冬の月
昨日の仕事も、暇だったお蔭で、公園の脇に車を止め、冬の月を幾度となく眺めていた。春の月、夏の月、秋の月、それぞれに趣があるのだが、冬の月はまた格別なものがある。
冬の月の特徴の一つには、秋の月にも通じることだが、季節柄、湿度が低く、よって空気の透明度が高く、月影が冴え冴えと見られることがある。
満月なら真ん丸に、半月や三日月なら、それなりに、少なくとも円弧の輪郭は鮮やかである。晩秋から冬へと季節が移り変わると、空気の透明度も高まるが、寒さも一入(ひとしお)厳しくなっていく。
東京については、日中は暖かだが、夕方になると一気に冷え込んできて、小生が月見に興じる真夜中過ぎともなると、じっと立っていると、まだ、真冬でもないのに体が芯から凍て付きそうになる。
その寒さが、悪寒を予感させたり、何か心を緊張させて見たり、いずれにしても、特別これといって感懐など抱いて見上げていなくとも、月見をしながら、心の引き締まる思いを覚えてしまったりする。
冬の月の特徴には、他にもいろいろあるだろうが、小生にも気づくことは、冬の月の高度が高いことである。真夜中ともなると、尚更で、真上に近くなる。これから、冬が深まっていけば、ますます天頂に近くなっていく。
何故に、冬になると月の位置が高くなるのか、そのメカニズムは、きっちりと説明がつくが、ここでは略す。小生より、専門家の説明を求めた方がいいだろう。
まあ、単純にいえば、冬の月は夏の太陽のような位置にあるということだろうか。
理屈では、月の高度が高いことは分かる。が、その月影に照らされる身の覚える気持ちは、なかなかに厄介だったり、時に厳粛だったり、この無精の気質を託つ小生も、ともすると哲学的な感懐を抱いたりする。
実際、これまで、月をめぐって、どれほど随想を書き綴ったことやら。冬に限っても、「真冬の月と物質的恍惚と/真冬の明け初めの小さな旅」やら、「真冬の満月と霄壤の差と/十三夜の月と寒露の雫と」などを月影の雫の垂れるがままに電脳の画面に液滴の描く文様を象(かたど)ってきた。
つい先日も、このうちのある随筆を土台に、変奏曲とばかりに、幻想風な掌編「真冬の明け初めの小さな旅」を描いてみた。この小品は、元の随筆もそうなのだが、月が出ていないようで、雪が表のテーマとなっているが、雪明りの中に月を常にイメージしている。
月の光などが雪の結晶の中に封じ込められている、それが真夜中に閉じ込められていた光が我慢しきれずに雪の蕾から飛び出して、光り輝き始める…というわけである。
「冬の月」というのは、冬、特に12月の季語らしい。これまた、小生、この言葉がどのような来歴を持ち、どのように諸氏らによって詠い込まれてきたのか、知らない。冬になってそれほど時間の経っていない今の時期に冬の月とは、何故なのだろう。
やはり、寒さが際立ってきたからこそ、月影の凄みも改めて新鮮に感じられるからなのか。いよいよ冬もこれから本格的になる。東京のように冬とはいっても晴天の多い土地柄とは違い、もしかしたら北国だったり、盆地だったりして、曇天の日が続くようになるだけに、束の間の晴れ渡る夜空に月影が恵まれると、もうそれだけで天の恵みを享受しているという崇高なる喜びを覚えるからなのか。
せっかくなので、ネットで見つかる「冬の月」を織り込んだ句を幾つか:
静なるかしの木原や冬の月 与謝蕪村
(これは、「日刊:この一句 バックナンバー 2004年11月30日」から。評釈が面白い。)
冬の月より放たれし星一つ 星野立子
(この句は、「俳句ニューデリー」というサイトの「今月の見つけた! という頁で見つけたもの。サイト主と思われる藤島由希氏による評釈の冒頭に、「プラチナのごとく輝く冬の月」なんて、一言があって、小生、句自体より、この文句に参った。ちょっと驚いたことに、昨日付けの「短日」にちなむ句も見付けた:「短日の望遠鏡の中の恋 寺山修司」。驚いたのは、寺山修司は若い頃に俳句作りを試みていたが、俳句を作る人らには、煙たがられていた人。その句に目配りしていること。)
「蒼茫と湯里を照らす冬の月」という句を見つけた。「たか子さんと俳句」というサイトがネット検索で引っ掛かったのである。たか子さんって、一体、誰。読んでいくと、「お父様の幸四郎さんは…」という記述がある。ってことは、あの松たか子さんってことだ。頭の句は、どうやら松本幸四郎さんの句らしい。
小生ごときが生意気だが、なかなかの句のような。
ネットを検索してみると、ベタな季語は玄人筋には嫌われるという。あまりに分かりやすいからだろうか、手垢に塗れているからだろうか。言葉に責任はないのに。で、この「冬の月」も、敬遠気味なのだとか。ついでながら、「紅葉」も、敬遠されているとか。
となると、ここは、素人の出番である。敬遠でも塁に出れる人はいいけど、小生はワンバウンドのボールでも、打つんだね。
冬の月仰ぎ見るほど高かりし
冬の月我が心根を射るごとく
さて、今日の駄句を列挙しておく。ある人の時事川柳に付したもの。だから、元の句や、その背景説明がないと、分かりにくいのだけど、ま、そんなことは気にせず、羅列しておく:
丸投げも繰り返すうち投げ遣りに
(国民は諦めムードなのかな。もう、慣れた?)
既得権手放すよりは国壊す
(既得権益を守るため、せっせと愛国心を煽っている)
九段坂歴史の崖を登るごと
(犠牲は日本にも大陸にもいる。共に祈りたいもの)
鬼の棲む心の闇に立ち竦む
(敵は、味方もだけど、人間の性根にあるのかも)
いつの世も遠くに探す青い鳥
(身近に素敵な人が居るだろうに)
雪の日に消え行く影を追いしかも
今、汗駄句川柳の部屋を構築中である。過去の全作品を掲載していく、駄句の倉庫のようなサイト。これで、四つ目のブログサイトだ。近く、公開予定(実は、既に密かにアップされている。ネット検索したら、見つけるけど)
掲げた写真は、昨夜というか今日の未明前というか、某公園で撮ったもの。冬の日の月が、小さく見える。肉眼だとプラチナよりも眩く眩しかったのだけど。葉っぱも、ほぼ落ちてしまって、木々もすっかり冬仕度だ。
いつか来る春を待つのか裸木たちも
枯れ葉でも身に纏えば温まない?
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