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2004/12/29

地震・津波・俳句・川柳

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「地震」は「なゐ」という」と題した日記をかの中越地震(大震災と呼ぶべきではないか!)の発生を契機に書いたことがある。被災して二ヶ月を経て、またもや、今度は今世紀でも特筆すべき地震・津波が発生、被害の規模も数万人の死者、被災者は数百万人に及ぶと見られている。
 その地震の名称は、「インドネシア・スマトラ沖地震・津波」となっているのか。
 日本でも発生するのが確実視されている東南海地震では、地震の規模もさることながら津波の襲来が懸念されている。震源地から東海地方など日本海側は近いだけに、「駿河湾沿岸では、地震発生後、数分から5分以内に津波の第1波が到達すると予想され、その後も12時間以上にわたって、繰り返し津波が襲ってくると予測されてい」たりなど、地震の発生から数分から10分ほどで到来するとも言われている。
 他人事ではないどころか、まさに明日(今日は?)我が身なのである。
 不穏な空模様、先行きの分からない時代、日本は火山の噴火・地震・飢餓・戦乱などに翻弄されてきた。治世も、安泰を誇っていたりしても、その責めを負って、一挙に瓦解してしまう。今は、地球規模で、まさに国籍を超えて巨大な企業群が活動している。金融も、グローバリズム全盛とばかりに、資本の都合が最優先され、法律も制度も人より時に国家の都合や懸念を飛び越えて整備されている。
 その一方では、全体像など見えないし描き得ない大方の者は、こうした現実を受け入れ、その効率と速度最優先の現実の中で苦しむしかないし、その中で辛うじての生活を送るしかない。圧倒的な金融の奔流。カネはドンドン、一部の巨大な資本に吸い上げられていく。
 東京を見ていると、巨大な高層ビルがニョキニョキと建っている。そこでは今を旬の企業(店舗など)が活躍しているのだろうが、地方の商店街の疲弊を他所に、一人勝ち状態となった幾つかの台風の目がまわりのエネルギーを栄養分を独り占めし、吸い上げ、周りには風圧と排気ガスばかりが撒き散らされているようだ。
 超高層ビル・マンションという勝ち組みと、疲弊し荒廃し、展望の見えない、圧倒的な領域を占める郊外や地方の惨状。超高層ビルから時に眼下の街並みを眺望して感嘆の声を上げてみても、実は睥睨されているのは自分たちの青色吐息状態の家であり現実であり生活だったりする。
 アメリカを筆頭とするエネルギーの大消費国、中国などを筆頭とするエネルギー消費の急拡大国。つまりは、東京で見られるような、数えるほどのピカピカの超高層ビル(資本)と大多数の平屋か二階建てか岩盤には到底、鉄骨の打ち届かないビルもどきとの二極分解が、世界規模で生じようとしているのだろう。
 多くの小さな(規模において、あるいは経済力において)国家は、その日暮らしを強いられている。民族闘争・宗教闘争に苦しみ、地震対策とか温暖化対策を自らは到底、なすことのできない現実があるばかりである。その実、そうした国家には人材も含めた資源を漁る巨大国家の資本や思惑が渦巻いていて、混迷に拍車が掛かるばかりである。
 冒頭に掲げた写真は、27日の営業も終わり、スクーターで帰路についていたら、妖しいような夜明けの光景に見惚れ、思わずバイクを止めて、撮ってしまったもの。朝焼けが眩いわけでもなく、分厚い雲が全天を覆っているわけでもなく、先行きが見えないようでもあり、明けていくようでもある、そんな夜明けの光景なのである。

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 次に掲げた写真は、その直前、会社へ戻る途中、踏み切りに止められたので、せっかくだからと撮ったもの。未だ、六時半前だったろう。電車の中には、さすがに満員ではないものの、28日の早朝、既に結構な数の人々が乗っている。仕事に向かうのだろうか、それとも朝帰りなのか。人々の活動は続く。続けていくしかない。朝早くだろうが、夜遅くだろうが、仕事が、遊びが要求するなら、そのニーズに応じて動いていく。日本においても、アジアやアフリカにおいても、大多数の人々は、圧倒する現実の中、日々をのんびりと、せかせかと、淡々と、焦燥に駆られて送っていく。
 小生には、人の動きも津波のようなものと感じる。時代の転換期には、一人一人には見えない波長がみんなに伝わって、あるいは思わず知らず同調して、波長が増幅され、時代の様相が一挙に変わる。
 それは革命、期せざる大転換。アメリカも日本も中国もロシアも、エネルギー消費の制限どころか増幅の一途を辿るばかりである。経済的繁栄が何より求められる。クリスマスというプレゼント行事。煽られる消費動向の典型。作られた消費と経済的消耗。アメリカの典型的性向。
 環境破壊も地球の温暖化も分かってはいても、そんな懸念を他人事とする消費行動、生活水準の向上の追及、美と個性の追求、清潔と安全の確保・テロ撲滅と銘打たれた、つまりはエゴそのものの経済行動の跋扈を、他の弱小国の疲弊をさらに奈落の底に突き落とすことで実現することの結果としての犠牲の正当化。
 圧倒的大多数は、底辺を蠢いていくしかない。その底辺にある人々の蠢きがどこかで同調して波が増幅され津波となって、経済システムや巨大で堅固なる建築物に象徴されるカネの集中構造の激変を将来させる。経済構造の液状化による崩壊。
 
 地震や津波、火山の噴火、戦争、飢餓による年間数千万に及ぶ死亡、エイズによる死亡者数の増大、地球温暖化による(あるいは原因が消費エネルギーの拡大に依らないのだとしても、とにかく現実に進行している地球環境異変による)と感じられてしまう天候異変と不安。
 こうしたことを思うと文学も思想も、俳句も川柳も圧倒されてしまう。が、圧倒されるべきは、戒められるべきは経済や政治・社会のほうなのかもしれない。日本の文学の、すくなくとも一部は、古来よりこうした災害(天災・人災も含めての)と深く関わって創造されてきた。何も『方丈記』ばかりを思い浮かべる必要はない。
 花鳥風月とか、侘び・寂びとか、無常観といったものは、日本の風土性と切り離せるはずがないのだ。木造家屋というのは、マッチ棒の組み合わせではなく、風土性との深い絆の象徴なのではなかろうか。この点の探究は別の機会に求めるとして、短歌(和歌)や俳句、川柳という芸術の在り方が創出され洗練されてきたのも、巨大なお城や古墳を典型とする確固たる建築物を作っても、一度、震災に見舞われたら、ひとたまりもないという現実をたびたび見てきたからなのだろう。
 が、二十世紀末から今世紀に入って感じるのは、科学・技術の発達で、超高層ビルを作れば、たとえ大震災が生じても眼下の商店街や住宅街は火災や倒壊、津波に全滅の憂き目に遭おうとも、自分たちだけは生き延びられるという(根拠は何処まであるのか分からない)幻想が蔓延しているのでは、ということだ。
 つまり、先人の知恵がまるで通用しない。科学・技術が万全の備えを確保してくれる、科学や技術の鎧(よろい)を被っていたら、すくなくともそのバベルの塔の中にあるものだけは、生き延びられるという幻想が勝ち組みの胸中には(自称に過ぎず、詐称に他ならないのだが)蔓延っているように見受けられる、のである。
 が、生き延びたのはバベルの塔ではなく、洪水の圧倒する波に乗る方舟のほうなのだった。洪水の波に確固たる建築物の屹立で勝とうとしたのではなく、揺れ動いて止まない現実の波に翻弄されることを覚悟し、その波に笹舟のごとくに運命を委ね、結果として見えざる神の手に導かれ生き抜いただけなのだった。
 花鳥風月や無常観というのは、透徹した現実感が土台にあるのだと思われる。大地のゆるぎなさと揺らいでやまない定めなさとの、絶妙のバランスとアンバランスの錯綜。短歌(和歌)や俳句(川柳)というのは、瞬間芸なのだと書生は思っている。即興の芸術なのではないかと思っている。瞬間の中に、蓄積した全てを炸裂させ、しかも想像力と想像力とで結晶化させる営み。大地の悠長さ雄大さと、にもかかわらず火山と地震と洪水と戦乱の巷でもある現実をさらに翻弄する土台。
 
 今日は、こんな野暮なことを書くつもりじゃなかったのだが、しかたない。例えば、写真家の浅井愼平がディスクジョッキーを務めるあるラジオ番組でジャネット・クラインを推奨していて、なるほど、聴いていて抜群の歌唱力を感じてしまったこともあり、そんなことなど、つらつらと書こうかなと思っていたのだが。
 ちなみに、浅井愼平はビートルズの音楽を逸早く評価し紹介した逸話があるとか。
 タクシーの仕事で、お客様を乗せていない間の楽しみは、ラジオであり、主に音楽なのである。二十時間ほどの拘束時間の半分(以上)は、空車なので、その間は、可能な限りラジオを、できれば音楽番組を待ち受けている。クラシック・ジャズ・ポップス・サンバ・歌謡曲・演歌・民謡…。
 一回、タクシーの営業をやっていると、ありとあらゆるジャンルの音楽を聴ける。音楽好きな方より音楽漬けだったりするのだ。耳年増?!

 さて、季語随筆日記を標榜しているので、駄句で締めくくりたい。その前に、改めて、小生がメンバーであるサンバチーム・リベルダージの新年会のお知らせをもう一度、掲載しておく:

◎ リベルダージ新年会のお知らせ

 リベルダージのメンバーらによる、(サンバ)ダンス、ミュージックの饗宴。31日までなら参加(出演)も可能かも。他チームの参加もある(はず)。ボイ・ブンバの音楽と踊りは、新年会で知ったのだった。

 日時:2005年1月9日(日) 13:00~18:00
 場所:アサヒスーパードライホール 4FスクエアA 
 (あの突拍子もない目印が屋上にあるビルだ! ちなみに、あの目印、う○こだとか、觔斗雲(きんとうん)だとか称されたりするが、あれは、「炎のオブジェ」で、躍進するアサヒビールの心の象徴なのだとか。また、「スーパードライホール」は、フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもの。この建物をじっくり眺めるのも一興かと。)
 住所:東京都墨田区吾妻橋1-23-1
 地図(交通)
 料金:1人3000円で、飲み放題食べ放題!
 電話: 03-5608-5126

 ということで、駄句タイムだよ。

「地震」は「なゐ」というでもあるんだよ
 震災で身も心もが萎え(ちゃいけない)
 地の声に耳傾けよと揺らぐのか
 天災は時と場所を選ばない
 天災は人の貴賎を選ばない
 天災は地球の鼓動告げている
 天災は砂上の楼閣暴露する
 震える地心も揺れて明け暮れる
 天災は国境の壁越えていく
 天災は人の和崩し築かせる
 無常とは世界の命映すのか
 無常観諦念とは似て非なる
 俳句とは瞬間の夢の結晶か
 川柳はやがておかしき浮世芸

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