雑木林
昨日の都心での営業で、冬の到来を初めて実感した。
季語的にはとっくに冬入りしている。紅葉も始まっている。木枯らしなど、とっくに吹いている。
でも、冬が来たという実感はなかった。今年は、特に(本当の)冬の到来が遅い。温暖化? ま、そんな大袈裟な話はさておいて、少なくとも昨日のポカポカだった日中までは、秋だよなー。せいぜい言っても晩秋だよなー、というのが実感。
それが、そろそろ暮れ始めるかという頃から、北の風が吹き始め、都心にも木枯らしが吹き始めた。関東に限らないが日本の上空に寒気団が襲来しているからだとか。
そして、夜。まさにこれこそ、木枯らしの本番だとばかりに、冷たい乾いた北の風が吹き、木立は揺れ、さすがに疎らになっていた葉桜の葉っぱも、吹き飛ばされ、裸の木となるのも時間の問題。
東京の街路樹の中心である、イチョウ、コナラ、ケヤキなどが真っ黄色に変色して、強い風が吹くたびに、ドンドン千切られて空に舞い、地上に舞い散る。一旦は路上に臥した枯れ葉も、都会ではゆっくりすることは許されない。車が途切れることなく走っているからだ。タイヤが鳴り、ゴムが磨り減り、エンジンの低いが響く音に煽られ、路上の葉っぱたちは、さあ、もう一踊りだとばかりに舞い上げられて、さらに散在していく。
あるいは、舞い上がる気力のなかった葉っぱたちは、タイヤに踏み潰され、僅かに葉っぱの中に残っていたのか、樹液の滓(かす)が無理にも搾り出され、葉っぱの繊維だけという無慙な姿になり、路上にへばりつかされる。哀れな末路である。
まあ、そうでなくとも、路肩に吹き溜まった枯れ葉たちも、掻き集められ、燃やされるか燃料か何かに使われるか、いずれにしても、アスファルトの下の土との邂逅は叶わぬ夢なのである。
夜中など、何処かの公園の脇に車を止め、お茶など喫しながら、水銀灯の明かりに照らし出される公園の樹木を眺める。公園の木々というと、桜が多い。公衆便所の脇には、まるで匂い消しのように金木犀か沈丁花。他にイチョウやコナラ、ケヤキなどが植わっている場合もある。桜は、真っ裸となっていて入り組んだ梢が、遠くの空の星や月を、あるいは近くの団地のポツポツと明かりの消え残る様子を見透かせてくれる。
日中、風の強く吹いた夜は、勿論、夜になって吹いていたら尚更だが、空気が澄んでいる。まして冬である。空気も乾いている。よって、昨夜は星の数が、街灯のほど近くに立って見上げているにもかかわらず、とても多かった。
観月や観星(?)は、冬の冷たい風の吹いた夜の、タクシー稼業を夜通しやっている身の、ささやかな楽しみなのである。きっと、どんな豪華な計算され尽くした舞台より、物凄き観劇であり、感激なのではないかと思ってみたり。
両脇に居並ぶ街路樹の道などを走ると、降り頻る枯れ葉が街灯に照らし出されて、まるで巨大な牡丹雪の舞う道を走っているような錯覚を覚えることがある。が、時にフロントガラスなどにぶつかる音や様子で、それは雪などではなく、結構大きな枯れ葉なのだと気付かされたり。
信号待ちする折などに、窓を少し開け、耳を澄ます。エンジンやタイヤの軋る音に掻き消されがちだけれども、こうした状況特有の音が物悲しい。
それは、路上などを枯れ葉が這って行く、カサコソ、という乾いた擦過音。路面に擦り付けられ、磨り減り、あるいはぶつかる無数の音があちこちから聞えてくる。枯れ葉の悲鳴? タイヤに踏み潰され、路上に轢死体となってへばりついてしまう直前の断末魔の喘ぎの叫び?
それとも、光合成などで栄養を作り、樹木に栄養や水分を供給し、あるいは街行く人に紅葉の時を愛でさせるという誇らしい(?)、それとも七面倒(?)な役割を果たし終えて、自らの体から栄養も水分の最後の一滴までも搾り出した後の、束の間の自由の時を、もしかしたら枯れ葉たちは、いまこそとばかりに堪能しているのかもしれない。
あの、カサッ、コソッという音は、隠し切れない喜びの声、忍び笑う喜悦の声なのかもしれない。
それとも、生の、ザラザラした大地ではなく、コンクリートやアスファルト、プラスチック、ガラス、化学繊維、ステンレススチールで覆われた、厚化粧の大地、余所行きの大地ではあるけれど、地上世界との触れ合いを楽しみ、地上の星々との交響の時を生きているかもしれない。
ところで、表題に「雑木林」を選んだのは、イチョウ並木という都会の風物から、ちょっと昔の東京の姿はどうだったのだろうと、ふと、偲ばれたからである。
東京でも湾岸に近い部分、いわゆる江戸の町は、多くは埋め立て地であり、元は川か湿地か運河か、場合によっては海だったという土地に成立したものが多い。
その意味で都心には雑木林というのは、古来よりのという点では、あまりないのかもしれない。麻布の山となると違うのだろうが。
小生、やはり、本当の古来よりの雑木林となると、昔、武蔵野(台地)と呼ばれた辺りに行かないと、目にすることはできないのだろう、なんて思っていた。都心ではなく、郊外の何処かへ行けば、遠い昔からの僅かかもしれない名残に出会えるのかもと思っていた。
が、ちょっと、当てが外れた。
「雑木林」について、ネットで調べてみたのである。
あるサイトによると、「雑木林という言葉が出てきたのは明治時代になってからと言われている」とか。これは、「カブトムシvsクワガタムシ」というサイトの、「命のきらめき 雑木林」という頁で見つけた説明である。
そこには、「明治時代の文豪、国木田独歩の「武蔵野」や徳富蘆花らによって、雑木林の美しさが人々の心に広まっていったと思われる。」とあり、さらに「武蔵野(現在の東京、埼玉、神奈川の一部)に限って言うと、中世から江戸時代の初めまでは一面のススキ原であった。」とある。
そのススキの原の様相が一変したのは、「江戸に幕府が開かれ、人口が増えてきて薪や炭などの燃料が大量に必要となった。」からであり、「そこで、ススキ原を刈ったり焼いたりしてクヌギやコナラを植えていったのである。当時の江戸には百数十万人が暮らしていたとされ、暖房がない当時はクヌギやコナラの薪や炭は生活必需品だったのだ。」という。
問題は、雑木林という認識だが、「江戸時代の武蔵野の風景は雑木林が多くなったにもかかわらず、江戸中心部に暮らす武士や商人、文人などの武蔵野に対するイメージは違ったものだった。」つまり、「武蔵野といえば中世からススキ・露・月というキーワードで歌われつづけてきた。」というのである。
「雑木林は農民の生活道具のひとつに過ぎず、歌や絵などの芸術の対象にはならなかったのであろう。」というが、江戸の昔は、雑木林は、現代で言えば、石油の埋蔵地のようなもので、そこには得体の知れない、資源が(つまり、石油や樹木が)あるかどうか以外には関心の外の、要するに想像力の外にあったというわけか。
確かに、小生にしても、中東も中近東もアフリカの西海岸も石油などの資源の地であるという認識から、どれほど離れた理解があるわけでもない。
この「雑木林」を更に奥に分け入れば、そこには昔ながらの森林があったのだろうが、そこは、また、道なき道であり、道を逸れて踏み入るなど考えられない闇の領域だったのだろう。
こうした感覚があるからこそ、泉鏡花の『高野聖』の世界がリアリティを持つのだと思われる。
我々の、手を入れ世話をしないと成り立たない森林ではなく、魔物の棲む闇の世界という森。
それにしても、(絵で見る)「武蔵野の雑木林」の世界、まだまだ調べることがいろいろありそうである。
特に、「武蔵野。われわれは東京区内の外、多摩など相当な郊外を想像するが、独歩の時代の武蔵野は、実はいまの渋谷なのである。」などと言われると、尚更である。
そうえいば、前にも書いた(「蓮華草のこと」)が、童謡「春の小川」の舞台は、渋谷なのだった!
雑木林も武蔵野も都心から離れた地だったという勝手な先入観は禁物だったのである。都心にあっても間近な馴染みの世界だったのだ。
さて、例によって、駄句で閉めたい:
枯れ葉追う我が身の末を追うごとく
冬の夜の枯葉の散りて夢舞台
木枯らしの木立透かして月と星
長い影我が影に被さる添うごとく
闇の森分け入って見る我が心
舞う枯れ葉夢の欠片の散るごとく
冬の夜や牡丹雪かと枯れ葉散る
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コメント
雑木林の定義に広さが含まれないのでしたら、正に「芝公園」一帯は「雑木林」だと感じています。
単に手入れが行き届いていないだけの話と言うこともありそうですが。
コメントありがとうございます。本当に木曜の空は珍しく星が多くて綺麗でしたね。
投稿: td | 2004/12/17 23:42
tdさん、コメントをありがとう。
例の壁の写真、見事ですね。小生には撮れない。当たり前か。
流れ星の撮影、成功を祈ります。
投稿: 弥一 | 2004/12/18 02:41