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2004/11/10

曼荼羅華のことなど

s-DSC01070.jpg

 9日付けの日記に掲げた写真の花は、曼荼羅華(マンダラゲ)だと、さる方に教えていただいた。
「朝鮮朝顔とも呼ばれ、ラッパ状の形をした花を咲かせる。江戸時代に渡来し、漢名「曼荼羅草」は「曼荼羅華」と呼ばれ、当時、種子と葉はぜん息の薬として使用していた。」という。
 また、「華岡青洲(1760~1835)は、この曼荼羅華の茎や根を精製し、全身麻酔薬「通仙散」を完成させた。この「通仙散」の人的効果を試すために、妻や母に用いたという話は、「華岡青洲の妻」としてよく知られている。」とも。
 確かに、この話はあまりに有名で、ドラマ(舞台)にもなり、歴史にも疎い小生も知らないではない。また、有吉佐和子著の『華岡青洲の妻』(新潮文庫など)は、今も読まれている(小生は、読んでいないと思う)。

 ついでながら、麻酔薬としての曼荼羅華を調べてみた。すると、「日本麻酔科学会 - 麻酔の歩み」というサイトが見つかった。
 そこには、「曼荼羅華(朝鮮アサガオ)は、3世紀頃中国の名医、華陀によって手術に使用されたという記録があります。青洲はそれを参考にしたと考えられますが、動物実験を重ね曼荼羅華を主とする6種類の薬草により「通仙散」を調合し、世界で初めて全身麻酔下に乳癌摘出術の手術に成功しました。」と書かれていた。
 さらに、「曼荼羅華の種子、根、茎、葉には麻酔薬の成分が含まれており、現在でも麻酔の準備薬(麻酔前投薬)として使用されています。青洲の行った麻酔は中枢神経作用の強いスコポラミンによるものと考えられます。」とも。

 が、恐らくは幾度か名前を目にしているはずの、この肝心の花の姿をじっくり見たことがない。あるいは、見たことがあっても、それと気付かないままに、あれ、でっかい花びらだなと思うだけで、通り過ぎてきた。
 その花を、タクシーで都内を走っていて、この頃、某所に来ると見かける。その度に、なんてでっかい花だろうと、口をあんぐりしていた。しかも、そうした大きな花びらが、何十個となく咲き揃っているとなると、もう、壮観なのである。
 で、このところ、デジカメで都内などの写真を撮りたいと思っている小生のこと、何とか写真に収めたいと思っていたが、生憎と幹線道路に面していて、場所が悪く、なかなか撮れないでいた。
 すると、8日の真夜中だったか、お客様を都内某所で下したところ、近くに、気掛かりでいた花と同じモノが咲いているではないか。そこは、お寺の門前だった。おお、チャンスとばかりに、夜中だし、ちゃんと写るかどうか心配しつつも、人通りも絶えているのを確認し、パシッパシッと二枚、撮った。
 車中で確認したら、見事な白の花びらがちゃんと写っている。なかなか優美で流麗である。
 ネットで、曼荼羅華のことを調べていたら、「Sankei ECONET 青洲ゆかりの曼荼羅華咲く 和歌山・那賀町(8/27)」という記事を発見。
 なるほど、華岡青洲の出身地は、和歌山県那賀町で、そこには、「青洲の里」があるということも分かった。「青洲が住居兼医院や医学校などに使った建物がある春林軒の庭やその周辺で咲いており…」とある。季節になれば、訪ねてみるのも床しいかもしれない。
 
 曼荼羅華は、四華(しけ=4種の蓮華)のうちのひとつだと言う。「四華とは、瑞相(喜ばしい兆し)の現れの一として、空から降るという四種の蓮華(れんげ)をいう。ちなみにその四蓮華とは、一は白蓮華=曼荼羅華(まんだらけ)、二は大白蓮華=摩訶曼荼羅華、三は紅蓮華=曼珠沙華、四には大紅蓮華=摩訶曼珠沙華をいう。」のだとか。
 尤も、別のサイトを見ると、「曼荼羅華(まんだらげ)」は、「天から降り注ぐ【天華(てんげ)】」の一つであり、「喜びを祝い、天から降り注ぐ花で[曼荼羅華・摩訶曼荼羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華・蓮華]の五種類を五天華という。」などと書かれている。

 曼珠沙華は、秋の季語として有名だが、曼荼羅華は、どうなのだろう。
 ま、こんなこともあり、昨日の日記に既に曼荼羅華の写真を載せていることもあり、再度、載せるのは、少々、躊躇いもあるのだが、昨日のは、やや斜に構えたような、少し違和感を覚えさせるものだとしたら、本日のものは、ラッパのようだと、よく評される花の形を真正面から捉えたもので、趣(おもむき)もかなり違うと思うので、敢えて載せさせていただく。

 曼荼羅華仏の教え放つごと
 曼荼羅華闇夜に咲いて我惑う

 ところで、ある方から、汗駄句川柳について、コメントを戴いた。個別の句への感想ではなく、小生の句業(苦行?)全般へのアドバイスだった。
 その意見は載せられないが、小生の返事だけは、以下に載せておく。尚、文中の、「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、今や世界的に有名な映画作家になられたコメディアンの北野たけし氏の往年の名作である:


  """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 Rさん、こんにちは。
 いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
 
「七五調のリズムは日本語に染みついたもので、自然に分かりますから、伝統的な俳句や川柳では、上句、中句、下句の間に間隔をとりません」
 なるほど、納得しました。今後(本日以降)、作るものについては、そのようにします。過去の作品については、手の及ぶ限り…。
 当面、昨日まで作ったものについては、現状の表記になるかも(推敲も、後日)。

  事実  赤信号みんな止まって待っている
  標語  赤信号みんな止まって待ちましょう
  警句  赤信号止まらぬあなたはあの世行き
  川柳  赤信号みんなで渡れば怖くない
  俳句  赤信号一陣の風渡りけり

 六文錢さんの示してくれた、事実の報告、標語、警句、川柳、俳句の違い。
 この点について、同じ題材を用いての説明、とても、勉強に成りました↑
 ただ、何処まで理解できたかは、自信がありませんが。

 小生、「汗駄句川柳」と自称していますが、この七月に句を作り始めました。
 実のところ、将来的にどのような方向へ持っていくか、未だ、展望は勿論、まるで皆目、真っ暗闇の状態、全くの手探りの段階なのです。
 川柳と自称していても、とりあえず、俳句じゃないようなので、じゃ、川柳と安易に括っているだけで、作りながらも、その時の気分で思いつくまま、なのです。
 その意味で、川柳に真面目に取り組んでいる方には、不愉快な姿勢に見えるのかなと、自分としても忸怩たるものがありつつ、作ってきております。
 川柳と俳句の違いも、ネットで色々読んでみても、歴然と違う、あるいは小生にもうっすらとは違いの分かる場合もありますが、区別の付かない場合もあるような。
 試行錯誤を多少続けて、そのうちに、自分が標語や警句を目指すべきか、川柳なのか、俳句が好みなのかが分かってくるのではと期待しています。
 小生、俳句は、ほとんど、川柳は全くに近いほど、読んでいません。和歌・短歌も僅か。小説(ほとんどが短篇)作りから、ちょっと足を突っ込んでみた…。
 勉強することが膨大で、眩暈がしそう。
 今年は未だ、小説に比重を大きく置いているので、本格的には取り組めず、大抵が、掲示板に書き込みした際に川柳(標語・警句・事実?)を付している、それを集めているだけです。
 来年に向け、少しずつ考えていきたいと思っています。

  """"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
 
 そのあと、また、Rさんよりアドバイスなどを戴いた。それについては、後日、改めて。

 さて、今日は忙しくて、あまりサイト巡りをできず、従って、掲示板に書き込みをする際に付す駄句も、綴る機会を得ていない。
 以下は、小生のサイトの画像掲示板に戴いた画像へのレスに付したもの。写真が、夕陽の光景だった:

 秋の暮日の落ち際の麗なる
 秋の日に急かされるごと夕陽追う

 今日も、なんだか、慌しいと言うのか、書いたものというと、このブログ日記が昨日、今日の分。あとは、「ディープスペース」の第四弾で、「ディープスペース(4):フォートリエ!」だけ。
「ディープスペース(3):ポロック!」が、「http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/introduction/pray-5.htm">私という千切れ雲の先に」というエッセイがベースになっていたのに対し、「ディープスペース(4):フォートリエ!」は、「夜 の 詩 想」などの瞑想的随想をベースにしている。
 作品的には、やや妄想的モノローグ風掌編となっている。
 ホームページには、「タクシーとオートバイの部屋」を更新した。
 週末には、溜まっている掌編をアップさせたい。

 最後に、今日は、趣向を変えて、汗駄句ではなく、駄洒落文を掲げておく。掲示板において、ある方の書き込みへのレスとして書いたもの。大本のネタは、「やじきた問答(1-5)」である:

 今日は悲シーレ。
 照るデルボーずが役に立たず、雨がクールベから? 芸シャガールが来ないから? 意識がモローだから? 髪型と服がマティスしてないから? 彼氏がムンクれているから? michioを間違えたから? 友がダヴィンチにふされたから? 手を弥一したから?
 ううん。おシーレを拭くのを忘れたから! なので、お手を拝借!

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