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2004/12/18

冬の星

s-DSC01178

 掲げた写真は、木曜日の仕事も終わりに近付いた金曜日の未明、六時半近くの東京の夜明け間近の空。
 ブログの日記に掲げるに当たって、何か句を載せようと、いつもながら即興の句を練る。最初に浮かんだのは、「年は暮れ夜は明け行く冬の朝」という句。年は暮れていく、一方、夜は明けていく、その交差する面白味を狙った駄句である。
 ついで浮かんだのは、「灯火(ともしび)の夜明けの前の健気さよ」。夜明けの空の紺碧の色から淡い青、そして地上近くの朝焼けを予感させる茜色と変幻する、空が美しく映える瞬間の一つを写真では撮りたかった。だから、句も、そうした風情を表現したかったのだが、写真を見ると、それより、真ん中近辺の街灯の灯火がやけに目立つ。撮る際には邪魔だと思っていたのだけど。
 そうはいっても、厳然と電信柱からぶら下がる灯りが存在を主張しているのも事実。やがて、のぼり来る朝日に掻き消され、一定の明るさとなると、自然に消されていく。この写真の灯火の灯りは、消える瀬戸際の明るさということになるのか。
 さて、これが、例えば、昔ながらのオレンジ色の光を放つ白熱灯(白熱灯とは言いながら、光は橙色なのだが)だったら、もっと味わい深いのだが、今の街灯の多くは青白く光る水銀灯。
 小生、思うに、水銀灯の光は、何か寂しいし、冷たさをも感じさせる。コンビニの照明も今は、白。何か他人行儀な、よそよそしさの印象を強烈に放っているのでは。昔の照明がアナログなら、水銀灯はデジタル的。そんな印象を受けている人も多いのでは。
 前にもどこかで書いたのだが、街灯やコンビニの照明をもっとソフトに、できれば、昔ながらのオレンジ色の光に変えると、町の印象も随分と変わるのではないかと思う。
 余談が過ぎたが、ともかく写真では街灯が目立つので、「灯火の夜明けの前の健気さよ」としたが、何か、気に入らない。ちょっとだけ変えて、「灯火の夜明けの間際の健気さよ」にしてみた。変わり映えしないか。

 さて、今日の表題に選んだのは、「冬の星」という言葉。季語かどうかも分からずに決めた。というのも、木曜日は、日暮時が近付いた頃から木枯らしが吹き荒れ、おかげで日中の季節外れの暖かさが一挙に冷やされ、夜は、まさに冬の到来を実感させる寒さが東京の町にもやってきた。
 木枯らしが吹くのは辛い。けれど、唯一、嬉しいのは、冷たい、乾いた風が吹きまくった御蔭で、大気中の埃も湿気も吹き払われ、透明度の高い大気が恵まれたこと。
 夕方の六時前には輪郭も鮮やかに三日月が目に飛び込み、ドップリと暮れた頃には、空に星が幾つも瞬き始める。星が瞬くのは、大気が動いているせいで、別に、星が本当に瞬くわけじゃないのだが、肉眼には星が瞬き煌いているように見えるのである。
 昔の人は、こうした星の煌き、瞬きをどう、理解していたのだろうか。風の悪戯だと分かっていたのだろうか。
 さて、「冬の星」、念のためにネットで検索してみると、どうやら、冬の季語でいいらしいのである。但し、「冬の夜、冬の月」などはあるようだが、「冬の星」が12月の季語なのかどうかは分からない(小生には、真冬の月を扱ったエッセイがある)。

 ところで、先に進む前に、今日の新聞朝刊に、「桂信子さん死去 女性俳人第一人者」という記事が載っていた。恥ずかしながら小生、桂信子さんという方を知らない。不躾ながら、せっかくの機会なので、ネットで見つかった彼女の句を追悼の意味も込め、以下に掲げておきたい(評釈は、「句あれば楽あり ?テーマ別俳句 艶  至遊(しゆう」を見て欲しい):

  ひとづまにえんどうやはらかく煮えぬ 
  すすき野に肌あつきわれ昏れむとす  
  湯上りの肌の匂へり夕ざくら     
  衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く  
  逢ひし衣を脱ぐや秋風にも匂ふ   

[至遊さんの大元のサイトは、「インターネット文芸工房 青のアトリエ へようこそ」です。本日、分かったので追記しておきます。 (05/01/22) ]
 
 話は戻って、「冬の星」のこと。ネットでは、「冬の星」を織り込んだ句を散見することができる。例えば、「夜割れて冬の星群れ連れかえる」(「jiqの日記」より)、「口ごもる言葉を聴くか冬の星」(「風のささやき 冬の句」より)、「ポケットに捨つる句のあり冬の星」(白頭水「俳句の樹」より)、「胎児みな耳を澄ますや冬の星」(大高宏充「第61回秩父俳句道場   2003/~3」より)など。
 中でも、「冬星やまつ赤に小さき魔法瓶」(渡部ひとみ「日刊:この一句 バックナンバー」より)が印象的か。

 夜の暗さ。天文学に興味のある人でなくとも、夜は何故、暗いのかを自問したことのある人はいるのではなかろうか。それとも、夜は暗いから夜なのだと、開き直る?
 知る人は知るだが、実は、夜が何故、暗いのかは、今世紀に入るまでは解けない疑問であり続けたのである。  
 空はどの方向を眺めても、遠近は別にして、数知れない星があるはずである。例えば、森の真ん中に立っているとすると、周囲に樹木が立っていて、視界がまるで利かない。同じように、夜空についても、全天界のどの一角にも星が満ち満ちているはずなのである。
 なのに、夜空は暗い。
 この問いについて、小生が説明を試みるのは、無理があるので、関連するサイトを紹介しておく。例えば、「MOON LIGHT EXPRESS MAIN」と言うサイトの、「夜は何故暗い?」という頁を覗いてみるといい。
 この疑問、正式には(?)、「オルバースのパラドックス」と呼ぶ。宇宙に限らないのだろうが、「経験的に当たり前だと思っていた身近なものでも、こうして宇宙論的な問題に発展することが多々」なのである。

 このブログの無精庵徒然草は、日記のサイトなのである。なので、少しは日記らしいことを。サイトのお気に入りに「暗いニュース」を加えた。お気に入りというのとは、ややニュアンスが違うが、気になるサイト、ということでリンクさせてもらった。アメリカで、日本での広島(や長崎)での原爆投下のことが、まるで問題にされないのは、アメリカ政府(軍当局を中心とした)の強い関与があるからということは知られているが、その事実隠蔽や捏造の一端などを垣間見る情報などが載っている:
「隠蔽されたヒロシマ:いかにして陸軍省のタイムズ記者はピューリッツア賞を勝ち取ったか」byエイミー・グッドマン

 我が虚構作品の公表サイト、「無精庵方丈記」に「ディープスペース:ベルメール!」をアップ。これで、ようやく、手持ちの未公表作品は解消された。久しく実現を願っていた、執筆、即、ネット公表というプランがいよいよ実現だ。
 木曜日、車中に、円地文子著『朱を奪うもの』(新潮文庫)を持ち込み、読み始めたのだが、面白い。が、車中で読むには、やや重いし、慌しい中で読むには勿体無い。なので、今日から自宅で読むことに。読みかけの佐伯啓思著『自由とは何か』(講談社現代新書)の残りを一気に読了させた。
 円地文子の本の代わりに、車中には安部公房の本を持ち込むことにした。久しぶりの安部公房だ。これまで読んだのは、「箱男」「燃えつきた地図」 「砂の女」「第四間氷期」「他人の顔」(最後の「他人の顔」だけは三度も読んでしまった)など、数少ない。少しは世界を広げられるかな。

 さて、最後に駄句で締め括りたい:

 冬の星目を射るほどに眩くて
 降るほどの星の数々仰ぎ見る
 星屑に小道をたどる孤影かな
 月と星藍色の空埋め尽くす
 星屑や天に煌くアクセサリー
 星々を夜空の穴と思いけり

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