないか! と閃いたことを蛇足ながらに付け加えておく。
 ま、これで、駄句を綴るための素材は、随分と纏まったわけなのだが、さて。

 冒頭に掲げた写真は、十日前に都内で撮ったもの。写っているのは東京タワーである。ちなみに、小生、一度は上ってみたいと思いつつ、今日まで念願が叶っていない。誰か一緒に登って欲しい。
 さて、その写真、写るは粉雪…、かと思いきや、ジャーン、違うのです。近くの工事現場を通ったら、埃を舞い上げないように撒く水を跳ね上げ、フロントガラスなどが呆気なく飛沫に汚れてしまったのです。
 黙って、十一月の三日に都内で小雪が降りました、この写真がその証拠です、などと言ったら、皆さん、信じてくれるだろうか……。やっぱり、無理そうな雰囲気。
 というわけで、表題の「木枯らし1号が吹いた」に、とうとう、全く辿り着けなかった。ま、頭の中に木枯らしが吹いて、書くのを忘れた、などとも言えないし、この話題は後日、(覚えていたら)書くかも。
 以下の駄句の仕掛け、分かるかな:

 木枯らしよ富山の苫屋飛ばすなよ
 木枯らしに草葉の陰で地蔵泣く
 木枯らしも澱む心を吹き抜けず
 木枯らしを丸ごと受けて撓む木々
 木枯らしか唐辛子かと聞き違え
 木枯らししきりの夜の東京
 木枯らしな吹きそ我が胸に
 木枯らしは冬将軍の先触れか
 木枯らしな吹きそ彼の髪に
 木枯らし白樺の枝葉殺いでいく
 木枯らしに洗濯物の揺れており
 木枯らしな止みそ塵埃の消ゆるまで
 木枯らし空気の澄みて星増える

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2004/11/12

金星の光と影…影法師

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 いきなり金星の話題などを持ち出すのは、別に、「木星、月、金星が天体ショー」をこの10日の明け方に演じて見せてくれたからではない。
 小生が、この「金星と木星の間に月」が並ぶ光景を肉眼で目にしていたら、大騒ぎしているところである。
 また、天文学ファンなら、常識なのだろうが、今年は、金星の年だから、というわけでもない。「130年ぶりに見える大天文現象「金星の太陽面通過」をはさんで、2004年前半は夕空で宵の明星,2004年後半は夜明け前の東の空で「明けの明星」として絶好の観測条件とな」るなんてことは、今日、たまたまネット検索していて初めて小生は知ったのである。
 当然のことながら、「2004年11月5日ごろ、明け方の東の空で金星と木星が接近」するという天体ショーも、見逃している。

 実は、過去にメルマガに掲載した文章で、そろそろホムペの「エッセイ祈りの部屋」にアップするのに相応しい文章はないかと探していて、それはそれで見つけたのだが、その過程で、「金星が作る影法師?!」(02/01/20 記)という文章を見つけたのである。
 短いので、全文を引用しておく:

 ある本(佐々木正人著『知覚はおわらない』青土社刊)を読んでいたら、ちょっと驚く記述に出会った。
 その本の中のインタヴューの中で、ある人が、「金星の光が強くて、月のない夜には外に出るだけで金星の光が影法師をつくった」と述べているではないか。
 本当だろうか。小生には、本当だとも、そんなことはありえないとも言えない。
 事実なのだとしたら、機会にさえ恵まれたら、自分で確かめることができる…。
 ところで、愚かなことだけど、その記述を読んだ瞬間、小生は、金星が作る影法師を赤く脳裏に描いてしまった。
 勿論、そんなことはありえない。金星が赤いったって、赤くなりえるとしたら、人の周囲が赤っぽくなるのであって、影法師は、影なのだから、黒っぽいに決まっているのだ。
 でも、一瞬とはいえ、そんな赤い影を思い描いてしまったことは否定できない。
 それでネットで「金星 影法師」で検索を掛けてみた。過去にそんなログがあるかもしれないかと期待したのだ。
 結果は、否定的なものだった。
 けれど、小生が読んでいるのと全く同じ対談が、ネットにアップされているのを発見した。せっかくなので、その対談を読めるサイトを紹介しておこう:
ジェームズ・タレル・インタヴュー: 光に触れる意識」(インタヴュー:佐々木正人
  (転記終わり)

 何故、発見なのかというと、「04/10/23」に配信したメルマガで、「光害(ひかりがい)のこと」というコラム風の一文を載せている。その内容の一部は、都会でも余分なライトを加減すれば天の川を見ることができる、さらに、その天の川の光で自分の影が地上に生じるという感激を味わえる! というものだったが、その内容に深く関連するように思えたからだ。
 自分はそんな文章を既に書いている。それも、我が地球の直近の惑星である金星の跳ね返す光で地上に自分の影法師を作れるかも、と。
 そうはいっても、本当に、金星が作る影法師なんてものがありえるのか、未だに半信半疑なのも、事実。
 それだけに、「ジェームズ・タレル・インタヴュー: 光に触れる意識」は、貴重なインタビューなのだと思う。二年前にネット検索で見出したインタビューが未だに読めるのは嬉しいものだ。
 このインタビューの中で、佐々木氏の「光は接触の対象ですか?」という問いに、タレルははっきり「接触です」と答えている。光に触れるという感覚。これは、神秘的な感覚なのだろうか。光を机や紙などの、あるいは水や風などのような物質の流れ・動きと同じように感じ取ることが可能なのだろうか。
 ただ、小生は、皮膚で感じることは、出来ないが(恐らくは、あたら、目が見えるばかりに視覚などに頼ることが当たり前になっていて、皮膚感覚が鈍っているのだろう)、少なくとも夜の空に光の在り難きことを感じることくらいはできる。
 月光のこと、星星のことなど、これまでも散々、書いてきたとおりである。
 
 金星というのは、古来より、何か胸騒ぎを呼び起こす星だったように思われる。そうはいっても、月が出ていると、金星の影は、ここで言う影とは存在感という意味だが、大概は薄まってしまう。弱々しげになりがちである。
 ただ、いずれにしても、金星は水星と同じく、地球から見ると太陽の近くを回っているので(太陽から大きく離れない為)、日の出前や日の入り後のみしか観測できない。宵の明星、明けの明星と呼ばれる由縁で、太陽の光の弱い頃合いに、月光の影響もそれほどない中、地平線(山並みの上)近くに見ることが多いわけである。
 金星探査は、これまで幾度となく行われてきて、金星表面の映像も見ることができる。表面が、二酸化炭素におおわれた「灼熱地獄」だったことも分かってきている。生命体の存在の可能性も薄まってしまった。
 その意味で昔ほどの神秘感を持って金星を眺めることは叶わなくなっている。
 それでも、「ギリシャ神話のアフロディテ、ローマ神話のビーナスと同一視され、錬金術では銅のシンボル、占星術では栄養・富・幸福をもたらす穏健な惑星である。 中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚あるいは太白とよんで区別した。軍事に関する占いに用いられた。」ことくらいは知っていてもいいと思う。
 この中で、「太白」という言葉が出てくる。
「金星 太白」をキーワードにして、ネット検索してみると、「*第三章*金星と神話&宗教」という頁をヒットした。どうやら、「西洋占星術サイト ~月的空間~」という占星術のサイトの中の頁のようだ。
 そこで、「中国では、金星とも太白ともいい、初めは宵ノ明星と暁ノ明星とを別々の星と考えて、長庚(ちょうこう)、啓明(けいめい)と呼びわけていました。唐の詩人、「李 太白」は生まれた時に、母が長庚星が懐に入ると夢みたために、こう名づけられたようです。」という一文を発見。
 唐の詩人、「李 太白」! というと、李白のこと?! 急いで「李太白」で検索。すると、筆頭に、『李太白伝』(岡野俊明 作品社)が現れた。
 その本の紹介に、「世の常道を歩むことを拒んだ李白が生涯追い求めたものとは――。唐代の群像の中に描き出した本格的詩人伝。」とした上で、「杜甫とともに〈李杜〉と並び称される、唐代随一の詩人李白。しかし、杜甫とちがって、官職につくことのなかった李白に関する具体的な資料は乏しく、その生涯にいくつもの空白がある。まず、李白はどこで生まれたのか。これもいまに至るも謎のままである。」などと説明されている。
 恥ずかしながら、小生、李白が李太白だったことも知らなかった(何処かで読んだことがあるはずだが、頭を素通りしていた。太白は、字(あざな)なのである)。
 それにしても、「唐の詩人、「李 太白」は生まれた時に、母が長庚星が懐に入ると夢みたために、こう名づけられた」というのは、さすがは歴史に名を残す詩人ならではの逸話である。
 せっかくなので、一つだけ李白の詩を掲げておく。「秋浦の歌」である。

 白髪三千丈
 縁愁似箇長
 不知明鏡裏
 何処得秋霜

 この詩の、とても分かりやすい解釈が読めるサイトがある。
 念のため、読み下し文だけ、示しておくと、「白髪三千丈、愁いによりて箇の如く長し、知らず、明鏡のうち、いずれの処にか秋霜を得たる」となる。
 余談ついでだが、小生が学生時代を過ごした仙台には、太白区がある。これは、「太白星(金星)が落ちてできあがったという伝説をもつ太白山に由来してい」るのだとか。太白山について紹介したサイトは数多くある。標高はそれほど高くない太白山(標高:321.7)が人気があるのは、美しい円錐形をしているからだろうか。

 なんだか、例によって、何を書きたかったのか、まるで見えない雑文になってしまった。ま、日記のつもりで書いているのだし、覚書になればそれでいいのだ、自分としては。
 ただ、このままでは申し訳ないので、ここまでに出てきた言葉・影法師にちなむ歌や句を挙げておきたい:
 
 埋火(うずみび)や壁には客の影法師      芭蕉

 梅咲やしやうじに猫の影法師    一茶

 霧黄なる市に動くや影法師    漱石(ロンドンでの句)

(注)芭蕉の句は、「(続猿蓑)」からのものである。

 せっかくなので、小生も恥を忍んで(恥知らずにも?)句を呈しておこう。

 影法師寄り添いすぎて薄い影
 影法師草葉の陰に揺れ惑う
 影法師風の音にも怯えるか
 軒端にて猫の姿の影法師
 影法師光と戯れ消えていく
 面影を脳裏に浮かべ追う我か

 さて、最後である。冒頭に掲げた写真は、水曜日の営業も終わりに近付いた木曜日の未明の空の模様である。水曜日までの安定した天気も、ようやく下り坂に差し掛かり、午後には曇天、夕方には雨が予想されていた。
 妖しい空模様。なんとなく心模様でもあるような。

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2004/11/11

優曇華の花

 優曇華(ウドンゲ)というのは、「仏教の中で「三千年に一度花を開くという想像上の植物」のこと」で、「優曇華の花というのは,“めったにないもののたとえ”として使われる用語」のようである。
 昨日付けの日記で、曼荼羅華のことなど」という表題にしたからだろう、その日の営業に出て、しばらくしてからだったろうか、そういえば、ウドンゲ(の花)ってのもあったなあ、と思い出したのである。
 思い出そうとして浮かび上がってきたわけではない。どうやら、頭の中で勝手な連想の波動が生じていたらしい。曼荼羅華、華(ゲ)、→ウドンゲというわけであろう、か。
 ところで、ウドンゲの花と呼ばれる花の実体は何かと言うと、「クサカゲロウの卵」なのだとか。
 尤も、「優曇華の花は,クワ科のフィクス・グロメラタであると言われてい」るとしているサイトもあるのだが。
 が、やはり、クサカゲロウの卵をウドンゲの花と勘違いしたと説明しているサイトが多いようである。「K's Natural Living ~花のある暮らし~」というサイトの、「クサカゲロウの話 その2」を覗くと、「クサカゲロウが卵から孵ったあとはこのような真っ白な卵殻が残り、あたかも花が咲いたようです・・・。」として、可憐で何処か夢幻的な画像が掲げられている。
 面白いのは、「クサガゲロウを漢字でどう書くと思われますか?もちろん草蜻蛉ですよね?!」以下の一文。「草の間に身を潜めているから”草”カゲロウだと思っていたのですが実は・・・なんと”臭”カゲロウだったんです・・・(^^ゞ」という。「クサカゲロウを手でつかむと独特のにおいを出すらしいのです。そこから付いた名前だそうです。」だとか。
 そこで、クサカゲロウをもっと調べようと、ネット検索をしてみたら、「も吉の物置部屋」の中の「クサカゲロウ」のをヒット。
 そこに載せられているクサカゲロウの姿もなかなか優美だが、「曇華はウドンゲと読み、三千年に一度しか咲かないというインドの伝説の花だ。サンスクリット語のウドゥンバラ・プシュパに優曇波羅華の字をあてたものがさらに略されたらしい。」などと書いてあることが目を引いた。
 まさに余談になるが、「世間には「優曇華」っつう名前のうどん屋が相当数存在することを知った」というので、ネット検索してみたら、なるほど、本当だった。世の中には、安易な仕方で店名を付ける店も多いのだ。
 そうはいっても、実は正直のところ、小生など、優曇華→ウドンゲ→グドンゲ→愚鈍気と連想していた。そんな小生よりは、まだましなのかもしれない?!
 それより興味深いのは、次の一文だ。「クサカゲロウの卵以外にも優曇華の花と呼ばれているものがいくつか存在する。バナナの花なんかもそのひとつで、わが国では珍しいことからウドンゲ扱いを受けていたらしい。」しかも、「不思議なことに、「日本における優曇華の花は凶兆だった。」というのである。
 さて、この「優曇波羅華」という言葉は、『法華経』の「妙荘厳王本事品第二十七」に出てくるようである。その下りを前後の脈絡なしに引いてみると、「優曇波羅華(ウドゥンバラ・プシュバ)の咲き難い様に、仏に会いたてまつる事はさらに難い。諸難をまぬがれることもまた難い。願わくは我らの出家をゆるしたまえ。」などである。
 話が、またまた逸れるが(といっても、何かを書かなければならないという義務もないのだが)、「サンスクリット語のウドゥンバラ・プシュパ」を漢語に訳して、優曇波羅華となり、それが更に略されて優曇華となったようだが、そもそもサンスクリット語の言葉を漢語に訳すというのが、実に崇高と言うか、とんでもない荒業だったような気がする。
 無知なるがゆえの勝手な思いに過ぎないのだが、原語の「ウドゥンバラ・プシュパ」が、どういう意味合いを持つのかが、まず疑問に思う。思うが調べようがない。
 また、このサンスクリット語の言葉が、優曇波羅華と訳されることに、語義的な正当性あるいは妥当性があるのかどうか、全く分からないで居る。近代、あるいは現代においては、翻訳するとは、基本的には意味を訳すことに尽きる(全てではないのだとしても)。
 が、遠い昔はどうだったのだろう。ただ、直感的には意訳以上に、語感的な近さが重視されていたような気がする。
 もっと、卑近な言い方を素人の大胆さで遠慮なく言わせて貰うと、駄洒落的な訳に近いような気がするのである。
「ウドゥンバラ・プシュパ」→「ウドンバラ…バ」→「ウドンバラバ」→「ウドンバラゲ」で、そこに漢語を当て嵌める。千数百年の昔の中国語(漢語)の発音と、訳す以上は何かしらアリガタイ漢語を選択し、当て嵌める。
 単なる駄洒落ではなく、意味連関や、選んだ言葉の有難味の有無、そして膨大な仏教文献との連関性。つまり、その言葉の出てくる場面だけではなく、他の言葉(選んだ漢語の漢字)との整合性をも考慮に入れての高等なる駄洒落翻訳という難行。まさに、インドの古代文明・文化に匹敵する歴史と、漢字というとんでもない中国の財産があればこそ可能だったのだろうが。
 経典の漢語への翻訳というと、鳩摩羅什(くまらじゅう:350~409)などを思い出す。
 またまた余談だが、ネットでは、鳩摩羅汁と表記されている事例の多いこと! これって、クマら汁! 美味しそうな拙そうな、訳の分からない…代物だぜい。
法華経と鳩摩羅什」を覗いてみる。
「中国の南北朝時代初期に仏教経典を訳した僧。」で、「7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始経典や阿毘達磨仏教を学んだが、大乗に転向した。主に、中観派の諸論書を研究した。」という。「主な訳出経論に『坐禅三昧経』3巻、『阿弥陀経』1巻、『大品般若経』24巻、『妙法蓮華経』7巻、『維摩経』3巻、『大智度論』100巻、『中論』4巻などがある。」とか。
 洛南タイムス社の「山と遺跡とオアシスの覚え書き タクラマカン砂漠一周の旅 内田 嘉弘 第20回」にも、「宮本輝著『ひとたびはポプラに臥す』の―旅の始まりに―」からの引用の形で鳩摩羅什の説明が載っている。
 
 我々に馴染みの言葉、「彼岸」にしても、サンスクリット語の「パーラミター=波羅密多」の漢語訳から来た言葉だという。
 小生も名前だけは知っている般若心経。この経典は、「西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵の翻訳によるもので、これは、全600巻という膨大な量の「大般若経」から、エッセンスだけを抜き出してまとめた」ものだという。「正しくは「般若波羅密多心経」と言い、言語のサンスクリット語で分解すれば、「般若=プラジュニャー(最高の智慧)」・「波羅ム=ハラム(彼岸=悟り)」・「イ多=イター(渡る)」ですから、「彼岸へ渡るための智慧」とな」るのだとか。
 般若心経については、「美しい般若心経」が興味深い。

 またまた回り道が過ぎた。優曇華の花に戻る。
 優曇華の花は、『法華経』の日本での存在の大きさもあってか、古来より文献に登場する。『うつほ物語』、かぐや姫との絡みで『竹取物語』、『源氏物語』…。
『源氏物語』では、「若紫」の帖で、「優曇華の花待ち得たる心地して深山桜に目こそうつらね」の和歌が見出される。
 小林一茶にも、優曇華の花が詠み込まれている。

  甘い露芭蕉咲とて降りしよな
うどんげや是から降らば甘い露
日本のうどんげ咲ぬ又咲ぬ
法の世や在家のばせを花が咲く

 この中に、「甘い露芭蕉咲とて降りしよな」という句がある。優曇華が登場しない。
 ネット検索してみると、芭蕉の花は、優曇華の花の異称だとあった。
 が、俳句の世界では、優曇華も芭蕉の花も、共に夏の季語なのだが、優曇華というと動物の扱いになり、芭蕉の花というと植物の扱いとなる。
 が、一茶の句を見ると、いずれの「うどんげ」も、植物の扱いのようである。素人的には、得心がいかない。
 小生も、優曇華にちなむ句をひねってみたいが、悲しいかな、優曇華の花、それとも、クサカゲロウの卵(卵殻)を見たことがない。

 夢にても優曇華の花よ咲いてみよ
 優曇華よ愚鈍なる我憩わせよ
 優曇華よ花ならずとも咲いてみよ
 優曇華よウドンの汁(つゆ)に飛び込むな
 咲かぬはず虫の抜け殻優曇華は
 
 さて、日記らしく、今日、やったことを記録しておく。「エッセイ祈りの部屋」に、「いかりや長介さん死去 他(51-53)」をアップした。「いかりや長介さん死去」「ネット上のヒロイン追悼」「田尻宗昭氏のことをラジオで」の三つの文を一挙に載せた。いずれも、既にメルマガにて、半年あるいはそれ以上の以前に公表していたもの。
 載せた趣旨は、当該頁の冒頭に記してある。
 アップに際し、頁の途中に付記した一文だけでも読んでもらいたい。

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2004/11/10

曼荼羅華のことなど

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 9日付けの日記に掲げた写真の花は、曼荼羅華(マンダラゲ)だと、さる方に教えていただいた。
「朝鮮朝顔とも呼ばれ、ラッパ状の形をした花を咲かせる。江戸時代に渡来し、漢名「曼荼羅草」は「曼荼羅華」と呼ばれ、当時、種子と葉はぜん息の薬として使用していた。」という。
 また、「華岡青洲(1760~1835)は、この曼荼羅華の茎や根を精製し、全身麻酔薬「通仙散」を完成させた。この「通仙散」の人的効果を試すために、妻や母に用いたという話は、「華岡青洲の妻」としてよく知られている。」とも。
 確かに、この話はあまりに有名で、ドラマ(舞台)にもなり、歴史にも疎い小生も知らないではない。また、有吉佐和子著の『華岡青洲の妻』(新潮文庫など)は、今も読まれている(小生は、読んでいないと思う)。

 ついでながら、麻酔薬としての曼荼羅華を調べてみた。すると、「日本麻酔科学会 - 麻酔の歩み」というサイトが見つかった。
 そこには、「曼荼羅華(朝鮮アサガオ)は、3世紀頃中国の名医、華陀によって手術に使用されたという記録があります。青洲はそれを参考にしたと考えられますが、動物実験を重ね曼荼羅華を主とする6種類の薬草により「通仙散」を調合し、世界で初めて全身麻酔下に乳癌摘出術の手術に成功しました。」と書かれていた。
 さらに、「曼荼羅華の種子、根、茎、葉には麻酔薬の成分が含まれており、現在でも麻酔の準備薬(麻酔前投薬)として使用されています。青洲の行った麻酔は中枢神経作用の強いスコポラミンによるものと考えられます。」とも。

 が、恐らくは幾度か名前を目にしているはずの、この肝心の花の姿をじっくり見たことがない。あるいは、見たことがあっても、それと気付かないままに、あれ、でっかい花びらだなと思うだけで、通り過ぎてきた。
 その花を、タクシーで都内を走っていて、この頃、某所に来ると見かける。その度に、なんてでっかい花だろうと、口をあんぐりしていた。しかも、そうした大きな花びらが、何十個となく咲き揃っているとなると、もう、壮観なのである。
 で、このところ、デジカメで都内などの写真を撮りたいと思っている小生のこと、何とか写真に収めたいと思っていたが、生憎と幹線道路に面していて、場所が悪く、なかなか撮れないでいた。
 すると、8日の真夜中だったか、お客様を都内某所で下したところ、近くに、気掛かりでいた花と同じモノが咲いているではないか。そこは、お寺の門前だった。おお、チャンスとばかりに、夜中だし、ちゃんと写るかどうか心配しつつも、人通りも絶えているのを確認し、パシッパシッと二枚、撮った。
 車中で確認したら、見事な白の花びらがちゃんと写っている。なかなか優美で流麗である。
 ネットで、曼荼羅華のことを調べていたら、「Sankei ECONET 青洲ゆかりの曼荼羅華咲く 和歌山・那賀町(8/27)」という記事を発見。
 なるほど、華岡青洲の出身地は、和歌山県那賀町で、そこには、「青洲の里」があるということも分かった。「青洲が住居兼医院や医学校などに使った建物がある春林軒の庭やその周辺で咲いており…」とある。季節になれば、訪ねてみるのも床しいかもしれない。
 
 曼荼羅華は、四華(しけ=4種の蓮華)のうちのひとつだと言う。「四華とは、瑞相(喜ばしい兆し)の現れの一として、空から降るという四種の蓮華(れんげ)をいう。ちなみにその四蓮華とは、一は白蓮華=曼荼羅華(まんだらけ)、二は大白蓮華=摩訶曼荼羅華、三は紅蓮華=曼珠沙華、四には大紅蓮華=摩訶曼珠沙華をいう。」のだとか。
 尤も、別のサイトを見ると、「曼荼羅華(まんだらげ)」は、「天から降り注ぐ【天華(てんげ)】」の一つであり、「喜びを祝い、天から降り注ぐ花で[曼荼羅華・摩訶曼荼羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華・蓮華]の五種類を五天華という。」などと書かれている。

 曼珠沙華は、秋の季語として有名だが、曼荼羅華は、どうなのだろう。
 ま、こんなこともあり、昨日の日記に既に曼荼羅華の写真を載せていることもあり、再度、載せるのは、少々、躊躇いもあるのだが、昨日のは、やや斜に構えたような、少し違和感を覚えさせるものだとしたら、本日のものは、ラッパのようだと、よく評される花の形を真正面から捉えたもので、趣(おもむき)もかなり違うと思うので、敢えて載せさせていただく。

 曼荼羅華仏の教え放つごと
 曼荼羅華闇夜に咲いて我惑う

 ところで、ある方から、汗駄句川柳について、コメントを戴いた。個別の句への感想ではなく、小生の句業(苦行?)全般へのアドバイスだった。
 その意見は載せられないが、小生の返事だけは、以下に載せておく。尚、文中の、「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、今や世界的に有名な映画作家になられたコメディアンの北野たけし氏の往年の名作である:


  """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 Rさん、こんにちは。
 いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
 
「七五調のリズムは日本語に染みついたもので、自然に分かりますから、伝統的な俳句や川柳では、上句、中句、下句の間に間隔をとりません」
 なるほど、納得しました。今後(本日以降)、作るものについては、そのようにします。過去の作品については、手の及ぶ限り…。
 当面、昨日まで作ったものについては、現状の表記になるかも(推敲も、後日)。

  事実  赤信号みんな止まって待っている
  標語  赤信号みんな止まって待ちましょう
  警句  赤信号止まらぬあなたはあの世行き
  川柳  赤信号みんなで渡れば怖くない
  俳句  赤信号一陣の風渡りけり

 六文錢さんの示してくれた、事実の報告、標語、警句、川柳、俳句の違い。
 この点について、同じ題材を用いての説明、とても、勉強に成りました↑
 ただ、何処まで理解できたかは、自信がありませんが。

 小生、「汗駄句川柳」と自称していますが、この七月に句を作り始めました。
 実のところ、将来的にどのような方向へ持っていくか、未だ、展望は勿論、まるで皆目、真っ暗闇の状態、全くの手探りの段階なのです。
 川柳と自称していても、とりあえず、俳句じゃないようなので、じゃ、川柳と安易に括っているだけで、作りながらも、その時の気分で思いつくまま、なのです。
 その意味で、川柳に真面目に取り組んでいる方には、不愉快な姿勢に見えるのかなと、自分としても忸怩たるものがありつつ、作ってきております。
 川柳と俳句の違いも、ネットで色々読んでみても、歴然と違う、あるいは小生にもうっすらとは違いの分かる場合もありますが、区別の付かない場合もあるような。
 試行錯誤を多少続けて、そのうちに、自分が標語や警句を目指すべきか、川柳なのか、俳句が好みなのかが分かってくるのではと期待しています。
 小生、俳句は、ほとんど、川柳は全くに近いほど、読んでいません。和歌・短歌も僅か。小説(ほとんどが短篇)作りから、ちょっと足を突っ込んでみた…。
 勉強することが膨大で、眩暈がしそう。
 今年は未だ、小説に比重を大きく置いているので、本格的には取り組めず、大抵が、掲示板に書き込みした際に川柳(標語・警句・事実?)を付している、それを集めているだけです。
 来年に向け、少しずつ考えていきたいと思っています。

  """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
 
 そのあと、また、Rさんよりアドバイスなどを戴いた。それについては、後日、改めて。

 さて、今日は忙しくて、あまりサイト巡りをできず、従って、掲示板に書き込みをする際に付す駄句も、綴る機会を得ていない。
 以下は、小生のサイトの画像掲示板に戴いた画像へのレスに付したもの。写真が、夕陽の光景だった:

 秋の暮日の落ち際の麗なる
 秋の日に急かされるごと夕陽追う

 今日も、なんだか、慌しいと言うのか、書いたものというと、このブログ日記が昨日、今日の分。あとは、「ディープスペース」の第四弾で、「ディープスペース(4):フォートリエ!」だけ。
「ディープスペース(3):ポロック!」が、「http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/introduction/pray-5.htm">私という千切れ雲の先に」というエッセイがベースになっていたのに対し、「ディープスペース(4):フォートリエ!」は、「夜 の 詩 想」などの瞑想的随想をベースにしている。
 作品的には、やや妄想的モノローグ風掌編となっている。
 ホームページには、「タクシーとオートバイの部屋」を更新した。
 週末には、溜まっている掌編をアップさせたい。

 最後に、今日は、趣向を変えて、汗駄句ではなく、駄洒落文を掲げておく。掲示板において、ある方の書き込みへのレスとして書いたもの。大本のネタは、「やじきた問答(1-5)」である:

 今日は悲シーレ。
 照るデルボーずが役に立たず、雨がクールベから? 芸シャガールが来ないから? 意識がモローだから? 髪型と服がマティスしてないから? 彼氏がムンクれているから? michioを間違えたから? 友がダヴィンチにふされたから? 手を弥一したから?
 ううん。おシーレを拭くのを忘れたから! なので、お手を拝借!

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2004/11/09

二十六夜の月

s-DSC01069.jpg
 
「二十六夜」と書くだけで、月のことを指していることは、分かる人は分かる。が、小生は分からなかったので、備忘録というわけではないが、少しは頭に銘記するためにも、敢えて、恥を忍んで、「二十六夜の月」という表題にしておく。
 あるサイトによると、昨晩あたりの月は、二十六夜と呼ぶらしい。それとも実際には、もう少し、細身だったようだし、二十七日月だったのか。

 などと書きながら、上記には少々のウソが混じっている。月曜日の営業もまた、仕事が閑散としたもので、お客さんを探すのにも疲れてしまい、走りつかれると、神経ばかりが磨り減るようで、公園などの脇に車を止めて、やたらと休憩を取っていた。その都度、月影を追い求めたが、まだ、新月には日にちがあるはずなのに、見つからない。
 終いには、お客さんどころか、月の姿を追うのも、諦め気味になってしまった。
 が、お客さんはともかく、月の姿を、もう、すっかり明るくなった六時過ぎだったかに、天頂というほど高くはないが、かなり高い位置に月を偶然、見つけた。
 今日も仕事は暇だったと、溜め息を吐き、ふと、見上げた空に、ほっそりと見る影もないほどに痩せ細ったお月様のお姿をお見かけしたのだった。
 なんだか、小生の仕事の出来の悪さを象徴しているかのような月の窶れ具合だ。

「二十六夜」(の月)という表現がある…。「陰暦の正月と七月の26日にも夜半に月の出るのを待って拝したと言われています。月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿を現すと言い伝えられ、特に江戸では七月に高輪・品川などで、盛んに行われたそう」だという。

 先に進む前に、「二十六夜」という名称について。これは、「一般にある特定の月の出を待ってこれを拝する行事」である「月待」の一つで、十五夜や十三夜などは、多くの方が聞いたことがあるだろう。以下、「月待の民俗」というサイトを参照させていただく。
 十九夜待とか、二十二夜待など、いろいろあるが、「最も多く行われたのが二十三夜待」だという。「十九夜待と二十二夜待では女人講による如意輪観音を主尊とした安産祈願の行事が主流」だとか。
 話を戻して、小生、好奇心で、「二十六夜」をキーワードにネット検索してみた。

 すると、筆頭には、「No.146秋の道志二十六夜山」というサイトが現れる。上位に現れる大半が、二十六夜山に関連するもの。
 例外は、「Sankei Web 【著者インタビュー】坂東眞砂子さん『春話二十六夜 月待ちの恋』 と、あと一つだけだった。
 坂東眞砂子さんの『春話』に後ろ髪を引かれつつ、先に進むと、この二十六夜山は、故田中澄江さんの晩年の著でも馴染みの山なのだとか。
「No.146秋の道志二十六夜山」を覗くと分かるのだが、「日本には二つの二十六夜山がある。 その二つともが道志山塊にあるという」のである。

 道志村! 十数年の昔、枯れ葉の季節に、オートバイでその村を通り富士山近郊へよくツーリングしたものだった。河口湖、山中湖周辺をのんびり走り、紅葉を愛で、高原の空気を吸い…。そんな、ゆったりした気分を満喫した頃も自分にはあったのである。
 さて、このサイトにも、「二十六夜」のことが触れられている。尤も、「特に江戸では七月に高輪・品川などで、盛んに行われ」たということは、書いてない。
 その代わり、「女衆だけが集まって一夜を明かす行事」と書いてあるのを読むと、俄然、興味が湧く。
 そう、「三日月の夜といえば、かなり暗い夜だ。 一体、里の女たちは何を思ってこの行事に参加したのだろうか。 そして二十六夜山の山頂での彼女たちの会話はどんなものだったのだろうか」と思わずには居られないのである。
 あああ、女衆だけが集まって一夜を明かす行事って、一体、なんじゃ?!
 さらに、「都留周辺の隠れキリシタンが、二十六夜の月にかこつけて、仏を拝むと称して、ひそかに山上に集まり、マリアへの祈りを捧げたのではないか、といった田中澄江さんの説」なども紹介されている。
 ところで、「No.146秋の道志二十六夜山」だと、「日本には二つの二十六夜山がある」というが、 「月待の民俗」というサイトによると、静岡県賀茂郡南伊豆町も含め3ヵ所あるという。
 このサイトは、『二十六夜山』というサイトへ繋がっている。この頁を覗くと、「二十六夜待の信仰」や、二十六夜山のことが詳細に分かる。
 いずれにしても、月の神秘と女性(安産祈願)と豊作とが絡み合っている習俗のようだ。
 
 と、ここまで書いて、あれ? である。小生、別に二十六夜のことを書こうと思って、この日記を綴っているわけではない。あくまで日記なのである。たまたま今朝、六時過ぎに見た月が、二十六夜の月か、それとも二十七日月だったというだけのことなのである。
 小生の、今朝、やや薄絹を透かしたような弱々しい細身の月を見ての感覚では、むしろ、有明の月という感興のほうが強かった。が、有明の月という表現が今の時期に相応しいのかどうか、今一つ自信がなくて、使うのを躊躇い、月の形のほうへ話が流れてしまったのだった。
 この「有明の月」のみをキーワードにネット検索してみると、「検索結果 約 2,530 件中」、その二番目に小生のエッセイ「有明の月に寄せて」が登場するのは、発見だった。あまり読まれているとは思えない小生の拙稿が上位に来ているということは、世間の人は、少なくともネット上では、今更、有明の月なんて、話題にはしないということなのか、どうか。

 小生は、その点、月影には、随分とお世話になっている。特にタクシーの仕事を始めてからは、夜中などに、公園の脇に車を止めて、あるいはそうでなくとも、都内を走り回っていても、期待通りに、時には意想外の場所乃至は時に月影に遭遇して、慰められている。
 お月さんには、もう、数十年の昔に、人類が足跡を残したのだし、今更に月の神秘を語ったりしたら、お前は、天動説に囚われているのか、月や太陽は、昇ったり沈んだりするように見えるけれど、あれは、ただの勘違い、錯覚、思い込みに過ぎないのであって、我々の地球だって太陽の周りを巡っているんだぜ、これを地動説という、なんて、もったいぶって説教を喰らいそうである。
 小生だって、地動説は知っている。宇宙の万物が、それぞれに相対的に動いてることは、そんな噂くらいは聞いたことがあるし、読んだことがある。
 小生は、ただ、胸に感じる直截な思いを語っている、陳べている、吐露しているに過ぎないのである。
 月影が小生を追ってくる。この世間に忘れられたような、パッとしない小生も忘れずに、歩いていく先までくっ付いてきてくれる。
 それは、小生だけを追っているのではなく、誰をも追うのであり、地上の星だけじゃなく、虫けらも風に舞う木の葉も、埃だって、月のお蔭で影を持っている。そう、地上の万物を平等に光の渦に浴させている。しかも、その光たるや、拠って来るところは、太陽なのだということ、月はその陽光を撥ね返しているだけに過ぎないということ。
 そんなことも分かっている。でも、その誰をもどころか、何物をも、そう、森羅万象もが、宇宙に浮き漂っていることだって、知らないではない。
 けれど、胸のうちに感じる何か。一切が相対的な中で感じる何か。その何かをいつか、感じるままに表現してみたいと思うまでなのである。

 日記なのに、今日の記録は何も書いていない。この不況で打ちひしがれている、なんて書いても、つまらないし、随想に耽ってみたわけなのだった。
 さて、掲げた写真は、昨夜半だったかに都内のあるお寺さんの門前で撮ったもの。花の名前は例によって分からない。
 随分と大きな花で、幅は手の平より大きかった。実は、花の形がもっとよく分かる写真も撮れたのだが、掲げた写真のほうが、妖しい雰囲気が濃厚で、何か非日常的な世界に誘い込まれそうな妖艶ささえ感じさせ、つい、こちらを選んでしまったのである。

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2004/11/08

行く秋の夜長には

「行く秋」も「夜長」も、共に秋の季語である。俳句などで、一つの句に共に使うのは、季重ねになり、望ましくないとされる。
 しかし、タイトルに一緒に使う分には、構わないだろう(と思うのだけど)。
 この土日、久しぶりの休みということで、ブログ日記も含め、書評や掌編など、いろいろ書いたし、ホームページの更新もし、読書も少々した。
 惜しむらくは、せっかくの秋晴れで散歩日和だったのに、家に閉じ篭りっきりになってしまったこと。秋の麗らかなる日を過ごすには、少々、勿体無い過ごし方だったのかも。
 上に、掌編を書いたとあるが、ちょっと?マークが付く。
 というのも、夜半に作った作品は、過去にエッセイに書いたものの一部を抜粋し、手を加えたものなので、完全な創作ではないからだ。
 で、その書いたものとは、「ディープスペース」の第3弾で、第2弾が、副題として「バスキア!」だったのが、今回は、副題が「ポロック!」である。といっても、「バスキア!」もそうだが、「ポロック!」も、必ずしも彼等の作品や仕事・思想などに寄り添う形で書いたのではなく、ほとんど名前だけを借りたと言っていいほどに、奔放に書いている。
 尚、「過去にエッセイに書いたもの」とは、「エッセイ祈りの部屋」の中の、「私という千切れ雲の先に」である。そのうち、「ポロック!」をアップした際には、比較対照してみてほしい。
 さて、ポロックというと、小生の好きなアーティストの一人で、89年から92年の頃に、彼のアート作品を見ながら(他にも、ミロ、フォートリエ、デュヴュッフェ、クレー、ムンクなどを見ながら)、夜毎、創作活動に励んだものだった。
 会社の仕事が忙しく帰宅が夜半近く。それから仮眠を取って、真夜中過ぎに起き出し、友人の仕事の手伝いでテープ起こしの仕事をし、その上で、未明の頃に、ワープロに向かい、せっせと、ほとんど無理やりにない頭を振り絞って、それこそ掻き削るようにして創作した。で、朝方の五時過ぎにようやく就寝。
 その頃の睡眠時間は、三時間もあったろうか。小生は、もともとタップリ寝るほう、少なくとも七時間は寝るほうなのに三時間の睡眠の日々が数年、続いた。挙げ句、体を壊したり、会社で眩暈を起こしたり、とうとう93年には、ほとんど腑抜け状態になってしまって、会社から帰ると、まさに寝たきりになってしまった。92年末には友人の仕事の手伝いもなくなり、会社も暇になっていて、土日は、しっかり休めていたのだが、自宅では、晴れていてもカーテンを締め切りにして、寝ているだけになっていた。起き上がる気力がまるで湧いてこないのだった。
 とうとう、終いには、メニエル症状とでも言うのか、目覚めてベッドから起き上がろうとすると、その勢いが脳髄の中で加速し、意識が、あるいは風景が滅茶苦茶にグルグル回転するようになってしまった。嘔吐感。酩酊感。幻滅感。
 それでも、小生は、書くことだけは続けた。脳味噌を削るように、指先で氷を削るように、それとも、何処かの壁に爪を突き立てるように。
 自分にもう少し、才能があれば、書くものに、何がしかのインパクトがあったり、人の共感を呼んだりするのだろうけれど、友達にさえ、馬鹿にされるようなものしか書けない。
 そうはいっても、自分でこうだ、と思ったとおりに書いていくしかない。
 書くのは、ここまで来ると、業のようなものだ。意味など、あとから誰かが付けてくれたらいい、あるいは、いつか自分が今以上に枯れたなら、その時、ゆっくり、暇の徒然に、あの文章は、そんな意味があったのだ、こんな意図が含まれていたのだ、なんて、思い返してみればいいのだろう。
 11月も、はや、一週間が過ぎた。秋も手を拱いているうちに、あっという間に過ぎ去っていく。秋の夜長を感じているというのに、季節の移り変わりは凄まじく早い。皮肉なものである。
 徹底して書く。でも、楽しんで書く。いろんなものを書いていく。そんな自分をいつか、愛しく思えたりするのかもしれない。
 秋の夜長。夜の深さ。どこまでも深まり行く夜。夜の底の底。夜の果ての旅。そんな無明なる旅を満喫できるのも、書くことに徹しているからなのだろう。言葉の千切れた欠片たちが宙を舞っている。なんとか、舞い散る葉っぱを拾いたい。地上に落ちてしまわないうちに、この手の平に受けたい、受けて、葉っぱを織り成して、花輪とはいかないとしても、月桂冠のように葉っぱの環を生み出したい。その葉っぱが緑濃いものでなく、枯れ葉であったって構わない。
 
 さてさて、分けの分からない駄文になってしまった。
 以下、例によって駄句の嵐とさせてもらう。俳句とは到底、呼べないとして、どうやら川柳とさえ、呼べない句の数々だ!
 
 渋柿も 天日に干せば 甘柿さ
 渋柿を みんなで剥いて 天に干す
 軒先に 揺れる干し柿 遠い雲
 干し柿の 香り漂う 秋の庭

(以下の句たちは、中島みゆきの「東京ららばい♪」(唄:中原理恵)の歌詞とメロディを思い浮かべながら綴ったものです。歌詞については、小生のサイトの掲示板(9953/9954)を参照してください。)

 カウンター 滑るはグラスか 人生か
 二人寝て 別々に起きて 消えていく
 触れ合いは 体と心 引き裂くか
 焦がれ合い 結び合っての 孤独かな
 孤独でも 感じる心が あればいい?
 誰がいい? 誰でもいい? オレじゃダメ?
 酒飲んで 胃の腑を吐いて 紛らす孤独
 幻の 愛欲の海 死ぬまでも

 すべてある なんでも叶う 夢以外は
 東京の 片隅に咲く 花の露
 這い伝う 茎裏の露 滲んで見え
 東京は 都か砂漠か 誰が知る
 夢破れ 不貞寝しても 明日は来る
 子守歌 自分で歌う 年になり
 擦れ違う ただ擦れ違う 都会かな
 一度きり 掛け替えのない 時を流す
 東京タワー 見下ろす先の 光の渦
 ネオン街 明滅するは 人生か
 浮き沈み 繰り返すのも 限りあり
 軒先の 植木の花に 託す夢
 ないものを ねだる思いを 誰か知る

 今夜は、画像を載せていないので、干し柿を作る様子を見ることが出来る素敵なサイトを紹介しておきます:
田舎干し柿の風景!

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2004/11/07

山粧う…紅葉のこと

「山粧(よそお)う」は、「紅葉に彩られた秋の山を、擬人法で描いた季語」だという。似たような風景を表現する季語に、「装う山 野山の錦 紅葉の錦 草の錦」(「季節のことのは」)などがある。いずれも、使ってみたい言葉だ。
「山粧う」に形の上で似たような一連の表現に、「山笑う」「山滴る」「山眠る」がある。
「山粧う」が、秋の山々が紅葉で色付く様子を現すのに対し、「山笑う」は、春の山々が一斉に芽吹き若葉でパッと明るくなる様子を、「山滴る」は、夏の山々が青葉でみずみずしい様子を、「山眠る」は、冬の山々が広葉樹林なら葉が落ち尽くし、針葉樹林なら雪を被って静まりかえった様子を現す。
 実は、なんとなく、今日のタイトルには、「そぞろ寒」を使いたかった。この言葉は、「なんとなく寒かったり、わけもなく寒かったりというのが「そぞろ寒」で、秋だけではなく早春の肌寒さにも使いますが、季語は秋に定着してい」るという。
 気分的に落ち込んでいたこともあり、「そぞろ寒」を考えたけれど、さすがに今日の陽気では、似つかわしくない。ここは、気分とは逆に、「山粧う」で行こうと思い直したのである。
 というのも、過日、「山粧う」でネット検索したら、大和路は吉野の紅葉を捉えた見事な写真を発見したので、是非、見てもらいたかったのである。前にも書いたが、吉野は桜で有名だが、実は、紅葉の季節にこそ吉野の醍醐味が見られるということをラジオで聞き、実際に観に行くことは叶わない以上は、せめて、画像だけでもと、探していて、例えば、「奈良の紅葉」というサイトや、「紅葉写真館」という紅葉の写真を専門に展示しているサイトなどを見つけたのだが、上掲の一枚には、圧倒されてしまったのである。
 こんな風景を前にして、紅葉のメカニズムを忖度するのも野暮な話だが、興味があるので、簡単にでも触れておきたい。
 たとえば、「カエデともみじ」というサイトがある。カウンターを見ても、かなり人気のあるサイトのようだ。
 その、「6.紅葉、黄葉のメカニズム」のを見てみる。そこには、下記のように説明してある:

秋から冬にかけて、気温の低下とともに、葉の葉柄の付根の部分にに離層と呼ばれるコルク層が形成され、葉と茎の間で水や養分の流れが妨げられます。光合成により作られた糖分が葉に蓄積され、これからアントシアンという赤い色素が形成され、葉緑素が分解されて緑の色素が減少していきます。この過程でいろいろな紅葉になります。一方、葉緑素が分解されていく過程で、今まで目立たなかった黄色のカロチノイドという色素が目立って現れてきますと黄葉になります。植物の種類により、この過程には個性があり、紫、赤、橙、黄というように様々な色が形成されます

 以下、「紅葉がより美しくなる条件」や、「紅葉前線」、さらには、どんな木が紅葉で、あるいは黄葉で美しいか、などが縷縷、書いてあって、興味が尽きない。
 紅葉と言うと、カエデやモミジということになる。「紅葉」は、「こうよう」と読めるが、「もみじ」とも読める。漢字表記がポツンとあるだけだと、どちらに読むべきか、迷ってしまう。気分次第で選ぶしかない。
 そういえば、この一文を書いていて、小生、以前に、紅葉について雑文を書いたことを思いだした。「紅葉の季節:「枯葉よ~♪」」という一文である。
 その冒頭に、「表題に「紅葉の季節」と書いた。人はこれをどう読むだろうか。」と書いてある。小生、似たような疑問を2年ほど前にも持ったわけである。その文章の中では、「こうよう」と書いて、「紅葉」もあるし、「黄葉」もある、などとも書いている。上代では、ほとんどが「黄葉」という表記だった、それが、「平安時代になって、『白氏文集(はくしのもんじゅう)』の表記の影響などもあり、「紅葉」と書くようになった」などとまで、書いている。
 さらに、「もみじ」という言葉の語源探索も行っていたのだ。
 ほとんど、中身を忘失していた(汗!)。
 しかも、良寛さんの歌も引用していたとは!:

 秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまで紅葉しにけり

 良寛和尚には、他にも、次のような句(歌?)もある:

 山ほととぎす秋はもみぢ葉

 ネットで次のような驚くほどの洞察を示すを見つけた。「平成13年度 子どもたちが作った俳句」ということで、掲げたのは、小学六年生の句だというのだが:

 おち葉たち つぎの葉のため ちってった

 思わず、絶句してしまった。
「紅葉」というと、そのままのタイトルの曲「紅葉」(作詞:高野辰之作曲:岡野貞一)も忘れがたい。「秋の夕日に 照る山紅葉♪」で始まる文部省唱歌である。今も、歌われている…のだろうか。
 モミジの句というと、有名な句がある。とても可愛らしいもの。が、小生、その句を思い出せない。確か、「雪の朝 もみじもみじの 足のあと」というような句だったと思うのだが、正確な文言を紹介できないのが残念である。誰か、知っていたら、教えて欲しい!
 でも、まあ、上掲の小学生の句が、今日の収穫だったので、慰めとしておこう。

 さて、話は変わって、昨日は「柿日和」ということで、柿に触れたのだが、掲示板に柿の思い出について、書き込みをしてもらって、そういえば、小生には「柿 の 花」という小品があることを思い出した。せっかくなので、紹介させてもらう。

 今日は、日曜日。久しぶりに(三週間ぶりに朝からのんびりできた一日となった。天気にも恵まれ、外出日和だったのだが、ホームページの更新をブログ日記に力を入れていることもあり、ここしばらく怠っていたので、せっせと更新作業に勤しんだ。
 といっても、手間取ることもあり、居眠りもたっぷりしたので、アップできた文章は、僅かだった。まず、「タクシーとオートバイの部屋」に、「高速道路二人乗り規制撤廃のニュース/タクシーメーターの音」を、「書評と著作の部屋」に、「ウエルベック著『素粒子』/ミラン・クンデラ『生は彼方に』」を、「エッセイの部屋」には、「一人暮らしの地震対策(他) をアップ。
 他に、「このサイトのこと…キリ番…」の頁を手直し。過日、キリ番を踏んだということで戴いた素敵な絵をアップした。やれやれ、である。
 
 この一文は日記である。昨日、書くつもりで忘れていたことを、幾つか、書いておきたい。
 昨夜半だったか、シャワーを浴び、浴室を出たら、足元に黒っぽいモノがチョロチョロと。「すわ! ゴキブリか?!」と思って、ちょっぴり恐々、目を凝らしてみたら、それはコオロギだった。一週間前だったかに、見かけていた奴が、今も生きているということ? 同じ奴かどうかは、尋ねても返事してくれる訳もなく、コオロギの人相ならぬ虫相を見分けられるほどに、虫に親しんでいるはずもなく、分からない。
 でも、直感的には、同じ奴だと思う。
 それにしても、我が部屋の中で何を食べて生き延びているのだろう。このところ、健気なことに小生は、二週間に一度は掃除機を掛けている。なので、床には以前ほどには残飯などは落ちていないはずなのだが。
 そのコオロギ、小生が真夜中過ぎの三時頃だったか就寝しようと、灯りを消そうとした瞬間、今度は天井をウロチョロ。いずれにしても、我が部屋には、恐らくは、ダンボール類の後ろに隠れている蜘蛛と併せ、二匹の友が住んでいるわけである。
 尤も、ダニの数を入れると、友(?)の数は膨大なものになると思うのだが。

 昨夜は、今日、7日に、小生の敬愛する方が誕生日を迎えるということで、前夜祭を気取る訳じゃないが、久しぶりにピザを宅配で注文した。貧乏なる小生は、ピザが食べたくなったら、スーパーで数百円のものを買ってきて、それで我慢するのだが、その方の誕生日を祝うという名目で、ちょっとだけ羽目を外したのである。
 遠くにいるその方に向かい、誕生日、おめでとう! と叫びつつ、ピザを、しかも、ローステッドポテトも併せ、まるごと食べたのだった。食べ過ぎ!!!!
 では、何故、当日の今日、ピザを取らなかったのかというと、田舎から、鱒の寿司を送ってくることになっていたので、さすがに食事の制限はしつつも、食欲旺盛なる小生と言えども、鱒の寿司を食べ、ピザも目一杯、食べるというのは、少々度が過ぎると、少しは自制したのであった。

 ホームページの更新作業に勤しんだので、肝心の文章書きは、ほとんどできなかった。ただ、過日、読了した白川静氏の『中国の古代文学(一)』の簡単な書評エッセイだけは、書いておいた。
 読書のほうは、他に、先月、拾ってきた『90分でわかる 日本史の読み方』(加来耕三監修、かんき出版)を先週、読了、さらに、今日、長々と読んできた、『おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き』(潁原 退蔵/尾形 仂 (翻訳) 角川ソフィア文庫)を読了した。

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