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2004/10/09

我が部屋の公開!

半ば実験の意味で我が部屋の写真を公開。後悔するかもしれないので、すぐに削除するかも。pic_0000.jpg

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2004/10/08

朝の道:天高く皆恋ゆる秋

asanomiti.jpg

 今日は体調が悪く、夜はずっとグッタリしていた。夜半前には今月二つ目の掌編を書こうと思っていたけれど、気力が湧かず、やめてしまった。情ない。
 どうも、夕方前に見た夢見が悪いようだ。どこか引き摺っているような気がする。
 
 こんな時は、ここに掲げた爽やかな絵や作者には申し訳ないけれど、駄句のオンパレードで、気分一新だ。

 まずは、水曜日の営業中に作った句や作品の数々を:

「天高く馬肥ゆる秋」をもじって、「天高く皆肥ゆる秋」。健康的に生きましょう。ダイエットなど気にせずに食欲を我慢などしないで。そんな意味、なのでしょうか。自分で作って、訳が分からないでいる。
 それとも、違う方向へもじって、「天高く皆恋ゆる秋」ってのは。いいね、恋する秋だ。小生も好きな人が今、いるけんね。もしかしたら、疲れ気味なのは、恋煩いのせい、まっさか?!

 ジョン・レノンのことが話題になっている。奥さんが残していたテープが一日限りで放送されていた。
 小生、レノンの「イマジン」が好き。でも、小生だと、「暇人」に聞えるのが悲しい時ー、だ。
 今に有名になって、「今人」になってやるー。

 水曜日にブルー・インパルスが横浜だったかの上空を飛び、秋の空に綺麗な飛行機雲を描いていたとか。
 小生のこと、飛行機雲と聞くと、即座に「屁ーこき雲」に聞えるから、情ない。
 天高く屁こき雲の爽やかさ、なんて、詠っても、ちっとも爽やかじゃないね。

 小生、数年前に、次のような標語を作った:

「天災は忘れた頃にやってくる。返済は忘れないでやってくる。」
 生活実感の篭ったしみじみとしたペーソス溢れる往年の傑作である。
 これをもじって…

 変態はいつもあなたを狙っている、なんてのは、どうだろう。
 どうだろうって、聞かれたほうも、困るだろうけど。
 別に、飛行機の編隊から変態を連想した訳ではありません。

 なんでもいいけど、今、外で、猫たちが、ギャーギャー、凄い。頑張っている最中なのか。小生も頑張らねば。でも、何を頑張ればいいのか。

 猫よ猫 少しは分別 弁えて

 さて、以下は、帰宅してからの駄句の数々である。方々のサイトの掲示板に書き散らしてきた。それぞれに、経緯(いきさつ)があるのだけど、句だけを列挙する。

 雪虫の ふわふわ舞って 冬便り
 ナマケモノ 我が世が来たかと 伸びをして
 夜半(やは)の秋 留守電の声 繰り返す
 雨煙(うえん)をも 睥睨するか 光搭
(光搭とは、東京タワーのことです。この句は、月曜日の夜半、雨が降る中、東京は綱の手引坂の頂上から右に降りる神明坂で見た、靄というか雨の煙に浮かび上がる東京タワーを見た印象を思い出して作った。)
 コーヒーを 恋しいと聞く 秋の宵
 金木犀 香りを吸って 咽ちゃった
(咽たのは、人じゃなくて、金木犀。なぜなら、都内の公園では、公衆便所の脇に金木犀が植えられている例が多いのだ。臭い隠しのために植えられているのかと、邪推したくなる)
 花の色は 移りにけりな 悪臭ゆえに
(上記の理由で、金木犀が悪臭を吸ったために、花の色が、本来は白なのに、橙色に変わったのではないか、と詠っただけの、意味のない句)
 かくあれと 幾星霜を 重ねしか
(「君のもと 風にゆらめく 小花あり」とか、「遠くより 君を眺めし 花もあり」などと、誰かさんが掲示板に書き込んでくれた句に応じて作ったもの)
 月影に 兵庫と続く テレビ好き
(月影兵庫! 懐かしいな。近衛十四郎の飄々とした雰囲気が好きだった。品川隆二も味を出していたね)

 掲示板に「明日のNHK「人間ドキュメント」で水俣の作家、石牟礼道子さんの鎮魂の能舞台が放送されるようです」と書き込んでくれた方がいる。この明日というのは、金曜日。小生は仕事だ。
 でも、お蔭で、あれこれ思い出した。
 石牟礼道子さんの『苦海浄土』 は読んだことがあるし、ユージン・スミスの水俣病写真集は手元にある。
 この写真集は、日米の混血である奥さんのアイリーン・スミスも協力したのです。    
 水俣の問題は、小生を社会問題に関心を向けさせた因縁の問題。富山も、イタイイタイ病がテレビなどで報道されていた。それまで漫画しか読まなかった小生、ほんの少しは社会派になったのだった。それが、やがて、哲学に移っていくのだけれど。

 今日(7日)は、「おわら風の盆」で、「花街の風情を残す墨田区向島の見番通りで23日、「おわら風の盆in向島が開かれる。」という、ちょっとした情報を入手したので、せっかくなので、その関連の情報を整理した雑文を書いた。そのうち、富山の部屋にアップしたい。
 尚、7日付けで、新しくリンクを一件、追加させてもらった。般若心経を扱った「美しい般若心経」というサイトで、小生には、やや高度な内容のサイトなのだが、先方様にはかたじけなくも、既にリンクして戴いており、恐縮しつつも、リンクさせてもらったのである。

 さて、掲載した絵は、keiさんが描いてくれたもの。
無精庵徒然草9月23日の日記」に掲げた写真を元に描いてくれたのです。
 こうした風景を眺めるのは、朝。前日からの営業が翌日の未明乃至早朝に終わり、事務手続きを追えてバイクで帰宅。バイクを止めている場所から我が邸宅までは歩いて五分。その間、トボトボと歩きながら、近所の花を愛でたり、いつもいるはずの白猫さんに挨拶したり、こうした風景を眺めたりして帰るのです。
 そういえば、その白猫さん、この数日、姿を見かけない。どうしたんだろう……。

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2004/10/07

宵闇の悪夢

 そろそろ宵闇の迫る頃、ふと、目覚めた。夢を見ていた。悪夢に近い。
 某所で父と子の二人連れを乗せた。父とは旧知の間柄である。といっても、久しく、会っていない。昔、会社で一緒だったことがあるという程度。とても、優秀な奴で、仕事もできれば、人望もあり、素敵な人と結婚し、間もなく他のもっと大きな誰もが知る外資系の会社へと引っこ抜かれていった。
 小生は、彼の後任の課長になったのだけど、能力・人望の差は、圧倒的で、仕事のプレッシャーに、押し潰されそうな日々が続いたものだった。その後、小生も会社を首切りの形で辞め、タクシーの仕事に就く。奴とは大違いの人生だ。
 小生は、今では、しがない、うらぶれた中年男。妻子も社会的地位などあるはずもない。彼は、功なり名も遂げて、忙しい中、ひさしぶりの休日を親子水入らずで楽しもうとしている…。
 そんな奴と、十数年振りに再会したのだった。
 行き先を告げられた。全く知らない場所ではないが、知り尽くしている場所でもない。
 少し、道に不案内な面もあり、不安を抱えている。
 案の定だった、小生、当地の間近になったところで、道に迷ってしまったのだった。すぐ、そこに目的地があるのに、辿り着けない。
 そのうち、お父さん(奴)が焦れてきた。小生が、回り道をしているとでも、思っているみたい。
 小生にも、プロとしての意地がある。
「代金は、戴きません。必ず、お届けします」
 が、分からないものは分からない。道を近所の人に尋ねようと、車を降り、あちこちをウロウロ。
 歩道橋の上だったか、交差する陸橋の上だったかで遠望して、なんとなく場所を探り当てた。
 で、戻ると、今度は、バイク(スクーター)を止めた場所が分からなくなってしまった(何故か、タクシーのはずがバイクに変わっている。が、当人=小生は、全然、不思議に思っていない)。
 小生、必死になって、バイクを探し回る。公園を探し、学校の脇を駈け、あったはずの場所を探すのだが、まるで分からないのだった。小生は、バイクの場所が分からず、当然、彼等のところへ、戻れない。
 彼等は、何かチケットのようなものを持っていた。今日だけの特別な入場券らしい。入場の時間には間がある。でも、早く行かないと、退場時間までに楽しむ時間が減っていく…。
 ここでまた、飛躍する。いつの間にか、小生、タクシーの中、後ろには二人。小生は、道が分からず、途方に暮れている。やがて、焦れた二人は、タクシーを降りていってしまった。
 ああ、目的地は何処にあるんだ!!

 その焦りで脂汗を流すところで、小生、目が覚めた。例によって、ロッキングチェアーである。睡眠障害のある小生、寝起きは体がクタクタ。起きるためには、一休みしないと起きる気力が湧かない。
 まして、悪夢に魘されて、尚更、疲労困憊していたのだから、起きれるはずがないのだった。
 タクシー業務を始めた頃のことを思い出す。都内の道など、まるで分からず、日々、分からない地理に苦しんだものだった。
 オートバイに乗っていたし、仕事で車の運転も経験していたけど、そんな知識など、まるで役に立たない。
 行き先を告げられるたびに、戦々恐々なのだ。神経を擦り減らす日々。夕方に見た悪夢も、現実の悲惨さ厳しさに比べたら、万あるエピソードの中の、小さな小さな瑣事に過ぎないほどの日々。

 悪夢より 日々の逸話の 凄まじき

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2004/10/06

秋の長雨よ

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 秋の雨は、夏の雨と違って、風情がある。何故なのだろう。梅雨の雨の鬱陶しさや、夏の雨の蒸し暑さがなく、どこか、うそ寒さを感じるからなのか。
 ところで、この「うそ寒し」は、秋の季語なのだとか。
 なので、小生、早速、ここ言葉を使って一句:

 うそ寒し 帰宅の部屋に 浮かぶ影
(一人暮らしをする人なら、経験があるだろうけど、帰宅して明りを灯すと、ひんやりした部屋にポツンと影一つ。孤影悄然たる気分を自分の部屋の中で感じるのは、乙なものとは言い難い)

 以下は、あるサイトの掲示板で、蟻の句が話題になっていたので、夏の日に作って、記録し損ねていたのを思い出したのだった:

 炎天下 蟻の列の 延々と
 炎天下 蟻の道に 過る影
(後者は、小生が以前、書いた蟻が重要な役割を果たす掌編「黒 の 河」を思い出しての句。)

 以下は、先月末に作り、これまた載せ忘れていた句。ホントに意味のない、生活上の一齣を綴っただけの句:
 
 粉雪を 払ったつもりが フケだった

 下記は、あるサイトの掲示板で、パウダースノーの雪原でスキーをするとか、天花粉を使って化粧をする、なんてことが話題になっていたので、それじゃとひねった句:

 パウダースノー 今じゃ天花粉で 天下無敵
(小生、「天花粉」と題した掌編を書いたことがある。何でも小説に仕立てるんだ。)

 これは、月曜日の営業中、暇の徒然に浮かんできた句:

 交差点 渡り行く女(ひと) 何処へ行く
 小糠雨 差しつ差さされつ 相合傘
 (羨ましいなー。)
 衣替え 薄着の頃を 懐かしむ
 (夏の暑さには辟易だけど、薄着で町をうろうろする女性達を愛でられるのだけは、素直に嬉しかった。ああ、来年が待ち遠しい)

 下記は、ある俳句のサイトの掲示板でひねった句。正月の御神籤で大吉がどうしたとか、話に出ていた。昔、小生には床しい人が、大吉という焼き鳥屋さんで働いていたことがあったのだ…:

 大吉を 過ぎ行きかねて 臭い嗅ぐ
 
 4日に、「金木犀雨に散りしは夢の香か」という句を同サイトの掲示板で綴った。小生、その日、「金木犀の頃」という掌編を作ったとも日記に書いている(未アップ。アップの前に、エッセイの「金木犀あれこれ」を読むのもいいかも。)。噂をすれば、じゃないけれど、4日の夜半過ぎ、都内の某公園で金木犀を見たのだった。雨に打たれて。公園の薄明かりでも、金木犀の花の色は鮮やかだった。その金木犀の花びらも、あの雨では呆気なく散り果ててしまったのだろうか:

 金木犀 健気に咲くも 儚かり

 それにしても、小生、あちこちの掲示板で駄文を綴ってばかり。例えば、こんなの↓:

 ところで、山のクマさんも寒さを感じ、冬眠を間近にしているようで、餌漁りのため、里へ降りてくるクマさんが多いとか。里へ降りる原因の一つに、クマの領分に人が踏み込んでしまったこともあるけど、ネズミに餌を喰われてしまうこともあるとか。今年は昨年の40%以上多い死傷者が出ているとか。
 クマさんが出て、みんなクマっている。いつクマさんが出るかと里の人はビクビクして、目の下にクマが出来ているとか。
 それにしても、もしも、餌を探し損ねて目の下にクマが出来たクマが現れたどうしよう。笑うべきか、逃げるべきか、それが問題だ。
 関係ないけど、昔から疑問に思っていることがある。白クマさんと普通の黒いクマさんが結婚したら、どんな子クマが生れるんだろうって。もしかしたら、パンダが生れるとか。試してみたいなー。

 そんな駄文の質問を書いたら、いろいろ返事がもらえた。以下は、その返事をもらっての、我が返事:

「白クマさんと黒クマさんが結婚したら・・・きっと縞模様のシマクマさんが生まれる。そのシマクマさん同士が結婚したら、格子柄のチェックグマさんが…」
「ターさんは2代目がシマクマさん、3代目がチェックグマさんねえ。背骨を中心にクルクルの円模様……右半分がクロ、左半分がシロのオセロ熊ってのはどうかな?」
 むむむ。とりあえず、答えはもらったものの、納得していいものか。悩ましい。反論はできないし。斑模様ってのも、ありそうだし。試してみるって、そうは簡単にできそうにないし。
 そうか! 分かった! 答えは簡単だ。灰色だ!!
 こんな簡単な答えが出せなかったとは。今晩は、反省を兼ねて、グッスリ寝ることにしよう!

 秋の夜長だね。ろくなこと、小生は考えないし、書かない。ここらで、切り上げよう!

 
 掲げた写真は、4日の営業が終わり、5日の朝、帰宅の途上で見掛けた花。でっかい花だね。我が手の平より、否、我が小顔より大きい! 雨に濡れるのが嫌なのか、それとも、小生に見られるのが恥ずかしいのか、葉っぱで隠したりして。今時、珍しい、奥床しさだ。
 でも、なんていう花なんだろう?

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2004/10/05

有情の雨か

 我がサイトが、恐らくは昨日の朝、未明の頃にか、5万ヒットしたらしい。文章しかないサイトで、訪れても必ずしも楽しいとは思えないサイト、表紙を含め、デザインの面でも趣向を凝らすというわけでもない。開設したのは、三年前の2月5日である。恥ずかしながら、勉強嫌いの小生のこと、このサイトの開設に当たっては、業者任せだった。一応は、ホームページ作成ソフトも購入し、つらつら眺めてはいたのだが、頓馬な小生、ホームページをアップする、「FTP」ソフトなる存在を知らず(あるということ自体を知らず)、あれこれホームページのデザインを弄るばかりで、一向にアップできないで途方に暮れていたのだった。
 で、とうとう、専門業者にアップを任せる仕儀に相成ってしまった。思えば恥ずかしい。でも、今から思えば懐かしい。小生、走りながら考えるタイプなので、これでいいだろうと納得してから行動しようと思っていたら、そもそも、HPの作成・アップなど行わなかったに違いない。
 その後、開設して約一ヵ月後くらいに、友人に「FTP」ソフトなる存在を教えてもらったものだった。
 アップの仕方が分かってからは、文章の類いだけは、ドンドン、自分でアップしていった。で、とうとう、文章だらけのサイトになったというわけである。HPのデザインなどは、勉強嫌い・工夫もできない性分が現れて、試みようとさえしないままに今日に至ってしまった。そのうち、なんとかしようとは思ったし、思っても居るのだけど。
 
 地味で、ちょっと窮屈なサイト。でも、要するに、エッセイやコラム、日記、掌編などを収め、あるいは、このHPをベースにメールマガジンを出せればいいのだから、これでいいのかな、とも思ったりする。
 さて、では、一番肝腎な中身はどうなのだろう。
 当初はエッセイやコラム、書評感想文などを収めていたが、一昨年からは、掌編をメインに収めるようになった。そう、小生が一番、力を入れているのは、そしてやりたいのは、表現したいのは、掌編というか虚構作品なのである。物語と言えるかどうか、小生の場合、やや微妙だが、虚構世界に徹したいという思いは紛れもない。
 書いてある掌編が、思い出の形を取っていても、それが実話だと思ってくれたら、それこそ、作者冥利に尽きる。
 5万ヒット、おめでとうというメッセージを寄せてくれた方への返事に、小生は、このようなことを綴った。ここに転載する:
 
思うに、彼はヒーローだけど、世の中には、人に見えない形で頑張っている人が数知れずいるのだと思います。誰にも祝福も感謝もされない。それどころか、下手すると、踏みつけにされているかもしれない。誤解されて。それでも、頑張る人。そんな人こそが、ホントのヒーローだと思う。小生の小説の中では、決して人には注目を浴びないような、情ない人物ばかりが登場する。意志も薄弱だったり、知性も鋭い訳じゃない、人に好かれるわけでもない、見栄えがするわけでもない、でも、そんな奴にだって、広く深い世界がある。時にジメジメジトジトしているかもしれないけれど、それでも、一個の宇宙があるのです。小生は、そんな世界を描きたい。人にはそんな世界は好かれないだろうけど。でも、そんなものしか書けないんだから、仕方ないよね。

 ちょっと野暮ったい書き方をしているけれど、ぶっちゃけたところ、小生が描きたいのは、まさに、野暮でドジで不器用で、時に愚かでもあるような奴(ら)の世界なのである。
 それさえ、描ければいいのだろうとも最近は思っている。もっと、素晴らしいような、輝かしいような世界もあると思うのだけれど、そういう晴れ晴れとした世界を描きたいという欲求は強く感じてはいるのだけれど、いざ、虚構作品を創ろうとして、一行・二行と綴り始め、その文面にリアリティを追い求めると、そこに登場する人間、立ち現れる世界というのは、情ないようなものばかりなのだ……。これは、もう、病膏肓、これが我が掌編(虚構)作品ワールドなのだと割り切るしかないのかもしれない。
 
 ところで、さて、小生のサイト、デザインなどの面では、一向に更新されないし、そういう意味で訪れる方に楽しみを提供することは、望みも当分、なさそうだ、が、しかし、八月末、あるいは九月の半ば近くから、新しい試みは始めている。
 第一段階が、HPの開設なら(尤も、その前にインターネットへの参入があるが)、第二段階は、メールマガジンの配信開始であり、まさにこのブロッグ形式の日記という、この部屋の開設は、第三段階ということになると思う。
 思いつつ、小生、ブロッグを使いこなしていない。まだ、使い方が分かっていない。恐らく、訪れる方も、ブロッグの性格が把握できていないものと思う。
 が、直感的には、ブロッグの世界に参入したことで、新しいステージへの挑戦が、闇雲に始まっていることをひしひしと感じているのである。
 その証拠に、ブロッグ形式の日記を内容は全く同じだが、二つのサーバーで行っている。一つは、ニフティであり、もう一つはメルマ!である。そのメルマでのカウンターが、我がHPのカウンターの数を上回っているのだ。まだ、コメントやトラックバック(これが未だ、小生、やり方も含め分かっていない)も少ないのだが、恐らく、相当な発展・展開もありえるような気がする。
 さて、駄文を綴った。外は雨。冷たい雨。秋の雨。秋の長雨。長雨を古(いにしえ)の人は、時に「眺め」と洒落て、粋な歌など詠んだものである。そんなことは、小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」を例示するまでもなく、常識のことなのだろう。小生も、今夜は雨の音を聞きながら、何かしら、小粋な文を綴ってみたい……、無理かな、似合わないかな。

 秋の雨 ながめせしつつ 小町待つ

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2004/10/04

金木犀に降る雨は

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 掲示板への書き込みで、金木犀のことが妙に気になってしまった。小生、仕事柄、都内随所の公園脇に車を止め、しばしの休憩を取る。ある旧宮邸跡の公園の片隅に金木犀が植えられている。小生の如き、花や木に疎い者にもそれと分かるようにと、金木犀と表示してある。
 が、今年は、何故か、その公園の前で車を止めることがない…。と、思ったら、公園の前で工事していて、車を止め辛いのだった。なので、金木犀の花の咲き具合がまるで分からないのだった。
 我がサイトの掲示板で一昨年、金木犀のことが話題になったことがある。小生のこと、せっかくだからと、「金木犀あれこれ」などというエッセイをその時に仕立てた。
 今年は、またまた金木犀の話題が出たことだし、「金木犀の頃」という掌編を雨の降る音など耳にしながら、夕方に一気に書き上げた。内容は、前日には咲き誇った花が香が、翌日には風雨に一気に散り消え果ていたという光景を軸にした短篇で、失恋の物語である。金木犀の雨風に呆気なく散るという特性をイメージして小説にしたのだった(そのうちに、アップしたい)。
 いろいろ遣り取りがあったのだが、その辺りは掲示板で確かめてもらいたい。

 金木犀雨に散りしは夢の香か

 三日の未明、ちょっと驚くことがあった。我が部屋に蜘蛛を見たのである。昨年、天井や壁などによく見かけたものだったが、今年になって、とんと姿を見かけない。きっと、死んでしまったか、我が家を捨て去ったものと思っていた。
 が、その頃に見た蜘蛛より一回り大きな蜘蛛の姿を見た。間違いなく(直感だけれど)去年の蜘蛛だ。
 なんとなく、嬉しい。旧友に会ったような気持ち。一人住まいの小生には唯一の友であり、共棲動物なのである。
 一昨年に蜘蛛との再会を果たした時、「我が友は蜘蛛!」などという戯言(ざれごと)を書いたものだった。
 今回、またまた再会(多分)を果たしたことでもあり、「「我が友は蜘蛛!」後日談 」を三日のお昼頃、せっせと書き綴ったものだった。これまた、できるだけ近いうちに、アップしたいものである。

 蜘蛛よ蜘蛛 オレを慰めに 現れたの?

 土日に懸けて、徹底して休憩し、タクシー業務での疲れを体から抜くことに専念した。日曜日の未明頃になって、ようやく完璧には程遠いとしても、まずます体が疲労困憊から、ちょっと疲れ気味かな、という程度までに回復した。その証拠に、エッセイを立て続けに書くだけの気力が漲ってきたのだ(ちょっと大袈裟。誇張表現。ま、大目に見てね)。
 この週末、寺田寅彦の随筆集を読んでいる。小生の大ファンとなっている書き手だ。垂涎の書であり、滋味ある随筆を堪能させてくれる。その寅彦の「喫煙四十年」というエッセイで、興味深い一節を見出した。
 それは、「しかし人間は煙草以外にもいろいろの煙を作る動物であって、これが他のあらゆる動物と人間とを区別する目標になる。そうして人間の生活程度が高ければ高いほどよけいに煙を製造する」という下りである。
 この、「煙を作る動物」というのが、甚く気に入った。そこで、小生、古来よりの、人間の定義を思いつく限り拾い集めてみることにした。その上で、この寅彦の定義について、考えてみようと思った。
 小生、寅彦は、この定義を随筆の気侭というか座興で、ちょっとした思い付きを書き連ねただけなのかと思っていたが、どうやら、そうでもないようである。
 が、ま、先を急いでも仕方ない。今日は、「人間を定義する」という雑文を綴っておくに留めた。これもまた、そのうち、多分、メルマガにて公表するつもりでいる。

 さて、そのメルマガ、このところ、滞り勝ちであるが、今夜半、なんとか配信した。通巻で354号である。イチローの偉業に匹敵するというわけにはいかないが、小生なりに、一つ一つ、何がしかのモノを積み上げていきたいのである。
 
 汗駄句川柳のことを忘れているわけではない。が、段々、あちこちに書き散らした川柳を拾い集めるのが面倒になってきた。目に付いた幾つかを拾うだけにさせてもらう:

 野路菊や 賽の河原で 咲くのかな
(これは、三途の川が話題になっていたことでもあり、また、あるサイトで、野菊の句を見掛けたという偶然が重なったので、じゃ、賽の河原では、菜の花ばかりじゃなく、野菊(野路菊)も咲くのかなと、ふと、疑問に思ったのであった)
 ステーキの 末期の喘ぎ 屁一発
(要するに、ステーキを食べて、最後には屁を放ったという、なんということのない句なのである)
 ナナカマド 決して竈(かまど)じゃ ありません
(これは、ナナカマドがあるサイトの掲示板で話題に上っていて、あれ、これって、花なの、それとも、特殊な竈なの? と、ふと、疑問に思い、ネットで調べ、ナナカマドは決して竈の一種などではなく、立派な花の一種なのだと分かり、自分に言い聞かせる意味もあり、ひねってみた句なのである)

 小生、ほかにも戯言を綴っている。そのうちの一つだけ、例として掲げておく。これも、某サイトの掲示板で、口裂け女の話題が出ていたので、せっかくだからと、詩文(?)を綴ってみたのだった:

 口裂け女も怖いが、口だけ女も怖い。
 口だけ女も怖いが、愚痴だけ女も怖い。
 愚痴だけ女も怖いが、ブスっとした女も怖い。
 ブスッとした女も怖いが、無知な女も怖い。
 無知な女も怖いが、顔がブチ模様の女も怖い。
 顔がブチ模様の女も怖いが、グッチだけ(買わせる)女も怖い。
 グッチだけ女も怖いが、女の居ない世界は辛い。
 困ったものです。

 愚痴だらけ 不満ばかりでも 仲良くね

 掲載した写真は、木曜日の営業が終わりに近付いた金曜日の未明、ある住宅街で見掛けた、有明の月の光景である。写真では、ポツンと小さく満月を数日過ぎた月影が見えるだけだが、肉眼では、結構、ポッカリと大きな月が浮かんでいたのだった。
 それにしても、三日に予定されていたサンバパレードが中止になったのは、残念だった。

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2004/10/03

イチローおめでとう!

 やったね、イチロー、新記録だ!
 小生なりに、祝福したいと思い、「イチロー尽くし」というか、「イチ尽くし」の駄文を綴ってみた:

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 真実一路のイチロウー、そのイチは一番のイチ、ローは労のローならぬ朗らかのロウ、一宿一飯の仰木元監督のオリックスの恩義を捨て、一路真輝ならぬ福島弓子夫人と一蓮托生・一心同体・夜は合体、一望千里、一路ニッサンへ、ならぬ、イチロー、ニッサンへ、ならぬ、はるかな一視同仁を旨とし、敗者は一網打尽となるアメリカを一攫千金を夢見、一瀉千里と目指し、一所不住の覚悟の下、一刻千金とばかりに一病息災且つ一所懸命・一心不乱と鍛錬し、一子相伝乃至は一家相伝の技を磨き、万民に一部始終・一挙一動を眺められ、一目瞭然マリナーズの一枚看板と一口同音に見なされつつ、一糸一毫の狂いもなきバッティングに徹し、一喜一憂する観客の中、時に死球を受け一触即発の危機を乗り越え、一騎当千の勢いで一気呵成に新記録を達成すると共に、今や、弓子夫人との一家団欒の時を迎えるという一挙両得・一石二鳥のイチロウなのであった。
 イチ尽くしの一文で、天才イチローは越えられずとも、鬼才T氏に一矢を報いられたかと、一瞬ほどは思ったけれど、一指を染めたる一芸の道は遥かに厳しく、一粲を博したる一文は一笑に付され、一将功とてならぬままに万骨枯るやに思われ、一種一瓶、一死一生すなわち交情を知るのであった。
 ということで一巻の終わり。

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 まさか、この一文を通しで読まれた方はおられないと思いますが、まあ、このたび限りの座興と御理解願います。


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