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2004/10/02

まったりの一日をまた

 仕事の疲れが昨夜だけでは抜けきらず、今日も週日、寝たきり。夕方になって、やっと元気が出てきて、エッセイの一つも綴ってみようという意欲も湧いてきた。
 ここには、主に掲示板に書き込んだものの一部を拾っておく。

 以下は、あるサイトの掲示板への書き込み:

(小生は山の手の住人ではなく、車で仕事することが多いだけ。坂道が多くて、道も入り組んでいる。道を覚えるのが大変なほど。麻布二の橋を降り下る途中、仙台坂の上に巨大なマンションがポッカリ浮かんで見える。なんだか、バベルの塔がニョキッと現れ出たような印象が。そんな都心の一角を彩る緑も秋の風に気持ちよさそうだ。)
 
 秋の日や麻布二の橋緑濃し

(以下の句は、ある句から連想して作ったもの。さて、もとの句とは…)

 刈り入れの秋の田渡る風清か

(これも、あるサイトの掲示板に書き込んだもの。月に願いをかけるという話題になっていたので)
 満月や 大団円を たのんまっせ

 そうそう、月の話題が出たので、せっかくだろうし、「秋の月をめぐって 」と題した雑文を綴ってみた。月は、小生の感興を引く。雨や風、水(川や海)、緑(山や原っぱ、公園、園芸)など、自然に触れるだけでさまざまな思いを掻き立ててくれるのだ。

 これまた別のサイトの掲示板で、日本には三途の川という名の川があることを知った。調べると、三箇所も。せっかくなので、「三途の川」と題した雑文を綴った。アップは未だ。一応、関連する雑文を掲げおこう:
善知鳥と立山と」(付:篁牛人のこと)
 

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2004/10/01

東京異境

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 昨日の仕事は、月末ということもあってか、珍しく忙しく、帰宅した時間は、それほど遅いわけではなかったが、少しく疲れがひどい。午前に三時間ほど眠ったあと、様々な支払いを済ませるため駅前まで外出。駅ビルには書店があるが、書店には足を運ばない。今年の年間の書籍購入費は、五千円。四月で超えてしまった。なので、本は当分、買えないのである。
 コンビニで総菜や弁当を購入し、真っ直ぐ帰宅。好きな再放送のテレビ番組「相棒」を見る。小生、水谷豊と寺脇康文のコンビでの演技が好き。高樹沙耶や鈴木砂羽もいいね。
 弁当を食べたら、すぐに眠気が。徹夜明けなので、三時間の睡眠で済むはずが無いのだ。ロッキングチェアーでの居眠りは、涼しさもあって、気がつくと、どっぷり暮れた頃合いになっていた。窓や玄関のドアを開けておくと、気持ちいい風が流れ込み、吹き抜けていく。今が、そしてこれからが、居眠り大好きの小生には、最高の時期だ。
 今日は、執筆よりも、タクシー業務の疲れを抜くことに徹している。夜になって、少し、元気が出てきたので、掌編「真夏の夜の出来事」を掌編作品の部屋にアップ。
 さらに、連作の黒猫ネロものの続き、「イチジクのネロ」を連作掌編の部屋にアップした。
 まだ、幾つか、アップすべき作品があるのだが、時間が無い。
 
 ところで、掲示板で月の話題があった。
 小生、月を巡っての掌編、随筆は数知れず書いている。そのうちの幾つかだけ、リストアップしておこう。それなりに味わいのある文章も見つかるかも:
有明の月に寄せて
十三夜の月と寒露の雫と
真冬の月と物質的恍惚と
メロンの月

 さて、小生のこと、新作の駄句がないわけじゃない:

> 夕焼けに 染まる気持は もう遠く  さくらえび

   夕焼けよ 心の熾き火と 冴え渡れ   弥一

(この句の遣り取りについては、「雨の十六夜」(30日付けの日記)のコメントを参照してください。)

 月よ月心行くまで輝けよ

 透明人間 屁してバレテ 真っ赤っか?!
 透明人間 裸で歩いて 風邪引いて
 透明人間 鼻水までも 透明なの?
 透明人間 心までもが 透明か
 透明人間 感じるこころ あるのかな
 透明人間 その存在も 透明かも
(透明人間は、服を着るわけにはいかない。着たら、姿格好の形が露わとなるし。常に裸でいるしかない。夏場はいいけど、これからの季節、夜は冷えるよー)
 透明人間 夏場はいいが 冬は辛い
 透明人間 来春までは 冬眠か
 透明人間 やせ我慢しての 肺炎だ
(これらは、掲示板での遣り取りから生まれたもの。ま、座興という奴である。)

 良夜には月なき夜寒身に沁みて
( 雨の良夜(十五夜)。夏の暑さが嘘のような夜寒でした。寂しい夜には、せめて月影だけでも愛でたかったのに。尚、「良夜」も「身に沁む」も、共に秋の季語である。)

 掲げた写真は、過日、朝の6時頃に撮ったもの。あるトンネルの光景。走行中の撮影なので、画像がブレている。不思議な雰囲気を醸し出しているね。
 真ん中付近の真ん丸の明かり…。満月のようにも見えたりする…けど、実は正体不明。
 それにしても、バックミラーがチャーミングだ。

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2004/09/30

雨の十六夜

s-DSC00967
 何だか、今日も慌しいうちに過ぎ去ってしまった。十五夜の月は、雲間隠れに何とか愛でることができたが、今日は、東京は雨。時折、強く降ったりして、到底、月影の出る余地はない。
 明日(既に今日だけど)は仕事なので、ノルマとしての掌編書きのチャンスは今日だけ。一昨日までに七つ。今日、一つ、書いておかないとノルマが果たせない。が、夜半になって、頭がスッキリせず、虚構作品を書く気力がまるで足りない。
 なので、ロッキングチェアーで一眠り。気がついたら、一時半。何を書く当てもないのだけど、とにかくパソコンのモニター画面に向かい、あちこちのHPを覗いて回ったりして、その気のやってくるのをひたすら待つ。波が来たところで、波の行方など考えず、とにかく乗る。下手すると、とんでもない波で、沖に浚われていくかもしれない。溺れてしまうかもしれない。
 でも、とにもかくにも、波に乗ることを試みるしかない。
 出だしの一行、あるいは、脳裏を掠める何かの光景、糸口となる観念か感覚、そうした微かなものたちが端緒なのである。
 というわけで、先ほどまで、掌編を書いていた。タイトルは、「透明人間」。変なタイトルだと自分でも思う。また、大方の人は、このタイトルで、常識的に思うことを想像するのだろう。
 が、小生が書いた作品は、妙にシリアスなものになってしまった。そのうちに(多分、一ヶ月以内に)HPにアップしたい。
 なお、日記でも書いた事情があって、配信を見送ってきたメルマガだが、昨夜、やっと配信した。遅れての配信、申し訳ございません。
 
 さて、今日も駄句の洪水が続く。
 既に昨日の日付でも相当量、アップしたのだが、それらに続けとばかりに、駄句の嵐じゃ:

 懐中物 軽さのあまり 身に沁みて
 待宵に顔を洗っての十五夜よ
(「身に沁む」や、「待宵」は秋の季語だとか。下に出てくる、「花野」も、秋の季語)

 素の顔を 化粧の失敗と 言い張って
(化粧の)乗り悪し 心の迷いが 現れて
 化粧はね 根性までは 隠せない 
 厚塗りし お絵かきしての 化粧かな
 化粧落とし 地を晒しての 恋の夜
 花の香は 移りにけりな とっくのとうに
 花の香や 移りしゆえに 浮気バレ

 花野にて 終の棲家を 見つけけり
(この句は、鈴木真砂女の「来てみれば花野の果ては海なりし」を脳裏に浮かべながらのものです。)

>うつ伏せて 孫といっしょに 見る野原 小さな秋や あちらこちらに  さくらえび

                  負いし我 やがて負われて 苦笑い   弥一

>日本海の潮の香清(すが)しこの浜に遊びにし日も現の如し  michio

    谷浜の丘渡る風清々し佐渡を見遣るは良寛さまか  弥一

>日本海の色もて染めしかハマゴウの青く小さき花揺れており  michio

    ハマゴウの群れ為す浜にはるばると吹き渡る風行方知らずも 弥一

 掲載した写真は、火曜日の営業も終わりに近付いている水曜日の未明。彩雲が鮮やかだった。さすがに十五夜の月は、その時間には見つからなかった。翌日の水曜日は、昼頃、ふと目が覚めた頃には、ザーザー降りの雨。十六夜の月は愛でられなかっただけに、十五夜の月を拝めたのは運が良かったということか。

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2004/09/29

昨夜は十五夜

 今は、まだ、徹夜勤務明けの睡眠が十分に取れていないので、昨日からたった今に至るまでに作った句の数々を列挙するだけにさせてもらう:

 薄雲に笹舟流し消えゆくか 
 満月が団子に見えて涎落ち
 ----------------------------------------
 
(昨夜は薄雲を透かして、あるいは時に厚い雲の合間から満月が顔を覗かせていた。辛うじて、東京では十五夜の月を愛でることができたのだ。夜ともなると、ちょっと涼しさの域を超えている。だからだろうか、その薄雲が、薄手のセーターやマフラーなどに見えた)
 お月さん 雲の襟巻き 気持ちいい?

(画像掲示板に戴いた、蘭の花を思い起こしながら)
 蘭の花 妍(けん)を競って 咲き誇る
 蘭の花 気品香らせ 反り返る

(蘭に対抗できるのは、薔薇。じゃ、薔薇の紅は何に喩える?)
 薔薇よ薔薇 赤いけだしに 息を呑む
[参考:薔薇の花 赤いけだしの 幾重にも]

(コスモスの花の中に埋もれて蜜を吸うミツバチを見て)
 コスモスを 揺らし舞い飛ぶ ミツバチよ

 備長炭 恋の熾き火に なりにける
 夜明け前 雨の雫の 揺れやまず
 欄干を 伝い落ちての 秋の雨
 アスファルト 靴音響く 朝の道
 耳を打つ 雨垂れの音 果てしなく
 秋雨に 顔を洗っての 十五夜よ
 十五夜の 辛い別れを 映す月
 
 花野にて 終の棲家を 見つけけり
(この句は、ある句への尻取り句。但し、鈴木真砂女の「来てみれば花野の果ては海なりし」を脳裏に浮かべてもいる)

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2004/09/28

創作三昧ってほどじゃないけど

 それでも、この休みには、掌編を二つ書いた。今月のノルマは、8個なのだが、先週末までに5個しか作っておらず、今月中にあと3つ。結構、切羽詰っていた。そこで、月曜日が休みなのを幸い、朝方に一つ「ディープブルー」を、夕方にまた一つ「縄の記憶 」を書き上げた。
 前者は、映画好きな方ならピンと来るだろうけど、実写版の動物の記録映画。今、上映中(それとも、もう、公開は終わったのかな)。そのタイトルを戴いた。あるサイトで、その映画を見ての感動もあってか、クラゲの絵を描いておられた方がいた。
 そのクラゲの絵が、小生、甚く気に入り、その絵を挿絵にしたい一心で、月曜日の未明に書き上げたもの。が、出来上がった掌編は、意に反して、とてもじゃないけど、絵を挿絵として使わせて、とは言えない代物に。ま、そのうち、さり気なく、HPにアップするだろう。
 後者は、縄文式土器の話を土曜日の営業中、ラジオで聞いた。その際、土器の表面の縄文は、縄だけれど、蛇のイメージがあるという内容に(知る人には常識なのかもしれないけれど)、やや新鮮なショックを受け、エッセイに仕立てるか、それとも、虚構作品に仕立てるか迷ったが、ロッキングチェアーでの居眠りから目覚めた瞬間、元気が自分にあると感じ、力技も可能だろうと踏んで、虚構作品に仕立ててみたのである。
 これも、そのうちにアップするだろう。
 とりあえず、これで、今月作成の掌編は7つになり、ノルマはあと一つ。火曜日の営業が明けた水曜日に何かしら虚構作品を作りたい。もう、今月、作成する日程というと、水曜日しか残っていないから、その日のうちにやるしかないのだ。結構、厳しい。

 尚、HPには、月曜日に、書評エッセイ(「ヴィンセント・ギャロ展へ/『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って 」)をアップし、さらに、掌編(「樹海にて」)をアップ。
 なかなか、HPの更新は侭ならないけれど、ボチボチ、やっている。
 ところで、メルマガの配信が滞っている。言い訳にしかならないが、このブロッグという形式の日記が気に入っていて、場合によっては、メルマガより、このブロッグの日記に全て移行しようか、とさえ、思ったりしている。
 尤も、決めたわけじゃない。なんといっても、コラムやエッセイ、書評の長いものをこの日記に載せるのは、読む方には、負担が大きすぎるだろうし。
 それと、例えば、今週末(10月3日)に我がチームのメンバーが関係するサンバのパレードがあるのだが、その詳細な情報の入手に至っておらず、よって、その情報をネット検索その他で探したが、見つからず、差し迫ったパレードの紹介も出来ないのでは、メルマガ配信の意味が無いと感じられ、配信の気力が湧かなかったのである。
 念のために断っておくと、配信する予定の原稿は手元にあるのだ(勿論、パソコンのハードディスクという意味)。

 さて、汗駄句の川柳を載せておこう。あちこちに書き散らしたもの。経緯(いきさつ)抜きで、列挙しておく:

 >> > かくれんぼ 見つけて欲しくて 隠れるの
 >>  かくれんぼ 見つけて欲しいの どっちなの
  >  かくれんぼ 隠れすぎたら あの世行き(おお、怖!)
     あの世でも 迷子になって 里帰り(めでたし、めでたし)

  思い出を 浜に埋めて 海の秋
  墓洗う 手向けの酒を 待つ人よ

 まるで話の流れに関係ないけど、こんなサイトを教えてもらった。名古屋を自慢し宣伝する
 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~chinsan/nagoya.swf

 読書のほうは、ボチボチ。過日、紹介した五島雄一郎著『死因を辿る』(講談社α文庫)を読了。ついで、つい先日、白石一郎という歴史・時代小説家が亡くなられたと新聞の記事で知った。小生は、彼の作品を全く、読んだことがない。
 が、僥倖というのか、昨年、ひょんなことから入手していた文庫本で、『幻島記』(文春文庫)という短篇集がある。上掲の本を読み終えたことだし、藤沢周平、池波正太郎と、時代小説家の本を読み続けてきた流れもある。思い切って読んでみることにした。
 実は、あまり期待していなかったのだが、表題の「幻島記」を読んだら、読み応えがあるではないか。これは、小生の不明を恥じるしかないと思った。残りの短篇を読むのが楽しみである。
 

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2004/09/27

ナンセンスな詩?

 ここに掲載するのは、まるで意味も体裁も為していない詩(?)。掌編の部屋に載せる性質のものでもないし、日記というわけじゃないけれど、ある種の呟きとして、チラッと載せておく。いつぞや、日記にメモ書きしたことでもあるし…

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 「ナンセンス」


 止まない雨がないように、降らない雨もない。
 始まりのない夏休みがないように、終わりのない夏休みもない。
 始まりのない物語がないように、結末のない物語もない。
 火のないところに煙が立たないように、尾ひれのない噂はない。
 臭いのない屁がないように、実のない屁もない。そんなものは、屁でもない。
 始まりのない恋がないように、終わりのない恋もない。
 そう、命に終わりがあるように、恋の命も燃え尽きる。
 零れない涙がないように、涙のない恋もない。
 嘘のない愛がないように、愛のない嘘もないのかもしれない。
 ああ、だとしたら、オレが吐いた嘘は愛のせいだったのか…。
 嘘だ! あの嘘は、愛の終わりの始まりを告げていたのだ。
 何故なら、愛は始まっていなかったのだから。

                              04/08/25 09:22

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 制作した日付を見て、気付いた。8月25日の水曜日の朝、ということは、火曜日の営業を終え、水曜日の朝、帰宅して、眠れないままに、つい、熱に浮かされるようにして日記に書き連ねたのだった。
 その日は曇りがちで、雨も時折降っていたっけ。誰かの小説か何かの本のタイトル、それとも、謳い文句に、「止まない雨がない」とあった。それは、書店の入り口に貼られた宣伝のポスターにデカデカと。言葉遊びの好きな小生は、その文句に、つい、揶揄めいた絡みを仕掛けたくなった。そう、だったら、「降らない雨もない」じゃないか、と。
 疲れている時の小生のやりそうなことだ。疲れきっていることもあり、纏めきることもできないままに、無理に書き終えてしまったことを覚えている。暑い夏だったよなー。

 さて、例によって、汗駄句川柳の新作を恥ずかしげもなく、列挙しておこう:

 音もなく フロントガラスに 降る雨よ
 窓伝う 雨の雫の 行方追う
 天災は 忘れた頃にやってくる 返済は 忘れないでやってくる
 靴音の 響きばかりが 夜の友

 以上は、土曜日の営業中の作品。
 下記は、あちこちの掲示板の句:

 かくれんぼ 見つけて欲しいの どっちなの
 かくれんぼ 隠れすぎたら あの世行き(おお、怖!)
 雨よ雨 俺の代わりに 泣き尽くせ
 うさぎさん 雨雲の蔭で お昼寝かい(あれ、前、似たようなの、作ったっけ)
 恋しいの そう呟き続けて ン十年(賞味期限切れか?!)

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東京での風聞…

 以下の小文は、或る日の日記。日付はなんと、7月2日。メルマガに掲載しようかと思っていたが、それほどの文でもなく、載せそびれていた。まあ、所詮は日記なのだし、駄文と思って読み流して欲しい。

   -----------------------------------------

 快晴。梅雨の時期なのに、湿度が低く、日陰にいる限り、居心地がいい。風も爽やか。空梅雨と言うけれど、梅雨の真っ最中だとは、到底、信じられない。
 今日は湿度が低く、過ごしやすいけれど、東京はコンクリートジャングルで、やたらと暑くなっている。しかも、汐留や台場、品川など、海沿いの町にドンドン高層ビル群が林立している。
 そのため、海風の都心への吹き込みが妨げられ、一層、都心が暑くなっていくのだとか。
 東京都知事には、都心に運河を復活させるとか、対策を考えて欲しい。屋上緑化とか、渋滞の緩和とか、あれこれやってはいるんだろうけど、抜本的というインパクトを受ける対策は打ち出されていない。

 さて、タクシー運転手をしていると、不穏な、根拠のあやふやな話を聞くことがある。例えば、今、海沿いに高層ビル群が建っているのは、テロ対策だという話を誰かに聞いた。海辺の運河から皇居は間近。なので、高層ビルをドンドン建て、武装勢力が海辺(東京湾岸)から侵入するのを少しでも妨げようとしている、という説。

 他に、遅かれ早かれやってくる関東震災。あるいは東海地震対策で、海沿いに高層ビル群が半ば意図的に建てられている、という噂も漏れ聞いたことがある。
 地震などの災害の際、巨大な洪水・津波が発生する。その洪水が都心に流入する勢いを海辺のビル群に楯になってもらい、勢いを少しでも弱めようという深謀遠慮がある、だから(特に海辺を中心に)規制緩和し、地盤の怪しい土地に巨大ビル・マンションの建設を許可しているのだ、という説も誰かに聞いた。
 いずれにしても、新幹線沿いの都心の変貌振りは凄い!

   -----------------------------------------

 ま、こんな噂を間に受ける人はいないだろうけど、テロ対策はともかく、洪水の対策にはなっている。守られているのは皇居というより、都心一帯なのだろうけど。
 思えば、この一文を綴って間もない頃に、小生、川柳病に罹ったのだった。暑さにやられてしまったのだとしか思えないが、未だに罹患したままということは、暑さの後遺症なのか、それとも、持病として一生、付き合っていくことになるのか……。
 先のことは、分からない。
 そうだ、下記の句を載せ忘れていた。画像掲示板に「ラン」の画像を貰った。その際のレスに付した句なのである。

 花の海 緑の原を 翔ける我
 絶景を 借景で叶える 切なさよ

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2004/09/26

燈火親し

s-DSC00954
 あるサイトで、「燈火親し」が季語として使われている俳句を読んだ。
 そこで、川柳病の小生、早速、訳も分からず、とにかくこの言葉を使って句を捻ってみた:

 燈火親し 読書の前に 眼鏡探す
(一昨年から老眼鏡のお世話になっている。読書しようと、本を手にし、手元の明かりを灯し、さあ、読書、と思って本を手にしたはいいけれど、頁を捲ろうとして思い知らされる、そうだ、老眼鏡が無いと読めないんだった! 悲しい現実がそこにはある)

 燈火親し 夜の渋滞 投灯塗れ
(俗人たる小生、仕事は路上。そう、車の運転が仕事。親しむ燈火というと、小粋なそれではなく、街中のヘッドライトなのだ。街は、無情な照射の投灯で溢れている。ヘッドライトの青褪めた白、テールランプの赤、ウインカーの黄色、信号機、ネオンサイン、ビルの窓の灯り、街灯、走りすぎていく自転車の反射板…)

 燈火親し 立入る庭で 浴びちゃった
(最近、そばを通るだけでセンサーが働き、警告灯の灯る家が多い。別に庭に忍び込んだわけじゃなく、家の軒先を掠めるだけで、パッと照らし出される。なんだか、こちらが悪いことをしているみたいで、不愉快)

 燈火親し 浮かび上がるは 魚の目か
(そのサイト主の方が魚の目で悩まれていた)

 ここから先は、思いつき。

 燈火親し コオロギの鳴く 秋の暮れ
 燈火親し 熱いお茶の 湯気愛し
 燈火親し 捲る頁の 紙の音
 燈火親し 頁を捲っての 夢心地
 燈火親し 秋の夜長を 寿いで

 ここから先は、例によって、ほうぼうの掲示板への書き込みに付した句の群れ…:

 雨音は 心を叩く 天の声
(ある人に、小生は雨になると創作意欲が湧くんですね、今度は、どんな作品を書くのですか、なんて、書かれた。確かに、小生、そうだった……けれども、今は、ちょっと違う。今年は、掌編百篇というノルマがあるので、雨の音を聞いた時になって悠長に執筆するというわけにはいかないのだ。ちょっと苦しい状況にある。それでも、雨の音は、そう、小生の胸のうちを、心の奥を直接叩くように、感じられてならないのである)

 かくれんぼ 幾つになっても 隠れてる
(一昨日だったか、「かくれんぼ 見つけて欲しくて 隠れるの」という句を捻った。小生、それこそ中学生になっても、やっていた。それも、登校の途中で。中学一年の時、近所の一年上の兄ちゃんと中学校に通っていたのだが、一緒に歩きながらも、つい、隠れてみたいという衝動が生じる、で、我慢できずに、すぐそこの門の陰などに隠れて、すぐに見つけてもらって、安堵したりするのだった)

(寝る子は育つと昔から申します。何故でしょうか? それは、食べたものを余計な運動で消費したりせず、全て体に還元し蓄積しているから。その意味で、省エネの時代、みんなで寝る子は育つを年を取っても実行していきたいものですね)として、一昨日、以下の句を捻った:

 牛になり 寝る子は育つ 明るい明日

 それに続いて、下記の句を捻ったのだった:
 
 省エネは 喰っちゃ寝に 尽きるのさ

 雪山を 愛で溶かして 禿山に
(百年の恋も冷めちゃうね。尤も、ある句に付した句なのだが…)

 懐の 寒さを隠す 熱燗か
(額が冷えると風邪を引くってのは、小生の持病なんだろうか。懐が寒いと、肺炎になるってのは分かるけど)

 掲載した写真は、土曜日の営業が終わって、日曜日の朝、帰宅途上で撮ったもの。花だけが出迎えてくれる。

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