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2004/11/06

柿日和

 今日の日記の表題をどうすうるか、何もアイデアが浮かばないでいた。こんな時は、まさに、困った時の(秋の)季語、というわけで、秋の季語で何かいいのがないかと探していた。
 このところ、日記のタイトルに窮すると、季語を漁るという癖が付いてしまった。いいことなのか、拙いことなのか、判断が付かないでいる。
 すると、「柿日和」という言葉が見つかった:
東京クリップ(43)
 そこには、「秋日和という言葉は、広辞苑によれば「強い日差しの秋の晴天」と説明されていますが、澄んだ秋空に黄色い柿を見ると、この「秋日和」という言葉が浮かびます」とある。
 小生の「広辞苑」(電子辞書)は壊れているので、秋日和の説明の記述を確かめることができない。この「柿日和」というのは、秋の季語なのだろうか。
 ネットで「柿日和」が使われている句を探してみる。すると、次の句が見つかった:

 アンパンを抱へ坂道柿日和     岡本洋子

 丁寧に(季語/柿日和)とある。
 季語であることは分かったが、さて、秋の季語なのかどうかは、分からない。もしかすると冬の季語のような気もする。「柿日和」で言う柿は、熟した真っ赤な柿なのだろう。青空を背景に熟した柿という光景、真冬でなくとも、秋も深まり、冬の到来の気配が濃く漂う。
 さらに柿日和の含まれる句を探すと、次の句が見つかった:

 岡本太郎記念館へ電話をかけし柿日和    皆吉司

 この句へのコメントに、「岡本太郎記念館はたしか川崎市にあるのではなかったか。川崎市には有名な柿・禅寺丸の原木がある王禅寺がある」という一文がある。王禅寺と柿というと、小生も数年前、雑文の中で採り上げたことがある:
秋の日と柿の木と(付:余談)
 一部だけ、転記すると、

 秋も深まってくると、小生は田舎の風景を思い出す。
 裏の田圃に面した小さな畑の端に、一本、ポツンと柿の木が所在なげに立っている …、という風景である。
 柿の実をもいだ後は、秋の日に特有の抜けるような青い空に、葉っぱも落ち尽くして幹と枝だけになった柿の木が、一層、寂しそうである。
 小生の感傷的な気持ちがそう、思わせるのか、昔の空は、今より遥かに青く澄んでいたように思えてならない。それとも、田舎の空気は、今、住んでいる東京の空とは違うということに過ぎないのか…。
 秋の日に落ち忘れた実が一つ、二つ残るだけの柿の木が一本、田圃の脇に立っている風景というのは、小生ならずとも、多くの日本人にとっての原風景の一つなのではなかろうか。
 柿食えば鐘がなるなり法隆寺、なんて俳句があったな、そういえば。
                             (以上、抜粋)

「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」は、言うまでもなく、正岡子規の句である。法隆寺とあるくらいで、斑鳩の里で作られたのだろう。昔は、法隆寺の近くに茶屋「柿茶屋」があったという。その茶屋で柿を食っていると、ふと、法隆寺の鐘楼の鐘の響きが聞えてきて、感興を得て詠んだのだろうか。
 ネットでさらに調べると、「聖霊院の前の鏡池の辺には(中略)正岡子規の有名な句(中略)の句碑がある」とか。
 子規のこの有名な句について、一体、何時頃、詠まれたのか知りたくなった。結核に冒されていた子規が、奈良へ旅したことがあったということなのか…、そんな元気のある時期もあったのか…、子規が懐かしく、床しくてならないのである。
 すると、次のサイトが見つかった:
里実だより
 その「2004年9月1日(水) 子規のくだもの好きは尋常ではない 」という項を読む。
「「くだもの(続)」では、具体的なくだものの名前をあげ、むさぼり食べたことが語られています」とある。そういえば、子規の果物好きは有名なのだった。
 さらに興味深いのは次のくだりである。「最後の部分で、東大寺近くの宿屋で柿を食べた際、東大寺の鐘の音を聞いた時のことが書かれています。その時のことを詠んだ句が有名な次のものです」として、以下の句が掲げられている:

 柿食えば鐘がなるなり東大寺

 このサイトの筆者ならずとも、ん? である。東大寺じゃなくて、法隆寺だろう! 
 で、一般的には、既に紹介したように、「法隆寺近くの茶店で柿を食べている時、時を告げる鐘の音を聞いて詠んだ、と説明される」わけだが、この一文では、「説明されることが多いようですね」とあるのだ!
 ということは、一般的に流布している説明はウソ乃至は間違いなのか?!
 ちゃんと、この点については説明されている。「こういう説明もあります。翌日、子規は法隆寺に行ったそうです。そこで、場所は東大寺から法隆寺に変え、昨夜の鐘の音を思い起こし、「柿食えば」の句を詠んだというものです。これが一番信憑性があるようですね」という。
 筆者は、「写生の方法を説いた子規ですが、形象化された作品には、ありのままの事実を写しているようでも、そこには虚構が入り込んでいる、ということなんでしょうか」と、この一文を締め括られている。
 つまりは、一般的な説明は、あながち間違いではないが、説明不足なのだ、ということなのだろう。
 小生、「くだもの」「くだもの(続)」を読んでいないので、確たることを自分の意見としては言えないのだが、興味深い話だった。

 表題の「柿日和」から、話が飛躍してしまった。こんなことを書くつもりじゃなかったのだ。が、未だに秋日和が秋の季語なのか冬の季語なのか分からないままに、あれこれ調べ書き綴っているうつに、何を書きたいのか、綺麗さっぱり忘れてしまった。
 ま、こんなもんである。

 長くなったので、小生なりの仕方で締め括っておきたい。そう、駄句駄句である:

 回遊魚 寿司屋さんでも 回されて
 太巻きを まずは食わせる 母の知恵
 皿の数 数える時だけ 血が巡る
 回転寿司 三廻り目には まけろっての

 句作はね 英語で言うと、ハイキング?!

 サンタさん お風呂の中で 茹ってる
 サンタさん 体の煤を 洗ってる?

 淡雪や 綿菓子の如 溶けていく
 淡雪も 根雪になると 恨めしい
 淡雪や 熱燗に浮かべ 風情かな
 降る雪や 目元で溶けて 涙かな
 舞う雪を 仰ぎ眺めて 空に飛ぶ

 何れも、方々のサイトの掲示板での書き込みに付した川柳の数々である。
 ああ、我が画像掲示板に戴いた素敵な画像と書き込み(473)へのレスとして詠んだ句もあった。広島、島根県の県境(萩の近く?)吾妻山で撮った写真だという:

 吾妻山雲の波間に日を抱く
 吾妻山雲を逆巻き日を招く
 吾妻山流れる汗も雲となる

 そうだ、表題の「柿日和」にちなんで、一句、ひねっておこう!

 庭の柿 空の青さを 際立たせ
 熟し柿 カラスの目にも 眩しきか
 吊るし柿 落ちる夕陽を 跳ね返す
 柿日和 揃って眺めた 遠い日よ

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2004/11/05

ラジオを聴く

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 タクシーでの仕事で、楽しみなのは、ラジオだ。学生時代や、社会人になってもテレビがない時は、ラジオが独り者の身には掛け替えのない友だったりしたものだ。
 9年前にタクシードライバーという仕事を選んで、ラジオの楽しみを改めて認識し直したものだ。別に、ラジオが楽しみで運転手になったわけではないが、ラジオの聴取ができることは実に嬉しいし、楽しい。
 無論、お客さんを乗せている間は、消すか、お客さんが要望されるチャンネルを選ぶ。が、悲しいかな、不況が続き、走らせている中で、半分以上は、空車なのである。つまり、10時間以上は、ラジオが友という状態になっているわけである。
 音楽にしても、クラシックからジャズ、民謡、民族(民俗)音楽、歌謡曲、ポップス、演歌、ロック、とにかく、耳に入るものは、何でも聴く。音楽通の方は世に沢山、いらっしゃると思うけれど、幅広いジャンルの音楽を聴いている、それも選り好みせずに、となると、かなり少なくなるのではないか。

 そんな中、昨日は、若林 美智子さんの話を聴き、また、演奏を聴くことができた。
 彼女は、東京生まれだが、病弱だったため幼少の頃から母方の祖父母の住む富山県の、「おわら風の盆」でも有名な八尾で育てられた、という。この富山に縁(ゆかり)があるということで、小生、耳を欹(そばだ)てた。
 富山で育ったということもあるのだろう、三味線がやがて胡弓に魅せられることになったのである。「祖父の若林久義(平成4年10月、83歳で没)は「越中おわら節」の胡弓の名手で、特にその個性的で独特な音色で聴く人を唸らせた」とのこと。その「祖父の演奏を子守歌代りに聴いて育つうちに胡弓に興味を持ち始めたが」…、その後に、交通事故で大怪我をするなど、いろいろとドラマが待っているわけである。
 彼女の胡弓の音には、彼女ならではの音色があるとの、ご主人の談話が印象的だった。

 さらに、桜で有名な大和路の吉野が、実は紅葉でも、素晴らしい。というより、紅葉こそが吉野の醍醐味なのだという話も伺うことが出来た。
 せっかくなので、小生、駄句を連発:

 山粧い 妍を競うか 吉野山
 艶やかに 今を盛りの 吉野山

 他にも、3日から4日にかけては、アメリカの大統領選挙の報道が、どの局でも聞けたのは、言うまでもない。ブッシュ現大統領が再選された。当面の経済や現日本の政権からすると、都合がいいようだが、長い目で見ると、どうなるものやら。イラクでは、ベトナム以上の悲惨な状況が生じているらしい。
 自己責任論が台頭してか、日本のマスコミも、イラクの惨状はほとんど伝えない。もしかして自己責任論というのは、マスコミや日本の世論の関心がイラクの実情に向くのを逸らすために、一部の報道機関などが政府の意向に沿う形で、意図的に流しているのでは、なんて、憶測を逞しくしたくなる。


 車中では、三島憲一著の『ニーチェ』(岩波新書)を読み始めていると、昨日の日記に書いた。自宅では、相変わらず、ミハイル・バフチン著『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)と『おくのほそ道』(松尾芭蕉著 潁原退蔵・尾形仂訳注 角川文庫)をゆっくりと読んでいる。
 前にも書いたが、小生、ドストエフスキー論は、基本的に読まない。それでも、バフチンの書は、内容が濃いので読み応えがある。長い本だが、最後まで読みそう。
『おくのほそ道』は、この本では二度目だが、さまざまな版で読んでいて、通算すると、5か6回にはなると思う。
 ところで、本では、ちょっと嬉しいことがあった。もう、10年ほども以前に図書館から借り出して読み感銘を受けた鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』(中公新書)を4日の朝、ゴミ箱で拾ったのである。こんな本を拾うことができるなんて、仕事の不調を補ってあまりある僥倖だった。そのうちの再読が楽しみである。

 何処かの掲示板で北海道が話題に。そのサイト主の方が北海道の方だから、当然といえば当然なのだが。そのサイトの掲示板に、小生は以下のような書き込みをした:

 北海道は二度ほど旅行したけど、またゆっくり旅してみたい。北大(?)の並木道とか。北大、狙ってたけど、届かなかった。雪の科学者、中谷宇吉郎博士の随筆が好きだったし。雪の研究が今じゃ、人工の雪を降らせるまでになった…。時代ですね。

 粉雪や 昔は天から 今は頭に
 降る雪や 本物かどうか 分からない
 降る雪を 口で溶かして 天の味

 さて、年間掌編百篇制作という目標。先月までで、84個。残す二ヶ月で16個。胸突き八丁が続く。夜半に、今月最初の作品を書いた。先月末に、「ディープスペース」という作品を書き上げたが、その続編である。
 といっても、物語として続いているというわけじゃなく、連作的に書いている。深い空間。小生の過去の作品を読んだことのある方は、ビビビと来るだろう。そう、 「ディープタイム」や「ディープブルー」のこと。
 後者の2篇は、かの「クラゲ」の絵をイメージして書いたものだが(成功はしていないが)、「ディープスペース」は、当初は、クラゲの絵を念頭に置いていたが、次第にイメージは離れていって、もっと自由な虚構空間を遊ぶつもりになっている。
 ということで、昨夜半に書いたものは、「ディープスペース:バスキア!」となっている。
 バスキアとは、言うまでもなく、ジャン・ミッシェル・バスキアのことである。小生が、この十年、一番、気に掛けているアーティスト。
 尚、ホームページへのアップは、なんとか、近いうちにと思っている(のだが)。

 さて、冒頭に掲げた写真は、4日、仕事がそろそろ終わりという朝の5時半頃だったかに撮ったもの。前にも、同じ場所で朝の明ける様子を撮ったことがある。
 実は、この一時間前、まだ薄暗い中、朝焼けの赤が混じり始めた、実に素晴らしい光景が同じ場所で見られ、すかさず写真に撮ったのだが、目にしている光景とは、似ても似つかぬ写真になったので(ほとんど真っ暗)、掲載を断念したのである。ああ、我が腕前の貧しさよ。

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2004/11/04

文化の日だったっけ

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 昨日、三日は文化の日だった。三日だということは、さすがに分かっていたが、その日が祭日だったとは、会社の駐車場に来て初めて気がついた。
 尤も、どうも、日中にしては、普段着姿のお父さん方の姿をよく見かける。どう見ても、出勤という風ではない。仕事にあぶれて焦っている風も伺えない。もしかして、という予感はあったのだが。
 どうにも否定できなくなったのは、駐車場に車が妙に多いことに気付いてからである。えっ、もしかして、今日は休日なの? 分からないが、週日であれば、小生が出勤する頃には、駐車場の車は、既に半分以下になっているはずである。残っているのは、小生のように拘束時間が約20時間の勤務形態ではなく、ナイト(夜勤)の車が大半。
 とにかく車に乗り込み、ラジオをオン。何気なく聴いていたら、文化の日がどうしたとか、叙勲がどうしたという話題が。そうだったのか、と、やっと得心が行った次第。
 一人暮らしをしていると、世間の波から取り残されがちである。そもそも、終日、会話というものがない。起きても、ボヤーとした頭のままに起き上がり、トイレを済ませ、食事をし、場合によってはテレビを見、昨夜、読み残した新聞など眺め、着替え、時間が来たら出勤。
 それらのステップを機械的に踏んでいく。鞄に詰め込むものの確認、財布や鍵束、そして戸締りなどの確認、そこには、当然ながら会話などの入る余地がない。新聞も、朝は開かないままに手に抱えて出勤し、待機中などに読むことにしているので、当日の予定なども、その日の夕方乃至は夜中までに知る。
 困るのは、衣替えの時季である。暑ければ、そのように、寒ければ、そのように衣服を用意するのだが、さて、いつ、衣替えしたらいいのか、さっぱり分からない。外を見ても、人通りは見えないので、今日は比較的寒そうだし、長袖なのか、上着を用意するだけでいいのか、見当が付かない。
 もっと、困るのは、常識が養えないことである。付き合いの範囲が狭いこともあって、結婚式や葬式、引越し、誕生祝い、その他の際に、何をどうしたらいいのか、まるで分からない。分からないだけではなく、ちょっと自分が面倒だと思ったら、もしかしたら義理もあって、付き合い程度のことはしなければいけない場合であっても、義理を怠ってしまう。
 すると、もう、人との付き合いが減っていく。狭まっていく。ドンドン縮小再生産を繰り返す。当面は、付き合いを怠るだけだったのが、もう、顔を合わせるのも、心苦しくなり、気が付くと、陸の孤島に居るような生活になってしまうのである。
 取りあえずは、都会(のはずれ)に住んでいるので、生活に不便はしない。健康に気を使いながら、細々とは生きて行ける。が、隣近所との付き合いも、面倒で憚っているうちに、知り合いさえ、近くにはいない。
 新潟は中越での震災を見て、隣近所との付き合いや、コミュニティの大事さを目の当たりにしている。かの、阪神・淡路大震災の時も、地域住民の交流の大事さが、報道などで繰り返し伝えられていたが、この度、震災を被った地域は、山間地であり、尚のこと、地元住民同士のつながりが濃い。仮設住宅を建設するにしても、何処か広いところに、まとめて沢山、作り、被災者を寄せ集めるのではなく、地域のコミュニティごとに、小さな単位(数)での仮設住宅の建設が望ましいという。
 年を取ると、新しい付き合いを構築するのは、結構、億劫だったりストレスになったりする。巨大な仮設住宅の集合地に近くで顔見知りもいないような形で寄せ集められたのでは、交流も何も叶わないのである。
 さて、翻って自分はどうだろうか。今だって、都会の片隅で孤立して生活している。それは、近くにコンビニもスーパーも病院も仕事先もあるから、大概のことは、他人様との付き合いを避けても(避けるつもりがなくても、自然と途絶えがちになっていく)、一人で暮らせる。
 暮らせていることは、確かに、そのとおりなのである。下手すると、一ヶ月だって、仕事以外では他人と会話をしないことがしばしばである。いつだったか、病気して一ヶ月以上、寝込んだ時も、誰一人、訪ねてこない現実の厳しさを実感した。このまま、息絶えていっても、誰かに気付かれるまで、どれほどの時間を要することだろうと思ったものだった。
 ただの一人も、心のパートナーを作れなかったのは、自業自得であり、仕方ないのだし、我が侭な自分だから、仕事以外では付き合いを持たないほうが楽だ、という思いもある。この生活の在り様は、自分が選んだ結果なのだと自覚しても居る。
 自由にできる時間が少ない中、読書や執筆ができるのも、一人暮らしだからなのだろうと思う。
 文化の日。祭日。そんな日に仕事して、文化の香りの欠片もない時の迷い子になっている。せめて仕事で少しは忙しかったら、余計なことを考えずに済むのだが、閑散とした仕事。街。一時間以上も町中を走っても、何処かお客さんのいそうなところで待機しても、何時間もお客さんにも見放された状態でいると、まさに、都会の片隅で自分は見捨てられているような、妙な錯覚に陥りそうになる。
 世には、文化に携われる立派な人も居る。が、さて、自分はどうかと言うと、自分なりに創造の根を不毛なる我が心の荒野に植え付けようと懸命である。空っぽの頭を引っ掻き回し、何がしかの想像の空間を作り出そうとする。
 今週は、車中に、三島憲一著『ニーチェ』(岩波新書)を持ち込んでいる。昨年から、貰った本、拾った本、昔読んだものの再読が読書のメインになっている。本書も、貰った本である。
 本書の謳い文句によると、「西洋の理性中心主義とキリスト教道徳を容赦なく批判し,力への意志,神の死,永遠回帰を説き,生は認識を通じて美となるべきことを主張したニーチェ.ハイデガーからドゥルーズ=ガタリまで,彼なくして二十世紀思想は語りえない.『ツァラトゥストラ』など深い孤独の思想を読み解き,彼の批判が現在の状況とどう関わるかを考える.」という。87年の本である。
 ニーチェは一時期は、芸術(ワーグナー)での生の救済を夢見た。
 目の前に突然、口を開けた深淵。絶望。神の死。それを美の創出で乗り越えようとした。
 小生は、美を追い求めつつも、むしろ、虚の時空を虚構の空間で埋めようとしている自分を感じている。空白、喪失、欠乏、徒労、その虚の空間を、さらに虚なる虚構の時空の創出で糊塗しようとしている…。
 学生時代だったか、文筆を田植えに喩えてみたことがある。田圃に手で苗を植えていく。そのように、原稿用紙の桝目に文字を埋め込んでいく。原稿は、自分にとっては泥田なのである。
 今は、原稿は、モニター画面である。というより、むしろ、液晶の画面、さらに言うと、電子の順列と組み合わせの抽象空間こそが、原稿用紙なのである。この物足りなさ。が、創出する空間が虚構の空間なのだとしたら、電子の波に形を与え、与えては崩し、崩しては新たな形を必死になって与えようと足掻く、しかも、出来上がった作品も、電子の気紛れな並びにしか残されていないという、この在り方こそが、創造に一番、相応しいのではと思ってしまう。
 その抽象の空間に束の間の形を創出し、その虚なる位相を墓場とする。
 人間にとって…、というより、自分にとって欠けているもの、他人には常識で見えているし、足りているはずのものが、欠如している。しかも、自分では自分の顔も背中も鏡などを使わない限りは、つまり、生の形では眺められないように、自分に一番欠けていて、しかも、必要なものも見えないのではないかと感じる。それこそ、突然、尻尾に噛み付かれた猫が、尻尾を追い掛け回すように、小生も尻尾を追ってグルグル回っているような気がする。追いつけない。
永遠に追いつけない。尻尾を切り離さないと、自分の実相を確かめることが出来ない。
 何が自分に足りないのだろう。
 でも、ひょっとして、本当は、とっくの昔に気付いていたりして。
 そんなことはないと信じたいのだが。

 掲げた写真は、文化の日の真夜中に撮った、オレンジ色に輝く東京タワー。肉眼では、もっと色鮮やかに見えていた。が、小生の腕前では、なんだか、夢の中に出て来る幻の搭のようだ。小説も、そう。自分の脳味噌の中では、傑作に感じられているのだけど、いざ、描いてみると、見るも無慙。
 これが悲しい現実なのだね。

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2004/11/03

秋薊のこと

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 俳句の世界では、ただ薊(あざみ)というと春の季語となる。実際には、春に咲く薊は少ないらしく、ほとんどの薊は夏から秋にかけて咲くのだとか。「イギリスでは、痛いトゲで敵から国を守った花として国花となっている」という。だからか、花言葉は、「独立」。
 日本では、どれほど見かけるものなのか。
 秋薊で秋の季語というが、多くは夏に咲くものらしい。「花のあとはタンポポみたいな種(たね)になり、風に乗って飛」ぶというが、その様子が野薊という名前に相応しいと感じる。
 不意に薊の話題を持ち出したのは、あるサイトの掲示板での書き込みで、その方の弟さんが俳句をされている、金子兜太氏が顧問となっている俳誌を出されている、とあり、飛んでみたら、以下の句を見つけたのである

 遠くから帰る途中の秋薊   (ほ)

 どうやら病が癒え、家に帰る途中で秋薊を見た、という句のようである。
 驚いたのは、例によって、せっかくなので、「秋薊」とはどんなものなのか、言葉の意味、花の姿など知りたくて、「秋薊」のみをキーワードにネット検索してみたら、実に筆頭に、この句と共に、金子兜太氏のこの句などへの評が寄せられているサイトが現れたのである。
 小生のこと、早速、この句に付す形で、一句をひねった。それは既に紹介済みだが、再度、載せておくと、

 はるばると 来つるものかな 秋薊  (や)

 無粋な小生が、「薊」という花の名前を印象付けられたのは、遠い昔に流行った歌を通じてだった。
 曲名など、覚えていない。が、メロディと歌詞の中に「恋あざみ」が出てくるのは覚えている。で、「恋あざみ」をキーワードにネット検索したら、これはまぐれ当たりで筆頭に「恋あざみ」の歌が出てきてくれた。
「作詞:泉淳三 作曲:彩木雅夫 歌:勝彩也」というが、小生の朧な記憶では、歌手は女性だったような気がするが、記憶違いなのだろう。歌詞を引用するのは著作権上、問題があるのだろうか。ま、好きな曲だし、紹介したい気持ちもあるので、一番だけ、転記する:

 愛しあってもどうにもならぬ
 今日と言う日が行き止まり
 思い出だけのあなたゆえ
 遠くで倖せ祈りましょう
 あたしは酒場の恋あざみ

 一体、何時の歌かと調べてみたら、昭和45年という。小生の初恋(失恋)の年である。ああ、これじゃ、記憶に残るしかないわけだ。あの日が小生の行き止まりだったのだろうし、「思い出だけのあなたゆえ 遠くで倖せ祈りましょう」だ。さすがに当時は、「あたしは酒場の恋あざみ」ではなかったけれど、今じゃ、場末の恋あざみのような気がする。
 アザミ(あざみ)の歌をさらにネットで探してみると、一頃流行った曲が幾つかヒットした。
 一つは、中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」(作詞・作曲 中島みゆき)。この歌、「ララバイ ひとりで 眠れない夜は ララバイ あたしを たずねておいで」なんてあって、純情な小生など、間に受けて、そんな人が世の中に居るんだ、だったら!ってんで、飛んでいきたいものだと思ったものだ。
 それ以上に、歌を聴いていて、アザミ城(ジョウ)というのが、最初の頃、どうしても分からなかった。アザミ城? 歌詞を聞いてみても、城などまるで出てこない。曲名が、「アザミ嬢のララバイ」なのであり、「アザミ城のララバイ」ではないと分かるのに、かなりの時を経たような気がする。
 余計な思い出はともかく、「春は菜の花 秋には桔梗 そして あたしは いつも夜咲くアザミ」という歌詞とメロディの言い回しが印象的な歌だった。
 他にアザミの歌というと、逸することの出来ないものに、「あざみの歌」(作詞・横井 弘 作曲・八洲秀章 唄・伊藤久男)がある。出だしの、「山には山の 愁いあり  海には海の かなしみや」が、既に印象的で懐メロなのかもしれないが、長く唄われて欲しい歌だと思う。
 ちょっと気になるのが、「北原白秋・心の旅」というサイト。この冒頭辺りに、「耳を澄ませば「♪♪夏は…恋アザミ・・・私の心は夢模様」と少女らの歌声が聞こえてくる」と、歌詞の一部らしい一節が引用されている。さだまさしの世界に満ちたサイトだと自称されているが、さだまさしの歌、なのだろうか。
 
 アザミ、薊、秋薊、野薊…。アザミという名前の不思議な力なのか、昔にしても、そんなに見たことがないはずなのに、印象的な花。野に咲く花。庭などに、殊更、植えられることがあるのだろうか。
 小生、語源というか、何故に、このような名前が付けられたのか、とても、気になる。
 薊という花については、画像も含め、サイトを冒頭に紹介したが、「葉は羽状に裂け、縁にとげがある」花だとか。で、「沖縄の八重山では、とげを「あざ」と呼ぶことから、 「あざぎ」(とげの多い木)と呼ばれ、 しだいに「あざみ」になった」という説が、そこには紹介されている。
 あるいは、「「アザム」の言葉に由来するという説もある。 「アザム」には「驚きあきれる」とか「興ざめする」の意味があり、花が美しいので手折ろうとするとトゲにさされて痛いので、 「驚きあきれ、興ざめする」ということからこの名前がついたらしい」とも。
 それでは、「アザム」という言葉の意味は、如何と、「アザム 薊」をキーワードにネット検索してみた。すると、その名もズバリ「あざみ」というサイトが登場した。
 このサイトにも、「アザミ」の語源について、全く同じ説明がされている。どこかに典拠があるのだろう。
 野原薊(のはらあざみ)の詳しい説明が載っているのもありがたいが、以下の句や歌を知れたのも、嬉しい:

 世をいとう心薊を愛すかな     正岡子規

 口をもて 霧吹くよりも こまかなる
              雨に薊の 花はぬれけり
                         長塚 節

「あざみ」の花言葉は、「独立」だと紹介したが、「触れないで」も、あるらしい。棘(とげ)があるから、なのだろうか。でも、薔薇にはそんな花言葉はない。「あざみ」に、殊更に、「触れないで」とか「独立」という花言葉が寄せられているのは、あざみの花言葉がイギリスで作られたからなのか。
 でも、「触れないで」は、触れて! を暗喩しているような気がする。
 野にアザミの花が寂しげに咲いている。ともすると、そこに咲いていても見過ごしてしまう。見過ごされた花は、誇り高く、「触れないで!」と自分が言っているから、誰も見向きもしないのだと、思っている。
 でも、本当は、誰もが、気付きもしない地味な花なのだと、自分でも分かっている。敢えて、「独立」を標榜する人間というのは、実のところ、孤立していることが寂しいのかもしれない。けれど、寂しいと感じていることを、自分でさえ、認めたくないのかもしれない。

 世を恋ふる心薊に見透かされ     (や)

 さて、掲げた写真は、火曜日の朝、そろそろ仕事も終わりという頃、何処かの線路の踏切を渡る最中に撮ったもの。
 昨日の日記「朝、霧が出るとその日は晴れる」にも書いたけど、火曜日の朝は霧が濃かった。
 この写真を撮った頃合いには、日も出始めていて、霧も晴れたわけじゃないけれど、大分、見通しが利くようになっている。でも、濃霧の余韻は残っている。
 小生の父は、鉄道員だった。生涯一鉄道員。その息子は不肖の息子で、行方定めぬ浮薄なる人生を送っている。誰にだったか、小生が学生の頃、父の望みは小生が鉄道員になることだったと聞いたことがある。小生が選んだ学部は文学部。それも、哲学科。およそ、無縁な世界に紛れ込んでしまった。
 鉄路の彼方にロマンを見た父。鉄路の彼方も此方も霧に覆われ、霞んでしまっている自分。
 こうなった以上は、より深い霧の世界の彼方へと飛び込んでいくまでである。

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2004/11/02

朝、霧が出るとその日は晴れる

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 表題そのままなのだが、今日、火曜日は、まさに「朝、霧が出るとその日は晴れる」となった。
 タクシーの営業も残すところ、あと二時間ほどになった頃、まだ、空は真っ暗だった。夜明けがやけに遅くなったなと思っていた。ある郊外の駅に車を付けて、お客さんを待って三十分あまり。ようやく、お客さんが乗ってくれた。さて、走り出すと、フロントガラスが濡れてくる。
(あれ、雨でもなさそうなのに、どうして水滴が? 朝露?)
 なんて、思いつつも、さらに走らせていると、未だ日の昇るにも間のある五時前の暗さだけじゃなく、霧が立ち込めていることに、ようやく気がついた。
 それも、濃霧と言いたくなるような濃さ。視界がかなり不良の状態。お客さんを下してからだったろうか、ラジオでは、霧の話題がちらほらと。他の地域はともかく、東京都内では全域で濃霧が漂っているらしい。
 そのラジオの話題の中で、「朝、霧が出るとその日は晴れる」という言い伝え(?)があるという話を聴いたのである。
 そこには、何かもっともらしいメカニズムがあるのかどうか、ネットで調べようと思ったが、適当なサイトが見つからない。せいぜい、朝霧が秋の季語だということに、改めて気付かされただけ。
 霧とは、「空気中の水の粒子が冷えて凝結し、細かな水滴になり浮遊する」なんて、説明しても、何を今更だろう。
 それでは、霧と靄(もや)と霞(かすみ)の違いはどうだろうか。
 気象庁などに問い合わせるのがいいのだろうが、ネットでは既に調べている方が大勢、いる:

 霧 : 微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態
 靄 :微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1km以上、10km未満となっている状態

 気になったのは、煙霧という言葉。同じく、「乾いた微粒子により視程が10km未満となっている状態。」という定義が示されている。「乾いた微粒子」!ってことは、つまりは、土埃などで視界が幾分か遮られている状態のことなのか。
 上掲の定義だと、霧は、地上世界に降りてきた(生じた)雲だということだ。
 靄は、「微小な浮遊水滴や湿った微粒子」とあるように、必ずしも、微小なる水滴だけじゃなく、煙(埃)なども靄の原因となりえるというわけだ。
 では、今朝の濃霧は、純粋な霧だったのだろうか。たしかに、湿度が極めて高かった。
 が、高気圧に日本列島がすっぽり覆われていることもあってか、風がなかった。
 ということは、排気ガスや埃、その他の「乾いた微粒子」の類いが、風があれば海にでも吹き流されるはずが、列島上に滞っているということになる。
 霧が生じるには、核になる物質が必要だという話もある。特に、東京などのように埃が多いと、湿度が高い場合、その埃を核にして大気中の湿度が水滴の形に結晶するという可能性が高まるということか。
 そういえば、今はどうなのか知らないが、一昔以上も昔のロンドンでは、濃霧が凄まじかったというが、やはり、産業が急激に発達し、工場の排煙が無制限に流れ漂って、霧の深さを過激なものにさせていたとか。
 今朝の東京の濃霧も、単に霧が深いと、風情を楽しんでいるわけもいかないのか。
 その前に、視界が悪いのだから、車を走らせている小生、可愛い小さな目を、パッチリバッチリと開けて、事故を起こさないよう、懸命な走行に努めていたので、霧の風情を愛でるゆとりもなかったけれど。
 あ! 霞(かすみ)のことを書いていない。
 霞というのは、霞んで見えるという表現もあるように、事情なり原因が何であれ視界が霞むこと。それこそ、霧で霞むこともあれば、土埃や煙で霞むこともある、というわけである。
 となると、小生の脳味噌は、どうなのだろう。いつも、霞が掛かっている…。ま、寝不足ということにしておこう。年のせいにしたくないし。
 ただ、老眼の度が進んでいて、近場は見えない。だから、読書は老眼鏡がないと、辛いのだが、遠方となると、下手すると若い頃以上によく見える。美女も遠くだと、くっきり見えるが、近付いてきて、さて、どんな素敵な人かと、ワクワクしていると、いよいよ目の前を通り過ぎるときには、姿かたちがぼやけてしまって、あの遠くで見かけた素敵な女性は何処へ行ったの、ってことになっている。
 でも、お蔭で、近場で見る限りは、大概の女性が綺麗(だろうな)に見える(そう、思っておく)というメリットもある。
 こうした小生の事情ってのは、脳味噌の霞み具合とは反比例している。頭脳の働きは霞んでいるのに、遠くがクリアー。不思議だ。
 そういえば、昔、霞ヶ関ビルという巨大なビルの先駆けのような高層巨大ビルが出来た時、あれは、政治的経済的に不透明な永田町の近傍にあるからだとか、光化学スモッグのひどくなり始めた、排気ガスのひどい時代だったので、そうした時代を象徴する意味で命名されたビルだという噂を聞いたことがある。
 政治の不透明さだけは、今も昔も変わらないってことなのか。
 
 せっかくなので(何がせっかくなのか、自分でも分からないが)駄句の数々で、この一文をきっちり、締めておきたい。例によって、方々のサイトの掲示板に書き散らしたものである:

(ホトトギスの異称:杜鵑・霍公鳥・時鳥・恋し鳥・早苗鳥・子規・浅羽鳥・文目鳥・古恋ふる鳥・妹背鳥・歌い鳥・卯月鳥・黄昏鳥・射干玉鳥・不如帰・夕影鳥など。他にも幾つかある。ホトトギスは、ウグイスに托卵する

 ホトトギス 時の鳥とて 夏告げる
 ホトトギス 古(いにしえ)恋ふて 鳴くとかや
 ホトトギス 子規をも早め 鳴くのかと
 ホトトギス 射干玉の闇 射竦めて
 ホトトギス 梢の陰で 番うのか
 ホトトギス 夕影寂しと 鳴き荒ぶ
 ホトトギス 高浜の空 恋ふて飛ぶ

(東京は、雪は年に数日降るだけ。気をつけるのは路面の凍結。何処が凍結しているか、夜間はよく見えない。特に朝方が危険。でも、用心していても、滑る時は滑る。まるで、あっし駄洒落みたいに、滑る!!)

 凍結路 滑って転んで 肝冷やす
 親父ギャグ 雪道よりも 滑ります

 はるばると 来つるものかな 秋薊(あきあざみ)

(ブルーデイジー…、別名は瑠璃雛菊だとか。イラクの地で散った若者を思いつつ)
 
 瑠璃色の 星屑の空に 旅立てる
 地の砂と 天の星とを 結びけん
 若き血の 滾りを癒す 星屑か

 冒頭に掲げた写真は、そろそろ濃霧も掠れはじめた朝、六時過ぎに、何処かの町角で撮ったもの。いつもながら、花の名前は分からない。

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2004/11/01

…と秋の空

s-DSC01044.jpg
 
 掲げてある写真の花は、ホトトギスだとか。あるサイトの掲示板にこの写真を投稿したら、ホトトギスですね、と即答された。人様のサイトに写真を提供しておきながら、道端で見つけた花です、なんて、無責任な書き方をしていた自分が恥ずかしい。
 過日、別のサイトの掲示板で、ホトトギスは鳥だけじゃなく、花の名前でもある、なんて知る機会があったばかりだったのに。
 なので、昨夜はせっせと、「ホトトギスのこと」という雑文を綴ってみた。例によって、ホトトギスのことも何も知らない小生、書きながら調べ、調べながら書いていくという、行き当たりバッタリの書き方だが。
 一週間ぶりに配信したメルマガにこの一文と、27日の日記に綴った「音という奇跡」を併せて、配信した。
 日記で書いたことをメルマガで配信するのも、変な話のようだが、そもそも、ホームページを覗く手段を持っていないか、いずれにしても出先だったりしてメールを折々覗くだけの方もいるわけで、ブログという形式の公表形式が面白そうと思いつつも、当面は若干、間遠になっていくかもしれないけれど、メルマガの配信も怠りなく頑張りたい。
 
 車中ではラジオが頼りである。情報源として、また、音楽など楽しみの糧として。実際、昨日にしても、武装勢力に拉致された香田証生さん(24)さんについての情報が、刻々とラジオを通じて耳に入ってくる。一度は、生存の可能性もあったのに、悲痛な結果になってしまった。このことは、昨日の日記に書いたので(その時点では、生死は未だ不明だったが)、ここでは省略する。
 印象的だったのは、情報が錯綜しているという以上に、政府の情報管理や整理の拙劣さだった。
 これじゃ、間違った情報で戦争に突入するのも、無理はなかったのかと、改めて思い知らされた次第。

 北陸が全国でも雷の発生件数の多い地域だということも、昨夜のラジオで知った。得られた情報をネットで得た情報と照らし合わせつつ、若干のことを、やはり昨日付けの日記に書いた。
 10月31日がハロウィンの日だということも、同日のラジオ番組で知らされた。世相が厳しいこともあるし、キリスト教の国じゃないこともあってか、あまり日本では話題にならない。
 尤も、クリスマスも、バレンタインデーも、キリスト教の文化や伝統・慣習に関わるものであり、それを商魂たくましい方たちが商売に結び付けたわけで、ハロウィンだって、かぼちゃなど野菜作りに携わる産業界の方が、うまく商売に結び付ける可能性がないわけじゃない。
 尚、我がサイトの画像掲示板に、何処かのホテルで見た、ハロウィンにちなんだ展示物の写真を提供していただいた(446)。ちょっと、覗いてみてもいいかも。

 土曜日から日曜日に懸けてのラジオで、ちょっと小耳に挟んだ…のだが、一体、どういうわけで耳に残ったのかが分からないこともある。それは、例えば、秋海棠 (しゅうかいどう)という名の花のこと。
 そろそろ秋海棠の咲く時季も終わりだというのに、どうしてこの花が話題に上ったのだろう。
 いずれにしても、名前が印象的だということある。
 中国名が「秋海棠」だというが、花の名前というのは、いつ、一体誰が、何に基づいて名付けたのだろうか。思うに、大概の詩や歌や小説の作者などより、花など植物の命名者こそ、よほど、天才的な創造者なのではなかろうか。
 詩や歌を綴るにしても、植物名の味わいや余韻などに、どれほど依存していることだろう。
 上掲のサイトに載っている松尾芭蕉の句を:

 秋海棠 西瓜(すいか)の色に咲きにけり

 せっかくなので、ちょっとだけ、秋海棠のことを調べておくと、花言葉は片思いだそうである。
 古くから、「雨に濡れたる秋海棠の花」とは、「古くから使われる憂いを秘めた美女のたとえ」として歌われていると、数々のサイトに記されているが、小生は初耳である(あるいは、耳にまるで残っていない)。典拠などは、何処にあるのだろうか。

 これは、別にラジオを聞いていて、耳に残ったというわけじゃなく、まるで本人としても頭に浮かんだ脈絡が分からない事案である。
 頼山陽(らいさんよう)の詩に、「鞭声粛粛夜過河」という有名な詩がある。読み下すと、「鞭声 粛粛 夜 河を過(わた)る」となる。甲斐の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信との戦いである川中島の合戦を叙景した詩のようである。
 念のため、詩の全容を示しておく:

 題不識庵撃機山図       不識庵の機山を撃つ図に題す

 鞭声粛粛夜過河        鞭声 粛粛 夜 河を過(わた)る
 暁見千兵擁大牙        暁に見る 千兵の大牙を擁するを
 遺恨十年磨一剣        遺恨 十年 一剣を磨き
 流星光底逸長蛇        流星光底 長蛇を逸す

 意味などは、「頼 山陽の漢詩」などを説明したサイトを覗いてみてほしい。
 小生、子供の頃、この漢詩を川中島の合戦の様子を画面に写しつつ、朗々と謡うのを聞いていて、なんとなく、脳裏では違う詩に聞えていた。
 小生の耳には、どんなふうに聞えたかというと、「べんけい シクシク 夜 河を渡る」なのだった。
 義経を心ならずも叩いて、それで、安宅関を越えたはいいけれど、主君を叩いてしまったことを深く悔いての詩だ、というわけである。
 どうして、土曜日の営業中、「べんけい シクシク 夜 河を渡る」という文句が脳裏で幾度も響いてならなかったのかは、自分でもメカニズムが分からない(このように聞えていた、というのは、ずっと前のことなのだし)。

 そうそう、小生のこと、駄句も載せておかないと、物足りない:

 ホトトギス鳴かせて見たい手の平で 
 ホトトギスせめて見たいなその姿  
 ホトトギス鳴かず飛ばずで来けるかな  
 ホトトギス鳴かず飛ばずもいいものさ

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2004/10/31

「秋霖」追記と冬の雷のこと

 先ずは、30日の日記の表題、「秋霖(しゅうりん)」について、若干。
 日記の冒頭、「秋霖(しゅうりん)とは、秋の長雨のことを言うとか。秋の季語として使われる。」と記した。
 が、偶然というべきか、それとも、「秋霖」を使ったばかりなので、その言葉に敏感になっていただけのことなのか、ラジオ(30日付けNHKニュース)のお天気情報の話の中で、まさにこの言葉が登場した。
 うろ覚えのままに、書き綴っておくと、季節の変わり目には、ぐずついて天気が一週間ほど続くことがあり、4月上旬のぐずついた天気を「なたね梅雨」と呼ぶように、秋から冬にかけての、は「山茶花(さざんか(梅雨」と呼ぶ…、と、聴いた。
 そこまで聴いて、ちょっと不安に。じゃ、「秋霖(しゅうりん)」(秋雨)は、何時の時季のことを称するのか。
 その前に、ネットで調べたら、「なたね梅雨」の別称に、「タケノコ梅雨」があるという。「山茶花」も「菜種(なたね)」も、「筍(タケノコ)」も、要するにその頃に咲いたり印象的だったりする植物の名称を冠しているわけである。
 では、「秋霖」は、何時の時季を指す表現なのか。昨日のラジオだと、夏から秋の変わり目の長雨を表現する言葉なのだというのである。他の梅雨に並んで敢えて表現するなら、ススキの穂の風に揺れる光景が印象的だったりするので、<ススキ梅雨>とでも命名したら、なんて、個人的には思ったが、ススキは、河原などに行けば当たり前のように見られる…が、都会では、見かけるのが珍しくなってしまって、難があるのかもしれない。
 そもそも、六月前後の所謂「梅雨」は、「梅雨」と称されるだけで、一切、冠せられこともないのだし、「秋霖」(秋雨)は、秋霖のままでいいのかもしれない。
 
 昨日、車中でラジオを聞いていたら、雷の話を聴くことが出来た。やはり、NHKの放送でのことだった。「ラジオ深夜便」という番組だったろうか。語り手は誰だったか聞き漏らしている。気象学者の宮澤清治氏だったろうか。アンカーは宇田川清江さんだった。
 話の大半は、仕事中(運転中)だったこともあり、雨の中、高速を走っていて、運転に相当程度集中していた小生は、幾つかの情報を断片的に拾っておくのが精一杯だった。
 一番、意外だったのは、富山を含む北陸地方が、冬の雷の発生する年間の日数が全国でも際立って多いという話だった。
 昨日、30日は、時折雨脚が弱まることがあったが、ほぼ終日、雨。それが、夜が深まると共に、不意に稲光が伴うことが幾度かあった。雷雨。稲光は、かなり遠いのか、眩しく光っても、音はなかなかしない。中には、光るだけで、音を伴わないことも。
 そんな天気だったので、話題に、冬の雷などが採り上げられたのだろう(か)。
 早速、「冬 雷 北陸」をキーワードにネット検索。すると、冒頭に、「北陸の雷の特徴」と題されたサイトが登場した。クリックすると、まさに小生が求めていた情報が載っていた。
 なんとなく、雷というと、夏というイメージが小生には、ある。主に梅雨の初めから夏の終わり頃までの時季、午後から夕方にかけての時間帯に、不意を打つように強い雨が降り、そこに雷鳴が重なってくる、という印象なのである。
 が、北陸に限っては、冬の雷が多い。雷雨は、九州や関東の山間部でも多いのだが、年間を通してみると、北陸地方が一番、多いという統計結果が出ている。その上で、「北陸は冬の雷日数が多い」というわけである。
 また、「夏の雷は午後から夕方にかけて発生することが多く、冬の雷は発生する時間に偏りがない」という。
 小生は、郷里である富山を離れて三十年以上となる。子供の頃、例えば、冬の季節など、雷が多かったのかどうか、記憶に定かではない。追々、やや遠い昔の記憶を辿って、どんなだったかを思い出していきたい。
 北陸に限らないが、冬の日本海は荒れる。雪交じりだったりすると、逆巻く波に凄みさえ覚える。そんな空に稲光し雷鳴が轟いたりしたら、さぞかし、凄まじき光景だったろう。
 尚、上掲のサイトには、「冬季雷(上向き雷、多地点同時落雷)の例」という興味深い写真も載っている。そんな様子を天変地異大好きだった(である)小生だって子供の頃、眺めたことがあったろうに。
 確か、同じ番組(同じく宮澤清治氏)の話の続きで、寒ブリの話もあった。
 寒ブリというと、「ブリ街道」を思い起こすし、「氷見の寒ブリといえば、東京の築地市場でも高値で取引されるブランド品」だったりする。正月の帰省の折には、ブリの照り焼きや、天然ブリのお造りなどを食べるのが楽しみである。
 その寒ブリについて、冬の雷に関連付けると、「晩秋から初冬にかけて、富山湾では、雷鳴とともにシケに見舞われることがあります。これがブリの豊漁を告げる「ブリ起こし」です」となるわけである。
 富山で採れるブリには、養殖モノはない、すべてが天然もの、なのである。
 小生自身、「ブリ街道」は、「ノーベル街道」ということで、雑文「ノーベル街道をちょっとローカルに見る」を書いたことがある。

 武装勢力に拉致された香田証生さん(24)さんについて、悲痛な情報があった。昨日の政府の情報の連絡や情報管理の狼狽振りには呆れたが、今朝、未明の厳しい情報に吹き飛ばされてしまった。バグダッド市内で発見された首を切断されたアジア人とみられる男性の遺体の身元確認が最終的にされていない段階では、迂闊なことは言えない。
 が、万が一、最悪の結果が確認された時、政府やマスコミは、どのような報道をするのだろう。また、例によって、自己責任論を持ち出すというのか。危険と警告された地域に勝手に入ったのだから、自業自得と、政府は責任を回避するのだろうか。
 なるほど、無謀な行動だったことは間違いないと思う。が、若く好奇心と善意(かなり無邪気な)に溢れる若者が、良識ある人々の制止を振り切っても、イラクの惨状を自分の目で見てやろうと思うという気持ちも、無碍に愚かなものと断じる気にはなれない。
 そもそも、自己責任を問われるのは、日本の政府当局であり、英米などを中心とする無謀かつ非道なイラク攻撃を支持した出発点が問題だったのではないか。そんな方針を支持した与党筋らの責任もある。大量破壊兵器は見つからなかった、だけじゃなく、最初からなかったと分かっていたのではないか、ないと分かりそうだったから、査察を中断させたのではないか。フセインの非道を喧伝する論調があったが、その情報の出自は怪しいことが段々と分かってきている。
 イラクへの攻撃は、大義がまるでないことが分かっている。英米などの難癖であり、因縁であり、でっち上げでの、フセイン政権が気に食わないから、政権を倒して、英米日(イスラエル)に都合のいい体制へ持っていこうという意図以外に何があったのだろうか。
 資源確保とイスラエルの安寧。そのためには、都合の悪い政権は倒す。日本もその受益者なので、目を瞑って、英米にくっ付いていく。
 国益には、二つあると思う。一つは、文字通りの利益であり利害である。小泉政権の眼中にあるのは、この意味の利益追求だけである。
 もう一つの、国家としての尊厳という国益は、全く顧みられない。アメリカに媚を売って、現ブッシュ政権に褒められて、有頂天になる一方で、アジアやヨーロッパでの尊厳は、低下の一途を辿っている。国連の常任理事国になろうという意図が一部にあるようだが、アメリカ追随と利害打算しか視野になく、大義の欠片も持てない、理念もビジョンもない国家に、どんな役割を担えるというのだろうか。
 やはり、エコノミックアニマルの本領発揮だけ?!

 イラクを、NGOなどの民間人が活躍できないような危険な状態に陥れ、数万人が、場合によっては十万人を超えるかもしれない、イラクの民間人の犠牲が生じたのは、英米や日本の責任でなくて、誰の責任なのだろう。 
 犯行(実際に、遺体の身元確認がされたなら、だが)が、指弾されるべきテロリストグループによるものであり、その蛮行を許す訳には行かないが、小生が懸念するのは、この事件を契機に、テロリストは許せない、自らの手で、イラクの治安に当たらねばならない、自衛隊の権限を増やすべきだ、政府による渡航制限を厳しくすべきだ、さらには、国論がテロリスト憎しの名のもとに、タカ派一色に染められるのではないかという怖れだ。
 昨年、日本の外交官が暗殺されたが、彼等の意志を尊重し受け継ぐためにも、政府はイラク侵攻、イラクへの自衛隊の派遣を実行すると、彼等の死が利用された。
 今度も、仮に香田さんが悲しい結果に見舞われた時には、打算的に利用しようというのだろうか。政府や与党、マスコミの論調を見守りたい。

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