« 季語徒然 | トップページ | 冬の月 »

2004/12/01

短日

 暦は今日から12月である。師走。師も走る。ならば、弟子も走る。師も弟子もない小生は、さてどうするか。そんな意味のない問い掛けを自分にしてどうすると問いたくなる。
 今日の表題に選んだのは「短日(たんじつ)」である。春は日永であり、夏は短夜であり、秋は夜長、ならば、冬は短日。思えば、秋より冬のほうが夜が長いような気がするが、秋の季語に夜長であり、冬は短日。やはり夏の日の長さと夜の短さとに対比して、秋ともなると、秋の日は釣瓶落としということで、夜長が馴染まれるようになり、結果として冬は、短日となったのだろうか。
 12月は、季語も豊富である。これだけ慌しい時期なのだから、季語を忖度する暇も、まして句をひねる暇などあろうはずがないのに、何故、こんなに多くの季語があるのか、不思議になるくらいだ。
 12月は31日しかない。が、季語は、ふんだんにある。となると、この季語随筆も、日に二度どころか三度は書かないと追いつかないということになる。土台、無理な話だが。
 短日、この季語にも、ちゃんと使い方もあれば、使われてきた経緯もある。例えば、類語に日短し・日つまる・暮早しなどがある、などと。
 本当なら、そういった背景や常識を調べ上げた上で表題に選ぶべきなのだろうが、この我がサイトは、自分が分からない、何も知らないという前提から出発している。調べながら書き、書きながら調べている。いつも、ぶっつけ本番なのだ。エッセイも掌編もコラムも、いつも行き当たりバッタリの、出たとこ勝負。
 小生の思考回路やら考えのまとまりのなさ、考えがまるで深まらない情なさがモロに出ている。むしろ、中身より、その頼りなさこそが特色(売り物?)のサイトなのである。
 せっかくなので、今回は、短日を織り込んだ句をネットから探し出してみたい:

 短日の人を見遣るや眼鏡越し    柴田宵曲
 短日の昏れゆくままの脚立かな   長谷川裕

 これらは、「日刊:この一句 最近のバックナンバー」から。解説も、読める。

 短日や瓦のきざむ影ならぶ   夏井いつき

 この句は「夏井いつきの季語の旅」で見つけたもの。写真と併せて詠むと、いいのかも。

 短日の時計の午後のふり子かな    飯田蛇笏

 この句は、「日国.NET:よもやま句歌栞草」で発見。例によって、このサイトにも、「掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。」と書いてある。ネットでオープンになっていて、開けばすぐに見れるのに、せっかくの記事を紹介できない。
 そこで似た趣旨のことを書いているサイトを探す(面倒出ない方は、上をクリックしてください)。例えば、「大江戸八百八頁」というサイトの、「江戸の暦」という頁を開く。
 そこに、短日について参考になることが書いてある。つまり、まず、「まず正午と真夜中をそれぞれ九つ(午の刻、子の刻)とし、日の出直前、日没直後を明六つ、暮六つ(卯の刻、酉の刻)と定めます。そしてその間の昼夜をそれぞれ六等分して一刻とし」た。
 ここからが肝心なのだが、「日の出、日没は季節、土地により変化しますので、昼の一刻と夜の一刻は違」うのだし、当然、日中の一刻も季節によって違う訳だ。夏などに比べ、秋さらに冬は一刻の時間そのものが違うわけである。
 つまり、「短日」という時、昼間の時間が短い(ということに結局はなるのだが)かどうか以前に、時間を示す一刻という言葉が同じでも、その示す長さが違うということ、冬は短いし、冬の日中は夜より同じ一刻であっても、短いということを意味するということだ。
 なるほど、である。
 ついでながら、「明六つ、暮六つ」の「六つ」とは、その刻限に「撞かれる鐘の数からきた呼び方」なのだとか。これも、大方の人には常識なのかもしれないが、小生には、86へー、であった。
 また、江戸時代は、時間を干支風に、子丑寅と呼称していたことは知られているだろう。「例えば「正午」は午の正刻(うまのしょうこく)を略したもので、午前、午後は午の刻の前後ということ」なのである。
 干支で午年の人が午の刻に生れていたら、馬が合った、ということになるのだろうが、少なくとも小生には当て嵌まらない。そこまで考えて出産もできなかったろうし。
 ということで、今日は「短日」ということで、少しだけ、時間(の分け方や呼称)について触れてみた。
 しかし、時間の問題は奥が深い。そこには世界観の問題が横たわっていたりする。小生が、時間について道案内するのは、出すぎた真似ということだろう。

 さて、今日も駄句の列挙で、幕を下ろしておきたい。それぞれに句を捻った脈絡があるのだが、煩雑になるので句だけを示す:

 散る間際つかの間憩うモミジかな
 散るモミジベンチで拾って冬を待つ
 散るモミジ風の気紛れ楽しむか
 モミジ背に微笑んでいるベンチかな
 背のモミジ温めて憩うベンチかも
 東福寺紅葉の焔見下ろして
 赤い服?紅葉の焔燃え移る?
 人だかり紅葉の赤に染めたいね

 ヘリに乗り大地を睥睨する弥一
(これはヘリコプターに乗って遊覧してみたいという願望の句)

 尚、「無精庵万葉記」も、「無精庵方丈記」も、更新してあることはお知らせしておく。
 もち、この「無精庵徒然草」が更新してあるなんて言うのは、言うも愚かなりだね。
 最後に、せっかくなので、短日を織り込んで一句:

 短日や月影の出の早さかな
 短日や仕事もさっさと終わればね
 短日や夜の仕事は損なのか
(同じ労働時間だと、昔風だと夜は余分に働くことになるのかな。でも、江戸の世は夜、仕事するというと、泥棒さんくらいのものか)
 短日や人生に似て慌(あわただ)し
(昼間が短い、つまり青春の時は短く、夜、つまり熟年の時は長い。その長い時をいかに充実させるか、が大切なんだろうね)
 

|

« 季語徒然 | トップページ | 冬の月 »

季語随筆」カテゴリの記事

コメント

改めて句を拝見するにつけ、その情景を思い浮かべ、(写真の)構図を頭に思い描いている私です。
夕焼けと朝焼けの件、ブログに投稿してみました。
皆さんからのコメントが楽しみです。コメントが無い可能性も・・・(-_-;)

投稿: td | 2004/12/01 21:41

 td さん、コメントをありがとう。
 というか、お気遣い、ありがとうございます。
 小生の句は、基本的に分かりやすい。持って回った表現を試みていないし、大半が掲示板への書き込みの際に付すものなので、句から情景をすぐに思い浮かべやすいと思います。

 写真を見ただけで、夕焼けと朝焼けの区別が付くか。小生も、以前、知り合いに聞かれたことがあるけど、答えようがなかった。
 写真のプロには、あるいは、風景を細やかに観察されているなら、そんなもん、すぐに分かるさ、なんて答えられそうで、貴サイトに質問もできずにいました。
 覗きに行きますね。どうなんだろう。コメントが楽しみ。

投稿: 弥一 | 2004/12/02 12:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/2119370

この記事へのトラックバック一覧です: 短日:

« 季語徒然 | トップページ | 冬の月 »