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2004/12/31

ストーヴ

 今日は大晦日。その表題に「ストーブ」というのは、味気ないだろうか。 
 でも、いろいろあったこの年、悲惨な事件、未曾有の災害などがあまりに多すぎた。夏にオリンピックがあったことなど、夢のようでもある。
 それなので、「ストーブ」に当たって、せめて体だけでも暖めたい…といのは、あまりに安易過ぎる発想法だろうか。でも、エアコンは苦手だし(部屋には設置されているのだけど)、かといって、火鉢を持ち出すのも、密閉状態の部屋ええは怖い。足温器を学生時代やフリーター時代には使っていたが、足温器だけでは寒さに耐えられない。部屋の床は、たまに掃除機を掛けているのだけど、正直なところ、汚いし、そもそも、且つ、詰めた本などの詰められたダンボールが壁に山積みになっていることもあって部屋が狭く大好きな炬燵は置けない。
 ガスも灯油のストーブも、学生時代の失敗もあるので怖い(「ガス中毒事故余聞」参照)。
 となると、電気ストーブに頼るしかないのである。
 そう、ストーブといっても、薪ストーブでもなければ、ガスや灯油(石油)ストーブでもない、電気ストーブなのである。
 まして、暖炉でも、湯たんぽでも、行火(あんか)や懐炉(かいろ)などではないのだ。
 まあ、一番暖かいのは、体を直接、火に当てることだろう。ジリジリ、ジュージュー、こんがりと。でも、暖かさはダントツだろうが、少々、熱すぎるかもしれない。これは、最後の最後の取っておきの手段である。
 電気カーペットなど敷くのも手だろうが、居眠りが得意の小生、うっかり寝込んでしまって低温火傷(やけど)してしまいそうで、やはり使用が躊躇われる。
 部屋が密閉されていて、日当たりがよかったりしたら、日光浴というか日向ぼっこという手もある。ただし、これは日中だけのこと。宵闇が迫る頃には、一気に冷え込んでしまう。そういえば、近所で見かける猫殿も、日向ぼっこはしていないようだ。
 さすがにアスファルト(コンクリート)自体が冷え込んでいるからなのだろう。
 ただ、朝、会社からの帰り、近所でアパートの前で紐につながれた犬(柴犬風)が路上に座り込んでいるのを見かけた。太陽は上がり始めていたけれど、いくら分厚い生まれ持っての毛皮のコートを着込んでいるとはいえ、さぞかし路面は冷たかろうに。
 そういえば、小生が通りかかる公園の近くで、やや窪んだ歩道にダンボールやら毛布などを敷いたり被ったりして寝込んでいるホームレスの方も見かけたりする。幾らなんでも、今からの季節は、耐えがたい寒さが襲っているだろうし、見るのもつらいものである。
 人によっては、酒で体を暖めるという手段を採ることもあるようだ。アルコールが体に回って、体がポッポして、顔も上気したりして、見るからに体が火照っているのが分かる。でも、酔ったまま寝込んで、気がついたら冷え切った部屋、場合によってはお犬様同様路上で凍えている自分に気付くかもしれない(気付かないまま、安らかにあの世へ移行される場合もあるかもしれないが)。
 他には、これは最近に限らず小生がよく使う手、結構、ポピュラーな手段として、セーターなどを重ね着し、その上にコートなどを羽織るなんて知恵を実行することもある。

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2004/12/30

息白し

s-DSC01221 さすがに12月の季語随筆も、季語・季題とされる言葉は抱負にあるとはいえ、月末となると使いたくなる言葉の候補が減ってくる。
 これまで「短日」「冬の月」「冬ざれ」「竈猫(かまどねこ)」「冬の嵐」「仲冬・大雪・炬燵」「鰤(ぶり)起こし」「仮の宿(これは「狩の宿」のもじり)」「虫の音」「火鉢」「枯尾花」「ポインセチア」「煤払い」「影踏み」「雑木林」「冬の星」「月に雁(かり)」「青みどろ」「日記買ふ」「毛糸編む」「冬木立」などを採り上げてきた。
 この中には、冬の季語ではない言葉が含まれている。さて、どれでしょう、なんて野暮な問いはしない。季節感と季語との齟齬は、異常気象のせいか、実感の上でずれているのは明らかだし、そもそも季語の多くは、京都や東京(江戸)などを中心で作られてきた。
 だから、北海道や九州・沖縄・四国で句作を試みるとなると、決まり事に拘っていると、なかなかに難儀だったりするのも無理はない。

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2004/12/29

地震・津波・俳句・川柳

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「地震」は「なゐ」という」と題した日記をかの中越地震(大震災と呼ぶべきではないか!)の発生を契機に書いたことがある。被災して二ヶ月を経て、またもや、今度は今世紀でも特筆すべき地震・津波が発生、被害の規模も数万人の死者、被災者は数百万人に及ぶと見られている。
 その地震の名称は、「インドネシア・スマトラ沖地震・津波」となっているのか。
 日本でも発生するのが確実視されている東南海地震では、地震の規模もさることながら津波の襲来が懸念されている。震源地から東海地方など日本海側は近いだけに、「駿河湾沿岸では、地震発生後、数分から5分以内に津波の第1波が到達すると予想され、その後も12時間以上にわたって、繰り返し津波が襲ってくると予測されてい」たりなど、地震の発生から数分から10分ほどで到来するとも言われている。
 他人事ではないどころか、まさに明日(今日は?)我が身なのである。
 不穏な空模様、先行きの分からない時代、日本は火山の噴火・地震・飢餓・戦乱などに翻弄されてきた。治世も、安泰を誇っていたりしても、その責めを負って、一挙に瓦解してしまう。今は、地球規模で、まさに国籍を超えて巨大な企業群が活動している。金融も、グローバリズム全盛とばかりに、資本の都合が最優先され、法律も制度も人より時に国家の都合や懸念を飛び越えて整備されている。
 その一方では、全体像など見えないし描き得ない大方の者は、こうした現実を受け入れ、その効率と速度最優先の現実の中で苦しむしかないし、その中で辛うじての生活を送るしかない。圧倒的な金融の奔流。カネはドンドン、一部の巨大な資本に吸い上げられていく。
 東京を見ていると、巨大な高層ビルがニョキニョキと建っている。そこでは今を旬の企業(店舗など)が活躍しているのだろうが、地方の商店街の疲弊を他所に、一人勝ち状態となった幾つかの台風の目がまわりのエネルギーを栄養分を独り占めし、吸い上げ、周りには風圧と排気ガスばかりが撒き散らされているようだ。
 超高層ビル・マンションという勝ち組みと、疲弊し荒廃し、展望の見えない、圧倒的な領域を占める郊外や地方の惨状。超高層ビルから時に眼下の街並みを眺望して感嘆の声を上げてみても、実は睥睨されているのは自分たちの青色吐息状態の家であり現実であり生活だったりする。
 アメリカを筆頭とするエネルギーの大消費国、中国などを筆頭とするエネルギー消費の急拡大国。つまりは、東京で見られるような、数えるほどのピカピカの超高層ビル(資本)と大多数の平屋か二階建てか岩盤には到底、鉄骨の打ち届かないビルもどきとの二極分解が、世界規模で生じようとしているのだろう。
 多くの小さな(規模において、あるいは経済力において)国家は、その日暮らしを強いられている。民族闘争・宗教闘争に苦しみ、地震対策とか温暖化対策を自らは到底、なすことのできない現実があるばかりである。その実、そうした国家には人材も含めた資源を漁る巨大国家の資本や思惑が渦巻いていて、混迷に拍車が掛かるばかりである。
 冒頭に掲げた写真は、27日の営業も終わり、スクーターで帰路についていたら、妖しいような夜明けの光景に見惚れ、思わずバイクを止めて、撮ってしまったもの。朝焼けが眩いわけでもなく、分厚い雲が全天を覆っているわけでもなく、先行きが見えないようでもあり、明けていくようでもある、そんな夜明けの光景なのである。

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2004/12/28

ブログに暮れていく

 小生の今年が銘記されるとしたら、一つは掌編年間百篇の試みだろうか。今のところ、99個まで来ている。後一つは年内の楽しみとして、年末ギリギリに書き上げるつもり。そうしたら、お正月は、お茶とピザなどで祝盃だ。
(ちなみに、昨年は、オフ会での出会いとサンバへの自分なりの関わりだろうか。)
 二つ目は、秋口というか夏の終わり頃からブログを始めたこと。
 三つ目は、七夕の直前に川柳乃至は俳句モドキの実作に手を染め始めたこと。この仙流(!)は、始めてみて勉強不足を痛感している。ある意味、このブログの無精庵徒然草を始めたのも、季語随筆日記と銘打っていることでも分かるように、日に一つは季語(季題)について勉強することが目的の一つになっている。季語(言葉)を巡って、伝統に遡り、言葉の周辺をさぐり、同時に、単に知識として知るだけではなく、自分の生活実感を大切にして、言葉に自分なりの肉付けを与え、さらには駄句の実作練習に励みたいという、壮大なる目論見が潜んでいるのである(かなりあからさまな目論見なのだが)。
 ブログを分からないままに見切り発車で始めたのは、小生の場合、文章を書くのはいいとして、それをホームページに載せるのが厄介だった。主に時間的な理由で、メールマガジンの配信も、より多くの方に拙稿を読んでもらいたい、ホームページに来てもらいたいという願いからだったが、同時に、ぶっちゃけたところ、ホームページに文章をアップする暇がない、でも、書いた以上は逸早く公表したい、ネットは旬が命だから、というそれなりに切実な気持ちもあったからなのである。
 未だ、ブログの機能を十分の1も使ってはいないが、ただ、書いた文章を即、公表し(配信する)という目的に関しては、とにかく実現できているとは言えよう。そのため、時々、文章の流れがおかしかったり、句読点の不備、リンクのし忘れなどがあったりするが、ネットの、どんな出版形態も敵わない瞬発力は生かせていると思うのだ。
 ま、不備は、炭火で焚いたご飯のおこげだと思って、大目に見て欲しい。

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2004/12/27

茶の湯とキリスト教と

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 いつもながら、表題には迷う。表題を何にするかで迷うとは、つまりは何について書くかで迷っているということでもある。というか、大概は画面に向かってから書くテーマを決めるのである。
 小説を書くのも、川柳や俳句を捻るのも、エッセイなどを書くのも、基本的には即興で行う。
 実のところ、優柔不断さと意志の弱さがこういう体たらくを齎している。たまに、このテーマで書こうと思っても、冒頭の数行を書いてみると、その僅か数行が何か存在感を主張し始め、その文章の雰囲気やちょっとした言葉遣いに影響され、最初の高邁な(?)意図は何処へやら、体裁よく言うと気随気侭なのだが、実情はと言うと、引き摺られ流され、文章の行方は文章に聞いてくれという惨状だったりするのである。
 今日の表題は、ふと、「冬の月」にしようかと思った。土曜日の営業も、夕方過ぎから満月に恵まれて、お客さんに恵まれない分、月影の齎す艶福感に慰められていたりしていたし、日曜の夕方、買い物に出かけた際も、真ん丸なお月様とお散歩するような気分を味わえた。
(但し、「月齢カレンダー」によると、本当の満月は27日の月曜日のようだが。満月の前後は、危険が予測される度合いが高い。まして月末の27日が満月ということになると、今日、月曜日は交通事故も含め、いろいろ注意したほうがいいようである。)

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2004/12/26

西鶴の感情:世間胸算用

 季語随筆なのに、突拍子もなく西鶴の『世間胸算用』を表題に選んだのは、「大晦日という時間的に限られた状況の中で年越しに追い詰められた民衆の様子をあから様に書き表した物語で当時の民衆の生活が伺」ってもらおうという思惑があってのことではない(「人で見る日本と文化 井原西鶴に学ぶ知恵と才覚 柳原範夫」)。
 実際、今年ほどに年越しの苦労を強いられて年も今までにないのだが。
 実は、昨夜、車中でラジオを聞いていたら、ある番組で本の紹介などをしている。本を買えない小生には耳の毒な番組だが、つい、聞きかじってしまったのである。
 五冊だったか紹介されていて、それぞれに興味が湧いたが、中でも、富岡多恵子氏(以下敬称略)による5年がかりの労作『西鶴の感情』(講談社刊)が、特に気になった。著者の富岡多恵子は、詩人として文学活動を始め、やがて小説家として活躍していたが、近年は、『中勘助の恋』(平凡社)、『釈迢空ノート』(岩波書店)など、評論に力を入れておられる。
『富岡多恵子の好色五人女』(集英社)や『好色一代女』(集英社文庫)もあるようだが、これは富岡多恵子による現代語訳であり、大きくは評論活動の一環ということになるのかもしれない。
 本書での試みの特色は、「通常の作家論では作家の思想や哲学、作品構築の方法論などに論点が偏りがちだが、「専門家でない、同じ書き手である私は、あえて西鶴の感情を考えてみたかった」と語る。」点にあるようだ。
 間違っていないとすれば、夕べの書籍紹介は、『永遠に来ないバス』(思潮社)で第十五回現代詩花椿賞を受賞された詩人の小池昌代(こいけ まさよ)氏によるものだったと記憶する。
 詩人というが、翻訳もされ、「04年、初めての小説「木を取る人」を「群像」4月号に発表。04年6月には初の短篇集『感光生活』(筑摩書房)が刊行された。 」ということで、今や小説家でもあるようだが。
 

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2004/12/25

水銀体温計

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 今時の体温計はどうなのか分からないが、昔の体温計は、細いガラスの管の中に水銀が注入されていて、温度(体温)により水銀が膨張(収縮)することで、体温が測られる仕組みだった。
 ちょっとネットで調べてみると、「「「水銀式」と「電子式」の体温計」というサイトに、気になる記述が。つまり、「最近、よく使われている電子体温計ですが「どうも水銀体温計よりも正確でないような気がする」といわれます。」というのである。
 小生のように科学技術に疎く、まして最新の技術情報に触れようもないものには、あれ? という記述。昔ながらの水銀体温計より電子体温計のほうが正確なんじゃないの? である。
 すると、続く記述に、「JIS規格では、水銀体温計は0.2度、電子体温計では0.4度の誤差までは認められています。」とある。

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2004/12/24

影絵の世界

「影絵の世界」というと、人は何を思い浮かべるだろうか。埴谷雄高の著作に親しんだ人ならば、副題が「ロシア文学と私」と付されている、昭和初期から敗戦の頃までを回顧する『影絵の世界』(平凡社)だろうか。本書には、戦後の文学・政治・思想を扱う姉妹篇として、『影絵の時代』(河出書房新社)がある。
 小生は、埴谷雄高の著作は一通りは単行本などで既に読んでいるのだが、全集も揃えてしまった。無論、「影絵の世界」も「時代」の文章も全て収められている。机上には、彼の全集がデンと置かれている。なかなか壮観である。
また、「影絵の世界」というと、藤城清治に尽きると思われる方もいるかもしれない。切り絵と言えば滝平二郎をつい思い浮かべる小生、影絵というと、藤城清治なのである。
 ここでは、かの宮澤賢治の名作『銀河鉄道の夜』を描く藤城清治の世界を覗いてみてもいい。
 ああ、その前に、「影絵」のことを説明しておくべきか。

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2004/12/23

冬木立

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 今回の表題を選ぶに際しては、あまり迷わなかった。小生が、在宅の日は必ず覗く「優嵐歳時記」では、今日の題が「冬木立」になっていたのである。たまたま、火曜日のタクシーの仕事の際、青山近辺の公園で小憩したのだが、カエデの紅葉の写真も撮ったが、イチョウの落葉ぶりも見事で、落ち葉の絨毯に見惚れてしまって、枝に残る葉っぱより、地に散り敷く一面の黄色世界も写真に収めた。
 写真の焦点は落ち葉だが、ほとんど裸同然になったイチョウの木の寂しげな、しかし、何処かスッキリしているという安堵感の漂うような様子にも、知らず焦点が合わさっているとも思える。
 なので、表題は「冬木立」。12月の季語である。
 写真に載せた句は、「落ち葉敷き地を温めて春を待つ」である。なんとなくコピー風で句にはなっていないような感もあるが、気にしないことにする。

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2004/12/22

毛糸編む

 12月の季語をつらつら眺めていて、今日の表題を最初は「近松忌」にしようかと思った。つい、そこに目が行ったのだし。
 何故、何十個も季語の例のある中で、「近松忌」に目が止まったのか。どうやら、一昨日、読了した円地文子著の『朱を奪うもの』の印象が残っているかららしい。
 この小説、冒頭がとにかく鮮烈。何がどうなのか、詳細は書かないが、老いた女性ならではの記述なのかなと、一気に彼女の作品世界に引き込まれていった(歯を全部、抜き、片方の乳房を失い、子宮をも無くし…。驚いたのは、女の性質の欠如を自覚した際に、主人公の滋子を力づけたのは、司馬遷の「史記」であり、宮刑を受けた過酷な運命、その上での酷薄なまでの非常な人間の歴史の叙述だった、というくだり)。
[宮刑や宦官などについては、ネットでも情報を豊富に入手できる。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しに始まる、武田泰淳の『司馬遷―史記の世界』を読んでもらうのがいいのだけど、「第30回 新から後漢」などを参照。]
 小説の主人公は(この作品、作者である円地文子は自伝ではないと断っているが、自伝風な連作の一つのように感じつつ読んでしまう)、育てた方(祖母たね)の影響もあって、子どもの頃から、随分と異様な文学世界に浸ってしまう。サラリーマンになっても漫画の本の手放せなかった、漫画から活字の多い本へ移行する、乃至読書範囲を広げるのにかなり難儀した小生などと引き比べるのは、いかがなものか、だろうけれど、それにしても、祖母に話を聞かされたとはいえ、馬琴の「八犬伝」や「弓張月」の世界に親しんで育つとは、異様に過ぎる。

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2004/12/21

日記買ふ

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「日記買う」は、何気ない言葉のようだが、立派な12月の季語である。
 できれば、この日曜日にも来年の日記帳や手帳を買いたかったのだが、生来の怠惰が邪魔して、バスで行けば十分ほどの駅までさえ、面倒になって出かけなかった。
 昨年までは歩いて数分のところに何処にでもあるような小さな書店があり、小生の散歩コースでもあったのだけど、閉店し、今ではテナントにコンビニが入っている。コンビニがあれば便利なようだが、既に何店舗も近所にあるから、利用者からしたら屋上屋を重ねるような光景に映る。競争があって大変だろうなと思うけれど、そんなことより、立ち寄る書店がなくなったことが困るし、寂しい。
 巨大な書店が都心部などにドンドン出来ているらしいが、近所に古書店や何の変哲もないのだとしても小さな書店があったほうが日常的には助かる。なのに、消えていくばかり。本に資本の論理、一極集中化の都合など通用しないと思うのだけど。
 書店のない町が増える一方。たまに見かけても、本を安く売ります・高く買いますといった類いのコンビニ風な<書店>で、しかも、小生の町にあるそれは、本といっても、文庫本しか買わないし(思いっきり値切られる)、売っていない。店内にあるのは、ビデオにCD・DVDなどばかり。
 日記帳や手帳などは、選んで買いたい。

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2004/12/20

青みどろ

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 最初に断っておくが、表題の「青みどろ」は、夏の季語である。決して、冬の季語ではない。「青みどろ」というのは、「水田、池、沼などに繁茂する緑色で糸状の藻」のことである。「ほとんど流れの止まった淵などに発生する細毛状のみどり草」と説明しているサイトもある。
 では何故、季節外れもいいところの「青みどろ」という言葉を表題に選んだかというと、今、読んでいる円地文子著の『朱を奪うもの』(新潮文庫)の中に、青いみどろという言葉が出てきたから、その言葉を目にしたのが久しぶりで、新鮮だし、まあ、一言で言ったら、気になったから、に過ぎない。
 来年の夏になったらまた、思い出して採り上げられる自信もない。
 ちなみに、円地文子の本は、女流作家を読み漁った頃に読んだ『女坂』以来、二十年ぶりで、本書で二冊目である。最近の作家の本を読むと、表現方法に(よく言えば)優れて方法的であり自覚的で、それはそれでいいが、何か高くにピンと張られたロープの上を歩かされているようで、読了して疲れてしまったりする。

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2004/12/19

月に雁(かり)

s-DSC01184s-DSC01183 土曜日の営業は、これまた悲惨なもので、ただただ駅などでお客さんを待ったり、やたらと街を流して回ったり。挙げ句、疲れ果てて場末の公園などに車を止め、夜空などを眺め、風流を気取ってみたり。
 そう、営業がはかばかしくないと、何をしても、ただの気取りにしかならないのである。
 こんな時こそ、チャンスだとばかりに、都内の方々で写真を撮りまくったりもしてみた。車を走らせている最中に、暇の徒然というのか、いつも以上に変てこな句が浮かんでしまって、だったら、その句に合うような風景を撮ろうなんて思いついたりしたからである。
 前から撮りたいと思っている画像に、夜空を背景に走るモノレールかゆりかもめという乗り物の光景。が、目にはしても、シャッターチャンスというと、なかなか恵まれない。夜中になって、ふとそのアイデアを思い出し、試みようとしたが、時、既に遅く、モノレールは終電のあと。
 この画像を撮りたいのは、恐らくは、夜空に窓明かりばかりが目立つであろう写真を、宮沢賢治の銀河鉄道をイメージさせてこの日記(季語随筆)に載せたいと思っているからである。その写真には、何か句を載せたいが、ま、そこそこの写真が撮れたら、自分なりにイメージを膨らませて句をひねりたい。その日の来るのが楽しみである。

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2004/12/18

冬の星

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 掲げた写真は、木曜日の仕事も終わりに近付いた金曜日の未明、六時半近くの東京の夜明け間近の空。
 ブログの日記に掲げるに当たって、何か句を載せようと、いつもながら即興の句を練る。最初に浮かんだのは、「年は暮れ夜は明け行く冬の朝」という句。年は暮れていく、一方、夜は明けていく、その交差する面白味を狙った駄句である。
 ついで浮かんだのは、「灯火(ともしび)の夜明けの前の健気さよ」。夜明けの空の紺碧の色から淡い青、そして地上近くの朝焼けを予感させる茜色と変幻する、空が美しく映える瞬間の一つを写真では撮りたかった。だから、句も、そうした風情を表現したかったのだが、写真を見ると、それより、真ん中近辺の街灯の灯火がやけに目立つ。撮る際には邪魔だと思っていたのだけど。
 そうはいっても、厳然と電信柱からぶら下がる灯りが存在を主張しているのも事実。やがて、のぼり来る朝日に掻き消され、一定の明るさとなると、自然に消されていく。この写真の灯火の灯りは、消える瀬戸際の明るさということになるのか。
 さて、これが、例えば、昔ながらのオレンジ色の光を放つ白熱灯(白熱灯とは言いながら、光は橙色なのだが)だったら、もっと味わい深いのだが、今の街灯の多くは青白く光る水銀灯。
 小生、思うに、水銀灯の光は、何か寂しいし、冷たさをも感じさせる。コンビニの照明も今は、白。何か他人行儀な、よそよそしさの印象を強烈に放っているのでは。昔の照明がアナログなら、水銀灯はデジタル的。そんな印象を受けている人も多いのでは。
 前にもどこかで書いたのだが、街灯やコンビニの照明をもっとソフトに、できれば、昔ながらのオレンジ色の光に変えると、町の印象も随分と変わるのではないかと思う。
 余談が過ぎたが、ともかく写真では街灯が目立つので、「灯火の夜明けの前の健気さよ」としたが、何か、気に入らない。ちょっとだけ変えて、「灯火の夜明けの間際の健気さよ」にしてみた。変わり映えしないか。

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2004/12/17

雑木林

 昨日の都心での営業で、冬の到来を初めて実感した。
 季語的にはとっくに冬入りしている。紅葉も始まっている。木枯らしなど、とっくに吹いている。
 でも、冬が来たという実感はなかった。今年は、特に(本当の)冬の到来が遅い。温暖化? ま、そんな大袈裟な話はさておいて、少なくとも昨日のポカポカだった日中までは、秋だよなー。せいぜい言っても晩秋だよなー、というのが実感。
 それが、そろそろ暮れ始めるかという頃から、北の風が吹き始め、都心にも木枯らしが吹き始めた。関東に限らないが日本の上空に寒気団が襲来しているからだとか。
 そして、夜。まさにこれこそ、木枯らしの本番だとばかりに、冷たい乾いた北の風が吹き、木立は揺れ、さすがに疎らになっていた葉桜の葉っぱも、吹き飛ばされ、裸の木となるのも時間の問題。
 東京の街路樹の中心である、イチョウ、コナラ、ケヤキなどが真っ黄色に変色して、強い風が吹くたびに、ドンドン千切られて空に舞い、地上に舞い散る。一旦は路上に臥した枯れ葉も、都会ではゆっくりすることは許されない。車が途切れることなく走っているからだ。タイヤが鳴り、ゴムが磨り減り、エンジンの低いが響く音に煽られ、路上の葉っぱたちは、さあ、もう一踊りだとばかりに舞い上げられて、さらに散在していく。

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2004/12/16

影踏み

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 表題を「影踏み」に決めたものの、この言葉が季語なのかどうか、小生は知らない。夜半になって、何か小説を書こうと思ったが、アイデアが何も思い浮かばない。そのうちに、何故か、この言葉だけが、ポツンと浮かんできた。そう、まるで見知らぬ海に、思いがけず浮いてきたブイのように。
 実は、夕方だったか、茶碗など洗っていた最中、ちょっとしたプロットというか、ドンデン返しのネタが浮かんだ。めったにないことである。大抵は、とりあえず、メモしておくのだが、洗い終わってからメモしようと思ったのが、間違いの元だった。
 さて、何か書こうとパソコンのモニターに向かったのだが、ついさっき、浮かんだばかりのアイデアが消え去っている。すっかり忘却の海に沈んでしまった。
 思い出そうとしても、ダメ。とにかく、何か、漫才系の小品のネタだったような気がするのだが、気がするばかりで、何も浮かばない。
 

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2004/12/15

煤払い

 昨夜、車中でラジオをぼんやり聞いていて、何故か、「煤払い」の話題が耳に残った。
 年末が近付くと、テレビでも、あちこちの有名なお寺での「煤払い」の光景がニュースのネタに特段、ホットなものがない時には、放映されたりする。
 小生の気のせいなのか、今年は、そんな年中行儀的な、のんびりした話題を見聞きするのが少なくなっているような。奈良の小学生の事件(犯人側?からの再度のメール送信など)や親が子供を虐待死させた事件、放火されたと思われる量販店での3人の店員の責任感溢れる、が悲しい殉職となった事件、イラクへの自衛隊の派遣が、国会の承認や議論もなしに、閣議の承認だけで延長されてしまう…、しかも、そのことに対する大方の国民の無関心さ(きっと、無関心ではないのだろうが、国会や政府と国民とが、それどころか、政府と国会や国民とさえが、擦れ違い値切れて仕舞っていて、無力感を覚えているのではないか)、年金問題、定率減税の廃止の議論、近い将来の消費税の二桁へのアップ、重苦しい景気の足取り、とても、のんびりゆったりとは構えていられないという気分が多くの人にあるのかもしれない。
 マスコミも、そんな気分を敏感に察知して、思いっきりバラエティと飛ぶか、でなかったら、おどろおどろしい番組を並べ立てたりする。
 でも、まあ、ここでは、ちょっと時代錯誤かもしれないが、敢えて我々に身近ではないとしても、光景として馴染み深くもある風習を覗いてみたい。

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2004/12/14

ポインセチア

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 掲げた写真は、画像にもあるが、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)である。但し、花の盛りは10月で、ここに示した画像は今の惨状。10月18日のこの徒然日記「秋麗」に載せた写真と見比べて欲しい。変化の大きさが分かるだろう。
 けれど、この植物の名前「背高泡立草」というのは、背丈が2メートルにならんとする背の高さと、秋の終わりから冬にかけての、実が綿のような、まさしく泡のようなようすに見えることから、付けられたとか。
 この草、花粉が飛びそうで、実際、一時期は花粉症の原因植物として悪名を轟かせたこともあったようだ。実際には、濡れ衣だったのだが。

 さて、今日の表題は、ポインセチアにした。ホームページの画像掲示板にこの植物の画像を貰い、また、あるサイトでこのポインセチアが冬の季語でもあることを知ってもいたので、たまにはハイカラな表題を気取ってみようと思ったのである。

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2004/12/13

枯尾花

 今日の季語随筆のタイトルは何にするか…、外は冷たい雨が降っている。冬の雨…。
 あれ、確か、冬の雨って季語じゃなかったっけ。確かめてみたら、そうだった、12月の季語に間違いない。
 では、冬の雨を表題にするかと、この言葉についてネット検索したら、最初のところで、引っ掛かってしまった。あるサイトを覗いたら、そこに「枯尾花」という季語が使われているのを目にしてしまった。目に飛び込んできてしまったのだ。痛い! って、本当に枯尾花が目に飛び込んできたら、困る。
 そのサイトとは、「俳句レロレロ ★  AAKO & AYA's favorite things 」で、「蒼天に雲刷く如し枯尾花」なんていう句が載っていた。
 枯れ尾花を近所や都心などで、簡単には目にすることができない。先週だったか、タクシー稼業という仕事柄、お客様を台場や有明の辺りへお連れしたことがあるが、その時、何処かの空き地で萎れたような、薄くなった頭髪のようにも感じられるススキの原を見たような気がする(曖昧な言い方で申し訳ない。仕事中で、しっかり眺める余裕がなかったのです)。
 それなのに、枯れ尾花が気になるというのは、何も、時折、「俺は河原の枯れススキー♪ おなじお前も枯れススキー♪」と口ずさむことがあるからではない。これでは、あまりに、リアル過ぎる。我が事を髣髴と、させすぎる。

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2004/12/12

火鉢

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 今日の表題は、「寒椿」にするつもりだった。掲げた写真の花は、恐らくは寒椿だろう。だから、寒椿にちなむ雑文を徒然なるままに綴ってみよう。もう、ほとんどそのつもりでいた。
 が、悲しいかな、素養も教養も栄養も足りない小生のこと、今一つ、花の名前が「寒椿」でいいのかどうか、確信が持てない。さすがに山茶花だと称するほど、ひどい野暮天ではないのだが。
 従って、「寒椿」という言葉を織り込んだ句を、ひねれなかった。 
 というか、いざ、写真を見て、捻ろうとした瞬間、いいのか、このままで、もし、寒椿じゃなかったら、大恥だぞ、という囁きが胸の中に洩れ聞えてきたのである。天使の囁きか、それとも、ただの臆する気持ちの為せる業に過ぎないのか、それは分からない。
 よって、掲げた写真に句を付すに際しては、花に留める:

 吐く息を暖め返す夜の花

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2004/12/11

虫の音

 木曜日、内田康夫著『透明な遺書』(講談社文庫)を読了(以下、原則として敬称を略させてもらう。いずれも高名な方だと思われるので)。過日、書いたが拾ってきた本。テレビのサスペンスシリーズで有名な浅見光彦が活躍する小説。ゴミ箱で見つけ、パラパラ捲ると、舞台の一つに我が富山、特に富山城近辺が登場しているらしいと分かり、持ち帰り、早速、読んだ。
 内田康夫の本にしては、できがいい作品と言い難いような気がする。富山が舞台となっていなかったら、読まなかったような。事件が政界のスキャンダルに絡むものだが、悲しいかな内田に限らず、多くの作家は政治も経済の実際にも通暁しているわけもなく、政治の世界の汚れを憂えるのはいいとして、政治や経済、闇の社会の奥に分け入っているという実感を与えてくれないので、読後感がちょっと空しい。
 急いで、図書館で借りてきた松浦寿輝の本に手を出す。図書館では、佐伯啓思の『自由とは何か  「自己責任論」から「理由なき殺人」まで』(講談社新書)と松浦の『そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所』(新潮社刊)とを借りてきた。前者は車中でボチボチ読んでいる。後日、扱うかもしれない。
 松浦の本は、『花腐し』(講談社)以来で、数年ぶりか。悲しいかな、『花腐し』の印象は薄いのだが、図書館で彼の本を目にして、即座に選んだというのは、読んだ時に受けた感覚が未だにモヤモヤしていて、それを多少なりともスッキリさせたいという思いがあるからなのか。

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2004/12/10

仮の宿

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 随筆日記の表題を選ぶのに、いつもながら、迷う。
 冒頭に木曜日の朝、仕事が終わって会社の車庫に戻り、納金などの雑務を済ませて、さて、帰ろうかと思ったら、車庫のあるビルの脇に咲いている花が目に付いた。
 野暮天の小生には花の名前など、分からない。そこには、何種類かの花が咲いている。例えば、黄色の小さな花…、恐らくは菊の仲間だろうとは思えるのだが。
 雑草というわけではなさそうだ。かといって、誰かが丹精篭めて世話していると思えるような場所でもない。通りすがりの誰かが、ゴミなど捨てそうな、何気ない場所。
 花にとって、雑草など、花の咲かない植物にとって、地上の世界とは一体、何なのだろう。たまさかの仮の宿なのだろうか。花は、寒くなってきた今も、恐らくは一晩中、咲きつづけている。葉っぱも、枯れ葉だとか紅葉などとは無縁だとばかりに緑色の光沢が鮮やかである。
 時間帯によっては、直射日光だって容赦なく浴びる場所。
 路傍の植物達が、とにもかくにも地上世界に顔を出した場所が、仮の宿だろうが、花粉か何かでもっと他の場所へ移っていくことを希(こいねが)っているのだとしても、いずれにしても、今、ここで咲いている、緑の葉を誇らしげに揃えている、この今の場所を終の棲家とするしかない。
 ということで、今日の表題は、「仮の宿」とすることにした。


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2004/12/09

鰤(ぶり)起こし

 富山県の氷見魚市場には、11月半ばから富山湾の冬の味覚である、ブリの水揚げが始まっている。尤も、既に10月から網に掛かりだしているが、活況を呈するのは、やはり、晩秋の11月も半ば過ぎということになるようだ。
 ブリについては、10月末の日記、「「秋霖」追記と冬の雷のこと」において、若干、触れている。
 当該の箇所を転記しておくと:

寒ブリというと、「ブリ街道」を思い起こすし、「氷見の寒ブリといえば、東京の築地市場でも高値で取引されるブランド品」だったりする。正月の帰省の折には、ブリの照り焼きや、天然ブリのお造りなどを食べるのが楽しみである。
 その寒ブリについて、冬の雷に関連付けると、「晩秋から初冬にかけて、富山湾では、雷鳴とともにシケに見舞われることがあります。これがブリの豊漁を告げる「ブリ起こし」です」となるわけである。
 富山で採れるブリには、養殖モノはない、すべてが天然もの、なのである。
 小生自身、「ブリ街道」は、「ノーベル街道」ということで、雑文「ノーベル街道をちょっとローカルに見る」を書いたことがある。
(転記終わり)

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2004/12/08

仲冬・大雪・炬燵

 歳時記での季語の分類では、冬は、初冬・仲冬・晩冬と分類され、大雪(たいせつ)の昨日12月7日からは、仲冬に入ることになる。
 念のため、それぞれの期間を示しておく。その前に、まず、冬というのは、「立冬(11月7日)から立春の前日(2月3日)まで」とされているようだ:

 初冬 立冬(11月7日)から大雪の前日(12月6日)まで
 仲冬 大雪(12月7日)から小寒の前日(1月4日)まで
 晩冬 小寒(1月5日)から立春の前日(2月3日)まで

 暖冬なのか、それとも、季節がずれているのか、小生の実感では、やっと初冬に差し掛かったという気がする。東京在住の小生だが、電気ストーブを先週末の土曜日から使い始めた。その日は、曇天で夜になって風雨となった。日中も部屋の中は寒く、薄暗く、ストーブの熱線の赤が部屋に洩れ零れる。赤みを帯びた部屋のカーペットや棚などを見ると、今年も冬が来たなと思ってしまう。
 が、俳句の世界では、決まりは決まりなので、とにかく、昨日からは、仲冬なのである。初冬は「しょとう」とか「はつふゆ」と読むが、仲冬は「ちゅうとう」と読む。
 さて、今日は炬燵のことを少々。といって、別に炬燵についての薀蓄を傾けようというわけではない。小生、以前、当てずっぽうで、炬燵と韓国などに一般的なオンドル(「韓国人とオンドル」)との関連について憶測を逞しくし、炬燵の歴史を探る中で、いつかオンドルと行き当たるのではと、駄文・愚考を重ねたことがあったが、見事に小生の見当が外れてしまったことがある。
 悲しいかな、その論考(?)の行方が分からない。代わりに、昨年末にメルマガにて公表し、本年の秋口にホームページに掲載した「冬の海に思う」というエッセイがあることだけ、記しておく。その中に、ちょっとだけ、炬燵に触れているし。というか、そこでは炬燵に入りたいと書いているだけであるが…。

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2004/12/07

夜鷹蕎麦

 今日の日記の季語を何するか。冬、できれば12月の季語から何かいいのがないかと物色していたら、「夜鷹蕎麦」という言葉が目に入った。
「夜鷹」に目が眩んだのか、それとも、「蕎麦」になのか。
 一応は「蕎麦」なのである。冬だし、寒いし、暖かいものを食べたいし、たまたま先週末、あるサイトの掲示板で蕎麦(出雲蕎麦など)が話題に上っていたこともある。
 小生は、仕事が絶不調で昨年から極力、外食を避けている。私生活でもそうだし、営業で外を走っている最中であっても。一頃は、夕方には定食屋さん、夜食にはお気に入りの蕎麦屋さんで、気分次第で蕎麦だったりウドンだったりするが、玉子を載せた麺類を食べる。景気がいいと、チャーシュー麺っていうこともあった。
 あったのである。それが牛丼屋さんになり、ついには、一切、外食はまかりならなくなった。でも、蕎麦屋さんやラーメン屋さんの前を通ると、入りたいなーと、つくづくしみじみ思う。
 いつになったら、入れる日が来ることやら。
 寒い夜中に蕎麦。
 屋台もいいのだが、一度、新宿でぶらりと寄ったラーメンの屋台が、ひどくて、懲りてしまって、数年来、立ち寄っていない。あれは、間違いないく即席ラーメンだった。別に即席ラーメンが嫌いとか、ダメというわけじゃなく、ただ、店に寄ってまで、何も食べたいとは思わない。しかも、茹で方も小生の下手な腕前にも劣っていた。
 で、話は季語に戻るが、上掲の表を一覧して、今日は「夜鷹蕎麦」に目が止まったので、表題はこれにする。
 ネット検索でたまたま見つけたメルマガの「歳時記~四季折々の言葉たち~ その166~風鈴~」を読むと、興味深い一節があった:
 因に硝子ではないと思われますが、この少し後、明和(1764~72)頃に風鈴蕎麦なる店が流行しました。夜鷹蕎麦、つまり深夜まで営業している屋台なのですが、店先に風鈴を吊るして鳴らし、店の目印にしたんですね。なるほど、夜まで営業している性質上、大声を上げて呼び込むわけにはいきません。ですが、りんりんと涼やかな音なら周りも多めに見てくれるという訳でしょうか。夜遅くまでということもあり、魔除け効果も狙ったのかもしれませんね。
(転記終わり)
 このメルマガの166は風鈴に焦点を合わせている。その関連で夜鷹蕎麦のある時期に流行った風物もあって、風鈴蕎麦が話題に出たようだ。
 夜鷹蕎麦というと、落語好きならずとも、「時蕎麦」を思い起こす方も多いだろう。
 あるいは、夜鷹蕎麦よりも、夜鳴蕎麦(ウドン)のほうが言葉としては耳に馴染んでいるかもしれない。
 ここまできて、小生らしい、ポカ。そもそも「夜鷹(よたか)」って、何か。小生、「夜鷹」の説明を抜かしている。 「特定の女郎屋などに属せず、路傍で客をとり、荒屋や橋の下で商売をする下級の遊女」のようである。時代劇などを見ると、時々登場する。何故か三味線など持っていたり、頭巾か何かを姉さん被りしていて、喉下などがやたらと白く塗られている。
 実際の姿がそうだったのか、それとも舞台や時代劇のための演出なのか、よく分からない。
 では、何故、屋台での蕎麦屋が夜鷹蕎麦と呼ばれたりするのか。「こだわり!めん広場情報」によると、「夜そば売りが夜鷹そばと呼ばれた理由は不明だが、客に夜鷹が多かったからとか、そばの値段が10文が夜鷹の代金と同じだから、あるいは、夜鷹と同様に夜となると現れて商売したからとか諸説がある。」という。
 では、夜鳴蕎麦という名称の由来は。チャルメラのようなものを鳴らして、合図していたからなのか。それが煩いという苦情が一時期にあって、風鈴蕎麦なる形態になったりしたのか。
 ただ、酒好きだと屋台で蕎麦やウドンだけじゃなう、熱いのを一杯、やりたいところだろうが、屋台では酒はご法度だったとか。小生、お酒に酔って、それで「酔うたか」が小粋な風に転訛して「夜鷹」と呼称されるようになったのかと、駄洒落などを目論んでいたが、目論見が外れてしまった。

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2004/12/06

冬の嵐

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 最初に断っておくが、「冬の嵐」というのは、冬の季語ではない。というより、およそ、季語ですらない。
 ただ、土曜日の夜が嵐の晩となり、翌5日の朝には、東京でも風速40.2mという64年以来の観測史上最高を記録したので、ふと、こんな言葉を表題に選んだだけなのである。暴風雨の影響で首都圏ではタンカーが座礁したり、木々が倒れ、電車は運行を一部見合わせた、空の便も終日、乱れてしまった。風は特に千葉県で激しく吹き荒れたらしい。
 小生は、土曜日の夜半から未明にかけて、せっせとこの日記「都会の落ち葉」を綴っていた。書き始めたのは、朝の六時前で、真っ暗。凄まじい風雨に窓ガラスが風圧で揺れていた。外は、普通でもまだ暗い。まして低気圧の雲が覆っているのだから、尚更である。
 それが、書き終わりに近付いた8時前だったか、外が明るみ始めているのは当然として、風雨も収まっている。それどころか、ブラインド越しに青空が垣間見えるではないか。むしろ、天候の変わりように驚いたくらいだった。
 冬の嵐などという言葉を使っているが、確かにあの風雨は嵐、台風と言っても過言ではないような凄みがあったが、単に嵐なら、ともかく、冬の嵐というなら、やはり、雪が降っていないと、感覚的に今一つという感がある。 
 小生は、富山生れで18で大学生活を他所の地で送るため、三十年以上も昔、富山を離れたが、今はともかく、当時はまだ冬の積雪が平野部でもかなりのもので、その降り積もった雪が、風の強い日には、本当なら降っていないような日であっても、地吹雪となって地上世界を席捲する。
 冷たい風と乾いたような、突き刺さると表現したくなるような粉雪が容赦なく道行く人を襲う。富山など北陸の地は、冬の雷の多い地で、地吹雪に雷が加わったりすると、最悪なのである。
 富山や仙台で冬に外出する際には、マフラーは必需品だった。手袋も常備していた。そのマフラーで口などを覆って、どこか隙あらば吹き込もうとする雪から身を防御する。まだ、若く、雪を時に情緒あるもの、ロマンチックなものと思うのんびりさもあった自分にも、もう、雪は魔物になってしまう。
 これが山間の地にあって、峠などを越える必要があったりするなら、小泉八雲の「雪女」の話も間に受けたくなる。雪の精がいて、人を虜にしてしまう、雪の中に閉じ込められ、息も出来なくなり、やがて遠のいていく意識の朧なスクリーンに、男ならば雪の精か化身である、あまりに美しすぎる雪女の姿を垣間見、絡み取られ、メビウスの輪の面をなぞるように、この世からあの世へと、滑るように舐めるように渡っていくのである。
 ここでは深入りしないが(怖いし)、雪女については、「日本むかし話」の中の「第五夜 雪女」が、物語の裏側の話が読めて、興味深い。なかなか一筋縄では済まない、実際の惨劇の言い伝えが背景にあったりするのである。

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2004/12/05

都会の落ち葉

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 今年は気を揉むほどに紅葉が遅かった。
 さすがに12月に入るとここ東京も朝晩は冷えて冬を感じさせる。それでも日中は、ともすると11月の中旬から下旬にさしかかる頃合いの陽気だったりする。
 紅葉は、この数日、一気に来襲したかのようで、近所の葉桜も真っ赤に変色した途端、呆気なく散っていく。桜は花びらも咲いたと思ったら、満開を愛でる間もなく、桜吹雪もかくばかりはと、散っていく。まるで葉っぱも、自分が花びらであるかのように、散り際を潔くしないと拙いのではと思い込んでいるようで、どこか、哀れというより、滑稽なような、風情を感じるより、戸惑いの感を覚えさせる。
 東京都内を車で流していると、日中は渋滞などで、じっくり風景を楽しむ余裕も乏しかったりするが、夜も更け、車も自分のペースで走らすことが許されるようになると、街路樹の紅葉ぶり、あるいは樹木の種類によっては落葉ぶりを鑑賞することも楽しい。
 時に、まさに盛んに枯れ葉の舞い散る並木道に遭遇することがある。桜吹雪の道を走るのも、物凄いが、真夜中などに落ち葉の吹雪の道を走るのは、冬ざれた木立の物寂しさと相俟って、別世界に紛れ込んだような、異様な風情を覚える。
 桜に限らず、落葉の激しい木はケヤキやクヌギなど、いろいろある。
 落ち葉の季節ともなると、朝晩など、近所を歩くと、一戸建ての家など、家の主や奥さんが、門前に散って吹き溜まったり、路面に張り付いたりしている落ち葉をせっせと掃いている光景に出くわすことが多い。
 掃いても掃いても、散りやまない落ち葉。見ている小生には、枯れ葉の舞う光景というのは、なかなか風情があったりして、絵になる。事情が許されるなら、ずっと散る様を眺めていたいような気分になることもある。
 晩秋から冬にかけては、湿気も少ないし、箒などでアスファルトの路面を掃く乾いた音が、耳に響いてくる。別に耳障りというわけでもない。湿っていないので、不快感も和らぐのだろうか。
 落ち葉、音、と来ると、学生時代など、枯れ葉よー♪もいいが、秋になるとよく掛かっていた、アルバート・ハモンド(Albert Hammond)の「落ち葉のコンチェルト」を思い出す(「本町受験英語 」というサイトの、「なつメロ英語」の頁にて、原詞・訳詞を知ることができるだけじゃなく、曲も聴ける。歌付きだ! このサイトを覗けば分かるが、歌詞には「落ち葉」という言葉が出てこないばかりじゃなく、そもそも秋に関係する曲でさえない。原題は『全人類の平和のために For the Peace of All Mankind 』なのだ。でも、イデオロギー云々に関係するのではなく、ある女性に捧げた曲なのである。)
 が、実際に掃いている身になってみれば、そんな悠長なことも言っておられないだろう。
 ともすれば、落ち葉が恨めしいと思ったりもするのではなかろうか。
 掃き集められた落ち葉は、一体、どういう道を辿るのだろうか。やはり、何処かで焼却処分されるのか。それとも、近年のエコ意識もあって、掻き集められ、ボカシなどを入れて、堆肥にされていくのか。有効利用、それもいい。
 落ち葉というのは、都会では、一体、邪魔者なのか。紅葉を愛でさせてくれ、散る風景に風情を覚えさせ、舞い散っていく光景を楽しませる、役目はそこまでの、どこか半端な存在に過ぎないのか。実際、落ち葉が路面に落ちていたりすると、バイク乗りである小生、カーブに限らずブレーキを懸ける際には、神経が磨り減る思いをさせられる、そんな厄介な存在だったりする。
 3日の営業中だったか、車中でラジオを聞いていたら、山間部の列車など、レールに落ち葉が貼り付いたりして、車輪が空転し、スピードが上がらない、あるいは逆に、下手するとブレーキの効目が弱まることもある、などという話をしていた。
 半端というと、つい、濡れ落ち葉という言葉を思い起こしてしまう。自分が誰かに濡れ落ち葉のごとくくっ付いているわけではないが、ひっつく対象が人間ではなく、風景や情感や思い出や想像力の世界であっても構わないというのなら、小生は立派な濡れ落ち葉族だ。
 濡れ落ち葉族というと、家庭で所在をなくした中高年オヤジの別称だったり、いずれにしても、仕事以外に趣味と言えるものがなく、奥さんらの行く先や遊び、交際にベッタリ貼り付いて行くしか能がない連中だったりする(そんなイメージがベッタリ、貼り付いている)。
 もっと悲惨な場合は、粗大ゴミと呼称されたり。
 ところで、この「濡れ落ち葉」という呼称、一般に評論家の樋口恵子氏による造語と思われている。小生も、そう思っていた。実際、1989年に彼女は、この言葉で流行語・新語表現賞を受賞されている。
 が、彼女に言わせると、「これはあるシンポジウムで伝聞として聞いたもので」、「近ごろは、粗大ゴミではなく『濡れた落ち葉』と言うのですって」と聞いたのだとか。
 ちなみに、「粗大ゴミ」という呼称(流行語)も樋口恵子氏によるもの。上掲のサイトを読んでいて、「ワシも」なんて流行語も思い出した。
 が、思えば、濡れ落ち葉という言葉は、場面によれば綺麗な言葉だし、シトシト雨の降る都会の片隅の公園で、雨に濡れる落ち葉などを眺めていると、なんとなく心が落ち着く。木に芽吹き、育ち、青々とした葉っぱになり、やがて、役目を果たした、ご苦労さんとばかりに末期の耀きを紅葉としてこの世に印象付けた後、風に舞い、踊り、散っていく。
 アスファルトの路面に舞い落ちても、それで安泰というわけではない。風が吹けば、こちらへ、あちらへと吹き飛ばされ、風がなくとも車の通り過ぎるたびに、またまた舞い上げられたりする。あるいは、路肩の何処かに吹き寄せられる。掃き溜めの堆積に埋まっていく。そうして、やがては、掃き集められ、何処かへと運ばれていくわけだ。
 が、雨が降ると、そんな慌しい運命を辿る落ち葉も、束の間の安らぎの時を憩っているように感じられたりする。
 忙しいだけの時を過去のものとし、今は、雨に打たれながらも、ひっそりと動かざる時の不可思議を体に感じているかのようだ。
 そんな落ち葉たちだが、雨に打たれる時にだけ、束の間の安らぎの時を迎えるのは、寂しい。
 場所が都会など、市街地ではなく、山間(やまあい)の地などにあったなら、きっと落ち葉は、別にリサイクルなどという大袈裟なことでなく、自然なサイクルに従っているうちに腐葉土になるなど、落ち葉の辿るべき運命を全うしていたはずなのだ。
 そう、C.W.ニコルの唱える、「森は肺、川は動脈、湿原は腎臓」など、敢えて意識する必要もなかったわけだ。
 落ち葉ということではないが、小生は、デヴィッド・W・ウォルフ著『地中生命の驚異』(長野敬+赤松眞紀訳、青土社刊)や、リチャード・コニフ著『無脊椎動物の驚異』(長野敬訳、青土社刊)などを昨年、読んだことがある。土中の豊穣さを痛感したものだった。土中には、地表の動植物より膨大な種類(と量)の生き物が生息している。落ち葉は(落ち葉だけじゃないが)腐葉土となって、大地の中の世界を豊かなものにしているのである。
 それも、風に散らされて大地に敷き詰められるだけで。
 まあ、でも、そんな行末など気にせずとも、落ち葉の舞う光景は素晴らしいのだが。

 散る枯れ葉行方の先の遥かなり 
 枯れるともやがて命の肥やしかな

 冒頭に掲げた写真は、3日の営業中、芝公園で撮った東京タワー。ライトアップされていることでも分かるように、夜半にはなっていない。
 画像には、「冬の日の常夜灯の寂しかり」などと句を付したが、実際には、東京タワーは、終夜照らされているわけではない。
 夏は青めのライトで涼しさを、秋や冬などはオレンジ色の光で暖かみを演出しているというが、秋口などは、温みを感じられたけれど、さすがに師走の頃ともなると、橙色や赤っぽい光が健気に冬の寒さを和らげようと頑張っているのだろうけれど、それが反って逆に淋しく感じられたりして。
 そんなに頑張らなくていいよ。暖かみより、むしろ、能舞台の薪のような幻想感のほうが小生は好きなのだし。

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2004/12/04

竈猫(かまどねこ)

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 いつもながら、表題を決めるところから、この日記は始まる。「12月 季語」というシンプルなキーワードでネット検索して、今日の天気や気分に相応しい季語を探す。
 できれば掲げた写真に相応しい季語がいい。木の葉とか梢とか木立とか。ふと、冬木立という言葉が浮かんだ。確か、こういう季語があったような。実際、12月の豊富な季語群の中に見出された。
 が、この「冬木立」は「失われた季語を求めて」というサイトによると、木の葉が落ちて寒々とした木々が立ち並んでいる様」、「道沿いに並んでいたり、一所にかたまっている木々の枝の隙間から、空が透けて見えるような木立の群れを言」うようで、ちょっと小生が昨夜撮った写真の画像には合わない。
 なので、今日の表題にすることは断念。でも、どうしても使いたい! 少々の無理を承知で、「葉裏にておおい隠すか冬木立」と詠ってみた。
 いよいよ冬の気配が濃厚になってきて、木の種類によっては、葉っぱが落ち尽くしたり、そうでなくとも、黄色や赤などに模様替えしている。
 なのに、恐らくは、常緑樹でもないのに、疎らに変色した葉っぱが散見されつつも、緑色を保っている。なんだか、この木の葉っぱたちは、懸命に冬の寒さに耐えているようである。緑色の葉っぱで木の幹や枝を覆って、冬木立の様相になるのを少しでも先延ばししているような。
 小生は、木立の下に入って、夜空を仰ぎ見るようにして写真を撮っている。葉っぱたちを透かして晴れ上がって、疎らとはいえ星の見える東京の紺碧の空が見ようとさえしている。
 それでも、写真を撮ると、カメラのフラッシュを鬱蒼と生い茂るでもない葉っぱたちが跳ね返している。冬の寒さを撥ね付ける、その健気さで。
 木の葉たちにしてみれば、冬の夜の底で憩っているはずが、まさか、あんな夜更けにフラッシュを浴びるとは思いも寄らなかったに違いない。小生、無粋な真似をしてしまったのかもしれない。
 ところで、冬木立というと、「斧入れて香におどろくや冬木立  蕪村」が、知る人にはすぐに思い浮かぶ句のようで、情景のサイトにも引かれていた。

 ちょっと驚いたのは、先に示したキーワードで検索したら、3万を越える検索結果の上位に、「今月の季語・今月の俳句/2000年12月」が登場し、その関連文に、「季節にちなんだ季語、俳句をお楽しみください。 2000年12月. 今月の季語. 【竈猫(かまどねこ)
】. 猫は冬になると縁側の日向とか、ストーブの脇とか、囲炉裏ばたとか、暖かい所を追って歩く」とあること。
 この「俳句逍遥」というサイトは、人気がある、さらに、その中でも、次の句が人気があるということなのか。そういえば、何かの折にも、このサイトを(参照はしなかったが)見つけていた。身体障害者とのことだが、デジタル俳画で、「挿し絵、表紙絵、絵はがき等の制作も請け負」っているとか:

 安やすと寝息をたてる竈猫    京愛
 
 ということで、本日の季語は、「竈猫(かまどねこ)」に決定。無論、12月の季語である。「猫は冬になると縁側の日向とか、ストーブの脇とか、囲炉裏ばたとか、暖かい所を追って歩く。厨で竈(ヘツツイ)が多用されていた時代には、まだぬくもりのある竈でよく眠っていたものである。ときには竈の中に入り込んで、灰だらけになったり、毛にところどころ焦げあとをつけたりしているのも冬らしいものであった」とは、思い当たる人も少なからずいるのではないか。
 尚、この「竈猫(かまどねこ)」という季語は、「【季節】冬(三冬) 【異名】かじけ猫・灰猫・へっつい猫・炬燵猫」のようである。
 この中の、「へっつい」とは、竈(かまど)の別称である。
 ここまで書いて、ふと、今時の若い人は、竈(かまど)を(言葉として聞いたことはあっても)見たことがないのではと心配になってきた。
 なので、竈の画像を探そうと思ってネット検索していたら、「 「竈」の筆順」なるサイトをヒットした。実際、「竈」という漢字を書くのは難しい。一度や二度くらい練習しても、すぐに忘れてしまいそうである。
 また、「「竈」が正式,「釜」は通称!」というのも、初めて知った。そうなのかなー。
 小生がサラリーマンしていた頃、関連する会社の方に、「炭竈(すみかま)」という名前の人がいて、へえー、こんな名前の方がいるんだ、びっくり、などと驚いたことがあった。まあ、驚く小生の世間が狭いというだけの話だが。
 ちなみに、この「炭竈(すみかま)」も、「炭、消炭、炭団、 炭火、埋火、 炭斗、炭焼、炭俵、炭売、焚火、榾、炉、囲炉裏、暖房、温突、ストーヴ、スチーム、炬燵、置炬燵、助炭、火鉢、火桶、手焙、行灯」などと共に、「季題【季語】紹介 【12月の季題(季語)一例】」のようだ。
 ついでながら、「すみかま」の織り込まれた歌を掲げておく:

 すみかまのたなひくけふり一すちに心ほそきは大原のさと  寂然

 回り道ついでに、「寂然(じゃくぜん、俗名:藤原頼業)」とは、「寂超(為経)・寂念(為業)の弟で、いわゆる大原三寂(常磐三寂とも)の一人。」であるかの寂然である。「尋ねきて道わけわぶる人もあらじ幾重もつもれ庭の白雪(新古)」など。

 どうも、話が一向に前に進まない。「竈」の画像などを探していたのだが、店の名前に使われるばかりで、肝心のサイトが見つからない。とうとう、その名も「かまど」(狩野敏次著、法政大学出版局)という本に行き当たった。
 郷里の家にも、三十年以上前には、竈が土間にあったが、「日本の民家が土間と住居部分から成り立ってきたのも、古く縄文時代の竪穴式住居の名残だといわれている」というのは(上掲書)、小生には新しい知見だった。
 また、「かまどは、古代から、男性よりも女性とのつながりが深かったようで、それを民俗儀礼にうかがい知ることができる」という。そういえば、「かまど神の由来二」というサイトがあるくらいなのである。
 と、物色の末、やっと竈の画像を見つけた。「つなぎ温泉観光協会」というサイトの中である。尤も、小生がガキの頃にあった竈とは様子が違う。馬用なのか。
 余談ついでだが、竈の画像を探していて、「七輪本舗」というサイトを見つけた。近頃、不幸な形で話題になっている七輪だが、竈などと無縁ではないのだとか。
 つまり、「○「しちりん」は軽量で小さく、木炭の使用量も少なく、たぶん本体も低価格で経済的な燃焼器具だったと思われ、お屋敷の囲炉裏(いろり)や竈(かまど)に代わる簡便な道具として、主に都心部の長屋住まいの町人家庭を中心に普及したものと考えられ、また、土間の竈の補助的な燃焼器として、魚焼きなどにも使われていた」というのである。
 あちこち脱線してきたが、ようやく目当ての画像を発見。「八千代市立郷土博物館」の資料のようだが、「平成12年度第3回企画展解説書(小学生向け)  かわってきた人々のくらし~20世紀をふりかえる~」という頁に、小生にも懐かしい竈の勇姿が垣間見られる。やっとだ。嬉しい。
 ここには、「100年くらい前の台所には、「かまど」があってご飯をたいたり、湯をわかしたりしていました。」とあるが、農村や、そうでなくとも農家だったりすると、ほんの数十年の前までは普通にあったのじゃなかろうか。それとも、我が近隣だけなのか。
 ただ、我が家にしても、台所ではなく、土間にあった。特に年末も押し迫った三十日近くになると、近所の人たちが集まって、もち米を炊き、みんなでお餅をかったものである。
 このサイトには、櫓炬燵(やぐらこたつ)の画像もあって、嬉しい、懐かしい。
 せっかくなので、餅つきの風景などを眺めておこう:「餅つきのすべて
 この風景ばかりは、餅つき器では味わえない。土間での餅つきの風景も、小生には遥かに遠い。

 と、ここでようやく、本題に戻る。そう、「竈猫(かまどねこ)」である。「C'est みーぐる」というサイトの「猫をよんだ句を集めて  其の十三・山口青邨」という頁に、竈猫に関連する句が載っている。

  銀猫も竈猫となつて老ゆ
  鳴くことのありてやさしや竈猫
  竈猫けふ美しきリボン結う
  竈燃え猫がゐるなりけふの月

 と、竈猫という言葉を織り込んだ句を探そうと、ネット検索を続けていたら、俳句を嗜む方には、あるいは常識なのかもしれないが、書き漏らしたら、拙かったかもしれないというサイトを見つけた。冷や汗だ。
「ベストライフ俳句教室」の「現代俳句鑑賞  山崎ひさを」という頁だ。
 ここに、以下の句が「竃猫人の話を聞いてをる」と共に紹介されている:

 何もかも知つてをるなり竃猫     富安風生

「句集『十三夜』所収、昭和九年作。」だとか。
「自解には、こうある。」として、富安風生の言葉が載っている:
「田舎家の竃に蹲る猫、竃の灰のぬくもりにすくんでいて驚いてとび出す猫、少年の日の記憶に鮮やかだ。黙って興味をもって人の話をきいており、家庭の内緒ごとなど皆目にとめて知っていながら、知らん顔をしている猫というこの人の悪い、しかし何という可愛いヤツではあることか。」
 肝心なのは、この先で、更に、「近頃では、厨の土間も、そこに据えられたかまども、そして燃料としての薪もみな余り見かけなくなって仕舞った。」とあった上で、「生活態様の移り変わりにより、折角この作者が新しく見出したといわれる「竈猫」という季語も一般に余り用いられることがない。」とある。
 そうだったのか! である。
 恥ずかしながら、季語の誕生秘話(?)に遭遇したのは、初めてのような。

 さて、最後である。駄句できっちり締めておきたい:

(以下は、あるサイトの掲示板への書き込みに付したもの)

 鍋の底掻き削っての夕餉かな(しみじみ…)
 お隣りは今日も鍋を食うひとぞ(羨ましい! あっし、ホントに鍋、食べたりして)
 
 竈猫うずくまりしは我ならん
 竈猫せめて今宵は膝の上

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2004/12/03

冬ざれ

s-DSC01127.jpg

 今日の表題(この季語随筆日記の場合、季語ということになるが)をどうするか、例によって迷う。というより、いつも画面に向かってから考える。12月の季題(季語)は、前にも書いたように、非常に多い。
 もう、目移りしてしまう。
 掲げる写真に合うような、当然ながら、今日のこの頃の(東京の)天気に齟齬しないような季語を探したい。
 物色しているうちに、「冬ざれ」という言葉に目が止まった。
 この言葉、歌の好きな方なら、ピンと来る物があるに違いない。そう、小生の好きな歌手(今時、使われるかどうか分からないが、シンガー・ソングライター)の一人である、五輪 真弓の歌「冬ざれた街」のことである。
「少女」で鮮烈なデビューを果たした彼女の初期の頃の歌のはずだ。調べてみると、「1973年渋谷ジャンジャン録音盤」が74年に発売されている。小生が、大学に入って間もない頃の曲だ。部屋には、テレビなどなくて、ラジカセが唯一の音源だった。もしかしたら、まだラジオだけだったか。
 小生は、彼女のこの歌で、「冬ざれ」という言葉を知った。が、侘しげないい言葉だと思いつつも、使いこなせるはずもなければ、使うような場面にも遭遇しない。
 というより、遭遇していたのだろう。あるいは、今とは比較にならないほど仙台の街を歩き回っていて、冬ざれの渦中にあったものか。
 無論、一人で。何処へということもなく、闇雲に。春、夏、秋、冬と、季節を問わず、やりきれないもやもやと茫漠たる思いに駆られながら、一時間や二時間どころではなく、数時間もほっつき歩いた。
 仙台では10月の終わり頃には、例えば夜などに外出すると、不意を打つように突然の冷たい空っ風に見舞われる。昼間は、穏やかな日和だっただけに、夜の外気の豹変振りに圧倒される。風も、息も継げないような厳しさだったりする。杜の町の表情が一変してしまう。街路樹も何もかもが、木枯らしに生気を一瞬にして奪い去られてしまったようになる。誰もが気持ちをウチに篭らせてしまうようで、若い人間には道行く人のよそよそしさが寂しく思われるものが、一層、冷たく感じられたりしたものだった。
 冬ざれ。不思議な語感を持つ言葉である。あるサイトでは、「土石や草や樹のあれさびたさま」とも説明されていた。
 この「冬ざれ」の類語には、「枯れ野」とか「冬枯れ」という季語があるようだ。東京など、この数日も、どうやら三日も日中は比較的暖かいとか。が、夜はどうなのだろう。真夜中などに、都心の何処かの公園の脇に車を止めて、休憩しつつ、冬の空など眺めたりする小生には、じっとしていると背中がゾクゾクするような悪寒さえ覚えそうである。
 公園の植木も、多くは恐らくは、桜の木なのだろうと思われるが、さすがに葉っぱが落ち尽くした木も見受けられる。掲げた写真も葉桜の末期の姿のようだ。
 一方、同じ公園で、花の名前は分からないのだが、桃色の花を今を盛りと咲き誇らせている樹木もあって、冬ざれと言いながら、光景は複雑なのである。

s-DSC01126.jpg

「枯れ野」というと、小生など、すぐに芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」という辞世の句を思い浮かべる。
 では、「冬枯れ」というと、どんな句があるのかと脳裏を巡らせても何も出てこない。ネットで探したら、「道後公園」というサイトなどで、以下の句を見出した:

 ふゆ枯れや鏡にうつる雲の影   子規

 何故に「鏡」なのだろう。病臥していて、直接には雲など子規には見えない。けれど、病床の脇か壁にある鏡に雲の影が映っている、その影に冬枯れを感じ取っているということなのだろうか。なかなか、鑑賞するのは難しい。
 ネットでは、「冬枯れ」なる言葉を織り込んだ句は、数々見出せるが、一句だけ、「テーマ別俳句 冬 一」で見つけたものを(評釈もその頁で読める)」:

 冬枯れや平等院の庭の面       上島鬼貫

 さて、肝心の「冬ざれ」を織り込んだ句は、どうだろうか。
 例によってというべきか、「日刊:この一句 最近のバックナンバー 2001年11月1日」で見つけることが出来た。詠んだ瞬間、気に入ってしまった(評釈もその頁で読める)」:

 冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな    日野草城

 ちなみに、この句、評者の坪内稔典氏のお気に入りなのか、「2001年11月1日」のみならず、「2003年1月29日」でも選ばれている。両者で評釈(評価ではない)がまるで違うのが面白い。日野草城(のこの句)に対し、語りたいことが多いということなのだろうか。

 冬ざれや禰宜(ねぎ)のさげたる油筒    落梧

 これは、「阿羅野脚注」で見出した。なかなか見られない光景を詠っていて興味深いので挙げておいた。

 さて、最後だが、季語随筆と銘打っていても、本来は日記サイトなので、それらしいことを。
 今日も、ご飯炊きでドジ。お米をとぎ、電気釜にセット。電源をオンに。しばらくして炊き上がったのだが、今日は妙に炊き上がりが早いし、湯気も立たないな、と思っていたら、そりゃそうだ。電気釜に二合のお米をセットしたのだが、水を入れるのを忘れていたのだ!
 読書の方は、相変わらず、車中ではカサノヴァの回想録やら、坂口安吾の「ふるさとに寄する讃歌」を、自宅では、堤隆著の「黒曜石 3万年の旅」と並行して、今週から内田康夫著「透明な遺書」を読み始めている。
 前者は、もしかしたら書評エッセイを書くかもしれない。
 後者は、拾ってきた本。小生、内田康夫のファンなので、こんな本を拾えて嬉しい。早速、就寝前などに読んでいる。面白いので、寝付くが遅くなりがちになるのが困る。
 水曜だったか、営業中、ラジオ(J-WAVE NISSAN FUGA THE DAYS)を聞いていたら、ハービー・山口という方へのインタビューが聞けた。もう、詳しくは書く余裕はないが、こんな写真家がいたんだと、興味を持った。そのうち、機会があったら、再度、言及するかも。
 小生、これまで「無精庵徒然草」(この季語随筆サイト)、「無精庵方丈記」(虚構作品サイト)、「無精庵万葉記」(書評エッセイサイト)などを設けてきたが、今度、過去の駄句川柳・俳句の蔵置サイトである「無精庵投句の細道」を設ける。
 こうなったら、新規のアップは(メルマガを覗いて)全てブログにするかも。そうしないと、書き下ろしの作品が溜まって、気が付いたら執筆して一ヶ月以上も経てからやっとアップ、などという事態を回避できないのだ。
 あれ? 何か忘れてる。そうだ、「冬ざれ」を織り込んだ句を作っていない!

 冬ざれて今日も一人の夜の果て
 冬ざれて身を縮ませる木の葉かな
 冬ざれて砂場の隅のやもめかな
 冬ざれて軒端の窓の影恋し
 冬ざれて梢の先に揺れる葉よ
 冬ざれて裸木の枝間の月の影
 冬ざれを口実にする添い寝かな
 冬ざれた樹幹に憩う蛹かな
 

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2004/12/02

冬の月

s-DSC01129 昨日の仕事も、暇だったお蔭で、公園の脇に車を止め、冬の月を幾度となく眺めていた。春の月、夏の月、秋の月、それぞれに趣があるのだが、冬の月はまた格別なものがある。
 冬の月の特徴の一つには、秋の月にも通じることだが、季節柄、湿度が低く、よって空気の透明度が高く、月影が冴え冴えと見られることがある。
 満月なら真ん丸に、半月や三日月なら、それなりに、少なくとも円弧の輪郭は鮮やかである。晩秋から冬へと季節が移り変わると、空気の透明度も高まるが、寒さも一入(ひとしお)厳しくなっていく。
 東京については、日中は暖かだが、夕方になると一気に冷え込んできて、小生が月見に興じる真夜中過ぎともなると、じっと立っていると、まだ、真冬でもないのに体が芯から凍て付きそうになる。
 その寒さが、悪寒を予感させたり、何か心を緊張させて見たり、いずれにしても、特別これといって感懐など抱いて見上げていなくとも、月見をしながら、心の引き締まる思いを覚えてしまったりする。
 冬の月の特徴には、他にもいろいろあるだろうが、小生にも気づくことは、冬の月の高度が高いことである。真夜中ともなると、尚更で、真上に近くなる。これから、冬が深まっていけば、ますます天頂に近くなっていく。
 何故に、冬になると月の位置が高くなるのか、そのメカニズムは、きっちりと説明がつくが、ここでは略す。小生より、専門家の説明を求めた方がいいだろう。
 まあ、単純にいえば、冬の月は夏の太陽のような位置にあるということだろうか

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2004/12/01

短日

 暦は今日から12月である。師走。師も走る。ならば、弟子も走る。師も弟子もない小生は、さてどうするか。そんな意味のない問い掛けを自分にしてどうすると問いたくなる。
 今日の表題に選んだのは「短日(たんじつ)」である。春は日永であり、夏は短夜であり、秋は夜長、ならば、冬は短日。思えば、秋より冬のほうが夜が長いような気がするが、秋の季語に夜長であり、冬は短日。やはり夏の日の長さと夜の短さとに対比して、秋ともなると、秋の日は釣瓶落としということで、夜長が馴染まれるようになり、結果として冬は、短日となったのだろうか。
 12月は、季語も豊富である。これだけ慌しい時期なのだから、季語を忖度する暇も、まして句をひねる暇などあろうはずがないのに、何故、こんなに多くの季語があるのか、不思議になるくらいだ。
 12月は31日しかない。が、季語は、ふんだんにある。となると、この季語随筆も、日に二度どころか三度は書かないと追いつかないということになる。土台、無理な話だが。
 短日、この季語にも、ちゃんと使い方もあれば、使われてきた経緯もある。例えば、類語に日短し・日つまる・暮早しなどがある、などと。
 本当なら、そういった背景や常識を調べ上げた上で表題に選ぶべきなのだろうが、この我がサイトは、自分が分からない、何も知らないという前提から出発している。調べながら書き、書きながら調べている。いつも、ぶっつけ本番なのだ。エッセイも掌編もコラムも、いつも行き当たりバッタリの、出たとこ勝負。
 小生の思考回路やら考えのまとまりのなさ、考えがまるで深まらない情なさがモロに出ている。むしろ、中身より、その頼りなさこそが特色(売り物?)のサイトなのである。
 せっかくなので、今回は、短日を織り込んだ句をネットから探し出してみたい:

 短日の人を見遣るや眼鏡越し    柴田宵曲
 短日の昏れゆくままの脚立かな   長谷川裕

 これらは、「日刊:この一句 最近のバックナンバー」から。解説も、読める。

 短日や瓦のきざむ影ならぶ   夏井いつき

 この句は「夏井いつきの季語の旅」で見つけたもの。写真と併せて詠むと、いいのかも。

 短日の時計の午後のふり子かな    飯田蛇笏

 この句は、「日国.NET:よもやま句歌栞草」で発見。例によって、このサイトにも、「掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。」と書いてある。ネットでオープンになっていて、開けばすぐに見れるのに、せっかくの記事を紹介できない。
 そこで似た趣旨のことを書いているサイトを探す(面倒出ない方は、上をクリックしてください)。例えば、「大江戸八百八頁」というサイトの、「江戸の暦」という頁を開く。
 そこに、短日について参考になることが書いてある。つまり、まず、「まず正午と真夜中をそれぞれ九つ(午の刻、子の刻)とし、日の出直前、日没直後を明六つ、暮六つ(卯の刻、酉の刻)と定めます。そしてその間の昼夜をそれぞれ六等分して一刻とし」た。
 ここからが肝心なのだが、「日の出、日没は季節、土地により変化しますので、昼の一刻と夜の一刻は違」うのだし、当然、日中の一刻も季節によって違う訳だ。夏などに比べ、秋さらに冬は一刻の時間そのものが違うわけである。
 つまり、「短日」という時、昼間の時間が短い(ということに結局はなるのだが)かどうか以前に、時間を示す一刻という言葉が同じでも、その示す長さが違うということ、冬は短いし、冬の日中は夜より同じ一刻であっても、短いということを意味するということだ。
 なるほど、である。
 ついでながら、「明六つ、暮六つ」の「六つ」とは、その刻限に「撞かれる鐘の数からきた呼び方」なのだとか。これも、大方の人には常識なのかもしれないが、小生には、86へー、であった。
 また、江戸時代は、時間を干支風に、子丑寅と呼称していたことは知られているだろう。「例えば「正午」は午の正刻(うまのしょうこく)を略したもので、午前、午後は午の刻の前後ということ」なのである。
 干支で午年の人が午の刻に生れていたら、馬が合った、ということになるのだろうが、少なくとも小生には当て嵌まらない。そこまで考えて出産もできなかったろうし。
 ということで、今日は「短日」ということで、少しだけ、時間(の分け方や呼称)について触れてみた。
 しかし、時間の問題は奥が深い。そこには世界観の問題が横たわっていたりする。小生が、時間について道案内するのは、出すぎた真似ということだろう。

 さて、今日も駄句の列挙で、幕を下ろしておきたい。それぞれに句を捻った脈絡があるのだが、煩雑になるので句だけを示す:

 散る間際つかの間憩うモミジかな
 散るモミジベンチで拾って冬を待つ
 散るモミジ風の気紛れ楽しむか
 モミジ背に微笑んでいるベンチかな
 背のモミジ温めて憩うベンチかも
 東福寺紅葉の焔見下ろして
 赤い服?紅葉の焔燃え移る?
 人だかり紅葉の赤に染めたいね

 ヘリに乗り大地を睥睨する弥一
(これはヘリコプターに乗って遊覧してみたいという願望の句)

 尚、「無精庵万葉記」も、「無精庵方丈記」も、更新してあることはお知らせしておく。
 もち、この「無精庵徒然草」が更新してあるなんて言うのは、言うも愚かなりだね。
 最後に、せっかくなので、短日を織り込んで一句:

 短日や月影の出の早さかな
 短日や仕事もさっさと終わればね
 短日や夜の仕事は損なのか
(同じ労働時間だと、昔風だと夜は余分に働くことになるのかな。でも、江戸の世は夜、仕事するというと、泥棒さんくらいのものか)
 短日や人生に似て慌(あわただ)し
(昼間が短い、つまり青春の時は短く、夜、つまり熟年の時は長い。その長い時をいかに充実させるか、が大切なんだろうね)
 

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