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2004/12/15

煤払い

 昨夜、車中でラジオをぼんやり聞いていて、何故か、「煤払い」の話題が耳に残った。
 年末が近付くと、テレビでも、あちこちの有名なお寺での「煤払い」の光景がニュースのネタに特段、ホットなものがない時には、放映されたりする。
 小生の気のせいなのか、今年は、そんな年中行儀的な、のんびりした話題を見聞きするのが少なくなっているような。奈良の小学生の事件(犯人側?からの再度のメール送信など)や親が子供を虐待死させた事件、放火されたと思われる量販店での3人の店員の責任感溢れる、が悲しい殉職となった事件、イラクへの自衛隊の派遣が、国会の承認や議論もなしに、閣議の承認だけで延長されてしまう…、しかも、そのことに対する大方の国民の無関心さ(きっと、無関心ではないのだろうが、国会や政府と国民とが、それどころか、政府と国会や国民とさえが、擦れ違い値切れて仕舞っていて、無力感を覚えているのではないか)、年金問題、定率減税の廃止の議論、近い将来の消費税の二桁へのアップ、重苦しい景気の足取り、とても、のんびりゆったりとは構えていられないという気分が多くの人にあるのかもしれない。
 マスコミも、そんな気分を敏感に察知して、思いっきりバラエティと飛ぶか、でなかったら、おどろおどろしい番組を並べ立てたりする。
 でも、まあ、ここでは、ちょっと時代錯誤かもしれないが、敢えて我々に身近ではないとしても、光景として馴染み深くもある風習を覗いてみたい。

「煤払い」というのは、「一年間の家屋の煤を払い,歳神を迎えるための年中行事。」だという。「現在では暮の25,26日に行うところが多いが,12月13日に行うのが全国的に古い日取りであった。」というが、だから、テレビやラジオでは、14日の赤穂浪士の討ち入りの話題と相前後する形で、「煤払い」の話題が採り上げられるわけだ。
江戸時代の正月はね。前年12月13日の「煤払い」から正月行事が始まり、新年を迎えて更に1月14日の「どんどん焼き」までをお正月といった」とか。
 ところで、何気なく「煤払い」という言葉を使っているけれど、われわれが(但し、小生は除く)年末などに行う大掃除とは、何処が違うのか、それとも、同じものであって、ただ呼称が違っているだけなのか。
 恐縮にも、敷居の高さを感じつつも、「神社オンラインネットワーク連盟」というサイトを覗かせていただくと、「13 煤払い(すすはらい)と掃除はどう違うのですか」という、小生のためにあるような頁を見つけることが出来た。
「そもそも煤払いとは、単なる掃除ではなく、年神さま(歳徳神(としとくじん)ともいわれ、新しい年の五穀の豊作を約束してくれる神さま)をまつる準備のための、宗教的な行事でした。」という。
「13日に煤払い」として、「神棚と仏壇の掃除のみを行い、家の内外の掃除は、それ以降の適当な日に行っていたようです。 これがやがて、暮れの大掃除という形になっていったのですが、現在では宗教的意味合いはすっかり失われてしまいました。」
 あるサイト(「笈の小文 ─風来の旅─2 ゆきゆき亭 こやん」の「12、煤払(すすはら)い」を覗くと、「江戸時代では年末になると煤竹(すすたけ)という大きな竹を売りに来て、その竹で、梁や天井などの一年の埃を払ったという。」
 さらに、「柳田國男によると、江戸時代は木綿の急速な普及によって、それまでの麻衣では発生しないような綿ぼこりが増えて、掃除の手間が増えたという。」のである(小生、この典拠となる柳田國男の文献は何なのかを知りたい)。
 この頁で興味深く思ったのは、「今日では「煤払い」は冬の季題だが、「大掃除」は春の季語となっている」とされている点。調べてみると、確かに、「煤払い」は「注連作、年の市、羽子板市、 飾売、門松立つ、注連飾る、煤払、煤籠、煤湯、 畳替」などと並んで、12月の季語(冬)である。
 また、「大掃除」は、3月の季語(春)にリストアップされていた。尤も、『季寄せ』で、「大掃除」は夏の季語だとしているサイトもネット検索だと見受けられる。ハテナ、である。
 この煤払いが冬の季語であり、大掃除が春の季語として扱われるというのは、「近代俳句の俳人に教育関係者が多かったせいなのか」、確かに、「実際には学校以外に春の年度末に大掃除をする習慣はない。」小生はともかくとして、大掃除というと、年末の風習というか、年中行事的な習慣になっているように思われる。
 但し、学校は4月から年度が改まるので、その前に2月末か3月に大掃除を行うような。尤も、小生の朧な記憶では、学期の終わりごとに、学校では大掃除をやらされていたようだし、年度末の3月は大掛かりに掃除をするとしても、必ずしも、学校現場の事情と大掃除が春の季語として扱われていることに、直接の因果関係があるとはいえないような気もする。
 ところで、「煤払い」とは、上にも引用したように、「一年間の家屋の煤を払い,歳神を迎えるための年中行事。」なのだが、何故に煤払いなのだろうか。そもそも、どうして、「江戸時代では年末になると煤竹(すすたけ)という大きな竹を売りに来て、その竹で、梁や天井などの一年の埃を払った」のだろうか。
 どうやら、ヒントの一つは、「柳田國男によると、江戸時代は木綿の急速な普及によって、それまでの麻衣では発生しないような綿ぼこりが増えて、掃除の手間が増えたという」点にありそうである。
 ここに出てくる、「綿ぼこり」という言葉。
臼杵の殿様暮らしと食」というサイトの、「煤払い・年越し」の頁を覗くと、そのものズバリで教えてくれる。
「12月になると町には煤払いをするための笹竹売りの声が聞こえるようになる。」なるほど、気のせいか、聞えるような気がする。
「昔の家々の燃料は薪であって、煮炊きにはくど、暖をとるためには囲炉裏が用いられたため煙が立ちすすがよくついていた。」
 なるほど、そうだったのか! へーが20である(屁の20連発じゃないってば)。
 考えてみたら、そうなのだ。燃料は薪が主流だった。他に何を燃やすか。
 囲炉裏のある部屋の天井など、煤で真っ黒だったりする。他の部屋も、煤という粉塵が飛んできて、障子の桟にも襖の取っ手にも、天井の梁にも、ありとあらゆるところに煤が舞い降り、へばりついてしまう。普段、畳みや板張りの廊下などは掃除できても、天井近辺などは、何かの機会を敢えて設けないと、掃除、つまり、煤払いなど、できなかったのだろう。
 それが、やがて、木綿の急速な普及によって、煤も相変わらずだったろうが、そこに綿ぼこりが加わったわけである。主婦・家内は、一層、厄介になったわけだ。上にあるように、それまでは木綿ではなく、麻衣だったので、細かな糸くずもあまり出なかったのだろう(浜木綿子さんから麻衣久仁子さんに変遷したというわけだ。ん? 字が違う? 麻木久仁子さんか)。
 でも、麻衣って、夏はともかく、冬は寒いんじゃなかろうか。
 そんな悠長なことも言っておられないか。それに、木綿が急速に普及したといっても、百姓などは、どうだったのだろうか。

 ところで、小生が「煤払い」を今日の表題に選んだのは、個人的な事情もある。小生は、鼻呼吸ができず、口呼吸だけに頼っている。つまり、大気中、部屋中の埃は、息をする度に、口からまっすぐ肺に飛び込んでいく。自称するところ、人間空気清浄機である。
 こんな人間なので、埃には敏感にならざるをえない。サラリーマン時代、いや、その前にフリーター時代も含め、小生は、よりによって、仕事場所は倉庫だった! フリーター時代は、それでも、清掃もアルバイトや社員らの仕事として課せられていたので、倉庫といっても、そこそこには綺麗だったが、サラリーマン時代の倉庫は悲惨だった。
 たまに、はめ込みの分厚い磨りガラス越しに日光が差し込むと、日の光に倉庫の空気の埃が、濛々と舞い上がっているのが分かる。じっくり眺めるのは休憩か、作業が一服した時なので、倉庫内を作業車が走ったり、人が動き回ったりしているわけじゃない。それでも、埃の凄まじいこと。
 小生には、倉庫で働く日々は、まさに恐怖の日々だった。なので、休み時間が近付くと、勝手に一人で水に濡らしたモップで、せっせと掃除する。これは、命を賭けた、生存を賭けた掃除なのである。
 そのうちに、会社側も了としてくれて、日常的な形での倉庫の掃除が随時、行われるようになったが、小生は、誰より、懸命にやったことは言うまでもない。
 それにしても、何故、自分は敢えて倉庫で働くのか。学生時代みたいに、新聞配達をするとか、配送の仕事に携わるとか、選択の余地はあったろうに(この辺りのことは、書き始めると、事情もいろいろあり、機会があったら、稿を改めて書くことにしたい。いつかは)。
 折りしも、「北海道石炭じん肺訴訟、70人和解9人に賠償認める」((読売新聞)というニュースを、今日、聞いたところである。
 既に、「被害者を放置した国の責任を明確に認めた27日の「筑豊じん肺訴訟」最高裁判決。」も出ている。
 坑内で大量の粉塵を日々吸い込みながら、ひたすら石炭を掘り続けた何十年。ろくに粉塵対策も打たれない中での労働。そうした悲惨な状況に比べたら、小生が薄暗い倉庫で8年、働いたことなど、軽いものかもしれない。
 けれど、小生は、口呼吸しか出来ない。冬だと、どんなに冷たい空気も、多少は喉などで緩和されても、ほぼダイレクトに肺に達する。若い頃は、体力で誤魔化しが効いたが、今は、冷たい空気を吸うと、即、喉が痛くなり、肺が苦しく痛くなる。
 小生が郷里の家に帰るのが億劫なのも、父がヘビースモーカーだからである。口呼吸しかできない小生を傍に、父は煙草を欠かすことはない。まるで自分が疎まれているかのようだ(ったし、今も)。
 煙草を吸わず、日常をただ過ごすだけでも、埃を思いっきり吸い込んでいて、肺癌を恐怖する日々。時間との戦い。小生がろくでもない文章を書き散らすのも、時間との戦いという側面があるような気がする。
(念のために断っておくが、三十代の後半になって、体力の低下を自覚し(喉が痛んでも、風邪にならず持ちこたえていたのが、四十歳近くになると、痛みが即、風邪になる、下手すると肺炎じゃないかと思えるほどに症状が悪化する機会が増えた、など)、二度ほど手術も行っている。あと二回ほど、手術すれば直るかも、というところで、時間切れとなった。)
 できることなら、胸に溜まっている煤を払いたいものである。
 煤払いから、とんでもないところに話が飛んでしまった。
 本当は、煤から塵に話を持っていき、やがては、『梁塵秘抄』に至りたかったのだが。「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声きけば わが身さへこそゆるがるれ」や、「ほとけは常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人のおとせぬあかつきに ほのかに夢にみえたまふ」などで有名な、この後白河法皇の撰述になる『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』、その題名の由来だけでも、触れておきたい。
シルバー回顧録」というサイトの、「修行について」の頁に、「梁塵秘抄の名前の由来」が本文から転記されていた。ここに再転記させてもらう:
 
梁塵秘抄と名づくる事、虞公、韓娥(歌の上手な二人)と言ひけり、声よく妙(たえ)にして他人の声及ばざりけり。聴く者賞(め)で感じて涙おさへぬばかり也。謡(うた)ひける声の響きに梁(うつばり)の塵(ちり)起ちて三日居(い)ざりければ、梁(うつばり)の塵の秘抄とは言ふなるべし。

 さて、長々と書き綴ったので、最後は駄句で締めよう!:

 煤払い胸のつかえも払えたら
 煤よりも埃に満ちて掃除せん
 煙草より味わい深い排気ガス
 梁(うつばり)の塵の秘抄とならんかな

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